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'''異人'''(いじん) |
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'''異人'''(いじん、ことひと)は、「ちがう人・別人」という原義を持つ言葉<ref name="kotobank">{{Harv|朝日新聞社・VOYAGE GROUP|2013|p=異人}}</ref>。 |
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== 概要 == |
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*[[異邦人]]の同義語。[[外国人]]の古い表現(ただし西洋系に限る)。「異なる人」という意味になってしまうがゆえにあまり好ましくない表現とされるが、フィクションにおいては「昔風の言葉遣いのキャラ」という表現として使用されることもある。 |
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[[社会集団]]の成員とは異質なものとして認識された[[人間|人物]]<ref name="hukuda87">{{Harv|福田アジオほか|1999|p=87}}</ref> であり、[[異界]]の[[住人]]{{sfn|福田アジオほか|1999|p=68}}、[[異国]]の人・[[異邦人]]・[[西洋人]]、普通でない性質を持つ人・優れた人・[[不思議]]な術を使う人<ref name="kotobank"/> を意味する。[[共同体]]の外部から内部へ接触・[[交渉]]する[[形象]]<ref name="kotobank"/>、ともされている。 |
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*[[民俗学]]において、共同体の外部から訪れる[[来訪神]]を指す概念。'''[[まれびと|マレビト]]'''ともいう。 |
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異人と呼ばれるものの例としては、「まつろわぬもの」・[[もののけ]]・[[語り部]]<ref name="kihara7"/>、[[霊]]的[[存在]]・[[まれびと]]、[[神]]・来訪神、[[宗教者]]・[[職人]]・[[商人]]・[[乞食]]・[[旅行]]者・[[巡礼者]]、[[難民]]・[[犯罪者]]・強制的に連行されてきた人々、[[被差別民]]・[[障害者]]<ref name="hukuda87"/> などもある。 |
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異人の存在があるからこそ、共同体の人々は外との[[境界]]を区切り、[[秩序]]ある[[世界像]]を作ることができる。[[伝承]]において異人は、[[福]]を運んでくる存在として歓迎される(「客人歓待」)一方で、禍をもたらす存在として排除されたり[[犠牲]]に供されもする<ref name="kotobank"/>。 |
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英語では“Outsider”([[アウトサイダー]])、“Stranger”(ストレンジャー){{sfn|木原泰紀|2007|p=1}}、“Alien”([[エイリアン]]){{sfn|村上弘|2007|p=351 (1943)}} 等と表記される。 |
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== 文学 == |
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[[伝承]]を記録した『[[遠野物語]]』において、「異人は[[山の神]]」{{sfn|高橋康雄|2000|p=11}} とされており、そして山の神として扱われているのは[[山男]]・[[山女]]{{sfn|高橋康雄|2000|p=7}} である。 |
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木原泰紀によると「[[航海]]する[[オデッセウス]]も、まさしく[[異界]]を彷徨う[[ダンテ]]も、[[荒野]]を行く[[きちがい|狂人]][[リア王|リア]]も、[[南海]]の[[孤島]]に暮らす[[ロビンソン・クルーソー]]も、皆異人の面差しを纏っている」<ref name="kihara7">{{Harv|木原泰紀|2007|p=7}}</ref>。一方で「[[巨人 (伝説の生物)|巨人]]」、「侏儒」([[小人]])、[[奇形]]の[[女性]]といった[[フリーク]]{{sfn|木原泰紀|2007|p=4}}、[[ジプシー]]、[[物乞い]]、[[浮浪者]]、[[見世物小屋|見世物師]]も社会から排除されるか非定住的であるため「異人」だという{{sfn|木原泰紀|2007|pp=2-3}}。 |
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桃尾美佳によると[[吸血鬼]]([[ドラキュラ伯爵]])は、前[[近代]]的な[[オリエント|東方]]([[東洋|東洋世界]])から[[帝国]]へ訪れる異人である(同時に[[帝国主義]]的[[欲望]]の[[鏡像]]である){{sfn|桃尾美佳|2005|p=121}}。 |
