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多田寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多田寺

多田寺本堂(市指定有形文化財)
所在地 福井県小浜市多田27-15-1
位置 北緯35度28分41.7秒 東経135度46分8.3秒 / 北緯35.478250度 東経135.768972度 / 35.478250; 135.768972座標: 北緯35度28分41.7秒 東経135度46分8.3秒 / 北緯35.478250度 東経135.768972度 / 35.478250; 135.768972
山号 石照山(せきしょうざん)
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 (伝)天平勝宝元年(749年
開基 (伝)勝行
正式名 石照山多田寺
札所等 北陸三十三ヵ所観音霊場第4番
北陸白寿観音霊場第2番
若狭観音霊場第17番
文化財 薬師如来立像、十一面観音菩薩立像、菩薩立像(重要文化財)ほか
法人番号 5210005008616 ウィキデータを編集
多田寺の位置(福井県内)
多田寺
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多田寺山門

多田寺(ただじ)は、福井県小浜市多田にある高野山真言宗寺院山号は石照山。本尊は薬師如来

2015年(平成27年)4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として日本遺産に認定される[1]

歴史

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天平勝宝元年(749年)に孝謙天皇の勅願によって勝行上人が創建したと伝えられ、最盛期には子院12を数えた。本尊を納める厨子寛永11年(1634年)に小浜藩主となった酒井忠勝により寄進されたものである。現在は文化4年(1807年)に再建された本堂が残る。

文化財

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重要文化財
  • 木造薬師如来立像・木造十一面観音菩薩立像・木造菩薩立像(3躯一括指定)[2]
    • 木造薬師如来立像[3][4]
    多田寺の本尊で、平安時代初期の作。像高192.5cm。本体から台座蓮肉まで通してカヤの一木造、薬壺を持たない薬師如来である。下半身部分のY字状の衣文の処理は唐招提寺旧講堂薬師如来像、神護寺薬師如来像などの平安初期彫像に共通する様式である。
    旧日本三大薬師の一つとして主に眼病祈願の参拝客が多い。
    • 木造十一面観音立像[5][4](伝・日光菩薩)
    頭上に菩薩面を表した十一面観音像であるが、当寺では薬師如来の脇侍として日光菩薩と称されている[6]。奈良時代末期から平安時代初期の作。像高154cm。カヤの一木造。胸飾、瓔珞(ようらく)を本体と共木から彫出する点、両足部の衣文構成などに奈良時代の作風がうかがえる。
    • 木造菩薩立像[7][4](伝・月光菩薩)
    薬師如来の脇侍として月光(がっこう)菩薩と称されているが、本来の像名は不明。平安時代初期の作。像高144.2cm。カヤの一木造。
県指定有形文化財
  • 木造阿弥陀如来坐像[8] 3躯
藤原時代の作。桧材割矧造、彫眼、漆箔。像高は各92.5cm、91.5cm、144.5cm。
  • 木造四天王立像[9] 4躯
藤原時代の作。像高は持国天121.6cm、増長天119.5cm、広目天118.8cm、多聞天117.4cm
市指定文化財
  • 本堂
1807年(文化4年)に再建。三間×三間の内陣前に三間×一間の礼堂を設ける[10]
その他

札所

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交通アクセス

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近隣情報

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脚注

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  1. ^ 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群”. 文化庁. 2020年9月19日閲覧。
  2. ^ 昭和42年6月15日文化財保護委員会告示第24号
  3. ^ 木造薬師如来立像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ a b c 福井の文化財「木造 薬師如来立像 十一面観音立像 菩薩立像」”. 福井県. 2016年9月19日閲覧。
  5. ^ 木造十一面観音立像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  6. ^ 寺内の立札には「日光十一面観音菩薩」とあるが、本来の像名ではない。
  7. ^ 木造菩薩立像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  8. ^ 福井の文化財「木造 阿弥陀如来坐像」”. 福井県. 2016年9月19日閲覧。
  9. ^ 福井の文化財「木造 四天王立像」”. 福井県. 2016年9月19日閲覧。
  10. ^ 若狭小浜のデジタル文化財