パンチドランカー
パンチドランカー | |
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概要 | |
分類および外部参照情報 | |
ICD-10 | F07.81 |
DiseasesDB | 11042 |
eMedicine | sports/113 |
パンチドランカー(dementia pugilistica、DPと略す)とは頭部への衝撃から生じる脳震盪を起因とする神経変性疾患及び認知症に似た症状を持つ進行性の脳障害疾患のこと。また、そのような状態にある人間を指す。ボクサーに多く見られる疾患であること、最初に見つかった発症者がボクサーだったことから、慢性ボクサー脳症、外傷性ボクサー脳症、拳闘家痴呆、慢性ボクシング外傷性脳損傷、パンチドランク症候群などの別称がある。最近の研究でボクサーだけでなくアメリカンフットボールやアイスホッケー、プロレスリングなど繰り返し頭部へ衝撃を受けることのあるコンタクトスポーツのアスリートにも発症することが分かり、慢性外傷性脳症と呼ばれるのが一般的になっている。
認知症や神経変性疾患とは脳内で実際に起こるメカニズムが違い、頭部(脳)への衝撃による外傷が発症の起因となるなど異なる疾患であるが、症状が似ている事に加え、死後に脳を解剖することによってしか最終的な診断ができないことから、これらの疾患と混同されることが非常に多い。
ボクシングをはじめてから平均して15年後ぐらいに発症する選手が多く、ボクサーの約20%が患っていると言われている[1]。
要因
頭部に強い衝撃を繰り返し受けることがパンチドランカーの危険因子になると一般的には考えられているが、頭部に衝撃を繰り返し受けている全てのアスリートが発症しているわけでは無く、2005年ごろから本格的な研究が始まったばかりの疾患ということもあり詳しいことはまだ判明しておらず、遺伝の可能性や被曝の程度など様々な研究調査が続けられている。
格闘技におけるダウンは、いわゆる脳震盪が最大の要因である。「震盪」とは、激しく揺り動かす・激しく揺れ動く、という意味で、脳震盪とは脳が頭蓋内で強く揺さぶられることを指す。脳震盪により、大脳表面と大脳辺縁系および脳幹部を結ぶ神経の軸が広い範囲で切断などの損傷を受けることで、ダウンが起こる。
ボクシングは他の格闘技と比べて頭部へダメージが集中するためパンチドランカーに陥り易いとされていて、実際2015年1月30日に発表された、米国クリーブランド・クリニックを中心とした研究グループが4年間に渡って収集分析した研究結果でも「ボクサーは総合格闘家と比べて、年齢にかかわりなく全般的に結果が悪く、ボクサーの脳容量は総合格闘家よりも小さく、知的に後れを取っていた」と実証された[2]。アルバータ大学が2015年11月に発表した、試合後に選手が義務付けられているメディカルチェックを10年分、総合格闘家1,181人、ボクサー550人を対象に再調査した結果でも、切り傷や捻挫などの軽症を負ったのはボクサーの49.8%に対して総合格闘家が59.4%と上回ったが、脳震盪や失神、骨折や目の損傷などの重症を負ったのは総合格闘家の4.2%に対してボクサーが7.2%と上回り同様に実証された[3][4]。その理由については、ボクシングは攻撃が許されている範囲が頭部と胴体に限定されているため、ルール的に頭部へダメージが集中しやすい構造となっており、関節技やローキックなど頭部以外へダメージが分散される他の格闘技よりも頭部のダメージの多くなっていることや、特にプロボクシングは勝利のために相手をノックアウトすることを狙う格闘技であり、興行という観点からも派手なノックアウト勝利を至上とする風潮が根強いためノックアウトを奪いやすい頭部への打撃が多いこと、ボクシングは試合時間(ラウンド数)が他の格闘技より長いためダメージが蓄積しやすいこと、などが指摘されている。
ボクシング、空手、キックボクシング(K-1)、総合格闘技、プロレスなどの格闘技選手に限らず、競技中に激しい衝突が起きるラグビー、アメリカンフットボールなどの選手、落馬事故によって頭部への受傷を経験した競馬の騎手、またスポーツ選手以外にも、爆風で飛ばされた兵士、家庭内暴力の被害者、ヘッドバンギングの経験者などにもパンチドランカーの症状が見られることがある。
症状
具体的な症状は以下の通りであるが、同様に脳の器質的障害に起因する認知症の症状などにも類似した各種障害や人格変化が現れることが往々にある。
- 頭痛・痺れ・身体の震え・吃音(どもり)・バランス感覚の喪失
