「カーネル・サンダース」の版間の差分
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'''ハーランド・デーヴィッド・サンダース'''('''Harland David Sanders'''、[[1890年]][[9月9日]] - [[1980年]][[12月16日]])は、[[ケンタッキーフライドチキン]]の創業者。[[称号]]は[[ケンタッキー・カーネル]]。'''カーネル・サンダース'''として知られている。なおカーネル(英:colonel)というのは名前でも、通常用いられる軍の[[大佐]]の意味でもなく、ケンタッキー・カーネルというケンタッキー州に貢献した人に与えられる名誉称号([[名誉大佐]])である。また、[[フリーメイソン]]のメンバーでもある。 |
'''ハーランド・デーヴィッド・サンダース'''('''Harland David Sanders'''、[[1890年]][[9月9日]] - [[1980年]][[12月16日]])は、[[ケンタッキーフライドチキン]]の創業者。[[称号]]は[[ケンタッキー・カーネル]]。'''カーネル・サンダース'''として知られている。なおカーネル(英:colonel)というのは名前でも、通常用いられる軍の[[大佐]]の意味でもなく、ケンタッキー・カーネルというケンタッキー州に貢献した人に与えられる名誉称号([[名誉大佐]])である。また、[[フリーメイソン]]のメンバーでもある。 |
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=== 「カーネル・サンダースの呪い」 === |
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[[1985年]][[10月16日]]、[[阪神タイガース]](以下阪神)の[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝が決まった際、ファンが道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人の[[ランディ・バース]]に見立て、店員に暴行を加えて制止を聞かずに担ぎ出し、[[胴上げ]]の末[[道頓堀川]]に投げ込んだ。 |
[[1985年]][[10月16日]]、[[阪神タイガース]](以下阪神)の[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝が決まった際、ファンが道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人の[[ランディ・バース]]に見立て、店員に暴行を加えて制止を聞かずに担ぎ出し、[[胴上げ]]の末[[道頓堀川]]に投げ込んだ。 |
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この事件以後、阪神は成績低迷に陥り18年間リーグ優勝から遠ざかったため、これを「'''カーネル・サンダースの呪い'''」(別称「カーネル・サンダース'''像'''の呪い」「カーネル人形の呪い」、あるいは単に「カーネルの呪い」など) |
この事件以後、阪神は成績低迷に陥り18年間リーグ優勝から遠ざかったため、これを「'''カーネル・サンダースの呪い'''」(別称「カーネル・サンダース'''像'''の呪い」「カーネル人形の呪い」、あるいは単に「カーネルの呪い」など)と呼ぶファンがおり、[[都市伝説]]として定着している。 |
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また、阪神は[[1984年]]に[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]1位で競合した[[嶋田章弘]]をクジで引いたのを最後に、その後10回<ref>[[清原和博]]・[[近藤真市|近藤真一]]・[[川島堅]]・[[野茂英雄]]・[[小池秀郎]]・[[松井秀喜]]・[[堂上直倫]]・[[中田翔]]・[[大場翔太]]・[[松本啓二朗]]のクジを全て外し、松本の際は外れ1位で指名した[[藤原紘通]]も外す。ただし、中田の外れ1位で指名した[[高濱卓也]]の交渉権は獲得している。これにより[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]と[[オリックス・バファローズ|オリックス]]以外に競合した選手をさらわれている([[中日ドラゴンズ|中日]]には近藤・堂上の2回、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]に指名された小池は入団を拒否)ことになる。</ref>のドラフト1位指名選手の競合で当たりクジを引いていない。さらに[[1986年]]のバースを最後に阪神からは本塁打王は生まれていない。 |
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なお、当該の像は[[2009年]][[3月10日]]に同川で発見され、日本法人はこれを「おかえり! カーネル」と命名した。 |
