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古林見宜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

古林 見宜(ふるばやし けんぎ、1579年天正7年)- 1657年10月24日明暦3年9月17日))は、江戸時代前期の医師[1]。名は道芥後に正温に改名[1][2]。号は桂庵又は寿仙坊[1][2]

経歴・人物

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播磨飾磨(現在の兵庫県姫路市)生まれ[2]赤松氏則の子孫と伝えられている[2]。名医であった祖父がへ留学し[2]医学を修めたことがきっかけで若くして上洛し[2]曲直瀬正純から学んだ[1][2]。主に朱丹渓張仲景が提唱した新東洋医学を学ぶ[2]

後に摂津大坂で医療所を開設し[1][2]、同時期に嵯峨野で同門であった堀杏庵らと共に学舎を開設した[1][2]。見宜の門人は3000人ほど存在しており[2]松下見林や養子でもある古林知足らがいる[1][2]

大正13年(1924年)、従五位を追贈された[3]

主な著作物

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  • 『日記中棟方』[1]
  • 『外科単方』[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『古林見宜』- コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『古林見宜』- コトバンク
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.54