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Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは辞書ではありません

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これはこのページの過去の版です。Maddestmagician (会話 | 投稿記録) による 2015年4月25日 (土) 08:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (方針・ガイドラインとして提案中の復活: 相互理解が進みました)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

2003-12-30T06:27:49; 0null0さんの投稿時の版

genealogical or biographical dictionaries

というのは日本では何と呼ばれているんでしょうか? 人物事典という言葉がありますが、大抵はその人物の業績のことが書いてあるような気がします。(僕の誤解かも知れませんが。)

あと、最後の段落でexternal sourcesは、その人の活躍した業界、分野の外のメディア、というぐらいの意味だと思うのですが、少し自信がないです。

Tomos 23:19 2003年6月5日 (UTC)

genealogical or biographical dictionaries

家系事典、人名事典でしょうか。前者は、その一族の家紋、由来、縁戚などを調査するためのもので、国内ではあまり見かけないですね。

利用者:Mishika

とりあえずそのように変更してみました。どうもありがとうございます。Tomos 06:36 2003年6月6日 (UTC)

百科事典としての価値が無い思われる(辞典的な)記事を発見したのですが、何処へ報告すれば良いでしょうか?

a perfect fool 17:23 2003年12月22日 (UTC)

サッカーのポジションの解説をする記事にするとかでどうでしょうか?Tomos 14:10 2003年12月27日 (UTC)

これも現在は辞書的な記述に思えます。こういう記事を見つけたら、報告する場所があっても良い気がしますが、どう思われますか?Tsk 22:09 2003年12月29日 (PST)

加筆すべきだ、というのであればWikipedia:書きかけの記事の探し方、直し方を使えば良いのではないでしょうか?tanuki_Z 22:25 2003年12月29日 (PST)
Tskさんへ、書かれたものの一部は「曖昧さ回避」に近いものが含まれています。ですから、現状ではそれらは残した方がよいと思います。0null0 22:27 2003年12月29日 (PST)

tanuki_Zさん、0null0さん、ありがとうございます。単に削除するわけではなく、Tomosさんのように発展させる方向を提案したり、曖昧さ回避にしたり、最悪削除をする(日本語版ではないかもしれませんが)という検討をする場所があると良いと思ったのですが……。
とりあえず、ここに報告して様子をみることにします。加筆するべきならWikipedia:書きかけの記事の探し方、直し方へ移動しましょうか。Tsk 10:08 2003年12月31日 (UTC)

確かに個人的にどうしようかと思って抱えているより、多くの人の意見を募る方がいいでしょうし、そういう場はあってもいい気がしますね。tanuki_Z 10:18 2003年12月31日 (UTC)

字引的な記事

category:字引記事が作成されましたので、今後、字引的な記事を見つけられた場合は、主にそちらで対処して下さい。また、記事の内容に応じて加筆依頼統合依頼整理依頼修正依頼プロジェクト間の移動などへも振り分けて下さい。


上記のリストは長期間放置されている模様ですが、字引的状態を脱しているものもあり、各種の依頼系ページ等への移行などメンテ等されるべきと思われます。--Willpo 2005年7月8日 (金) 16:52 (UTC)[返信]

そうですね。このリスト自体はそもそも字引テンプレートができる前に創られたのじゃないでしょうか。そして、書き加えられたものはおっしゃるとおりですし、いまだに字引なものはTranswikiして辞典として磨きをかければいいのじゃないかと思います。--Aphaia 2005年8月12日 (金) 22:31 (UTC)[返信]
統合依頼category:字引記事への移項等、整理しました。--Kstigarbha 2005年8月12日 (金) 22:59 (UTC)[返信]

曖昧さ回避が字引的である場合は

曖昧さ回避が字引的である場合の説明が不足していると思うのですがどうですか?その場合下手に字引的でなくすのも誤解を招くとおもうのですが。--Onyx 2008年11月21日 (金) 17:17 (UTC)[返信]

いつまでも草案にしておかずに公式な方針にするなりやめにするなりしてはいかがですか

長く放置されている草案を見つけたように思います。タイトルでいいたいことはほぼ終わっています。この表現では提案にならないので、提案としては「公式な方針」にすることを提案します。Suzukitaro 2009年11月18日 (水) 15:41 (UTC)[返信]