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1985年以降、数年に一度の頻度で[[大阪市]]は道頓堀川の川底[[清掃]]作業として、[[船]]を使って[[ヘドロ]]や[[ごみ]]などの除去作業を行っていたが、その際は像を発見できなかった<ref name="asahi090311">「『カーネルの呪い』も解けて、今年は日本一でしょう」 - [http://www.asahi.com/national/update/0311/OSK200903100116.html 1] / [http://www.asahi.com/national/update/0311/OSK200903100116_01.html 2] asahi.com([[朝日新聞]])2009年3月11日 同日閲覧</ref>。1988年3月・4月、[[朝日放送]]のバラエティ番組、[[探偵!ナイトスクープ#探偵が体を張った調査|「探偵!ナイトスクープ」の第1回放送時の依頼]]として、数度に亘って道頓堀川を潜水調査した様子が放送されたが、発見には至らなかった<ref name="asahi090311"/><ref name="f090324">[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]] 2009月3月24日 第1044号『[http://www.bitway.ne.jp/kobunsha/flash/index.html すべては「探偵!ナイトスクープ」から始まった!]』より。</ref><ref name="hochi090312">[http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/gossip/entertainment/news/20090312-OHO1T00111.htm 探偵!ナイトスクープにカーネル人形が“出演] [[スポーツ報知]] 2009年3月12日</ref>。この放送が「カーネル・サンダースの呪い」を広め、都市伝説として定着するきっかけとなった<ref name="asahi090311-tantei"/><ref name="zak090312"/>。 |
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なお、日本法人は2003年の阪神リーグ優勝に際しカーネルのデフォルメキャラとのコラボレーショングッズを近畿地方などの店舗で発売しており、また[[2008年]]3月には阪神の本拠地である[[阪神甲子園球場]]内にケンタッキーフライドチキンが開店し、阪神のタオルと応援メガホンを首にかけたカーネル像も設置された。 |
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[[2002年]]6月14日には[[2002 FIFAワールドカップ]]で[[サッカー日本代表]]が[[チュニジア]]を下したことを祝った一部の[[フーリガン]]が、[[三宮駅|三宮阪急駅前店]]にあったカーネル像を襲った。かねてから店内に避難させていたにもかかわらず誘拐され、投げ飛ばされるなどし手首が折れるなどの損傷を受けた。また、この当時店内にはたまたま[[大阪近鉄バファローズ]](当時)の[[タフィ・ローズ]]が来店中であったため、サッカーファンの仕業である上、ローズに見立てられて襲撃されたと言われることもあった。なお、この事件以降サッカー日本代表はワールドカップ本大会で一度も勝っていないため、一部サッカーファンの間で「これもカーネル・サンダースの呪いのせいだ」という者もいる{{要出典}}。 |
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[[2006年]]夏に公開された映画『[[日本沈没#2006年の映画|日本沈没]]』では、水没後の大阪市街にこのカーネル像が、阪神ユニフォーム着用のまましっかり存在している。 |
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[[2009年]][[3月10日]]、道頓堀川・戎橋下流200~300メートル付近、南側護岸から約5m、水深約2mの川底地点<ref>この地点で見つかった理由として、『道頓堀川には両端に水門があり、通常は潮の干満とともに水が動く程度で、台風など大水の場合を除けば流れがほとんどない』といった地理的要因や、『川底には2メートル前後のヘドロがたまっており、ヘドロの上に“鎮座”した形でほとんど動かなかったものとみられる』という大阪市の調査結果がある(出典:[http://www.sanspo.com/shakai/news/090312/sha0903121325014-n1.htm カーネル人形が流されなかったワケ] [[サンケイスポーツ]] 2009年3月12日、2009年3月14日閲覧、より)。</ref>で、大阪市建設局による水辺整備事業の一環として障害物調査([[不発弾]]の有無確認を最大目的)並びに除去作業を依頼された[[南海辰村建設]]が[[潜水]]作業員を投入し、磁気探査作業中に反応があった川底を調査していたところ、1985年に投げ込まれたとみられるカーネル・サンダース像の上半身が発見され、台船の[[クレーン]]で引き揚げられた<ref name="asahi090311m"/><ref name="asahi090311"/><ref name="sankei090310">[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090310/crm0903101908029-n1.htm カーネルおじさん見つかる! 大阪・道頓堀] [[産経新聞]] 2009年3月10日 同日閲覧</ref><ref name="mai090310">[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090311k0000m040097000c.html?link_id=RAH01 カーネル:24年ぶり「救出」阪神優勝で道頓堀川に] 毎日.jp([[毎日新聞]]) 2009年3月10日、2009年3月11日閲覧</ref><ref name="yomi090310">[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090310-OYT1T01045.htm?from=navr 阪神Vで道頓堀川へ、サンダース人形24年ぶり「救出」] YOMIURI ONLINE([[読売新聞]])2009年3月10日、2009年3月11日閲覧</ref><ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2009031000945 カーネル像、24年ぶり発見=85年の阪神優勝で道頓堀川に -「のろい」解ける?] 時事ドットコム([[時事通信]])2009年3月10日、2009年3月11日閲覧<br/>[http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031001000950.html カーネルおじさん見つかる 85年阪神優勝時のもの?] [[47NEWS]]・[[共同通信]] 2009年3月10日、2009年3月11日閲覧</ref>。 |
