小笠原長高
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 長享2年(1488年) |
死没 | 天文13年10月4日(1544年10月20日) |
別名 | 豊若丸、彦五郎 |
官位 | 右馬助、左京大夫 |
主君 | 吉良義堯→今川氏親 |
氏族 | 清和源氏義光流小笠原氏 |
父母 | 父:小笠原貞朝、母:武田氏女 |
兄弟 |
長高(高天神小笠原氏)、長棟、定政、 大日方長利 |
妻 | 正室:吉良義元女 |
子 | 春義、宗長、吉良氏朝、朝宗、朝定 |
特記 事項 | 高天神小笠原氏祖 |
小笠原 長高(おがさわら ながたか)は、戦国時代の武将。小笠原貞朝の長男。別名は豊若丸、彦五郎。官位は 右馬助、左京大夫。馬伏塚城主。信濃守護の小笠原氏の一族。高天神小笠原氏の祖とされる。
父の貞朝は、先妻の武田氏との間に生まれた長男の長高を廃嫡し、後妻の海野氏との間に生まれた次男の長棟を偏愛し、後継者とした。廃嫡された長高は尾張知多郡に出奔して、後に三河幡豆郡に移り、吉良義堯、ついで今川氏親に仕官する。遠江国浅羽荘を領し、馬伏塚城に住する。享年57。法名は浄願。長男の小笠原春義が家督を継いだ。
参考
[編集]- 『寛政重脩諸家譜 第7輯 巻第1241』國民圖書、1923年、515頁。doi:10.11501/1082721 。