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曽我物語

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曽我物語』(そがものがたり)は、鎌倉時代富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物語。成立年・作者不詳で多くの諸本がある。

系統・写本

保田妙本寺(妙本寺本旧蔵)
北山本門寺(本門寺本所蔵)

曽我物語の諸本は多く現存し、写本は70本を超し版本は20種を超す[1]。これらは「真名本」と「仮名本」の2系統に分類される[2]。 このうち真名本は仮名本より成立が早く古態を示すとされ、先学では鎌倉時代末期から南北朝時代に成立したとされる[3][4][5]

真名本

真名本は「妙本寺本」(保田妙本寺旧蔵)[注釈 1]と「本門寺本」(北山本門寺所蔵)[注釈 2]の2種が主に挙げられ、このうち本門寺本は妙本寺本を書写したものとされることも多いが、別物であるという指摘もある[6]。真名本を訓読した「大石寺本」なども存在し「訓読本」と称される場合もあるが[7]、その性質から真名本に系統分類されることが多い[8][9]

真名本は各巻の主題に「并序 本朝報恩合戦 謝徳闘諍集」と副題が付けられていることが特徴であり、また巻7・9にて同様の文言が引用され「報恩」「謝徳」が理由の仇討ちであると説明されている[10]

仮名本

仮名本は10巻ないし12巻からなり[11]、「太山寺本」が古態を示すとされる[12][13][14]。流布本・古活字版[15]といったものも仮名本の系統に含まれ、多くの諸本が残る(「彰考館本」「武田甲本」等)。仮名本は真名本を基としたとされる[16]

成立

太山寺(太山寺本蔵)
大石寺(大石寺本蔵)

曽我語りと女性芸能者

曾我物語は、語り・唱導により伝えられたとされる[17][18]。これら語りとしての早例として、貞和3年(1347年)『醍醐寺雑記』に「蘇我十郎五郎事」から始まる箇所があり、盲人の語りを記した曾我語りが登場することが知られる[19][20][21][22][23]

語り手は遊行巫女比丘尼瞽女 といった女性芸能者が想定され、日本の広範囲に語り物として広まっていったとされる。『七十一番職人歌合』二十五番に女盲「伊藤が嫡子に河津の三郎とて」とあり、女性芸能者による曽我語りが記される[24]。また謡曲『望月』にも盲御前の曽我語りが記される[25][26]

史実性

史料としての曽我物語は、曽我兄弟の仇討ちが発生してから少なくとも100年以上経過してから成立したものであり、時事的な史料ではない[27]。また曾我物語は地理的な状況矛盾も指摘される[28]。しかし曽我兄弟の仇討ちを記す史料は他に『吾妻鏡』等しかなく[29]、同事件を紐解く数少ない史料となっている。公家の日記等も同時期のものは欠いているという事情もあるが[30]、史料の少なさから事件の意図的な隠蔽の可能性も指摘されている[31]

真名本・仮名本の比較

真名本と仮名本の性質の違いとして、真名本は仏教的価値観の投影[32]や東国の地域性を強く反映しているという指摘[33][34][35]がある。例えば真名本は箱根権現との密接な関わりが指摘される[36][37]。その他仮名本は劇的展開に力点をおいているという指摘等[38]がある。

仇討ち後の曽我兄弟の位置づけも大きく異なる。真名本曽我物語に「富士の郡の御霊神とならざらむ」とあるように[39]、真名本の場合曽我兄弟は富士山麓の地で没し御霊神となることを自ら望む構成となっており[40][41]、実際に仇討ち後に富士浅間大菩薩と一体化している描写が見られる[42]

一方、仮名本では御霊化は説かれていないことも指摘される[41]。仮名本の場合曽我兄弟は霊神とならず亡霊・怨霊としての描き方となっており[43]、真名本と仮名本では仇討ち後の扱いに明確な差異がある。

脚注

注釈

  1. ^ 保田妙本寺(千葉県安房郡鋸南町吉浜字中谷)に所蔵されていた10巻本
  2. ^ 同寺(静岡県富士宮市)は「重須本門寺」とも呼ばれるため、「重須本」とも呼称される

