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「アルマトイ」の版間の差分

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|総人口 =1,472,866<ref>{{cite web|url=http://www.stat.kz/digital/naselsenie/2010/hs1007eks.xls |title=2010 жыл басынан 1 тамызға дейінгі Қазақстан Республикасы халық санының өзгеруі туралы |accessdate=2 January 2012}}</ref>
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'''アルマトイ'''({{Lang|kk|Алматы}}, {{IPA-kz|ɑlmɑtɯ|pron}}、 '''アルマトゥ''' {{lang-en-short|Almaty}}、 '''アルマティ''')は[[カザフスタン|カザフスタン共和国]]南東部の[[都市]]。[[キルギス|キルギス共和国]]および[[中華人民共和国]]との[[国境]]に近い風光明媚な街である。[[中央アジア]]最高水準の[[世界都市]]であり<ref>[http://www.lboro.ac.uk/gawc/world2008t.html World City]</ref>、[[1998年]]まで同国の首都であった。2002年までは[[アルマトイ州]]の州都であったが、2003年に州都の地位を[[タルディコルガン]]に譲り、政令指定地区とされた。[[カザフ国立大学]]をはじめ多くの高等教育機関、政府機関などがある。[[人口]]は1,472,866人(2012年)。
[[ファイル:Almaty church.jpg|right||thumb|220px|教会]]
'''アルマトイ'''({{Lang|kk|Алматы}}, '''アルマトゥ'''、{{lang-en-short|Almaty}})は[[カザフスタン|カザフスタン共和国]]南東部の[[都市]]。[[中央アジア]]最高水準の[[世界都市]]であり<ref>[http://www.lboro.ac.uk/gawc/world2008t.html World City]</ref>、[[1998年]]まで同国の首都であった。[[人口]]は1,348,500人(2008年)。[[キルギス|キルギス共和国]]および[[中華人民共和国|中国]]との[[国境]]に近く、[[天山山脈]]の麓に位置する風光明媚な街である。[[カザフ国立大学]]をはじめ多くの高等教育機関、政府機関などがある。


[[1991年]][[ソビエト連邦]]を解体し、[[独立国家共同体]]を始動した協定はここアルマトイで調印された。
[[1991年]][[ソビエト連邦]]を解体し、[[独立国家共同体]]を始動した協定はここアルマトイで調印された。遷都後の現在でもアルマトイはカザフスタンで最大の都市であり、商工業・文化の中心都市である<ref>宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、151頁</ref>

アルマトイは[[ソチオリンピック|2014年冬季オリンピック]]開催に立候補していたが落選。[[2011年]]には[[2011年アジア冬季競技大会|アジア冬季競技大会]]が開催された。[[2017年]]には冬季[[ユニバーシアード]]を開催予定。


== 地名 ==
== 地名 ==
日本語に広く定着している「アルマトイ」は町の名前の[[キリル文字]]綴りを[[ロシア語]]の日本語転写の慣例によってカタカナに写した場合、「アルマトゥイ」となるはずのものを、さらに「トゥイ」を「トイ」に略したものである。[[カザフ語]]の発音はむしろアルマトゥまたはアルマタに近く、「アルマトゥ」と書こともある。
日本語に広く定着している「アルマトイ」は町の名前の[[キリル文字]]綴りを[[ロシア語]]の日本語転写の慣例によってカタカナに写した場合、「アルマトゥイ」となるはずのものを、さらに「トゥイ」を「トイ」に略したものである{{要出典|date=2013年4月}}。[[カザフ語]]の発音に近「アルマトゥ」と書かれることもある。