ほとんど関心をもたれていないここの現状を見ると「公式な方針」にするよりも,template:私論を添付してCategory:ウィキペディアの私論に分類するほうがよいと思います。提案を変更します。Suzukitaro 2009年11月28日 (土) 13:08 (UTC)[返信]
提案を実行しました。中途半端な状態で忘れられてしまっているのだと思います。「公式な方針」にすることに反対しているわけではないので,そのほうがよいと思われる方はどうぞご提案ください。Suzukitaro 2010年1月3日 (日) 01:53 (UTC)[返信]
提案に気がつくのが遅れました。この文書は事実上ルールとして運用されている上、公式な方針であるWP:NOTの補完的文書であって同様に公式な方針として運用してよいでしょうし、英語版でも公式な方針とされていますので、「公式な方針」でいいのではないでしょうか。--Kurz 2010年2月6日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
私は私論のままでもよいと思います。ですがガイドラインとするならば、「考慮すべきガイドライン」で良いのではないかと。
また、ガイドラインもしくは公式な方針にするにしろ、このページでだけ議論するというのは、不適切なので議論告知+お知らせにも載せるべきかと。--春日椿 2010年2月6日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
ご意見はわかりましたが、理由が書かれておらず判断の材料にしにくいので、理由も書いていただけると助かります。あと、議論告知が必要なのは確かですが、それは私論への移行の際も同様だったでしょう。とりあえず草案に戻したほうがよさそうですね。--Kurz 2010年2月8日 (月) 10:33 (UTC)[返信]
いいえ、それは必要ないと思います。私が別の場所への告知が必要だと申し上げたのは、利用者への影響があるからです。通常、草案と私論の間の位置づけに大きな差はありません(草案の場合は、ガイドライン化の前に試験運用が行われるれる場合もありますが)。どちらもルールとしての拘束力はありません。一方、ガイドライン化は、「守ることを利用者が合意した指針」と扱うことになり、拘束力が発生しますます。草案段階では興味のない人も、ガイドライン化するなら意見があるといわれるかもしれません。
私には、この文章は作成途中もしくは方針化する気のない案件のように見えます。それは作られてから長い間、ほとんど放置されているに等しい状態であったからです。「ウィキペディアは辞書ではありません」の一部を補う文章としての位置づけがあるとは言え、この文章自体に意味がなければ公式な方針とするのには相応しくありません。私は、今の内容だけなら、WP:NOTに記述を移動して内容を少し厚くするだけの方が良いと思います。--春日椿 2010年2月8日 (月) 15:27 (UTC)[返信]

曖昧さ回避が字引的である場合は(2)

曖昧さ回避が字引的である場合は、例外とすべきであると考えますが如何ですか?問題が内容であれば、本文を書き換えたいのですが?--Onyx 2010年2月25日 (木) 23:13 (UTC)[返信]

Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを辞書にしないで言うような誤解がつきものなので、提案のような内容を書くとかえって誤解されやすくなってまずいんじゃないでしょうか。--Kurz 2010年2月26日 (金) 03:32 (UTC)[返信]
恣意的なリダイレクトを相対化して、特定の語の健全性を確保しようとする試みは、ウィキペディアの充実にとって重要だと思われますが、参考文献を尊重した曖昧さ回避が字引的として問題視される場合があり、困っています。--Onyx 2010年3月17日 (水) 22:47 (UTC)[返信]

Template:字引

本文書は私論にとどめる旨の合意がなされているため、Template:字引のリンク先を本文書からWP:NOTDICDEFに修正しました。今後は「ウィキペディアは辞書ではありません」を参照していただきましょう。--伏儀会話2012年11月6日 (火) 12:08 (UTC)[返信]

先方への配慮

どうも内容がWikipedia日本語版の都合ばかりが強調されていると思ったので、Wiktionary日本語版からの視点も取り入れてみました。--Charidri会話2013年5月22日 (水) 10:09 (UTC)[返信]

改名提案2014年7月

現在の、Wikipedia:ウィキペディアは字引ではないから、

英語版では、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんの主たる本記事名なので、英語の表題はWikipedia is not a dictionaryでかぶっています。

Wikipedia:記事名の付け方#正式名称としても字引よりは辞書かと思われますので。異論がなければ1週間後に改名します。--タバコはマーダー会話2014年7月24日 (木) 12:42 (UTC)[返信]

改名しました。--タバコはマーダー会話2014年7月31日 (木) 22:14 (UTC)[返信]

