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中山寧人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中山 寧人(なかやま やすと、1900年明治33年)9月6日[1][2] - 1980年昭和55年)9月30日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将熊本県下益城郡松橋町長。

経歴

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熊本県出身[1][2][3]。中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業[1][2][3]。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第79連隊付となる[1][3]陸軍歩兵学校付などを経て、1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業した[1][2][3]

1930年(昭和5年)8月、歩兵大尉に昇進し歩兵第79連隊中隊長に就任[1]参謀本部付勤務、参謀本部員、アメリカ駐在、中国駐在、アメリカ大使館武官補佐官を務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に昇進[1]

1936年11月、資源局事務官に就任[1]。1937年(昭和12年)10月、中支那方面軍参謀に発令され日中戦争に出征[1]。改組により1938年(昭和13年)2月、中支那派遣軍参謀となり、同年3月、兵科航空兵に転科し航空兵中佐に昇進[1]陸軍航空本部員、航空本部総務部第3課長を務め[3]、1940年(昭和15年)9月から1941年(昭和16年)6月まで日蘭会商に随行しバタヴィアに出張した[1]。この間、1941年3月、陸軍大佐に進級した[1][3]

1941年11月、第16軍司令部付に発令され太平洋戦争に出征[1][2][3]。同軍軍政監部総務部長、兼同軍参謀副長を務め、1943年(昭和18年)3月、参謀本部防衛課長に異動して帰国[1][3]。燃料廠付、陸軍燃料本部総務課長、同総務部長を務め、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進んだ[1][2][3]。同年9月、第1総軍参謀副長、同年10月、東北軍管区参謀副長を務め、 1946年(昭和21年)3月に復員した[1]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

その後、熊本県の松橋町長を務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本陸海軍総合事典』第2版、114頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』537頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』446頁。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。