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「ニュー・カダンパ・トラディション」の版間の差分

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2010年6月9日 (水) 11:53時点における版

The New Kadampa Tradition ~ International Kadampa Buddhist Union (NKT—IKBU)は、カダム派ゲルク派より引き継がれてきた、アティーシャツォンカパの伝統を継承するとされるチベット仏教団体。 欧米ではNKTとして知られていて、チベット人ラマ、ゲシェ・ケルサン・ギャツオ:(Geshe Kelsang Gyatso)によって1991年にイギリスで創設された国際的な組織。現在、世界の40カ国、200以上のセンターと900程のブランチにおいて、ゲシェ ケルサン ギャツオの指導の元、メディテーションクラスなどが行われている。[1]

デイヴィッド・V・バレット(en:David_V._Barrett(英国の作家で、密教などの宗教を題材としていて、The Independent, Fortean Times, and the Catholic Heraldなどに定期的に記事を提供している。)によると、チベット社会においてドルジェ・シュクデン崇拝による問題でチベット亡命政府とは正反対の立場にある。[2]

このような事に対して、NKT-IKBUは、New Kadampa Truthを通して、質疑応答や状況説明を行っている。

イギリスの法律により、1992年に教団として認可されている。

ファイル:Geshekelsanggyatsoteaching.jpg
ゲシェ・ケルサン・ギャツオ

ミッションステートメント

The New kadampa tradition - International Kadampa Buddist Union (NKT-IKBU)は、仏教を勉強してメディテーションを教える為に、、ゲシェ・ケルサン・ギャツオによって創設された。彼の教えは、カダム派仏教を元としているが、現在は、そこから完全に分離している国際的組織である。この組織のステートメントとして、その目的は、現代人にあった形において、ブッダ シャカムニの教えの真髄を保持して、そして、プロモートすることを述べている。NKT-IKBUの組織内のルールとしては、他の派からは完全に独立した伝統的な仏教団体であること。(shall always be an entirely independent Buddhist tradition)そして、如何なる政治的な関わりも持たない団体であること。(shall have no political affiliations)を掲げている。よって、チベット仏教からの派生グループであるにも関わらず、チベット亡命政府やダライラマとは一切の関わりをもっていない自治権的なグループとして創設された。

カダンパの意味

1991年に、ゲシェ・ケルサン・ギャツオがこの組織を立ち上げるにあたり新しく選定した名称、ニューカダンパ(New Kadampa)のカダンパ(カダム派)とは、11世紀のアティーシャによって起こされ、14世紀のツォンカパによって形作られた、現代においては、ゲルク派として知られる伝統のことを言う。

カダンパの『カ』は言葉、又は、ブッダの教えを意味し、『ダン』は菩提道次第論として知られるアティーシャのラムリンの事を意味するといわれる。『パ』は学校、または伝統を意味するとの事。この3つを統合して、カダンパとは、『ブッダの教えのすべてを、ラムリンの教えに沿い修練する者たち』とされている。これは、カダンパ仏教の修練者は、ブッダの教えの全てを、個人的なアドバイスとして実践することを象徴している。


NKT-IKBUの修練者たちは、彼ら自身のことを”カダンパ仏教徒”と呼んでいる。そして、彼らのダルマセンターと寺院を、それぞれ、カダンパ仏教センター、そして、カダンパ寺院、と呼んでいる。

現在の活動内容

NKTの教義とゲシェ・ケルサン・ギャツオにより執筆された本

NKTの教えは、ゲシェ・ケルサン・ギャツオの教えと、彼自身によって執筆された本をベースとしており、これらの教えは、ゲルク派の創設者とされるツォンカパのテキストをベースとして執筆されている。NKTのメインの教えは、ラムリム=菩提道次第論(The Stage of the Path to Enlightment)、ロジョン( Lojong=Training the Mind)、バジャラヤナマハムードラ(The practices of Highest Yoga Tantra)。

