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「JR福知山線脱線事故」の版間の差分

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2005年4月29日 (金) 02:56時点における版

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ファイル:乗り物 007.01.jpg
JR西日本207系同型車両-JR徳庵駅にて撮影

JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年4月25日午前9時18分頃にJR西日本福知山線(JR宝塚線)塚口駅尼崎駅間で発生した死者100名を越す列車脱線大事故である。

事故概要

事故は、JR福知山線の兵庫県尼崎市久々知のR300のカーブ区間(塚口駅の南約1km、尼崎駅の手前約1.4km地点)で発生した。事故の列車は宝塚同志社前JR片町線(JR学研都市線))行きの上り快速電車207系0・1000番台、7両編成、5418M列車)である。列車の前5両が脱線し、先頭2両は線路横の9階建てマンションに激突し、原形をとどめない形で大破した。

事故の犠牲者数は、JR民営化以来過去最悪で、運転士を含め死者106人、負傷者461人(現時点判明数)。事故の規模は、戦後の旧国鉄時代を含めると三河島事故に次ぐ大惨事になった。

事故車両は4両編成と途中の京田辺駅で切離す予定だった3両編成を連結した7両編成で運転していた。後部の3両編成は前部の4両編成よりあとに製造された車両であったため、非常ブレーキを作動させる前5秒間の速度を記録する「モニター制御装置」を装備していたことがわかっている。航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、前から5両目(後部3両編成の先頭車両)に時速108kmのスピードが記録されていた。

脱線時、事故車両の1両目は左に傾きながら壁を破壊しマンション1階部分の立体駐車場へと突入、駐車していた乗用車にも衝突した。ガソリン漏れが確認され、引火を避けるためにバーナーや電動カッターを用いることができずに救助作業は難航する。また、2両目はマンション外壁部に車体側面から叩きつけられる状態で3両目が追突し建物に巻き着くような形で大破した。救助作業は、3両目から順に車両を解体する作業を伴い、昼夜を問わず24時間続けられ、3日後の4月28日に終了した。

同マンションには42世帯が居住していたが、当初衝突によるマンションの倒壊のリスクをさけるため、JRの用意したホテルなどへと順次避難した。

海外の反響

この事故は、海外でも大きな反響を集め、各国の報道機関が報道している他、シラクフランス大統領、フィッシャードイツ外務大臣、ライスアメリカ国務長官、王毅中国大使も日本政府に弔意を表明した。

原因

現在、兵庫県警及び航空・鉄道事故調査委員会による事故原因の解明が進められている最中である。 はっきりとした原因については、現時点では未だ不明である。航空・鉄道事故調査委員会によれば、原因については複合的の可能性があるという。

線路置石説

当初の予想であった「置き石」は事実上、否定された。当初、「置き石」があった証拠として挙げられた、レール上の「粉砕痕」は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果によりその成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んで出来たものと考えるのが自然である」との見解が出されたためである。

列車速度超過説

速度の記録から、現場の制限速度を大幅に越えた走行をしていたことが判明している。

事故を起こした列車は、前の停車駅である伊丹駅で約40メートルオーバーランしたため、伊丹駅を1分30秒遅れで発車していた。運転手がその遅れを遅れを取り戻そうと制限速度を越えた可能性がある。

航空・鉄道事故調査委員会の調査によると、現場のカーブは半径300メートルで「在来線の中でもかなり急なカーブ」としているが、現場付近に設置されている自動列車停止装置 (ATS-Sw) は最も古いタイプのもので、列車が赤信号で駅に進入しようとする場合のみ作動すると言う仕組みになっていたという。またカーブは半径300mだったため、このカーブには脱線防止のガードはなかった。

速度超過から脱線に至る原因は大きく2つの説がある。

せり上がり脱線

運転士がカーブ手前でそれに気づき非常ブレーキをかけたために、車輪のフランジとレールとの間で非常に強い摩擦力が起きたため車輪のロックが発生し、2000年3月に発生した「日比谷線事故」と同じような、車輪がせり上がって脱線する「せり上がり脱線」が起こり、事故がおきたという見方もある。

横転脱線説

またあるところでは、せり上がり脱線ではなく、上記に示したとおり「非常ブレーキ」の使用によって列車のバランスが崩れ、進行方向(尼崎方面)向かって右側の車輪が浮き上がり、そのまま左側に倒れ込んだ「横転脱線」ではないか、とする見方もある(4月28日現在、この説が有力といわれている)。

事故の間接的要因

同事故においては多くの問題点が指摘された。

事故列車の乗務員

  • 運転歴11ヵ月の運転士であったことから、運転技術や勤務姿勢が未熟であったのではないかとする点。(厳密には、「未熟な運転士の運転歴が11ヶ月だった」と言うべきであろう。それは、運転歴11ヶ月以下の運転士が常に死傷事故を起している訳ではないからである。
  • 伊丹駅での40mオーバーランについて、運転士と車掌が共謀し、当初8mのオーバーランと過少申告した点。
  • 尼崎駅で神戸方面からの列車と相互連絡するため、約2分のダイヤの遅れを取り戻そうとしていたとみられる点。

路線の設備

  • 事故発生現場のカーブ(半径308メートル)では、脱線防止ガードが設置されていなかった点。
  • 通勤・通学に利用される都市近郊路線であるにもかかわらず、自動列車停止装置にはATS-SWが利用されていた点。
  • 事故発生現場のカーブ(半径308メートル)での緩和曲線長が短い(高速運転を実行するために設計されていない)ため、制限速度が5キロ少ない(半径308メートルでは通常制限速度は75キロ)点。
  • 過去の線路付け替えで、曲線半径が小さくなった点。

車両

  • 7両編成の前編成(4両)と後ろ編成(3両)の形式が異なり、最高速度などの性能に若干の差がある点。
  • 使用している台車が空気バネタイプであり、ねじれに弱く、日比谷線事故の車両で使用されていたタイプと同じである点。

JR西日本の経営姿勢

  • JR福知山線は、阪急電鉄宝塚線と路線競合しており、他の競合する路線対抗策と同様に、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げ、守られない場合には乗務員に厳しい処分を科していたとされる点。
  • 過密ダイヤであったにもかかわらず、十分なダウンタイムが考慮されていない点。
  • スピードアップによる所要時間減や運転本数増加など見かけのサービスや利益を優先し、安全対策を怠っていたと考えられる点。
  • 当該運転士は過去に運転ミスなどで3回処分を受けていたが、懲罰のみを与えていただけで、再発防止の教育を行っていなかった点。

路線の周辺環境

  • 線路と事故列車の激突したマンションとの距離が6mに満たなかった点。(海外のマスメディアは事故当初にこの点について強く指摘していた)
  • 当該マンションは最近5年以内に立てられたものという。
  • 都会の土地・住宅事情によりこれらの場所は多数存在し、仕方がない点があるということ。

関連項目

外部リンク