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「和泉川 (東京都)」の版間の差分

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2008年3月24日 (月) 13:28時点における版

神田川笹塚支流(かんだがわささづかしりゅう)は、東京都渋谷区を流れる神田川の支流である。

名称について

神田川笹塚支流と言う名前は通称であり、川としての名称は和泉川。現在の川[1]は、「昔からあった和泉川に玉川上水の助水(幡ヶ谷分水)を併せたもの」となっている。因みに、和泉川は神田川の支流の中では知名度が低く、戦前に編纂された中野区の歴史書[2]にこの名前が登場するだけとなっている。なお、取水口から環状七号線[3]の側まで玉川上水とは逆に西に向かって流れていた事から、地元では逆さ川とも呼ばれていた。

歴史

大元の和泉川は幡ヶ谷で農業を営む者の生命線的存在であったが、その河川としての規模の小ささから玉川上水が通水されると、可也早い時期に分水設置が許可される事となった。但し、その規模は可也小さなもので、取水口のサイズは名刺2枚程度と玉川上水の分水としては最小であった。それでも地元にとっては重要だった様で、1898年に玉川上水新水路建設により廃止となった分水を、湧き水と偽装する事で現役続行させた程であった。この偽装工作は可也凝ったもので、地元の弁財天を偽装の為に作られた湧き水の側に持ってくると言うものであった。この偽装工作は、幡ヶ谷の市街化で農業用水としての存在理由が無くなり自然消滅するまで続いた。なお、偽装に使われた弁財天であるが、湧き水消滅後は本来の場所に戻されたそうである。

脚注

  1. ^ 尤も、生き残っている部分は全て暗渠となっている。
  2. ^ 意外にも、現存している流域の大半を占める渋谷区の歴史書には、名前すら紹介されていない。
  3. ^ 無論、開設時には環状七号線は存在していない。

関連項目