方針・ガイドラインとして提案中の復活

方針かガイドラインか取り決めるため{{proposed}} を貼りなおします。ご意見をどうぞ。
意見がまとまらないようなら、長引かせず、とりあえず「ガイドライン」に引き上げましょう。

(概要)[[WP:5P|五本の柱}}のうちの基本方針「ウィキペディアは百科事典です(ウィキペディアは何ではないか)」の「内容」に「ウィキペディアは辞書ではありません」に直結する。そちらの文書ではという項がもうけられており「方針」であるのが明らかなのに、子記事である「Wikipedia:ウィキペディアは辞書ではありません」が2ランクも下げられて「私論」に落とされているのは不自然。

(背景) もともと「方針・ガイドラインとして提案中」を示す {{proposed}} タグが張られていたが、あるユーザが、合意形成できたとして「私論」タグに置き換えた((差分)。 --Kiyoweap会話) 2015年4月21日 (火) 20:18 (UTC) ユーザ名差し控えのための改稿 Kiyoweap会話) 2015年4月24日 (金) 00:53 (UTC)「直結」の語弊を削除--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 05:02 (UTC)[返信]

賛成 (方針) 善意で辞書的な記事(2義以上を1ページ)を作成してしまうことは、新規ユーザでなくとも犯すことがあり、私もあります。
単発ミスで犯したユーザを断罪するわけではありません。
ですが、忠告を再三受けても辞書的スタブ記事の作成する人に対しては、効力・警告力をもたせたいと思います。
また、辞書的⇒百科事典記事への移行(「記事分割の提案」などの手法で有効性の議論をつくした後)にも、「私論」では応じないと言い張るユーザもいるでしょう。--Kiyoweap会話2015年4月21日 (火) 20:40 (UTC)ユーザ名秘匿のための改稿 --Kiyoweap 2015年4月23日 (木) 23:20 (UTC)[返信]
反対 Wikipediaが辞書ではないことはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかにおいて既に方針化されています。本件はWikipedia‐ノート:編集合戦#これはガイドライン?公的な方針?と同じようなケースではないでしょうか? 本文書はWikipedia:方針とガイドライン#位置づけの説明で言うところの、「利用の手引きやヘルプ」のようなものであり、本来は方針/ガイドライン/私論という格付けの範囲に無い文書だったように思われます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの詳細な補助説明が目的の文書として(同方針では{{Main}}ではなく{{See also}}で本文書が参照されている点にも注意)、同方針に誘導することが本題だと思います。要するに本文書は、方針に肉付けされた諸々の部分に「私論」のレッテルが貼られていることが混乱の元なのであって、いっそガイドラインや方針に格上げする必要が無いものと考えます。この手の補助文書すべてに対して方針・ガイドライン化を考えていてはきりがないですし、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかから独立させるだけの特段の理由が無ければ、上位の方針に集約させれば良いだけではないでしょうか? とにかく私論のレッテルだけは速やかに解消すべきです。--Gwano会話2015年4月22日 (水) 00:37 (UTC)[返信]
返答 幾つか傍題を会話にて反論させていただきました。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 10:07 (UTC)[返信]
コメント 返答の前にちょっと本題から逸れますけど、もしかして削除依頼のような投票主体のページと混同されていませんか? それらは込み入った議論に発展すると票が分かりにくくなりますので、投票済みの者による記述量の多いコメントがノートに隔離される場合があります。しかし本件のような個別のページでのノートでの提案では議論こそ重要で、込み入った議論になっても別ページに分散させないのが普通です。議論が追いにくくなって一括した議論ができませんし、私としてもどちらに返答して良いものか分かりません。今回のご返答は内容的に進行中の本議論に対する普通の返答と思われ、わざわざ案内を入れたうえで個人のページで展開を続けるような内容では無いように見えます。私としてはこちらに転記したうえで返答したいと思っておりますが、念のため、利用者会話ページに隔離すべき特段の理由があるのであればご説明いただけますでしょうか? --Gwano会話2015年4月24日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
コメント私は削除依頼はあまり関わりませんので、そちらが投票主体だという話にはうといのですが、投票は議論の代用とはならないのつもりでいます。まあ、説明いたしますと、本来は賛成(方針)・賛成(ガイドライン)・反対の3パターンでの議論というかたちを予期していました。ところが私の想定外で2パターン加わったので、まずA, B, C, D, E 案解決策をだそうと思い、逐一の議論はそこにあまり交錯させたくなくなったので、一時保留にしました。結局、考えが変節し、A, B, C, D, E 案ではなく、下方のコメント投稿のようになりました。
