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利用者:Meauk/政治的信条

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以下は、Meaukの信条について述べたものである。

宗教的信条

ここでは、一般に「宗教的」と言われるような信条について述べる。

現状

ヒジュラ暦1439年5月3日より、神様身をゆだねて生きている(イスラームしている)。ただし、「神様に身をゆだねる者(ムスリム)」を自称してしまっている点では、完全にそうであるわけではないと考えている。なぜなら、本当の意味で神様に身をゆだねるのであれば、自身が誰であるかというその判断をも放棄するはずだからである。さらに、そのように自称することは、神様に対して傲慢であるかもしれない。

信仰や宗教に関する経歴

ヒジュラ暦 種類 信仰や宗教 そこで得た、WPで役に立ち得る知識
1418年9月以降 接触 神仏習合 日本文化
1423年頃 接触 カトリック教会 キリスト教で使われる聖書の概要
1426年頃 接触 非有神論 宇宙生き物の成り立ち
超常現象 世界中のお化け etc.
1432年頃 接触 西方教会 福音書の内容(新共同訳による)
イスラーム ムハンマドが最後の預言者であること
1436年頃 接触 イスラーム イスラームにおける世界観
棄教 臨済宗 仏性無我 etc.
1437年頃 信仰〜棄教 神道 伝統的に信じられてきた天皇の家系
1438年2月頃 接触 原理研究会 統一教会の組織
1438年頃 信仰〜棄教 無神論 インフレーション宇宙論 etc.
1439年5月3日以降 信仰[注釈 1] イスラーム イスラームの知識(継続中)
(1439年8月頃) (信仰〜棄教)[注釈 1] (キリスト教) 長老派における信条
1439年9月以降 信仰[注釈 1] イスラーム 有神論の種類やタウヒード
1440年上半期頃 接触 長老派教会 キリスト教とイスラームの関係
1441年上半期 接触 エホバの証人 エホバの証人における信条

「平和の宗教」について

イスラームは平和の宗教(din as-salam)と呼ばれることがある。その擁護論と批判の多くは以下のようなものである。

  • 擁護論
アラビア語の言葉で「Islam(イスラーム)」と「salam(平和)」の両方でアラビア文字の「sin」「lam」「mim」の三文字が共通している。だから、イスラームは「平和の宗教」である。
  • 批判
9.11と7.7はムスリムテロリストの仕業だったとムスリムが認めた時、初めて次の法学へと前進することができる。これは、イスラム教では暴力の使用が現に認められているという厳しい現実を認めることである。これを否定し、代わりにいかにイスラム教が平和の宗教に他ならないかと安易な決まり文句を口にすることを好むムスリムのおかげで、非信徒殺害を命じる紙面上のコーランの諸節を指し示すことのできる過激派が益々楽に活動できるようになっているのだ

ハサン・ブット英語版の言葉[1]

これらの意見で出てくる「平和」という言葉は、現世[注釈 2]における、変化し得る状態の一様態を表しているに過ぎない。ここで、クルアーン上のとある二つのアーヤ(の一部)を確認してみよう。

  • 3章83節
    • (明らかにイスラームを意味して)「アッラーの宗教(Din Allah)」
  • 59章23節
    • (アッラーは)「平和の源(As-Salam)」(であられる)

これらを互いに関連付けてみる。そうすると、イスラームが「Din As-Salam」すなわち「平和の宗教」であると言える。そう、「平和の宗教」という言葉の中で「平和」とは

  • 擁護論者や批判者が着目してきたような現世での変化し得る状態の一様態、ではなく、
  • アッラー自身のことなのである。

したがって、「平和の宗教」という言葉の意味として、

  • イスラームが平和をもたらすとか
  • イスラームが戦争をもたらすとか

そんなものは全くの見当違いなのだ。かくして、イスラームは「平和の宗教」と呼ぶことができるのである。

主義・説・論(-ism)

-ismについては英語に訳した際のラテン文字順に述べており、その説明順は基本的に重要度による。

  • 創造論(一日一時代説)(英:Day-age creationism
    • 有神的進化論とは区別し、それは支持しない。一日の長さについては、クルアーン32:5、70:4参照。
  • ヘブライズム(英:Hebraism)
    • 上帝(唯一神)について、擬人化(英:Anthropomorphism, Personification)する、もしくは人間(と同じ特徴を持つ者)として捉えることは、無条件に拒絶する。例えば、『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』(創世記1:26抜粋)という記述がそれに当たる。
    • ヘレニズム哲学の一派であるストア派やそれに影響を受けたキリスト教とは異なり、ロゴスとは見なさない。
  • 万有内在神論(英:Panentheism)[注釈 3]
    • クルアーン57:3参照。
    • 直接的に関係するわけではないが、今日使われる新約聖書の『わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。』(ヨハネによる福音書14:10抜粋)についても、万有内在神論的な解釈をする。すなわち、「父なる神がイエスよりも大きい存在であって、イエスは父なる神の内に在る」というものである。このように解釈する理由は、福音書の原典は、ムスリムの信じる諸啓典の一つ、インジールであって、「父なる神」は「アッラー」にほかならないからである(クルアーン29:46、57:3参照)。

政治的信条

ここでは、一般に「政治的」と言われるような信条について述べる。

選択的夫婦別姓

結婚を機に姓を同じにする(夫婦同姓)か、結婚しようが自分の姓を維持し続ける(夫婦別姓)かを、自由に選ぶことが出来る、選択的夫婦別姓を支持する。夫婦同姓の場合、基本的にはどちらかが姓を改めることになるが、

  • その手続きには個人的にも社会的にも労力を必要とするものであり、このような損失を減らすことを志向する。
  • 姓を改めても同一人物であるにもかかわらず、元の姓の時の経歴などが、新しい姓での名前の許では継承されない事態が発生し得るため、これを防止することを志向する。

その上で、既に同姓の夫婦が存在し、また将来的に同姓を好む夫婦もいるであろうから、彼らのために夫婦同姓も選択可能であるとする。なお、夫婦別姓の場合、子供(もし居ればの話ではある)の姓は、両親の姓のうち、珍しい方を選択し、これによって姓の多様性を保つことを志向する。

一国二制度と一つの中国

  • 短期的観点では、「中国大陸における一国二制度」を支持し、これの台湾に対する適用を否認する。また、台湾は別の国の中華民国であり、「短期的な一つの中国」は中国大陸の範囲内で達成されると考える。
  • 長期的観点では、「一国二制度」を「中華民国由来の政党による、中国大陸と台湾の両者を統治するための制度」とする。すなわち、チベット新疆ウイグル自治区内モンゴル自治区香港マカオ、台湾などは民主主義政党による直接統治とし、中国大陸上のその他の地域はその民主主義政党が中国共産党に委任する形での統治という形を採る。ここにおいて、台湾地域をも含む「長期的な一つの中国」が達成される。

天皇制

脚注

出典

  1. ^ Butt, Hassan (2007年7月14日). “Muslim heads stuck firmly in the sand”. The Times. 2007年11月22日閲覧。[リンク切れ]

注釈

  1. ^ a b c 信仰がまだ弱かったヒジュラ暦1439年8月頃、4人のキリスト教徒に出会い、大きな影響を受けることとなった。それで、心だけはキリスト教徒となったことがある(「Unbaptized Temporary Christian(洗礼を受けなかった一時的なキリスト教徒)」であったと自覚している)が、改めてコーラン第112章シャハーダの意味を確認することにより、イスラム教徒として復帰した。
  2. ^ 「この世」という言葉に同じ。現存するこの世界のこと。
  3. ^ 汎神論(英:Pantheism)とは異なる。