NKTで使用されている全ての本は、イギリスに本部を置く、#* Tharpa publication ターパ パブリケーションによって発行されている。

ゲシェ ケルサン ギャツオは、彼が出版したすべての本に対して、すべての教えはツォンカパ彼自身の智恵から来ており、自分自身はカセットレコーダーのようなものと述べている。また、彼が執筆した、ラムリン=菩提道次第論(The Stage of the Path to Enlightment)の序論において、”わたしはこれらの教えを、わたし自身の先生であり、アティーシャの化身とされたキャブジェ トリジャン ドージーチャン リンポチェ: (Kyabje Trijang Dorjechang Rinpoche:(1900-1981AD)) から授かっており、よって、”The Stage of the Path to Enlightmentの全ての教えは、わたし自身のものではなく、先生からのものであるとコメントしている。

ちなみに、キャブジェ・トリジャン・ドージーチャン・リンポチェは、50年間にわたり、ダライラマ14世の個人教授であり、ゲシェ・ケルサン・ギャツオのスピリチュアルガイドでもあった。


学習プログラム

ゲシェ・ケルサン・ギャツオがNKT-IKBUを創設した理由として、『わたしは、すべての人たちが、純粋にダルマの修行を実行して欲しいと願っているのです。知的な勉強により得られた、知識としてのダルマを知っていても、それが実際には実践されていないのは深刻な問題です。これはわたし自身がチベットで体験したことです。知的レベルにおいての、知識としてのダルマだけでは、心の平安は訪れません。』と述べている。  このような理由により、NKT-IKBUでは、ゲシェ・ケルサン・ギャツオの指導の元、システム的に、そして、総括的にダルマを勉強することを目的として、現代社会に適するとされる3つの学習プログラム、(The General Programme、The Foundation Programm、The Teacher Training )が行われている。そして、これらの教えは、NKT-IKBUの修練者からツォンカパからの純粋な系統であると信じられている。


主な修練の内容

NKT-IKBUは、主な修練として、ラムリム(菩提道次第論)を柱としており、伝統的なラムリムの主題である、”人間の可能性に気づく / 死と無常 / カルマ(業と因果) / 輪廻世界は概して厭うべきものである / 帰依をする / 自と他を平等にして入れ替える / 生きとし生きるものへの慈悲 / 菩提心 / 空の理解 /上師を正しく信頼し、よりどころにする、など、少士、中士、大士の修練からなる21種類のメディテーションを中心とした顕教(スートラ)の教えと、密教(タントラ)の教えとしては、無上瑜伽タントラ(Highest Yoga Tantra)として、ヘールカ、ヴァジュラヨーギニー(荼枳尼、空行母)タントラ(The Highest Yoga Tantra of Buddha Heruka and Vajrayogini) の灌頂が2年に一度行われている。

ツォンカパとドルジェ・シュグデンの修練は日々行われているが、これらの修練だけでなく、虚空蔵菩薩,、ヘールカ、ヴァジュラヨーギニー、多羅菩薩、文殊菩薩,、阿弥陀如来などの儀式も定期的に行われており、これらは、すべて、ゲシェ・ケルサン・ギャツオの監督の元、英語に訳された、サダーナというものを使用して行われている。


インターナショナル・フェスティバル

NKTでは、毎年のイベントとして、春と夏と秋に大きなフェスティバルが開催されており、イギリスを中心とした、世界各地で行われている。このフェスティバルには、毎年、約2000から6000もの信者たちが、世界から集まっている。

ゲシェ・ケルサン・ギャツオ

系統

NKT-IKBUは、下記、1から8までにつながる系統を紹介している。

1.ブッダ シャカムニ(Buddha Shakyamuni)→ 2.バジャラダラ(Vajradhara)→ 3.マンジュシュリ(Manjushri)→ 4.アティーシャ(Atisha)→ 5.ツォンカパ(Je Tsongkhapa)→ 6.パボンカ リンポチェ(Pabongka Rinpoche)→ 7.キャブジェ・トリジャン・ドージーチャン・リンポチェ(Kyabje Trijang Dorjechang)→ 8.ゲシェ・ケルサン・ギャツオ(Geshe Kelsang Gyatso)


