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「三枚舌外交」の版間の差分

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2008年11月6日 (木) 08:18 (UTC)にrevert。三枚舌外交をパレスチナ問題以外にも問題が及ぶことを明記して単独記事にする。
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'''三枚舌外交'''(さんまいじたがいこう)とは[[イギリス]]の[[第一次世界大戦]]後の中東問題をめぐる外交政策のこと。
#REDIRECT [[パレスチナ問題#イギリスの三枚舌外交]]

==三つの協定==
イギリスは第一次世界大戦中に戦後の中東問題に対して、以下の三つの秘密協定を結んでいた。それぞれ、[[アラブ]]・[[フランス]]・[[ユダヤ]]に配慮した内容であった。

*1915年10月 [[フサイン=マクマホン協定]](中東のアラブ独立)
*1916年5月 [[サイクス・ピコ協定]](英仏による中東分割)
*1917年11月 [[バルフォア宣言]](パレスチナにおけるユダヤ民族居住地建設)

===フサイン=マクマホン協定===
[[マッカ]](メッカ)の太守である[[フサイン・イブン・アリー (マッカのシャリーフ)|フサイン・イブン・アリー]]とイギリスの駐エジプト高等弁務官[[ヘンリー・マクマホン]]との間でやりとりされた書簡。オスマントルコ支配下における[[アラブ人]]居住地の独立支持を約束した。

イギリスはアラブ独立を約束させることによって[[アラブ反乱]]をさせてアラブをイギリス陣営に引き込み、トルコと戦わせることを目的とした。

===サイクス・ピコ協定===
イギリス、フランス、[[ロシア]]の間で結ばれた秘密協定。イギリスの中東専門家[[マーク・サイクス]]とフランスの外交官[[フランソワ・ジョルジュ=ピコ]]によって原案が作成された。

オスマントルコの領土を
*シリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区をフランスの勢力範囲
*シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲
*パレスチナを国際管理下
とすることを規定していた。

イギリスは事実上の同盟国で大国であるフランスの利益を重んじることを目的としていた。

===バルフォア宣言===
1917年11月、イギリスの外務大臣[[アーサー・ジェームズ・バルフォア]]が、イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーである[[ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド]]卿に対して送った書簡で表明された[[シオニズム]]政策。内容はパレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設である。

イギリスはパレスチナにおけるユダヤに配慮することによって、ユダヤから戦争資金を引き出すことが目的であった。

==三協定の解釈==
===文言の解釈===
この協定が相互矛盾を引き起こしていたとしてイギリスの謀略外交と批判されている。しかし、三つの協定自体は文言を吟味すると殆ど矛盾はしていない。

;フサイン=マクマホン協定とサイクス・ピコ協定
:フサイン=マクマホン協定でサイクス・ピコ協定ではイギリス庇護の下でアラブ独立をすることとして、またサイクス・ピコ協定でフランス勢力下とされたレバノンとシリアの大部分にはフサイン=マクマホン協定でアラブ人国家の範囲には含まれていなかった。ただ、ダマスカス近辺においてフランス勢力下なのかアラブ勢力下なのか矛盾する部分が存在した。

;サイクス・ピコ協定とバルフォア宣言
:サイクス・ピコ協定はパレスチナを国際管理とすることを規定しているが、バルフォア宣言はユダヤ国家の建設ではなくユダヤ人居住地の建設を明記している。パレスチナにおける国際管理とユダヤ人居住地の確立は矛盾しない。

;バルフォア宣言とフサイン=マクマホン協定
:フサイン=マクマホン協定ではアラブはエルサレムの行政権を除くパレスチナ地域に関心を示していない。またバルフォア宣言では「先住民の権利を侵害しないことが前提」という旨が明記されている。

===相手方から見たイギリスの不誠実===
上記の通り三協定は文言では殆ど矛盾がないが、この秘密外交を知らなかった相手側にとっては複雑で不可解なものとしてイギリスは非難を浴びた。

;アラブ側
:アラブ側の中にはフサイン=マクマホン協定でのアラブの独立はイラクを含めたアラブ統一独立国家を模索しており、イギリス庇護の下で独立するとは考えていない者もいた。またイギリスがシリア南部と南メソポタミアを事実上支配するサイクス・ピコ協定を知らされていなかった。そのため、アラブ側は自身が想定していたより小さい範囲でしか統治できず、イギリス側へ不快感を生じさせた。

;ユダヤ側
:ユダヤ側から見れば、バルフォア宣言でエルサレル市を含めたパレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設がイギリスによって支援されると考えていた。確かに文言では「ユダヤ民族居住地建設」となっているが、それではユダヤの悲願であるパレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設は達成されない。また、サイクス・ピコ協定ではパレスチナを国際管理すること、フサイン=マクマホン協定を結んだ[[フサイン・イブン・アリー]]もエルサレル市の行政権を主張していることは、パレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設の障害になるものであった。

