科学的管理法
科学的管理法(かがくてきかんりほう、英: Scientific management)とは、フレデリック・テイラーが20世紀初頭に提唱し、ガント、ギルブレスらによって発展した労働者管理の方法論。テイラー・システムとも呼ばれる。現代の経営学、経営管理論や生産管理論の基礎のひとつである。
背景
当時(20世紀初頭まで)のアメリカの経営や労使関係は、いくつかの問題を抱えていた。経営者の側には、経験や習慣などに基づいたその場しのぎ的な「成り行き経営」が一般的であって、統一的で一貫した管理がなされておらず、労働者にその皺寄せが回ることがある[1]などの問題を抱えていた。また、生産現場では、内部請負制[2]が、非効率な生産や組織的怠業が蔓延するなどの問題を引き起こしていた。つまり、労働者側は賃金や管理面において、経営者側は生産が適正に行われているかという面で、相互に不信感を抱いているような状況であった。
テイラーは、管理についての客観的な基準を作る事で、こうした状況を打破して労使協調体制を構築し、その結果として生産性の増強や、労働者の賃金の上昇に繋がって、労使が共存共栄できると考えた。こうして科学的管理法が考え出されたのである。
概説
テイラーの主張した科学的管理法の原理は、
- 課業管理
- 作業の標準化
- 作業管理のために最適な組織形態
の3つである。
課業管理
課業の概念がテイラー・システムの中核を成している。その原理は、
- 課業の設定
- 諸条件と用具等の標準化
- 成功報酬
- 不成功減収
- 最高難易度の課業
の5つ。
「課業の設定」とは、1日のノルマとなる仕事量の設定である。これは、次節で解説する作業研究に基づいて設定される。
「諸条件と用具等の標準化」とは、使用する工具や手順などの諸条件を標準化[3]することで、熟練工も未熟練工も関係無く同条件で働かせるようにすること。このようにして“唯一最善の作業方法”を確立し、それを労働者全員に習得させ作業能率を向上させようとした。次節で解説する「作業研究」とは密接に関係する。
「成功報酬」、「不成功減収」とは、出来高制賃金システムを改良したもので、ノルマを達成した場合は単位あたりの賃金を割り増しして支払い、未達成の場合は単位あたりの賃金を割り引く。こうすることで労働意欲を高める。
「最高難易度の課業」とは、課業を優秀な工員の仕事量に基づいて決める、ということ。
作業の標準化(作業研究)
「作業研究」は、「時間研究」(en)と「動作研究」の2つからなる。
- 時間研究
- 生産工程における標準的作業時間を設定し、これに基づいて1日の課業を決定するための研究
- 動作研究
- 作業に使う工具や手順などの標準化のための研究
テイラーは、生産工程における作業を「要素動作」と呼ばれる細かい動作に分解し、その各動作にかかる時間をストップウオッチを用いて計測して標準的作業時間を算出する、「時間研究」を考案した。優れた労働者を対象に時間研究を行って、課業管理を行った。
後に、テイラーと親交のあったギルブレス夫妻(en:Frank Bunker Gilbreth, Sr.とen:Lillian Moller Gilbreth)は、個々の動作を観察・分析し、作業目的に照らして無駄な動作を排除し、最適な動作を追求する「動作研究」[4]を成立させた。また、動作研究を重視し、これによって最適化された動作に基づいて時間研究を行うべきであると主張した。
作業管理のために最適な組織形態
従来、内部請負制に基づいて生産計画を現場が決定していたが、これを現場から分離し、計画立案と管理の専任部署を作った。つまり「計画と執行(実行)の分離」を行った。また、そのための組織形態として、現代で言う「ファンクショナル組織(職能別組織)」の原型を作った。また、テイラー門下のエマーソンは、これを進める形で「ライン・アンド・スタッフ組織」[5]を提唱した。
成果