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徐忍宇(ソ イヌ)は文学の[[主人公]]達をみんな「異人」であると見なしている。また、一般の[[女性]]もあらゆる社会で「内なる他者」として扱われてきたという意味では「異人」であり、[[社会的脆弱者]]全体も「異人」に収斂されるという。特に『[[箱男]]』の[[登場人物]]達という異人は「[[半人半獣]]」である{{sfn|徐忍宇|2007|p=67}}。 |
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=== 異人と物語の発生 === |
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木原いわく、「まつろわぬもの」([[朝敵]]として排斥された人々)、「[[もののけ]]」([[鬼]]や[[怨霊]])、[[語り部]]([[盲目]]の[[琵琶法師]]など)は異人である。そして異人は[[モノ]]でもあり、モノ(語り部)がモノ(まつろわぬもの・もののけ)を語ることが「[[物語]]」である。すなわち、「物語」とは元来、異人が異人を語ることである<ref name="kihara7"/>。 |
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そして琵琶法師は、[[西洋]]での盲目の吟遊詩人[[ホメロス]]に相当する。吟遊詩人を意味する“minstrel”には元来は「道化」の意味があるが、道化師ラヒア(Rahere)も“minstrel”であり、道化師ラヒアはバーソロミューの[[市場|市(いち)]]を開いた<ref name="kihara7"/>。その発端となった場所は、聖バーソロミュー小[[修道院]]および聖バーソロミュー病院の傍である{{sfn|木原泰紀|2007|p=2}}。このことから、木原は「異人と[[芸能]]を巡る強い結びつき」を指摘する。また、”minstrel“の役割には“story-telling”が含まれている。「まさしく道化が道化の生活を、或いは異人が異人を語っている」とし、これを東洋西洋における「物語の原初的な発生形態」と述べている<ref name="kihara7"/>。 |
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== 民俗学 == |
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[[民俗学]]において[[折口信夫]]は、[[海]]の[[彼方]]にあると信じられている[[他界]]・[[常世]]から定期的に来訪する[[霊]]的存在を「[[まれびと]]」と呼んだ。また、岡正雄は、[[年]]に一度[[季節]]を定めて他界から来訪する[[仮面]][[仮装]]の神を「異人」と呼び、日本と[[メラネシア]]に共通の現象として指摘した<ref name="hukuda87"/>。 |
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従来の民俗学では「異人歓待」や「異人殺し」を中心にしつつ、個別事例を対象にして[[分析]]が進められてきた。例えば、秋田の[[ナマハゲ]]や[[八重山列島|沖縄八重山]]の[[アカマタ・クロマタ]]のような、[[村落]]あるいは社会の外部から来訪し[[幸福]]をもたらす[[まれびと]]や、[[六部]]・[[山伏]]をはじめとする遍歴の宗教者などが対象にされていた。これに対し、通文化的(特定の時代・地域に限定されない)分析を可能にする概念として、「異人」という言葉が使われ始めたのである<ref name="hukuda87"/>。 |
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[[小松和彦]]は、「異人」を四種に類型化している<ref name="hukuda87"/>。 |
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# ある[[社会集団]]を訪れ、一時的に滞在し、所用が済めばすぐに立ち去っていく人々。例:遍歴(広く各地を巡り歩くこと、いろいろな経験を重ねること)する[[宗教者]]や[[職人]]・[[商人]]・[[乞食]]、[[旅行]]者、[[巡礼者]]など。 |
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# ある社会集団の外部から来て定着した人々。例:[[難民]]、[[商売]]や[[布教]]を目的とする商人や宗教者、社会から追放された[[犯罪者]]、強制的に連行されてきた人々など。 |
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# ある社会集団が、その内部から特定の成員を[[差別]]・排除することで生まれてくる人々。例:[[前科]]者や[[障害者]]など。 |
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# はるか彼方に存在し、想像上で間接的にしか知らない人々。例:[[外国人]]や、[[異界]]に住むと信じられている[[霊]]的[[存在]]など。 |
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「異人」という概念が生まれる時とは、ある集団が異質の存在だと規定し始めた人物[[認識]]が生じた時である<ref name="hukuda87"/>。 |
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== 心理学 == |
