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'''異言'''(いげん)は、'''グロソラリア'''([[英語|英]]: [[:wikt:en:glossolalia|glossolalia]] < {{lang-el-short|γλωσσολαλιά}} = {{lang|el|γλῶσσα}}(glõssa 「舌、言語」){{lang|el|+ λαλιά}}(laliá 「声;言語、言葉、発話、説明、意見」)=「舌から発せられる声」)あるいは'''ゼノグロッシア'''/'''ゼノグロッシー'''(英: [[:wikt:en:xenoglossy|xenoglossia/xenoglossy]] < ギリシア語で「異国の言語(聞き慣れない言葉)を話すこと」)の訳語で、いずれも、学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象を指す。 |
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{{分割提案|[[真性異言]]|date=2010年6月}} |
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'''異言'''(いげん)は、[[英語]] glossolalia(グロソラリア、[[ギリシア語]]:'''γλώσσα''')と[[英語]] xenoglossy(ゼノグロッシー、xeno-「異なる」+ glossy「原語」)の訳語でいずれも、学んだことのない外国語を用いることができる超常的な現象のことを指す。英語においては、glossolaliaは主に宗教の分野で、xenoglossyは主に超心理学の分野で使われる。宗教上の異言を超心理学的な異言と区別するために、xenoglossyを「[[真性異言]]」と訳してglossolaliaと区別する場合もある。 |
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英語では、 glossolalia は主に宗教の分野で、 xenoglossia/xenoglossy は主に超心理学の分野で使われる。日本では、超心理学に関する文脈で、区別の為に後者の異言を「'''真性異言'''」と訳す場合もある。当項目では、前者の宗教的な意味で用いられる狭義の異言について主に取り扱う。後者の超心理学的な異言については項目「[[真性異言]]」を参照のこと。 |
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[[新約聖書]]では4箇所に異言の明確な言及が登場する。以下の4箇所である。 |
[[新約聖書]]では4箇所に異言の明確な言及が登場する。以下の4箇所である。 |
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⚫ | *ペンテコステの日の異言<br>[[使徒行伝]]2章11節-13節には[[ペンテコステ]]の日の異言の記述がある。弟子達は「他国のことばで({{lang|el|ἑτέραις γλώσσαις}})はなしだした」と記述されている<ref>『新約聖書』(「使徒の働き2章4節」新改訳)</ref> 。「ことばで」({{lang|el|γλώσσαις}} (glṓssais);{{lang|el|γλῶσσα}} の複数[[与格]])は普通、ことばを話す器官である[[舌]]と、話す言葉の両方を意味する。「他の」({{lang-el-short|ἑτέραις}} (hetérais);{{lang|el|ἕτερος}} (héteros)の女性形複数与格)は弟子達が自国語ではない国語で話したことを示す。聖書の記述によると、ここで言及されている異言は外国語である。弟子達が、学んだことのない、自国語でない言語を、話したという現象である。 彼らはその話すことばを理解することができ、ことばの混乱を起こした[[バベルの塔]]の物語とは逆に、[[聖霊]]は人々が言葉を越えて互いに理解し合えるようにされた。 |
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==== ペンテコステの日の異言 ==== |
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⚫ | *コルネリオの家における異言<br>使徒行伝10章44節-47節には、[[ペテロ]]が神の強い促しによって、コルネリオの家に集められた異邦人たちに[[福音]]メッセージを語った時に「~、みことばに耳を傾けていたすべての人に聖霊がお下りになった。」(44節)と記述されている。そして、彼らは「異言を」({{lang|el|γλώσσαις}})話した。この異言は外国語であったかどうか明確には言われていない。しかし、「私たちが主[[イエス・キリスト]]を信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を彼らにもお授けになった。」(同11章17節)との記述から、この異言はペンテコステの異言と同じ性質のものであることが推測できる。 |
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⚫ | [[使徒行伝]]2章11節-13節には[[ペンテコステ]]の日の異言の記述がある。弟子達は「他国のことばではなしだした」と記述されている<ref>『新約聖書』(「使徒の働き2章4節」新改訳)</ref> 。 |
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==== コルネリオの家における異言 ==== |
