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{{Infobox 芸術家
'''杭谷 一東'''(くえたに かずとう、1942年 - )は、[[広島県]]甲山町出身の[[彫刻家]]である。
| 名前 = 杭谷 一東<br />(くえたに いっとう)
| イニシャル =
| 画像 = <!-- ファイル名だけを指定し、前後の[[]]は含めないで下さい -->
| 画像サイズ = <!-- 画像サイズ指定 -->
| 画像テキスト = <!-- 視力障害者のための代替テキスト -->
| 画像説明文 = <!-- 画像説明文 -->


| 本名 = <!-- 名前 と異なる場合にのみ記入して下さい -->
[[圓鍔勝三]]に師事し、1962年に日展初入選以来、連続8回入選を果たす。1969年に[[イタリア]]に渡り[[ペリクレ・ファッツィーニ]]に師事。イタリア[[カッラーラ]]にアトリエを構え、制作活動を行なっている。彫刻作品と自然景観との融合を目指した「環境彫刻」がライフワークである。
| 誕生日 = <!-- 存命人物なら{{生年月日と年齢|YYYY|MM|DD}}を、そうでなければ[[YYYY年]][[MM月DD日]] -->
| 出生地 = [[広島県]][[世羅郡]][[世羅町]]{{Sfn|朝日新聞2012}}
| 死没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|yyyy|mm|dd|YYYY|MM|DD}} -->
| 死没地 =
| 墓地 = <!-- 墓碑の位置 -->
| 墓地座標 = <!-- {{Coord|LAT|LONG|type:landmark|display=inline}} -->
| 国籍 = {{JPN}}
| 教育 = <!-- 芸術家が美術を修学した場所 -->
| 出身校 = <!-- 芸術家が在籍した高等教育機関の名前(リンク付き) -->
| 芸術分野 = [[彫刻]]
| 代表作 = <!-- 最大5つまで -->
| 流派 = <!-- 芸術家の芸術的なスタイル -->
| 運動・動向 = <!-- 芸術家が関連している芸術運動や流派 -->
| 配偶者 = <!-- 特筆性のない一般人の配偶者名は記入しないで下さい -->
| 受賞 = <!-- {{awd|賞名|受賞年度(年の漢字は省略)|タイトル|役名|賞名に付加する名前(オプション)}} -->
| 会員選出組織 = <!-- 芸術家が会員に選出された組織 -->
| patrons = <!-- 芸術家を支援した人物 -->
| メモリアル = <!-- 記念碑、銘板、主題にちなんで名づけられたエンティティなど -->


| 活動期間 = <!-- YYYY年 - yyyy年 -->
略歴
| 被影響芸術家 = [[圓鍔勝三]]{{Sfn|朝日新聞2012}}<br />[[ペリクレ・ファッツィーニ]]{{Sfn|朝日新聞2012}}
1942 広島県世羅郡甲山町に生まれる
| 与影響芸術家 = <!-- 芸術家に影響を受けた芸術家。最大5人まで -->
1957 彫刻家 圓鍔勝三氏に師事
1962 日展初入選 以後連続8回入選
1969 イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学
同アカデミーでファッツィーニ教授に師事
1971 イタリア国立アカデミー卒業
同アカデミー最優秀ミネルヴァ賞を受賞
1974 ファッツィーニ教授の助手としてヴァチカン宮殿謁見の間
のキリストの復活」制作に参加
1988 耕三寺博物館 巍々園の「未来心の丘」制作開始
1990 ヴァチカン宮殿にてローマ法王ヨハネ・パウロ二世に謁見
1993 広島ホームテレビより文化賞受賞
2000 耕三寺博物館 巍々園の「未来心の丘」第1期オープン
2004 カラーラにてチャンピ・イタリア大統領に謁見


| ウェブサイト = {{URL|http://www.kuetani.net}}
グループ展・公募展
}}
1977 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ 金賞受賞
'''杭谷 一東'''(くえたに いっとう、[[1942年]] - )は、日本の[[彫刻家]]{{Sfn|朝日新聞2012}}。
第11回クワドリエンナーレ出品

