伊古奈比咩命神社
伊古奈比咩命神社 | |
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拝殿(本殿は山上) | |
所在地 | 静岡県下田市白浜 |
主祭神 |
伊古奈比咩命 三島明神 見目大神 若宮大神 剣之御子 |
社格等 | 県社、別表神社 |
創建 | 考安天皇元年 |
本殿の様式 | 三社間流造向拝付(大正11年造営) |
例祭 | 10月28日、10月29日、10月30日 |
主な神事 | 火達祭、御幣流祭など |
伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は、静岡県下田市白浜にある神社。白濱神社または白浜神社(しらはまじんじゃ)と呼ばれることが多い。他に伊古奈比咩神社(いこなひめじんじゃ)とも呼ばれる。祭神は伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)、その夫である三島明神(みしまみょうじん)、および夫の随神である見目(みめ)、若宮(わかみや)、剣の御子(つるぎのみこ)の五柱。
由緒
創建は孝安天皇元年で、伊豆国最古の神社であると伝えられるが、孝安天皇は実在しないとする説もあり、また伊豆地方にはそれより古い創建を主張する社もあるため定かではない。
伝承によると紀元前5世紀頃、三島明神が南方から海を渡って伊豆国に到来し、地元の下賀茂(現在の静岡県賀茂郡南伊豆町下賀茂であるとの説や、単に賀茂郡南部を指すとする説がある)の神である伊古奈比咩命を妻に娶ったとされている。しかしこの三島明神が三嶋大社(静岡県三島市)の祭神である三嶋大明神(現在では事代主神または大山祇神とされている)と同一神であるかは明らかでなく、「三島明神は天竺の王子であって日本出身ではなく、三嶋大明神とは別の神である」とする伝承もある。
三島明神は富士山の神に願い出て伊豆国の地を譲り受けたが、土地が狭かったため、龍神・海神・雷神の助けを借りて7日間で10の島を創り上げた。これが初島、大島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、利島と、沖の島、小島、王鼻島(ほうでしま)であるとされるが、最後の三島が現在のどの島を指すのかは諸説があり定かではない。その後三島明神は当地に戻り、妻と共に末永く暮らしたという。
実際に当社が登場する最古の文献は日本後紀で「伊豆国言上、三島神、伊古奈比咩命神二神預名神」とあり、この他続日本後紀、文徳実録、三代実録にも記述が見られる。延喜式には、三島神社と伊古奈比咩命神社の二社共に当地に並んで鎮座していたと記されており、その後両社は合祀されたとも、三島明神のみ当時伊豆国国府があった府中(現在の三島市)に遷座されたとも云われるが、どちらが史実か、また何時頃行われたかははっきりしない。
旧社格は県社であったが、戦後は神社本庁規定別表神社に加えられた。島創り伝説に由来する様々な祭で知られ、また縁結び・子授け・子育ての神としても名高い。
関連項目