ゲシェ・ケルサン・ギャツオ(Geshe Kelsang Gyatso)

NKT-IKBUの創設者であり、スピリチュアルガイドとして、”ゲシュラ”という愛称の元、NKTの修行者より絶対的な信頼を寄せられている。1931年 チベット生まれ、8歳の時に僧となる。ジャムパリンと呼ばれる、彼の生まれた地方の寺院と、タシルンポの寺院の大学で、ゲシェの訓練を学習し、2つの試験に合格。後にラサ近くのセラジェ寺院に入り、そこで、さらにゲシェの訓練を深める。チベットを離れた後は、18年間にわたるインド、ヒマラヤでの修行の末、1976年に、ラマ、Thubten Yesheより、ゲシェ ケルサン ギャツオの師である、キャブジェ トリジャン ドージーチャン リンポチェを通してイギリス、アルバストン(Ulverston, England)のマンジュシュリ インスティチュート、(現在は、マンジュシュリ カダンパ メディテーション センター)に招待され、1976年から1987年までthe General Programを教えていた。

1987年、スコットランドのターパランド(Tharpaland)という場所において、彼は3年間のリトリートと言われている修行に入り、5冊の本を執筆して、NKT-IKBUの基礎を設立した。


チベット政府との関係

ゲシェ・ケルサンは、彼の師である、キャブジェ・トリジャン・ドージーチャン・リンポチェからの純粋な系統を守るという事に一貫しているため、ドルジェ・シュクデンの修練は、すべてのゲルク派に引き続がれるべきだと信じている。しかし一方、ダライラマ14世は、同じ先生から教わっているにも関わらず、この修練を終焉させようとしている。しかしながら、NKTは、チベットの政治からはまったく独立した仏教の組織であるために、現状においては、ダライラマでさえも、NKTがどのように構成されていて、また、何を教えて、何を修練すべきかについて指導をする権限をもっていない。

この件に関して、ゲシェ・ケルサン・ギャツオは 1995年のNKTフェスティバルにおいて、”ゲルク派の堕落は深刻なものである。”と述べている。そして、”もし、ダライラマがドルジェ・シュクデンの修練を破壊することに成功すれば、ゲルク派の伝統も、すべて破壊されるであろう。”と述べている。また、”もし、ドルジェ・シュクデンの修練が害を及ぼすものであるとすれば、パポンカ・リンポチェの権威を否定することになりキャプジェ・トリジャン・リンポチェ(ダライラマ14世の個人教師)も本物ではなかったという事になる。彼ら3人のリンポチェは、近年のゲルク派においては最も重要とされたラマであり、もし、彼ら3人が間違ったことを教えていた先生であったとすれば、これは、ゲルク派のすべての伝統は、妥当ではなかったことになり、この部分は、明確にされるところだ。”と述べている。[3]

このような事があり、1996年、ゲシェ・ケルサン・ギャツオは、チベット政府と、セラ寺より追放された。セラ院からの追放の手紙には、”ダライラマに関する対外的な批判は、受け入れることができない。”と記載されている。[4]

ドルジェ・シュクデンの修練に関連する事としては、ゲシェ・ケルサン以外にも、何百という層がチベットの寺院から追放されている。[5] セラ寺とガンデン寺の層の中にも、シュグデンの禁止に対して静かなる抗議を行ったものが多数存在したが、彼らも ”寺院に対する誓いと、服従に従わなかった。”として、追放されている。[6]