1979 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ 金賞受賞
[[広島県]][[世羅郡]][[世羅町]]出身{{Sfn|朝日新聞2012}}。[[圓鍔勝三]]に師事し{{Sfn|朝日新聞2012}}、1962年に[[日展]]初入選以来、連続8回入選を果たす。1969年に[[イタリア]]に渡り[[ペリクレ・ファッツィーニ]]に師事、ブロンズ像を学んだ後、大理石へ進んだ{{Sfn|朝日新聞2012}}。2012年時点ではイタリアの[[カッラーラ]]にアトリエを構え、制作活動を行いつつ年の半分を過ごしている{{Sfn|朝日新聞2012}}。
第1回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館)

1980 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マリーノ市)
彫刻作品と自然景観との融合を目指した「環境彫刻」がライフワークである。
1981 第2回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館)

1987 第5回ヘンリー・ムーア大賞展(美ヶ原高原美術館)
== 略歴 ==
1988 国際石彫シンポジウム(西ベルリン)
*[[1942年]] - 広島県世羅郡[[甲山町]]に生まれる{{Sfn|本人公式}}。
1989 国際石彫シンポジウム(バルセロナ)
*[[1957年]] - [[圓鍔勝三]]に師事{{Sfn|本人公式}}。
1990 個展形式4人展(日独文化センター ベルリン)
*[[1962年]] - [[日展]]初入選。以後、連続8回入選する{{Sfn|本人公式}}。
1998 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ)
*[[1969年]] - イタリア国立アカデミー(ローマ)彫刻科入学、同アカデミーでファッツィーニ教授に師事{{Sfn|本人公式}}。
2004 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸)
*[[1971年]] - イタリア国立アカデミー卒業。同年、同アカデミー最優秀ミネルヴァ賞を受賞{{Sfn|本人公式}}。
2005 MAA (マーブル・アーキテクチュアル・アワード) 大賞受賞
*[[1974年]] - ファッツィーニ教授の助手として[[バチカン宮殿]]の謁見の間の「キリストの復活」制作に参加{{Sfn|本人公式}}。
*[[1988年]] - [[耕三寺博物館]]巍々園の「未来心の丘」制作開始{{Sfn|本人公式|朝日新聞2012}}。
*[[1990年]] - バチカン宮殿にて[[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]に謁見{{Sfn|本人公式}}{{Sfn|広島県2011}}。
*[[1993年]] - 広島ホームテレビより文化賞受賞{{Sfn|本人公式}}。
*[[2000年]] - 耕三寺博物館巍々園の「未来心の丘」第1期オープン{{Sfn|本人公式|朝日新聞2012}}。
*[[2004年]] - カラーラにて[[チャンピ]]・イタリア大統領に謁見{{Sfn|本人公式}}。
*[[2005年]] - MAA(マーブル・アーキテクチュアル・アワード)大賞受賞{{Sfn|本人公式}}{{Sfn|広島県2011}}。
*[[2006年]] - 広島文化賞受賞{{Sfn|本人公式}}。
*[[2024年]] - [[地域文化功労者]]<ref>[https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94134601_01.pdf 令和6年度地域文化功労者表彰名簿]</ref>

== 展覧会 ==
*[[1977年]] - 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第11回クワドリエンナーレ出品{{Sfn|本人公式}}。
*[[1979年]] - 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第1回ヘンリー・ムーア大賞展([[箱根彫刻の森美術館]]){{Sfn|本人公式}}{{Sfn|広島県2011}}。
*[[1980年]] - 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マリーノ市){{Sfn|本人公式}}。
*[[1981年]] - 第2回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館){{Sfn|本人公式}}。
*[[1987年]] - 第5回ヘンリー・ムーア大賞展([[美ヶ原高原美術館]]){{Sfn|本人公式}}。
*[[1988年]] - 国際石彫シンポジウム(ドイツ、西ベルリン){{Sfn|本人公式}}。
*[[1989年]] - 国際石彫シンポジウム(フランス、バルセロナ){{Sfn|本人公式}}。
*[[1990年]] - 個展形式4人展(ドイツ・ベルリン、日独文化センター){{Sfn|本人公式}}。
*[[1998年]] - 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ){{Sfn|本人公式}}。
*[[2004年]] - 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸){{Sfn|本人公式}}。
*[[2007年]] - オープン・ワン 白い息吹 水の神(イタリア・ピエトラサンタ){{Sfn|本人公式}}。
*[[2008年]] - 第13回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ){{Sfn|本人公式}}。
*2008年 - Arte Senza Confini(イタリア・ミラノ){{Sfn|本人公式}}。
*[[2009年]] - ローマ古代遺跡・アッピア街道展(イタリア・ローマ){{Sfn|本人公式}}。

