ページ「アーカンソー州」と「ロイヤルアルバート橋」の間の差分
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{{Infobox Bridge |
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{{redirect|アーカンソー}} |
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|bridge_name = ロイヤルアルバート橋<br />{{Lang|en|Royal Albert Bridge}} |
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{{基礎情報 アメリカ合衆国の州 | |
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|image = Royal Albert Bridge 2009.jpg |
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公式名称 = State of Arkansas | |
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|carries = 鉄道 |
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|crosses = {{仮リンク|テイマー川|en|River Tamar}} |
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州章 = Arkansasstateseal.jpg | |
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|locale = [[イギリス]]・[[プリマス]] - {{仮リンク|サルタッシュ|en|Saltash}}間 |
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地図 = Map of USA AR.svg | |
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|maint = [[ネットワーク・レール]] |
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愛称 = 自然の州<br/>The Natural State | |
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|designer = [[イザムバード・キングダム・ブルネル]] |
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|design = レンズ状[[トラス橋]] |
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最大都市 = リトルロック | |
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|material = [[錬鉄]] |
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州知事 = マイク・ビービー | |
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|spans = 19 |
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公用語 = [[英語]] <!--1987年--> | |
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|pierswater = 3(水中のもの) |
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面積順位 = 29 | |
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|mainspan = {{convert|455|ft|m|1}}2連 |
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総面積 = 137,733 | |
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|length = {{convert|2187.5|ft|m}} |
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面積大きさ = 1 E11 | |
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|width = {{convert|16.83|ft|m}}(橋脚内側) |
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陸地面積 = 134,855 | |
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|height = {{convert|172|ft|m|1}} |
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水域面積 = 2,875 | |
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|below = {{convert|100|ft|m}} |
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水面積率 = 2.1 | |
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|begin = 1854年5月 |
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人口統計年 = 2010 | |
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|complete = 1859年4月 |
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人口順位 = 32 | |
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|open = 1859年5月2日 |
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|lat = 50.407575 |
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人口大きさ = 1 E6 | |
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|long = -4.203389 |
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加入順 = 25 | |
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加入日 = [[1836年]][[6月15日]] | |
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時間帯 = -6 | |
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夏時間 = -5 | |
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緯度 = 33° - 36°30' | |
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経度 = 89°41' - 94°42' | |
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幅 = 385 | |
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長さ = 420 | |
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最高標高 = 839 | |
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平均標高 = 198 | |
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最低標高 = 17 | |
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ISOコード = US-AR | |
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Website = www.state.ar.us| |
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上院議員 = [[マーク・プライアー (政治家)|マーク・プライアー]]<br />[[ジョン・ボーズマン]] |
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'''ロイヤルアルバート橋'''(ロイヤルアルバートきょう、{{Lang-en|Royal Albert Bridge}}、場合によってはサルタッシュ橋 {{Lang|en|Saltash Bridge}})は、[[イギリス]]の[[デヴォン]]・[[プリマス]]と[[コーンウォール]]・{{仮リンク|サルタッシュ|en|Saltash}}を結ぶ{{仮リンク|テイマー川|en|River Tamar}}に架かる[[鉄道橋]]である。特徴的な長さ455[[フィート]](約138.7 [[メートル|m]])の2連のレンズ状[[錬鉄]]トラスが水面上100フィート(約30.5 m)に架設されており、アプローチの桁は在来型の[[桁橋|プレートガーダー]]となっている。これにより全長は2,187.5フィート(約666.8 m)となっている。コーンウォールへ結ぶ{{仮リンク|コーニッシュ本線|en|Cornish Main Line}}を通している。 |
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'''アーカンソー州''' ('''Arkansas AR''')は、[[アメリカ合衆国|米国]]南部の[[州]]。州の北は[[ミズーリ州]]に接し、東は[[テネシー州]]と[[ミシシッピ州]]に、西は[[オクラホマ州]]と[[テキサス州]]に、南は[[ルイジアナ州]]に接している。略称Ark.,AR。 |
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設計は[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]による。調査は1848年に開始され、1854年に着工した。1857年に最初の主桁が架設され、1859年5月2日に[[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|アルバート王子]]の臨席により開通した。ブルネルはこの年の末に亡くなり、記念として橋の両端の入口部分に名前が描かれている。20世紀になってから、アプローチの桁を交換し主桁を補強する工事が行われている。その建設以来多くの観光客を集め、多くの絵画・写真・ガイドブックに載っている。開通の100周年・150周年行事が1959年と2009年にそれぞれ行われている。 |
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== 歴史 == |
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{{Main|アーカンソー州の歴史}} |
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州名は、[[インディアン]]部族の[[クアポー族]]の別名「アーカンサス族」から採られたもので、[[アルゴンキン語族]]の言葉で「下流の人々」を意味する。綴りArkansasの発音方法は州議会で決められた。アーカンザスかアーカンソーか揉めた末、[[1881年]]の議会の議決によってアーカンソーとなった。間違って発音するのは違法ではないが、奨励されていない。 |
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== コーンウォール鉄道 == |
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[[アーカンザス川]](州名の由来となった川だがこちらは「アーカンザス」とよむ)が中央部を西から東に流れ、北部は[[オザーク高原]]。農業州で、近年は[[大豆]]や[[米]]、[[ブロイラー]]、[[綿花]]などを産する。[[石油]]、[[石炭]]、[[ボーキサイト]]などの資源もあるが経済的水準は低い。 |
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[[ファルマス (コーンウォール)|ファルマス]]へ結ぶ鉄道は、1830年代に2つの異なる提案が行われた。「中央案」は、[[エクセター]]から{{仮リンク|ダートムーア|en|Dartmoor}}の北を周っていく経路で、建設は簡単であったが中間の交通量は少なかった。もう一方は「海岸案」で、多くの技術的に困難な点がある路線であったが、重要な海軍の町プリマスと{{仮リンク|セントオーステル|en|St Austell}}周辺の工業地帯を通ることができる。中央案は{{仮リンク|ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道|en|London and South Western Railway}}が支持していたのに対し、海岸案は{{仮リンク|コーンウォール鉄道|en|Cornwall Railway}}と、{{仮リンク|デヴォンポート (デヴォン)|en|Devonport, Devon|label=デヴォンポート}}において{{仮リンク|サウス・デヴォン鉄道|en|South Devon Railway Company}}とこの鉄道が接続することを望む[[グレート・ウェスタン鉄道]]が支持していた。1845年にコーンウォール鉄道は[[議員立法]]を提案したがこれは却下された。これは、{{仮リンク|ウィリアム・ムーアソン|en|William Moorsom}}の計画では{{仮リンク|ハーモウズ|en|Hamoaze}}の入江を[[鉄道連絡船]]で結ぶことになっていたことも一因であった。これを受けてイザムバード・キングダム・ブルネルは主任技術者を引き継ぎ、テイマー川上流のサルタッシュで川を渡る提案を行った。この提案に基づく法案は1846年8月3日に通過した<ref>{{cite book| last = Ostler| first = Edward| title = History of the Cornwall Railway 1835-1846| publisher = Avon-Anglia| year = 1982| location = Weston-super-Mare| isbn = 0-905466-48-9}}</ref>。 |