アルマトゥ ({{Lang|kk|Алматы}}) は、[[1921年]]に現在のカザフスタンの前身である自治共和国が成立する前から町を指して使われていたカザフ語の名称であり<ref name="uyama150">宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、150頁</ref><ref name="oka">岡「アルマトゥ」新版『ロシアを知る事典』、29-30頁</ref>、19世紀にロシア人がこの地に進出した後もカザフ族からはアルマトゥと呼ばれることが多かった<ref name="jiten">宇山「アルマトゥ」『中央ユーラシアを知る事典』、43頁</ref>。語源は「リンゴの里」であり、かつては町の近辺にリンゴ林が広がっていたが、現在は都市開発に伴ってリンゴの樹は数を減らしている<ref name="asakura">『中央アジア』、69-70頁</ref>。
かつて、日本を含め国際的にはこの町は'''アルマ・アタ''' {{Lang|ru|Алма-Ата}}という名称で呼ばれていた。これは、カザフ語ではなく[[ロシア語]]での呼称で、ソ連時代に事実上の公式名称となっていたものである。アルマ・アタ([[英語|英]]:[[:en:Alma-Ata|Alma-Ata]])は、カザフ語でアルマ ({{Lang|kk|алма}}) は「リンゴ」、アタ ({{Lang|kk|ата}}) は「父」を意味するため、「リンゴの父」を意味していた。


かつて、日本を含め国際的にはこの町は'''アルマ・アタ''' {{Lang|ru|Алма-Ата}}という名称で呼ばれていた。これは、カザフ語ではなく[[ロシア語]]での呼称で、ソ連時代に事実上の公式名称となっていたものである。アルマ・アタ([[英語|英]]:[[:en:Alma-Ata|Alma-Ata]])は、カザフ語でアルマ ({{Lang|kk|алма}}) は「リンゴ」、アタ ({{Lang|kk|ата}}) は「父」を意味するため、「リンゴの父<ref name="arikawa">蟻川明男『世界地名語源辞典』(三訂版, 古今書院, 2003年3月)、26頁</ref><ref name="tsujihara">辻原『世界地名情報事典』、36頁</ref>」を意味していた。現在でもアルマ・アタの呼称を用いる人は、ロシア語話者を中心として、内外ともに少なくない。
アルマトゥ ({{Lang|kk|Алматы}}) は、[[1921年]]に現在のカザフスタンの前身である自治共和国が成立して以来、この街のカザフ語の公式名称であるが、その語源は不明である。しかし、付近の地域には野生の[[リンゴ]]の種類がきわめて多く、リンゴの原産地であることを示唆しているのは確かであろう。なお、アルマトゥという名称自体は、街の近郊にあった、ドゥラトという氏族が住んでいた集落の名前に由来する。


町の元になったヴェールノエ要塞の語源は、「忠誠の土地」である<ref name="tsujihara"/>。
現在でもアルマ・アタの呼称を用いる人は、ロシア語話者を中心として、内外ともに少なくない。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[Image:Almaty church.jpg|right|thumb|220px|20世紀初頭に建立されたロシア正教会に属するゼンコフ教会。木造の建築物として世界で2番目の高さを誇る<ref>Ness, Immanuel. ''Encyclopedia of World Cities''. M E Sharpe Reference, 1999. ISBN 0-7656-8017-3. 19頁</ref>]]
[[青銅器時代]]から家畜の放牧などをする人々が生活していた。その後、[[サカ]]、そして[[烏孫]]が定住する。
アルマトイ郊外の山{{仮リンク|コクトベ|en|Kok Tobe}}には、[[紀元前10世紀]]から[[紀元前9世紀]]のものと思われる[[青銅器時代]]の住居跡が存在する<ref name="asakura"/>。アルマトイから東50kmに位置する<ref name="umemura">梅村坦「オアシス世界の展開」『中央ユーラシア史』収録(小松久男編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2000年10月)、103頁</ref>イッシクからは、[[紀元前5世紀]]から[[紀元前4世紀]]ごろと推定される[[サカ|サカ族]]の遺跡が発掘され、<ref name="asakura"/>独自の文字が刻まれた銀製のカップが出土した<ref name="umemura"/>。イッシクのほか、アルマトイ近郊には発掘調査が行われていないサカの遺跡が多く存在する<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、43頁</ref>。

中世には[[シルクロード]]の天山北路のオアシスとして、交易が行われていた。アルマトイ近郊では10世紀から13世紀のものと思われる遺跡からは、[[タンドール|タンドリ]](窯)、焼きレンガ、貨幣が発掘された<ref name="asakura"/>。出土した貨幣の表面には「アルマトゥ」の名前が刻まれていた。13世紀の[[モンゴル帝国]]の中央アジア遠征の後、アルマトイの名前は多くの人から忘れ去られた<ref name="arikawa"/>。