== モニュメント ==
[[画像:Fukuyama Museum of Art04s2040.jpg|thumb|220px|「敬意(RISPETTO)」(ふくやま美術館前庭)]]
{| class="wikitable"
! 製作年 !! 作品名 !! 素材 !! 所在地

|-
| 1981年 || 『家族』 || 胡椒石 || ヴィラ・デジデーリ(イタリア・マリーノ市)
|-
| rowspan=2 | 1982年 || 『家族』 || カッラーラ産大理石、花崗岩 || [[府中市文化センター]](広島県府中市)
|-
| 『かたらい』 || 花崗岩 || [[広島県立府中東高等学校]](広島県府中市)
|-
| rowspan=3 | 1983年 || 『平和アピール碑』 || カッラーラ産大理石 || [[広島平和記念資料館]](広島県広島市)
|-
| 『経験』 || 花崗岩 || 広島全日空ホテル(広島県[[広島市]])
|-
| 『かたらい』 || カッラーラ産大理石 || 正田歯科医院(広島県[[甲山町]])
|-
| rowspan=2 | 1984年 || 『かたらい』 || カッラーラ産大理石 || 三原リージョンプラザ(広島県三原市)
|-
| 『水のデゥエット』 || 花崗岩(赤、灰色) || 甲山町役場(広島県甲山町)
|-
| 1985年 || 『道程』 || 花崗岩 || 宇津戸公民館(広島県甲山町)
|-
| 1986年 || 『太陽の滴』 || カッラーラ産大理石、花崗岩 || 春日池公園(広島県福山市)
|-
| 1987年 || 『敬意』 || カッラーラ産大理石 || [[美ヶ原高原美術館]](長野県武石村)
|-
| rowspan=2 | 1988年 || 『敬意』 || アフリカ黒花崗岩 || [[ふくやま美術館]](広島県福山市)
|-
| 『家族』 || ブロンズ || 株式会社ナカタ・マックコーポレーション(広島県尾道市)
|-
| rowspan=2 | 1989年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || [[新尾道駅]](広島県尾道市)
|-
| 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || カタラン広場(フランス・バルセロナ)
|-
| rowspan=2 | 1990年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || 藤原眼科(広島県世羅町)
|-
| 『敬意』 || カッラーラ産大理石、アフリカ黒花崗岩 || [[日独文化センター]](ドイツ・ベルリン)
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| rowspan=3 | 1991年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || ミノーリ市(イタリア)
|-
| 『家族』 || カッラーラ産大理石 || 久井カントリークラブ(広島県久井町)
|-
| 『共有』 || カッラーラ産大理石 || 株式会社[[北川鉄工所]](広島県府中市)
|-
| rowspan=2 | 1992年 || 『敬意』 || カッラーラ産大理石 || 広建コンサルタンツ株式会社(広島県福山市)
|-
| 『水の城』 || 花崗岩 || [[福山城公園]](広島県福山市)
|-
| rowspan=2 | 1993年 || 『大地の鼓動』 || カッラーラ産大理石 || 通町公園(千葉県千葉市)
|-
| 『太陽への道』 || カッラーラ産大理石 || [[広島県立びんご運動公園]](広島県尾道市)
|-
| rowspan=2 | 1994年 || 『共生』 || カッラーラ産大理石 || [[府中市体育館]]ウッドアリーナ(広島県府中市)
|-
| 『共生』 || カッラーラ産大理石 || 新市中央緑地公園(広島県新市町)
|-
| rowspan=2 | 1995年 || 『未来心』 || カッラーラ産大理石 || [[広島県立世羅高等学校]](広島県世羅町)
|-
| 『共生』 || カッラーラ産大理石 || 千代田区いきいきプラザ一番町(東京都千代田区)
|-
| 1996年 || 『共生』 || 花崗岩 || 北部市民センター(広島県福山市)
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| rowspan=2 | 1997年 || 『共生』 || カッラーラ産大理石 || [[八田原ダム]](広島県甲山町)
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| 『卵の城』 || カッラーラ産大理石 || かごしま健康の森公園(鹿児島県鹿児島市)
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| 2000年 || 『未来心の丘』 || カッラーラ産大理石ほか || 耕三寺博物館(広島県瀬戸田町){{Sfn|しまなみ海道2019}}
|-
| rowspan=6 | 2004年 || 『和舒門』 || カッラーラ産大理石 || 三原市水道局(広島県三原市)
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| 『家族』 || カッラーラ産大理石 || ポケットパーク6(広島県御調町)
|-
| 『館祖 奥 愛次郎 胸像』 || ブロンズ || [[広島県立日彰館高等学校]](広島県三次市)
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| 『天地花』 || カッラーラ産大理石 || 天地花公園(広島県世羅町)
|-
| 『未来心』 || カッラーラ産大理石 || 甲山中学校(広島県世羅町)
|-
| 『敬意』 || カッラーラ産大理石 || 本郷生涯学習センター(広島県本郷町)
|-
| 2005年 || 『敬意(連作)』 || 不明 || なかた美術館(広島県尾道市、長崎県長崎市)
|-
| 2008年 || 『太陽の門』 || 不明 || まなびの館ローズコム(広島県福山市)
|-
| 2009年 || 『敬意』 || アフリカ黒花崗岩 || 藤原眼科(広島県世羅町)
|}