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== 設計 == |
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[[1803年]][[ルイジアナ買収]]により米領となり、[[1819年]][[準州]]となり、[[1836年]]連邦加入。宗教的・政治的には保守的。[[黒人]]が多く[[1957年]]には白人と黒人の共学をめぐり[[リトルロック (アーカンソー州)|リトルロック]]で暴動が起きるなど[[奴隷州]]としての色彩が強かった。[[連合国軍最高司令官総司令部]]最高司令官(GHQ/SCAP総帥)であった[[ダグラス・マッカーサー]]の出身地、また、[[1992年]][[民主党 (アメリカ)|民主党]]の[[ビル・クリントン]]がこの州出身者として初めて[[大統領]]に選出された。 |
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[[ファイル:Bridges 18.png|thumb|left|1径間とその橋脚を描いた図]] |
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設計は、19世紀中盤に架けられた巨大な錬鉄製橋梁3つのうちの最後の橋として、これ以前に[[ロバート・スチーブンソン]]が設計して架けた2つの橋に影響を受けている。ブルネルの橋の2つの中央径間は、スチーブンソンが[[ニューカッスル・アポン・タイン]]の[[タイン川]]に1849年に架けた{{仮リンク|ハイ・レベル橋|en|High Level Bridge}}の設計の新しい応用であった。また同年、[[メナイ海峡]]を渡る[[ブリタニア橋]]の橋桁をスチーブンソンが架設する作業を行った際にブルネルは現地を訪問していた<ref>{{cite book|last = Norrie|first = Charles Matthew|title = Bridging the Years - a short history of British Civil Engineering|publisher = Edward Arnold (Publishers) Ltd|year = 1956}}</ref>。1849年から1853年にかけてブルネル自身も鉄製の橋を架けている。[[ワイ川]]に架かる{{仮リンク|チェプストウ鉄道橋|en|Chepstow Railway Bridge}}は、{{仮リンク|サウス・ウェールズ鉄道|en|South Wales Railway}}を通しており、後にロイヤルアルバート橋に用いられた方法と同様の、300フィート(約91 m)の曲がったチューブ状の主桁を用いたトラスと100フィート(約30 m)の在来型プレートガーダーのアプローチを特徴としていた<ref name=Binding>{{cite book|last = Binding|first = John|title = Brunel's Royal Albert Bridge|publisher = Twelveheads Press|year = 1997|location = Truro|isbn = 0-906294-39-8}}</ref>。 |
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サルタッシュでは、テイマー川は約1,100フィート(約340 m)の幅である。ブルネルの最初の構想では、ここを木造の橋で渡り、その中央の支間は255フィート(約78 m)、6つのアプローチの支間は105フィート(約32 m)で、水面上80フィート(約24 m)の空頭高を確保するものであった。しかしこれは、航行可能な水路に法的な責任を持つ海軍本部によって却下され、ブルネルは100フィート(約30 m)の空頭高を確保するために2つの中央支間を300フィート(約91 m)に、2つのアプローチ支間を200フィート(約61 m)とする設計を考え出した<ref name=MacD>{{cite book| last = MacDermot| first = E T| title = History of the Great Western Railway, volume II 1863-1921| publisher = [[グレート・ウェスタン鉄道]]| year = 1931| location = London}}</ref>。実際に建設された最終設計では、2つの錬鉄製主桁の支間は455フィート(約138.7 m)、空頭高は平均的な大潮の時期に対して100フィート(約30.5 m)となった。この2つの支間はレンズ状のトラスとなっており、上側の弦は重いチューブ状の圧縮力を受けるアーチとなっており、一方で下側の弦は鎖で構成されている。各トラスは単純に載せられているだけであるので、橋脚には水平方向の力はまったく働かなくなっており、これは両端の曲線を描いた線路を考えると重要である。これら2つの弦の間にはX字の補強材が入っており、また下弦より下にある線路を通す連続プレート桁を吊るハンガーが通されている。また両岸には17の短い在来型のプレートガーダーのアプローチがある。コーンウォール側の岸では、サルタッシュ駅から川の方へ向かって67.5フィート (20.6 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、72.5フィート (22.1 m)、78.0フィート (23.8 m)、93.0フィート (28.3 m) の10径間で、これに対してデヴォン側の岸では川から岸へ向かって93.0フィート (28.3 m)、83.5フィート (25.5 m)、78.0フィート (23.8 m)、72.5フィート (22.1 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)の7径間となっている。これにより19支間で全長2,187.5フィート (666.8 m)となっている<ref name=Binding/>。 |
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== 地理 == |
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''参照:[[アーカンソー州の郡一覧]]、[[w:List of cities in Arkansas]]、[[w:List of Arkansas townships]].'' |
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== 歴史 == |
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アーカンソー州の州都は[[リトルロック (アーカンソー州)|リトルロック]]である。アーカンソー州は[[ダイヤモンド]]が自然に埋蔵されている事が発見された合衆国内で唯一の州である([[マーフリースボロ (アーカンソー州)|マーフリースボロ]]近郊)。 |
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=== 建設 === |
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[[ファイル:Brunels Royal Albert Bridge tide recorder.jpg|thumb|right|ブルネルの調査に際して、彼が設計した水位記録計]] |
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最初の作業は河床を正確に調査することであった。1848年4月26日、直径6フィート(約1.8 m)、高さ85フィート(約25.9 m)の鉄製の円筒がテイマー川に送り出された。この円筒の底で、河床を調査してその性質や堅固な基礎の位置を調査した。コーンウォール鉄道はこの時点では必要な資金を集めることができず、ほとんどの作業はこの年の夏に中断されたが、わずかな資金でブルネルは調査を続行することができた。円筒は35か所に降ろされて、合計175本の[[ボーリング]]が実施された<ref name=Binding/>。 |
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1853年、コーンウォール鉄道取締役会はこの橋の入札を行うことを決定し、[[ロンドン]]・{{仮リンク|ブラックウォール (ロンドン)|en|Blackwall, London|label=ブラックウォール}}の造船業者で、[[ブリタニア橋]]の鉄構を請け負ったチャールズ・メア (Charles Mare) に建設作業を請け負わせることになった。彼がロイヤルアルバート橋を建設するために必要と見積もった額は162,000[[スターリング・ポンド|ポンド]]であったが、1855年9月21日、メアは破産してしまった。ブルネルは会社に対して、他に契約して請け負わせずに会社自身がこの作業を引き継ぐべきであると提案し、会社もこれに同意した。 |
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アーカンソー州は[[w:Blanchard Springs Caverns]]等、多くの[[w:List of caves in Arkansas|洞窟]]が存在する。[[ホットスプリングス国立公園]] 及び [[w:Buffalo National River]] はこの境界線内で発見する事もできる。 |
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[[ファイル:Royal Albert Bridge 1854.jpg|thumb|left|建設中の最初の桁と中央の橋脚、1854年にサルタッシュ側から見たもの]] |
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== 人口動勢 == |
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メアの最初の仕事は、デヴォン側の岸に桟橋と工場を備えた組み立て作業場を設置することであった。その後、直径37フィート(約11.3 m)、高さ90フィート(約27.4 m)の鉄製の円筒が造られ、これが中央の橋脚を建設する作業場とされた。円筒は1854年5月に送り出され、川の中央で4つの[[ポンツーン]]の間に係留された。円筒の底は、1848年に調査された基盤の岩の形状に合わせて造られていた。川の底に円筒を設置して、その中の水がポンプで抜かれ、中の泥が掻き出された後、水のない状態で堅固な石の橋脚が建設された。この作業は1856年11月に完了した。 |
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{{歴史的人口 |
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| [[w:United States Census, 1810|1810年]] | 1062 |
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| [[w:United States Census, 1820|1820年]] | 14273 |
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| [[w:United States Census, 1830|1830年]] | 30388 |
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| [[w:United States Census, 1840|1840年]] | 97574 |
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| [[w:United States Census, 1850|1850年]] | 209897 |
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| [[w:United States Census, 1860|1860年]] | 435450 |
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| [[w:United States Census, 1870|1870年]] | 484471 |
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| [[w:United States Census, 1880|1880年]] | 802525 |
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| [[w:United States Census, 1890|1890年]] | 1128211 |
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| [[w:United States Census, 1900|1900年]] | 1311564 |
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| [[w:United States Census, 1910|1910年]] | 1574449 |
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| [[w:United States Census, 1920|1920年]] | 1752204 |
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| [[w:United States Census, 1930|1930年]] | 1854482 |
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| [[w:United States Census, 1940|1940年]] | 1949387 |
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| [[w:United States Census, 1950|1950年]] | 1909511 |
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| [[w:United States Census, 1960|1960年]] | 1786272 |
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| [[w:United States Census, 1970|1970年]] | 1923295 |
