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無神論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最初に無神論者と自称したポール=アンリ・ティリ・ドルバック男爵
1920年代ソビエト風刺雑誌「ベズボージュニク」の表紙。アブラハムの宗教の神々が、五カ年計画を意味するローマ数字の5に押しつぶされている様子を描いている。

無神論(むしんろん、英語: atheismラテン語: atheismus)は、世界観の説明にの存在、意思の介在、仏教ヒンドゥー教ジャイナ教道教のような精神的、超自然的、または超越的な概念などが存在しない、または不要と主張する考え方である[1][2][3]

無神論の論拠は、哲学的なものから社会的・歴史的なアプローチまで多岐にわたる。神を信じない根拠としては、証拠の欠如[4][5]、悪の問題、矛盾した啓示からの議論、改竄できない概念の拒絶、不信仰からの議論などがある[4][6]。無神論者は、無神論は有神論よりもより簡潔な立場であり、誰もが神への信仰を持たずに生まれてくると主張している[7]。したがって証明責任は無神論者が神の存在を反証するのではなく、有神論者が有神論の根拠を示すことにあると主張する[8]。無神論者の中には世俗的な哲学(例:世俗的ヒューマニズム)を採用している者もいるが[9][10]、すべての無神論者が遵守すべきイデオロギーや行動規範は存在しない[11]

無神論の概念は様々であるため、現在の無神論者の数を正確に推定することは困難である[12]。WIN-Gallup Internationalの世界中を対象とした調査によると、2012年には回答者の13%が「確信を持った無神論者」であり[13]、2015年には11%が「確信を持った無神論者」であり[14]、2017年には9%が「確信を持った無神論者」であった[15]。しかし何十年もの間同じ表現を使用し、より多くのサンプルサイズを持つ他の調査では、一貫してより低い数値が得られているため、他の研究者はWIN/Gallupの数値に注意を促している[16]。2004年に英国放送協会(BBC)が行った古い調査では、無神論者は世界人口の8%を占めていると記録されている[17]。他の古い推定では、無神論者は世界人口の2%を占め、無宗教者はさらに12%を加えているとされている[18]

定義と範囲

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どのように無神論を定義し分類するべきか、どのような精神的、超自然的、超越的な存在が神とみなされるのか、無神論はそれ自体が哲学的な立場なのか、それとも単に存在しないことなのか、そして意識的で明確な拒絶を必要とするのか、といった点で作家たちは意見を異にしている[19]。無神論は不可知論と互換性があるとみなされてきたが[20][21][22][23]、それと対比されることもあった[24][25][26]。無神論の異なる形態を区別するために様々なカテゴリーが用いられてきた。

無神論が否定する現象の範囲に関しては、神の存在から、仏教ヒンドゥー教ジャイナ教道教のような精神的、超自然的、または超越的な概念の存在まで、あらゆるものを含む[1]

類型

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神の観念は実に多様であるため、神の定義如何によってさまざまな考え方が無神論とみなされうるし、その逆も成り立つ。

古代ローマ人はキリスト教徒がペイガンの神々を崇拝していないことを無神論者と非難した。しかし次第に「有神論」があらゆる神々への信仰を含むものとして理解されるようになり、この見解は支持されなくなった[27]

無神論は、神の存在から、仏教ヒンズー教ジャイナ教道教などの精神的、超自然的、超越的な概念の存在まで、あらゆる現象を否定している[1]。ブリタニカ百科事典は、この区別についてこう書いている。

しかし無神論はもっと広く「霊的な存在」を信じることをすべて否定する。霊的な存在を信じることが、あるシステムが宗教的であることの決定的な意味である限り、無神論は宗教を否定することになる。無神論は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の中枢概念を否定するだけでない。ディンカ族やヌエル族のようなアフリカの宗教、古代ギリシャやローマの擬人化された神々、ヒンズー教仏教の超越的な概念をも否定する。一般に無神論とは、神や神々の否認である。宗教を霊的存在への信仰の見地から定義するならば、無神論はあらゆる宗教的信仰を拒絶する[1]

ジャーナリストのゲイリー・ウルフが2006年に提唱した新無神論(New Atheism)は、21世紀の無神論者たちの立場を表す[28][29]。現代の無神論ではあらゆる宗教は容認されるべきではなく、政府や教育、政治など、過度な影響力を持つところでは、合理的な議論によって反論、批判、挑戦されるべきだと主張する思想家や作家たちによって進められている[2][3]