ダライラマとの関係

ダライラマとの関係については、New Kadampa Truthより、以下のコメントを出している。

”多くの人は、NKTはダライラマから分裂したといっているが、元々から、彼は、NKTのスピリチュアル的なリーダーではなかった。ダライラマはチベットの政治的なリーダーではあるが、チベット仏教の4つのスクールの長ではなく、また、マハヤナ仏教の長でもない。よって、分裂という表現は適切ではなく、事実でもない。一般的には、ダライラマは、チベットの民にとって、宗教的、そして、政治的な神王と考えられているが、マハヤナ仏教の神髄となる教義においては、修行者は、自身のグル、スピリチュアルガイドを自由に選ぶことができる。仏教界には、ローマ法王は存在しない。”

”NKTはダライラマがシュグデンの修練を禁止したことに反対しており、ダライラマ個人を敵対視していない。”

”NKTと、ゲシェ・ケルサンは、チベットの政治には興味をもっていない。”

”ダライラマは元々ゲシェ ケルサンの先生ではなく、よって、ダライラマに対する如何なる誓約を破った訳ではない。と述べている。

一方、ダライラマ14世は、”私がなぜシュグデンへの崇拝に反対しているかという理由を、すでに詳細なソースを元に説明している。#* Collection of Advice regarding Shugden”, FPMT official website, retrieved 2008-12-04 

”シュグデンの修練をしている人たちはわたしの友人ではない””シュグデンの修練者は、私が授ける、カーラチャクラの灌頂に参加しないように”という声明を出している。

NKT-IKBUとチベット仏教

ゲシェ ケルサンは、インドとチベットの仏教の代弁者としての地位からは完全に外されてはいるが、NKTという組織が、ダライラマからの政治的、または聖職的な権限をまったく受け入れる必要がないということを勘案すると、NKTがチベット当局より劣った存在であるとは言えないのが現状である。[7] そして、NKTは、彼らの組織を、『チベット仏教』とは表現せず、『チベットとの歴史的なつながりを持つ、マハヤナ仏教』と表現しており、ここには、修練者達が、チベットの文化や習慣を勉強しなくても、それぞれの国の文化や社会に合わせてダルマ、つまりブッダの純粋な教えを勉強することができるようにという望みが込められている、と言われている。[8]自組織を”純粋なチベット系統”と表現している一方で、”チベットの仏教、文化、そして政治からの完全に分離、独立している立場にあるという矛盾点に関しては、”ツォンカパの純粋な系統ということと、チベット仏教ではないということには、まったくの矛盾はなく、これは、”ロシアで生まれた子供が、アメリカにわたり、そして、後になって、自分はアメリカ人で、ロシア人ではない”と表現するのと同じである、という見解を示している。[9]

ドルジェ・シュグデン論争

主要な記載:ドルジェ・シュクデン論争

NKTの真髄となっている修練には、ツォンカパのグルヨガと並んで、護法尊(イダム)としてのドルジェ・シュクデンの修練があり、この修練は、ゲシェ・ケルサン・ギャツオのグルである、キャブジェ・トリジャン・ドージーチャン・リンポチェによって彼に伝授された。[10] よって、NKTの修練者にとってのドルジェ・シュクデンとは、ツォンカパであり、マンジュシュリ(文殊菩薩)であり、これらと同じ地位とされている。[11]よって、ダライラマ14世が、チベット亡命政府において、この修練を『禁止』したことに対して論戦が沸き起こった事は、なんら驚かされる出来事ではない。[12] そして、インドにおいて禁止された、ドルジェ・シュクデンの修練を復活させるための結束行為として、何百というNKTのメンバーが、ウェスタン・シュグデン・ソサエティ(Western Shugden Society) に参加し、ダライラマの”明白な禁止命令”に抵抗している。[13]

ゲシェ・ケルサンは、この”政治的”な”禁止命令”[14]を、『正当な修練に対しての、理にかなわない、余計な干渉』と考えており、[15]彼の弟子たちもまた、ダライラマの行動を、馬鹿げた問題だと考えている。[16]


一方、ダライラマは、シュクデンの修練を望まない理由として、以下の3つのあげている。

1.チベット仏教が、心霊崇拝となり堕落してしまう危険性:

