アラビア語
アラビア語(アラビアご、اللغة العربية, UNGEGN式:al-lughatu l-ʻarabīyah, アッ=ルガトゥル=アラビーヤ)は、アフロ・アジア語族のセム語派に属する言語の一つ。主に西アジアや北アフリカのアラブ世界で話されている。ISO 639による言語コードは、2字が ar 、3字が ara で表される。
日本語では亜語あるいは亜と表記される。
世界で3番目に多くの国と地域で使用されている言語であり、アラビア半島やその周辺、サハラ砂漠以北のアフリカ北部の領域を中心に(非独立地域を含めて)27か国で公用語とされており、また、国連の公用語においては、後から追加された唯一の言語でもある。
概要
「アラビア語」は、もともとアラビア半島で話されていたが、北アフリカやイラク、シリア方面まで広がった。次の2つに大きく分類する。
- 文語(昔のアラビア語、もしくはクルアーンに使用されている):フスハー(正則アラビア語・現代標準アラビア語 (MSA) とも。古典アラビア語を基盤とし、現代世界に対応する語彙を大きく加えたもの)
- 口語:アーンミーヤ(各地の方言に分かれる)
フスハー(正則アラビア語)はアラブ諸国の共通語であり、アラビア文字で書かれる。起源は西暦4世紀ごろのアラビア半島にさかのぼるといわれ、イスラーム文明の出現と拡大にともなって北アフリカにまで使用地域が広がり、現在まで言語として大きく変わらずに使われている。
イスラームの聖典であるクルアーンは古典アラビア語で書かれているが、これはムハンマドがいたヒジャーズ地方のアラビア語をかなり反映していると考えられる。クルアーンの記述によれば、イスラームを伝えるために神が選んだのがアラビア語だったことから、ムスリムはこれを「アッラーの言葉」としてとらえている。クルアーン(コーラン)はアラビア語で詠唱して音韻をふむように書かれ、またアラビア語原典がアッラーが人類に与えたオリジナル版とされるため、翻訳は教義上原則禁じられる。クルアーンの勉強や暗誦は敬虔なイスラム教徒の必須の義務とされるが、クルアーンを学ぶためには必然的にアラビア語を読めなくてはならず、アフリカからトルコ、インド、東南アジアにかけてのイスラム圏では、アラビア語がイスラム知識人層の共通語として通用している。
『マカーマート』〈訳は平凡社東洋文庫全3巻〉のような古典に見られる書き言葉は、とくにオスマン帝国の時代に一時期衰退したが、話し言葉は続けて用いられていた。文語は近代になってより簡単なものとして練り直され、書籍・雑誌・新聞などの文章はもちろん、公的な場での会話やテレビニュースなどでも使われるようになった。
一方、アーンミーヤ(方言)は、日常会話で用いられる話し言葉を指す。現代の話し言葉としてのアラビア語は、国・地域によって異なる地域変種(ラハジャ)に分かれ、これには正字法が無い。日常会話はこの話し言葉で話されるが、私信などではこれを文字化して表現する。また、大衆向けの小説や演劇、詩歌は現代口語の諸変種で書かれる。
湾岸方言、ヒジャーズ方言、イラク方言、シリア方言、レバノン方言、パレスチナ方言、エジプト方言、スーダン方言、マグリブ方言、ハッサニヤ方言などに大別され、それぞれの地域のなかでも違いがある。地域によっては、宗派ごとに話されるアラビア語に差異があるなどする。また、生活形態によっても、地域を越えてそれぞれ共通の特徴がある。遊牧民方言、農村方言、都市方言の3つに分けられる。
現代アラブ世界での書き言葉と話し言葉の関係は、中世のカトリック教会地域におけるラテン語とロマンス諸語の関係に似ている。後者が前者から派生し(異論もある)、多くの変種に分かれていること。前者が日常語としては死語であるが、公的な話し言葉、書き言葉として通用し、後者は基本的に書かれることはまれであることが、その理由である。
なお、エジプト方言、シリア方言、レバノン方言などはマスメディアで多用されるためアラブ世界各地で理解される一方、異なる地域同士の住民では方言での会話に支障が出ることもある。また、書き言葉が日常で話されることはほぼ皆無であり、読み書き・演説や報道番組での使用に限定される。従って、非ネイティヴが現地でスムーズな日常の会話を行うためには当地の話し言葉を習得する必要があり、読み書きも習得する場合には話し言葉と重ねて学習しなければならない。
アラビア語の特徴
多くの単語は、三つの子音を語根として分析することができる。そこに、母音や接頭辞、接尾辞、接中辞を付けて、語彙を派生したり、活用したりする。形態論的には屈折語である。
文字
- 文字一覧はアラビア文字の項を参照。それぞれの独立形が左右の文字と繋がっていく(ただし例外が6文字ある)。
- 右から左へと読む。数字は左から右に綴られる。
- 多くの書体が存在する。「イスラームの書法」を参照。
- 文語(フスハー)はもっぱらアラビア文字で表される。アラビア文字のアルファベットは28文字(学説によってはハムザを1文字と数えて29文字とする。27文字とすることもある)からなり、大文字と小文字の区別はない。