- 認知障害(記憶障害・集中力障害・認識障害・遂行機能障害・判断力低下・混乱等)
- 人格変化(感情易変、暴力・暴言、攻撃性、幼稚、性的羞恥心の低下、多弁性・自発性・活動性の低下、病的嫉妬、被害妄想等)
ボストン大学医学部のロバート・キャントゥらによる研究では、慢性外傷性脳症の重症度について4段階のステージを設定している[1]。
脳内で起こる症状
- 前頭皮質、側頭皮質及び側頭葉の萎縮から来る、脳重量の減少。
- 側脳室と第三脳室の膨張がしばしばあり、稀な事例として第四脳室膨張が見られることもある。
- 青斑核及び黒質の蒼白。
- 嗅球、視床、乳頭体、脳幹、小脳の萎縮。
- さらに病状が進んだ場合 海馬 、内嗅皮質、扁桃体の著しい萎縮が見られることがある。
選手生活を引退した後、数年経過して発症することが多い。これらの症状が悪化することによって社会生活だけでなく、日常の生活でさえ著しく困難になる場合もある。
対処法
パンチドランカーとその症状を避けるためには、周囲の証言を聞き出すことや定期的な脳の検査(脳室拡大および白質の瀰漫性萎縮)を続けることが必要不可欠である。どんな小さなサインも見過ごさないようにすることが、悪化させない最良の手段である。近年では、多くの格闘技団体で試合前後の脳の検査を義務付けている。
予防法
脳への影響は打撃による累計的な損傷量、つまりダメージの蓄積がもっとも警戒すべき点であるとされている。それゆえ選手・競技者としてのキャリアが豊富かつ長期に渡る者や、激しいファイトを特徴とした選手ほど細心の注意が求められることになる。 最大の予防法は、脳にダメージを与えないことである。とは言っても、格闘技を行う以上、頭部へ打撃を全く貰わないというのは難しい。ディフェンス能力を徹底して高めたり、スパーリングでは、全力で顔面を殴らない。ヘッドギアを必ず着用する。キャリアが長期になるほど危険であるので、引退の時期を誤らないように注意することも重要である。
研究
数多くのNFLスター選手を筆頭に、NHL選手、プロレスラー、MLS選手、ボクサーのミッキー・ウォードなどが死後、CTE研究のために脳を提供することを表明している。
CTEと診断された事例
現在のところ、技術的側面から生きている間の診断は不可能で、死後に脳を解剖することでしか最終的な診断ができない。
アメリカンフットボール
2005年にはじめてアメリカンフットボール選手の脳からCTEが発見される。CTEと診断された最も若いアメリカンフットボール経験者は17歳[5]。2013年1月までにアマチュアを含むアメリカンフットボール経験者50人の脳からCTEが確認されており、そのうち33人が元NFL選手[6]。2013年4月9日には約4200人の元NFL選手が脳震盪の危険性を隠していたとしてNFLを告訴している[7]。
アイスホッケー
2009年にはじめてアイスホッケーの選手の脳からCTEが発見される。他に有名選手を含んだ数人のNHL選手がCTEと診断されている。
プロレスリング
2007年、妻と子供を殺して自殺したWWEのプロレスラー、クリス・ベノワの脳からCTEが発見される。2009年、アンドリュー・マーチンの脳からCTEが発見される。
疾患の疑いがある選手
- モハメド・アリ(ボクシング) パーキンソン症候群、体の震えや筋硬直、喋りと動作の緩慢を特徴とする神経変性疾患[8]。
- シュガー・レイ・ロビンソン(ボクシング) アルツハイマー病[9]。
- 高橋ナオト(ボクシング) 著書「ボクシング中毒者」で告白。自転車で真っ直ぐ進むことが出来ず電柱にぶつかる、手の震えを抑えきれずにラーメンの汁をこぼしてしまう。
- たこ八郎(ボクシング) 引退の原因となった。一時期二桁以上の文字すら記憶できなかった程の記憶障害や寝小便等の排泄障害にも悩まされたという。
- 佐竹雅昭(空手) - 著書「まっすぐに蹴る」で、日常生活も困難になっていたことを告白した。
- 前田宏行(ボクシング) 自らのブログで告白し、引退することを明言。
- フロイド・パターソン(ボクシング) アルツハイマー病、妻の名前を覚えられないほどの記憶障害が原因でアスレチックコミッションを辞任[10]。
- ゲーリー・グッドリッジ(K-1) - 告白し、引退。自身の発言によると軽い認知障害があるとしている。
- ウィルフレド・ベニテス(ボクシング) 心神喪失状態。
- ジェリー・クォーリー(ボクシング) アルツハイマー病、認知症、1983年にCTスキャン撮影で脳萎縮を確認。引退後、食事と着替えに介護者が必要となる。