また無神論は、次の観点から分類されることもある。

無神論の明確な対義語は有神論である。理神論汎神論は、無神論と対義的に扱われることもあるし、消極的無神論の一部とみなされることもある。消極的無神論と不可知論は、時に見分けがつかないか重複する。積極的無神論者は常に宗教を批判するわけではない。したがって、反宗教主義と積極的無神論は区別されなければならない。宗教批判を行う強い無神論者は、しばしば「戦闘的無神論者」と呼ばれる。この語は信仰を持つ人を愚かであるとみなすような、節度を越えた宗教批判へ非難の意味を込めて用いられることもある。

批判や議論

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無神論は一般的には既存宗教と対立するとみなされる考え方であり、両者の間にはあつれきが生じることも多い。しかし、近年では科学の発展や浸透に伴って唯物論的な考え方が一般に受け入れられてきており、無神論に対する風当たりは弱まってきているとされる。一方で、近年でも保守的な地域では無神論に対する根強い不信感があり、アメリカ合衆国で台頭したインテリジェント・デザイン論のように、科学と宗教の融合ないし折衷を称しつつも実質的には造物主の存在を前提にした運動も見られる。 また無神論者の側も極端な者は宗教を敵視することがある。「社会主義」を自称する全体主義国における宗教の弾圧や虐殺などが無神論と結び付けられることも多い[要出典]

キリスト教の教義では神は、人間の「生前の行動が、最後の審判(死後の裁き)での判断基準となる」としている(解釈されている)が、全知全能たる神が、どの人間が正しい行動をとり、どの人間が正しくない行動をとるかを前もってわからないわけがないはずであり、このような「全知全能たる神」の存在に関しての解釈(または説、説明)について、矛盾を指摘する言説が無神論では好まれる(全能の逆説予定説を参照)。

フォイエルバッハやジークムント・フロイトのように神を人間の発明とする考え方は、仏教に通じるとされる[30]。ショーペンハウアーは仏教を「完璧」と言ったことがあり、エンゲルスも部分的ではあるが仏教のを評価した[31]。しかし、仏教においてはキリスト教的な意味における「全知全能たる神」の存在を「考えていない」だけに過ぎないとする見方がある[要出典]。仏教では、そのような問題を無意味な議論として忌む傾向が強い。このような考え方はむしろ不可知論に近いとされるが、不可知論は「存在の可能性」を想定した上で、その「不可知」を論じている点など、根本的な違いがある(詳しくは、諸法無我ブッダ(仏)と神等を参照)。また、仏教自体が宗教ではなく衛生学であると(好意的に)解釈したニーチェのように、仏教を宗教とはみなさない者もいる。

神について「敬して遠ざける」としている儒教についても、無神論とみなされる場合がある。事実、儒学者の中には無神論を積極的に唱える者もおり、「宗教として扱われる思想ではない」という見解が多い。

より中立的な定義として、神またはその他の名を持つ、人間を超えた超自然的な存在を考えない立場のことを無神論とするという意見もある。この場合、既存の宗教はほぼすべて有神論に分類され、純粋な唯物論や機械論が無神論となる。

共産主義国家、マルクス・レーニン主義政権国家の多くでは、宗教は国是としては否定され、存続が許された場合でも制限化に置かれた(ドイツ民主共和国#宗教などを参照)。中でもアルバニア人民共和国は「世界初の無神国家」を標榜した[32]マルクス・レーニン主義無神論英語版を参照。

語源

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一般的な語源は古代ギリシャの「atheos」「asebs」「atheots」である。古代ギリシアの民族や国家(ポリス、ギリシアの都市国家)においてその守護神を信じない「ある人々」(例:アテナイで女神アテナを信じない人たち)を示した。

キケロがラテン語で翻訳したことから、ラテン語を語源とする説もある。無神論者はラテン語で「atheus」という。

歴史

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古代から中世

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古代インドブッダと同時代人のアジタ・ケーサカンバリンがおり、彼を中心とする順世派(チャールヴァーカ Cārvāka)は無神論的な思想を展開した。神のような超越的な原理でなく、社会倫理やその改革を訴えた。

古代ギリシアでは、まずデモクリトスエピクロスが唯物論に基づく無神論的な思想を提唱し、ローマ時代にはルクレティウスがそれをより明確な無神論の形で提唱した。

キリスト教との関係

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ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハが書いた『キリスト教の本質』(1841年)は エンゲルスマルクスシュトラウスニーチェなどに多大な影響を与えた
爆破され崩れゆく、救世主ハリストス大聖堂

