コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

足羽神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
足羽神社

拝殿
所在地 福井県福井市足羽上町108
位置 北緯36度03分30.1秒 東経136度12分33.2秒 / 北緯36.058361度 東経136.209222度 / 36.058361; 136.209222座標: 北緯36度03分30.1秒 東経136度12分33.2秒 / 北緯36.058361度 東経136.209222度 / 36.058361; 136.209222
主祭神 継体天皇・大宮地の霊5座
社格 式内小社、旧県社
創建継体天皇
本殿の様式 神明造
例祭 5月15日
主な神事 わくぐり祭(7月31日)
地図
足羽神社の位置(福井県内)
足羽神社
足羽神社
地図
テンプレートを表示

足羽神社(あすわじんじゃ)は、福井県福井市足羽に鎮座する神社である。[1]式内社旧県社

祭神

[編集]

継体天皇生井神、福井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神[2]が祀られる。

神徳は次のとおり。[3]

  • 継体天皇 - 越前開闢之祖人。名前にあやかって継続繁栄、また、子が多かったことから子授け、安産、子孫繁栄の神である。
  • 大宮地之霊 - (別称)坐摩神。以下の5柱の総称。
    • 生井神 - 生命の源の神 
    • 福井神 - 栄・幸・福の神
    • 綱長井神 - 長寿の神
生井神、福井神、綱長井神はいずれも井戸の神、水の神である。
  • 阿須波神 - 足羽神、足場の神とも伝えられ、旅行・交通守神、工事安全守神である。万葉集巻二十に「庭中(にはなか)の阿須波の神に小柴さし吾(あれ)は斎(いは)はむ帰り来(く)までに」の歌がある。
  • 波比岐神 - 人の出入りを守護する門の神、災難除けの神である。

神紋

[編集]

太陽、月、北極星の文様を組み合わせた紋(三光の紋)。北極星は天皇の象徴、太陽と月は命と力の源を意味するといわれている。全国でも3社しかない紋。 

由緒

[編集]

継体天皇が男大迹王皇子として越前にいた時、大宮地の霊を祀ったという。大宮地の霊とは宮中の座摩5座の神であり、足羽神はその1座である。奉斎した後、越後平野の治水工事を起こし、即位して大和に上る時に自分の活霊も祀り、祭事を馬来田皇女に託した。[4]延暦10年(791年)4月、従五位下に叙され(『続日本紀』)、仁寿元年(851年)正月、従四位下が加えられ(『文徳天皇実録』)、延喜の制において小社に列せられ、天慶3年(940年)正月には従三位(『日本紀略』)、承暦4年(1080年)にこの神を穢す祟りがあったとして、社司に中祓が科せられた(『朝野群載』)。なお、国内神名帳である『越前国惣神分』には、正一位足羽大明神と記載される。

鎌倉時代以後、武家からの崇敬が篤く、領主の朝倉氏などが社領を寄した。江戸時代に、福井藩越前松平家代々の尊信が深厚であった。[5]

文化財

[編集]

光明天皇ならびに仁孝天皇から大宮地という宸筆の額字を賜り、旧国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定されていたが、太平洋戦争により焼失した[6]

(指定解除された旧国宝)

  • 紙本墨書光明院宸翰
  • 紙本墨書仁孝天皇宸翰

天然記念物

[編集]
しだれ桜
  • シダレ桜
社殿前にあり、古くから「足羽さんのしだれさくら」として親しまれてきた。[7] 樹齢370年(2013年現在)とされ春には多くの人が訪れる。[8]
1900年(明治33年)橋南の大火で焼けたが、その後回生し、高さ6メートルの大木に育った。1970年(昭和45年)に福井市の天然記念物に指定された。[9]
  • タカオモミジ
正面参道の真ん中にあり、シダレザクラとともに古くから知られている。高さ14メートル。[10]

