Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か
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英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能か
千羽鶴#海外の鶴に対するイメージをツル#人間との関係に移行している作業を行っているのですが、移行作業中に改めて記事の内容を確認した際に、千羽鶴#ソビエト連邦などに鶴 (歌)の出だしの翻訳があるのが改めて気になったので質問させていただきます。この曲はen:Zhuravliのように英語版ウィキペディアなどでは出だしの翻訳等が記載されているのですが、日本語版ウィキペディアでは歌詞の翻訳や、出だしの翻訳は記載可能でしょうか?--MawaruNeko(会話) 2022年6月8日 (水) 16:21 (UTC)
すみません、自分でも質問をよく説明できていなかったので整理しました。
- 他言語版だとフェアユースが認められる可能性など、jawpと運用が異なるため、他言語版に歌詞が載っているからといって、著作権の有無を確認せずに、それをjawpに転載してはいけない、という認識で正しいでしょうか?
- 今回の『鶴』の場合も、作詞者ラスール・ガムザートフが亡くなってから70年経っていないので、jawpでは著作権の保護の対象内、という認識で正しいでしょうか?
- 著作権で保護される歌詞は、(著者の許可があるなど特別な場合を除いて)引用以外の方式でjawpに歌詞を記入してはならない、という認識ですが、歌詞の(編集者による)翻訳も記入してはならないのでしょうか?
- 歌詞以外の記事の内容が十分に多く、記事の説明の都合上、歌詞の必要性が特に高い場合に限って、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に従い、最低限の歌詞を引用し、その翻訳を提示することができる、という認識で正しいでしょうか?
- 歌詞の概略の説明であれば記入してもよい、という認識で正しいでしょうか?
- (追加) WP:NOTLYRICS、WP:COPYLINKでは、著作権が保護されている歌詞を記載しているWebサイトにリンクしないように、とありますが、リンク先が分量・内容・形式などで、歌詞を「引用」しているとみなせる場合は、リンクしても大丈夫でしょうか?
よろしくお願いいたします。--MawaruNeko(会話) 2022年6月10日 (金) 15:12 (UTC)
- こちらの著作権と引用の5条件! 動画や歌詞を掲載する場合の注意点とは?を見た限りでは、冒頭だけですので、歌詞も著作権法の引用における「主従」を満たせば引用可能と考えます。ノート:千羽鶴では長い議論になっていますが、この提議が、何としてでもウクライナでは鶴に死を想起させる用法がある事を除き去りたいという意図ではないと願うばかりです。--道知辺(会話) 2022年6月12日 (日) 16:54 (UTC)
- コメント 以下は私が認識している著作権の見解を述べます。他の方のコメントとは異なることを述べることがあります。また、私は著作権の専門家ではありませんのでご了承ください。
- 1については著作権は必ず確認した方がいいでしょう。他言語版での記述が著作者侵害の虞が無いとは言い切れません。
- 2は端的に言うとその認識で正しいでしょう。翻訳物は二次的著作物と言い、原典とは別の権利が認められていますが、創作の際には原典の著作者に許諾を得る必要があります[1]。また、ロシア連邦の著作権の保護期間は著作者死亡から70年間です[2]。作詞者ラスール・ガムザートフさんは2003年に亡くなっているため、2073年まで保護されています。つまり、著作者が権利を放棄している場合、原典の著作者の許諾がある場合を除いて、日本語の翻訳物でも日本語版ウィキペディアには2073年まで記述できないことになります。また、日本語版ウィキペディアのサーバはアメリカ合衆国にありますので、アメリカ合衆国の法令にも従う必要があることも留意しなければなりません(Wikipedia:アメリカ合衆国以外の国と地域で公表された著作物の著作権について)。
- 3については翻訳でも歌詞は記入してはいけません。理由は2と同様です。
- 4はその認識で正しいでしょう。なお、千羽鶴#ソビエト連邦に書かれている日本語訳ですが、節の記述のほとんどを占めていて、歌詞を記述する必然性が低く、1番の半分ほどを書いている(これは冒頭のみではないでしょう)ところを見るに、正当な引用であると言うには微妙ではないかと思っています。千羽鶴#ロシア連邦も同様です。
- 5は歌詞を解説したものであれば問題ないでしょう。
- 6はそれで大丈夫だと思います。ただしそのリンクするサイトがWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#日本の著作権法に書かれている7つの要件をすべて満たしていることを確認する必要があります。