まあ、あまりきれいごとばかりはいえませんで、一部はGwanoさんに言われっぱなしにできないで反論したくもあり、そちらのトークに流している面もあり、いささか弁明しますと、参加者としての私は、さっさと「方針」から落として「ガイドライン」でも妥協して楽になりたいところですが、提案者としましては、いまだみえない新たな参加者が現れた時にすでに「方針」のチョイスを捨ててしまっているのもなんですから建前において討論はしている面がある。ですが現在の流れであくまで「方針」にこだわるのが焦点と思わないので「傍題」と称して流しています。といったところですかね。
しかし、解決策につながりそうな、特定のポイントがあれば、こちらのスレに差し戻して頂いてもちろん構いませんが。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 14:18 (UTC)[返信]
反対 井戸端から来たのですが、これは良く言ってもガイドラインであり明らかに方針ではないと考えます。それに対して「~~は「方針」であってしかるべきなのものです。」と公言するような人が提案していることに強い危惧を覚えます。
Wikipediaは「百科事典という概念を再定義」しかねない気狂い染みたプロジェクトだと私は思っているので、本文書はその未来を「既存の百科事典の概念から逸脱しない」ように制限するものだと考えます。当然、方針などではあり得ず、現代という、未だ「辞書と百科事典(と、その他の紙製の何か)とを区別しなければならない事情を作り出している紙」の影響が色濃い時代にのみ有意な一時的なガイドラインでしかないはずです。これを方針とすることは即ちWikipedia自身により「百科事典の定義」することであり即ちWikipedia自身に定義という束縛を与えることです。そしてそれはイコール「新たなる百科事典の概念」が生まれる可能性を阻害する試みです。
井戸端に於ける発案者の発言内容は私の見る限り噴飯ものであり、これ以上書くとまた言葉遣いがどうの礼節をもってこうの長いからそうのと言われることが目に見えているので詳しくは書きません。ので憤懣遣る方無い思いです。
本文書は良く言ってもガイドラインであり、多分に私論であるべき文書です。私論にしておくには惜しい程に良く書かれていることは認めます。初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであることを鑑みれば、十五歩ぐらい譲ってガイドラインとして認めた方が良いかも知れないとは思います。ですが方針としては認められません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月22日 (水) 11:57 (UTC)[返信]
GwanoさんとMaddestmagicianさんのご意見を考慮すれば、{{Infopage}}を貼ってCategory:ウィキペディアの解説に分類するのが一番いいように思いました。本文書は方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを補足する文書であり、内容自体はウィキペディアにおいて広く共有されている合意事項であるという点は全員が認めるところでしょう。私論のままでは問題だけどガイドラインや方針にしてしまうのも問題があるような、この文書のような立ち位置の文書に最適な分類かと思います。--重陽会話2015年4月22日 (水) 22:33 (UTC)[返信]
コメント個人的には、コンセンサスが得られるのならどのような形になってもよいのですが、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの意見に1つだけ。現在のこの文書は英語版の方針であるen:Wikipedia:Wikipedia is not a dictionaryの翻訳を元にしてますよね。「方針とは認められません」と言うほどでしょうか。--Akatsuki444会話2015年4月23日 (木) 14:04 (UTC)[返信]
◆「言うほど」だと私は考えています。
十五歩(現実問題として十五歩も下がったら5~10メートル離れることになり、対話は容易ではなくなります)ぐらい譲ってもガイドラインまでです。ですがそれとて「初心者にとって理解の助けとなる良い手引きである」からに過ぎません。日本語版以外の全ての言語の版で方針になっていたとしても、ジミー・ウェールズが「方針である方が適切だ」と主張(「方針とせよ」と言ったのではなく)していたとしても、それ等は私の考えの根拠を否定するものではありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月24日 (金) 11:28 (UTC)[返信]

反対 私も井戸端から来ました。Wikipedia:五本の柱に直接リンクされていることが方針・ガイドライン化の根拠になるのなら、Wikipedia:議論が白熱しても冷静にWikipedia:論争のある記事も方針・ガイドライン化が必要という結論になってしまいます。「噴飯もの」とまでは言いませんが、根拠になっていないと思います。Wikipedia:議論が白熱しても冷静にはエチケット的な内容という理由で私論となりましたが、Wikipedia:論争のある記事は既存の文書をまとめただけという理由で私論になっています。この文書も「既存の文書をまとめただけ」「WP:NOTで十分」と私は考えており、私論で良いと思っています。ただ、{{Infopage}}とするのなら反対しません。--伏儀会話) 2015年4月23日 (木) 10:46 (UTC)訂正--伏儀会話2015年4月23日 (木) 10:51 (UTC)[返信]

