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{{Infobox 芸術家 |
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'''杭谷 一東'''(くえたに かずとう、1942年 - )は、[[広島県]]甲山町出身の[[彫刻家]]である。 |
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| 名前 = 杭谷 一東<br />(くえたに いっとう) |
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| イニシャル = |
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| 画像 = <!-- ファイル名だけを指定し、前後の[[]]は含めないで下さい --> |
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| 画像サイズ = <!-- 画像サイズ指定 --> |
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| 画像テキスト = <!-- 視力障害者のための代替テキスト --> |
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| 画像説明文 = <!-- 画像説明文 --> |
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| 本名 = <!-- 名前 と異なる場合にのみ記入して下さい --> |
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[[圓鍔勝三]]に師事し、1962年に日展初入選以来、連続8回入選を果たす。1969年に[[イタリア]]に渡り[[ペリクレ・ファッツィーニ]]に師事。イタリア[[カッラーラ]]にアトリエを構え、制作活動を行なっている。彫刻作品と自然景観との融合を目指した「環境彫刻」がライフワークである。 |
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| 誕生日 = <!-- 存命人物なら{{生年月日と年齢|YYYY|MM|DD}}を、そうでなければ[[YYYY年]][[MM月DD日]] --> |
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| 出生地 = [[広島県]][[世羅郡]][[世羅町]]{{Sfn|朝日新聞2012}} |
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| 死没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|yyyy|mm|dd|YYYY|MM|DD}} --> |
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| 死没地 = |
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| 墓地 = <!-- 墓碑の位置 --> |
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| 墓地座標 = <!-- {{Coord|LAT|LONG|type:landmark|display=inline}} --> |
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| 国籍 = {{JPN}} |
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| 教育 = <!-- 芸術家が美術を修学した場所 --> |
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| 出身校 = <!-- 芸術家が在籍した高等教育機関の名前(リンク付き) --> |
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| 芸術分野 = [[彫刻]] |
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| 代表作 = <!-- 最大5つまで --> |
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| 流派 = <!-- 芸術家の芸術的なスタイル --> |
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| 運動・動向 = <!-- 芸術家が関連している芸術運動や流派 --> |
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| 配偶者 = <!-- 特筆性のない一般人の配偶者名は記入しないで下さい --> |
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| 受賞 = <!-- {{awd|賞名|受賞年度(年の漢字は省略)|タイトル|役名|賞名に付加する名前(オプション)}} --> |
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| 会員選出組織 = <!-- 芸術家が会員に選出された組織 --> |
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| patrons = <!-- 芸術家を支援した人物 --> |
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| メモリアル = <!-- 記念碑、銘板、主題にちなんで名づけられたエンティティなど --> |
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| 活動期間 = <!-- YYYY年 - yyyy年 --> |
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略歴 |
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| 被影響芸術家 = [[圓鍔勝三]]{{Sfn|朝日新聞2012}}<br />[[ペリクレ・ファッツィーニ]]{{Sfn|朝日新聞2012}} |
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1942 広島県世羅郡甲山町に生まれる |
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| 与影響芸術家 = <!-- 芸術家に影響を受けた芸術家。最大5人まで --> |
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1957 彫刻家 圓鍔勝三氏に師事 |
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1962 日展初入選 以後連続8回入選 |
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1969 イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学 |
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同アカデミーでファッツィーニ教授に師事 |
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1971 イタリア国立アカデミー卒業 |
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同アカデミー最優秀ミネルヴァ賞を受賞 |
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1974 ファッツィーニ教授の助手としてヴァチカン宮殿謁見の間 |
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のキリストの復活」制作に参加 |