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite news |url=http://www.asahi.com/area/hiroshima/articles/MTW20120402350560002.html |title=杭谷一東さん |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2012年3月31日 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|朝日新聞2012}} }}
* {{Cite web|和書|url=https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/7/1297056397331.html |title=平成23年2月7日(月曜日) 彫刻家 杭谷一東さんの訪問がありました |publisher=[[広島県]] |date=2011年2月7日 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|広島県2011}} }}
* {{Cite web|和書|url=https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2778/ |title=しまなみ海道「未来心の丘」は写真映え必至の眩しすぎる純白アートスポット! |publisher=[[しまなみ海道]] |date=2019年1月23日 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|しまなみ海道2019}} }}
* {{Cite web |url=http://jp.kuetani.net/biography |title=略歴 |publisher=杭谷一東 |accessdate=2019年6月17日 |ref={{SfnRef|本人公式}} }}


モニュメント
1981 家族 (胡椒石)
ヴィラ・デジデーリ イタリア・マリーノ市
1982 家族 (カッラーラ産大理石、花崗岩)
府中市文化センター 広島県府中市
1982 かたらい (花崗岩)
広島県立府中東高等学校 広島県府中市
1983 平和アピール碑 (カッラーラ産大理石)
広島平和記念資料館 広島市
1983 経験 (花崗岩)
広島全日空ホテル 広島市
1983 かたらい (カッラーラ産大理石)
正田歯科医院 広島県甲山町
1984 かたらい (カッラーラ産大理石)
三原リージョンプラザ 広島県三原市
1984 水のデゥエット(花崗岩[赤、灰色])
甲山町役場 広島県甲山町
1985 道程 (花崗岩)
宇津戸公民館 広島県甲山町
1986 太陽の滴 (カッラーラ産大理石、花崗岩)
春日池公園 広島県福山市
1987 敬意 (カッラーラ産大理石)
美ヶ原高原美術館 長野県武石村
1988 敬意 (アフリカ黒花崗岩)
ふくやま美術館 広島県福山市
1988 家族 (ブロンズ)
株式会社ナカタ・マックコーポレーション 尾道市
1989 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石)
 新尾道駅 広島県尾道市
1989 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石)
 カタラン広場 バルセロナ
1990 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石)
 藤原眼科 広島県世羅町
1990 敬意 (カッラーラ産大理石、アフリカ黒花崗岩)
 日独文化センター ベルリン
1991 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石)
 ミノーリ市 イタリア
1991 家族 (カッラーラ産大理石)
 久井カントリークラブ 広島県久井町
1991 共有 (カッラーラ産大理石)
 株式会社北川鉄工所 広島県府中市
1992 敬意 (カッラーラ産大理石)
 広建コンサルタンツ株式会社 広島県福山市
1992 水の城 (花崗岩)
 福山城公園 広島県福山市
1993 大地の鼓動 (カッラーラ産大理石)
 通町公園 千葉市
1993 太陽への道 (カッラーラ産大理石)
 広島県立びんご運動公園 広島県尾道市
1994 共生 (カッラーラ産大理石)
 府中市体育館ウッドアリーナ 広島県府中市
1994 共生 (カッラーラ産大理石)
 新市中央緑地公園 広島県新市町
1995 未来心 (カッラーラ産大理石)
 広島県立世羅高等学校 広島県世羅町
1995 共生 (カッラーラ産大理石)
 千代田区いきいきプラザ一番町 東京都千代田区
1996 共生 (花崗岩)
 北部市民センター 広島県福山市
1997 共生 (カッラーラ産大理石)
 八田原ダム 広島県甲山町
1997 卵の城 (カッラーラ産大理石)
 かごしま健康の森公園 鹿児島市
2000 未来心の丘 (カッラーラ産大理石ほか)
耕三寺博物館 広島県瀬戸田町
2004 和舒門 (カッラーラ産大理石)
 三原市水道局 広島県三原市
2004 家族 (カッラーラ産大理石)
 ポケットパーク6 広島県御調町
2004 館祖 奥 愛次郎 胸像 (ブロンズ)
 広島県立日彰館高等学校 広島県三次市
2004 天地花 (カッラーラ産大理石)
 世羅学園通り天地花公園 広島県世羅町
2004 未来心 (カッラーラ産大理石)
 甲山中学校 広島県世羅町
2004 敬意 (カッラーラ産大理石)
 本郷生涯学習センター 広島県本郷町
==外部リンク==
==外部リンク==
*[http://www.kuetani.net/ 環境彫刻家 杭谷 一東 kuetani.net]
*[http://www.kuetani.net 環境彫刻家 杭谷一東] - 公式サイト
*[http://www.kousanji.or.jp/old/06mirai/06mirai.html 未来心の丘] - [[耕三寺博物館]]