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| [[w:United States Census, 1980|1980年]] | 2286435 |
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| [[w:United States Census, 1990|1990年]] | 2350725 |
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| [[w:United States Census, 2000|2000年]] | 2673400 |
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| [[w:United States Census, 2010|2010年]] | 2915918 |
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2005年現在、アーカンソー州は前年より29,154人、または1.1%増加し、2000年より105,756人、または4.0%増加した、人口2,779,154人と概算された。これは52,214人 (出生198,800人、死亡146,586人) と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者57,611人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は21,947人増加する事となり、合衆国内部の移住者は35,664人増加する事になる。約48.8%が男性で、51.2%が女性である。 |
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川のコーンウォール側にある陸向きの橋脚は1854年に完成し、これらの橋脚に載せられる桁は正しい位置に持ち上げられて設置された。次に建設されるのはコーンウォール側の主トラスであった。トラスの下弦は全長20フィート(約6.1 m)の長さのリンクで造られた鎖で構成されている。この鎖の多くは、やはりブルネルが取り組んでいたが中断されていた{{仮リンク|クリフトン吊橋|en|Clifton Suspension Bridge}}から持ってきたもので、残りはサルタッシュにおいて新たに製造された。コーンウォール側の桁は1857年9月1日に所定の位置まで浮かせて移動され、そこから3フィート(約910 [[ミリメートル|mm]])ずつ、桁の下の橋脚が造られるたびに所定の高さまでジャッキアップされていった。中央の橋脚では八角形の[[鋳鉄]]製の柱が使われたが、陸側の橋脚は通常の石造のものであった。 |
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アーカンソー州の[[人口重心]]は[[ペリー郡 (アーカンソー州)|ペリー郡]]の北東角となっている[http://www.census.gov/geo/www/cenpop/statecenters.txt]。 |
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[[ファイル:Royal albert bridge hist.jpg|thumb|right|2番目の主桁が所定の位置まで移動され、最初の12フィート(約3.7 m)を持ち上げられた状態]] |
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人種的にアーカンソー州は: |
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トラスの組み立て作業場から最初のトラスが運び出されたので、デヴォン側のトラスの組み立て作業を始められることになった。これは最初のトラスとまったく同様に、1858年7月10日に浮かせて所定の位置に移動され、そこから同様の方法で持ち上げられていき、1858年12月28日に最終的な位置に据えられた。このトラスが運び出された後、作業場の一部は陸側の橋脚を立てるために整理され、その後デヴォン側のアプローチの桁が所定位置に持ち上げられた。作業が十分進捗したため、工事監督は1859年4月11日には列車で通って検査をすることができるようになった。 |
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* 78.6% ヒスパニック以外の白人 |
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* 15.7% [[黒人]] |
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* 3.2% ヒスパニック |
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* 0.8% アジア |
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* 0.7% [[インディアン]] |
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* 1.3% 混血 |
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コーンウォール側のトラスは、現地に送りだされる前に試験が行われた。両端が木造の頑丈な橋脚で支えられ、他の足場は撤去された。桁に対して静的な荷重が1フィートあたり1.25トン、その次に2.25トンかけられ、桁のたわみと荷重を除去した後の変化を測定された。架設が完了した後、橋は{{仮リンク|通商委員会|en|Board of Trade}}を代表する{{仮リンク|ウィリアム・ヨランド|en|William Yolland}}により、1859年4月20日に法令に基づく検査を受けた。彼は重い列車を橋に走らせ、メイントラスのたわみを測定した。デヴォン側のトラスは1.14[[インチ]](約29 mm)、コーンウォール側のトラスは1.20インチ(約30 mm)と測定された。全体として、彼は高く満足できると評した<ref name=Binding/>。 |
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この州内で5つの最大な祖先グループは:アメリカ人 (15.9%)、黒人 (15.7%)、[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド系]] (9.5%)、[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系]] (9.3%)、[[イギリス系アメリカ人|イギリス系]] (7.9%)。 |
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{{-}} |
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=== |
=== 開通日 === |
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アルバート王子は、1853年にはこの橋が彼の名前にちなんで名付けられることに同意していた。彼はまた開通の式典を行うように招かれ、1859年5月2日に[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]から特別列車で出発した。数千人の見物客も出席したが、ブルネル本人は病気のために出席できなかった<ref name=Bennett>{{cite book| last = Bennett| first = Alan| title = The Great Western Railway in East Cornwall| publisher = Runpast Publishing| year = 1990| location = Cheltenham| isbn = 1-870754-11-5}}</ref>。またコーンウォール側からの参加者は、{{仮リンク|リスカード|en|Liskeard}}において乗っていた列車が故障してしまったため、式典に遅れてしまった<ref>{{cite journal| title = Illustrated Railway Supplement| journal = West Briton & Cornwall Advertiser| issue = 2547| year = 1859| accessdate = }}</ref>。一般営業は1859年5月4日に開始された<ref name=MacD/>。 |
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2000年現在、5歳及びそれ以上のアーカンソー州の95.0%は自宅で[[英語]]を話し3.3%は[[スペイン語]]を話している。[[フランス語]]は3番目に多く話されている言語であり、0.3%が話している。これに0.3%である[[ドイツ語]]と0.1%である[[ベトナム語]]が続く。 |
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=== 1859年以降の変化 === |
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1859年9月5日のブルネルの死後、彼を記念して''I.K. BRUNEL, ENGINEER, 1859''という大きな金属製の文字が橋の両端に取り付けられた。1921年には新しい取付通路が追加されたためにこの文字がよく見えなくなっていたが、2006年に[[ネットワーク・レール]]がこれを移動させたため、再び文字を綺麗に見ることができるようになった<ref name=Walkways>{{cite web|title = Brunel's Royal Albert Bridge unveiled in all its splendour|publisher = [[ネットワーク・レール]]|url = http://www.networkrailmediacentre.co.uk/Virtual-press-packs/Brunel-Bicentennial-Celebrations-730/SearchCategoryID-ffffffff.aspx|accessdate=2010-03-24}}</ref>。この通路はかつて1959年に一時的に撤去され、その百周年の年の間橋はライトアップされていた<ref name=Binding/>。 |
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多くの他の南部州と同じく、アーカンソー州は圧倒的なプロテスタントである。住民の宗教的関係は以下のようになる: |
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より重い[[機関車]]が通行できるようにするため、401本の新しいクロスガーダーが1905年に取り付けられた。1908年には{{仮リンク|サルタッシュ駅|en|Saltash railway station}}にもっとも近い2つの桁について、新しい配線を実現するために幅の広いものに交換された。これ以外のアプローチの桁については、1928年から1929年にかけてすべて交換された。1930年代には新しいX字の補強材と斜め方向の対傾構が垂直のハンガーの間に追加され、橋をさらに強化し、吊っている鎖が正しい形となるようにした<ref name=Binding/>。 |
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* [[キリスト教]] – 86% |
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** [[プロテスタント]] – 78% |
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*** [[バプテスト教会|バプテスト]] – 39% |
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*** [[メソジスト]] – 9% |
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*** [[ペンテコステ運動]] – 6% |
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*** [[:en:Church of Christ]] – 6% |
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*** [[アッセンブリーズ・オブ・ゴッド]] – 3% |
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*** 他のプロテスタント – 15% |
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** [[カトリック教会|ローマ・カトリック]] – 7% |
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** 他のキリスト教 – 1% |
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* 他の宗教 – <1% |
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* 無宗教 – 14% |
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== 橋を見る == |
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== インディアン部族 == |
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[[ファイル:Royal Albert Bridge view point.jpg|thumb|right|デヴォン側のテイマー橋事務所の近くにあるビューポイントから見た橋]] |
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[[image:DeSoto Map Leg 3 HRoe 2008.jpg|thumb|left|250px|[[エルナンド・デ・ソト]]が遠征した16世紀のアーカンソー周辺のインディアン集落]] |
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現在でも、コーニッシュ本線を走る列車でこの橋を通行することは可能で、またテイマー川を通る船で橋の下をくぐることもできる。クルーズ船はフェニックス岸壁、プリマス、サルタッシュ、{{仮リンク|カルストック|en|Calstock}}の間で運航されている<ref>{{cite web| title =Plymouth Boat Cruises| publisher =Sound Cruising| url = http://www.soundcruising.com/index.php?Act=Home| accessdate = 2008-07-16}}</ref>。他にも橋の周辺にいくつかのビューポイントがある。 |
