「交響曲第6番 (チャイコフスキー)」の版間の差分

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一般に、第1楽章の一部(160小節の後半)で、ファゴットの代わりに作曲者の指定のない[[バスクラリネット]]を(クラリネット奏者が持ち替えて)使用することが行われる(この方法を最初に用いたのは指揮者の[[アルトゥール・ニキシュ]])。この部分に pppppp という極端な[[演奏記号#強弱記号|強弱記号]]が付されていてファゴットでは十分なピアニッシシシシシモが得られないと考えられること、同小節前半までのクラリネットの旋律を受け継ぐ形となっていることが理由とされる。ただし、チャイコフスキーはこの曲でも見せているように[[管弦楽法|オーケストレーション]]の手腕に卓越しており、また前作の『[[くるみ割り人形]]』などでは効果的にバスクラリネットを使用していることなどから、ここであえてバスクラリネットを使わなかったことには理由があるのではないかという考えも成り立つ。一説には、バスクラリネットよりファゴットのほうが効果的だと作曲者自身が判断したためという。現在、楽器の音色を優先させるか、強弱を優先させるかは指揮者によって異なる。
一般に、第1楽章の一部(160小節の後半)で、ファゴットの代わりに作曲者の指定のない[[バスクラリネット]]を(クラリネット奏者が持ち替えて)使用することが行われる{{要出典範囲|(この方法を最初に用いたのは指揮者の[[アルトゥール・ニキシュ]])|date=2010年11月|title=バスクラリネットの使用が慣例化していることについての出典は複数見つかりますが、ニキシュが始めたという出典が発見できません。情報求む}}。この部分に pppppp という極端な[[演奏記号#強弱記号|強弱記号]]が付されていてファゴットでは十分なピアニッシシシシシモが得られないと考えられること、同小節前半までのクラリネットの旋律を受け継ぐ形となっていることが理由とされる。ただし、チャイコフスキーはこの曲でも見せているように[[管弦楽法|オーケストレーション]]の手腕に卓越しており、また前作の『[[くるみ割り人形]]』などでは効果的にバスクラリネットを使用していることなどから、ここであえてバスクラリネットを使わなかったことには理由があるのではないかという考えも成り立つ。一説には、バスクラリネットよりファゴットのほうが効果的だと作曲者自身が判断したためという。現在、楽器の音色を優先させるか、強弱を優先させるかは指揮者によって異なる。


演奏時間は約46分。(名曲解説全集:音楽之友社による)
演奏時間は約46分。(名曲解説全集:音楽之友社による)

2010年11月9日 (火) 15:56時点における版

ピョートル・チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調作品74は、チャイコフスキーが作曲した6番目の番号付き交響曲であり、最後の交響曲。『悲愴ひそう)』という副題で知られる。

概要

チャイコフスキー最後の大作であり、その終楽章を始め彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価される。

副題については、弟のモデストが初演の翌日に自身が「悲劇的」という表題を提案したが、作曲者はこれを否定し、次に弟が口にした「悲愴」という言葉に同意したと伝えているが、これはモデストの創作である。実際は自筆譜、楽譜の出版をしていたピョートル・ユルゲンソン宛のチャイコフスキーの手紙などで、少なくとも曲が完成した9月には、作曲者自身がこの題名を命名していたことが分かっている。また、初演のプログラムに副題は掲載されていないが、チャイコフスキーがユルゲンソンに初演の2日後に送った手紙で「Simphonie Pathétique」という副題をつけて出版することを指示している。[1]

チャイコフスキーは26歳から52歳までの間に12回のうつ病期を経験したという。悲愴作曲時には過去を思い浮かべたのか、それとも当時もうつ病を患っていたのか、うつ的な精神状態を曲に反映させているのではないかと言う説がある。ドイツの精神科医ミューレンダールは、精神病院の入院患者に対して各種の音楽を聞かせるという実験を行なったが、悲愴を流した場合、特に内因性うつ病患者の症状が悪化し、患者によっては自殺しようとしたとのことである。

チャイコフスキー自身は最終楽章にゆっくりとした楽章を置くなどの独創性を自ら讃え、初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作だった。