チベット仏教は元来、古代より引き継がれた権威のある偉大なインドの寺院大学、ナランダから進化したものであり、この伝統は、仏教の完全な形であると、しばしばダライラマ14世が描写しているところである。それはナーガルージュナ(龍樹)、アサンガ(無著)、ヴァスバンドゥ(世親)、ディグナーガ(陳那)やダルマキールティ(法称)、といった、偉大な仏教の師たちの哲学として、スピリチュアル的なのもとして、そして、精神的洞察として発展して、ブッダの元来の伝統を具現化している。8世紀はじめにチベットで仏教を定着させた偉大な哲学者であり、論理学者であったシャーンタラクシタは、哲学的な探求と批判的な分析はとても重要な特質であるとしている。シュクデン修練の問題点は護法尊としての霊であるシュクデン(Shugden又は、 Dolgyal )を、ブッダより重要なものとして昇格させようとしていることである。もしこの傾向が見直されないまま引き継がれ、人々がカルトのような修練に魅了された場合の危険性は、豊かな伝統としてのチベット仏教が、ただ単に、心霊をなだめるものへと衰退して行く事であろう。

2.非派閥主義に対しての障害:

ダライラマ14世がしばしば述べる重要な声明として、異教徒間の理解と調和がある。その中の彼の努力の1つとして、非派閥主義をチベット仏教の各宗派(流派)に推奨している。ダライラマ14世は特にダライラマ5世と、ダライラマ13世の方針に従おうとしている。これは、全てのチベット仏教の宗派(流派)において、チベットの伝統にダメージを与えうる非派閥主義を、お互いに起こさせない為のアプローチであり、最適な保護手段である。シュクデン崇拝と派閥主義という観点において、シュクデンの修練は、チベットの仏教の伝統において、派閥性がない精神を促進することに対する基本的な障害である。


3.特にチベット社会の健全な幸福にとっての不適切性:

シュクデンをなだめる事は、チベットの人々の今ある困難な状況を考えると特に厄介である。原典的に、そして、歴史的な調査により、シュクデンがダライラマ5世とその政府に対する敵対心から現れたと論証されている。17世紀のチベットにおいて、霊的、世俗的なリーダーとして崇められていたダライラマ5世は、個人的にシュクデンを「間違った方向に導く邪悪な霊であり、人々にとって、そして、チベット政府にとって有害なものである」と非難していた。ダライラマ13世と、当時崇拝されていたチベットのスピリチュアルマスター達も、シュクデンの修練に対して強く反対していた。よって、今のチベットの状況、特に共同体としての団結が最重要課題であるチベットの人民のことを考えると、議論の多いシュクデンの修練は適切ではない。

この3つの理由により、ダライラマ14世は、シュグデンの修練問題に対して、今一度注意深く考えられるようにと支持者達に強く勧めている。又彼は、仏教リーダーとして、チベット人民を愛する特別な思いから、この種の有害な心霊崇拝に対しての意見を発言するは彼の責務であると声明している。ダライラマ14世のアドバイスに従うのか、従わないのかは、それは個人個人の問題であるが、ダライラマ14世は、個人的に、この修練がどれだけネガティブなものであるかを強く感じているために、シュクデンの霊をなだめるものは、ダライラマ14世の宗教的な教えには参加しないように要求しており、これは、ダライラマ14世をグルとしている人たちへの、伝統的な師と弟子の関係の確立ということである。としている。#* Collection of Advice regarding Shugden

ちなみに、この論争が大きく表面化したことにより、シュクデン修練が、NKTにとってのメインとなる修練だと思われがちだが、これに対しては、New Kadampa Truth にて、以下のように説明している。