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[[image:Casqui Parkin Site HROE 2009 01.jpg|thumb|left|250px|16世紀のカスクィ村の復元図]] |
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[[カド|カドー族]]連合、[[チェロキー族]]、[[チカソー族]]、[[チョクトー族]]、[[イリニ族]]、[[カスキナンポ族]]、[[オフォ族]]、[[オーセージ族]]、[[クアポー族]]、[[チュニカ族]]、[[ヤズー族]]などの[[インディアン]]部族が農耕生活を営み、ことにイリニ族や多数の部族が、柵で囲まれた土塁建築による大規模な都市を築いていた。17~18世紀に入ると、白人入植者によって彼らの社会は完全に破壊され、ほとんどの部族は滅ぼされた。 |
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* {{仮リンク|サルタッシュ駅|en|Saltash railway station}} ({{coord|50.40719|N|4.20924|W|type:landmark_region:GB}}) |
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州名の由来となった「アーカンサス族([[クアポー族]])」をはじめ、この州のインディアン部族のほとんどは、19世紀に他州へ強制移住させられた。アメリカ連邦政府によって公式に認定され、[[インディアン居留地|保留地]](Reservation)を領有するインディアン部族は一つもない。 |
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: コーンウォール側のアプローチは[[プラットホーム]]の端からすぐに始まっている。この桁は橋の上の単線が駅に入る前に2本に分岐できるようにするために、1908年に交換されている。 |
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* サルタッシュ埠頭 ({{coord|50.40779|N|4.20614|W|type:landmark_region:GB}}) |
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: サルタッシュの前の浜は、主支間のコーンウォール側端の橋脚に続いている。橋を記念して文字を彫り込まれた石が橋の下、陸側のフォア通りに沿ってある。 |
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* {{仮リンク|テイマー橋|en|Tamar Bridge}} ({{coord|50.40777|N|4.19974|W|type:landmark_region:GB}}) |
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: 道路の橋が鉄道の橋に対して北側の少し高い位置に並行に架けられている。無料の徒歩および自転車用通路が道路橋の南側に位置しており、そこから鉄道橋の詳細を見ることができる。自動車の料金所わきのガラス張りの部分では、デヴォン側の端の様子を見ることができる。 |
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* セント・ブドー通路 ({{coord|50.40585|N|4.20069|W|type:landmark_region:GB}}) |
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: デヴォン側の橋脚へは、セント・ブドーのウォーターフロントから行くことができる。トラスが組み立てられた作業場は、海岸へ下る道路の下、橋の脇のあたりにあった。 |
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[[ファイル:Tamar Bridge and Brunel or Royal Albert Bridge panorama.jpg|thumb|center|500px|テイマー橋から見たロイヤルアルバート橋のパノラマ]] |
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なおもこの州に先住するインディアン部族は20世紀にすべて「絶滅部族」として認定を取り消され、保留地を没収された。現在インディアン部族は、北西部オザーク及びこの州の中央部に強力に存在し、「復活したワシタのインディアン・アーカンソー&アメリカ」を組織して部族の再認定と保留地の返還を求めている。 |
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[[image:Parkin phase sites HRoe 2008.jpg|thumb|right|250px|アーカンソー州に残る、インディアンによる先史時代の墳墓集落遺跡]] |
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== 文化的影響 == |
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一方、同州に本部を置く「アメリカインディアンの生得権の支援センター(The American Indian Heritage Support Center)」は、これらの部族・団体を「身元の怪しい詐欺集団」と弾劾していて、事の正否はインディアンにしかわからないものとなっている。支援センターは、これらの団体の活動に多数の白人ブローカーや「プラスチック・メディスンマン」(えせ呪い師)の介在を指摘し、営利性の強さを指摘しているのである。 |
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[[ファイル:Brunel museum rab bench.jpg|left|thumb|ロンドン・{{仮リンク|ロザーハイズ|en|Rotherhithe}}にある{{仮リンク|ブルネル博物館|en|Brunel Museum}}に設置されているベンチ、橋の模型になっている]] |
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このような巨大で目立つ橋の建設はすぐに一般大衆の関心を惹いた。コーンウォール側の橋桁を1857年に送り出した際には約2万人の群衆が集まり<ref name=Bennett/>、デヴォン側の橋桁を送り出した日も開通した日も多くの人がこれを見に来た<ref name=Binding/>。建設中は多くの写真が撮影され、また開通後はこの地域の芸術家、{{仮リンク|アルフレッド・ウォリス|en|Alfred Wallis}}によるものなど、多くの絵の題材にもなった<ref>{{cite web| last =Blair| first =Andy| title = Alfred Wallis: Artist & Mariner| url =http://www.alfredwallis.org.uk/| accessdate = 2009-07-15}}</ref>。多くの写真や絵はがきにも登場する<ref>{{cite web| title =Photos of Saltash| work =Francis Frith| publisher =Frith Content Inc.| url =http://www.francisfrith.com/saltash/photos/| accessdate = 2009-08-21}}</ref>。 |
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開通したその年にはすでにガイドブックにも記載されている。「これは[[ヘーラクレース|ヘラクレス]]のなす仕事に違いないが、ブルネル氏はこれを実現してしまった」と褒めたたえ、橋の設計と建設の詳細を報告して「世界に比類のない新規で想像性に満ちた建造物」だとしている<ref>{{cite book| last = Murray| first = John| title = Murray's Handbook for Devon and Cornwall| publisher = John Murray | year = 1859| location = London| isbn = 0-7153-5293-8 }}</ref>。100年以上経っても橋は多くの旅行ガイドに現れ続けている<ref>{{cite web| last =Hesp| first =Martin| title =My magnificent rail journey| work =Western Morning News| publisher =Western Morning News|url=http://www.thisisplymouth.co.uk/news/magnificent-rail-journey/article-209062-detail/article.html| year =2008| date =2008-07-07| accessdate = 2008-07-14}}</ref>。{{仮リンク|ジョン・ベチェマン|en|John Betjeman}}は、旅行者に与える影響を以下のように総括している。 |
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アメリカ連邦政府に対する、絶滅扱いされた非公認インディアン団体の公式認定要求で、資金集めに名を借りたこういったブローカーの暗躍は、インディアン社会ではしばしば指摘されている問題である。 |
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:: グレート・ウェスタン鉄道から見られるプリマスの灰色のスレートと裏庭の景色がサルタッシュの橋の驚きを一層引き立てている。上流にも下流にも、灰色の軍艦がテイマー川に係留されている。100フィート下では、デヴォンからサルタッシュへ向かう哀れな蒸気フェリーがブルネルの壮大な橋と競争しようとしている<ref>{{cite book|last = Perry|first = George (editor)|title = 'The Book of the Great Western|publisher = Sunday Times Magazine|year = 1970|location = London|isbn = 0-7230-0018-2}}</ref>。 |
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アーカンソー州では、州下の学校のクラブチームに、1931年から[[オーセージ族]]に因んで「インディアン・マスコット」の応援キャラクターが使われてきた。同州は、2008年2月28日に、バスケットボールのホームゲームの終了を以て、この「インディアン・マスコット」を公式に廃止した。文化も風俗も無視した[[ステレオタイプ]]なインディアンのスポーツ・マスコットは、「インディアンをおもちゃ扱いする人種差別である」として、全米のインディアン団体が根絶廃止を求めている対象のひとつである。 |
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橋は、デヴォンからコーンウォールへの変化の象徴となっている。グレート・ウェスタン鉄道の発行した旅行ガイド「コーニッシュ・リヴィエラ」では、{{仮リンク|ピーター・マイス|en|Petre Mais}}が「旅行者を[[カウンティ]]、他より豊かなものであれば間違いなくまだイングランドのカウンティであるところから、あらゆる観点でイングランド的ではない[[公爵領]]へと旅行者を誘う魔法のような輸送手段である。サルタッシュの橋を渡る際に目を閉じれば、目を開けると海外の景色を見ることになる」<ref>{{cite book| last = Mais| first = SPB| title = The Cornish Riviera| publisher = [[グレート・ウェスタン鉄道]]| date = 3rd ed. 1934| location = London}}</ref>と評している。しかし[[コーンウォール人]]はこれを違った見方をしており、イングランドのフォークデュオ{{仮リンク|ショー・オブ・ハンズ|en|Show of Hands}}はその"Cousin Jack"という歌の中で「私はテイマー川の橋を夢見る。それは我々を東に解き放った」と歌っている。 |
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≪アメリカ連邦政府に公式認定を要求中のインディアン部族と団体≫ |
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[[Image:Trail of tears sign.jpg|right|thumb|200px|アーカンソー州を通る「高速国道71号線」は、かつてチェロキー族の[[オクラホマ州]]への強制移住([[涙の道]])に使われた経路である。]] |
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*「[[チェロキー族]]」 |
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:「アモンスクアース・バンド」 |
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:「北チェロキー族」 |
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:「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族」 |
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:「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族・アウィ・アクタ・バンド」 |
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:「北チェロキー族・旧ルイジアナ領土部族・アニ・ツィ・ナ・バンド」 |
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:「北チェロキー族・ミズーリ&アーサンサス」 |
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:「西チェロキー族・アーカンサス・バンド」 |
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:「西チェロキー族連邦・アーカンサス」 |
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:「アーカンサスとルイジアナ領土の西チェロキー族」 |