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しかし、「私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を彼らにもお授けになった。」(使徒行伝11章17節) |
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との記述から、この異言はペンテコステの異言と同じ性質のものであることが推測できる。 |
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⚫ | *コリントにおける異言<br>コリント人への手紙第一12章1節-14章40節には、[[コリント]]の教会において人々が異言を語っていたといことが記述されている。パウロは異言が神の賜物であることを認めて、異言を禁じることを禁止している。この異言もペンテコステの異言と同じ {{lang|el|γλῶσσα}} が用いられているので、ペンテコステの外国語を話す現象の可能性が高い。しかし、異言の誤用については指摘している。<br>異言を語るルールについて聖書は言及している。聖書は異言を語るならば秩序を保ち順番に語り、一人はその解き明かしをするように。また異言を解き明かす者がいなければ、異言を語ってはならないとしている。また、聖書は異言より預言(聖書の言葉)を語ることを勧めている。参考:コリント人への手紙第一14章1−5節、27−28節、39節。 この教えは現在のルールでもある。 |
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==== 異言とヨハネの弟子達 ==== |
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==== コリントにおける異言 ==== |
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コリント人への手紙12章1節-14章40節には、コリントの教会において人々が異言を語っていたといことが記述されている。パウロは異言が神の賜物であることを認めて、異言を禁じることを禁止している。この異言もペンテコステの異言と同じ言葉が用いられているので、ペンテコステの外国語を話す現象の可能性が高い。しかし、異言の誤用については指摘している。 |
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=== 初代教会における異言 === |
=== 初代教会における異言 === |
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=== 現代の異言 === |
=== 現代の異言 === |
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[[ベンジャミン・アーウィン]]が[[バプテスト教会]]から[[ホーリネス教会]]に移った後、[[ジョン・ウェスレー]]の同労者である。 |
[[ベンジャミン・アーウィン]]が[[バプテスト教会]]から[[ホーリネス教会]]に移った後、[[ジョン・ウェスレー]]の同労者である。ジョーゼフ・フレッチャー([[:en:Joseph Fletcher|Joseph Fletcher]])の書物に触れ、聖霊の火による第三の御業を主張した。この第三の御業には、叫び、すすり、泣き、異言、[[エクスタシー]]状態が伴うとされている。 |
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[[1900年]][[12月31日]]に[[チャールズ・パーハム]]が聖書学校の女学生に[[按手]]を授けたところ、この女学生らが異言で話し出した。 |
[[1900年]][[12月31日]]に[[チャールズ・パーハム]]が聖書学校の女学生に[[按手]]を授けたところ、この女学生らが異言で話し出した。 |
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[[1906年]]ロサンゼルスのアズサ通りで、パーハムのもとで訓練を受けた、[[黒人]][[ウィリアム・シーモア]]がある家での集会中にエクスタシーに陥り、異言現象が起きた。アズサ通りのメソジスト教会で集会を継続したところこの現象がうわさになり広まった。ロサンゼルスの新聞に掲載され、全米に広がり、ペンテコステ運動に発展した。 |
[[1906年]][[ロサンゼルス]]のアズサ通りで、パーハムのもとで訓練を受けた、[[黒人]][[ウィリアム・シーモア]]がある家での集会中にエクスタシーに陥り、異言現象が起きた。アズサ通りの[[メソジスト]]教会で集会を継続したところこの現象がうわさになり広まった。ロサンゼルスの新聞に掲載され、全米に広がり、[[ペンテコステ運動]]に発展した。 |
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ペンテコステ運動は主にメソジスト派の教会の牧師、T.B.バレットによって全世界に伝えられていった。ところがペンテコステ運動はホーリネス陣営から激しい反対をうけた。反対の主な理由は、ペンテコステ教会が第二の潔めに対抗して、第三の潔めである「異言」を唱えた点にある。 |
ペンテコステ運動は主にメソジスト派の教会の牧師、T.B.バレットによって全世界に伝えられていった。ところがペンテコステ運動は[[ホーリネス]]陣営から激しい反対をうけた。反対の主な理由は、ペンテコステ教会が第二の潔めに対抗して、第三の潔めである「異言」を唱えた点にある。 |
