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「イエス」と「キリスト」は、元来まったく別個の概念である。日本語の「'''イエス'''」の元々の形であるギリシア語のイエースース(Ιησους <i>Iēsous</i>)は、アラム語イェーシュア(ישוע <i>Yeshua'</i>)に由来する。これはヘブライ語のヨシュア(イェホーシューア יהושע <i>Yehoshua'</i>)の短縮形で、「[[ヤハヴェ|ヤハウェ]]は救い」を意味し、当時のユダヤ社会では普通に見られる名前であった。一方「'''キリスト'''」(Χριστος Christos)とは[[ユダヤ教]]の王・祭司、転じて救済者を表す[[メシア]](原義・膏注がれた者)を[[ギリシア語]]に意訳した語で、本来は普通名詞であった(「[[キリスト]]」の項参照)。 |
「イエス」と「キリスト」は、元来まったく別個の概念である。日本語の「'''イエス'''」の元々の形であるギリシア語のイエースース(Ιησους <i>Iēsous</i>)は、アラム語イェーシュア(ישוע <i>Yeshua'</i>)に由来する。これはヘブライ語のヨシュア(イェホーシューア יהושע <i>Yehoshua'</i>)の短縮形で、「[[ヤハヴェ|ヤハウェ(エホバ)]]は救い」を意味し、当時のユダヤ社会では普通に見られる名前であった。一方「'''キリスト'''」(Χριστος Christos)とは[[ユダヤ教]]の王・祭司、転じて救済者を表す[[メシア]](原義・膏注がれた者)を[[ギリシア語]]に意訳した語で、本来は普通名詞であった(「[[キリスト]]」の項参照)。 |
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従って、「'''イエス・キリスト'''」とは「救済者としてのイエス」を意味し、厳密に言えばキリスト教徒のみに意味のある言葉であるはずであり、歴史上の人間としての指す場合は、「イエス」と呼ぶのが本来的である。しかしながら歴史的に見ると、「キリスト」は「イエス」の別称的なものとして用いられており、これはすでにパウロ書簡に見出される。非キリスト教徒である[[タキトゥス]]や[[スエトニウス]]などといった古代ローマの歴史家たちは、「キリスト」を固有名詞とし捉えているが、この慣習は現代の西洋諸国はもちろん、日本にまで及ぶ。 |
従って、「'''イエス・キリスト'''」とは「救済者としてのイエス」を意味し、厳密に言えばキリスト教徒のみに意味のある言葉であるはずであり、歴史上の人間としての指す場合は、「イエス」と呼ぶのが本来的である。しかしながら歴史的に見ると、「キリスト」は「イエス」の別称的なものとして用いられており、これはすでにパウロ書簡に見出される。非キリスト教徒である[[タキトゥス]]や[[スエトニウス]]などといった古代ローマの歴史家たちは、「キリスト」を固有名詞とし捉えているが、この慣習は現代の西洋諸国はもちろん、日本にまで及ぶ。 |
2004年2月16日 (月) 12:12時点における版
イエス・キリストは、1世紀前半、パレスチナのガリラヤ地方を中心として、後にキリスト教と呼ばれるようになる宗教の基盤を用意した人物である。キリスト教徒によれば、彼は神から人の世に使わされた救世主(メシア)であり、十字架刑によって一度死んだが、死後三日目に復活したという。「イエス」はイエズス、耶蘇、イーサー、「キリスト」はクリスト、基督、ハリストスとも表記される。
イエス・キリスト、ハギア・ソフィア、イスタンブール、12世紀