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:「東チェロキー族・南方バンド・ミズーリ&アーサンサス」 |
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:「チカマウガ・チェロキー族」 |
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:「チカマウガ・チェロキー族・ホワイトリバー・バンド」 |
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:「チカマウガ・チェロキー族・サックリバー&ホワイトリバー・バンド」 |
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:「アーカンサス・チェロキー族」 |
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:「中央部族会議」 |
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:「失われたチェロキー族・ミズーリ&アーサンサス」 |
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:「アーカンサス旧移民チェロキー族」 |
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:「オザーク山チェロキー族」 |
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:「チェロキー族の赤い国家」 |
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:「ネチェス・バンド」 |
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またITV1のテレビ番組「{{仮リンク|ザ・ウェスト・カントリー・トゥナイト|en|The West Country Tonight}}」では、旧ウェストカントリーリージョンの間の背景表示となっている。 |
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*「チェロキー・[[チョクトー族]]」 |
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*「復活した[[クアチタ族]]」 |
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=== 特別行事 === |
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[[ファイル:Saltash station 2009 plaque unveiled.jpg|thumb|right|橋の150周年を祝って、2009年5月4日にサルタッシュ駅に新しい記念プレートが除幕された]] |
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アーカンソー州ではインディアン部族は絶滅したことになっているので、部族が運営する「インディアン・カジノ」は現在のところ一軒もない。 |
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特別な機会には行事が行われている。 |
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* 1859年 - 一般に営業開始する2日前に、アルバート王子臨席で橋が開通した。ウィンザーから特別列車で到着し、橋と作業場の周りを見せられ、王室ヨットに乗って帰った<ref name=Binding/>。 |
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* 1959年 - 100周年を記念して、1959年の1年間橋がライトアップされた<ref name=Binding/>。 |
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* 2006年 - イザムバード・キングダム・ブルネルの200回目の誕生日がネットワーク・レールにより祝われ、橋の入口に記載された彼の名前を覆っていた保守通路が撤去された。 |
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* 2009年 - この年は橋の開通150周年であった。祝日と週末であった5月2日から4日は150周年記念の特別行事が数多く開催され、橋をガイド付きで渡る行事や、開通日の情景の再現などが行われた<ref>{{cite web | title =Events list | publisher =Royal Albert Bridge official website | url =http://www.royalalbertbridge.co.uk/html/events_-_2009.html | accessdate = 2009-04-08}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
|||
1988年に制定された「インディアン賭博規制法」は、連邦公認されているインディアン部族に、州政府の管轄権の及ばない土地に限ってカジノ設営を認める連邦法である。この場合の土地は「Reservation([[インディアン居留地|保留地]])」、つまり連邦か州に認定された部族だけが領有できる土地、または彼らが「内務省預かり」とした土地を言う。 |
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{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist}} |
|||
隣州の[[オクラホマ州]]に保留地を領有するオクラホマ・[[チェロキー族]]の主軸組織「キーツーワー・バンド連合」は、この規定に則ってアーカンソー州のスミス砦内に、部族カジノの「河岸のカジノ」を計画、10エーカー(約4万㎡)の土地を連邦信託の保留地(Reservation)とする申請書を提出した。この計画が実現すれば、オクラホマのチェロキー族のカジノはアーカンソーのチェロキー族同胞の雇用を生むことなり、彼らに対し多大な経済的効果が及ぶとみられる。 |
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2008年1月、米国内務省はこのキーツーワー連合の申請を却下し、その理由として「彼らの保留地からカジノまで距離が遠すぎる」と説明した。これは全くの新方針であり、キーツーワー連合はこれを驚くべき方針変化としている。予定地はオクラホマの彼らの保留地から90マイル(約145km)離れており、19世紀にアメリカ連邦国家によって強制移住させられる前の、彼らの本来の故郷に近い地である。この距離基準に基づき、内務省は他州の10部族から同州に出された同様の申請書をすべて却下した。 |
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つまり、アーカンソー州はインディアンの権利を一切認めていない州である。 |
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== 主要都市 == |
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州内には、人口20,000人以上の都市が22ある(以下の一覧はアルファベット順)。 |
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[[ファイル:Littlerock.JPG|thumb|right|州都リトルロックはアーカンソー州最大の都市である。]] |
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{{colbegin}} |
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* [[ベントン (アーカンソー州)|ベントン]] ([[:en:Benton, Arkansas|Benton]]) |
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* [[ベントンビル (アーカンソー州)|ベントンビル]] (Bentonville) |
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* [[カボット (アーカンソー州)|カボット]]<!--キャボット--> ([[:en:Cabot, Arkansas|Cabot]]) |
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* [[コンウェイ (アーカンソー州)|コンウェイ]] ([[:en:Conway, Arkansas|Conway]]) |
|||
* [[エルドラド (アーカンソー州)|エルドラド]] ([[:en:El Dorado, Arkansas|El Dorado]]) |
|||
* [[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]] (Fayetteville) |
|||
* [[フォートスミス (アーカンソー州)|フォートスミス]] (Fort Smith) |
|||
* [[ホットスプリングス (アーカンソー州)|ホットスプリングス]] (Hot Springs) |
|||
* [[ジャクソンヴィル (アーカンソー州)|ジャクソンヴィル]] ([[:en:Jacksonville, Arkansas|Jacksonville]]) |
|||
* [[ジョーンズボロ (アーカンソー州)|ジョーンズボロ]] ([[:en:Jonesboro, Arkansas|Jonesboro]]) |
|||
* [[リトルロック (アーカンソー州)|リトルロック]] (Little Rock) |
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* [[ノースリトルロック]] ([[:en:North Little Rock, Arkansas|North Little Rock]]) |
|||
* [[パラグールド]] ([[:en:Paragould, Arkansas|Paragould]]) |
|||
* [[パインブラフ (アーカンソー州)|パインブラフ]]<!--パインブラッフ--> ([[:en:Pine Bluff, Arkansas|Pine Bluff]]) |
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* [[ロジャース (アーカンソー州)|ロジャース]] ([[:en:Rogers, Arkansas|Rogers]]) |
|||
* [[ラッセルヴィル (アーカンソー州)|ラッセルヴィル]] ([[:en:Russellville, Arkansas|Russellville]]) |
|||
* [[サーシー (アーカンソー州)|サーシー]] ([[:en:Searcy, Arkansas|Searcy]]) |
|||
* [[シャーウッド (アーカンソー州)|シャーウッド]] ([[:en:Sherwood, Arkansas|Sherwood]]) |
|||
* [[スプリングデール (アーカンソー州)|スプリングデイル]] ([[:en:Springdale, Arkansas|Springdale]]) |
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* [[テクサーカナ (アーカンソー州)|テクサーカナ]]<!--テクサーカーナ--> ([[:en:Texarkana, Arkansas|Texarkana]]) |
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* [[ヴァンビューレン (アーカンソー州)|ヴァンビューレン]] ([[:en:Van Buren, Arkansas|Van Buren]]) |
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* [[ウェストメンフィス]] ([[:en:West Memphis, Arkansas|West Memphis]]) |
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{{colend}} |
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== 政治と法律 == |
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[[ファイル:Little Rock, capitol building.gif|thumb|right|[[アーカンソー州会議事堂]]]] |
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現在のアーカンソー州知事([[w:Governor of Arkansas|Governor of Arkansas]])は[[民主党 (アメリカ)|民主党]][[w:Mike Beebe|Mike Beebe]]である。この知事は[[2006年]][[11月7日]]の選挙で選ばれた。 |
|||
アーカンソー州選出アメリカ合衆国上院議員は[[マーク・プライヤー]][[w:Mark Pryor|Mark Pryor]](民主党)及び [[ジョン・ボーズマン]][[w:John Boozman|John Boozman]](共和党)の両議員である。アーカンソー州は[[アメリカ合衆国下院|アメリカ合衆国下院議会]]に4議席を保有している。 |
|||
1議席は民主党 : [[Mike Ross]] ([http://nationalatlas.gov/printable/images/preview/congdist/ar04_109.gif map]), 3議席は共和党: [[Rick Crawford (politician)]], ([http://nationalatlas.gov/printable/images/preview/congdist/ar01_109.gif map]), [[Tim Griffin]]([http://nationalatlas.gov/printable/images/preview/congdist/ar02_109.gif map]), and [[Steve Womack]]([http://nationalatlas.gov/printable/images/preview/congdist/ar03_109.gif map]).が有している。 |
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== 経済 == |