- 長くなりましたが以上です。--鐵の時代(会話) 2022年6月13日 (月) 12:32 (UTC)
- 返信 まず、自分の中で混乱があって、最初の質問が変なものになってしまい、分かりにくいタイトルになったことについてお詫び申し上げます。
- 移行作業中に、当該節に歌詞があるのが気になり、jawpでは歌詞の記載にかなり慎重だったという記憶があったので、移行する前に井戸端で歌詞の翻訳の記載について確認しておきたかったというのが本件で質問させていただいた経緯となります。
- 返信 (道知辺さん宛) 移行作業前に記事を読んだときは、ご指摘の通り引用と言えるのではないかと思ったのですが、移行作業で改めて読み返したときに、
「歌詞」のように、...(中略)...比較的短い著作物を引用する場合は、特に慎重にならなければなりません。
(Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#「引用の要件」以外に注意すべきことより引用)や尚、引用については法的に正当なものであってもウィキペディアにおいて認められるとは必ずしも言えません。
(Wikipedia:著作権#他人の著作物を使うときより引用)が気になり、さらに過去の議論では、Wikipedia:井戸端/過去ログ/2004年5月#歌詞を載せずに歌詞の特徴に触れたいやWikipedia‐ノート:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針 oldid=36548811#歌詞について、同oldid=36548811#引用の必然性に関する判例の有無についてなどが気になり、さらに自分の中でも混乱があって、結局歌詞の引用の可否がよく分からなくなったというのが本件となります。- なお、今回の歌はウクライナではなくロシアの歌ですが、ツル#鶴_(歌)に「戦場で命を散らした兵士たちが白い鶴に姿を変えたという内容」と、概略の形できちんと記載(移行)させていただいておりますので、ご安心いただければと思います。
- 返信 (鐵の時代さん宛) 感謝 ご丁寧にありがとうございます。とても分かりやすい解説でした。特に4と5に関しては、要約引用の問題から、歌詞の概略よりも、きちんと歌詞を引用した方が安全ではないかという考えもよぎったため、他の方の意見が聞けて良かったです。--MawaruNeko(会話) 2022年6月13日 (月) 14:35 (UTC)
返信 MawaruNekoさんとは千羽鶴をめぐり果てしない議論をしなければいけなくなっていて正直、苦痛ですし明日も仕事なので取り急ぎ、英語の歌詞を引用するのはまずい、といったお二方の意見が現実の日本社会では通用しそうにない、という実例を紹介します。式辞に歌詞使用、著作権料を請求 京大HP掲載でJASRACだったものが結局、ボブ・ディランの歌詞掲載となりました。平成29年度学部入学式 式辞を見ますと、ボブ・ディランの歌詞が合計、10行引用されています。風に吹かれて (ボブ・ディランの曲)の記事の下部に張られているリンクから歌詞を見ると、曲は3番まであって、1番あたり8行です。学長は歌の順番通りに式辞で引用したわけではありませんが、分量的には1番全部と、さらに1/4程を引用したことになります。行数で計算すると、全曲の41.6%になります。
いっぽう私が英語版から訳したru:Журавли (песня)ですが、歌詞のリンクは、張ってないようですが、av:ХъахӀал къункъраби#ХІужжабиにはリンクが張ってありまして、全体で24行ですね。そのうちの4行を訳しましたから、全曲の16.7%になります。JASRACが引用と認めた京大の式辞に比べると、私が曲から引用した割合はずっと低いです。
鐵の時代さんは「歌詞を記述する必然性が低く」とのご意見ですが、京大の式辞を見ますと、常識にとらわれない自由な発想について演説する場面でボブディランの歌を引用していますが、常識にとらわれない自由な発想について演説するのであれば「歌詞を記述する必然性は皆無」ですね。ボブディランの曲を引き合いに出さずとも説明可能ですから。それでも、JASRACは、いったんは著作料を求めたものの、後に引用であると認めました。鐵の時代さんやMawaruNekoさんは、”JASRACは権利請求できた筈のものを、著作権を知らず専門家も居ないから誤判断したのだ”とでも主張なさいますか? 私は、JASRACは鐵の時代さんやMawaruNekoさんと違い、著作権はプロだと思いますが、ご異論がありますか? JASRAC以上にプロだと言うなら、その証明を求めます。