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井上嘉孝によれば、[[世界]]が内部・外部に二分されていた時には、人々はみずからの「[[影]]」を「異界」および「異人」として体験していた。しかし「異界」という観念が薄れていくと、内面化された「異界」は「[[無意識]]」と名づけられたという{{sfn|井上嘉孝|2007|pp=78-79}}。 |
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== その他 == |
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*古代日本では、列島内(ただし大和連合の内国外)の異民族も異人と称した。『[[大宝律令]]』には、毛人(エミシ・[[蝦夷]]人)、肥人(クマヒト・[[肥前国|肥前]]、[[肥後国|肥後]]人)、阿麻弥(アマミ・[[奄美大島|奄美]]人)らの類を「異人」と記し、「[[隼人]]・毛人を本土(内国)では異人と謂ふなり」とも記述している。 |
*古代日本では、列島内(ただし大和連合の内国外)の異民族も異人と称した。『[[大宝律令]]』には、毛人(エミシ・[[蝦夷]]人)、肥人(クマヒト・[[肥前国|肥前]]、[[肥後国|肥後]]人)、阿麻弥(アマミ・[[奄美大島|奄美]]人)らの類を「異人」と記し、「[[隼人]]・毛人を本土(内国)では異人と謂ふなり」とも記述している。 |
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*女流文学の『[[更級日記]]』([[11世紀]]中頃成立)では、異人と書いて、「ことひと」と読ませている(王朝時代に用いられた訓読みの記述例)。 |
*女流文学の『[[更級日記]]』([[11世紀]]中頃成立)では、異人と書いて、「ことひと」と読ませている(王朝時代に用いられた訓読みの記述例)。 |
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<!-- [[竹内流]][[捕手術]]や[[山口流]]などの武術では、流祖が異人から学んだと伝えられているが、この場合の異人とは西洋人ではなく、「異なる人」であり、異人=外国人という表現に疑問がある。時代によって、意味が変わっている以上、気をつける必要がある。 --> |
<!-- [[竹内流]][[捕手術]]や[[山口流]]などの武術では、流祖が異人から学んだと伝えられているが、この場合の異人とは西洋人ではなく、「異なる人」であり、異人=外国人という表現に疑問がある。時代によって、意味が変わっている以上、気をつける必要がある。 --> |
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== 出典 == |
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== 参考文献 == |
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* {{Citation|author=[[朝日新聞社]]・[[VOYAGE GROUP]]|date=2013|title=コトバンク|publisher=朝日新聞社・VOYAGE GROUP|accessdate=2013-11-15|url=https://kotobank.jp/word/%E7%95%B0%E4%BA%BA-432406}} |
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* {{Cite journal|和書|author=井上嘉孝|year=2007|title=吸血鬼と恐れの変容: 心理臨床における異界との関わりについての一考察|journal=京都大学大学院教育学研究科紀要|volume=53|pages=72-84|url=https://hdl.handle.net/2433/43992|publisher=京都大学大学院教育学研究科 |hdl=2433/43992 |ref=harv}} |
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* {{Cite journal|和書|author=木原泰紀 |date=2007-12 |url=https://u-fukui.repo.nii.ac.jp/records/26695 |title=『骨董屋』における異人 |journal=福井大学教育地域科学部紀要 第I部 人文科学(外国語・外国文学編) |ISSN=1345-6016 |publisher=福井大学教育地域科学部 |volume=63 |pages=1-9 |hdl=10098/1418 |CRID=1050001337787836928 |ref=harv}} |
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* {{Cite journal|和書|author=徐忍宇|year=2007|title=半人半獣の夢: 「異人論」を通して読む『箱男』|journal=九大日文|volume=9|pages=67-81|url=https://doi.org/10.15017/11026 |ref=harv}} |
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* {{Cite journal|和書|author=高橋康雄|year=2000|title=『遠野物語』のリアリティー(その四)|journal=比較文化論叢 : 札幌大学文化学部紀要|volume=6|pages=7-52|url=https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/records/3975 |ref=harv}} |