[[1730年]]([[1729年]])には[[アブル=ハイル・ハン (小ジュズ)|アブル=ハイル・ハン]]が率いる[[カザフ|カザフ族]]の連合軍が、アルマトイ北西のアヌラカイ山で抗争を繰り返していた[[ジュンガル]]を撃破する<ref>カトリーヌ・プジョル『カザフスタン』(宇山智彦、須田将訳, 文庫クセジュ, 白水社, 2005年2月)、57-58頁</ref>。

[[1854年]]、<!-- [[オムスク]]からの -->シベリア・[[コサック]]が[[天山山脈]]のふもとに[[要塞]]を建設し、ザイリースキー(ザイリスコエ、{{lang|ru|Заилийский}})と呼んだ。<!-- 翌年に -->やがて、要塞はヴェールノエの名前で呼ばれるようになった<ref>宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、149頁</ref>。ヴェールノエは[[ビシュケク]]・[[タシュケント]]方面への遠征の拠点とされ<ref>宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、149-150頁</ref>、1859年に初めて地図上に名前が記された<ref name="asakura"/>。


[[1867年]]に要塞はヴェールヌイ({{lang|ru|Верный}})市と改められて[[セミレチエ州]]の州都に定められる。ヴェールヌイに移住した人間はボリショイ・アルマトゥ川沿いに、出身地域ごとに集落を形成した<ref name="asakura"/>。[[1887年]]と[[1910年]]([[1911年]])の[[地震|大地震]]でヴェールヌイは壊滅するが、人々は町を再建した。2度の大地震の後に、碁盤目状の市街地が整備され始める。[[1918年]]3月にアルマトイにソビエト政権が樹立する。
[[中世]]には[[シルクロード]]の交易地となる。


[[1921年]]、町は特産品のリンゴにちなんだ名前のアルマ・アタ(リンゴの父)に改称される<ref name="tsujihara"/>。[[1929年]]、[[カザフ自治ソビエト社会主義共和国]]の首都が[[クズロルダ]]からこの地に移される。[[1930年]]、[[トルキスタン・シベリア鉄道]]と[[トルキスタン・シベリア道路]]、さらにアルマ・アタ空港(現在の[[アルマトイ国際空港]])が完成し、カザフスタンの中心地に発展していく。木造の平屋が多く経っていた町に、鉄筋コンクリートの建物が現れ始める<ref name="uyama150"/>。ソビエト政権時代、町の通りには[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]などの社会主義を象徴する名前や[[ジャンブル・ジャバエフ|ジャンブル]]、[[アバイ・クナンバーエフ|アバイ]]などのカザフ族の偉人の名前が付けられた<ref name="asakura"/>。都市の中心部には政府関係の建物だけでなく、オペラ劇場やコンサートホールなどの文化施設が建設された。
[[1730年]]には抗争を繰り返していた[[ジュンガル]]を、カザフ人が現在のアルマトイ郊外で撃破する。


[[1928年]]、政争に敗れた[[レフ・トロツキー]]が追放され滞在した(翌年には[[ソビエト連邦]]から国外追放)。[[第二次世界大戦]]中、アルマ・アタには戦火を逃れるために工場や病院、大学、映画撮影所などが[[ヨーロッパ・ロシア]]から続々と疎開してきた。ソ連の映画撮影所[[モスフィルム]]と[[レンフィルム]]が移転したアルマ・アタに中央合同劇映画製作所が発足、当時のソ連製映画の約8割がアルマ・アタで制作された<ref name="uyama135">宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、135頁</ref>。アルマ・アタで映画技法を学んだ人物の中から、中央アジアの映画界で活躍する人材が多く現れた<ref name="uyama135"/>。戦後には日本兵捕虜の収容所が設置され、科学アカデミーや発電所の建設に使役された<ref name="oka"/>。市内には日本兵捕虜が葬られた墓地が3か所存在する<ref name="oka"/>。
[[1854年]]、[[オムスク]]からのシベリア・コサックが[[天山山脈]]のふもとに[[要塞]]を建設し、'''ザイリースキー'''({{lang|ru|'''Заилийский'''}})と呼んだ。翌年に'''ヴェルヌイ'''({{lang|ru|'''Верный'''}})と改められ、[[カザフ人]]、次に[[ロシア人]]の農民が移住させられた。[[1887年]]、大[[地震]]でヴェルヌイは壊滅する。人々は倒壊した煉瓦でなく木材や日干しレンガで町を再建する。