{{Artist-stub}}
[[Category:日本の彫刻家|くえたに かすとう]]
{{DEFAULTSORT:くえたに いつとう}}
{{people-stub}}
[[Category:1942年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:20世紀日本の彫刻家]]
[[Category:21世紀日本の彫刻家]]
[[Category:広島県出身の人物]]
[[Category:ランド・アーティスト]]

2024年11月15日 (金) 12:14時点における最新版

杭谷 一東
(くえたに いっとう)
生誕 広島県世羅郡世羅町[1]
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 彫刻
公式サイト www.kuetani.net
影響を受けた
芸術家
圓鍔勝三[1]
ペリクレ・ファッツィーニ[1]

杭谷 一東(くえたに いっとう、1942年 - )は、日本の彫刻家[1]

広島県世羅郡世羅町出身[1]圓鍔勝三に師事し[1]、1962年に日展初入選以来、連続8回入選を果たす。1969年にイタリアに渡りペリクレ・ファッツィーニに師事、ブロンズ像を学んだ後、大理石へ進んだ[1]。2012年時点ではイタリアのカッラーラにアトリエを構え、制作活動を行いつつ年の半分を過ごしている[1]

彫刻作品と自然景観との融合を目指した「環境彫刻」がライフワークである。

略歴

[編集]

展覧会

[編集]
  • 1977年 - 第3回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第11回クワドリエンナーレ出品[2]
  • 1979年 - 第4回ラヴェンナ国際ビエンナーレ金賞受賞、同年第1回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館[2][4]
  • 1980年 - 国際彫刻ビエンナーレ大賞受賞(イタリア・マリーノ市)[2]
  • 1981年 - 第2回ヘンリー・ムーア大賞展(箱根彫刻の森美術館)[2]
  • 1987年 - 第5回ヘンリー・ムーア大賞展(美ヶ原高原美術館[2]
  • 1988年 - 国際石彫シンポジウム(ドイツ、西ベルリン)[2]
  • 1989年 - 国際石彫シンポジウム(フランス、バルセロナ)[2]
  • 1990年 - 個展形式4人展(ドイツ・ベルリン、日独文化センター)[2]
  • 1998年 - 第9回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ)[2]
  • 2004年 - 和舒門 奇跡の広場(イタリア・マッサ海岸)[2]
  • 2007年 - オープン・ワン 白い息吹 水の神(イタリア・ピエトラサンタ)[2]
  • 2008年 - 第13回国際ビエンナーレ(イタリア・カッラーラ)[2]
  • 2008年 - Arte Senza Confini(イタリア・ミラノ)[2]
  • 2009年 - ローマ古代遺跡・アッピア街道展(イタリア・ローマ)[2]