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引き上げた作業スタッフたちはこれを[[死体]]と勘違いしたが、すぐにカーネル・サンダース像であることを確認し<ref name="asahi090311"/><ref name="mai090310"/>、[[ヘドロ]]にまみれて[[灰色]]になり[[眼鏡]]や[[手首]]も外れてしまっていたが、原形は留めていた<ref name="sankei090310"/><ref name="yomi090310"/>。翌3月11日にも潜水作業員が引き続き調査したところ、8時53分に[[右手]]、9時頃に[[下半身]]が発見され引き揚げられ、11時25分頃に前日見つかった上半身部分と合体し、同じ像のものと確認された<ref name="asahi090311e">『[[朝日新聞]]』2009年3月11日東京版夕刊、14面</ref><ref name="kahanshin-1">[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009031100433 カーネル像、下半身も発見=上半身と合体 - 大阪] 時事ドットコム(時事通信)2009年3月11日、同日閲覧<br/>[http://www.sanspo.com/shakai/news/090311/sha0903110958011-n1.htm カーネルおじさんの下半身も見つかる…大阪] [[サンケイスポーツ]] 2009年3月11日、同日閲覧</ref><ref name="kahanshin-2">[http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090311023.html カーネル人形の下半身と右手も見つかる] [[スポーツニッポン]] 2009年3月11日、同日閲覧<br/>[http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090311AT5C1100D11032009.html カーネル人形、右手と下半身も発見 大阪・ミナミの道頓堀川] NIKKEI NET([[日本経済新聞]])2009年3月11日、同日閲覧</ref>。 |
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下半身・右手発見後の時点で眼鏡・両足首・左手は紛失状態であり、付近を入念に調査したが発見の可能性が薄い(水没中に破損若しくは流出したものと思料される)ため、同日捜索開始から50分後に作業打ち切りとなった<ref name="kahanshin-1"/><ref name="kahanshin-2"/><ref name="asahi090311-2"/>。 |
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発見された像について日本法人は、2009年3月時点で行方不明の像は無く、外形・発見地点などの要素から当時に投げ込まれた像に間違いない、とコメントしている<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0310/OSK200903100056.html あの!? カーネル・サンダース像見つかる 道頓堀川] asahi.com(朝日新聞)2009年3月10日 2009年3月12日閲覧</ref>。像の処遇について、元来の[[所有権]]は道頓堀店にあったがすでに閉店しているため、日本法人が引き継いだ形で大阪市と協議していたが、同年3月11日に日本法人へ像の返還が決定し<ref name="hikiwatashi-3k090311">[http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090311/trd0903112312019-n1.htm カーネルさん、東京へ?] 産経新聞 2009年3月11日 同日閲覧</ref>、同年3月13日に[[大阪市役所]]にて日本法人社長に引き渡された<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009031300974 カーネル像、ケンタッキー社に = 24年ぶり手元、「大感激」と社長 - 大阪] 時事ドットコム(時事通信)2009年3月13日、2009年3月14日閲覧</ref>。像は[[専門家]]にて[[検査]]と最小限の修復を行い、保管は当面大阪市内の[[警備|警備会社]][[金庫]]となる<ref name="nikkan090314">[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20090314-470960.html カーネル欲しい!カブスびっくりオファー] 日刊スポーツ紙面 2009年3月14日 同日閲覧</ref>。紛失状態の眼鏡は、投げ込まれる以前に掛けていた同型のフレームが1990年前後まで製造を担当していた鯖江市内のメーカーに残存しており、福井県鯖江市と福井県眼鏡協会から日本法人に贈呈される予定<ref name="asahi090313megane"/><ref>[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090314ddm012040024000c.html カーネル・サンダース人形:メガネ新調、おおきに ゆかりの福井・鯖江市が寄贈] 毎日.jp・毎日新聞 東京朝刊 2009年3月14日、同日閲覧</ref><ref>[http://www.sanspo.com/shakai/news/090314/sha0903140504009-n1.htm 鯖江市がカーネルおじさんにメガネ寄贈] サンケイスポーツ 2009年3月14日、同日閲覧</ref>。 |