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=== 主な会社など === |
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アーカンソー州に本拠地のある企業として、世界最大の流通小売業者である[[ウォルマート]]が有名である。同社は州北西部のベントンビルに本社を置いており、同市を[[企業城下町]]としている。 |
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=== 主な産業など === |
|||
古くは綿花などの農業が知られ、またボーキサイト、ニッケル、コバルト、更にダイヤモンドなどを産出する[[鉱業]]が知られるが、経済水準は全州と比較しても低く、クリントン大統領就任時には最も貧しい州の一つとも言われていた。観光業では、全米随一の[[温泉]]都市であるホットスプリングスが知られ、一帯は[[ホットスプリングス国立公園]]となっており、年間300万人が訪れる一大観光地となっている。 |
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== 教育及び研究センター == |
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=== 研究センター === |
|||
* [http://www.comanchelodge.com/chickamauga-cherokee.html Arkansas Cherokee Indian Research] |
|||
* Dale Bumpers National Rice Research Center [http://www.dbnrrc.ars.usda.gov/ website] |
|||
* National Center for Toxicological Research [http://www.fda.gov/nctr/ website] |
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=== 単科及び総合大学 === |
|||
[[ファイル:old main 09 Fall.jpg|thumb|right|アーカンソー大学]] |
|||
* [[w:University of Arkansas System]] |
|||
** [[アーカンソー大学]] - [[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]本校 |
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** [[w:University of Arkansas - Fort Smith]] |
|||
** [[w:University of Arkansas at Little Rock]] |
|||
** [[w:University of Arkansas for Medical Sciences]] |
|||
** [[w:University of Arkansas at Monticello]] |
|||
** [[w:University of Arkansas at Pine Bluff]] |
|||
* Arkansas Baptist College |
|||
* [[w:Arkansas Tech University]] |
|||
* Central Baptist College |
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* [[w:Harding University]] |
|||
* [[w:Henderson State University]] |
|||
* [[w:Hendrix College]] |
|||
* [[w:John Brown University]] |
|||
* [[w:Lyon College]] |
|||
* [[w:Ouachita Baptist University]] |
|||
* Philander Smith College |
|||
* [[w:Southern Arkansas University]] |
|||
* [[アーカンソー中央大学]]([[w:University of Central Arkansas]]) |
|||
* [[w:University of the Ozarks]] |
|||
* [[w:Williams Baptist College]] |
|||
[[ファイル:Astate.jpg|thumb|right|アーカンソー州立大学]] |
|||
* アーカンソー州立大学システム |
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** [[w:Arkansas State University|Arkansas State University - Jonesboro]] |
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** Arkansas State University - Beebe |
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** Arkansas State University - Mountain Home |
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** Arkansas State University - Newport |
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** Arkansas State University - Marked Tree |
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** Arkansas State University - Heber Springs |
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** Arkansas State University - Searcy |
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== 芸術・文化 == |
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=== 劇場 === |
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=== 美術館・博物館 === |
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=== オーケストラなど === |
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=== スポーツチーム === |
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== 日本との関連 == |
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== その他 == |
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=== 同州出身の有名人 === |
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<!--* [[{人名}]] - [[{職業}]]のように記載して下さい。なお、追加する人物は既に記事がある人物に限ります。また、追加する場合はあいうえお順(姓)でお願いします。--> |
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'''あ行''' |
|||
*[[アーキー・ヴォーン]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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'''か行''' |
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* [[ジョニー・キャッシュ]] - ミュージシャン |
|||
* [[ポール・W・キャラウェイ|ポール・ワイアット・キャラウェイ]] - 軍人 |
|||
* [[ウィリアム・マックスフィールド・ギャロット]] - 教育者・キリスト教宣教師 |
|||
* [[アル・グリーン]] - 歌手 |
|||
* [[ジョン・グリシャム]] - 作家 |
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* [[ビル・クリントン]] - 第42代[[アメリカ合衆国大統領]] |
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* [[デヴィッド・ゴードン・グリーン]] - 映画監督 |
|||
* [[ジョージ・ケル]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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'''さ行''' |
|||
* [[トラビス・ジャクソン]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
|||
* [[ジョー・ジョンソン]] - バスケットボール選手 |
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* [[ジョン・スナイダー]] - 実業家 |
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* [[ビリー・ボブ・ソーントン]] - 俳優・映画監督 |
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'''た行''' |
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* [[ジェーソン・ダグラス]] - 俳優・声優 |
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* [[ディジー・ディーン]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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* [[ジャーメイン・テイラー]] - プロボクサー |
|||
* [[ウィリー・デービス (野球)|ウィリー・デービス]] - 野球選手 |
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'''な行''' |
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* [[コンロン・ナンカロウ]] - 作曲家 |
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'''は行''' |
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* [[A・J・バーネット]] - 野球選手 |
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* [[カルロス・ハスコック]] - 軍人 |
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* [[パット・バレル]] - 野球選手 |
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* [[トリイ・ハンター]] - 野球選手 |
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* [[スコッティ・ピッペン]] - バスケットボール選手 |
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* [[ビンス・フォスター]] - 弁護士 |
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* [[ルー・ブロック]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
|||
* [[ウェス・ベントリー]] - 俳優 |
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* [[アート・ポーター・ジュニア]] - サックス奏者 |
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* [[ブリジット・ホール]] - ファッションモデル |
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* [[カール・ボレス]] - 野球選手 |
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'''ま行''' |
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* [[ダグラス・マッカーサー]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]総司令官 |
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* [[レオン・マックファーデン]] - 野球選手 |
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* [[リック・マンデー]] - 野球選手 |
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* [[ベン・ムーディー]] - ミュージシャン |
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* [[ロイド・モスビー]] - 野球選手 |
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'''や行''' |
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'''ら行''' |
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* [[クリフ・リー]] - 野球選手 |
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* [[ソニー・リストン]] - プロボクサー |
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* [[ジョシュ・ルーカス]] - 俳優 |