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* {{Cite journal|和書|author=[[福田アジオ]]ほか|year=1999|title=日本民俗大辞典〈上〉あ~そ|publisher =吉川弘文館|isbn =9784642013321 |ref={{harvid|福田アジオほか|1999}}}} |
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* {{Citation|和書|author=村上弘|year=2007|title=公共性について|journal=立命館法學|volume=2007|number=6|pages=345 (1937)-399 (1991)|url=https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/07-6/murakammi.pdf |format=PDF |ref=harv}} |
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* {{Cite journal|和書|author=桃尾美佳|year=2005|title=沈黙する怪物: 『ドラキュラ』における他者の表象|journal=リーディング|volume=26|pages=119-133|url=https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/36539|hdl=2261/50303|publisher=東京大学文学部英文研究室 |ref=harv}} |
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== 関連項目 == |
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* [[まれびと]](稀人・客人) |
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* [[なまはげ]] |
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* [[アラハバキ]] |
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** [[六部殺し]] |
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* [[アウトサイダー]] |
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** [[カーゴ・カルト]](積荷信仰) |
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** [[呪術的思考]] |
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* [[異人館]] |
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* [[亜人]] |
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2024年8月6日 (火) 04:07時点における最新版
異人(いじん、ことひと)は、「ちがう人・別人」という原義を持つ言葉[1]。
概要
[編集]社会集団の成員とは異質なものとして認識された人物[2] であり、異界の住人[3]、異国の人・異邦人・西洋人、普通でない性質を持つ人・優れた人・不思議な術を使う人[1] を意味する。共同体の外部から内部へ接触・交渉する形象[1]、ともされている。
異人と呼ばれるものの例としては、「まつろわぬもの」・もののけ・語り部[4]、霊的存在・まれびと、神・来訪神、宗教者・職人・商人・乞食・旅行者・巡礼者、難民・犯罪者・強制的に連行されてきた人々、被差別民・障害者[2] などもある。
異人の存在があるからこそ、共同体の人々は外との境界を区切り、秩序ある世界像を作ることができる。伝承において異人は、福を運んでくる存在として歓迎される(「客人歓待」)一方で、禍をもたらす存在として排除されたり犠牲に供されもする[1]。
英語では“Outsider”(アウトサイダー)、“Stranger”(ストレンジャー)[5]、“Alien”(エイリアン)[6] 等と表記される。
文学
[編集]伝承を記録した『遠野物語』において、「異人は山の神」[7] とされており、そして山の神として扱われているのは山男・山女[8] である。
木原泰紀によると「航海するオデッセウスも、まさしく異界を彷徨うダンテも、荒野を行く狂人リアも、南海の孤島に暮らすロビンソン・クルーソーも、皆異人の面差しを纏っている」[4]。一方で「巨人」、「侏儒」(小人)、奇形の女性といったフリーク[9]、ジプシー、物乞い、浮浪者、見世物師も社会から排除されるか非定住的であるため「異人」だという[10]。
桃尾美佳によると吸血鬼(ドラキュラ伯爵)は、前近代的な東方(東洋世界)から帝国へ訪れる異人である(同時に帝国主義的欲望の鏡像である)[11]。
徐忍宇(ソ イヌ)は文学の主人公達をみんな「異人」であると見なしている。また、一般の女性もあらゆる社会で「内なる他者」として扱われてきたという意味では「異人」であり、社会的脆弱者全体も「異人」に収斂されるという。特に『箱男』の登場人物達という異人は「半人半獣」である[12]。
