中華街
中華街(ちゅうかがい、チャイナタウン、英語: Chinatown、中国語: 唐人街)とは、非中国人地域における華僑・華人の街のこと。他に唐人街(とうじんまち、Tángrénjiē)、華埠(簡体字:华埠、Huábù)、中国城(繁体字:中國城、Zhōngguó Chéng)、南京町などと呼ばれる。この後、南京町については、現在でも南京町(Nankinmachi)という名称を使用しているのは、日本の神戸の中華街のみで、南京町商店街振興組合(日本神戸市中央区)が登録している商標となっている。
大きなものは北アメリカや東南アジアに多く見られるが、ヨーロッパやオーストラリアでも拡大中の中華街が見られる。歴史的には長崎の唐人町のように政府の規制によって形成された中華街もあり、現代の中華街の中にもこの系譜を引くものもあるが、基本的には華人・華僑の集住によって出現する社会的現象であって、法律により規定されるものではない。
特徴
関帝廟など中国民間信仰の宗教施設を地域的な中核とし、同郷会館や中華学校、中華料理店、中国物産店などの施設が集まる。中国は、各地で中国語の方言の差が大きいため、出身地が違うと会話も成り立たない例も多く、同じ方言を話せる同郷人を中心とした結束力が強い。また、相互扶助的なしきたりや団体が作られて、新来者にも入りやすい上、先行して創業した同郷人の下で仕事をする結果、特定の業種に同郷人が集まり、業界団体を形成し、在日韓国人と同じくロビー活動を行う例も多い。
しかし、たとえ同郷の中国人コミュニティーが形成されていても、農村や鉱山地域では商業活動が乏しいために、いわゆる中華街が成立しないことが多い。中央アジアのドンガン人社会や東南アジアの島嶼に見られる広東人社会、客家人社会がその一例である。
中華街に住む中国人を出身地別に見ると、20世紀前半までは海南島を含む広東省出身者が多く、次いで福建省出身者であったが、近年は福建省出身者が増加し、さらに上海や台湾出身者も増えている。
同じ省の出身者といえども、例えば広東省の広東語(広州方言)、台山語、潮州語、客家語はお互いに会話が成り立たないほど差が激しいため、別々のコミュニティーが形成されることが多く、同郷会も分かれている。同様に、福建省でも、福州語、興化語、閩南語、客家語は通じないため別の同郷会が形成されている。
世界各地のチャイナタウン
- アジア(中東を除く)のチャイナタウン
- オセアニアのチャイナタウン
- ヨーロッパのチャイナタウン
- 北米(中米を除く)のチャイナタウン
- ラテンアメリカのチャイナタウン
- 中東のチャイナタウン
- アフリカのチャイナタウン
日本の中華街
日本三大中華街
その他の著名な中華街
- 池袋 - 東京都豊島区池袋の池袋駅北口近辺には、1980年代以降に来日した中国人の経営する中国人向けの店が約200店舗[1]存在する(駅北口以外の西口周辺なども含めると300-400店舗[1]、また全業種を合わせると600店舗[2]とも言われる)。地理学者の山下清海はこれを「池袋チャイナタウン」と命名し[3]、書籍や新聞雑誌等で紹介している[4][5][6]。池袋のチャイナタウンは店舗数では横浜中華街を上回るのではないかという指摘もあり[2]、観光客向けの横浜中華街と比較すると、よそ行きでない「日常の中国」[1][2]を味わえる中華街だとも評されている。
- 川口居留地 - 大阪府大阪市西区の旧川口居留地も20世紀初頭は中華街としての様相を呈していたが、第二次世界大戦後は倉庫中心の町に変貌し、現在は数件の老舗中華料理店が残る程度である。
- 久米 - 沖縄県那覇市久米は明の洪武帝より琉球王国に下賜されたとされる閩人(現・福建省の中国人)などによって構成された、久米三十六姓の人々が多く移り住んできた。現在でも、至聖廟や天尊廟を祀るなど文化的特徴がみられる。また、沖縄県内における政治・経済で影響力を持っている。沖縄県は歴史的に福建省と交流が深く、那覇市は省都の福州市と友好都市提携を結んでいる。提携10周年を記念して1992年には中国式庭園である福州園を建設した。さらに、那覇市は中国とのゆかりが深い歴史性を生かした都市計画プランを推進し、2015年、久米近隣の若狭緑地公園に龍柱を建設した[7]。