- 口語(アーンミーヤ)には正書法がない。
発音
- 子音には喉の奥のほうで [h] や [ɡ] などを発音するような独特の発音がある。
- 母音は音韻論的には /a/、/i/、/u/ の3つの短母音とその長母音、二重母音 (/ai/、/au/) を弁別する。
- 綴り字法は一部を除き子音字のみを用いるため、母音の情報は、読む側が補って読まなければならない。コーランや子供向けの読み物には、母音符号などの符号(シャクル)が付記されている。まれに、大人向けの詩や小説であっても、自分の作品に母音符号を付記する作家もいる。
文法
- 定冠詞、前置詞が存在し、名詞と形容詞(アラビア語では名詞に分類される)は格(主格・属格・対格)・性(男性・女性)・数(単数・双数・複数)によって変化する。
- 女性形、男性・女性複数形には基本となる規則形があるもののそれ以外にもとりうる形が無数に存在するため、個別に記憶しなければならないものが多い。例えば、مُدَرِّسٌ (mudarrisun, 先生) の複数形は規則形であり、語尾に -ūna を付けて、مُدَرِّسُونَ (mudarrisūna) になるが、صَدِيقٌ(ṣadīqun, 友人)の複数は不規則形であるため、صَدِيقُونَ (ṣadīqūna) とはならず、أَصْدِقَاءُ ('aṣdiqā'u) になる。
- 動詞は3人称男性単数完了形を原形とし、語根順配列の辞典では、その形で引くことになる。原型を基本型、第一型ともいう。これに加えて、第二型から第十五型までの派生型が存在するが、現代アラビア語は原則として第十型まで用い、第十一型以降は色の変化などといった限られた場合にしか用いられず、第九型は原則として色彩や人体の障害に関する意味を持つ単語である(ただし、派生型は西欧の学者が考案した学習概念であり、アラビア語を母語とする者は用いない)。ハンス・ヴェーアによる『現代文語アラビア語辞典』をはじめとして、多くの辞書は語根順に語が配列されているため、派生型の動詞を辞書で参照するには、動詞からその語根すなわち原形を抽出しなければならず、これが、アラビア語を母語としない初学者にとっての辞書引きを困難にしている。
アラビア語を起源とする語彙
- トタン、じょうろ、コーヒー、ラケット、シロップ、アルコール、アルカリ、ソーダ、シャーベット、チェス、チェック(小切手)、ソファー、モンスーン、アベレージ(平均値)、ジャケット、ゼロ(零)、タリフ(関税率) 、リスク、アルゴリズム、アドベ、タマリンド、コットン、サフラン、アドミラル、センナ、シュガー(砂糖)、キャメル(ラクダ)、カラット、ガーゼ、カンフル(樟脳)、ギプスなど。
- 科学用語にはアラビア語起源の用語が多く、とりわけ化学に多い。これは中世から近世にかけてのアラビア語圏が科学分野において発展しており、当時の欧州が積極的にその知識と語彙を取り入れたためである。
- 星の名前
- その他
「アル」で始まる言葉が多いのは、al- が定冠詞だからである。アラビア語の冠詞も参照。
他にもペルシア語、テュルク諸語(オグズ、キプチャク、チャガタイ語群)、スペイン語、ヒンドゥスターニー語、マレー語、スワヒリ語などの言語にはアラビア語からの借用語が少なくない。これらの言語は現在もアラビア文字で書かれているか、過去の一時期にアラビア文字で書かれていたという歴史を持つ(ペルシア語を除き、現在はそれぞれ別の文字で表記されている)。
方言
- Arabic, Ancient North†【xna】—古代北アラビア語†
- Arabic, Andalusian†【xaa】—アル・アンダルス=アラビア語
- Arabic, Algerian Saharan【aao】—アルジェリア・サハラ・アラビア語
- Arabic, Tajiki【abh】—タジク・アラビア語
- Arabic, Baharna【abv】—バハルナ・アラビア語
- Arabic, Mesopotamian【acm】—メソポタミア・アラビア語
- Arabic, Ta'izzi-Adeni【acq】—タイズィ=アデン・アラビア語
- Arabic, Hijazi【acw】—ヒジャーズ・アラビア語
- Arabic, Omani【acx】—オマーン・アラビア語
- Arabic, Dhofari【adf】—ゾファール・アラビア語
- Arabic, Tunisian【aeb】—チュニジア・アラビア語
- Arabic, Saidi【aec】—サイード・アラビア語
- Arabic, Gulf【afb】—湾岸アラビア語
- アラビア語レヴァント方言
- Arabic, South Levantine【ajp】—アラビア語南レヴァント方言
- Arabic, North Levantine【apc】—アラビア語北レヴァント方言
- Arabic, Cypriot【acy】—アラビア語キプロス方言
- Arabic, Eastern Egyptian Bedawi【avl】—アラビア語東部エジプト・ベダウィ方言
