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「ノート:オリガ (キエフ大公妃)」の版間の差分

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Kliment.A.K. (会話 | 投稿記録)
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Kliment.A.K. (会話 | 投稿記録)
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:ですから何度も申しておりますが高校の「世界史教科書」を御覧下さい。ここは「日本語ウィキペディア」なんですよ。ウクライナ語文献を沢山引張って来られても、「日本での通説」「手に入る日本語文献」からかけ離れたものが示されても、日本人がチンプンカンプンになるのは当たり前じゃないですか。勿論、貴方の研究成果が将来に実りをみせて、日本における通説が変更されればそれはそれで大変結構な事だと思いますが、現時点ではそうじゃない。そういう態度が「無礼」じゃないと思える貴方の価値観が不可解でしょうがありません。
:ですから何度も申しておりますが高校の「世界史教科書」を御覧下さい。ここは「日本語ウィキペディア」なんですよ。ウクライナ語文献を沢山引張って来られても、「日本での通説」「手に入る日本語文献」からかけ離れたものが示されても、日本人がチンプンカンプンになるのは当たり前じゃないですか。勿論、貴方の研究成果が将来に実りをみせて、日本における通説が変更されればそれはそれで大変結構な事だと思いますが、現時点ではそうじゃない。そういう態度が「無礼」じゃないと思える貴方の価値観が不可解でしょうがありません。
--[[User:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2007年11月17日 (土) 16:35 (UTC)
--[[User:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2007年11月17日 (土) 16:35 (UTC)

問題となっている部分を削除して、問題を解決した上で、書き加えたほうが当たりまえなことだと思います。Kliment A.Kさんは自分の論を強制的に押し進めているから、問題をおこしている部分を何度も削除しなければならくなります。記事を問題の前の状態にもどすためです。--[[画像:AlexKwappen.svg|27px|]] [[利用者:Alex K|'''<span style='color: #0E3494'>''Alex K''</span> ''']] 2007年11月17日 (土) 16:45 (UTC)

:それからどうも貴方は誤解され切っているようですが、私の書いた脚注を全て読みましたか?「この頃には東西教会の分裂が確定していなかったという見解も有力である」と書いた筈なんですが…そこも削除されましたよね?貴方は、ご自分と見解が異なっていない部分も纏めて消去しているのです。そこが、私の根源的な不信の原因です。--[[User:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2007年11月17日 (土) 16:43 (UTC)

:私の書いた内容を引用しましょう。
:>この時期(10世紀)は、[[東西教会の分裂]]の象徴的年代とされる[[1054年]]より以前の事であり、オリガは「正教会から洗礼を受けた」というよりは「キリスト教の洗礼を受けた」というべきだとする見解も有力である。
:この記述のどこに問題があったのですか?--[[User:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2007年11月17日 (土) 16:44 (UTC)

:>Kliment A.Kさんは自分の論を強制的に押し進めているから
:「自分の論」ではありません。「通説」です。これを小生が「自分の論」などと言ったら、山川出版社が怒りますよ(苦笑)。「自分の論」を進めているのはAlex Kさんです。少なくとも日本においては。そこは、自覚して下さい。その上で説得なさる(教えて下さる)と仰るのなら、せめて英語文献と日本語文献でお願いします。--[[User:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2007年11月17日 (土) 16:52 (UTC)

:それから、小生の正教会への思いいれは否定致しませんが、別にロシアにだけ思いいれがある訳では毛頭、御座いません。Alex Kさんには期待もしているのです。正直なところ、小生は現在のロシア史研究論壇のソ連史への偏りに疑問を感じております。カウンターとしてのウクライナ史観は是非とも日本に必要だと思っております。それだけに、現状、日本におけるルーシ研究が「ロシア史観」をベースに作られている事の重みと現実を知って頂きたい。それが問題だという位の事は小生も存じております。ですが小生も「ロシア史観」をベースにしたものしか手にする事が出来ませんし、いくら「それは偏っている!」と言われても、検証出来ない事には変わりありません。
:もちろん、「通説だけを書け」などと乱暴な事は申しません。せめて「私の論(というのも恥ずかしいくらいの日本における通説)」と「Alex Kさんの仰る世界的通説」の「両論併記にしたらいかがですか」と申しているのです。
--[[User:Kliment.A.K.|Kliment A.K.]] 2007年11月17日 (土) 16:59 (UTC)