oldid=36548811#引用の必然性に関する判例の有無についてを見まして、先人達が積み上げてきたのが今のWikipediaなんだなと思いましたが、後進として、時代に合わせて内容をアップデートすべきではないでしょうか。現在では、必然性は絶対条件ではなくなっています。中山信弘『著作権法』第3版 p.403 及びその前後をご覧ください。読んで理解する気が無いのでしたら、必然性の議論をしても無駄ですので、これ以上は述べません。
矛盾しているかのような主張ですが、アヴァル語やロシア語の『鶴』の歌詞には、兵士が死ぬと鶴になるという考えがあることを説明するのに、必要不可欠と思われますが、お二人揃って必然性がないと主張するのは不思議ですね。歌詞を全く引用しないで、どうやって歌詞に兵士が死ぬと鶴になるという考えがあると示せるというのでしょうか。
さて、やっと本題です。最初、著作権上の問題があるというなら、削除依頼なり、著作権の調査依頼をする場所に提起すべきで「なぜあえて井戸端に?」と疑問だったのですが、なんとなく
- これは質問の体裁を取っているが、実際には質問ではない。
- 米国のフェアユースを訳せば著作権侵害だ、という主張がしたいようだ。あまり見かけない主張ではないか。(日米露ともベルヌ条約加盟国な筈だから日本では日本の著作権だけを考えればいい筈)
- 私が鶴 (歌)に転記する事をノートで提案していたので、歌詞を鶴 (歌)に載せないようにするのが本当の目的だろう。
- 削除依頼には出せないのだろう。存続となると困るから。
- 著作権問題調査依頼に出さないのも、ここだと著作権を知っている人が見やすいし、侵害だと思うなら削除依頼に出すように言われるので、それも避けたいようだ。
あたりは、ノート:千羽鶴における非常に長い議論の末にパターンが読めるようになっていたのですが、でもあえて井戸端に出した理由そのものはわからなかったのですが、
- ツル#鶴_(歌)に「戦場で命を散らした兵士たちが白い鶴に姿を変えたという内容」と、概略の形できちんと記載(移行)させていただいておりますので、ご安心いただければと思います。
を見て「これか!」と思い、また、ツル#鶴_(歌)で、
スラブ文化で死者がツルなどの渡り鳥に姿を変えるという伝承に基づいて、戦場で命を散らした兵士たちが白い鶴に姿を変えた
のように、完全に無出典で書かれていたので「やはりそうか!」と思いました。ウクライナ語の鶴の歌に関し、Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかで、出典の厳密性を厳しく追求しているMawaruNekoさんが、自分はロシア語の鶴の歌に、無出典で兵が死ぬと鶴になる旨を書く事はあり得ず、これは最初からの「作戦」で、いずれ無出典だからと消すための布石だなと。歌詞が引用できなければ、無出典ですから。
フェアユースのくだりも、正面から論じるのではなく、歴史修正主義が好んで使うような、著作権的にまずいのではないか、との疑念を抱かせ、削除依頼で白黒はっきりさせるのは避けつつ、しかし歌詞をツル#鶴_(歌)に転記させるのは阻止する、という目的でしょうね。著作権的に問題があると指摘するなら、「匂わせ」ではなく、削除依頼に出して白黒はっきりさせるべきでは? --道知辺(会話) 2022年6月18日 (土) 13:11 (UTC)
尚、引用については法的に正当なものであってもウィキペディアにおいて認められるとは必ずしも言えません。
(Wikipedia:著作権#他人の著作物を使うときより引用)とすでに述べた通り、ウィキペディアは著作権法で規定されたルールよりも厳しめに引用の要件を設けています。JASRACが請求しなかったからとか中山信弘先生の本で必然性が絶対条件じゃなくなったから、引用は(日本の著作権)法的に正当なものであるということまでは言えますが、だからといってウィキペディアにおいて認められるとは必ずしも言えません。さらに、歌詞はそこでも明言されている通り、特に取り扱いに慎重になるべきものです。- Wikipediaの場合、単に内容を発信するだけでなく、内容をGFDLで配布するということになっていますので、予防法務的に、「こんなケースもあったから大丈夫、ギリギリを攻めよう」ではなく、ある程度の安全バッファを持っておくのは非常識的な行動ではないと思います。
- 日本の著作権法的に、必然性が絶対条件じゃなくなっており、ある程度必然性に拘束されずに引用したいのであれば、まず行うべきはWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の変更の提案でしょう。この試験段階の方針に「必然性」が必要だと書いてあるのに、中山先生が日本語版Wikipediaの法務担当者であるというならば別ですが、仮に中山先生の本に必然性は絶対条件じゃないと書いてあったところで、直ちに日本語版Wikipediaでの引用の要件に必然性は絶対条件じゃないというのは論理の飛躍に思えます。
- 道知辺さんが「なんとなく」の後ろに書かれた5項目の箇条書きに関して
- 1つ目: 違います。御覧の通り質問です。