モニュメント

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「敬意(RISPETTO)」(ふくやま美術館前庭)
製作年 作品名 素材 所在地
1981年 『家族』 胡椒石 ヴィラ・デジデーリ(イタリア・マリーノ市)
1982年 『家族』 カッラーラ産大理石、花崗岩 府中市文化センター(広島県府中市)
『かたらい』 花崗岩 広島県立府中東高等学校(広島県府中市)
1983年 『平和アピール碑』 カッラーラ産大理石 広島平和記念資料館(広島県広島市)
『経験』 花崗岩 広島全日空ホテル(広島県広島市
『かたらい』 カッラーラ産大理石 正田歯科医院(広島県甲山町
1984年 『かたらい』 カッラーラ産大理石 三原リージョンプラザ(広島県三原市)
『水のデゥエット』 花崗岩(赤、灰色) 甲山町役場(広島県甲山町)
1985年 『道程』 花崗岩 宇津戸公民館(広島県甲山町)
1986年 『太陽の滴』 カッラーラ産大理石、花崗岩 春日池公園(広島県福山市)
1987年 『敬意』 カッラーラ産大理石 美ヶ原高原美術館(長野県武石村)
1988年 『敬意』 アフリカ黒花崗岩 ふくやま美術館(広島県福山市)
『家族』 ブロンズ 株式会社ナカタ・マックコーポレーション(広島県尾道市)
1989年 『大地の鼓動』 カッラーラ産大理石 新尾道駅(広島県尾道市)
『大地の鼓動』 カッラーラ産大理石 カタラン広場(フランス・バルセロナ)
1990年 『大地の鼓動』 カッラーラ産大理石 藤原眼科(広島県世羅町)
『敬意』 カッラーラ産大理石、アフリカ黒花崗岩 日独文化センター(ドイツ・ベルリン)
1991年 『大地の鼓動』 カッラーラ産大理石 ミノーリ市(イタリア)
『家族』 カッラーラ産大理石 久井カントリークラブ(広島県久井町)
『共有』 カッラーラ産大理石 株式会社北川鉄工所(広島県府中市)
1992年 『敬意』 カッラーラ産大理石 広建コンサルタンツ株式会社(広島県福山市)
『水の城』 花崗岩 福山城公園(広島県福山市)
1993年 『大地の鼓動』 カッラーラ産大理石 通町公園(千葉県千葉市)
『太陽への道』 カッラーラ産大理石 広島県立びんご運動公園(広島県尾道市)
1994年 『共生』 カッラーラ産大理石 府中市体育館ウッドアリーナ(広島県府中市)
『共生』 カッラーラ産大理石 新市中央緑地公園(広島県新市町)
1995年 『未来心』 カッラーラ産大理石 広島県立世羅高等学校(広島県世羅町)
『共生』 カッラーラ産大理石 千代田区いきいきプラザ一番町(東京都千代田区)
1996年 『共生』 花崗岩 北部市民センター(広島県福山市)
1997年 『共生』 カッラーラ産大理石 八田原ダム(広島県甲山町)
『卵の城』 カッラーラ産大理石 かごしま健康の森公園(鹿児島県鹿児島市)
2000年 『未来心の丘』 カッラーラ産大理石ほか 耕三寺博物館(広島県瀬戸田町)[6]
2004年 『和舒門』 カッラーラ産大理石 三原市水道局(広島県三原市)
『家族』 カッラーラ産大理石 ポケットパーク6(広島県御調町)
『館祖 奥 愛次郎 胸像』 ブロンズ 広島県立日彰館高等学校(広島県三次市)
『天地花』 カッラーラ産大理石 天地花公園(広島県世羅町)
『未来心』 カッラーラ産大理石 甲山中学校(広島県世羅町)
『敬意』 カッラーラ産大理石 本郷生涯学習センター(広島県本郷町)
2005年 『敬意(連作)』 不明 なかた美術館(広島県尾道市、長崎県長崎市)
2008年 『太陽の門』 不明 まなびの館ローズコム(広島県福山市)
2009年 『敬意』 アフリカ黒花崗岩 藤原眼科(広島県世羅町)

脚注

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参考文献

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外部リンク

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