「イエス」と「キリスト」は、元来まったく別個の概念である。日本語の「イエス」の元々の形であるギリシア語のイエースース(Ιησους Iēsous)は、アラム語イェーシュア(ישוע Yeshua')に由来する。これはヘブライ語のヨシュア(イェホーシューア יהושע Yehoshua')の短縮形で、「ヤハウェ(エホバ)は救い」を意味し、当時のユダヤ社会では普通に見られる名前であった。一方「キリスト」(Χριστος Christos)とはユダヤ教の王・祭司、転じて救済者を表すメシア(原義・膏注がれた者)をギリシア語に意訳した語で、本来は普通名詞であった(「キリスト」の項参照)。
従って、「イエス・キリスト」とは「救済者としてのイエス」を意味し、厳密に言えばキリスト教徒のみに意味のある言葉であるはずであり、歴史上の人間としての指す場合は、「イエス」と呼ぶのが本来的である。しかしながら歴史的に見ると、「キリスト」は「イエス」の別称的なものとして用いられており、これはすでにパウロ書簡に見出される。非キリスト教徒であるタキトゥスやスエトニウスなどといった古代ローマの歴史家たちは、「キリスト」を固有名詞とし捉えているが、この慣習は現代の西洋諸国はもちろん、日本にまで及ぶ。
(「キリスト教」が、特にユダヤ戦争(66-70年)後の混乱期の中でユダヤ教から分岐していった以上、イエスがイスラム教開祖のムハンマドとは異なり、キリスト教の開祖としての意識を持っていたとは考えがたいが、彼が自らをメシアと意識していたか否かに関しては、議論は分かれている。キリスト教徒からの視点にイエス・キリストは、救世主イエス・キリストを見よ)
時代的背景
史的イエス
生涯
弟子や信仰者によって神格化されていったイエスに対して、近代に入り、科学的精神や歴史主義の興隆の中で、またキリスト教を純化しようとする宗教的思惑から、より史的な観点からイエスを見ていこうとする動きが見られた。このイエス像を信仰上のイエスと区別して、史的イエス(英:historical Jesus)という。
そもそもイエスという人間は本当に実在したのだろうか。19世紀から20世紀前半にかけての一部の史家は、聖書内に描かれているイエス像が現実性を欠くことや、また、福音書や外典のイエス伝が、大部分で相互に矛盾するといったことを理由に、イエスの実在を否定した。
実際、イエスの実在を確証する史料は、ほぼ無いに等しい。今日、キリスト教における最古の史料は新約聖書内のパウロの真筆書簡であるが、パウロは直接イエスを知っていたわけではない。またそのことは、新約の全文書の作者にも言えることである。キリスト教外の文書では、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』やタキトゥスの『年代記』等のごく一部にイエスに関する記述があるが、いずれもキリスト教徒を介してのものであり、そのまま明証として扱うわけにはいかない。
今日では、初期キリスト教の形成において、その始点に強大なエネルギーを想定しなければ理解し難いため、学問上ではほぼ誰もがイエスの実在を認めている。
史的イエスについての生涯についても、殆ど何もわかっていない。イエスという名の男がいたこと、その男がガリラヤ周辺で宣教をおこなっていたこと、そして処刑されたこと、ほぼ確実に言えるのはこの程度である。
一般に、イエスの生年は紀元前7~4年頃とされているが、これはマタイによる福音書の、イエスがヘロデ王の治世(紀元前37年~紀元前4年)の末期に生まれたからという記述から推定されているものである(2章。しかし、マタイのこの伝承を事実とする積極的な根拠はない。キリストの降誕参照)。父はヨセフ、母はミリアム(マリア)という名前であったことは、エルサレム教団にイエスの親族がいたことを思えば、信用しても良いのかもしれない。イエスの幼少時代はルカのみが伝えるが、これは史実としては認められていない。
四福音書のいずれにも、洗礼者ヨハネに洗礼(またはバプテスマ)を受けたことが記述され、また何度もヨハネに対する優位が強調されていることから、イエスは当初ヨハネの運動に参加しており、その弟子であった可能性は高い。ヨハネは世捨て人のような存在で、その隠者的な生活から、エッセネ派との関係が指摘される。異なるのは、エッセネ派が完全に民衆から離れた生活を送っていたのに対し、ヨハネは民衆に説教をしていたということである。