作曲の経緯・初演

チャイコフスキー1891年に着想を得た変ホ長調の交響曲(自身で『人生』と言うタイトルをつけていた)を途中まで書いたところで、出来ばえに満足出来ず破棄してピアノ協奏曲第3番にしてしまった。しかしこの「人生」という題は彼の中で引き継がれていたようで、既に名士となり多忙な生活の中、新しく交響曲を書き始める。

着手したのは残されている資料によれば1893年2月17日(第3楽章)。それから半年後の8月25日にはオーケレストレーションまで完成し、同年の10月16日(グレゴリオ暦では10月28日)に作曲者自身の指揮によりペテルブルクで初演された。あまりに独創的な終楽章もあってか初演では当惑する聴衆もいたものの、先述するようにこの曲へのチャイコフスキーの自信が揺らぐことはなかった。

しかし初演のわずか9日後にチャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となってしまった。

楽器構成

フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバティンパニバスドラムシンバルタムタム(任意)、弦五部

一般に、第1楽章の一部(160小節の後半)で、ファゴットの代わりに作曲者の指定のないバスクラリネットを(クラリネット奏者が持ち替えて)使用することが行われる(この方法を最初に用いたのは指揮者のアルトゥール・ニキシュ[要出典]。この部分に pppppp という極端な強弱記号が付されていてファゴットでは十分なピアニッシシシシシモが得られないと考えられること、同小節前半までのクラリネットの旋律を受け継ぐ形となっていることが理由とされる。ただし、チャイコフスキーはこの曲でも見せているようにオーケストレーションの手腕に卓越しており、また前作の『くるみ割り人形』などでは効果的にバスクラリネットを使用していることなどから、ここであえてバスクラリネットを使わなかったことには理由があるのではないかという考えも成り立つ。一説には、バスクラリネットよりファゴットのほうが効果的だと作曲者自身が判断したためという。現在、楽器の音色を優先させるか、強弱を優先させるかは指揮者によって異なる。

演奏時間は約46分。(名曲解説全集:音楽之友社による)

曲の構成

四つの楽章からなるが、その配列は原則とは異なっていて、「急 - 舞 - 舞 - 緩」という独創的な構成による。演奏時間は約46分。

第1楽章の序奏における上行する3音(E - Fis - G)が、作品全体に循環動機として使われている。これは、そのままの形で登場するだけでなく、第1楽章の第2主題や、主楽章の第1主題・第2主題において逆行形で登場し、旋律主題を導き出すのに使われている。

モデストはこの曲のテーマとしていくつかの証言を残しているが、作曲者自身は「人生について」としか語っていない。リムスキー=コルサコフの回想によれば、初演の際、演奏会の休憩中にチャイコフスキーにその点を確かめてみた際は「今は言えないな」と答えられたと言う。

第1楽章 Adagio - Allegro non troppo

序奏付きソナタ形式ロ短調

本人が語ったようなレクイエム的な暗さで序奏部が始まる。やがてここから第一主題が弦(ヴィオラチェロの合奏だが、両パートの奏者の半分のみでどこか弱弱しい)によって現れる。この部分は彼のリズムに関する天才性がうかがえる。第1主題が発展した後、続く第2主題は、五音音階による民族的なものであるが、甘美で切ない印象を与える。小結尾主題とも第2主題第2句とも言えるような、やはり淋しい主題を挟んで再び第2主題が戻り、静かに提示部が終わる。

全合奏でいきなり始まる展開部はアレグロ・ヴィーヴォで強烈で劇的な展開を示す。そのまま、再現部となり、第1主題がトゥッティで厳しく再現されるが、提示部のような発展のかわりに、苦悩を強めた絶望的な経過部がきて、第1主題に基づいた全曲のクライマックスとも言うべき部分となり、トロンボーンにより強烈な嘆きが示される。やがてロ長調で第2主題が現れるが再現は第1句のみで、そのまま儚いコーダが現れるがもはや気分を壊さず、全てを諦観したような雰囲気の中で曲は結ばれる。