脚注
- ^ a b c 藤巻秀樹 (2012年6月13日). “東京移民街探訪~すぐ隣にある異国を歩く 池袋北口に広がる“本当の中国“ 新華僑がニューチャイナタウンを展開”. 日経ビジネスオンライン. 日経BP. 2017年6月8日閲覧。
- ^ a b c 松村圭 (2016年10月17日). “【特集】池袋“新中華街”の実態 「日常の中国」、裏で危険も”. 共同通信社 2017年6月8日閲覧。
- ^ 山下清海. “池袋チャイナタウン”. 2017年6月8日閲覧。
- ^ 山下清海、『池袋チャイナタウン 都内最大の新華僑街の実像に迫る』、洋泉社、2010年11月、ISBN 978-4-86248-585-4。
- ^ 山下清海、『新・中華街 世界各地で〈華人社会〉は変貌する』、講談社、2016年、ISBN 978-4062586351。
- ^ 大久保真紀、浅倉拓也 (2009年5月8日). “隣に住む 地元と対話模索――第4部〈列島街村〉”. 朝日新聞 2017年6月8日閲覧。
- ^ 「姿を現した2体の龍柱 那覇で設置工事完了 「翁長市政」で推進 中国向け?事業に批判も」
参考文献
- 朝日新聞社(編)、『最新華僑地図』、朝日新聞社、1994年8月、ISBN 4-02-274037-X
- 海野弘、『千のチャイナタウン』、リブロポート、1988年3月、ISBN 4-8457-0328-9、全国書誌番号:88035699、NCID BN02467549。
- 王維、『素顔の中華街』、洋泉社、2003年5月、ISBN 4-89691-728-6
- グウェン・キンキード、『チャイナタウン』、時事通信社、1994年1月、ISBN 4-7887-9345-8 (原著: Gwen Kinkead, Chinatown)
- ピーター・クォン、『チャイナタウン・イン・ニューヨーク 現代アメリカと移民コミュニティ』、筑摩書房、1990年2月、ISBN 4-480-85530-0 (原著: Peter Kwon, The new Chinatown)
- 鴻山俊雄、『海外の中華街 香港・盤谷・新嘉坡・マニラ・米・英・伊・仏への旅』、華僑問題研究所、1983年8月、全国書誌番号:84027402、NCID BN13728269。
- 陳天璽、『華人ディアスポラ 華商のネットワークとアイデンティティ』、明石書店、2001年12月、ISBN 4-7503-1502-8
- 西川武臣、伊藤泉美(共著)、『開国日本と横浜中華街』、大修館書店、2002年10月、ISBN 4-469-23186-X
- 古田茂美、『4つのパラダイムで理解する中華文化圏進出の羅針盤 中国・華人経営研究入門』ユニオンプレス、2005年7月、ISBN 4-946428-96-8
- 山下清海、『池袋チャイナタウン 都内最大の新華僑街の実像に迫る』、洋泉社、2010年11月、ISBN 978-4-86248-585-4
- 山下清海、『華人社会がわかる本 中国から世界へ広がるネットワークの歴史、社会、文化』、明石書店、2005年4月、ISBN 4-7503-2089-7
- 山下清海、『チャイナタウン 世界に広がる華人ネットワーク』、丸善、2000年8月、ISBN 4-621-06086-4
- 游仲勲(編著)、『21世紀の華人・華僑 その経済力が世界を動かす』、ジャパンタイムズ、2001年4月、ISBN 4-7890-1052-X
- 游仲勲(編著)、『世界のチャイニーズ 膨張する華僑・華人の経済力』、サイマル出版会、1991年11月、ISBN 4-377-30914-5
- 陸培春、『華人網絡 : 12億5千万人のチャイニーズ・ネットワーク』、ディーエイチシー、1995年4月、ISBN 4-88724-018-X