[[1960年]]から[[1986年]]までの[[ディンムハメッド・クナーエフ|ディンムハメッド・コナエフ]]がカザフスタン共産党中央委員会第一書記を務めていた時代、町の景観が整備される<ref name="jiten"/>。[[1978年]]には[[プライマリ・ヘルス・ケア]]に関する会議が開催され、[[アルマ・アタ宣言]]が採択された。[[1986年]]、[[ミハイル・ゴルバチョフ]]はコナエフをカザフ党第一書記(政治局員)から解任し、後任にロシア人の[[ゲンナジー・コルビン]]を選出した。第一書記は共和国の基幹民族出身者から選出する慣行に反する上、カザフスタンと全く繋がりのないコルビンの起用はカザフスタンの学生たちの反発を招いた<ref>宇山「アルマトゥ事件」『中央ユーラシアを知る事典』、43頁</ref>。このため、1986年12月17日朝から12月18日夜にかけて、大規模なカザフ人暴動が発生した([[アルマアタ事件]])。
[[1921年]]、アルマ・アタと改称する。[[1927年]]、[[カザフ自治ソビエト社会主義共和国]]の首都が、[[クズロルダ]]からこの地に移される。[[1930年]]、[[トルキスタン・シベリア鉄道]]と[[トルキスタン・シベリア道路]]、さらにアルマ・アタ空港(現在の[[アルマトイ国際空港]])が完成し、文字通りカザフスタンの中心地に変貌していく。


[[1991年]]より、アルマ・アタは旧ソビエト連邦から独立した[[カザフスタン|カザフスタン共和国]]の首都に定められ、[[1993年]]にアルマトイに名称を統一した。[[1997年]]、[[ヌルスルタン・ナザルバエフ]]は首都をアクモラ(現在の[[アスタナ]])に移すことを決定し、翌1998年1月に遷都が行われた。
[[1928年]]、政争に敗れた[[レフ・トロツキー]]が追放され滞在した(翌年には[[ソビエト連邦]]から国外追放)。
[[第二次世界大戦]]中、アルマ・アタには戦火を逃れるために工場や病院、大学、映画撮影所などがヨーロッパ・ロシアから続々と疎開してきた。そうした人々は、26,000人にのぼった。


== 地理・気候 ==
[[1986年]]、[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]は、[[ディンムハメッド・クナーエフ]]をカザフ党第一書記(政治局員)から解任し後任にロシア人を選出、このため大規模なカザフ人暴動が発生した。[[アルマアタ事件]]と称される。
[[天山山脈]]の支脈であるザイリスキー・アラタウの北麓に位置する。都心部は標高750m-900mの高地に位置し、町全体が傾斜している<ref name="jiten"/>。


アルマトイは複数回大地震に見舞われており、アスタナに遷都された理由の一つに地震の危険性があった<ref>宇山智彦「地震」『中央ユーラシアを知る事典』、227,232頁</ref>。地震への対策から高層建築物の建設は制限されているが、そのために都市の景観が保たれている一面もある<ref name="uyama150"/>。
[[1991年]]より、旧ソビエト連邦から独立した[[カザフスタン|カザフスタン共和国]]の首都。[[1993年]]にアルマトイと改名する。[[1997年]]、[[ヌルスルタン・ナザルバエフ|ナザルバエフ]]は首都を[[アスタナ]]に移すことを決定、翌年、遷都が行われた。しかしながら、アルマトイは現在もカザフスタンで最大の都市であり、商工業・文化の中心都市である。