演奏時間は16~17分(ムラヴィンスキーマゼールヤルヴィ等)のものから25分以上(チェリビダッケ)のものまであるが、ほとんどの演奏が18~20分である。

第2楽章 Allegro con grazia

複合三部形式ニ長調

4分の5拍子という混合拍子によるワルツ。スラブの音楽によく見られる珍しい拍子で、優雅でありながらも不安定な暗さと慰めの様なメロディーが交差する。中間部は一層暗さに支配され終楽章のフィナーレと同様の主題が現れる。

演奏時間は8~9分程度。

第3楽章 Allegro molto vivace

スケルツォ行進曲(A-B-A-B)、ト長調

12/8拍子のスケルツォ的な楽想の中から4/4拍子の行進曲が次第に力強く現れ、最後は力強く高揚して終わる。弟のモデストは、彼の音楽の発展史を描いていると語っている。

演奏時間は8~9分。


第4楽章 Finale. Adagio lamentoso

  • 後述するように、本人の決定稿における速度指定はAndante lamentoso

ソナタ形式的な構成を持つ複合三部形式、ロ短調

冒頭の主題は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという独創的なオーケストレーションが行われている。なお再現部では第1ヴァイオリンにのみ任され、提示部のためらいがちな性格を排除しているのも興味深い。音楽は次第に高潮し、情熱的なクライマックスを形作り、再現部の後は次第に諦観的となりやがて曲は消える様に終わる。

演奏時間は9~11分。

第4楽章について

速度設定

1980年代後半になって自筆稿の研究が行われ、自筆譜では第4楽章の発想記号が元々「アンダンテ・ラメントーソ」と書かれており、そのアンダンテがペンで塗り潰されて「アダージョ」と書き換えられていることが判明した。

更に筆跡を調べた結果「アンダンテ・ラメントーソ」は作曲者チャイコフスキーの手によるものだが、「アダージョ」に書き換えた筆跡はチャイコフスキーのものではなく、チャイコフスキーの死の13日後、この曲が再演された際に指揮をしたエドゥアルド・ナープラヴニークのものであった。他にも多数の発想記号がナープラヴニークの手によって追加されていたことも判明している。

ただしチャイコフスキーの友人であるナープラヴニーク[2]のこの加筆を、単に改竄と断じることは難しい。なぜなら作曲者自身が指揮を行った初演のプログラムでも、第4楽章については「アダージョ・ラメントーソ」と書かれており、チャイコフスキーが変更を承知していた、またはチャイコフスキーが練習などで思い立って変更したものをナープラヴニークが後で変更・追加した可能性も指摘されている。1993年に刊行されたショット社の新校訂版では、校訂報告として「この修正はオーセンティックなものである」と判断され、以前のまま「アダージョ・ラメントーソ」のままになっている。また近年の同曲のCDでは、この楽章の表記を「Adagio lamentoso - Andante」と、アンダンテも付け足しで記しているものが多いが、これは出版譜における16小節および37小節からのアンダンテを示したものである。

どちらにしてもナープラヴニークによる加筆などが残されたまま出版社に渡され、またチャイコフスキーも作曲中に「終楽章は長く延びたアダージョになるだろう」と手紙で語っていたこともあって、自筆譜の研究が行われるまでこういった経緯が判明することはなかった。

アンダンテ・ラメントーゾの終楽章での世界初録音をしたウラジミール・フェドセーエフは、フレージングからしてアンダンテで演奏すべきであると指摘し「チャイコフスキーは深い「感傷」より、あっさりとした「感情」を表現したかったのでは」と述べている(これは、題名を決める際に「悲劇的」ではなく「悲愴」を採用したことも伏線となっている)。また、ピアニスト兼指揮者のミハイル・プレトニョフは、「音楽の流れからすると、アンダンテの方が自然である」と述べている。

アンダンテ終楽章の「悲愴」の初演は1990年4月4日プレトニョフが、海外初演は同年10月にフェドセーエフミュンヘンフランクフルトで行っている。アンダンテ終楽章での日本初演はチャイコフスキー没後100年の1993年6月20日ザ・シンフォニーホールで、同じくフェドセーエフが行っている。日本初演のコンサートは、「悲愴」初演時のプログラムを限りなく再現したコンサート(「悲愴」、ピアノ協奏曲第1番(Pf:タチアナ・ニコラーエワ)、モーツァルト:歌劇「イドメネオ」のバレエ音楽など)であった。