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日本法人は返還後の像について、この伝説を世に広めるきっかけとなった2009年3月15日放送の[[探偵!ナイトスクープ#特別番組|探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン]]に登場<ref name="zak090312"/><ref name="hochi090312"/>し、その後は[[甲子園球場]]内の店舗にて公開する構想<ref name="asahi090311-2">[http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200903110035.html 下半身も道頓堀川で発見、24年ぶり合体 カーネル像] asahi.com(朝日新聞)2009年3月11日 同日閲覧</ref><ref>2009年3月11日放送『[[めざましテレビ]]』内「これは言わせTEL」コーナーにて日本ケンタッキー・フライド・チキン広報室談。</ref>や2010年春に完成予定の[[阪神甲子園球場#歴史館|甲子園歴史館(仮称)]]に展示する構想がある<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0311/OSK200903110009.html カーネル人形「下半身」も発見 メガネは見つからず] asahi.com(朝日新聞)2009年3月11日 2009年3月12日閲覧</ref>。 |
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1985年当時の阪神タイガース監督であった[[吉田義男]]は「人形が見つかったと聞き、『歴史が終わったな』と感じた。」と語った<ref name="asahi090311m"/><ref name="asahi090311"/>。 |
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その反響から、この出来事を題材としたゲームが配信されたり<ref>[http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20090313mog00m200070000c.html 道頓堀の呪いのおじさん:カーネル題材 川から人形つりあげる携帯ゲーム] 毎日.jp(毎日新聞)2009年3月13日 2009年3月14日閲覧</ref>、[[リグレー・フィールド#山羊の呪い|山羊(ヤギ)の呪い]]・[[シカゴ・カブス#ビリー・ゴートの呪い|ビリー・ゴートの呪い]]と呼ばれる都市伝説がある[[シカゴ・カブス]]からオファー<ref name="nikkan090314"/><ref>[http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009031401000056.html カーネルおじさんどこへ? 争奪戦、本命は甲子園] [[47NEWS]]・[[共同通信]] 2009年3月14日、同日閲覧</ref>など関連した展開が生まれている。 |
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その後、この像は2009年6月25日に、日本法人が実施している「チキン感謝祭」に併せ、NPO「文化財保存支援機構」による修復作業後の姿が[[住吉大社]]で公開され、「おかえり! カーネル」と命名された。同年8月に大阪市内で実施されるイベント「水都大阪2009」での展示が予定されている<ref>[http://japan.kfc.co.jp/news/news090625kfc01.html 日本法人のニュースリリース 2009年6月25日]</ref>。 |
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また、日本法人はこの「おかえり! カーネル」と通常のカーネル像のマスコットをつけた携帯ストラップを同年8月27日から日本国内のケンタッキーフライドチキン店舗で発売する予定である<ref>[http://japan.kfc.co.jp/news/news090625kfc02.html 日本法人のニュースリリース 2009年6月25日]</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2009年8月8日 (土) 02:46時点における版
ハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders、1890年9月9日 - 1980年12月16日)は、ケンタッキーフライドチキンの創業者。称号はケンタッキー・カーネル。カーネル・サンダースとして知られている。なおカーネル(英:colonel)というのは名前でも、通常用いられる軍の大佐の意味でもなく、ケンタッキー・カーネルというケンタッキー州に貢献した人に与えられる名誉称号(名誉大佐)である。また、フリーメイソンのメンバーでもある。
来歴
インディアナ州ヘンリービルに生まれる。6歳の時に父親が亡くなり、幼い弟、妹の世話をさせられる。15歳から社会に出て働き始め、路面電車の車掌を皮切りに、軍隊、消防士、保険外交員、船の仕事、タイヤ売り、ガソリンスタンドなどを経験したが、軍隊では大佐(カーネル)の地位にはなかった。