気候は大陸性で、夏は暑く冬は寒い。南方を4000m級の[[天山山脈]]が占めるため、山岳気候の影響も強く受ける。1月の平均気温は-4.7度とそれほど低くはないが、最低気温はしばしば-10度を下回り、降雪量も多くなる。7月の平均気温は23.8度と高く、日中は年間平均で30度を超す真夏日となることが36日もあり、時に35度を超すことも珍しくないが、朝晩は涼しく湿気も少ないので蒸し暑さとは無縁である。また市内でも北から南にかけて標高600m - 1200mに市街地が広がっているため、気温、気候などに違いがある。沖積層土壌と豊富な雨量のため、多くの植物が生い茂っている<ref name="chimeiseiyo">『世界地名辞典 西洋編』新版、37頁</ref>。
== 気候 ==
気候は大陸性で、夏は暑く冬は寒い。南方を4000m級の[[天山山脈]] が占めるため、山岳気候の影響も強く受ける。1月の平均気温は-4.7度とそれほど低くはないが、最低気温はしばしば-20度を下回り、降雪量も多くなる。7月の平均気温は23.8度と高く、日中は年間平均で30度を超す真夏日となることが36日もあり、時に35度を超すことも珍しくないが、朝晩は涼しく湿気も少ないので蒸し暑さとは無縁である。また市内でも北から南にかけて標高600m~1200mに市街地が広がっているため、気温、気候などに違いがある。
{{Weather box
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}}
}}


== 民族構成 ==
== 民族構成、人口 ==
2010年度の調査では、以下の結果となった<!-- <ref>[http://www.stat.kz/publishing/DocLib4/2010/%D0%94%D0%B5%D0%BC%D0%BE%D0%B3%D1%80%D0%B0%D1%84%D0%B8%D1%8F/Bull_Hsany2010.rar Национальный состав населения Республики Казахстан](rarファイル、2013年3月閲覧)</ref> -->。
[[2003年]]の調査


* [[カザフ人]] 51.5 %
* [[カザフ人]] 51.06%
* [[ロシア人]] 30.0 %
* [[ロシア人]] 33.02%
* [[ウイグル人]] 5.8 %
* [[ウイグル人]] 5.73%
* [[タタール人]] 2.0 %
* [[朝鮮人]] 1.9%
* [[朝鮮人]] 2.0 %
* [[タタール人]] 1.82%
* [[ウクライナ人]] 1.0 %
* [[ウクライナ人]] 1.24%
* [[ドイツ人]] 1.0 %
* その他 5.23%
* [[インド人]] 1.0 %
* [[中国人]] 1.0 %
* 他 6%


1989年にソビエト連邦が行った調査ではアルマ・アタの人口は1,071,900人であり、カザフスタン独立後の1999年に実施された調査では1,129,400人に増加した結果が報告された<ref>[http://demoscope.ru/weekly/2002/057/analit04.php (About some results of the Kazakhstan population census)](ロシア語、2013年3月閲覧)</ref>。
{| class="wikitable"
|-
! !! 1926年 !! 1959年 !! 1970年!! 1989年!! 1999年!! 2012年
|-
! 人口
| 46,000<ref name="chimeiseiyo"/> || 456,000<ref name="chimeiseiyo"/> || 730,000<ref name="chimeiseiyo"/> || 1,071,900|| 1,129,400|| 1,472,866
|}
== 行政地区 ==
== 行政地区 ==
7地区から成る。
7地区から成る。


*アウエゾフ地区
* アウエゾフ地区
*アラタウ地区
* アラタウ地区
*アルマルイ地区
* アルマルイ地区
*ジェトゥス地区
* ジェトゥス地区
*トゥルクシブ地区
* トゥルクシブ地区
*ボスタンドゥク地区
* ボスタンドゥク地区
*メデウ地区
* メデウ地区