2007年11月17日 (土) 16:59時点における版

事実関係を書く事がAlex Kさんには「正教会至上主義」なんですか?世界史教科書でも何でも御覧下さい。私の書いている内容よりもずっとはっきりと「ギリシャ正教受容のはじまり」とされていますよ。通説とのバランスも考慮して下さい。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 15:28 (UTC)[返信]

「正教至上主義」のことです。ルーシの宗教史では「正教」しか見えないと主義のことです。オリガはギリシアで洗礼を受けたと言われているが、それは「正教」の始まりというよりも「キリスト教」の始まりと言ったほうが適切だと思います。オリガはギリシアの宣教師だけでなく、ドイツの宣教師もキエフに招いていたことが知られております。ですから、「ギリシャ正教受容のはじまり」はウソです。キリスト教受容の始まりのことです。10世紀ー11世紀のルーシの大公達はギリシア人の坊主が気にする「東西教会の差異」にあまり興味が示しなかったのです(例外はともかく)。彼らは「信仰」より「政治の利益」を大事にしていたようです。その故、ときにはギリシアに、ときにはローマに顔を向けていたのです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 15:53 (UTC)[返信]
>ギリシア人の坊主が気にする「東西教会の差異」
誤りです。ローマ人聖職者も「東西教会の差異」を気にしていました。スラヴ語典礼が許可されるかどうかがローマ・カトリックに於いて危うかった歴史を、スラヴ系の方なら御存知でしょう。それから、「ギリシャ人の坊主」などという時点で中傷が含まれています。解っていて日本語お使いになっていますか?
>ときにはローマに顔を向けていたのです。
そういう事例は存じております(もしそれが無ければ、小生も「キリスト教(正教会)」ではなく単に「正教会」と書いています、9世紀頃から両教会の違いは既に表れていたのですから)。
でしたらそういう例外的事例について書き加えられたらいかがでしょう?別に小生はそれには反対しません。
但し、あくまで例外的事象として捉えるべきであり、そう記述するべきでしょう。キエフ・ルーシが正教国となっていた事は間違いないのですから(少なくともそれが通説です)。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:01 (UTC)[返信]
ところで、カトリック教会でもオリガは亜使徒の称号をもっていらっしゃるのです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:02 (UTC)[返信]
>ところで、カトリック教会でもオリガは亜使徒の称号をもっていらっしゃるのです。
存じております。書き加えればいいではないですか。なぜ「事実を消去」するのですか?「書き加える」であれば私も反対しませんよ。
しかし、議論の最中にまた「削除」なさるとは…なるほど、議論しても無駄な方だということはよくわかりました。歴史的事実についても記述する事を許さないという訳ですね。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:04 (UTC)[返信]

>スラヴ語典礼が許可されるかどうか

ロシア帝国の研究史の作り話です。ローマの坊主は布教が許されていたら、スラヴ語典礼は問題にしなかったのです。例は、スビャトポルク公、イジャスラヴ公、ダヌィーロ公。。。現代の研究史を御参考に-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:07 (UTC)[返信]

>但し、あくまで例外的事象として捉えるべきであり...云々

これこそが:「正教至上主義」です。正教でなければ、例外!「平家にあらずんば、人に有らず」というシリーズからですね。:)-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:10 (UTC)[返信]

>これこそが:「正教至上主義」です。正教でなければ、例外!「平家にあらずんば、人に有らず」というシリーズからですね。:)
何を笑っているのです?気色悪いですけれど…
「キエフ・ルーシが正教国」になった事の歴史的きっかけを記述する事が「平家にあらずんば、人に有らず」?
>ロシア帝国の研究史の作り話です。
何を勘違いされているか判りませんが、私が申しているのはモラヴィア伝道以来の歴史です。結果的にはローマは認可する訳ですが、ローマがスラヴ語に難色を示したなどというのは「通説」です。申し訳ありませんが強制的に削除を繰り返す得体の知れないウクライナ人よりも、通説の方に説得力を感じるのですよ。私は権威主義者でも何でもありませんが、話を聞くかどうかは相手の態度によります。貴方は最初から無礼であり、少数説を外国で広める事について無神経過ぎます。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:12 (UTC)[返信]