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1988 耕三寺博物館 巍々園の「未来心の丘」制作開始 |
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1990 ヴァチカン宮殿にてローマ法王ヨハネ・パウロ二世に謁見 |
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1993 広島ホームテレビより文化賞受賞 |
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2000 耕三寺博物館 巍々園の「未来心の丘」第1期オープン |
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2004 カラーラにてチャンピ・イタリア大統領に謁見 |
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| ウェブサイト = {{URL|http://www.kuetani.net}} |
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グループ展・公募展 |
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1977 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ 金賞受賞 |
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'''杭谷 一東'''(くえたに いっとう、[[1942年]] - )は、日本の[[彫刻家]]{{Sfn|朝日新聞2012}}。 |
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第11回クワドリエンナーレ出品 |
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1979 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ 金賞受賞 |
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[[広島県]][[世羅郡]][[世羅町]]出身{{Sfn|朝日新聞2012}}。[[圓鍔勝三]]に師事し{{Sfn|朝日新聞2012}}、1962年に[[日展]]初入選以来、連続8回入選を果たす。1969年に[[イタリア]]に渡り[[ペリクレ・ファッツィーニ]]に師事、ブロンズ像を学んだ後、大理石へ進んだ{{Sfn|朝日新聞2012}}。2012年時点ではイタリアの[[カッラーラ]]にアトリエを構え、制作活動を行いつつ年の半分を過ごしている{{Sfn|朝日新聞2012}}。 |
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第1回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館) |
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1980 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マリーノ市) |
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彫刻作品と自然景観との融合を目指した「環境彫刻」がライフワークである。 |
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1981 第2回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館) |
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1987 第5回ヘンリー・ムーア大賞展(美ヶ原高原美術館) |
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== 略歴 == |
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1988 国際石彫シンポジウム(西ベルリン) |
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*[[1942年]] - 広島県世羅郡[[甲山町]]に生まれる{{Sfn|本人公式}}。 |
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1989 国際石彫シンポジウム(バルセロナ) |
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*[[1957年]] - [[圓鍔勝三]]に師事{{Sfn|本人公式}}。 |
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1990 個展形式4人展(日独文化センター ベルリン) |
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*[[1962年]] - [[日展]]初入選。以後、連続8回入選する{{Sfn|本人公式}}。 |
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1998 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ) |
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*[[1969年]] - イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学、同アカデミーでファッツィーニ教授に師事{{Sfn|本人公式}}。 |
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2004 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸) |
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*[[1971年]] - イタリア国立アカデミー卒業。同年、同アカデミー最優秀ミネルヴァ賞を受賞{{Sfn|本人公式}}。 |
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2005 MAA (マーブル・アーキテクチュアル・アワード) 大賞受賞 |
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*[[1974年]] - ファッツィーニ教授の助手として[[バチカン宮殿]]の謁見の間の「キリストの復活」制作に参加{{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1988年]] - [[耕三寺博物館]]巍々園の「未来心の丘」制作開始{{Sfn|本人公式|朝日新聞2012}}。 |
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*[[1990年]] - バチカン宮殿にて[[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]に謁見{{Sfn|本人公式}}{{Sfn|広島県2011}}。 |
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*[[1993年]] - 広島ホームテレビより文化賞受賞{{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[2000年]] - 耕三寺博物館巍々園の「未来心の丘」第1期オープン{{Sfn|本人公式|朝日新聞2012}}。 |
