ウィンザーの陽気な女房たち
『ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor)はウィリアム・シェイクスピア作の喜劇。出版は1602年だが、書かれたのは1597年より前だと考えられている。太っちょ騎士フォルスタッフが主人公で、同時代のエリザベス朝イングランドの中流階級の生活を扱ったシェイクスピア唯一の「現代劇」である。ヴェルディ『ファルスタッフ』(1893年)、オットー・ニコライ『ウィンザーの陽気な女房たち』(1849年)など、たびたびオペラ化されている。
材源
『ウィンザーの陽気な女房たち』のいくつかの要素はセル・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ(Ser Giovanni Fiorentino)の短編集『愚か者(Il Pecorone)』の翻案から取られている。その中の1つは、ウィリアム・ペインター(William Painter)の『快楽の宮殿(The Palace of Pleasure)』の中にも含まれている[1]。
創作年代とテキスト
作品が作られた時期はわかっていない。出版の登録がされたのは1602年だが、おそらくそれより数年前だったと思われる。ガーター勲章への言及は、1597年5月のウィンザーでのガーター勲爵騎士の任命式の叙任に先立つ春にこの劇の上演を目論んでいたことを暗示している。もしそうなら、おそらくこの劇は4月23日の祝宴にエリザベス1世が出席した際に上演されたのであろう。しかし、それは初演でなかったかも知れない。一般の劇場で上演されたことも考えられる。
もっともガーター説は推測でしかないが、1702年にジョン・デニス(John Dennis)が『ウィンザーの陽気な女房たち』を脚色した劇(後述)の序文に書いた記述もそれを裏付けている。さらに最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ(Nicholas Rowe)によると、「恋するフォルスタッフ」を見たいと願ったエリザベス1世の依頼でシェイクスピアがこの劇を書いたことになっている。しかし、これは100年後の記述なので疑わしくもある。
どう解釈するかは意見が分かれていて、もしガーター説が正しいなら、シェイクスピアは『ヘンリー四世 第1部』と『ヘンリー四世 第2部』の間に『ウィンザーの陽気な女房たち』を書いたことになる。批評家たちにとってそれが信じ難いのは、『ヘンリー四世』と『ウィンザーの陽気な女房たち』の間にあるいろいろな矛盾のせいである。たとえば、反乱(『ヘンリー四世 第1部』)、あるいはフランスのイングランド侵入(『ヘンリー四世 第2部』)のような、当時のいかなる大事件の言及もそこにはない。
さらに登場人物の設定における矛盾や、結末のいい加減なところも多数見受けられる。それらはエリザベス1世がシェイクスピアに劇を書かせたという説を裏付けるものだが、『ヘンリー五世』以降に書かれたことを意味しているようにも見える。たとえば、登場人物ページのファーストネームは、ある箇所では「トーマス」ある箇所では「ジョージ」と呼ばれている。同様に第5幕でアン・ページが着る妖精の衣裳にも「白衣」と「緑衣」がある。韻文の台詞もシェイクスピアにしては出来が良くない。
1602年1月18日は『ウィンザーの陽気な女房たち』が書籍出版業組合の記録に登録された日付で、その後、書籍商アーサー・ジョンソンによって粗悪なテキストの最初の四折版(Q1)が出版された。第二の四折版(Q2)は1619年にウィリアム・ジャガードによって「フォールス・フォリオ」に収められた。優れたテキストであるファースト・フォリオが出版されたのは1623年のことである。
Q1の表紙には、この劇が「女王陛下の御前で、それ以外の場所で」宮内大臣一座(Lord Chamberlain's Men)によって演じられたと書かれてある。はっきりわかっているうちで最も早い公演は1604年11月4日のホワイトホール宮殿である。他にも、1638年11月15日にコックピット座(Cockpit Theatre)で上演された。
この劇ではドイツのある公爵に言及していて、その公爵は一般に1592年にイングランドを訪問し、1597年にガーター勲爵騎士に選ばれた(1603年11月16日にシュトゥットガルトにて任命)ヴュルテンベルク公フリードリヒ1世(Frederick I, Duke of Württemberg)だと考えられている。
上演史
『ウィンザーの陽気な女房たち』はイングランドの王の空位期間(English Interregnum)後の1660年に再開された劇場で上演された最初のシェイクスピア劇の1つである。サミュエル・ピープスは、1660年12月6日、1661年、1667年にキングス・カンパニー(King's Company)で上演されたのを見た(しかしどれも好きではなかった)と書いている。1702年、デニスがこの劇の脚色(それは「改悪」と呼ばれた)を依頼され、『滑稽な伊達男(The Comical Gallant, or the Amours of Sir John Falstaff) 』を書いたが、それは失敗作だった。1824年はフレデリック・レイノルズがヘンリー・ローリー・ビショップとのオペラ翻案シリーズに『ウィンザーの陽気な女房たち』を加えた。チャールズ・キーン(Charles Kean)は1851年にシェイクスピアのテキストに戻して公演した[2]。