原義から、原始キリスト教徒は「ギリシアの神・ローマの神を信じない者」という意味で無神論者とされた時期があるが、中世や近代ではキリスト教の宗教観に反対する立場をとる者が無神論者を名乗ることが多い。反キリスト教的な無神論者の中には、マルクスやニーチェのように、むしろ古代ギリシャに傾倒した人物が少なからずいる。

日本近世期における無鬼論

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日本においては幽鬼、すなわち霊魂や鬼といった妖怪の存在を否定する「無鬼論」として始まる。無鬼論は、儒学における「気(万物を構成する要素)」と「祭祀(招魂といった先祖崇拝)」の解釈(現象と関係)に伴う矛盾から発展していったものであり[33]、西洋のような一神教による絶対的な世界観を科学解釈によって徐々に崩された(科学的な根拠の積み重ねによる否定の)上で成り立ったものとは異なる。中国の朱子は、気(現代でいえば、原子のようなもの)の集まりが「生」と捉え、気の離散が「死」と解釈した上で、気の離合集散によって魂魄の現象を合理的に説明しようとした(魂魄の項の「儒学における魂魄現象の解釈」も参照)。結果、霊性を否定しかねない矛盾した論考(一度、離散した気=魂魄は二度と戻らない=死と主張したために、祭祀による招魂儀礼を行うことに矛盾が生じた)に至ってしまい、後世、林羅山といった儒学者に鬼神(魂魄)の有無について半信半疑な立場を取らせ[33]、江戸期日本の朱子学者を「無鬼論者」(伊藤仁斎)と「有鬼論者」(荻生徂徠)に二分させた[33]

多神教(道教神道など)では、先祖を人物神として祀る信仰観から、祭祀による招魂儀礼が行なわれるが、魂魄=気の離散が死であり、離散した気は二度と戻らないとする朱子学の主張(仏教の輪廻転生を否定するために生み出した合理的論説)[33] は、一部で無神論にも通じることになる。[要検証]

近代

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フランスの啓蒙思想によって、無神論は飛躍的に発展した。

フランスの思想家ドルバックは無神論、唯物論運命論を唱えた。ドルバックは、ヴォルテール流の理神論汎神論ではなく、最も早い時期に無神論を唱えた思想家の一人である。おそらくドルバックに先行するのは、ジャン・メリエ英語版ただ一人である。ドルバックの自然観の根底には、人間は理性的な存在であるという確信がある。全ての宗教的な原理から道徳を切り離し、自然的原理だけに道徳を還元するというのが彼の目論見であった。主著『自然の体系』では、あらゆる宗教的観念や理神論的観念を排して、無神論と唯物論と運命論(科学的決定論)を説く。しかし、しばしば矛盾とも思える様々な主張の寄せ集まりであると批判されてもいる。

19世紀後半のドイツは合理主義及び自由思想の影響を受けて無神論の卓越性が増し、フォイエルバッハショーペンハウアーマルクスニーチェなど多くの顕著な哲学者は神の存在を否定した[34]。特にフォイエルバッハの『キリスト教の本質』(1841年)はマルクス、シュトラウス、ニーチェら若い哲学者に熱烈に歓迎され、キリスト教は前代未聞の激しい攻撃に晒された。唯物論者でもあるマルクスは「宗教は民衆の阿片である」とし、またニーチェはユダヤ教―キリスト教の精神構造を「ルサンチマン」にあると『道徳の系譜』で論じた。またラッセルは、宗教や信仰を死や神秘的なものへの恐怖にあるとした[35]

現代

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社会主義政権の中国で67%、日本で29%、過去に社会主義政権だったスロベニアで28%、同じくチェコで25%、韓国で23%、ベルギーとフランスで21%、スウェーデンで18%、アイスランドで17%が神を信じていないとの調査がある[36]