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ペンテコステ陣営内部でも異言について理解の対立があった。対立の故に、[[1914年]]以降ペンテコステ派は二つに分離した。一方は[[アッセンブリー]]教団系で、彼らは回心によって潔めは完成しているとし、異言は聖霊の満たしによって起こる現象であると唱えた。もう一方は[[チャーチ・オブ・ゴッド]]教団系で、彼らは聖霊のバプテスマである異言を受けることによって、完全な罪から潔めが完成すると唱えた。 |
ペンテコステ陣営内部でも異言について理解の対立があった。対立の故に、[[1914年]]以降[[ペンテコステ派]]は二つに分離した。一方は[[アッセンブリー]]教団系で、彼らは回心によって潔めは完成しているとし、異言は聖霊の満たしによって起こる現象であると唱えた。もう一方は[[チャーチ・オブ・ゴッド]]教団系で、彼らは[[聖霊のバプテスマ]]である異言を受けることによって、完全な罪から潔めが完成すると唱えた。 |
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== 超心理学における異言 == |
== 超心理学における異言 == |
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{{see|真性異言}} |
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超心理学分野では、異言([[真性異言]]、xenoglossy)を[[朗唱型異言]] (recitative xenoglossy) と[[応答型異言]] (responsive xenoglossy) に区別する。 |
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超心理学分野では異言([[真性異言]]、xenoglossy)を、[[母語話者]]と直接意思疎通のできない[[朗唱型異言]] (recitative xenoglossy) と、意思疎通の可能なごく少数の[[応答型異言]] (responsive xenoglossy) の2つに大別する。研究対象としてより重視されるのは後者であるが、科学的かつ公正な研究方法が確立されているとは言えず、真性異言の存在を証明する決定的なケースは未だに見つかっていない。 |
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朗唱型異言とは、知らないはずの言語を話したり書いたりすることはできるが、それを使って母語話者とコミュニケーションすることはできないという場合である。異言として報告されている多くの事例はこちらに属し、詳しく調べてみると、無意識のうちに記憶していたものが何かの拍子に出てきただけという場合が多い。 |
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一方、応答型異言は、母語話者と意志の疎通ができるという場合であり、研究対象としてはこちらの方が重要である。 |
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=== 科学的に調査された異言の事例 === |
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これまで科学的に調査された[[応答型異言]]の事例としてイアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson)が報告している3例とメアリ・バーリントン(Mary Barrington)らが報告している1例がある。スティーヴンソンによる3例のうち2例は[[退行催眠(前世療法)]]時に生じた事例、残りの1例とバーリントンらが報告している1例は、いわゆる憑依現象による事例である。 |
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==== イェンセン(Jensen)の事例(退行[[催眠]]時の異言) ==== |
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1955年から1956年にかけて、英語を母語とするアメリカ人の女性(匿名)が催眠状態にある時にイェンセンという過去世の男性人格が登場した事例。(ただし、慎重なスティーブンソンは、過去世の人格である可能性が高いとしながらも判断は保留している)。女性はユダヤ系の両親の元で育ちフィラデルフィアで育っている。父親も母親もロシアのオデッサ生まれの移民。両親をはじめこの女性の生育歴を見る限りスウェーデン語を学んだ形跡はないにも関わらず、退行催眠中に登場するイェンセンはスウェーデン語の母語話者と会話をすることができた。イェンセンの話すスウェーデン語にはノルウェー語なまりがあり、また自分の住んでいる場所をはじめいくつかの地名を明らかにしたが、現在の地図でどこに相当するのかは特定できなかった。 |
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イェンセンの登場した退行催眠セッションは8回行われたが、スウェーデン語の母語話者と直接話をしたのは6〜8回である。 |
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イェンセンの事例を報告した1974年の著書''Xenoglossy: A Review and Report of a Case''『異言:事例の検討と報告』では166ページ(pp. 299-264)にわたって第7回目のセッションにおけるイェンセンとスウェーデン語話者との会話の記録が掲載されている。 |
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==== グレートヒェン(Gretchen)の事例(退行催眠時の異言) ==== |