コメント 一部の方はなにか大きく勘違いされているようですが、何も私が当記事を「私論」ステータスから引き揚げようができまいが、効力は生きていますよ。なんならお試しになってもよろしいが、おおよそここの記述してあることに何度も抵触し何度も勧告無視するなら、管理者から永久ブロック等を食らいかねませんから。じっさい、当記事を「私論」にダウングレードさせたユーザが食らっています(確実な理由は明かされませんけどね)。そのことを踏まえて、ブロックされた方がつけた「私論」というラベルに惑わされて、「やってもいいんだ」と思わないように、きちんとしたタグ貼り換えを私は提唱しているのです。
user:Gwanoさんもある時点では「同方針に誘導することが本題だと思います」とおっしゃるのですから、何かそういうニーズは認めてらっしゃるように思えますが。私は「方針」にはこだわりませんが、せめて「ガイドライン」でないと、元々提案した「警告性」の意味が無いと思いますし、誘導性もありませんよね。 Gwano さんが挙げたWikipedia‐ノート:編集合戦#これはガイドライン?公的な方針?のように何もタグのない状態に引っぺがすのも、警告性もなく、誘導性もありません。また、重陽さんの{{Infopage}}案も然りで、「私論」と書かれるのとほぼ横ばいであり、「従わなくともいいんじゃないか」感は払しょくされないと思います。ですから、「私論」ははずしておき、当面としては次案として「方針かガイドラインの草案」タグを貼ったまま据えおくことが望ましいと思います。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 08:39 (UTC)[返信]
◆提案者は何か大きく勘違いをなされているようですが、私を含め反対者の中には誰一人として「本文書が効力を持つこと」に反対している者は居ません。反対者全員が「本文書が効力を持っている事実」を認めており、またそれが適切で且つ有用であると考えています。繰り返します。唯の一人も居ないのですよ。
なので「効力は生きていますよ」であるとか、況してや「なんならお試しになってもよろしいが」などと主張することは全くの無意味です。
僭越なる私見ではありますが、wikipediaを守る勇猛果敢なる衛士達には、その戦いを今後も長く続ける為に適度な休息が必要なのではないでしょうか。敵の戦術は単純です。衛士達を疲弊させ、脱落し数が減るのを待っているのです。どんなに強い戦士でも疲労には勝てません。どんなに凄い武器を持っていてもです。
例えば、英語版wikipediaでは本文書は方針とされていると聞きました。では英語版wikipediaには「本文書に抵触する者」が居ないのでしょうか? 彼等は駆逐されたのでしょうか? いいえ、そんなことは無いはずです。
方針であろうが私論であろうが、やる輩はやるのです。何故ならばやりたいからであり、そしてそれが実行可能だからです。彼等を完全に駆逐出来る武器は唯一つ、「以上の記述を完全に理解し同意した上で投稿する」ボタンを押しても記事の内容が変更されないようにすることです。なのにその武器は五本の柱に反しているのです。
wikipediaを守る為には戦い続けるしかありません。そして脱落せずに戦い続けるには、適度な休息が必要です。脱落せずに復帰し、再び戦い続ける為の休息が。
疲労が勘違いを誘発させたのであれば、それを敵の前で晒し討死する前に休息をとり、万全の状態で戦線に復帰してもらった方がwikipediaの発展の為になるのではないかと愚考します。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月24日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
何だか場を和ませようと気を使わせてしまってすみませんが、それほどテンパってるわけではないです。これでも何度も修正して投稿してるんで、疲れはしますけど。
「お試しになってもよろしいが」と言ったのは挑発的ですが、真に受けてする人はいないでしょうから、当然レトリックです。無意味だとおっしゃるが、そうだとは思わない。世界最狂の魔法使いCray-Gさんなどの最初の投稿を見ても、はっきり言って、<効力はもたないものを、私が理不尽に持たせようとしている>、と言う風にとれました。ですから、内容をなめてかかればヤバい結果という怖い話筋で情報を伝えたつもりです。