出典

  1. ^ 国文学(2003) p.32
  2. ^ 坂井(2014) p.3
  3. ^ 石井(1974) p.33
  4. ^ 坂井(2014) p.7・8・19
  5. ^ 東洋文庫(1988) pp.346-355
  6. ^ 佐藤博信、「安房妙本寺日我と蔵書-「曾我物語」「八雲抄」などをめぐって-」129頁、『千葉大学人文研究 (40)』、2011
  7. ^ 小井土守敏「真名本訓読本系統分立の意義-『曾我物語』本文考序説-」、『昭和学院短期大学紀要』42号、2005年
  8. ^ 坂井(2014) p.3
  9. ^ 国文学(2003) p.33
  10. ^ 軍記(1997) pp.91-93
  11. ^ 国文学(2003) pp.36-38
  12. ^ 村上(2006) pp.6-8・100-103
  13. ^ 坂井(2014) p.4
  14. ^ 福田(2016) pp. 322
  15. ^ 小井土 守敏、「古活字版『曾我物語』の本文変化:大妻女子大学蔵十一行古活字本を中心に」、『大妻国文』43号、2012
  16. ^ 軍記(1997) p.45
  17. ^ 福田(2002) p.327
  18. ^ 坂井(2014) p.18・314
  19. ^ 藤井学、「醍醐寺雑記」371-379頁「解題」573-578頁、『室町ごころ:中世文学資料集』、1978年
  20. ^ 福田(2002) pp.145-147
  21. ^ 二本松康宏、「『曽我物語』はどのように語られたか」『古典文学の常識を疑う2』154-155頁、2019
  22. ^ 村上美登志、「太山寺本『曽我物語』〈今の慈恩寺是なり〉攷―仮名本の成立時期をめぐって―」31-32頁、『論究日本文學』第54号、1991年
  23. ^ 村上(1990) p.369
  24. ^ 下房俊一「注解『七十一番職人歌合』稿(十一)」27-30頁、『島根大学法文学部紀要文学科編』第19号、1993年
  25. ^ 村上(1990) pp.371-372
  26. ^ 福田(2002) p.145
  27. ^ 坂井(2014) p.118
  28. ^ 福田(2016) pp.322-326
  29. ^ 石井(1974) p.32
  30. ^ 坂井(2014) p.76
  31. ^ 坂井(2014) pp.160-167
  32. ^ 坂井(2014) p.8・28
  33. ^ 軍記(1997) pp.24-25
  34. ^ 坂井(2014) pp.64-65・318
  35. ^ 阿部美香「霊山に参る女人-二所の縁起と真名本『曽我物語』の世界から-」、『昭和女子大学文化史研究』11号、2007
  36. ^ 石井(1974) p.80
  37. ^ 阿部美香、「伊豆峯行者の系譜-走湯山の縁起と真名本『曽我物語』-」『説話文学研究』第37号、2002
  38. ^ 坂井(2014) p.257・259・314
  39. ^ 真名本曾我物語(妙本寺本巻7)
  40. ^ 小林美和、「真名本『曽我物語』覚書ー<御霊>と<罪業>をめぐってー」9頁、『帝塚山短期大学紀要』(32)1-10、1995年
  41. ^ a b 会田実、「曽我物語における意味の収束と拡散—真名本から仮名本へ—」4頁、『日本文学』No.697、2011
  42. ^ 会田(2004) p.151
  43. ^ 二本松(2009) p.198・215・224

参考文献

  • 笹川祥生ほか『真名本曽我物語2』平凡社〈東洋文庫 485〉、1988年。ISBN 978-4-582-80486-7 
  • 小山弘志編「日本文学新史〈中世〉」、至文堂、1990年、ISBN 978-4-78430-060-0 
  • 梶原正昭編「曽我・義経記の世界」、汲古書院、1997年、ISBN 978-4-76293-390-5 
  • 村上美登志『太山寺本 曽我物語』和泉書院〈和泉古典叢書10〉、1999年。ISBN 978-4-8708-8966-8 
  • 福田晃『曽我物語の成立』三弥井書店〈三弥井研究叢書〉、2002年。ISBN 978-4-83823-119-5 
  • 村上美登志編『曽我物語の作品宇宙』至文堂〈「国文学解釈と鑑賞」別冊〉、2003年。 
  • 会田実『『曽我物語』その表象と再生』笠間書院、2004年。 
  • 村上美登志『中世文学の諸相とその時代Ⅱ』和泉書院、2006年。ISBN 978-4-7576-0347-9 
  • 二本松康宏『曽我物語の基層と風土』三弥井書店、2009年。ISBN 978-4-83823-170-6 
  • 坂井孝一『曽我物語の史的研究』吉川弘文館、2014年。ISBN 978-4-6420-2921-6 
  • 石井進『中世武士団』小学館〈「日本の歴史」12巻〉、1974年。 
  • 福田晃『放鷹文化と社寺縁起-白鳥・鷹・鍛冶-』三弥井書店〈三弥井研究叢書〉、2016年。ISBN 978-4-8382-3300-7 

関連項目

外部リンク