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また、[[麻雀]]への造詣も深く、[[日本プロ麻雀連盟]]の相談役もつとめる。麻雀の腕は相当のもので、2005年現在も存在するタイトル戦「[[十段位戦]]」は、あるプロ雀士が「連盟の最高位は九段だが、ムツゴロウさんは十段の実力の持ち主」と評したことにちなんで創設された。ちなみにこの大会には自ら出場し3回優勝している。徹夜麻雀が大好きで、ムツゴロウ王国で「誰かがぶっ倒れるまで打つ」というコンセプトの下、不眠不休で半荘40回を戦打ち続ける「[[雀魔王戦]]」というタイトル戦が行われていたこともある。この大会にも自ら出場し第1回・第2回と連覇している。伝統のタイトル戦「[[最高位戦]]」は、氏の提唱により創設された。 |
また、[[麻雀]]への造詣も深く、[[日本プロ麻雀連盟]]の相談役もつとめる。麻雀の腕は相当のもので、2005年現在も存在するタイトル戦「[[十段位戦]]」は、あるプロ雀士が「連盟の最高位は九段だが、ムツゴロウさんは十段の実力の持ち主」と評したことにちなんで創設された。ちなみにこの大会には自ら出場し3回優勝している。徹夜麻雀が大好きで、ムツゴロウ王国で「誰かがぶっ倒れるまで打つ」というコンセプトの下、不眠不休で半荘40回を戦打ち続ける「[[雀魔王戦]]」というタイトル戦が行われていたこともある。この大会にも自ら出場し第1回・第2回と連覇している。伝統のタイトル戦「[[最高位戦]]」は、氏の提唱により創設された。 |
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氏は大麻栽培許可証を持ち、大麻専門雑誌「High Times」が主催して毎年行われるアムステルダムの大麻品評会であるカナビス・カップで準優勝するほどの良品[[ムツゴールド]]を栽培した。 |
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なお、元[[西鉄ライオンズ]]投手の[[畑隆幸]]は従兄弟である。西鉄が東京に遠征に来た時には、彼は球場によく足を運んでいたと言われる。 |
なお、元[[西鉄ライオンズ]]投手の[[畑隆幸]]は従兄弟である。西鉄が東京に遠征に来た時には、彼は球場によく足を運んでいたと言われる。 |
2006年1月5日 (木) 13:59時点における版
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畑 正憲(はた まさのり、1935年4月17日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、生物学者。愛称、「ムツゴロウ」。日本エッセイスト・クラブ賞(1968年第16回)、菊池寛賞(1977年第25回)受賞。
福岡県福岡市生まれ。その後父が満州国に医師として赴任したため、幼年時代を満蒙開拓団の村で育つ。太平洋戦争のさなかに兄の受験に同行して帰国、中学、高校時代を父親の郷里である大分県日田市で過ごす。この間、終戦を迎え、満蒙開拓団の幼馴染はほとんどソ連軍の攻撃を受け集団自決で死亡、両親と弟だけが必死の逃避行の末帰国を果たす。このことにより、両親と生死を共にした弟と、日本で安全に暮らしていた自分との間に深い溝を感じるようになり、また幼馴染をほとんど全て集団自決で亡くしたことによる、根深い人間不信、人間嫌いの心情を抱くようになったことを、自分自身の随筆やインタビュー記事で告白している。これは、元来の自然史好きの傾向にくわえて、コンラート・ローレンツとの対談で自らを「クレイジー」と言わしめるほどの動物好きに傾斜していったことと無関係ではないかもしれない。理学部動物学科に進学するか、文学部哲学科に進学するか悩み、どちらにも、また父の望む医学部にも進級できる東京大学理科二類に現役で合格、結局医師である父に内緒で、理学部動物学科を選択し、動物学を専攻。学部卒業後に大学院理学系研究科修士課程に進学してアメーバの生理学的研究に携わり、この頃、日本における動物行動学の草分けである日高敏隆や、ピジョンミルクの研究で東大の研究室に出入りしていた常陸宮正仁親王とも親交を持つ。しかし、研究の途上で文学の世界で生きるか、研究者の世界で生きるか悩み、自殺寸前まで精神的に追い詰められ、恐らく未修了のまま逃げるように研究室から姿を消す。本人は書類上修了になっているか未修了になっているのかを確認していない。
その後学習研究社の映像部門に就職し、理科関係を中心に学習映画などの作成に携わる。しかし、社の成長による巨大企業化と、それによる社風の変質を嫌い、社長に直訴状を送って退職。文筆業に専念することになる。文壇では北杜夫に傾倒し、彼の作品を何度も肉筆で筆写して文体を修行した。
日田市の高校生時代の幼馴染と結婚して設けた娘を生物に深く触れさせて育てたところ、魚も命を奪って食べることを拒絶するようになったことに衝撃を受け、もっと深く生の自然に触れさせて、表面的な生き物好き的な精神の虚弱さを払拭させて育てることを決意して東京を離れ、北海道に移住。ここで多くの動物を飼育しながら文筆生活を送るうちにヒグマとの生活を描いたエッセイや、天然記念物に指定された動物の保全の現状を追跡したルポなどで文壇の中での成功をおさめる。彼の動物との共生生活を描くエッセイに共鳴して押しかけてこの共同生活に加わる若者が増え、この共同体の姿がテレビ番組としてシリーズ放映されて人気番組になったこともあり、観光施設としてのムツゴロウ王国を開園した。
また、麻雀への造詣も深く、日本プロ麻雀連盟の相談役もつとめる。麻雀の腕は相当のもので、2005年現在も存在するタイトル戦「十段位戦」は、あるプロ雀士が「連盟の最高位は九段だが、ムツゴロウさんは十段の実力の持ち主」と評したことにちなんで創設された。ちなみにこの大会には自ら出場し3回優勝している。徹夜麻雀が大好きで、ムツゴロウ王国で「誰かがぶっ倒れるまで打つ」というコンセプトの下、不眠不休で半荘40回を戦打ち続ける「雀魔王戦」というタイトル戦が行われていたこともある。この大会にも自ら出場し第1回・第2回と連覇している。伝統のタイトル戦「最高位戦」は、氏の提唱により創設された。
氏は大麻栽培許可証を持ち、大麻専門雑誌「High Times」が主催して毎年行われるアムステルダムの大麻品評会であるカナビス・カップで準優勝するほどの良品ムツゴールドを栽培した。
なお、元西鉄ライオンズ投手の畑隆幸は従兄弟である。西鉄が東京に遠征に来た時には、彼は球場によく足を運んでいたと言われる。
著作
- 天然記念物の動物たち(天然記念物に指定された動物の置かれた現状を鋭く描写したルポルタージュシリーズ)
- オオサンショウウオの川
- 人魚の国
- 北の鷲
- 梟の森
- 雷鳥の山
- 北限の猿
- オロロンの島
- 海亀の浜
- 馬の岬
- 畑正憲の精密麻雀
出演番組
- ムツゴロウと愉快な仲間たち(フジテレビ)
- この番組内で数々の猛獣と体で当たっていく姿は有名で、一度ライオンと戯れていたら畑氏の右手中指の第一関節から上を喰われてしまった映像が放映された。
映画
監督・脚本
出演
- 南へ走れ、海の道を!(1986年/松竹)
- 遥かなる山の呼び声(1980年/松竹)
原作
字幕監修
- ウォーターシップダウンのうさぎたち(1979年/日本ヘラルド映画)