主張・発言

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無神論者の指摘・主張・発言には以下のようなものがある。

  • 神の存在や、神が存在することで我々の世界、我々の精神にどのような影響があるのかを、飛躍や矛盾なく論理的に説明することができない。現時点でその存在や影響を証明できない、「神の存在」以外で説明がつくのであれば、存在しないものと考えても差し支えはない。(オッカムの剃刀
  • 全知全能の神が存在するなら、その神は『全知全能の神が知らない物』(あるいは『全知全能の神が持ち上げられない大きさの岩』)を作れるか。」というパラドックスが解決できない以上、全知全能の神は存在しない。(全能の逆説、ただしここでは神=全知全能と定義している。「神」という存在が全知全能であるかという問題があり、このままでは無神論を証明はできない)
  • 全知全能の神が存在するなら、なぜ社会悪や不幸が存在するのか説明できない。社会悪や不幸を神が解決できないのなら、それは全知全能ではないし、また全知全能であるにもかかわらず解決しようとしないのなら、それは神とはいえない。
  • 信仰とは、立証責任を果たさずに、「あるものはある」という同語反復(トートロジー)で、押し付けてくるものである。(ドーキンス)
  • インドで、宗教とよばれるものは、あまりに恐ろしく、わたしは掃き清めたかった。それは盲信、反動、ドグマ、偏見、迷信、搾取である。(ネルー

無神論と社会

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現代では憲法によって信仰の自由が保障されているが、宗教的に保守的な国や地域(イスラム教国や、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国等の一部地域)では、無神論者であることを口にすることがタブーとされることが多い。神を信じず、信仰の対象を持たない人間は、悪魔を信仰する者(サタニズム)、道徳のない者、無教養扱いにされることがある。欧米では、これら有象無象の誤解や不利益を回避するための方便として、神や霊魂の存在を必ずしも肯定しない「思想」を持つと主張する場合もある。もっとも近年の欧米では、無神論を口にすることへのタブー意識は低くなってきている。それでも周囲との軋轢を避けるために、無神論の代替語として不可知論を用いる場合がある。リチャード・ドーキンスはこうした「無神論者」へのいわれなき差別を是正すべきだとしている[37]

西洋における意味

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欧米の保守的な一部地域では、「無神論者」という表現は非常に大胆な表現であり、無慈悲な人物像を連想させてしまうため、注意が必要となる。ただし、一般的には無神論は哲学上の立場として広く受け入れられている。

アメリカ軍の認識票には、葬儀を行う都合上、宗教を記入する欄が存在しており、略記号を用いて刻印されているが、無神論者は未申告として刻印される。ただし、第二次世界大戦中はナチスがユダヤ人を差別したため、ユダヤ教が未申告として刻印されていたこともあるので、一概に未申告=無神論者とは言えない。

イスラムにおける扱い

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イスラム教の価値観では、無神論であることは悪として扱われる。無神論者であるということは無明時代の人間であるということであり、文明を知らない原始人のような者と見なされ、異教徒(ズィンミー)よりも下位として扱われる。エジプト、イラン、サウジアラビアなど、戸籍や入出国に関する書類に宗教欄の記載が必須の国では、無神論者と宣言することが不利な扱いになる場合もある。特にイランやサウジアラビアなど、シャーリアが法制度となっている国では、法的権利の制限を受けることもある。