== 経済 ==
ソビエト連邦から独立した中央アジアの国家の中で、アルマトイは最も経済的に発展した都市である<ref name="asakura"/>。

アルマトイの前身であるヴェールノエ市の建設当初、住民の大部分は農業に従事しており、工業は発達していなかった<ref name="kayama">香山「アルマアタ」『世界地名大事典』1巻、73頁</ref>。ソビエト連邦時代にアルマトイはカザフスタンの工業の中心地に発展する。[[ノヴォシビルスク]]と[[タシュケント]]を結ぶトルキスタン・シベリア鉄道の開通により、機械製造業と食品工業が発達した<ref name="chimeiseiyo"/>。[[1919年]]のアルマトイの労働者の数は365人だったが、1968年には104,000人に達した<ref name="kayama"/>。旧ソ連時代は食品工業と軽工業がアルマトイの中心産業だった<ref name="kayama"/>。[[1993年]]には、[[フィリップモリス]]社がアルマトゥ・タバコ工場を買収した<ref>『アジア・オセアニア 1』、222頁</ref>。

カザフスタンの石油生産量が増加した2003年以後、アルマトイは経済的な恩恵を受ける<ref name="asakura"/>。町にはトルコ資本、ロシア資本の大規模な小売商店が進出し、欧米資本のファッションブランド店も出現した。市内のスーパーにはトルコ製品、バザールには中国製品が多く流通するようになる<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、174頁</ref>。しかし、富裕層に含まれない一般市民は恩恵にあずかれず、物価の上昇と公共料金の値上げに苦しんでいる<ref name="asakura"/>。また、経済発展と共に環境問題も表面化した<ref name="asakura"/>。特に自動車の排気ガスによる大気汚染が問題となっており、市当局は地下鉄の設置などの対策を講じているが成果は表れていない<ref name="asakura"/>。

== 教育 ==
アルマトイには、カザフスタンの高等教育機関と研究施設が集中している<ref name="oka"/>。カザフスタンの三大図書館である国立公共図書館、カザフスタン科学技術図書館、カザフ科学アカデミー中央図書館が置かれている<ref name="asos">『アジア・オセアニア 1』、225頁</ref>。

人材不足などの理由で、町の医療は発達しているとは言い難い<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、175-176頁</ref>。

== スポーツ ==
[[Image:Central stadium Almaty-1.jpg|right|thumb|200px|アルマトイ・セントラル・スタジアム]]
{{仮リンク|FCカイラト・アルマトイ|en|FC Kairat}}とCSKAアルマトイの2つの[[サッカー]]クラブが、アルマトイをホームタウンとしている。

アルマトイ郊外の{{仮リンク|メデオ・スケートリンク|en|Medeo}}では、多くの世界記録が生まれた<ref name="tsujihara"/>。そのため、かつては「世界記録の工場」として有名だった<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、105頁</ref>。メデオ・スケートリンクの上の地点には、チェンブラク・スキー場がある。

1996年にカザフスタンの企業と日本の商社の合弁でヌルタウ・ゴルフ場が開設された<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、106頁</ref>。2006年には2つ目のゴルフ場としてジャイラウ・ゴルフクラブがオープンした。

アルマトイは[[ソチオリンピック|2014年冬季オリンピック]]開催に立候補していたが落選<ref>{{cite web|url=http://www.gamesbids.com/english/bids/2014.shtml |title=2014 Winter Olympic Games Bids |publisher=Gamesbids.com |accessdate=2 January 2012}}</ref>。[[2011年]]には[[2011年アジア冬季競技大会|アジア冬季競技大会]]が開催された。[[2017年]]には冬季[[ユニバーシアード]]の開催が予定されている<ref>{{cite web|url=http://almaty2017.kz/index.php/en/ |title=Almaty 2017 home page |publisher=Almaty2017.kz |date=11 November 2011 |accessdate=2 January 2012}}</ref>。

=== バンディ ===
アルマトイには、[[国際バンディ連盟]]のアジア事務局が設置されている<ref>{{cite web|url=http://translate.google.ca/translate?hl=en&sl=ru&u=http://sport.mail.ru/news/hockey-bandy/8000427/&ei=vRIsT8urCM_ltQahl72GDQ&sa=X&oi=translate&ct=result&resnum=1&sqi=2&ved=0CDAQ7gEwAA&prev=/search%3Fq%3Dhttp://sport.mail.ru/news/hockey-bandy/8000427/%26hl%3Den%26biw%3D1440%26bih%3D797%26prmd%3Dimvns |title=Google Translate |publisher=Translate.google.ca |date=2013-01-07 |accessdate=2013-01-11}}</ref>。かつて存在した[[バンディ]]のチームであるディナモ・アルマ・アタは、1977年と1990年のソビエト選手権、1978年の{{仮リンク|ヨーロピアン・カップ (バンディ)|en|European Cup (bandy)|label=ヨーロピアン・カップ}}を制した。