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*[[2004年]] - カラーラにて[[チャンピ]]・イタリア大統領に謁見{{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[2005年]] - MAA(マーブル・アーキテクチュアル・アワード)大賞受賞{{Sfn|本人公式}}{{Sfn|広島県2011}}。 |
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*[[2006年]] - 広島文化賞受賞{{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[2024年]] - [[地域文化功労者]]<ref>[https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94134601_01.pdf 令和6年度地域文化功労者表彰名簿]</ref> |
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== 展覧会 == |
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*[[1977年]] - 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第11回クワドリエンナーレ出品{{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1979年]] - 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第1回ヘンリー・ムーア大賞展([[箱根彫刻の森美術館]]){{Sfn|本人公式}}{{Sfn|広島県2011}}。 |
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*[[1980年]] - 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マリーノ市){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1981年]] - 第2回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1987年]] - 第5回ヘンリー・ムーア大賞展([[美ヶ原高原美術館]]){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1988年]] - 国際石彫シンポジウム(ドイツ、西ベルリン){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1989年]] - 国際石彫シンポジウム(フランス、バルセロナ){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1990年]] - 個展形式4人展(ドイツ・ベルリン、日独文化センター){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[1998年]] - 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[2004年]] - 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[2007年]] - オープン・ワン 白い息吹 水の神(イタリア・ピエトラサンタ){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[2008年]] - 第13回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ){{Sfn|本人公式}}。 |
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*2008年 - Arte Senza Confini(イタリア・ミラノ){{Sfn|本人公式}}。 |
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*[[2009年]] - ローマ古代遺跡・アッピア街道展(イタリア・ローマ){{Sfn|本人公式}}。 |
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== モニュメント == |
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[[画像:Fukuyama Museum of Art04s2040.jpg|thumb|220px|「敬意(RISPETTO)」(ふくやま美術館前庭)]] |
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{| class="wikitable" |
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! 製作年 !! 作品名 !! 素材 !! 所在地 |
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| 1981年 || 『家族』 || 胡椒石 || ヴィラ・デジデーリ(イタリア・マリーノ市) |
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| rowspan=2 | 1982年 || 『家族』 || カッラーラ産大理石、花崗岩 || [[府中市文化センター]](広島県府中市) |
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| 『かたらい』 || 花崗岩 || [[広島県立府中東高等学校]](広島県府中市) |
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| rowspan=3 | 1983年 || 『平和アピール碑』 || カッラーラ産大理石 || [[広島平和記念資料館]](広島県広島市) |
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| 『経験』 || 花崗岩 || 広島全日空ホテル(広島県[[広島市]]) |
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| 『かたらい』 || カッラーラ産大理石 || 正田歯科医院(広島県[[甲山町]]) |
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| rowspan=2 | 1984年 || 『かたらい』 || カッラーラ産大理石 || 三原リージョンプラザ(広島県三原市) |
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| 『水のデゥエット』 || 花崗岩(赤、灰色) || 甲山町役場(広島県甲山町) |
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| 1985年 || 『道程』 || 花崗岩 || 宇津戸公民館(広島県甲山町) |
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| 1986年 || 『太陽の滴』 || カッラーラ産大理石、花崗岩 || 春日池公園(広島県福山市) |
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| 1987年 || 『敬意』 || カッラーラ産大理石 || [[美ヶ原高原美術館]](長野県武石村) |
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| rowspan=2 | 1988年 || 『敬意』 || アフリカ黒花崗岩 || [[ふくやま美術館]](広島県福山市) |
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| 『家族』 || ブロンズ || 株式会社ナカタ・マックコーポレーション(広島県尾道市) |
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| rowspan=2 | 1989年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || [[新尾道駅]](広島県尾道市) |