著名な無神論者

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脚注

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  1. ^ a b c d "Atheism as rejection of religious beliefs". Encyclopædia Britannica. Vol. 1 (15th ed.). 2011. p. 666. 0852294735. 2011年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月9日閲覧 Atheism, however, casts a wider net and rejects all belief in “spiritual beings,” and to the extent that belief in spiritual beings is definitive of what it means for a system to be religious, atheism rejects religion. So atheism is not only a rejection of the central conceptions of Judaism, Christianity, and Islam; it is, as well, a rejection of the religious beliefs of such African religions as that of the Dinka and the Nuer, of the anthropomorphic gods of classical Greece and Rome, and of the transcendental conceptions of Hinduism and Buddhism. Generally atheism is a denial of God or of the gods, and if religion is defined in terms of belief in spiritual beings, then atheism is the rejection of all religious belief.
  2. ^ a b New Atheists”. The Internet Encyclopedia of Philosophy. 14 April 2016閲覧。 “The New Atheists are authors of early twenty-first century books promoting atheism. These authors include Sam Harris, Richard Dawkins, Daniel Dennett, and Christopher Hitchens. The 'New Atheist' label for these critics of religion and religious belief emerged out of journalistic commentary on the contents and impacts of their books.”
  3. ^ a b Hooper, Simon. “The rise of the New Atheists”. CNN. https://edition.cnn.com/2006/WORLD/europe/11/08/atheism.feature/index.html 16 March 2010閲覧。 
  4. ^ a b Various authors. “Logical Arguments for Atheism”. The Secular Web Library. Internet Infidels. November 17, 2012時点のオリジナルよりアーカイブOctober 2, 2012閲覧。
  5. ^ Shook, John R.. “Skepticism about the Supernatural”. October 18, 2012時点のオリジナルよりアーカイブOctober 2, 2012閲覧。
  6. ^ Drange, Theodore M. (1996年). “The Arguments From Evil and Nonbelief”. Secular Web Library. Internet Infidels. January 10, 2007時点のオリジナルよりアーカイブOctober 2, 2012閲覧。
  7. ^ Harvey, Van A.. Agnosticism and Atheism,  in Flynn 2007, p. 35: "The terms ATHEISM and AGNOSTICISM lend themselves to two different definitions. The first takes the privative a both before the Greek theos (divinity) and gnosis (to know) to mean that atheism is simply the absence of belief in the gods and agnosticism is simply lack of knowledge of some specified subject matter. The second definition takes atheism to mean the explicit denial of the existence of gods and agnosticism as the position of someone who, because the existence of gods is unknowable, suspends judgment regarding them ... The first is the more inclusive and recognizes only two alternatives: Either one believes in the gods or one does not. Consequently, there is no third alternative, as those who call themselves agnostics sometimes claim. Insofar as they lack belief, they are really atheists. Moreover, since the absence of belief is the cognitive position in which everyone is born, the burden of proof falls on those who advocate religious belief. The proponents of the second definition, by contrast, regard the first definition as too broad because it includes uninformed children along with aggressive and explicit atheists. Consequently, it is unlikely that the public will adopt it."
  8. ^ Stenger 2007, pp. 17–18, citing Parsons, Keith M. (1989). God and the Burden of Proof: Plantinga, Swinburne, and the Analytical Defense of Theism. Amherst, New York: Prometheus Books. ISBN 978-0-87975-551-5 
  9. ^ Honderich, Ted (Ed.) (1995). "Humanism". The Oxford Companion to Philosophy. Oxford University Press. p. 376. ISBN 0-19-866132-0.
  10. ^ Fales, Evan. Naturalism and Physicalism,  in Martin 2006, pp. 122–131.
  11. ^ Baggini 2003, pp. 3–4.
  12. ^ Zuckerman, Phil (2007). Martin, Michael T. ed. The Cambridge Companion to Atheism. Cambridge: Cambridge University Press. p. 56. ISBN 978-0-521-60367-6. OL 22379448M. オリジナルのOctober 31, 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151031223718/https://books.google.com/books?id=tAeFipOVx4MC&pg=PA56 April 9, 2011閲覧。 
  13. ^ Religiosity and Atheism Index”. Zurich: WIN/GIA (July 27, 2012). October 21, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。October 1, 2013閲覧。
  14. ^ New Survey Shows the World's Most and Least Religious Places”. NPR (April 13, 2015). May 6, 2015時点のオリジナルよりアーカイブApril 29, 2015閲覧。
  15. ^ Religion prevails in the world” (November 14, 2017). November 14, 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。February 27, 2018閲覧。
  16. ^ Keysar, Ariela; Navarro-Rivera, Juhem (2017). “36. A World of Atheism: Global Demographics”. In Bullivant, Stephen; Ruse, Michael. The Oxford Handbook of Atheism. Oxford University Press. ISBN 978-0-19-964465-0 
  17. ^ “UK among most secular nations”. BBC News. (February 26, 2004). オリジナルのSeptember 2, 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170902202852/http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/wtwtgod/3518375.stm January 14, 2015閲覧。 
  18. ^ Worldwide Adherents of All Religions by Six Continental Areas, Mid-2007”. Encyclopædia Britannica (2007年). December 12, 2013時点のオリジナルよりアーカイブNovember 21, 2013閲覧。