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* [[ロバート・ロックウッド・ジュニア]] - 歌手 |
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* [[ブルックス・ロビンソン]] - 野球選手 ([[アメリカ野球殿堂]]表彰者) |
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'''わ行''' |
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=== 交通 === |
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* 主要な[[州間高速道路]]は |
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=== 州の象徴など === |
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* 州の鳥 - |
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* 州の木 - |
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* 州のモットー - |
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=== 日本の姉妹都市 === |
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<!--* (日本) - (州内)、[[年]]--> |
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* [[岩手県]][[花巻市]] - [[ホットスプリングス (アーカンソー州)|ホットスプリングス市]](旧・花巻市が1993年(平成5年)1月15日姉妹都市提携の継続) |
|||
* [[茨城県]][[坂東市]] - [[パインブラフ (アーカンソー州)|パインブラフ市]](旧・岩井市が1986年(昭和61年)11月9日姉妹都市提携の継続) |
|||
* [[香川県]][[善通寺市]] - [[エルドラード (アーカンソー州)|エルドラード市]] |
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== 関連項目 == |
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* [[アーカンソー州の都市圏の一覧]] |
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* [[アーカンソー州の郡一覧]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{Commonscat|Royal Albert Bridge}} |
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{{commons|Category:Arkansas}} |
|||
* [http://www.royalalbertbridge.co.uk The Royal Albert Bridge official website with Live Webcam] |
|||
* [http://www.state.ar.us/ 州政府(英語版)] |
|||
* [http://www.royal-albert-bridge.co.uk A modeller's research into the bridge] |
|||
* [http://www.neworleans.us.emb-japan.go.jp/ 在ニューオーリンズ日本国総領事館] |
|||
* {{Structurae|id=s0000063|title=Royal Albert Bridge}} |
|||
* [http://www.arkansas-jp.org/ アーカンソー州政府日本事務所] |
|||
* [http://www.brunel-museum.org.uk The Brunel Museum, Rotherhithe, London] |
|||
* [http://www.freewebs.com/jasarkansas/ アーカンサス日米協会] |
|||
* [http://www.brucehunt.co.uk/May%20Fair%20Brunel.html Photographs of the 150th anniversary events including the bridge walk and re-enactment of the opening] |
|||
* [http://groups.google.co.jp/group/usnanbu/ アーカンソー掲示板] |
|||
* [http://www.ikbrunel.org.uk Brunel portal] |
|||
* [http://papers-paints.blogspot.com/2009/10/brunel-bridge.html An investigation of the first decorative scheme] |
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{{アーカンソー州}} |
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{{アメリカ合衆国の州}} |
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{{us-stub}} |
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{{DEFAULTSORT:ろいやるあるはあと}} |
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[[Category:アーカンソー州|*]] |
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[[Category: |
[[Category:イギリスの橋]] |
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[[Category:ヨーロッパの鉄道橋]] |
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[[Category:アーチ橋]] |
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[[Category:イギリスの鉄道路線]] |
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[[de:Royal Albert Bridge]] |
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[[af:Arkansas]] |
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[[en:Royal Albert Bridge]] |
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[[an:Arkansas]] |
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[[fr:Royal Albert Bridge]] |
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[[pl:Royal Albert Bridge]] |
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[[arc:ܐܪܟܢܣܐܣ]] |
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[[arz:اركنساس]] |
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[[ast:Arkansas]] |
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[[bat-smg:Arkanzasos]] |
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[[bcl:Arkansas]] |
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[[be:Штат Арканзас]] |
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[[be-x-old:Арканзас]] |
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[[bo:ཨར་ཁན་སཱ་སི།]] |
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[[cs:Arkansas]] |
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[[cv:Арканзас]] |
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[[cy:Arkansas]] |
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[[de:Arkansas]] |
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[[diq:Arkansas]] |
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[[el:Αρκάνσας]] |
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[[en:Arkansas]] |
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2012年8月14日 (火) 14:44時点における版
ロイヤルアルバート橋 Royal Albert Bridge | |
---|---|
座標 | 北緯50度24分27秒 西経4度12分12秒 / 北緯50.407575度 西経4.203389度座標: 北緯50度24分27秒 西経4度12分12秒 / 北緯50.407575度 西経4.203389度 |
通行対象 | 鉄道 |
交差 | テイマー川 |
所在地 | イギリス・プリマス - サルタッシュ間 |
維持管理 | ネットワーク・レール |
特性 | |
形式 | レンズ状トラス橋 |
資材 | 錬鉄 |
全長 | 2,187.5フィート (666.8 m) |
幅 | 16.83フィート (5.13 m)(橋脚内側) |
高さ | 172フィート (52.4 m) |
最大支間長 | 455フィート (138.7 m)2連 |
支間数 | 19 |
橋脚数 | 3(水中のもの) |
桁下高 | 100フィート (30 m) |
歴史 | |
設計者 | イザムバード・キングダム・ブルネル |
建設開始 | 1854年5月 |
完成 | 1859年4月 |
開通 | 1859年5月2日 |
ロイヤルアルバート橋(ロイヤルアルバートきょう、英語: Royal Albert Bridge、場合によってはサルタッシュ橋 Saltash Bridge)は、イギリスのデヴォン・プリマスとコーンウォール・サルタッシュを結ぶテイマー川に架かる鉄道橋である。特徴的な長さ455フィート(約138.7 m)の2連のレンズ状錬鉄トラスが水面上100フィート(約30.5 m)に架設されており、アプローチの桁は在来型のプレートガーダーとなっている。これにより全長は2,187.5フィート(約666.8 m)となっている。コーンウォールへ結ぶコーニッシュ本線を通している。
設計はイザムバード・キングダム・ブルネルによる。調査は1848年に開始され、1854年に着工した。1857年に最初の主桁が架設され、1859年5月2日にアルバート王子の臨席により開通した。ブルネルはこの年の末に亡くなり、記念として橋の両端の入口部分に名前が描かれている。20世紀になってから、アプローチの桁を交換し主桁を補強する工事が行われている。その建設以来多くの観光客を集め、多くの絵画・写真・ガイドブックに載っている。開通の100周年・150周年行事が1959年と2009年にそれぞれ行われている。
コーンウォール鉄道
ファルマスへ結ぶ鉄道は、1830年代に2つの異なる提案が行われた。「中央案」は、エクセターからダートムーアの北を周っていく経路で、建設は簡単であったが中間の交通量は少なかった。もう一方は「海岸案」で、多くの技術的に困難な点がある路線であったが、重要な海軍の町プリマスとセントオーステル周辺の工業地帯を通ることができる。中央案はロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道が支持していたのに対し、海岸案はコーンウォール鉄道と、デヴォンポートにおいてサウス・デヴォン鉄道とこの鉄道が接続することを望むグレート・ウェスタン鉄道が支持していた。1845年にコーンウォール鉄道は議員立法を提案したがこれは却下された。これは、ウィリアム・ムーアソンの計画ではハーモウズの入江を鉄道連絡船で結ぶことになっていたことも一因であった。これを受けてイザムバード・キングダム・ブルネルは主任技術者を引き継ぎ、テイマー川上流のサルタッシュで川を渡る提案を行った。この提案に基づく法案は1846年8月3日に通過した[1]。
設計
設計は、19世紀中盤に架けられた巨大な錬鉄製橋梁3つのうちの最後の橋として、これ以前にロバート・スチーブンソンが設計して架けた2つの橋に影響を受けている。ブルネルの橋の2つの中央径間は、スチーブンソンがニューカッスル・アポン・タインのタイン川に1849年に架けたハイ・レベル橋の設計の新しい応用であった。また同年、メナイ海峡を渡るブリタニア橋の橋桁をスチーブンソンが架設する作業を行った際にブルネルは現地を訪問していた[2]。1849年から1853年にかけてブルネル自身も鉄製の橋を架けている。ワイ川に架かるチェプストウ鉄道橋は、サウス・ウェールズ鉄道を通しており、後にロイヤルアルバート橋に用いられた方法と同様の、300フィート(約91 m)の曲がったチューブ状の主桁を用いたトラスと100フィート(約30 m)の在来型プレートガーダーのアプローチを特徴としていた[3]。