石碑・石造物

[編集]
  • 天壌無窮碑
境内にあった、神宝神社の由来碑。明治23年(1890)の建立。神宝神社は、明治天皇即位に参列した福井藩士由利公正が、下賜された祭器を御霊代として天照大神を祀ったもので、明治4年(1871)に由利邸内から足羽神社内に遷された[11]
  • 小燈籠
文政元年(1818)に神社が木田の大火により被災し、同3年(1820)藩主松平治好により再建された。そののち、文政4年(1821)、松塚則安の発起によって奉納されたもの。正面に和歌、右側面に「継体天皇紀」、裏面に足羽神社略縁起、左側面に「松塚則安発起 文政四年辛巳冬十月再建 馬来田神主善包朝臣代」と刻まれている[11]
  • 六地蔵宝塔
元禄14年(1701)に松玄院第八世諶応等が開眼導師となり、常陸国真壁郡小栗庄下館の真誉諶入が建立した。菩提車六地蔵とも呼ばれる。六角石の上部は地蔵の彫刻で、中央に六角形の木製車輪があり、これを回転させると災難から免れるという[11]
遊楽寺は、元々朝倉一乗谷にあり、朝倉氏滅亡ののち、柴田勝家により足羽山に遷され愛宕山有楽寺となり、別当松玄院を建立した。明治3年(1867) 神仏分離の際昌救院と合併、愛宕神社となったが、明治33年(1900)の大火で全焼した[12]
  • 足羽宮碑
文政13年(1830)に継体天皇崩御1300年を記念し石場町の富商等が建立したもの。正面に「足羽宮之碑」と題し、左側面から裏面、右側面にかけてこの時の由来が刻まれている[11]
  • 継体天皇御世系碑
飛騨高山の国学者田中大秀は、継体天皇の御世系を研究し碑の建設を計画したが、没後、1847年(1847年)に門徒たちにより建立された[13]
  • 九頭龍川修治碑
明治33年(1900年)に国の直轄事業で、九頭龍川の支流などを大規模に改修工事を行ったが、治水伝説のある継体天皇を祭る当社に記念碑が建立された[14]

祭礼

[編集]
  • 1月1日-歳旦祭
  • 1月15日-左義長祭
  • 2月3日-節分祭
  • 2月11日-建国記念祭
  • 2月中旬-太子祭
  • 3月14日-足羽神社総代奉告祭
  • 3月20日-兼務神社総代奉告祭
  • 4月上旬-桜まつり
  • 4月14日-足羽山招魂社春季例大祭
  • 5月14日-神幸祭
  • 5月15日-春季例大祭
  • 6月16日-大祓式(夏越の大祓)
  • 6月30日-輪くぐり祭(白川流で行われる)[15]
  • 8月15日-終戦記念祭
  • 9月第2日曜-奉吟祭
  • 9月19日-宵宮祭
  • 9月20日-秋季例大祭
  • 9月21日-後日祭
  • 9月25日-足羽山招魂社秋季例大祭
  • 9月十五夜-観月祭
  • 10月7日-左内祭(橋本左内忌句会)
  • 10月15日-人形感謝祭
  • 11月15日-七五三詣
  • 11月最終土曜-大麻頒布始奉告祭
  • 12月23日-天長祭
  • 12月31日-大祓式

参考文献

[編集]
  • 『式内社調査報告』第15巻北陸道1、皇學館大學出版部、昭和61年
  • 『越前祖神 足羽神社縁起』
  • 『歴史のみえるまちづくり協会 会報』2007年11月号
  • 『足羽の昔ものがたり集』足羽熟年友の会 1986年

脚注

[編集]
  1. ^ 『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和福井』(1979年1月、p115)
  2. ^ 『足羽地区の昔といま』(2001年3月、p63)
  3. ^ 『越前祖神 足羽神社縁起』、『足羽の昔ものがたり集』 p.195
  4. ^ 『足羽山の主な史跡と墓碑石』(1989年3月、p57)
  5. ^ 『ふくいの歴史遺産』(1999年12月、p43)
  6. ^ 昭和24年10月13日文部省告示第178号により指定解除(参照:国立国会図書館デジタルコレクション)、2コマ目
  7. ^ 『越前祖神 足羽神社縁起』
  8. ^ 『歴史のみえるまちづくり協会 会報』 p.5。
  9. ^ 『足羽の昔ものがたり集』 p.196。
  10. ^ 『越前祖神 足羽神社縁起
  11. ^ a b c d 福井市立郷土歴史博物館『足羽山の主な史跡と墓碑石』, 福井市立郷土歴史博物館,1988
  12. ^ 阪上勢津『愛宕の松玄』,松翠庵,1930
  13. ^ 境内の主要石碑”. 足羽神社公式. 2023年3月26日閲覧。
  14. ^ 境内の主要石碑”. 足羽神社公式. 2023年3月26日閲覧。
  15. ^ 『福井県大百科事典』(1991年6月、p19)

外部リンク

[編集]