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| 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || カタラン広場(フランス・バルセロナ) |
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| rowspan=2 | 1990年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || 藤原眼科(広島県世羅町) |
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| 『敬意』 || カッラーラ産大理石、アフリカ黒花崗岩 || [[日独文化センター]](ドイツ・ベルリン) |
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| rowspan=3 | 1991年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || ミノーリ市(イタリア) |
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| 『家族』 || カッラーラ産大理石 || 久井カントリークラブ(広島県久井町) |
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| 『共有』 || カッラーラ産大理石 || 株式会社[[北川鉄工所]](広島県府中市) |
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| rowspan=2 | 1992年 || 『敬意』 || カッラーラ産大理石 || 広建コンサルタンツ株式会社(広島県福山市) |
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| 『水の城』 || 花崗岩 || [[福山城公園]](広島県福山市) |
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| rowspan=2 | 1993年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || 通町公園(千葉県千葉市) |
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| 『太陽への道』 || カッラーラ産大理石 || [[広島県立びんご運動公園]](広島県尾道市) |
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| rowspan=2 | 1994年 || 『共生』 || カッラーラ産大理石 || [[府中市体育館]]ウッドアリーナ(広島県府中市) |
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| 『共生』 || カッラーラ産大理石 || 新市中央緑地公園(広島県新市町) |
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| rowspan=2 | 1995年 || 『未来心』 || カッラーラ産大理石 || [[広島県立世羅高等学校]](広島県世羅町) |
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| 『共生』 || カッラーラ産大理石 || 千代田区いきいきプラザ一番町(東京都千代田区) |
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| 1996年 || 『共生』 || 花崗岩 || 北部市民センター(広島県福山市) |
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| rowspan=2 | 1997年 || 『共生』 || カッラーラ産大理石 || [[八田原ダム]](広島県甲山町) |
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| 『卵の城』 || カッラーラ産大理石 || かごしま健康の森公園(鹿児島県鹿児島市) |
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| 2000年 || 『未来心の丘』 || カッラーラ産大理石ほか || 耕三寺博物館(広島県瀬戸田町){{Sfn|しまなみ海道2019}} |
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| rowspan=6 | 2004年 || 『和舒門』 || カッラーラ産大理石 || 三原市水道局(広島県三原市) |
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| 『家族』 || カッラーラ産大理石 || ポケットパーク6(広島県御調町) |
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| 『館祖 奥 愛次郎 胸像』 || ブロンズ || [[広島県立日彰館高等学校]](広島県三次市) |
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| 『天地花』 || カッラーラ産大理石 || 天地花公園(広島県世羅町) |
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| 『未来心』 || カッラーラ産大理石 || 甲山中学校(広島県世羅町) |
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| 『敬意』 || カッラーラ産大理石 || 本郷生涯学習センター(広島県本郷町) |
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| 2005年 || 『敬意(連作)』 || 不明 || なかた美術館(広島県尾道市、長崎県長崎市) |
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| 2008年 || 『太陽の門』 || 不明 || まなびの館ローズコム(広島県福山市) |
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| 2009年 || 『敬意』 || アフリカ黒花崗岩 || 藤原眼科(広島県世羅町) |
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|} |
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== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite news |url=http://www.asahi.com/area/hiroshima/articles/MTW20120402350560002.html |title=杭谷一東さん |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2012年3月31日 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|朝日新聞2012}} }} |
|||
* {{Cite web|和書|url=https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/7/1297056397331.html |title=平成23年2月7日(月曜日) 彫刻家 杭谷一東さんの訪問がありました |publisher=[[広島県]] |date=2011年2月7日 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|広島県2011}} }} |
|||