- 2つ目: 語弊があるので明確にすると、「著作物Aを、米国でフェアユースによりAの作者に無断で著作物Bに含め、(Bの作者の許可だけ取って)そのBをAを含んだままAの作者に無断で日本向けに日本語訳すると、日本の著作権法違反になりうる場合がある」という話であればそれは同意します。なお、上で自分が述べたのはさらに限定がかかっていて、「英語版Wikipediaでは(本当に向こうの方針で認められているのかどうかは知りませんが)フェアユースで記載可能な記述が含まれている可能性があるから、それをそのまま著作権などを確認せずに日本語版Wikipediaに翻訳転載すると、日本語版Wikipediaの方針に違反する可能性がある(か?)」という話です。
- 3つ目: 歌詞は日本語版Wikipediaの引用の要件を満たすかどうか疑義があるため、「本当の目的だろう。」というところは否認しますが、日本語版Wikipediaの引用の要件を満たさない形で歌詞を鶴 (歌)に載せようというのであれば反対します。
- 4つ目: 削除依頼を出さないのは、ノート:千羽鶴#2022/06/09の転記作業についてに書いた通り、「違反状態が軽微であると認められる場合」に該当するのではないかと考えているからです。
- 5つ目: 著作権問題調査依頼には出すことを考えていませんでしたが、なんなら出しますか?
- ツル#鶴_(歌)が無出典状態なのは、道知辺さんが千羽鶴#ソビエト連邦千羽鶴#ロシアを無出典で書かれたのを移行したからですね。MawaruNekoは「2022年6月7日 (火) 15:56 (UTC) = 2022年6月8日 (水) 00:56 (JST)までに反対がなければ、転記作業を始めたいと思います。」差分と予告して、MawaruNekoが移行作業を始めたのは2022-06-08T13:59:03Z(Special:Diff/89781560/89916816)だったわけですが、2022-06-08T13:59:03Zに「ソビエト連邦」と「ロシア」は移行しておらず2022-06-08T14:52:14Zに道知辺さんが「「ソビエト連邦」と「ロシア」は鶴 (歌)に移すべきと思います。」差分と発言されたとはいえ、既に移行作業の途中だったわけで、2022-06-08T15:59:00Zに当該節を無出典でツルに移したわけです。これを消すための「作戦」呼ばわりされるのはあまり快いものではないですね。
- あと、「Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかで、出典の厳密性を厳しく追求しているMawaruNekoさん」とありますが、そうなのですか?ノート:千羽鶴にも書いた通り、そのWikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかで、道知辺さんが「YouTubeは出典にならない」(差分)とおっしゃるのに対して、「道知辺さんの書かれた節が無出典とならないよう、最大限動画を出典として解釈させていただいた」と書いたMawaruNekoの方がルーズに見えますが?
そんなことより、道知辺さんは--MawaruNeko(会話) 2022年6月18日 (土) 15:42 (UTC) --MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:04 (UTC) 打消し線いっぽう私が英語版から訳したru:Журавли (песня)ですが
(差分)とおっしゃっていますが、英語版ウェキペディアのen:Zhuravliに記述された、英語に翻訳された歌詞を、さらに日本語版ウェキペディアに翻訳して記述されたのでしょうか?また、範囲は、ラスール・ガムザートフの原詩と、ロシア語の詩両方でしょうか?当該の歌詞が書かれた差分の要約欄は「改定」だけとなっておりますが。
(補足) 質問 道知辺さんの--MawaruNeko(会話) 2022年6月18日 (土) 15:56 (UTC) --MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:04 (UTC) 打消し線いっぽう私が英語版から訳したru:Журавли (песня)ですが
(差分)について、この2つは大きな違いがあるのですが、当該記事の2つの歌詞は、「英語版ウィキペディアの翻訳を参考にして、道知辺さんが元の歌詞から翻訳した」のでしょうか?それとも「英語版ウィキペディアの翻訳をさらに翻訳した」のでしょうか?- 当該の版より前のこちらの差分の要約に記載されていらっしゃいましたね。失礼いたしました。具体的な歌詞の内容についての議論がありますので、それはノート:千羽鶴#『鶴』の歌詞についてに書かせていただきます。 --MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:04 (UTC)