第一次世界大戦中のイングランドの反独感情の時代には、王家のサクス=コバーグ=ゴータ家がウィンザー家になるなど、多くのドイツ語名とタイトルが英語的な響きのものに改められた。ヴィルヘルム2世は、「ザクセン=コーブルク=ゴータの陽気な女房たち」の公演を見るために出かけた、という冗談でそれに対抗した。
登場人物
- サー・ジョン・フォルスタッフ(Sir John Falstaff)
- フェントン(Fenton) - 若い紳士。
- シャロウ(Shallow) - 治安判事。
- スレンダー(Slender) - シャロウの従兄弟。
- フォード(Ford) - ウィンザーに住む紳士。
- ページ(Page) - ウィンザーに住む紳士。
- ウィリアム・ページ(William Page) - 少年。ページの息子。
- サー・ヒュー・エヴァンズ(Sir Hugh Evans) - ウェールズ人牧師。
- キーズ(カイアス)医師(Doctor Caius) - フランス人医師。
- ガーター亭の主人(The Host of the Garter Inn)
- フォルスタッフの子分たち
- バードルフ(Bardolph)
- ピストル(Pistol)
- ニム(Nym)
- ロビン(Robin) - フォルスタッフの小姓。
- シンプル(Simple) - スレンダーの召使い。
- ラグビー(Rugby) - キーズ医師の召使い。
- フォード夫人(Mistress Ford)
- ページ夫人(Mistress Page)
- アン・ページ(Mistress Anne Page) - その娘。フェントンに恋する。
- クイックリー夫人(Mistress Quickly) - キーズ医師の使用人。
- ページ、フォードの召使いたち
あらすじ
この劇では、中世(1400年頃)が舞台の『ヘンリー四世』の登場人物だったサー・ジョン・フォルスタッフを、執筆当時(1600年頃)に登場させている。
ウィンザーにやってきたフォルスタッフは金に困っている。そこで、ウィンザーの裕福な女房たち、フォード夫人とページ夫人に言い寄ることにする。フォルスタッフは名前だけ変えて内容はまったく同じラブレターを送ることにし、子分のピストルとニムに届けさせようとしたが、2人がそれを拒んだので首にする。ピストルとニムはフォルスタッフの企みを夫のフォードとページにばらす。ページはさほど心配しないが、嫉妬深いフォードは気にする。そこでフォードは「ブルック」と偽って、フォルスタッフに紹介してくれるようガーター亭の主人に頼む。
ページ夫妻の娘アン・ページを得ようとする3人の男(フェントン、スレンダー、キーズ医師)がいる。ページ夫人はフランス人のキーズ医師との結婚を望むが、ページはスレンダーがいいと思っている。しかし、アン本人が好きなのはフェントンである。ページは財産を食いつぶしたことでフェントンが気に入らない。
ウェールズ人牧師のヒュー・エヴァンズはスレンダーのために、アンと親しいキーズ博士の使用人クイックリー夫人に協力を求めるが、それをキーズ医師に知られる。キーズ医師はエヴァンズに決闘を申し込む。しかし、ガーター亭の主人がエヴァンズに違う場所を告げ、決闘はなんとか回避される。
フォルスタッフから恋文を受け取った女房たちは、そのことをお互いに打ち明ける。そして、名前を除けば手紙がまったく同じものだと知る。女房たちは年老りででぶのフォルスタッフにはなから興味がなかったが、懲らしめてやろうと、フォルスタッフの誘いに乗ったふりをする。フォード夫人は夫の留守中に家に訪ねるよう、クイックリー夫人を通してフォルスタッフに伝える。
「ブルック」に化けたフォードはフォルスタッフに会って、フォード夫人に恋していると嘘を言う。そして、自分とフォード夫人をとりもってくれるよう、大金を渡してフォルスタッフに頼む。女房の浮気を立証するためである。フォルスタッフはフォード夫人から誘われていることをブルック=フォードに打ち明ける。
フォルスタッフはフォード夫人に会いに行く。フォード夫人はフォルスタッフを汚れ物の入った洗濯籠の中に隠し、使用人たちに籠を川に捨てるよう命令する。そこにフォードが帰ってくるが、フォードはフォルスタッフを見つけられなくて悔しがる。
しかし、それにも懲りず、フォルスタッフは再度フォード夫人に会いに行く。そこにまたフォードが来て、フォード夫人は今度はフォルスタッフを太った女性に変装させて逃がす。フォルスタッフにとっては毎回踏んだり蹴ったりである。
女房たちは自分たちのやったことを夫たちに打ち明け、今度は全員でフォルスタッフを懲らしめることにする。
フォード夫人から、「狩人ハーン(Herne the Hunter)」の恰好をして、ウィンザーの森(現在のウインザー・グレート・パーク Windsor Great Park)のオークの木の下で待つように言われ、やってきたフォルスタッフだが、そこにフェアリーに変装したアンや子供たちが現れ、仰天する。この時、ページはスレンダーに、ページ夫人はキーズ医師に、妖精に扮したアンを連れ出し教会で結婚式を挙げるように言われるが、アンを連れ出したのはフェントンだった。
