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[[Image:Yoroppaken Shop(1).JPG|thumb|ヨーロッパ軒総本店(福井県福井市)]] |
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[[Image:Yoroppaken Katsudon.jpg|thumb|ヨーロッパ軒総本店のカツ丼セット]] |
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'''ヨーロッパ軒'''(ヨーロッパけん)は、福井名物 |
'''ヨーロッパ軒'''(ヨーロッパけん)は、「福井名物ソースカツ丼」<ref name="gainen">[http://homepage2.nifty.com/yo-roppaken/ ヨーロッパ軒公式サイト] Webサイト上で、[[カツ丼]]の[[概念]]を変えるソースの味。「ソースカツ丼」と紹介されている</ref>の店として[[福井県]]に所在する[[レストラン|洋食屋]]である。 |
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* [[1913年]] - [[東京]]早稲田に「ヨーロッパ軒」を開く。店名の由来は修業をした[[欧州]]にちなむ。同年、東京の料理発表会でドイツ仕込みの[[ウスターソース]]を日本人の嗜好および米飯向けにアレンジして使用したソースカツ丼を東京で開かれた料理発表会で披露<ref name="rekishi">[http://homepage2.nifty.com/yo-roppaken/ 元祖ソースかつ丼ヨーロッパ軒総本店ホームページ] 「高畠さんは、大正2(1913)年に東京で開かれた料理発表会で創案のソースカツ丼を披露し、早稲田鶴巻町の自店で売り出していた。」</ref>した。 |
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* [[1923年]] - [[関東大震災]]で被災<!--当時の本店以外不明? --> |
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* [[1924年]] - 高畠の故郷・福井で営業再開 |
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== ソースカツ丼 == |
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[[1912年]] |
[[1912年]]に高畠増太郎が[[ベルリン]]で6年間の料理研究の留学を終えて日本へ帰国。留学先であるドイツの[[ウスターソース]]を日本人の好みに合うよう工夫を凝らし、このソースを使用したものをカツ丼の概念を超える「ソースカツ丼」として<ref name="gainen" />、翌年1913年に東京の料理発表会にて発表した。このソースカツ丼用ソースのベースとなるウスターソースは、オリジナルのレシピでメーカーに生産委託しており、当初の委託先は[[ブルドックソース]]であったが、現在は[[イカリソース]]に委託している。 |
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ヨーロッパ軒では、「[[メンチカツ]]」を使った丼を「'''パリ丼'''」と呼ぶ |
ヨーロッパ軒では、「[[メンチカツ]]」を使った丼を「'''パリ丼'''」と呼ぶ。 |
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{{要出典範囲|date=2013年2月|福井県[[嶺北地方]]では、単に「カツ丼」と言うとソースカツ丼を指したり、[[カツ丼]]([[鶏卵]]でとじた一般的なカツ丼)は、「上カツ丼」・「玉子カツ丼」などと呼ぶ事が多い}}。 |
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* [[1913年]]([[大正]]2年) - ウスターソースを普及させるべく、ソースカツ丼を東京で開かれた料理発表会で披露<ref name="meibutsu"/>。同年、[[東京市]][[牛込区]](現・[[東京都]][[新宿区]])[[早稲田鶴巻町]]に'''ヨーロッパ軒'''を開く。店名の由来は修業をした[[欧州]]にちなむ<ref name="rekishi">{{Cite web |url=http://homepage2.nifty.com/yo-roppaken/sub3.htm |title=ヨーロッパ軒総本店 -小史&全店紹介- |author=ヨーロッパ軒総本店 |accessdate=2013-02-14 <!--|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0214-0136-45/homepage2.nifty.com/yo-roppaken/sub3.htm |archivedate=2013-02-14-->}}</ref>。 |
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* [[1923年]](大正12年) - [[関東大震災]]で被災し、福井へ帰郷する<ref name="rekishi"/><!--何店が被災したのか不明確--> |