    • 2.3% Atheists: Persons professing atheism, skepticism, disbelief, or irreligion, including the militantly antireligious (opposed to all religion).
    • 11.9% Nonreligious: Persons professing no religion, nonbelievers, agnostics, freethinkers, uninterested, or dereligionized secularists indifferent to all religion but not militantly so.
  19. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Atheism" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press. The term as generally used, however, is highly ambiguous. Its meaning varies (a) according to the various definitions of deity, and especially (b) according as it is (i.) deliberately adopted by a thinker as a description of his own theological standpoint, or (ii.) applied by one set of thinkers to their opponents. As to (a), it is obvious that atheism from the standpoint of the Christian is a very different conception as compared with atheism as understood by a Deist, a Positivist, a follower of Euhemerus or Herbert Spencer, or a Buddhist.
  20. ^ Martin 1990, pp. 467–468: "In the popular sense an agnostic neither believes nor disbelieves that God exists, while an atheist disbelieves that God exists. However, this common contrast of agnosticism with atheism will hold only if one assumes that atheism means positive atheism. In the popular sense, agnosticism is compatible with negative atheism. Since negative atheism by definition simply means not holding any concept of God, it is compatible with neither believing nor disbelieving in God."
  21. ^ Holland, Aaron. Agnosticism. https://archive.org/details/jstor-25667906,  in Flynn 2007, p. 34: "It is important to note that this interpretation of agnosticism is compatible with theism or atheism, since it is only asserted that knowledge of God's existence is unattainable."
  22. ^ Martin 2006, p. 2: "But agnosticism is compatible with negative atheism in that agnosticism entails negative atheism. Since agnostics do not believe in God, they are by definition negative atheists. This is not to say that negative atheism entails agnosticism. A negative atheist might disbelieve in God but need not."
  23. ^ Barker 2008, p. 96: "People are invariably surprised to hear me say I am both an atheist and an agnostic, as if this somehow weakens my certainty. I usually reply with a question like, "Well, are you a Republican or an American?" The two words serve different concepts and are not mutually exclusive. Agnosticism addresses knowledge; atheism addresses belief. The agnostic says, "I don't have a knowledge that God exists." The atheist says, "I don't have a belief that God exists." You can say both things at the same time. Some agnostics are atheistic and some are theistic."
  24. ^ Nielsen 2013: "atheism, in general, the critique and denial of metaphysical beliefs in God or spiritual beings. As such, it is usually distinguished from theism, which affirms the reality of the divine and often seeks to demonstrate its existence. Atheism is also distinguished from agnosticism, which leaves open the question whether there is a god or not, professing to find the questions unanswered or unanswerable."
  25. ^ "Atheism". Encyclopædia Britannica Concise. Merriam Webster. 2012年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月15日閲覧Critique and denial of metaphysical beliefs in God or divine beings. Unlike agnosticism, which leaves open the question of whether there is a God, atheism is a positive denial. It is rooted in an array of philosophical systems.
  26. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Atheism" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press. But dogmatic atheism is rare compared with the sceptical type, which is identical with agnosticism in so far as it denies the capacity of the mind of man to form any conception of God, but is different from it in so far as the agnostic merely holds his judgment in suspense, though, in practice, agnosticism is apt to result in an attitude towards religion which is hardly distinguishable from a passive and unaggressive atheism.
  27. ^ Martin 2006.
  28. ^ Lois Lee & Stephen Bullivant, A Dictionary of Atheism (Oxford University Press, 2016).
  29. ^ Wolff, Gary, in The New Atheism, The Church of the Non-Believers reprinted in Wired Magazine, November 2006
  30. ^ Walpola RahulaのWhat the Buddha Taught 1974 51~52頁
  31. ^ 「自然の弁証法」
  32. ^ Albania finds religion after decades of atheism”. シカゴ・トリビューン (2007年4月18日). 2019年5月26日閲覧。
  33. ^ a b c d 加地伸行 『儒教とは何か』 中公新書 11版1995年(初版1990年) p.207
  34. ^ Subjectivity and Irreligion
  35. ^ 「自由人の信仰」
  36. ^ 世界の7割「神を信じる」 日本は無神論者の割合で世界2位 ギャラップ国際調査 : 国際 : クリスチャントゥデイ
  37. ^ 「神は妄想である」および項目「リチャード・ドーキンス」を参照

参考文献

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  • アンリ・アルヴォン『無神論』文庫クセジュ474、白水社。
  • Zuckerman, Phil. "Atheism: Contemporary Numbers and Patterns." The Cambridge Companion to Atheism. Ed. Michael Martin. Cambridge University Press, 2007. Cambridge Collections Online. Cambridge University Press. 03 February 2012 doi:10.1017/CCOL0521842700.004
  • Michael Martin & Ricki Monnier, ed (2006). The Improbability of God. Buffalo, New York: Prometheus Books. ISBN 978-1-59102-381-4 

関連項目

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外部リンク

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