”他の仏教の伝統と同じように、NKTのメインとなる修練は、三宝、つまり、ブッダ、ダルマ、サンガへの帰依である。他のマハヤナ仏教の伝統と同じように、NKTのメインとする修練は、菩提心を起こす事である。NKTの修行者は、ツォンカパの経典に従った密教(タントラ)を修練しているという理由から、菩提心が悟り(Enlightenment)として成就するために、グル(Spiritual Guide)、イーダム( Yidam 、Tantric personal Deity)、護法尊(Protector)を頼りにしている。これら3つは、ツォンカパが説明しているように、三宝の現れである。我々のメインとなる護法は、智恵のブッダであるシュクデンである。我々は又、 Palden Lhamo, Mahakala, Kinkara and Kalarupaといった護法も頼りにしている。ツォンカパの純粋な伝統と、特に、ガンデンからの口頭による系統(the Ganden oral lineage)を支えようとする者達にとっては、シュクデンに頼ることはとても重要なことであるが、シュクデンの修練がNKTのメインの修行ではない。”と答えている。

このようなことがあり、欧米のマスメディアでは、NKTとダライラマとの関係や、シュグデン論争との関わり合いにより、NKTに対して”議論の多い宗教組織”という反応をしているが、Robert Bluck(British Buddhismを著した、英国の作家)は、『NKTの修練者たちの確固とした自信が、外から冷淡に観察しているものにとっては独断的に見られがちだが、バランスのとれたアプローチが必要。』と述べている。[17]

参照元~英語wikipedia

脚注

  1. ^ NKT-IKBUの公式ページより参照(英語ページ)
  2. ^ Barrett, D. V. (2001). The new believers: A survey of sects, cults and alternative religions. London: Cassell. pp. 310, 311
  3. ^ Geshe Kelsang Gyatso, False Accusations Against the Innocent, Letter to the Editor of Newsweek, 05 May 1997 
  4. ^ New Kadampa Truth website. retrieved 2008-12-10.
  5. ^ The Dalai Lama: The Devil Within, Al Jazeera's People & Power, 2008-09-30, retrieved 2008-12-10
  6. ^ Von Bruck, Michael (2001). Canonicity and Divine Interference: The Tulkus and the Shugden-Controversy. Quoted in Dalmia, Vasudha; Malinar, Angelika; & Christof, Martin (2001). Charisma and Canon: Essays on the Religious History of the Indian Subcontinent. New Delhi: Oxford University Press. p. 332.
  7. ^ Belither, James. quoted in Barrett, D. V. (2001). The new believers: A survey of sects, cults and alternative religions. London: Cassell. p. 311
  8. ^  Belither, James. quoted in Bluck, R. (2006). British Buddhism: Teachings, practice and development. Routledge critical studies in Buddhism. London: Routledge. ISBN 0-415-39515-1. p. 145.
  9. ^ Has the NKT broken away from the mainstream?. New Kadampa Truth blog. 2008-12-07. retrieved 2008-12-08.
  10. ^ Waterhouse, Helen (1997). Buddhism in Bath: Adaptation and Authority. University of Leeds, Department of Theology and Religious Studies. pp. 157, 160.
  11. ^ Chryssides, George (1999). Exploring New Religions. London: Cassell. p. 240.
  12. ^  Kay, David (1997). The New Kadampa Tradition and the Continuity of Tibetan Buddhism in Transition, Journal of Contemporary Religion 12:3 (October 1997), p. 287.
  13. ^ Partridge, C. H. (2004). New religions: A guide : new religious movements, sects, and alternative spiritualities. New York: Oxford University Press. p. 206.
  14. ^ Ardley, Jane (2002). The Tibetan Independence Movement: Political, Religious and Gandhian Perspectives. London: RoutledgeCurzon. pp. 175-176.
  15. ^ Cozort, Daniel (2003). The Making of the Western Lama. Quoted in Heine, S., & Prebish, C. S. (2003). Buddhism in the modern world: Adaptations of an ancient tradition. New York: Oxford University Press. p. 231
  16. ^ Bluck, R. (2006). British Buddhism: Teachings, practice and development. Routledge critical studies in Buddhism. London: Routledge. p. 132.
  17. ^ Bluck, Robert (2006). British Buddhism: Teachings, Practice and Development. Routledge critical studies in Buddhism. London: Routledge. p. 129.

外部リンク