* {{Cite web|和書|url=https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2778/ |title=しまなみ海道「未来心の丘」は写真映え必至の眩しすぎる純白アートスポット! |publisher=[[しまなみ海道]] |date=2019年1月23日 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|しまなみ海道2019}} }} |
|||
* {{Cite web |url=http://jp.kuetani.net/biography |title=略歴 |publisher=杭谷一東 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|本人公式}} }} |
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モニュメント |
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1981 家族 (胡椒石) |
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ヴィラ・デジデーリ イタリア・マリーノ市 |
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1982 家族 (カッラーラ産大理石、花崗岩) |
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府中市文化センター 広島県府中市 |
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1982 かたらい (花崗岩) |
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広島県立府中東高等学校 広島県府中市 |
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1983 平和アピール碑 (カッラーラ産大理石) |
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広島平和記念資料館 広島市 |
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1983 経験 (花崗岩) |
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広島全日空ホテル 広島市 |
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1983 かたらい (カッラーラ産大理石) |
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正田歯科医院 広島県甲山町 |
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1984 かたらい (カッラーラ産大理石) |
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三原リージョンプラザ 広島県三原市 |
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1984 水のデゥエット(花崗岩[赤、灰色]) |
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甲山町役場 広島県甲山町 |
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1985 道程 (花崗岩) |
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宇津戸公民館 広島県甲山町 |
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1986 太陽の滴 (カッラーラ産大理石、花崗岩) |
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春日池公園 広島県福山市 |
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1987 敬意 (カッラーラ産大理石) |
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美ヶ原高原美術館 長野県武石村 |
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1988 敬意 (アフリカ黒花崗岩) |
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ふくやま美術館 広島県福山市 |
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1988 家族 (ブロンズ) |
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株式会社ナカタ・マックコーポレーション 尾道市 |
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1989 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石) |
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新尾道駅 広島県尾道市 |
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1989 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石) |
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カタラン広場 バルセロナ |
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1990 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石) |
|||
藤原眼科 広島県世羅町 |
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1990 敬意 (カッラーラ産大理石、アフリカ黒花崗岩) |
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日独文化センター ベルリン |
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1991 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石) |
|||
ミノーリ市 イタリア |
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1991 家族 (カッラーラ産大理石) |
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久井カントリークラブ 広島県久井町 |
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1991 共有 (カッラーラ産大理石) |
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株式会社北川鉄工所 広島県府中市 |
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1992 敬意 (カッラーラ産大理石) |
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広建コンサルタンツ株式会社 広島県福山市 |
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1992 水の城 (花崗岩) |
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福山城公園 広島県福山市 |
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1993 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石) |