科学的管理法の成立により、生産現場に「管理」の概念を確立した事が最大の業績と言えるだろう。これが上述のように現代の経営管理論や生産管理論の源流の一になっている。また、内部請負制度・徒弟制度の解体により「労働力の使用権」が経営者に移行した事、「計画と執行の分離」が行われた事など、産業の近代化の基礎となった。
反響・批判
テイラーは経営コンサルタントとして、いくつかの工場で科学的管理法を指導・実践し、生産高増・労働者の賃金増といった成果を残した。また、テイラーの著書はいくつかの国で翻訳されるなどして世界中に広まった。
しかし、労働組合が「労働強化や(時間研究による)人権侵害につながる」として反対運動を展開、特にAFL(アメリカ労働総同盟)は、1913年と1914年の2度にわたって科学的管理法を拒否する決議を行った[6]。 その他にも、「計画と執行の分離」により、ホワイトカラーとブルーカラーとの間に対立構造が出来たとする批判がある。また、心理学や社会学の見地からの考察が無く、効率の追求を重視するあまりに労働者の人間性を軽視している事などの批判もあった。こうした欠点は、後の学者や経営者らの努力で修正・改善が試みられ、経営学の発展に繋がっている。
他にもこの方法論を否定的に見た研究者も存在し、有名な研究者にミンツバーグがいる。また、ミンツバーグの研究は結局、科学的管理法と同じことを論じているに過ぎないとしてミンツバーグの研究を批判する考えをネオ・テイラー主義という。
ウラジーミル・レーニンは1913年の時点で科学的管理法理論について「同じ長さの労働日のなかで以前より三倍以上の労働力を労働者から絞りとろうとする」試みとして全面否定した[7]。しかし、翌1914年にはテイラーの理論を「プロレタリアートが社会的生産のいっさいを掌握し、労働者自身による、あらゆる社会的労働の適切な配分と合理化を目的とする委員会を定める時期を用意するものであった」と評価し、1918年にはその後の革命の成功に不可欠なものと考えるに至った[7]。
脚注
- ^ 。当時は生産量に基づく単純出来高制賃金が一般的であったが、生産量が増えると、経営側が単位あたりの賃金を切り下げる例もあった。
- ^ 親方・熟練工が経営者から仕事を請け負い、親方は自分の裁量で徒弟・未熟練工達に仕事を割り振るなどして生産を管理する制度。経営者は生産現場の管理・監督をできない。
- ^ 最適な形で統一・マニュアル化すること。-このマニュアルを指図票と言う。
- ^ その方法は、テイラーの言う「要素動作」をより緻密に分析しサーブリック(Therblig)と言う単位に細分化して、生産につながらない無駄なサーブリックを排除するというやり方。サーブリック(Therblig)の由来は、ギルブレス(Gilbreth)の逆読み。
- ^ 現在でも企業に一般に採用されている組織形態である。
- ^ ただし、当時の米国の労働組合は熟練工が中心となって組織されており、従来、内部請負制によって現場を牛耳っていた熟練工が科学的管理法の導入によって特権を失うことへの反発などが背景にあった面は否めない。また、テイラーの指導を受けた工場の工員たちは科学的管理法に賛成であったという。
- ^ a b ラース・スヴェンセン『働くことの哲学』小須田健訳 紀伊國屋書店 2016年 ISBN 9784314011365 pp.137-138.
関連項目
- 学校法人産業能率大学および 自由が丘産能短期大学の創始者であり科学的管理法を能率学と邦訳し、日本における経営学の端緒を開いた。
- 自動車メーカー・フォード社の創業者。科学的管理法を応用したフォーディズムと呼ばれる経営理念・手法で、フォード社を成長させた。
参考文献
- 『テキスト経営学(増補版)』 井原久光・著 (ミネルヴァ書房) ISBN 4-623-03339-2
- 『マネジメント思想の発展系譜』 上野一郎・著 (日本能率協会)
- 『新版・経営管理の思想家たち』 車戸実・著 (早稲田大学出版部)
- 『経営管理論』 秋山義継・著 (創成社 2006) ISBN 4-7944-2228-8