イエスはヨハネともさらに異なる。エッセネ派の出身と考える学者もいるが、賛同は得られていない。ヨハネはヨルダン川のほとりに留まり、そこを訪れたものに対して説教をしたが、イエスは自分の足で方々を歩き回り、教えと癒しをしてまわったのである。加えて、生前のイエスのおこないに対する悪評を伝えている可能性のある一句、「大食で大酒飲」(マタイ 11:19)はエッセネ派の厳格主義と大きく異なっているといえる。
イエスの没年は、当時のユダヤ総督ポンテオ・ピラト(ポンティウス・ピラトゥス)の在位が、紀元26~36年であること、それに前述したイエスの生年の上限が紀元前4年であること、またイエスが30歳ごろに宣教を始めたというルカの記述(3章 23節)等から総合的に判断して、紀元30年前後と考えられる。伝道の期間は1~3年ほどという、非常に短い期間だったと思われる。十字架刑であったことも、四福音書内の伝承の性格から見て、極めて確度が高いといえるようである。
思想
史的イエスの思想を考えるには、まず、福音書中に記述されているイエスが語ったとされる言葉から、真正なイエス語録を抜き出す作業が必要であるが、これは学術的に断定は不可能で、いづれも推量の域を出ない状態にある。比較的近年までは、イエスの思想の核を終末論と捉える解釈が多数派であった。即ち、次のようなものである ── いまや、神の国の到来は近い。(マタイ 4:17)その時、人は裁かれ、善人は神の国に入り、悪人はゲヘナ(地獄)に処される。(マタイ 10:28)お前たちは神の国に入れるよう、善く生きよ ── この場合、イエスの「敵を愛せ」(マタイ 5:44)であるとか「人を裁くな」(ルカ 6:37)といった倫理的な教えは、この天の国へ入ることを目的とする、その具体的方法・手段と考えられる。
一方、1980年代以降、終末論をイエスの思想の核とは考えず、イエスを犬儒学派的な知恵の教師とみなす研究者も現れ、一定数を占めるようになった。・・・・・・
新約聖書とイエス
新約聖書は、伝統的にイエスの言行を弟子たちが記録したものだといわれている。かれがもたらしたさまざまな「奇跡」が、彼がキリスト教において「救世主」「神の子」とみなされる大きな理由にもなっている。
さらに、キリスト教においてかれが「救世主」と見なされ通常の預言者と一線を画するもう一つの理由は、かれが神(「主」)と人々との間にかわされた「契約」を「更改」したことによる。
ユダヤ教においては律法を守ることが絶対視されるが、キリスト教にでは律法を守らなかった者にも罪からの救いがあるとされる。これはイエスがみずからの身を十字架にかけることにより「贖罪(罪をあがなうこと)」を全人類のために果たしてくれたから、とキリスト教では教えているのである。 そしてキリスト教では、「律法」の書であるユダヤ教の「聖書」を『旧約聖書』と呼び、イエスの「贖罪の業」を記した新しい契約の書を『新約聖書』と呼んでいる。
なお、イエスのおこないに以上のような意味を与えた後世の(少なくとも十二使徒以降の)人びとにより興された宗教こそがキリスト教であり、イエス自身は自分をユダヤ教徒(あるいはユダヤ教の「主」の教えを忠実に守る者)と見なしていた可能性がある。
イエス伝承
四福音書からのイエスの伝記の再構成は、19世紀間に様々に議論された問題だが、今日では、文書の記述の齟齬・矛盾から、不可能であると結論付けられている。たとえば、マリアの懐胎とイエスの降誕・幼少期は、マタイによる福音書とルカによる福音書のみに記述されているが、父ヨセフの出身地や受胎告知の地も、そして天使の顕現の様も双方で異なり、またエジプト逃避や続く嬰児虐殺も、マタイ伝には記述があるがルカ伝にはなく、後者ではベツレヘムを発ち、ただちにガリラヤに移住したとされている。このように、イエス伝の詳細な記述は誤解を生むだけなので、ここではその素描をするに留める。各エピソードの詳細は、それぞれ独立の項目で扱うことにする。