なお、三枚舌外交は[[第二次世界大戦]]後に[[イスラエル]]が建国されたことによる[[パレスチナ問題]]が大きく注目されるが、三枚舌外交はアラブにとってシリア南部と南メソポタミアなどにも影響が及んでおり、パレスチナ地域だけの問題ではない。

==関連項目==
*[[イギリス]]
*[[パレスチナ問題]]

[[Category:イギリスの歴史|さんまいしたかいこう]]

2008年11月14日 (金) 14:21時点における版

三枚舌外交(さんまいじたがいこう)とはイギリス第一次世界大戦後の中東問題をめぐる外交政策のこと。

三つの協定

イギリスは第一次世界大戦中に戦後の中東問題に対して、以下の三つの秘密協定を結んでいた。それぞれ、アラブフランスユダヤに配慮した内容であった。

フサイン=マクマホン協定

マッカ(メッカ)の太守であるフサイン・イブン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間でやりとりされた書簡。オスマントルコ支配下におけるアラブ人居住地の独立支持を約束した。

イギリスはアラブ独立を約束させることによってアラブ反乱をさせてアラブをイギリス陣営に引き込み、トルコと戦わせることを目的とした。

サイクス・ピコ協定

イギリス、フランス、ロシアの間で結ばれた秘密協定。イギリスの中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコによって原案が作成された。

オスマントルコの領土を

  • シリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区をフランスの勢力範囲
  • シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲
  • パレスチナを国際管理下

とすることを規定していた。

イギリスは事実上の同盟国で大国であるフランスの利益を重んじることを目的としていた。

バルフォア宣言

1917年11月、イギリスの外務大臣アーサー・ジェームズ・バルフォアが、イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に対して送った書簡で表明されたシオニズム政策。内容はパレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設である。

イギリスはパレスチナにおけるユダヤに配慮することによって、ユダヤから戦争資金を引き出すことが目的であった。

三協定の解釈

文言の解釈

この協定が相互矛盾を引き起こしていたとしてイギリスの謀略外交と批判されている。しかし、三つの協定自体は文言を吟味すると殆ど矛盾はしていない。

フサイン=マクマホン協定とサイクス・ピコ協定
フサイン=マクマホン協定でサイクス・ピコ協定ではイギリス庇護の下でアラブ独立をすることとして、またサイクス・ピコ協定でフランス勢力下とされたレバノンとシリアの大部分にはフサイン=マクマホン協定でアラブ人国家の範囲には含まれていなかった。ただ、ダマスカス近辺においてフランス勢力下なのかアラブ勢力下なのか矛盾する部分が存在した。
サイクス・ピコ協定とバルフォア宣言
サイクス・ピコ協定はパレスチナを国際管理とすることを規定しているが、バルフォア宣言はユダヤ国家の建設ではなくユダヤ人居住地の建設を明記している。パレスチナにおける国際管理とユダヤ人居住地の確立は矛盾しない。
バルフォア宣言とフサイン=マクマホン協定
フサイン=マクマホン協定ではアラブはエルサレムの行政権を除くパレスチナ地域に関心を示していない。またバルフォア宣言では「先住民の権利を侵害しないことが前提」という旨が明記されている。

相手方から見たイギリスの不誠実

上記の通り三協定は文言では殆ど矛盾がないが、この秘密外交を知らなかった相手側にとっては複雑で不可解なものとしてイギリスは非難を浴びた。

アラブ側
アラブ側の中にはフサイン=マクマホン協定でのアラブの独立はイラクを含めたアラブ統一独立国家を模索しており、イギリス庇護の下で独立するとは考えていない者もいた。またイギリスがシリア南部と南メソポタミアを事実上支配するサイクス・ピコ協定を知らされていなかった。そのため、アラブ側は自身が想定していたより小さい範囲でしか統治できず、イギリス側へ不快感を生じさせた。
ユダヤ側
ユダヤ側から見れば、バルフォア宣言でエルサレル市を含めたパレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設がイギリスによって支援されると考えていた。確かに文言では「ユダヤ民族居住地建設」となっているが、それではユダヤの悲願であるパレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設は達成されない。また、サイクス・ピコ協定ではパレスチナを国際管理すること、フサイン=マクマホン協定を結んだフサイン・イブン・アリーもエルサレル市の行政権を主張していることは、パレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設の障害になるものであった。

なお、三枚舌外交は第二次世界大戦後にイスラエルが建国されたことによるパレスチナ問題が大きく注目されるが、三枚舌外交はアラブにとってシリア南部と南メソポタミアなどにも影響が及んでおり、パレスチナ地域だけの問題ではない。

関連項目