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「マルコによる福音書」の版間の差分

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'''マルコによる福音書'''(希: Κατά Μάρκον Ευαγγέλιον、羅:Incipit Evangelium Secundum Marcam。マルコ伝福音書、マルコの福音書、マルコに因る聖福音)は、[[新約聖書]]中の一書で、また、四つの[[福音書]]中で最も早く成立した。作者は不明。パレスチナ出身のユダヤ人説、パレスチナを知らない非ユダヤ人説がある。伝統的に[[マルコ (福音記者)|マルコ]]([[使徒行伝]] 12:12 他)に帰属されているが、その可能性もある。[[ギリシア語]]が拙く、母語ではないが、[[ヘレニスト]]のグループに属していたかもしれない。
'''マルコによる福音書'''(希: Κατά Μάρκον Ευαγγέλιον、羅:Incipit Evangelium Secundum Marcam。マルコ伝福音書、マルコの福音書、マルコに因る聖福音)は、[[新約聖書]]中の一書で、また、四つの[[福音書]]中で最も早く成立した。作者は不明。パレスチナ出身のユダヤ人説、パレスチナを知らない非ユダヤ人説がある。伝統的に[[マルコ (福音記者)|マルコ]]([[使徒行伝]] 12:12 他)に帰属されているが、その可能性もある。[[ギリシア語]]が拙く、母語ではないが、[[ヘレニスト]]のグループに属していたかもしれない。


執筆の年代は、上限が[[40年|紀元40年]]代、下限は、エルサレム神殿の崩壊([[70年]])を知らないので、70年前後。神殿崩壊を知っており、それ以後とする学者も少数いる(13章他)(現在では70年以降とする研究者が多数となった)。執筆地は、ギリシア、小アジア、ローマ、ガリラヤなどの説がある。
執筆の年代は、上限が[[40年|紀元40年]]代、下限は、エルサレム神殿の崩壊([[70年]])を知らないので、70年前後。神殿崩壊を知っており、それ以後とする学者も少数いる(13章他)。執筆地は、ギリシア、小アジア、ローマ、ガリラヤなどの説がある。


早い時期の写本では、女たちがイエスの墓を訪れた場面で終わっており(16:8)、それ以降は後世の加筆あるいは失われた部分が早い時期に発見されて加えられた部分と考えられる。
早い時期の写本では、女たちがイエスの墓を訪れた場面で終わっており(16:8)、それ以降は後世の加筆と考えられる。


==成立の背景と影響==
==成立の背景と影響==
<!--その知識の独占により高い権威を誇った。一方、ヘレニストには直弟子はおらず、そのために新たな権威を作る必要性を感じていたのだろう。彼らはイエスの言行を編集・文書化し権威を作り出そうと試みた。この福音書の存在そのものが、優れて反エルサレム教会的であったかもしれない。(?)ここまで言えるか?でっち上げであるそのような事実を証言するものはまったくない-->
(?)エルサレム共同体と決裂したヘレニストのグループは、独自の道を歩まなければならなかった。その頃、直接の[[イエス・キリスト|イエス]]の言葉を知っていた弟子は、その知識の独占により高い権威を誇った。一方、ヘレニストには直弟子はおらず、そのために新たな権威を作る必要性を感じていたのだろう。彼らはイエスの言行を編集・文書化し権威を作り出そうと試みた。この福音書の存在そのものが、優れて反エルサレム教会的であったかもしれない。(?)<!--ここまで言えるか?-->


[[マタイによる福音書|マタイ伝]]、[[ルカによる福音書|ルカ伝]]、[[ヨハネによる福音書|ヨハネ伝]]の福音書は、執筆時にマルコ伝を参照している。このことは、マルコ伝がある程度に権威のあるものとして流布していたことを示す。一方で、マルコ伝を自由に改変していることは、まだこの福音書が不可侵の権威を持ってはいなかったことを意味する。
マルコによる福音書は事実を非常に簡潔に書いているため、他の福音書の独自の取材を付け加える事で共観福音書が生まれたのであろう(二資料仮説による)。[[マタイによる福音書|マタイ伝]]、[[ルカによる福音書|ルカ伝]]、[[ヨハネによる福音書|ヨハネ伝]]の福音書は、執筆時にマルコ伝を参照している(ヨハネによる福音書著者がマルコ福音書を知っていたかという問題は研究者の間でも判断が分かれている)。マルコ伝に限らず福音書本文中に登場する人物で公人以外に名前の出る人たちは初期の教会のメンバーであったと言われている(推測に過ぎないが、もしかすると何らかの史実に遡るかもしれない)。イエスに心の思いを見透かされた人の記事等当の本人にしか知り得ない出来事であり、彼らに対するインタビューによって書かれた部分が確実に存在する(研究者の間ではこの見解は否定的。個々の物語は民間伝承又は原始教団による創作であるとする観方が強い。登場人物の内面は物語における創作であろう)。また彼らは集会において体験談を証し(あかし)していたであろう事は十分に推測できる。しかしヨハネによる福音書は独自色が強く現れている(黙示録に通ずるものがある)