ヨセフの許婚であったマリアは、ヨセフを知る以前に聖霊により身ごもった。(受胎告知、処女懐胎 (処女降誕) 参照) ヨセフはマリアを娶り、男の子が生まれ、その子をイエスと名づける。(降誕、マギの礼拝、 神殿奉献 、エジプト逃避 参照)イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカ伝によれば、大変聡明な子であったという。(イエスの幼少時代 参照)
その頃、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで改悛を説き、そのしるしとして洗礼(またはバプテスマ)を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼(またはバプテスマ)を受ける。(キリストの受洗 参照) そののち、霊によって荒れ野に送り出され、そこで四十日間断食し、また悪魔の誘惑を受けた。(荒野の誘惑参照)
荒野での試練を終えた後、イエスは、ガリラヤで宣教をはじめた。宣教活動のなかで、弟子を集め、ルカによれば、そのなかでも優れた12人の弟子を選び、特権を与えた。かれらは十二使徒と呼ばれる。(山上の垂訓 参照) 様々の地域で布教活動をした後、エルサレムに赴く。(エルサレム入城、キリストの変容 参照)
神の子、またはメシアを偽ったとされ、ユダヤ社会の裁判にかけられた後、ローマ体制側に引き渡され、磔刑に処せられた。(最後の晩餐、キリストの捕縛、キリストの磔刑 参照) その後、十字架からおろされ埋葬されたが(キリストの墓 参照)、その3日後に復活し、弟子たちの前に現れた。(キリストの復活 参照)
イエスの位置付け
キリスト教ではイエスをキリストであると考えるが、イエスの神を巡る位置づけに対しては、教派によって考えが異なる。多くのキリスト教会では、三位一体説を支持し、「父なる神」「子なるキリスト」、「聖霊」の三位格は本質において同一のものであると考えるが、三位一体説を退け、キリストに神性を認めない教会もある。
イエスは、キリスト教の他にいくつかの宗教においても、なんらかの役割を果たしている。
ユダヤ教では、イエスをメシア(=キリスト)とは認めておらず、また預言者でもないとする。メシアはいまだ現れていないとし、その来臨を待望している。
キリスト教と同じく起源をユダヤ教に持つイスラム教では、イエスは偉大な預言者の一人になっており、処女降誕も神のおこなった奇跡のひとつとして認められている。しかし、神や神の子としては認められていない。イエスは磔にはあっておらず、磔の直前に神により天に引き上げられたとする。唯一神教であるイスラム教においては、神は絶対にただ一つであり、キリスト教の三位一体の教義(前述)は唯一神教を逸脱しており、偶像崇拝と非難される。イエス・キリストに神性を認めず、イエスを預言者(ナビー、神の言葉を預かった人)とする。イスラム教における預言者とはあくまでも人間であり、崇拝の対象ではない。崇拝すべきなのは神だけであるとする(したがって、預言者ムハンマドを崇拝することも許されない)。
インドを起源とする宗教関係の一部では、イエスを光明を得た存在の一人として扱っている場合がある。紀元前数千年の以前から光明を得るための実験や実践がなされてきた。インドのヒンドゥー教につながる伝統では、誰でもが光明を得る可能性があるとしている。この場合、仏教のゴータマ・シッダッタ、ジャイナ教のマハヴィーラなども光明を得た存在の一人とされる。
ニューエイジの一部でも、同様にイエスを光明を得た存在として他の光明を得た存在と同じレベルで扱う場合もある。
関連項目
英語でイエス・キリストを意味する「ジーザス・クライスト Jesus Christ」は日常的に良く登場する語で、何かのトラブルや事故があったり、驚くようなことがあった時に、"Jesus!"とか"Jesu Christ!"といったように使われる。日本語では「やれやれ!」「なんてこった!」「ああ、どうしよう!?」といった意味であるが、決して品の良い言葉ではない。