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通町公園 千葉市 |
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1993 太陽への道 (カッラーラ産大理石) |
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広島県立びんご運動公園 広島県尾道市 |
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1994 共生 (カッラーラ産大理石) |
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府中市体育館ウッドアリーナ 広島県府中市 |
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1994 共生 (カッラーラ産大理石) |
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新市中央緑地公園 広島県新市町 |
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1995 未来心 (カッラーラ産大理石) |
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広島県立世羅高等学校 広島県世羅町 |
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1995 共生 (カッラーラ産大理石) |
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千代田区いきいきプラザ一番町 東京都千代田区 |
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1996 共生 (花崗岩) |
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北部市民センター 広島県福山市 |
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1997 共生 (カッラーラ産大理石) |
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八田原ダム 広島県甲山町 |
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1997 卵の城 (カッラーラ産大理石) |
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かごしま健康の森公園 鹿児島市 |
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2000 未来心の丘 (カッラーラ産大理石ほか) |
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耕三寺博物館 広島県瀬戸田町 |
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2004 和舒門 (カッラーラ産大理石) |
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三原市水道局 広島県三原市 |
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2004 家族 (カッラーラ産大理石) |
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ポケットパーク6 広島県御調町 |
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2004 館祖 奥 愛次郎 胸像 (ブロンズ) |
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広島県立日彰館高等学校 広島県三次市 |
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2004 天地花 (カッラーラ産大理石) |
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世羅学園通り天地花公園 広島県世羅町 |
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2004 未来心 (カッラーラ産大理石) |
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甲山中学校 広島県世羅町 |
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2004 敬意 (カッラーラ産大理石) |
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本郷生涯学習センター 広島県本郷町 |
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==外部リンク== |
==外部リンク== |
||
*[http://www.kuetani.net |
*[http://www.kuetani.net 環境彫刻家 杭谷一東] - 公式サイト |
||
*[http://www.kousanji.or.jp/old/06mirai/06mirai.html 未来心の丘] - [[耕三寺博物館]] |
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{{Artist-stub}} |
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[[Category:日本の彫刻家|くえたに かすとう]] |
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{{DEFAULTSORT:くえたに いつとう}} |
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{{people-stub}} |
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[[Category:1942年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
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[[Category:20世紀日本の彫刻家]] |
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[[Category:21世紀日本の彫刻家]] |
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[[Category:広島県出身の人物]] |
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[[Category:ランド・アーティスト]] |
2024年11月15日 (金) 12:14時点における最新版
杭谷 一東 (くえたに いっとう) | |
---|---|
生誕 | 広島県世羅郡世羅町[1] |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 彫刻 |
公式サイト |
www |
影響を受けた 芸術家 |
圓鍔勝三[1] ペリクレ・ファッツィーニ[1] |
杭谷 一東(くえたに いっとう、1942年 - )は、日本の彫刻家[1]。
広島県世羅郡世羅町出身[1]。圓鍔勝三に師事し[1]、1962年に日展初入選以来、連続8回入選を果たす。1969年にイタリアに渡りペリクレ・ファッツィーニに師事、ブロンズ像を学んだ後、大理石へ進んだ[1]。2012年時点ではイタリアのカッラーラにアトリエを構え、制作活動を行いつつ年の半分を過ごしている[1]。
彫刻作品と自然景観との融合を目指した「環境彫刻」がライフワークである。
略歴
[編集]- 1942年 - 広島県世羅郡甲山町に生まれる[2]。
- 1957年 - 圓鍔勝三に師事[2]。