しかし読まれているかもしれない新規ユーザを変にビビらせて編集意欲を委縮させるのももいけませんね。そういう方にはページの編集は大胆にがガイドラインです。さらに違反が故意でないこともあるので周りは善意に取る義務があり、礼儀を忘れないによれば他人のミスをなじってはならず、そのうえ新規参加者を苛めないでくださいとなっています。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 15:35 (UTC)[返信]
◆やはりご理解を戴けていないようです。
~~、と言う風にとれました。
そういう風に「とれてしまう」ような状態で提案していることを問題視しているのです。そのようなレトリックを「使ってしまう」ような状態であることが問題だと言っているのです。それは井戸端に記載されていた(そして私ことCray-Gの観点では今や隠蔽されてしまった)文言に既に顕われていたので私は強い危惧を覚えたのです。そしてそれが「(私ことCray-Gの観点では)隠蔽された」ことで危惧は確信に変わりました。
wikimediaプロジェクトはその全てに於いて共通して「中立的な観点に基づいた内容」を目指しています。その為には「誰でもが匿名で編集可能である」ことが必要であること、そしてその「偏った観点を持った誰でも」が全員で合意を形成すること、そしてその合意形成を妨げる二つの問題行動を禁止することで、実在し得ない「中立的な観点」などという戯けた妄想を実現すると規定しています。
即ち各員の観点が偏っていることは当然であり、それだけならば何等の非難を受けるべきものではありません。例えそれによって誰かが飯を噴こうが午後ティー噴こうがです。寧ろ逆に「我こそは斯様にも偏った観点を持つ者也。我とも合意を形成すべし」と名乗りを上げるべきところでしょう。私は井戸端でその名乗りを上げているのを見たからこそ此処へ来たのです。でなければ来なかったでしょうし、よしんば来たとしても「馬鹿言ってんじゃねーよバーカバーカ」を慇懃にした内容を書き捨ててそのまま興味を失い、当分見もしなかったことでしょう。
非難を受けるべきなのは観点が偏っていることではなく、合意を形成しようとしないことです。もっと厳密に言うと、合意を形成する為に必要(だと私ことCray-Gは思い込んでいる)な相互理解を行なおうとしないことであり、それを阻害する為の様々な行為を試みることです。それには「目的」の為に自らの観点を偽装することも含まれます。観点を偽装することは(他の観点の持ち主による)相互理解の為の努力を誤った方向へと導き、無駄な労力を費やさせ、「問題行為者が駄々をこねている」だけにしか見えないようにします。それは結果としてコミュニティーを消耗させることになります。そしてその時にはその問題行為者にとっても、他の多くの利用者が理不尽で不当な隠された目的の為に自分の意見を封殺しようとしているだけにしか見えないようになるのです。それは両者とwikipediaにとって不幸なことです。
もしも前段落最後の「他の多くの利用者が~~封殺しようとしている」のリンク先の文書を読んで(或いは読まずに)該文書がwikipediaで「効力を持っていない」と思うようであれば(思うはずだと私は既に確信しています)、Kiyoweap氏の言う「効力」と私ことCray-Gの言う「効力」との間には差異があることになります。私ことCray-Gは、wikipediaに於いて「Kiyoweap氏の言う効力」がある文書は五本の柱以外には無いという観点に立脚しています。つまり検証可能性でさえ、私ことCray-Gが立脚する観点に於いては「Kiyoweap氏の言う効力」を持っていないのです。それは通称「アップルパイ案件」と呼ばれていて、確か解説ページがあったはずなのですが記憶違いなのか探したけれど見付かりませんでした。
場を和ませようと気を使わせてしまって
真に受けて良いのでしょうかね?
したり顔で「モルダー、あなた疲れてるのよ(  ゚,_ゝ゚)ププッ」とか言われて言われた当人が和むはずがないので、かなりの重症と御見受け致します。
内容をなめてかかれば~~
先の投稿に於ける「警告性」だの「誘導性」だのとおっしゃっていた内容のことと考えます。既に述べた通り、方針であろうが私論であろうが「警告性だの誘導性だの」には大した影響を与えません。無論、不適切な編集をする者を「(Kiyoweap氏の言う)効力」によって「萎縮させる」為には、私論であるより方針である方が役立ちそうに思えます。ですがそれで実際に「萎縮する」者は、私論であっても萎縮するものです。
新規参加者を苛めないでくださいにある通り「根気を持って」接するべきでしょう。短気を起こして「こういう方針と決まってるんだ」と居丈高に言って萎縮させるのではなく。
効力はもたないものを、私が理不尽に持たせようと