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英語を母語とするアメリカ人女性ドロレス・ジェイ (Dolores Jay) 氏が催眠状態にある時に登場した女性人格で、母語話者とドイツ語で会話をすることができた。ウェスト・バージニア州で生まれ育ったドロレス・ジェイは、同州育ちで牧師のキャロル・ジェイ(Carrol Jay)氏の妻。教区の信者の治療のために催眠を用いていたキャロル・ジェイ氏が妻に催眠をかけたところ、ドイツ語を話すグレートヒェンなる人格が出現した。グレートヒェンの話した内容を詳細に分析した結果、スティーブンソンは、彼女が19世紀最後の四半世紀にドイツで送ったと考えるのに十分な証拠があると考えている。グレートヒェンがドイツ語を話したセッションは19回に及んでいる。 |
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グレートヒェンの事例を報告した1984年の著書''Unlearned Language: New Studies in Xenoglossy''(日本語版は『前世の言葉を話す人々』として春秋社から出版)では34ページ (pp. 170-203) にわたってグレートヒェンがドイツ語で会話する様子が記録されている。 |
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==== シャラーダ(Sharada)の事例([[憑依]]現象による異言) ==== |
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1973年にインドで発生した事例で、マラーティー語を母語とする女性ウッタラ(Uttara)がトランス状態になって登場した女性人格。シャラーダはウッタラの母語であるマラーティー語は話さず、ベンガル語を流暢に話した。イェンセンやグレートヒェンは催眠中に登場した人格であるが、シャラーダは覚醒中に突然出現した。スティーブンソンが現地に赴きこの事例について調査を始めたのは1975年のことだが、調査に区切りをつけた1980年にもまだシャラーダの出現は続いていた。 |
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シャラーダは両親や親族の名前、自分に馴染みのある土地の名前など自分についてかなりのことを語り、またその多くは実在したが、シャラーダが生まれ育ったと考えられる家族を正確に突き止めることはできなかった。 |
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言語だけでなく、その立ち振る舞い、習慣など全てベンガル風で、明らかにマラータ族のウッタラとは異なっていた。たとえば、ウッタラより頻繁に食を断つ(断食する)、椅子にではなく床に坐る、夫の名前を聞かれた時、顔を赤らめる、ほとんどの時間を一人でベンガルの宗教書などを読んで暮らす、など、ウッタラには見られない少し古風なベンガル女性の特徴を見せた。また、シャラーダの両親をはじめマラーティー語を話す人達に囲まれながら、マラーティー語を話そうとはせず、マラーティー語を粗野な言語だと軽蔑しているようであった。 |
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シャラーダ人格が出現している時にはウッタラとしての人格は見られなくなり、ウッタラとしての人格が現れている時にはシャラーダ人格は登場しない。シャラーダが出現する時にはまるでウッタラの人格がどこかに押しやられ、シャラーダに乗っ取られるような感じである。ウッタラに戻った時にはシャラーダとしての記憶はなく、シャラーダにはウッタラの記憶はない。 |
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このシャラーダの事例が紹介されているのは、グレートヒェンの事例が紹介されているのと同じ著書においてであるが、シャラーダの話すベンガル語が英語話者には馴染みのないものであるためか、英語訳しか掲載されていない。 |
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==== ルチア(Lúcia)の事例(憑依現象による異言) ==== |
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1933年、高い教育を受けた16歳のハンガリー女性、アイリス・ファルザディ (Iris Farczády) が自称41歳の労働者階級のルチアというスペイン女性に身体を乗っ取られる(ように見える)事件が起きた。内気で教養あふれるアイリスの性格は、がさつであまり上品とは言えない掃除夫の性格に変わり、アイリスの母語であるハンガリー語はルチアの母語であるスペイン語に完全にとって代わられてしまった。この事件はマスコミでも広く報道され、よく知られるようになったが、次第に人々の関心は薄れ、忘れ去られてしまう。 |
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70年後の2003年、メアリ・ローズ・バーリントン(Mary Rose Barrington)、ピーター・マラッツ(Peter Mulaca)、ティトゥス・リバス(Titus Rivas)の三人がこの事件を再調査し、ルチアと名乗る人格に相当する人物がスペインに実在するかどうかという点の確認と、86歳になったルチアの言語能力を調べている。 |