40歳の時にケンタッキー州のコービンで、ガソリンスタンドの一角を借りて食堂コーナーを始める。店は繁盛し規模を拡大するも、1950年代に入ってから高速道路の開通で客の流れが変わり、店に客が入らなくなる。
そこで、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を回り、その調理法を教えてフランチャイズに加わってもらい、歩合をもらうというアイディア商法を考え出す。これがケンタッキー・フライドチキンの始まりとなる。
既に高齢だった彼は、1964年、74歳になったのを潮時にこの商売の権利をジョン・ブラウン2世に売却、その第一線から退いたが、以後も会社の広告塔として働いた。「カーネル」の呼称は 1935年にケンタッキー州知事から与えられたもので、サンダースはこの呼称を用い、またステレオタイプ的な“南部の紳士”の装いを、セルフプロモーションに利用した。なお、その後は独自の製法が守られているかを見るために各地の店舗を見て回り、日本には3度訪れている。亡くなる前年の1979年に最後に訪日をした。朝日新聞でインタビュー記事を基に、『週刊朝日』「山藤章二のブラック=アングル」がある。
1980年6月に急性白血病を発症し[1]、肺炎を併発して12月16日に逝去[2][3]。90歳だった。なお、ケンタッキー州議会には地元出身の名士として、カーネル・サンダースの胸像が飾られている。これをめぐって、動物愛護活動で知られるヌードモデルで女優のパメラ・アンダーソンが、「ニワトリへの残酷行為の象徴」だとして撤去を求めているが、この要求を真剣に受け取るものはほぼ皆無である。
カーネル・サンダース像
ケンタッキーフライドチキンの店頭にディスプレイされているカーネル・サンダース像(繊維強化プラスチック(FRP)製)は、元々カナダのフランチャイズ店でイベント用に使用されたものが倉庫に放置されているところを、視察に訪れた日本法人の関係者が持ち帰ったものだといわれている。
日本法人が設立された1970年当時はまだファーストフード、フライドチキンの文化が日本に浸透していなかったこともあり、日本の消費者にフライドチキンのおいしさを解ってもらいたいという事と当時紅白の塗装店舗から理容店と間違う客が存在した為、間違い防止も兼ねたPR活動のシンボルとして日本各地でカーネル像がディスプレイされるようになったといわれる。また立体商標登録されている。
像のモデルはカーネルが60歳だったころの等身大モデルで、身長173cm。眼鏡は本物の老眼鏡であり、2000年代中盤以前は福井県鯖江市産、それ以降は中国産となっている[4]。リボンの色は彼の生前と死後では色が変更されている。自身も来日の際この像が気に入ったということもあり、アメリカの総本部にも日本法人提供の像が展示されている。
像そのものが「カーネルおじさん」と呼ばれることがある。
1979年にアジア・オセアニア地域の出店を統括する「KFCインターナショナル 北太平洋地域オフィス」が日本に設立され、日本法人のスタッフがアジア・オセアニア地域の出店に当たっての現地指導に派遣されたことから、その地域に日本から寄贈された像がディスプレイされている。
日本国内各地の店舗で、季節ごとの各種衣装や店舗の地域を代表するスポーツチームのユニフォームを着せられることがあるが、秋葉原店でメイド服を着せたところ、日本法人の要請で中止されたことがある[5]。
「小さく前へ倣え」のようなポーズから、客が入店の際手に何かを持たせることもあり、雨の日には傘がかけられていたり、弓道の弓や釣竿、地域によってはスキーまで持たされていることがある。
長野県小谷村栂池高原スキー場のゴンドラリフト・イヴの作業用ゴンドラには、カーネル像が乗っているものがある。
悪戯が多発し、像が誘拐され交差点の横断歩道前や地下道など街頭に置き去りにされたりした。中には、像を誘拐した者がカーネル・サンダースになりきって盗まれた店舗に電話し、店員が発信元の電話ボックスに急行したところ実際に像がボックス内に立っていたり、個人の自宅の庭先に置き去りにされたりするケースもあった。眼鏡やステッキといった部品単位で盗難される被害も多発した。以後、各店舗のカーネル・サンダース像はボルトやチェーンで固定されている。
「カーネル・サンダースの呪い」
1985年10月16日、阪神タイガース(以下阪神)のセ・リーグ優勝が決まった際、ファンが道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人のランディ・バースに見立て、店員に暴行を加えて制止を聞かずに担ぎ出し、胴上げの末道頓堀川に投げ込んだ。
この事件以後、阪神は成績低迷に陥り18年間リーグ優勝から遠ざかったため、これを「カーネル・サンダースの呪い」(別称「カーネル・サンダース像の呪い」「カーネル人形の呪い」、あるいは単に「カーネルの呪い」など)と呼ぶファンがおり、都市伝説として定着している。
この事件後、道頓堀店から一旦カーネル像は姿を消し1992年に復活したものの、同店は1998年に閉店している。
なお、当該の像は2009年3月10日に同川で発見され、日本法人はこれを「おかえり! カーネル」と命名した。
脚注
- ^ Edith Evans Asbury (1980年12月17日). “Col. Harland Sanders, Founder of Kentucky Fried Chicken, Dies: [Obituary]”. The New York Times: p. A33
- ^ “Milestones”. Time. (1980年12月29日) 2008年5月19日閲覧。
- ^ “Col. Sanders, 90, Dies of Pneumonia”. The Washington Post. (1980年12月17日)
- ^ カーネルさん眼鏡を新調 当時の産地、鯖江市が贈呈へ asahi.com(朝日新聞)2009年3月13日、2009年3月14日閲覧
- ^ アキバHOBBY「カーネル・サンダース 等身大メイドフィギュア?」 2008年4月27日
外部リンク
- カーネル・サンダース物語 KFC Group