- 1962年 - 日展初入選。以後、連続8回入選する[2]。
- 1969年 - イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学、同アカデミーでファッツィーニ教授に師事[2]。
- 1971年 - イタリア国立アカデミー卒業。同年、同アカデミー最優秀ミネルヴァ賞を受賞[2]。
- 1974年 - ファッツィーニ教授の助手としてバチカン宮殿の謁見の間の「キリストの復活」制作に参加[2]。
- 1988年 - 耕三寺博物館巍々園の「未来心の丘」制作開始[3]。
- 1990年 - バチカン宮殿にてローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に謁見[2][4]。
- 1993年 - 広島ホームテレビより文化賞受賞[2]。
- 2000年 - 耕三寺博物館巍々園の「未来心の丘」第1期オープン[3]。
- 2004年 - カラーラにてチャンピ・イタリア大統領に謁見[2]。
- 2005年 - MAA(マーブル・アーキテクチュアル・アワード)大賞受賞[2][4]。
- 2006年 - 広島文化賞受賞[2]。
- 2024年 - 地域文化功労者[5]
展覧会
[編集]- 1977年 - 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第11回クワドリエンナーレ出品[2]。
- 1979年 - 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第1回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館)[2][4]。
- 1980年 - 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マリーノ市)[2]。
- 1981年 - 第2回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館)[2]。
- 1987年 - 第5回ヘンリー・ムーア大賞展(美ヶ原高原美術館)[2]。
- 1988年 - 国際石彫シンポジウム(ドイツ、西ベルリン)[2]。
- 1989年 - 国際石彫シンポジウム(フランス、バルセロナ)[2]。
- 1990年 - 個展形式4人展(ドイツ・ベルリン、日独文化センター)[2]。
- 1998年 - 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ)[2]。
- 2004年 - 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸)[2]。
- 2007年 - オープン・ワン 白い息吹 水の神(イタリア・ピエトラサンタ)[2]。
- 2008年 - 第13回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ)[2]。
- 2008年 - Arte Senza Confini(イタリア・ミラノ)[2]。
- 2009年 - ローマ古代遺跡・アッピア街道展(イタリア・ローマ)[2]。
モニュメント
[編集]製作年 | 作品名 | 素材 | 所在地 |
---|---|---|---|
1981年 | 『家族』 | 胡椒石 | ヴィラ・デジデーリ(イタリア・マリーノ市) |
1982年 | 『家族』 | カッラーラ産大理石、花崗岩 | 府中市文化センター(広島県府中市) |
『かたらい』 | 花崗岩 | 広島県立府中東高等学校(広島県府中市) | |
1983年 | 『平和アピール碑』 | カッラーラ産大理石 | 広島平和記念資料館(広島県広島市) |
『経験』 | 花崗岩 | 広島全日空ホテル(広島県広島市) | |
『かたらい』 | カッラーラ産大理石 | 正田歯科医院(広島県甲山町) | |
1984年 | 『かたらい』 | カッラーラ産大理石 | 三原リージョンプラザ(広島県三原市) |
『水のデゥエット』 | 花崗岩(赤、灰色) | 甲山町役場(広島県甲山町) | |
1985年 | 『道程』 | 花崗岩 | 宇津戸公民館(広島県甲山町) |
1986年 | 『太陽の滴』 | カッラーラ産大理石、花崗岩 | 春日池公園(広島県福山市) |
1987年 | 『敬意』 | カッラーラ産大理石 | 美ヶ原高原美術館(長野県武石村) |
1988年 | 『敬意』 | アフリカ黒花崗岩 | ふくやま美術館(広島県福山市) |
『家族』 | ブロンズ | 株式会社ナカタ・マックコーポレーション(広島県尾道市) | |
1989年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | 新尾道駅(広島県尾道市) |
『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | カタラン広場(フランス・バルセロナ) | |
1990年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | 藤原眼科(広島県世羅町) |
『敬意』 | カッラーラ産大理石、アフリカ黒花崗岩 | 日独文化センター(ドイツ・ベルリン) | |
1991年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | ミノーリ市(イタリア) |
『家族』 | カッラーラ産大理石 | 久井カントリークラブ(広島県久井町) | |
『共有』 | カッラーラ産大理石 | 株式会社北川鉄工所(広島県府中市) | |
1992年 | 『敬意』 | カッラーラ産大理石 | 広建コンサルタンツ株式会社(広島県福山市) |
『水の城』 | 花崗岩 | 福山城公園(広島県福山市) | |
1993年 | 『大地の鼓動』 | カッラーラ産大理石 | 通町公園(千葉県千葉市) |
『太陽への道』 | カッラーラ産大理石 | 広島県立びんご運動公園(広島県尾道市) | |
1994年 | 『共生』 | カッラーラ産大理石 | 府中市体育館ウッドアリーナ(広島県府中市) |
『共生』 | カッラーラ産大理石 | 新市中央緑地公園(広島県新市町) | |
1995年 | 『未来心』 | カッラーラ産大理石 | 広島県立世羅高等学校(広島県世羅町) |
『共生』 | カッラーラ産大理石 | 千代田区いきいきプラザ一番町(東京都千代田区) | |
1996年 | 『共生』 | 花崗岩 | 北部市民センター(広島県福山市) |
1997年 | 『共生』 | カッラーラ産大理石 | 八田原ダム(広島県甲山町) |
『卵の城』 | カッラーラ産大理石 | かごしま健康の森公園(鹿児島県鹿児島市) | |
2000年 | 『未来心の丘』 | カッラーラ産大理石ほか | 耕三寺博物館(広島県瀬戸田町)[6] |
2004年 | 『和舒門』 | カッラーラ産大理石 | 三原市水道局(広島県三原市) |
『家族』 | カッラーラ産大理石 | ポケットパーク6(広島県御調町) | |
『館祖 奥 愛次郎 胸像』 | ブロンズ | 広島県立日彰館高等学校(広島県三次市) | |
『天地花』 | カッラーラ産大理石 | 天地花公園(広島県世羅町) | |
『未来心』 | カッラーラ産大理石 | 甲山中学校(広島県世羅町) | |
『敬意』 | カッラーラ産大理石 | 本郷生涯学習センター(広島県本郷町) | |
2005年 | 『敬意(連作)』 | 不明 | なかた美術館(広島県尾道市、長崎県長崎市) |
2008年 | 『太陽の門』 | 不明 | まなびの館ローズコム(広島県福山市) |
2009年 | 『敬意』 | アフリカ黒花崗岩 | 藤原眼科(広島県世羅町) |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- “杭谷一東さん”. 朝日新聞. (2012年3月31日) 2019年6月17日閲覧。
- “平成23年2月7日(月曜日) 彫刻家 杭谷一東さんの訪問がありました”. 広島県 (2011年2月7日). 2019年6月17日閲覧。
- “しまなみ海道「未来心の丘」は写真映え必至の眩しすぎる純白アートスポット!”. しまなみ海道 (2019年1月23日). 2019年6月17日閲覧。
- “略歴”. 杭谷一東. 2019年6月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- 環境彫刻家 杭谷一東 - 公式サイト
- 未来心の丘 - 耕三寺博物館