アンダンテ終楽章の録音は、フェドセーエフが数回おこなっているが、いずれも10分から11分の間である。フェドセーエフの「アンダンテ」は、実際のところはムラヴィンスキーマルティノンカラヤンショルティアバドらの「アダージョ」に比べて1分から2分ほど遅い。SP時代のもの(例えばメンゲルベルクの2種の録音など)のものに関しても演奏時間が少し速い傾向にあるが、SP盤に収めるためにスピードを速めて演奏している場合があるので、一概に同列には論じがたい。

記号について

テンポ以外でも、記号に関しても差異がみられる。ただし、テンポの場合同様にチャイコフスキー自身が記号の改訂にも承知していた可能性がある。

第4楽章における、出版譜と自筆譜の記号の差異(冒頭のテンポ表示は省略)
小節 出版譜 自筆譜
楽章冒頭 ♪=54 なし
12 rallentando なし
16 Andante.♪=69 なし
20~22 Adagio poco meno che prima ♪=60 なし
37 Andante なし
43 poco animando なし
46 ritenuto なし
47 Tempo I なし
51 poco animando poco animando(ヴァイオリンIにのみ)
54 ritenuto rit.(ヴァイオリンIにのみ)
55 Tempo I なし
59 poco animando poco animando(ヴァイオリンIにのみ)
61 ritenuto rit.(ヴァイオリンIにのみ)
62 Tempo I なし
67 Animando なし
73 Piu mosso ♪=96 Un poco stringendo
77 stringendo Un poco stringendo
79 Vivace なし
82 Andante ♪=76 Tempo I
90 Adagio non tanto ♪=60 なし
109 stringendo molto stringendo
116 Moderato assai ♪=88 なし
121 incalzando なし

日本語における副題

副題については、日本語訳に関して諸説がある。曰く、チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題はロシア語で「情熱的」「熱情」などを意味する "патетическая"(パテティーチェスカヤ)である故に「悲愴」は間違いである、というものであるが、チャイコフスキーはユルゲンソンへの手紙などでは一貫してフランス語で「悲愴」あるいは「悲壮」を意味する "Pathétique" (パテティーク)という副題を用いていた[3]ため、一概に誤りとは言えない。ベートーヴェン悲愴ソナタも作曲者自身によって付けられた副題はフランス語の"Pathétique"である。もっとも、パテティーチェスカヤもパテティークも語源はギリシャ語の"Pathos"(パトス)であり、ニュアンスとしては関連性がある。

ただし、悲愴と悲壮はまた意味を異にする(前者は「悲しくも痛ましい」、後者は「悲しくも勇ましい」)ため、フランス語から日本語「悲愴」への翻訳もまた単純に誤りとも正しいとも言えないところである。

いずれにしても、命名した時にはチャイコフスキー本人はあくまでもこの曲のイメージのみで発想したもので、死ぬ気や遺言などとして作曲したつもりもまったく無かった[4]

脚注

  1. ^ 神崎正英 音楽雑記帖 - チャイコフスキー《悲愴》のタイトル
  2. ^ 指揮者としてチャイコフスキーの作品を何度も取り上げたナープラヴニークは作曲家でもあり、彼の作品には様々なアドバイスを送っている。この「悲愴」についても、プログラムに題名が載っていなかった初演の時点で知っていた程親しかった。
  3. ^ なお当時のロシアの知識人にとって、フランス語は教養の一環として当然学ぶものであり、チャイコフスキーも例外ではない。
  4. ^ 『新チャイコフスキー考』NHK出版 1993年刊

参考文献

  • 一柳冨美子『チャイコフスキー・交響曲第6番ロ短調「悲愴」OP.74(自筆譜による世界初録音):ライナーノーツ』ビクター音楽産業、1991年
  • 伊藤恵子著『チャイコフスキー』音楽之友社 (2005年)
  • 森田稔著『新チャイコフスキー考』NHK出版(1993年)