前述の通り、方針にすることによって「(私ことCray-Gの言う)効力」は変化しませんし、また「(Kiyoweap氏の言う)効力」を持つことも無い(と少なくとも私は思っている)ので、私視点からはやはり無意味であることに変化はありません。
ですが、そうやって書いて戴いたことで理解出来たことがあります。即ちKiyoweap氏は現在、「本文書を方針にすること」と「なんならお試しに~~食らいかねません、と伝えること」とが同様の効果を生むように見える観点に立脚している、ということです。
相互理解が進みました。これにより論点が「本文書は方針であるのが適切か否か」ではなく、「『その効果』を生むことでwikipediaにどのような利益が齎されるのか」であることがわかります。私の立脚する観点に於いては、それによってもたらされる利益は「根気を持つ」必要が無くなる(=楽になる/その分の時間を他の有意義なことに使える/ディスクスペースの節約になる等)以外に思い付きません。なのでこのままでは私の反対の立場が変わることはありません。
ですがKiyoweap氏の考える「~~どのような利益が齎されるのか」を私が理解出来れば、そしてその利益が「この多分に私論であるべき文書を不適切にも方針とする」だけの価値が確かにあると私が認めるものであったならば、私は本文書を方針にすることに賛成の立場となることでしょう。現に私は「この多分に私論であるべき文書を不適切にもガイドラインとする」ことに対して、既に不本意であり抵抗はしますが賛意を示す用意があることを表明しています。それは「本文書がガイドラインであるべき」だからではなく、「その利益が『この多分に私論であるべき文書を不適切にもガイドラインとする』だけの価値が確かにある存在し得ると認める」からです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月25日 (土) 08:19 (UTC)[返信]
草案、私論、解説のそれぞれの立ち位置についてですが、私論から解説に変更しても「従わなくともいいんじゃないか」感が横ばいであり草案の方がいいというのは、それぞれの枠組みに対する認識にズレがあるように思います。各枠組みの立ち位置を踏まえて考えれば、草案のままで据え置くというのは私論のままと大差なく、むしろ解説にするほうが文書に対する拘束性は高くなりますよ。#いつまでも草案にしておかずに公式な方針にするなりやめにするなりしてはいかがですかでも、春日椿さんが「通常、草案と私論の間の位置づけに大きな差はありません」とおっしゃっていますね。
まず私論ですが、{{私論}}にありますように「一部のウィキペディアンが助言や意見を記したもの」にすぎません。考え方が広く共有されている物から少数意見まで含む玉石混交な枠組みであり、「従わなくともいいんじゃないか」感が強い枠組みである事は確かかと思います。一方で解説は、{{Infopage}}にあります通り「一般的な事実や共有されている合意事項」ですから、基本的には従うべきものであり「従わなくともいいんじゃないか」感はありません。ウィキペディアでは合意形成による意思決定が非常に重要視されますから、「共有されている合意事項」に従わないのであれば相当に合理的な理由を提示したり、その合意を変更するための新たな合意を形成するようなことが求められるのが通常で、一般的には従うことを求められる枠組みです。コミュニティ間で共有されている合意事項に対して、合理的な理由の提示なしに単に方針やガイドラインではないのだから従わないというようなことを主張しても、コミュニティに受け入れられることは通常ありません。さらに、草案はCategory:草案に「現時点ではまだ拘束力はありません。」とあります通り、実際の運用として慣例的に草案のまま一定の拘束力のある文書として参照されているものもありますが、基本的には拘束力を持たない「従わなくともいいんじゃないか」感の非常に強い枠組みであり、その点ではむしろ私論と同等です。草案はあくまでも「案」でしかないというのが基本的な草案の立ち位置であり、方針・ガイドライン化もしくは試験段階の草案に入らなければ拘束力は発生しないというのが原則です。草案のままで拘束力を持たせるような運用は本来の形ではなく、単に整備が行き届いてないが故の暫定的な運用でしかありません。草案はガイドラインと私論の中間に位置するような枠組みではないのです。そのような草案の立ち位置を考えれば、「草案のままで拘束力を持たせるような運用」をさせるために草案のまま据え置くことを前提に草案にカテゴライズするというのはあまりすべきではないのではないかと思います。--重陽会話2015年4月25日 (土) 02:35 (UTC)[返信]