異人と物語の発生
[編集]木原いわく、「まつろわぬもの」(朝敵として排斥された人々)、「もののけ」(鬼や怨霊)、語り部(盲目の琵琶法師など)は異人である。そして異人はモノでもあり、モノ(語り部)がモノ(まつろわぬもの・もののけ)を語ることが「物語」である。すなわち、「物語」とは元来、異人が異人を語ることである[4]。
そして琵琶法師は、西洋での盲目の吟遊詩人ホメロスに相当する。吟遊詩人を意味する“minstrel”には元来は「道化」の意味があるが、道化師ラヒア(Rahere)も“minstrel”であり、道化師ラヒアはバーソロミューの市(いち)を開いた[4]。その発端となった場所は、聖バーソロミュー小修道院および聖バーソロミュー病院の傍である[13]。このことから、木原は「異人と芸能を巡る強い結びつき」を指摘する。また、”minstrel“の役割には“story-telling”が含まれている。「まさしく道化が道化の生活を、或いは異人が異人を語っている」とし、これを東洋西洋における「物語の原初的な発生形態」と述べている[4]。
民俗学
[編集]民俗学において折口信夫は、海の彼方にあると信じられている他界・常世から定期的に来訪する霊的存在を「まれびと」と呼んだ。また、岡正雄は、年に一度季節を定めて他界から来訪する仮面仮装の神を「異人」と呼び、日本とメラネシアに共通の現象として指摘した[2]。
従来の民俗学では「異人歓待」や「異人殺し」を中心にしつつ、個別事例を対象にして分析が進められてきた。例えば、秋田のナマハゲや沖縄八重山のアカマタ・クロマタのような、村落あるいは社会の外部から来訪し幸福をもたらすまれびとや、六部・山伏をはじめとする遍歴の宗教者などが対象にされていた。これに対し、通文化的(特定の時代・地域に限定されない)分析を可能にする概念として、「異人」という言葉が使われ始めたのである[2]。
- ある社会集団を訪れ、一時的に滞在し、所用が済めばすぐに立ち去っていく人々。例:遍歴(広く各地を巡り歩くこと、いろいろな経験を重ねること)する宗教者や職人・商人・乞食、旅行者、巡礼者など。
- ある社会集団の外部から来て定着した人々。例:難民、商売や布教を目的とする商人や宗教者、社会から追放された犯罪者、強制的に連行されてきた人々など。
- ある社会集団が、その内部から特定の成員を差別・排除することで生まれてくる人々。例:前科者や障害者など。
- はるか彼方に存在し、想像上で間接的にしか知らない人々。例:外国人や、異界に住むと信じられている霊的存在など。
「異人」という概念が生まれる時とは、ある集団が異質の存在だと規定し始めた人物認識が生じた時である[2]。
心理学
[編集]井上嘉孝によれば、世界が内部・外部に二分されていた時には、人々はみずからの「影」を「異界」および「異人」として体験していた。しかし「異界」という観念が薄れていくと、内面化された「異界」は「無意識」と名づけられたという[14]。
その他
[編集]- 古代日本では、列島内(ただし大和連合の内国外)の異民族も異人と称した。『大宝律令』には、毛人(エミシ・蝦夷人)、肥人(クマヒト・肥前、肥後人)、阿麻弥(アマミ・奄美人)らの類を「異人」と記し、「隼人・毛人を本土(内国)では異人と謂ふなり」とも記述している。
- 女流文学の『更級日記』(11世紀中頃成立)では、異人と書いて、「ことひと」と読ませている(王朝時代に用いられた訓読みの記述例)。
出典
[編集]- ^ a b c d (朝日新聞社・VOYAGE GROUP 2013, p. 異人)
- ^ a b c d e f (福田アジオほか 1999, p. 87)
- ^ 福田アジオほか 1999, p. 68.
- ^ a b c d e (木原泰紀 2007, p. 7)
- ^ 木原泰紀 2007, p. 1.
- ^ 村上弘 2007, p. 351 (1943).
- ^ 高橋康雄 2000, p. 11.
- ^ 高橋康雄 2000, p. 7.
- ^ 木原泰紀 2007, p. 4.
- ^ 木原泰紀 2007, pp. 2–3.
- ^ 桃尾美佳 2005, p. 121.
- ^ 徐忍宇 2007, p. 67.
- ^ 木原泰紀 2007, p. 2.
- ^ 井上嘉孝 2007, pp. 78–79.
参考文献
[編集]- 朝日新聞社・VOYAGE GROUP (2013), コトバンク, 朝日新聞社・VOYAGE GROUP 2013年11月15日閲覧。
- 井上嘉孝「吸血鬼と恐れの変容: 心理臨床における異界との関わりについての一考察」『京都大学大学院教育学研究科紀要』第53巻、京都大学大学院教育学研究科、2007年、72-84頁、hdl:2433/43992。
- 木原泰紀「『骨董屋』における異人」『福井大学教育地域科学部紀要 第I部 人文科学(外国語・外国文学編)』第63巻、福井大学教育地域科学部、2007年12月、1-9頁、CRID 1050001337787836928、hdl:10098/1418、ISSN 1345-6016。
- 徐忍宇「半人半獣の夢: 「異人論」を通して読む『箱男』」『九大日文』第9巻、2007年、67-81頁。
- 高橋康雄「『遠野物語』のリアリティー(その四)」『比較文化論叢 : 札幌大学文化学部紀要』第6巻、2000年、7-52頁。
- 福田アジオほか「日本民俗大辞典〈上〉あ~そ」、吉川弘文館、1999年、ISBN 9784642013321。
- 村上弘「公共性について」(PDF)『立命館法學』第2007巻、第6号、345 (1937)-399 (1991)頁、2007年 。
- 桃尾美佳「沈黙する怪物: 『ドラキュラ』における他者の表象」『リーディング』第26巻、東京大学文学部英文研究室、2005年、119-133頁、hdl:2261/50303。