ノート:無神論

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記述の対象[編集]

積極的に否定するのではなく、神が存在するか否かということをそもそも考えようと(論じようと)しない場合も無神論と考えられますかね?論じようとしない時点で無神"論"ではなくなるのかな?
203.182.227.54 09:08 2003年4月8日 (UTC)

そうですね。神の有無を論じないなら、そもそも無神論という必要はないでしょう。るがこむ 09:17 2003年4月8日 (UTC)
その場合は不可知論の方が近いのでは。「神は存在するかもしれないが、たぶん知ることはできないという思想。」--Tokek 2005年3月27日 (日) 17:07 (UTC)[返信]

出典をお願いします[編集]

本文記事の「無宗教でありながらも神は信じると言う人もおり」というのが具体的にイメージできません。申し訳ありませんが、そう言っている人の文献などを2,3出典していただけませんか? 219.108.124.8 2007年12月30日 (日) 22:55 (UTC)[返信]

書いたのは小生ではありませんので回答として適切かどうか微妙なところですが…
>無宗教でありながらも神は信じると言う人
日本に於いては「特定の宗教を信仰しないが、神・仏・又はそれに類するものが存在する事を強く否定はしない。何かそういう存在は居るんじゃないの?」という人は結構居て、それをこの文言は示唆するものと思います。日本では
「無宗教」≠「無信仰」
の意ではなく、
「無宗教」=「特定の宗教団体に属さない・特定の信仰に属さない」
を意味する事が多いように思います。
例えば「星に願い事」をするだとか、「神様」と人が呟く描写が小説などで行われるなどしますが、こうした描写は特定の宗教を示唆するものではありません。--Kliment A.K. 2007年12月31日 (月) 05:34 (UTC)[返信]

YODAFON氏による2008年1月8日 (火) 03:15の編集について[編集]

YODAFON氏のこの編集は以下の点で問題があるため、差し戻しを提案します。

  • 「狂信的」という明らかに中立的観点から問題がある用語が使われていること。
  • 共産主義国で行われた宗教弾圧が不用意に無神論と関連づけられて誤解されていることの記述が何の説明もなく消されてしまっていること。(もし誤解ではないとするのなら、無神論とそれらの弾圧を結びつける根拠の提示が必要)
  • 無神論者と有神論者と間に和解が求められているかどうかは不明確であり、具体的な出展も明示されていないこと。

--Luna plena 2008年1月8日 (火) 05:54 (UTC)[返信]

すでに別の方によって差戻しが実行されてしまったようですが、YODAFONさんも含め異議のある方がいたらこちらで議論をお願いします。--Luna plena 2008年1月19日 (土) 07:24 (UTC)[返信]

日本の無神論[編集]

Hi japanese friends! =) I'm from Chile (a South American country). I'm just learning japanese since one month ago. I love japanese culture... it's very interesting and I would really like to go to Japan someday and why not? live there =) Well, I'm writting in that page, because I would like to know How japanese people "look" the atheism? is it something strange there or is common?

I'm atheist and i'm glad in Japan the christianity is just a minority, 'cause christianity is a so very conservative religion... you have to know the history of the inquisition and else...

I think most Japanese are uninterested in atheism as much as a particular religion. Personally, I'm interested in these conversation. But it is out of place because here is the discussion page of Wikipedia, not a forum for atheism.--Luna plena 2009年6月9日 (火) 11:27 (UTC)[返信]

定義と範囲の節の記述について[編集]

無神論#定義と範囲の記述における「広義」と「狭義」は逆ではないでしょうか。「広義」のほうが「狭義」よりも含まれる範囲が広がらなければならなりません。『神もしくはその他の類似の名前の付いた、人間や自然を超えた存在すべてを認めない立場』よりも、『一神教におけるような唯一絶対の造物主を認めない立場』の方が範囲が広いのではないでしょうか。--Gruppetto 2009年7月8日 (水) 17:48 (UTC)[返信]

広義と狭義を逆にしました。--Gruppetto 2009年7月23日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

(コメント)素朴な疑問ですが、一神教という限定の方が、より狭義の定義の気がするのですが、いかがでしょうか?反論というより、この点を扱った説明の加筆を提言したいのです。
 論点となっている点としましたは、意識の違いの問題があるかとおもいますので、以下に説明します。
  •  神によるこの宇宙全体の含める天地創造等があったとする人の立場(アブラハム系の宗教が中心) >> この世の全ては、神の産物であり、広義に属する。変更されたあと(現在)の意見。
  • 超自然的存在を認めない立場の人 >> 神のいない世界で、神を信じている人の意見は、狭義である。以前の定義の意見。
 - 最終的には、この意見(意識)の違いの気がします。- STHN 2009年7月25日 (土) 19:45 (UTC) - 「キリスト教徒やイスラム教徒等の神を信じる人での定義とあまり一神論的な神に関心のうすい日本で定義の違い.....」等という明確かつ、より詳しい説明と、どの立場からの広義であり、どの立場からの狭義かが、強調付きであればより良い項目になるとか思いましたので、コメントさせていただきました。私には、書けないのでお願いします(^。^;)>”。[返信]

無神論とは、神を認めない立場ですね?神を認める立場なら、仰るとおり一神教という限定の方が、より狭義です。だからこそ、それを認めない立場は逆の広義になるのではないですか?。狭義は広義より適用される範囲が狭くならなければなりません。神道、仏教などの多神教は広義の無神論には入ることになりますが、狭義の無神論には含まれないわけですから。これは、一神教を信じるひと、多神教を信じる人、無宗教の人、無神論の人、といった立場とは一切関係ないと思います。ただし、読む人にとってわかりにくいようですから、「広義」「狭義」という言葉は用いない説明に変えるのも一つの方法ではあるかと思います。--Gruppetto 2009年7月26日 (日) 13:16 (UTC)追記--Gruppetto 2009年7月26日 (日) 13:30 (UTC)[返信]

 お返事遅れたこと、すみませんでしたm(__)m。確かに、私のミスだったようです。根本の部分である否定の大小を間違えたみたいです。日本神道等の多神論の中でアブラハムの宗教を否定するのが、狭義で、日本神道やその他の多神論の神をも含んで全ての存在を否定するのが、広義だと誤解(解釈ミス、思い込み)していました。できれば、おっしゃっていたように、広義や狭義という言葉を用いない表現がいいかと思いました。-- STHN 2009年7月27日 (月) 09:40 (UTC) -- 思い込みに、気がつかせていただき有難うございました。しかし、この文、「どちらか否定すれば、あちらも同時に否定できると」何か、変なパラドックスというか、言葉遊びの要素があるみたいですが、いかがでしょうか?(^^;)、この文を書きながらも、(@@)めまいが..... 少し、気になったのは、言い訳(言い逃れ)になりますが、項目のこの部分のコメントアウトに、なにかを感じたのか(変更前の文の説明だと思いますが)「たぶん西洋では前者が、日本では後者が一般的な無神論の定義として用いられているのではないでしょうか」とありました。m(__)m申し訳ない![返信]