そうですか?しかし、Kliment A.K.さんは無礼のはあなたではないでしょうか。このノート:聖ソフィア大聖堂 (キエフ)で始めてあってから、ずっと私を責めて入るようです。偏見だととか、OO主義者だとかいいて。。。通説だというなら、出典を明らかにしなさい。「正教」を中心とした独自研究にしか見えません。その上、ロシア語・ウクライナ語を知らないまま、ルーシの宗教史をやらないほうがいいと思いますよ。史料も、資料も読めないですから。東西の分裂はルーシに響いてきたのはヤロスラヴ一世の子孫の時代のころであった、オリガ・ヴォロデメルのころではありません (それはどこの歴史書にもかいております。当然よめないでしょうが。。。)。ルーシ史をはじめ、世界史は正教を中心とした歴史ではないんです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:28 (UTC)[返信]

>そうですか?しかし、Kliment A.K.さんは無礼のはあなたではないでしょうか。このノート:聖ソフィア大聖堂 (キエフ)で始めてあってから、ずっと私を責めて入るようです。

責められるだけの行動をなさっていたとお考え下さい。いきなり削除、そして議論の最中に「このようにいたそ」(←非常に日本語的には無礼な言辞です)として勝手にカテゴリを変更したのは貴方ではなかったですか?
>東西の分裂はルーシに響いてきたのはヤロスラヴ一世の子孫の時代のころであった、オリガ・ヴォロデメルのころではありません (それはどこの歴史書にもかいております。当然よめないでしょうが。。。)。
ですから何度も申しておりますが高校の「世界史教科書」を御覧下さい。ここは「日本語ウィキペディア」なんですよ。ウクライナ語文献を沢山引張って来られても、「日本での通説」「手に入る日本語文献」からかけ離れたものが示されても、日本人がチンプンカンプンになるのは当たり前じゃないですか。勿論、貴方の研究成果が将来に実りをみせて、日本における通説が変更されればそれはそれで大変結構な事だと思いますが、現時点ではそうじゃない。そういう態度が「無礼」じゃないと思える貴方の価値観が不可解でしょうがありません。

--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

問題となっている部分を削除して、問題を解決した上で、書き加えたほうが当たりまえなことだと思います。Kliment A.Kさんは自分の論を強制的に押し進めているから、問題をおこしている部分を何度も削除しなければならくなります。記事を問題の前の状態にもどすためです。-- Alex K 2007年11月17日 (土) 16:45 (UTC)[返信]

それからどうも貴方は誤解され切っているようですが、私の書いた脚注を全て読みましたか?「この頃には東西教会の分裂が確定していなかったという見解も有力である」と書いた筈なんですが…そこも削除されましたよね?貴方は、ご自分と見解が異なっていない部分も纏めて消去しているのです。そこが、私の根源的な不信の原因です。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:43 (UTC)[返信]
私の書いた内容を引用しましょう。
>この時期(10世紀)は、東西教会の分裂の象徴的年代とされる1054年より以前の事であり、オリガは「正教会から洗礼を受けた」というよりは「キリスト教の洗礼を受けた」というべきだとする見解も有力である。
この記述のどこに問題があったのですか?--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:44 (UTC)[返信]
>Kliment A.Kさんは自分の論を強制的に押し進めているから
「自分の論」ではありません。「通説」です。これを小生が「自分の論」などと言ったら、山川出版社が怒りますよ(苦笑)。「自分の論」を進めているのはAlex Kさんです。少なくとも日本においては。そこは、自覚して下さい。その上で説得なさる(教えて下さる)と仰るのなら、せめて英語文献と日本語文献でお願いします。--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:52 (UTC)[返信]
それから、小生の正教会への思いいれは否定致しませんが、別にロシアにだけ思いいれがある訳では毛頭、御座いません。Alex Kさんには期待もしているのです。正直なところ、小生は現在のロシア史研究論壇のソ連史への偏りに疑問を感じております。カウンターとしてのウクライナ史観は是非とも日本に必要だと思っております。それだけに、現状、日本におけるルーシ研究が「ロシア史観」をベースに作られている事の重みと現実を知って頂きたい。それが問題だという位の事は小生も存じております。ですが小生も「ロシア史観」をベースにしたものしか手にする事が出来ませんし、いくら「それは偏っている!」と言われても、検証出来ない事には変わりありません。
もちろん、「通説だけを書け」などと乱暴な事は申しません。せめて「私の論(というのも恥ずかしいくらいの日本における通説)」と「Alex Kさんの仰る世界的通説」の「両論併記にしたらいかがですか」と申しているのです。

--Kliment A.K. 2007年11月17日 (土) 16:59 (UTC)[返信]