サルタッシュでは、テイマー川は約1,100フィート(約340 m)の幅である。ブルネルの最初の構想では、ここを木造の橋で渡り、その中央の支間は255フィート(約78 m)、6つのアプローチの支間は105フィート(約32 m)で、水面上80フィート(約24 m)の空頭高を確保するものであった。しかしこれは、航行可能な水路に法的な責任を持つ海軍本部によって却下され、ブルネルは100フィート(約30 m)の空頭高を確保するために2つの中央支間を300フィート(約91 m)に、2つのアプローチ支間を200フィート(約61 m)とする設計を考え出した[4]。実際に建設された最終設計では、2つの錬鉄製主桁の支間は455フィート(約138.7 m)、空頭高は平均的な大潮の時期に対して100フィート(約30.5 m)となった。この2つの支間はレンズ状のトラスとなっており、上側の弦は重いチューブ状の圧縮力を受けるアーチとなっており、一方で下側の弦は鎖で構成されている。各トラスは単純に載せられているだけであるので、橋脚には水平方向の力はまったく働かなくなっており、これは両端の曲線を描いた線路を考えると重要である。これら2つの弦の間にはX字の補強材が入っており、また下弦より下にある線路を通す連続プレート桁を吊るハンガーが通されている。また両岸には17の短い在来型のプレートガーダーのアプローチがある。コーンウォール側の岸では、サルタッシュ駅から川の方へ向かって67.5フィート (20.6 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、72.5フィート (22.1 m)、78.0フィート (23.8 m)、93.0フィート (28.3 m) の10径間で、これに対してデヴォン側の岸では川から岸へ向かって93.0フィート (28.3 m)、83.5フィート (25.5 m)、78.0フィート (23.8 m)、72.5フィート (22.1 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)の7径間となっている。これにより19支間で全長2,187.5フィート (666.8 m)となっている[3]。
歴史
建設
最初の作業は河床を正確に調査することであった。1848年4月26日、直径6フィート(約1.8 m)、高さ85フィート(約25.9 m)の鉄製の円筒がテイマー川に送り出された。この円筒の底で、河床を調査してその性質や堅固な基礎の位置を調査した。コーンウォール鉄道はこの時点では必要な資金を集めることができず、ほとんどの作業はこの年の夏に中断されたが、わずかな資金でブルネルは調査を続行することができた。円筒は35か所に降ろされて、合計175本のボーリングが実施された[3]。
1853年、コーンウォール鉄道取締役会はこの橋の入札を行うことを決定し、ロンドン・ブラックウォールの造船業者で、ブリタニア橋の鉄構を請け負ったチャールズ・メア (Charles Mare) に建設作業を請け負わせることになった。彼がロイヤルアルバート橋を建設するために必要と見積もった額は162,000ポンドであったが、1855年9月21日、メアは破産してしまった。ブルネルは会社に対して、他に契約して請け負わせずに会社自身がこの作業を引き継ぐべきであると提案し、会社もこれに同意した。
メアの最初の仕事は、デヴォン側の岸に桟橋と工場を備えた組み立て作業場を設置することであった。その後、直径37フィート(約11.3 m)、高さ90フィート(約27.4 m)の鉄製の円筒が造られ、これが中央の橋脚を建設する作業場とされた。円筒は1854年5月に送り出され、川の中央で4つのポンツーンの間に係留された。円筒の底は、1848年に調査された基盤の岩の形状に合わせて造られていた。川の底に円筒を設置して、その中の水がポンプで抜かれ、中の泥が掻き出された後、水のない状態で堅固な石の橋脚が建設された。この作業は1856年11月に完了した。
川のコーンウォール側にある陸向きの橋脚は1854年に完成し、これらの橋脚に載せられる桁は正しい位置に持ち上げられて設置された。次に建設されるのはコーンウォール側の主トラスであった。トラスの下弦は全長20フィート(約6.1 m)の長さのリンクで造られた鎖で構成されている。この鎖の多くは、やはりブルネルが取り組んでいたが中断されていたクリフトン吊橋から持ってきたもので、残りはサルタッシュにおいて新たに製造された。コーンウォール側の桁は1857年9月1日に所定の位置まで浮かせて移動され、そこから3フィート(約910 mm)ずつ、桁の下の橋脚が造られるたびに所定の高さまでジャッキアップされていった。中央の橋脚では八角形の鋳鉄製の柱が使われたが、陸側の橋脚は通常の石造のものであった。
トラスの組み立て作業場から最初のトラスが運び出されたので、デヴォン側のトラスの組み立て作業を始められることになった。これは最初のトラスとまったく同様に、1858年7月10日に浮かせて所定の位置に移動され、そこから同様の方法で持ち上げられていき、1858年12月28日に最終的な位置に据えられた。このトラスが運び出された後、作業場の一部は陸側の橋脚を立てるために整理され、その後デヴォン側のアプローチの桁が所定位置に持ち上げられた。作業が十分進捗したため、工事監督は1859年4月11日には列車で通って検査をすることができるようになった。
コーンウォール側のトラスは、現地に送りだされる前に試験が行われた。両端が木造の頑丈な橋脚で支えられ、他の足場は撤去された。桁に対して静的な荷重が1フィートあたり1.25トン、その次に2.25トンかけられ、桁のたわみと荷重を除去した後の変化を測定された。架設が完了した後、橋は通商委員会を代表するウィリアム・ヨランドにより、1859年4月20日に法令に基づく検査を受けた。彼は重い列車を橋に走らせ、メイントラスのたわみを測定した。デヴォン側のトラスは1.14インチ(約29 mm)、コーンウォール側のトラスは1.20インチ(約30 mm)と測定された。全体として、彼は高く満足できると評した[3]。
開通日
アルバート王子は、1853年にはこの橋が彼の名前にちなんで名付けられることに同意していた。彼はまた開通の式典を行うように招かれ、1859年5月2日にウィンザーから特別列車で出発した。数千人の見物客も出席したが、ブルネル本人は病気のために出席できなかった[5]。またコーンウォール側からの参加者は、リスカードにおいて乗っていた列車が故障してしまったため、式典に遅れてしまった[6]。一般営業は1859年5月4日に開始された[4]。
1859年以降の変化
1859年9月5日のブルネルの死後、彼を記念してI.K. BRUNEL, ENGINEER, 1859という大きな金属製の文字が橋の両端に取り付けられた。1921年には新しい取付通路が追加されたためにこの文字がよく見えなくなっていたが、2006年にネットワーク・レールがこれを移動させたため、再び文字を綺麗に見ることができるようになった[7]。この通路はかつて1959年に一時的に撤去され、その百周年の年の間橋はライトアップされていた[3]。
より重い機関車が通行できるようにするため、401本の新しいクロスガーダーが1905年に取り付けられた。1908年にはサルタッシュ駅にもっとも近い2つの桁について、新しい配線を実現するために幅の広いものに交換された。これ以外のアプローチの桁については、1928年から1929年にかけてすべて交換された。1930年代には新しいX字の補強材と斜め方向の対傾構が垂直のハンガーの間に追加され、橋をさらに強化し、吊っている鎖が正しい形となるようにした[3]。
橋を見る
現在でも、コーニッシュ本線を走る列車でこの橋を通行することは可能で、またテイマー川を通る船で橋の下をくぐることもできる。クルーズ船はフェニックス岸壁、プリマス、サルタッシュ、カルストックの間で運航されている[8]。他にも橋の周辺にいくつかのビューポイントがある。
- コーンウォール側のアプローチはプラットホームの端からすぐに始まっている。この桁は橋の上の単線が駅に入る前に2本に分岐できるようにするために、1908年に交換されている。
- サルタッシュの前の浜は、主支間のコーンウォール側端の橋脚に続いている。橋を記念して文字を彫り込まれた石が橋の下、陸側のフォア通りに沿ってある。
- 道路の橋が鉄道の橋に対して北側の少し高い位置に並行に架けられている。無料の徒歩および自転車用通路が道路橋の南側に位置しており、そこから鉄道橋の詳細を見ることができる。自動車の料金所わきのガラス張りの部分では、デヴォン側の端の様子を見ることができる。
- デヴォン側の橋脚へは、セント・ブドーのウォーターフロントから行くことができる。トラスが組み立てられた作業場は、海岸へ下る道路の下、橋の脇のあたりにあった。
文化的影響
このような巨大で目立つ橋の建設はすぐに一般大衆の関心を惹いた。コーンウォール側の橋桁を1857年に送り出した際には約2万人の群衆が集まり[5]、デヴォン側の橋桁を送り出した日も開通した日も多くの人がこれを見に来た[3]。建設中は多くの写真が撮影され、また開通後はこの地域の芸術家、アルフレッド・ウォリスによるものなど、多くの絵の題材にもなった[9]。多くの写真や絵はがきにも登場する[10]。
開通したその年にはすでにガイドブックにも記載されている。「これはヘラクレスのなす仕事に違いないが、ブルネル氏はこれを実現してしまった」と褒めたたえ、橋の設計と建設の詳細を報告して「世界に比類のない新規で想像性に満ちた建造物」だとしている[11]。100年以上経っても橋は多くの旅行ガイドに現れ続けている[12]。ジョン・ベチェマンは、旅行者に与える影響を以下のように総括している。
- グレート・ウェスタン鉄道から見られるプリマスの灰色のスレートと裏庭の景色がサルタッシュの橋の驚きを一層引き立てている。上流にも下流にも、灰色の軍艦がテイマー川に係留されている。100フィート下では、デヴォンからサルタッシュへ向かう哀れな蒸気フェリーがブルネルの壮大な橋と競争しようとしている[13]。
橋は、デヴォンからコーンウォールへの変化の象徴となっている。グレート・ウェスタン鉄道の発行した旅行ガイド「コーニッシュ・リヴィエラ」では、ピーター・マイスが「旅行者をカウンティ、他より豊かなものであれば間違いなくまだイングランドのカウンティであるところから、あらゆる観点でイングランド的ではない公爵領へと旅行者を誘う魔法のような輸送手段である。サルタッシュの橋を渡る際に目を閉じれば、目を開けると海外の景色を見ることになる」[14]と評している。しかしコーンウォール人はこれを違った見方をしており、イングランドのフォークデュオショー・オブ・ハンズはその"Cousin Jack"という歌の中で「私はテイマー川の橋を夢見る。それは我々を東に解き放った」と歌っている。
またITV1のテレビ番組「ザ・ウェスト・カントリー・トゥナイト」では、旧ウェストカントリーリージョンの間の背景表示となっている。
特別行事
特別な機会には行事が行われている。
- 1859年 - 一般に営業開始する2日前に、アルバート王子臨席で橋が開通した。ウィンザーから特別列車で到着し、橋と作業場の周りを見せられ、王室ヨットに乗って帰った[3]。
- 1959年 - 100周年を記念して、1959年の1年間橋がライトアップされた[3]。
- 2006年 - イザムバード・キングダム・ブルネルの200回目の誕生日がネットワーク・レールにより祝われ、橋の入口に記載された彼の名前を覆っていた保守通路が撤去された。
- 2009年 - この年は橋の開通150周年であった。祝日と週末であった5月2日から4日は150周年記念の特別行事が数多く開催され、橋をガイド付きで渡る行事や、開通日の情景の再現などが行われた[15]。
脚注
- ^ Ostler, Edward (1982). History of the Cornwall Railway 1835-1846. Weston-super-Mare: Avon-Anglia. ISBN 0-905466-48-9
- ^ Norrie, Charles Matthew (1956). Bridging the Years - a short history of British Civil Engineering. Edward Arnold (Publishers) Ltd
- ^ a b c d e f g h i Binding, John (1997). Brunel's Royal Albert Bridge. Truro: Twelveheads Press. ISBN 0-906294-39-8
- ^ a b MacDermot, E T (1931). History of the Great Western Railway, volume II 1863-1921. London: グレート・ウェスタン鉄道
- ^ a b Bennett, Alan (1990). The Great Western Railway in East Cornwall. Cheltenham: Runpast Publishing. ISBN 1-870754-11-5
- ^ “Illustrated Railway Supplement”. West Briton & Cornwall Advertiser (2547). (1859).
- ^ “Brunel's Royal Albert Bridge unveiled in all its splendour”. ネットワーク・レール. 2010年3月24日閲覧。
- ^ “Plymouth Boat Cruises”. Sound Cruising. 2008年7月16日閲覧。
- ^ Blair, Andy. “Alfred Wallis: Artist & Mariner”. 2009年7月15日閲覧。
- ^ “Photos of Saltash”. Francis Frith. Frith Content Inc.. 2009年8月21日閲覧。
- ^ Murray, John (1859). Murray's Handbook for Devon and Cornwall. London: John Murray. ISBN 0-7153-5293-8
- ^ Hesp, Martin (2008年7月7日). “My magnificent rail journey”. Western Morning News. Western Morning News. 2008年7月14日閲覧。
- ^ Perry, George (editor) (1970). 'The Book of the Great Western. London: Sunday Times Magazine. ISBN 0-7230-0018-2
- ^ Mais, SPB (3rd ed. 1934). The Cornish Riviera. London: グレート・ウェスタン鉄道
- ^ “Events list”. Royal Albert Bridge official website. 2009年4月8日閲覧。
外部リンク
- The Royal Albert Bridge official website with Live Webcam
- A modeller's research into the bridge
- Royal Albert Bridge - Structurae
- The Brunel Museum, Rotherhithe, London
- Photographs of the 150th anniversary events including the bridge walk and re-enactment of the opening
- Brunel portal
- An investigation of the first decorative scheme