- Arabic, Sudanese【apd】—スーダン・アラビア語
- Arabic, Standard【arb】—標準アラビア語
- Arabic, Algerian【arq】—アルジェリア・アラビア語
- Arabic, Najdi【ars】—ナジュド・アラビア語
- Arabic, Moroccan【ary】—モロッコ・アラビア語
- Arabic, Egyptian【arz】—エジプト・アラビア語
- Arabic, Uzbeki【auz】—ウズベク・アラビア語
- Arabic, Hadrami【ayh】—ハドラミ・アラビア語
- Arabic, Libyan【ayl】—リビア・アラビア語
- Arabic, Sanaani【ayn】—サヌア・アラビア語
- Arabic, North Mesopotamian【ayp】—北メソポタミア・アラビア語
- Hassaniyya【mey】—ハッサーニーヤ語
- Maltese【mlt】—マルタ語
- Arabic, Chadian【shu】—チャド・アラビア語〔Shuwa Arabic:シュワー・アラビア語〕
- Arabic, Shihhi【ssh】—シヒ・アラビア語
- Arabic, Siculo†【sqr】—シークロ・アラビア語†
- Judeo-Arabic【jrb】—ユダヤ=アラビア語
- Arabic, Judeo-Iraqi【yhd】—ユダヤ=イラク・アラビア語
- Arabic, Judeo-Moroccan【aju】—ユダヤ=モロッコ・アラビア語
- Arabic, Judeo-Tripolitanian【yud】—ユダヤ=トリポリタニア・アラビア語
- Arabic, Judeo-Tunisian【ajt】—ユダヤ=チュニジア・アラビア語
- Arabic, Judeo-Yemeni【jye】—ユダヤ=イエメン・アラビア語
アラビア語を公用語とする国家等
現代標準アラビア語を公用語とする国家
- アジア
- アラブ首長国連邦 - イエメン共和国 - イスラエル国 - イラク共和国 - オマーン国 - カタール国 - クウェート国 - サウジアラビア王国 - シリア・アラブ共和国 - バーレーン王国 - パレスチナ自治区 - ヨルダン・ハシミテ王国 - レバノン共和国
- アフリカ
- アルジェリア民主人民共和国 - エジプト・アラブ共和国 - エリトリア国 - ガンビア・イスラム共和国 - コモロ連合 - ジブチ共和国 - スーダン共和国 - ソマリア - チャド共和国 - チュニジア共和国 - モーリタニア・イスラム共和国 - モロッコ王国 - リビア共和国
アラビア語を公用語としている国家は増加傾向にある。これは、かつてイギリスやフランスの植民地だったアラブ人国家が独立したのち、公用語を英語やフランス語からアラビア語に変更する傾向が強いためである。特にアフリカにおいては、アラビア語圏以外のほとんどの新独立国が旧宗主国の公用語をそのまま使用し続けているのと明確な対比をなしている。
現代口語アラビア語を公用語とする国
マルタ共和国のマルタ語は、現代アラビア語口語の一変種である。語彙などの面でヨーロッパ諸語からの借用が多く、またラテン文字で綴られる。現代アラビア語口語諸語の中で国家の公用語となっているのはマルタ・アラビア語のみである。
イスラエルにおけるアラビア語の状況
英国委任統治領時代のパレスチナにおいては、英語、アラビア語、ならびにヘブライ語の3か国語が公用語とされ、当時のパレスチナにおける通貨や切手などは左記の3か国語で記載されていた。そして、イスラエル建国後は、アラビア語とヘブライ語のみがイスラエルの公用語とされ、英語は公用語ではなくなった。しかしながら、ユダヤ系イスラエル人の児童や生徒を対象とした初等教育ならびに中等教育機関においては、公用語であるアラビア語よりも公用語ではない英語の教育を重視している。しかし、アラブ系イスラエル人の児童や生徒を対象とした初等教育ならびに中等教育機関においては、ユダヤ系イスラエル人よりもアラビア語やアラブ文学などに割り当てられる時間数が多い。また、イスラエルにおける雇用条件において、多くの場合は「ヘブライ語と英語が話せること」が語学的な条件として課されており、公用語であるアラビア語は全く理解できなくても、イスラエル社会においては特に問題視されない。それ故、イスラエルにおけるアラビア語は、公式には公用語であるにもかかわらず、事実上はアラブ系イスラエル人というマイノリティのみが用いる言語になっている。また、現在のイスラエルにおける通貨や切手などは、ヘブライ語、アラビア語、ならびに、英語の3か国語で記載される。
アラビア語を公用語とする国際機関
参考文献
- 『現代アラビア語入門』黒柳恒男、飯森嘉助(大学書林)
- 『アラビア語入門』池田修(岩波書店、絶版)
脚注
関連項目
- アラブ語学院 - エジプトのカイロにあるアラビア語の発展・統制を目的とする研究機関
- 母語話者の数が多い言語の一覧