[[2世紀]]以降、正統派教会内では、一段価値の低い福音書として扱われた。
尚、福音書記事から史的イエスに遡ることは出来ないことは研究者の間でほぼ一致している。ただし、「歴史」をどのように記述できるか(歴史哲学の問題である)という点で議論が分かれることは言うまでもない。

[[2世紀]]以降、正統派教会内では、一段価値の低い福音書として扱われた。これはマルコ福音書が、[[マタイによる福音書|マタイ伝]]又は[[ルカによる福音書|ルカ伝]]の要約であると考えられていたためである。マルコ福音書がもっとも古い福音書だとされたのは所謂二資料説仮説に基づく(現在でもこの仮説への反論は散見する)。しかし、この仮説によって最も古いマルコ福音書こそ史的イエスについのて情報が保存されているのではないかとの期待が高まり、研究が盛んに行なわれた。この点からマルコ福音書の価値は高まったと言えよう。しかしマルコ福音書も神学的動機から描かれたものであって、当時の人々の「信仰のイエス」像を顕にするとしても史的イエスには遡れないとの観方は、先にも述べたように、研究者の間で一般的なものとなっている。


==特徴==
==特徴==
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# 受難と復活
# 受難と復活


マルコ福音書には至るところに弟子批判が見えるが、(8:17、8:33、10:14他)、これはエルサレム教会(イエスの弟子がその中心にあった)に対するあからさまな批判に読める。

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*[[マタイによる福音書]]
*[[ルカによる福音書]]
*[[ヨハネによる福音書]]
*[[聖書の登場人物の一覧]]
[[Category:新約聖書|まるこによるふくいんしょ]]


[[de:Evangelium nach Markus]]
[[de:Evangelium nach Markus]]

2005年3月12日 (土) 13:47時点における版

マルコによる福音書(希: Κατά Μάρκον Ευαγγέλιον、羅:Incipit Evangelium Secundum Marcam。マルコ伝福音書、マルコの福音書、マルコに因る聖福音)は、新約聖書中の一書で、また、四つの福音書中で最も早く成立した。作者は不明。パレスチナ出身のユダヤ人説、パレスチナを知らない非ユダヤ人説がある。伝統的にマルコ使徒行伝 12:12 他)に帰属されているが、その可能性もある。ギリシア語が拙く、母語ではないが、ヘレニストのグループに属していたかもしれない。

執筆の年代は、上限が紀元40年代、下限は、エルサレム神殿の崩壊(70年)を知らないので、70年前後。神殿崩壊を知っており、それ以後とする学者も少数いる(13章他)。執筆地は、ギリシア、小アジア、ローマ、ガリラヤなどの説がある。

早い時期の写本では、女たちがイエスの墓を訪れた場面で終わっており(16:8)、それ以降は後世の加筆と考えられる。

成立の背景と影響

(?)エルサレム共同体と決裂したヘレニストのグループは、独自の道を歩まなければならなかった。その頃、直接のイエスの言葉を知っていた弟子は、その知識の独占により高い権威を誇った。一方、ヘレニストには直弟子はおらず、そのために新たな権威を作る必要性を感じていたのだろう。彼らはイエスの言行を編集・文書化し権威を作り出そうと試みた。この福音書の存在そのものが、優れて反エルサレム教会的であったかもしれない。(?)

マタイ伝ルカ伝ヨハネ伝の福音書は、執筆時にマルコ伝を参照している。このことは、マルコ伝がある程度に権威のあるものとして流布していたことを示す。一方で、マルコ伝を自由に改変していることは、まだこの福音書が不可侵の権威を持ってはいなかったことを意味する。

2世紀以降、正統派教会内では、一段価値の低い福音書として扱われた。

特徴

他の福音書に比べて短く、形式が簡潔で物語性が強い。イエスの誕生物語はなく、洗礼者ヨハネによる説教と洗礼から始まる。以下の4部の構成に分けられる。

  1. 宣教以前
  2. ガリラヤにおける説教と癒しの2年間
  3. エルサレムへの旅を含めた3年目の活動
  4. 受難と復活

マルコ福音書には至るところに弟子批判が見えるが、(8:17、8:33、10:14他)、これはエルサレム教会(イエスの弟子がその中心にあった)に対するあからさまな批判に読める。