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アルダシール3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルダシール3世
𐭠𐭥𐭲𐭧𐭱𐭲𐭥
エーラーン人と非エーラーン人の諸王の王
アルダシール3世のドラクマ硬貨
在位 628年9月6日-630年4月27日

出生 621年
死去 630年4月27日
クテシフォン
埋葬 メシャン英語版
継承者 シャフルバラーズ
家名 サーサーン家
王朝 サーサーン朝
父親 カワード2世
母親 Anzoy
宗教 ゾロアスター教
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アルダシール3世 (621年 - 630年4月27日中期ペルシア語表記:𐭠𐭥𐭲𐭧𐭱𐭲𐭥) はサーサーン朝シャーハンシャー (在位:628年9月6日-630年4月27日)。父王カワード2世の後を継いで即位したが、ミフラーン家シャフルバラーズにより処刑され王位を簒奪された。

即位以前

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アルダシール3世は、サーサーン朝の皇帝カワード2世東ローマ帝国の王女Anzoyの間の息子として生まれた[1][2]。その出自のため東ローマ帝国と長きにわたる戦争を行っていたサーサーン朝では、アルダシールの人気が低かった[1]628年に父のカワード2世は宮廷クーデターにより、その父ホスロー2世を処刑して皇帝の位に就いたが、同年には疫病英語版がイラン西部で流行しカワード2世を始めとして人口の半分が疫病で亡くなった[3][4]

治世

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628年9月26日にカワード2世が無くなると、ウズルガン英語版(高位貴族)は7歳のアルダシールをつぎの皇帝に擁立した。そのためアルダシールは権力を行使できず、イスパフベダーン家マーフ・アードゥル・グシュナスプ英語版が大宰相となって実権を握った[4]。彼の責務はアルダシールが親政を行える年齢になるまで、帝国を守ることであった[5]タバリーはマーフ・アードゥル・グシュナスプの統治に対して「とても優れ、毅然な態度で帝国を統治したので、アルダシール3世が幼君であることには誰も気づかなかっただろう。」と評価している[5]

同時期に、マーフ・アードゥル・グシュナスプの兄弟ナルシ英語版カシュカル英語版が与えられた[6]。優秀な大宰相の下でも、サーサーン朝が置かれた状況は依然として厳しいものであった。アルダシールの祖父ホスロー2世の治世中に出現した、様々な派閥がサーサーン朝の要所を支配し、派閥主義がはびこる一方で、中央集権性はより弱まっていった。アルダシール3世が即位した際には、「パフラブ」(パルティア)派と「ペルシグ」(ペルシャ)派の主要両派、そして「Nimruzi」と呼ばれる第三派閥の全ての指示を受けていた[7]。しかし、629年になると、Nimruziはアルダシール支持を取り消して、将軍シャフルバラーズと共謀してアルダシール打倒を計画し始めた[8]。対してパフラブ派は、イスパフベダーン家ファッルフ・ホルミズド・ホルミズドの指揮のもと、アルダシールの叔母ボーラーンを擁立することを決め、ボーラーンはアーモル英語版ニーシャープールゴルガーンレイなどのパフラブ地域で硬貨の鋳造を始めた[8]

シャフルバラーズは6,000人の軍勢を率いてクテシフォンに進軍し、包囲戦英語版を展開した[1]。しかし、シャフルバラーズはクテシフォンを攻略することができず、カワード2世の統治下で大宰相を務めた、ペルシグ派の首領ペーローズ・ホスロー英語版と結んだ[9]。ペルシグ派とNimruzi派の支援を受け、遂にクテシフォンを陥落させた。630年4月27日に、シャフルバラーズはアルダシール3世を始めとして、マーフ・アードゥル・グシュナスプなど多くの高級貴族を処刑した [1][10]。そののち、シャフルバラーズはサーサーン朝の王位を簒奪した。ミフラーン家出身の2人目の簒奪者となっている。後の民間の伝承によれば、アルダシールはメシャン英語版のどこかに埋葬されたとされている[1]

硬貨

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カワード2世と同様に、従来のサーサーン朝皇帝が用いた「シャーハンシャー」(諸王の王)の称号を硬貨に刻むことがなかった。おそらくシャーハンシャーの称号を復活させたホスロー2世との違いを主張するためとされる[11]

出典

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  1. ^ a b c d e Shahbazi 1986, p. 381-382.
  2. ^ Martindale, Jones & Morris 1992, p. 94.
  3. ^ Shahbazi 2005.
  4. ^ a b 青木 2020 p,306
  5. ^ a b Pourshariati 2008, p. 179.
  6. ^ Morony 2005, p. 157.
  7. ^ Pourshariati 2008, pp. 178, 209.
  8. ^ a b Pourshariati 2008, p. 209.
  9. ^ Pourshariati 2008, p. 180.
  10. ^ 青木 2020 p,307
  11. ^ Schindel 2013, p. 837.

参考文献

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外部リンク

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アルダシール3世

621年 - 630年4月27日

先代
カワード2世
エーラーンと非エーラーンの諸王の王
628年9月26日 - 630年4月27日
次代
シャフルバラーズ (簒奪)