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大規模な調査にも関わらず、ルチア人格に相当する人物の特定はできなかったが、流暢なスペイン語を話すルチアの言語能力は再確認され、資料は[[心霊現象研究会]] (SPR) の図書館に資料として残保存されている。 |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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=== 宗教における異言 === |
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*J.H.ピックフォード、ドナルドW.バーデック共著、[[村瀬俊夫]]訳『聖霊のバプテスマ』、ジャパン・コンサバティブ・バプテスト・ミッション、1986年 |
*J.H.ピックフォード、ドナルドW.バーデック共著、[[村瀬俊夫]]訳『聖霊のバプテスマ』、ジャパン・コンサバティブ・バプテスト・ミッション、1986年 |
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*『宣教ハンドブック』、共立基督研究所、1991年 |
*『宣教ハンドブック』、共立基督研究所、1991年 |
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*『リバイバルの源流を辿る』尾形守 マルコーシュ・パブリケーション社 |
*『リバイバルの源流を辿る』尾形守 マルコーシュ・パブリケーション社 |
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=== 超心理学における異言 === |
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*Barrington, Mary R., Peter Mulacz, and Titus Rivas (2005) The Case of Iris Farczády – A Stolen Life, ''The Journal of the Society for Psychical Research'' 69, 49-77. |
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*Stevenson, Ian (1974) ''Xenoglossy: A Review and Report of a Case''. Charlottesville: University Press of Virginia. |
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*Stevenson, Ian (1984) ''Unlearned Language: New Studies in Xenoglossy''. Charlottesville: University Press of Virginia.(笠原敏雄訳 (1995)『前世の言葉を話す人々』東京:春秋社) |
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== 参考動画 == |
== 参考動画 == |
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=== 宗教における異言 === |
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*[http://www.youtube.com/watch?v=tf49FaoCmiY キリスト教の「異言(いげん)」 Glossa or Monologue in Christianity - Angel's Words] |
*[http://www.youtube.com/watch?v=tf49FaoCmiY キリスト教の「異言(いげん)」 Glossa or Monologue in Christianity - Angel's Words] |
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*[[キリスト教用語一覧]] |
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*[[カリスマ運動]] |
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*[[前世療法]] |
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2010年7月1日 (木) 19:29時点における版
異言(いげん)は、グロソラリア(英: glossolalia < 希: γλωσσολαλιά = γλῶσσα(glõssa 「舌、言語」)+ λαλιά(laliá 「声;言語、言葉、発話、説明、意見」)=「舌から発せられる声」)あるいはゼノグロッシア/ゼノグロッシー(英: xenoglossia/xenoglossy < ギリシア語で「異国の言語(聞き慣れない言葉)を話すこと」)の訳語で、いずれも、学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象を指す。
英語では、 glossolalia は主に宗教の分野で、 xenoglossia/xenoglossy は主に超心理学の分野で使われる。日本では、超心理学に関する文脈で、区別の為に後者の異言を「真性異言」と訳す場合もある。当項目では、前者の宗教的な意味で用いられる狭義の異言について主に取り扱う。後者の超心理学的な異言については項目「真性異言」を参照のこと。
キリスト教における異言
聖書にみる異言
新約聖書では4箇所に異言の明確な言及が登場する。以下の4箇所である。
- ペンテコステの日の異言