テーマ
『ウィンザーの陽気な女房たち』の鍵となるテーマは、「愛」「結婚」「嫉妬」「報復」「階級」「富」である。アイロニー、性的ほのめかし、嫌み、階級や国民性に対するステレオタイプな見方が試みられ、シェイクスピア劇によく見られるテーマ以上に現代的なテーマかも知れない。
『ウィンザーの陽気な女房たち』はイングランド中流階級の階級偏見を中心に置いている。下層階級を代表するのはバードルフ、ピストル、ニム(いずれもフォルスタッフの仲間)であり、上流階級を代表するのはサー・ジョン・フォルスタッフ、フェントンらである。作品の中でシェイクスピアはラテン語と英語の誤用を使って、フランス人やウェールズ人の語り口を表現している。また、喜劇的効果のほとんどは登場人物間の誤解から生じている。
この劇に貫かれているもう一つの突出したエリザベス朝のテーマは、「寝取られ」である。エリザベス朝人は嬉々として夫を裏切って浮気する女性といったテーマを見つけ、結婚した男は妻に騙されているものと仮定していたようである。寝取られた夫は「wear horns(嫉妬の角を生やす)」と呼ばれ、たとえそれがフォルスタッフが隠れるbuck-basket(洗濯籠)のbuck(牡鹿)という言葉であっても、角もしくは角の生えた動物への言及は満場を唸らせたことであろう。
批評
『ウィンザーの陽気な女房たち』をシェイクスピアの作品の中でも出来が良くない作品の1つで、この作品のフォルスタッフは『ヘンリー四世』のフォルスタッフより劣っている、と考える批評家が多い。ガーター説を信じるなら、ガーター勲爵士の祝宴で上演するため、厳しい時間的制約の中、たった14日で急いで書かれたことが理由かも知れない。
シェイクスピアはエリザベス1世のお気に入りの劇作家の1人で、女王は道化役のフォルスタッフを楽しんだとも言われている。このことは、女王へのへつらいとしてのパワフルな女性キャラクターと、このどたばた喜劇がフォルスタッフにとっては災難でしかないことを説明する理由かも知れない。
アダプテーション
- 滑稽な伊達男(1702年) - ジョン・デニスによる改訂・脚色版。
- ファルスタッフ(1799年) - アントニオ・サリエリ作曲のオペラ・ブッファ。台本はCarlo Prospers Defranchesi。
- ウィンザーの陽気な女房たち(1849年) - ドイツの作曲家オットー・ニコライ作曲のオペラ。
- ファルスタッフ(1893年) - ジュゼッペ・ヴェルディの最後のオペラ。台本はアッリーゴ・ボーイト。この劇を基にしたものだが、大部分のオペラ同様に登場人物と筋に相違がある。
- 恋するサー・ジョン(1924年 - 1928年) - イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズのオペラ。
参考文献
日本語訳テキスト
- ウィンザーの陽気な女房 - 訳:坪内逍遥(新樹社)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:三神勲・西川正身(河出書房・市民文庫、筑摩書房・筑摩世界文学大系16)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:小田島雄志、解説:村上淑郎(白水社・白水Uブックス)、訳:小田島雄志(シェイクスピア全集3)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:松岡和子(ちくま文庫)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:大山敏子(旺文社文庫)
脚注
外部リンク
- The Merry Wives of Windsor - HTML version of this title.
- The Merry Wives of Windsor - plain vanilla text from Project Gutenberg
- The Merry Wives of Windsor - Searchable, scene-indexed version of the play.
- Photographs of a production of The Merry Wives of Windsor
- Royal Shakespeare Company photos and information relating to performances and background of The Merry Wives of Windsor through the years
- RSC Plot Summary and list of performances and actors
- The Merry Wives at Shakespeares Globe (Daily Mail UK)
- 劇団シェイクスピア・シアター