- マイク・クォーリー(ボクシング)
- ジミー・エリス(ボクシング) アルツハイマー病、晩年は既に亡くなっていた妻をまだ生きていると思い込んでいた。
- エミール・グリフィス(ボクシング) 晩年は全面的な介護が必要となった。
- メルドリック・テーラー(ボクシング) 医学的理由でボクシングライセンスの交付を拒否され引退[11]。
引退後、テレビのインタビューで現役時代とは違い酷く吃った喋り方で話し現役時代を知る視聴者に大きな衝撃を与えた。
- ジミー・ヤング(ボクシング) 自身の麻薬関連の裁判で慢性外傷性脳損傷であるとして減刑を求めた。
- ボウ・ジャック(ボクシング) 重度の認知症。椅子に座りなにもない空中にひたすらパンチを繰り出していた。
- アーニー・テレル(ボクシング) 認知症。
- ウィリー・ペップ(ボクシング)
- ボビー・チャコン(ボクシング)
- レオン・スピンクス(ボクシング) 認知症。
- フレディ・ローチ(ボクシング) パーキンソン病。
フィクションでの使用例
- ロッキー5 - シルヴェスター・スタローン
- あしたのジョー - 矢吹丈、カーロス・リベラ
- はじめの一歩 - 猫田銀八、ラクーン・ボーイ、幕之内 一歩
- がんばれ元気 - 海道卓
- ボーイズ・オン・ザ・ラン - 鈴木
- 喧嘩商売 - マイルズ・バンバー
- 仮面ライダーオーズ/OOO - 岡村一樹
- あいくるしい - 中川竜一
- 天上天下唯我独尊 - 安岡条二
脚注
- ^ a b “Chronic Traumatic Encephalopathy (Brain Damage)”. BOXING.com (2013年2月17日). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “頭への衝撃で脳の処理速度が遅くなる、ボクサー1試合ごとに0.19%のペース「ボクサーの方が頭を打たれる」、脳が小さくなる原因に?”. MEDエッジ (2015年2月11日). 2015年3月2日閲覧。
- ^ “New study reveals that boxing leads to more serious injuries than MMA”. Bad Left Hook (2015年11月6日). 2015年11月20日閲覧。
- ^ “ボクシングと総合格闘技ではどちらがより過酷なのか:研究結果”. ライフハッカー (2015年11月20日). 2015年11月26日閲覧。
- ^ “Brain bank examines athletes' hard hits”. CNN.com (2012年1月27日). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “故ジュニア・セーアウの脳に慢性外傷性脳症確認”. アメフトNewsJapan (2013年1月10日). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “引退選手4,000人超参加の脳震とう訴訟、聴聞会開催”. アメフトNewsJapan (2013年4月9日). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “He is simply ... The Greatest”. ESPN.com (2013--). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “Bittersweet Twilight For Sugar”. SI.com (1987年7月13日). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “Can medical technology save boxers from brain death?”. SALON.com (1999年5月1日). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “Quitting Time”. SI.com (2002年6月3日). 2013年6月26日閲覧。
関連項目
- ボクシング
- リング禍
- マニュエル・ベラスケス
- 認知症
- アルツハイマー型認知症
- パーキンソン病 - モハメド・アリやフレディ・ローチが罹患しているが、脳のダメージ蓄積が発症の直接の原因であるのかは不明。