使徒行伝2章11節-13節にはペンテコステの日の異言の記述がある。弟子達は「他国のことばで(ἑτέραις γλώσσαις)はなしだした」と記述されている[1] 。「ことばで」(γλώσσαις (glṓssais);γλῶσσα の複数与格)は普通、ことばを話す器官である舌と、話す言葉の両方を意味する。「他の」(希: ἑτέραις (hetérais);ἕτερος (héteros)の女性形複数与格)は弟子達が自国語ではない国語で話したことを示す。聖書の記述によると、ここで言及されている異言は外国語である。弟子達が、学んだことのない、自国語でない言語を、話したという現象である。 彼らはその話すことばを理解することができ、ことばの混乱を起こしたバベルの塔の物語とは逆に、聖霊は人々が言葉を越えて互いに理解し合えるようにされた。
- コルネリオの家における異言
使徒行伝10章44節-47節には、ペテロが神の強い促しによって、コルネリオの家に集められた異邦人たちに福音メッセージを語った時に「~、みことばに耳を傾けていたすべての人に聖霊がお下りになった。」(44節)と記述されている。そして、彼らは「異言を」(γλώσσαις)話した。この異言は外国語であったかどうか明確には言われていない。しかし、「私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を彼らにもお授けになった。」(同11章17節)との記述から、この異言はペンテコステの異言と同じ性質のものであることが推測できる。
- 異言とヨハネの弟子達
使徒行伝19章1節-7節には、パウロがバプテスマのヨハネの弟子と会った記述が書いてある。パウロがキリストと聖霊について教えた後に、両手を彼らの上に置いた。すると彼らが異言を語ったという記述がある。「聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を(γλώσσαις)語ったり、預言をしたりした。」(使徒行伝19章6節)この異言が外国語だったとは明確に言われていないが、ペンテコステとコルネリオの家の現象と同じ単語が使われていることから、同じ現象と思われる。
- コリントにおける異言
コリント人への手紙第一12章1節-14章40節には、コリントの教会において人々が異言を語っていたといことが記述されている。パウロは異言が神の賜物であることを認めて、異言を禁じることを禁止している。この異言もペンテコステの異言と同じ γλῶσσα が用いられているので、ペンテコステの外国語を話す現象の可能性が高い。しかし、異言の誤用については指摘している。
異言を語るルールについて聖書は言及している。聖書は異言を語るならば秩序を保ち順番に語り、一人はその解き明かしをするように。また異言を解き明かす者がいなければ、異言を語ってはならないとしている。また、聖書は異言より預言(聖書の言葉)を語ることを勧めている。参考:コリント人への手紙第一14章1−5節、27−28節、39節。 この教えは現在のルールでもある。
初代教会における異言
- エイレナイオス(140年-203年)異言と預言の賜物をもつ人の噂を言及している
- テルトゥリアヌス(150年-222年)モンタノス派に加わった人物。異教徒マルキオンに対する論駁で異言の賜物を持つ者に対する意見を記している。
- ヨハネス・クリュソストモス(347年-407年)彼の時代では異言が過去のものであると明言している。
- アウグスティヌス(354年-430年)異言は廃れたと記述している。
現代の異言
ベンジャミン・アーウィンがバプテスト教会からホーリネス教会に移った後、ジョン・ウェスレーの同労者である。ジョーゼフ・フレッチャー(Joseph Fletcher)の書物に触れ、聖霊の火による第三の御業を主張した。この第三の御業には、叫び、すすり、泣き、異言、エクスタシー状態が伴うとされている。
1900年12月31日にチャールズ・パーハムが聖書学校の女学生に按手を授けたところ、この女学生らが異言で話し出した。
1906年ロサンゼルスのアズサ通りで、パーハムのもとで訓練を受けた、黒人ウィリアム・シーモアがある家での集会中にエクスタシーに陥り、異言現象が起きた。アズサ通りのメソジスト教会で集会を継続したところこの現象がうわさになり広まった。ロサンゼルスの新聞に掲載され、全米に広がり、ペンテコステ運動に発展した。
ペンテコステ運動は主にメソジスト派の教会の牧師、T.B.バレットによって全世界に伝えられていった。ところがペンテコステ運動はホーリネス陣営から激しい反対をうけた。反対の主な理由は、ペンテコステ教会が第二の潔めに対抗して、第三の潔めである「異言」を唱えた点にある。 ペンテコステ陣営内部でも異言について理解の対立があった。対立の故に、1914年以降ペンテコステ派は二つに分離した。一方はアッセンブリー教団系で、彼らは回心によって潔めは完成しているとし、異言は聖霊の満たしによって起こる現象であると唱えた。もう一方はチャーチ・オブ・ゴッド教団系で、彼らは聖霊のバプテスマである異言を受けることによって、完全な罪から潔めが完成すると唱えた。
超心理学における異言
超心理学分野では異言(真性異言、xenoglossy)を、母語話者と直接意思疎通のできない朗唱型異言 (recitative xenoglossy) と、意思疎通の可能なごく少数の応答型異言 (responsive xenoglossy) の2つに大別する。研究対象としてより重視されるのは後者であるが、科学的かつ公正な研究方法が確立されているとは言えず、真性異言の存在を証明する決定的なケースは未だに見つかっていない。
参考文献
- J.H.ピックフォード、ドナルドW.バーデック共著、村瀬俊夫訳『聖霊のバプテスマ』、ジャパン・コンサバティブ・バプテスト・ミッション、1986年
- 『宣教ハンドブック』、共立基督研究所、1991年
- 『リバイバルの源流を辿る』尾形守 マルコーシュ・パブリケーション社
参考動画
脚注
- ^ 『新約聖書』(「使徒の働き2章4節」新改訳)