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* [[1924年]](大正13年) - 現在の総本店所在地である[[福井市]]の片町通りにて'''福井ヨーロッパ軒'''として営業を再開<ref name="rekishi"/>。 |
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== 敦賀ヨーロッパ軒 == |
== 敦賀ヨーロッパ軒 == |
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[[ファイル:Fukui sause katsudon.jpg|thumb|200px|敦賀店のソースカツ丼。]] |
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最初にのれん分けした[[敦賀市]]の店舗は「敦賀ヨーロッパ軒 本店」という |
最初にのれん分けした[[敦賀市]]の店舗<ref>総本店側の公式ページでは「敦賀分店」。</ref>は「敦賀ヨーロッパ軒 本店」という。この店舗とその支店は、箸袋の記載等に「国際観光レストラン」の[[キャッチフレーズ]]を使用している。なお、敦賀市内のヨーロッパ軒の店舗は敦賀ヨーロッパ軒直営の支店である。 |
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総本店とはメニュー構成なども異り、「ジクセリ」([[ピカタ]]に類似)<ref>ロシア料理[[エスカロップ]]からライス部分を取ったもの。嶺北でもメニューに「スカロップ」「ジクセリ」がある店舗(春江分店)が存在する。</ref>など、総本店にはない独自のメニューなどがある。 |
総本店とはメニュー構成なども異り、「ジクセリ」([[ピカタ]]に類似)<ref>ロシア料理[[エスカロップ]]からライス部分を取ったもの。嶺北でもメニューに「スカロップ」「ジクセリ」がある店舗(春江分店)が存在する。</ref>など、総本店にはない独自のメニューなどがある。 |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
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* [http://homepage2.nifty.com/yo-roppaken ヨーロッパ軒総本店] |
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* [http://468.tenponyan.com/index.php 敦賀ヨーロッパ軒] |
* [http://468.tenponyan.com/index.php 敦賀ヨーロッパ軒] |
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2013年2月15日 (金) 00:20時点における版
ヨーロッパ軒(ヨーロッパけん)は、「福井名物ソースカツ丼」[1]の店として福井県に所在する洋食屋である。 総本店は福井市中心部の片町に所在する。のれん分けの制度があり、福井県内各地に支店が所在する。
沿革
- 1912年 - 福井県出身の初代・高畠増太郎はドイツの日本人倶楽部などで働きつつ、6年間の料理研究留学を終え帰国。
- 1913年 - 東京早稲田に「ヨーロッパ軒」を開く。店名の由来は修業をした欧州にちなむ。同年、東京の料理発表会でドイツ仕込みのウスターソースを日本人の嗜好および米飯向けにアレンジして使用したソースカツ丼を東京で開かれた料理発表会で披露[2]した。
- 1917年 - 神奈川県 横須賀・追浜に出店
- 1923年 - 関東大震災で被災
- 1924年 - 高畠の故郷・福井で営業再開
- 1939年 - 初ののれん分け(敦賀分店(敦賀ヨーロッパ軒))
ソースカツ丼
1912年に高畠増太郎がベルリンで6年間の料理研究の留学を終えて日本へ帰国。留学先であるドイツのウスターソースを日本人の好みに合うよう工夫を凝らし、このソースを使用したものをカツ丼の概念を超える「ソースカツ丼」として[1]、翌年1913年に東京の料理発表会にて発表した。このソースカツ丼用ソースのベースとなるウスターソースは、オリジナルのレシピでメーカーに生産委託しており、当初の委託先はブルドックソースであったが、現在はイカリソースに委託している。
ヨーロッパ軒では、「メンチカツ」を使った丼を「パリ丼」と呼ぶ。
敦賀ヨーロッパ軒
最初にのれん分けした敦賀市の店舗[3]は「敦賀ヨーロッパ軒 本店」という。この店舗とその支店は、箸袋の記載等に「国際観光レストラン」のキャッチフレーズを使用している。なお、敦賀市内のヨーロッパ軒の店舗は敦賀ヨーロッパ軒直営の支店である。
総本店とはメニュー構成なども異り、「ジクセリ」(ピカタに類似)[4]など、総本店にはない独自のメニューなどがある。
脚注
- ^ a b ヨーロッパ軒公式サイト Webサイト上で、カツ丼の概念を変えるソースの味。「ソースカツ丼」と紹介されている
- ^ 元祖ソースかつ丼ヨーロッパ軒総本店ホームページ 「高畠さんは、大正2(1913)年に東京で開かれた料理発表会で創案のソースカツ丼を披露し、早稲田鶴巻町の自店で売り出していた。」
- ^ 総本店側の公式ページでは「敦賀分店」。
- ^ ロシア料理エスカロップからライス部分を取ったもの。嶺北でもメニューに「スカロップ」「ジクセリ」がある店舗(春江分店)が存在する。