ディナモの本拠地であったメデオ・スケートリンクは、[[2011年アジア冬季競技大会]]でバンディの競技会場として使用された。2012年にカザフスタンで開催された[[バンディ世界選手権]]ではメデオがメインの競技場に選ばれ、大会のために{{仮リンク|アルマトイ・セントラル・スタジアム|en|Almaty Central Stadium}}に建設された代替のフィールドが第2競技場とされた。

== 観光 ==
[[Image:Issyk Golden Cataphract Warrior.jpg|right|thumb|140px|国家中央博物館で展示されている「黄金人間」のレプリカ。]]
アルマトイには歴史的な建造物の遺跡は存在しないが、ヨーロッパ風の街角が多く残る<ref name="asos"/>。また、ソ連時代の伝統を引き継いで、オペラ、バレエ、コンサートなどの文化的な催し物が劇場で上演されている<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、173頁</ref>。

[[ハイアットホテルアンドリゾーツ|ハイアットリージェンシー]]系列のラハット・パラス、[[インターコンチネンタルホテルズグループ|インターコンチネンタル]]などのホテルが営業している。

=== 主な観光地 ===
* 28人のパンフィロフ戦士公園 - [[第二次世界大戦]]の対ドイツ戦でモスクワ防衛に参加して戦死したパンフィロフ将軍と彼が率いた兵士を記念して造られた公園。アルマトイでの結婚式の当日、花嫁と花婿は公園の戦勝記念碑に花を捧げ、記念撮影を行うことが多い<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、55頁</ref>。中央には[[1904年]]に完成したゼンコフ正教教会がそびえる。
* 国家中央博物館 - 約90,000点の展示物を所蔵する<ref name="asos"/>。イッシク古墳から出土した「黄金人間」のレプリカ、[[石人]]などが展示されている。
* 国立カステエフ記念美術館 - 主に現代のカザフ人芸術家の作品を展示している。
* カザフ民族楽器博物館
* [[アルマトイ動物園]]
* 中央[[バザール]]


== 交通 ==
== 交通 ==
アルマトイ郊外では、新車を購入する経済的な余裕が無い人間のための中古車を扱うバザールが開かれている<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、75頁</ref>。
*[[アルマトイ国際空港]]: 市内から18km離れたカザフスタン最大の空港

*アルマトイⅠ駅: 町外れにある駅。
自動車の排気ガスによる大気汚染は、アルマトイを悩ませている<ref name="asakura"/>。また、渋滞も頻発しており、駐車場が少ないために路上駐車が横行していること、低速度で走行中に故障が起きやすい旧型車が大排気量の新車と並走していることなどが発生の原因として挙げられる<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、80頁</ref>。2005年には交通事故の増加を防ぐために市当局が右ハンドル車の新規登録を停止することを発表したが、右ハンドル車の所有者やディーラーの反対にあって発表を撤回した<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、76頁</ref>。
*アルマトイⅡ駅: 市の中心部にある駅。[[モスクワ]]行きは隔日、[[中華人民共和国|中国]][[ウルムチ]]行きは週2便の[[シルクロード号]]が発着する。

*[[アルマトイ地下鉄]]: 中央アジアでは2番目の地下鉄。
=== 交通機関 ===
* [[アルマトイ国際空港]] - 市内北東の15kmに位置するカザフスタン最大の空港。アルマトイは中央アジア各地とロシア・ヨーロッパを結ぶ航空上の拠点として重要視されている<ref name="chimeiseiyo"/>。
* アルマトイⅠ駅 - 町の北にある駅。
* アルマトイⅡ駅 - 市の中心部にある駅。多くの列車の発着地となっている<ref name="aruki123">地球の歩き方編集室『中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々』、123頁</ref>。[[モスクワ]]行きは隔日、[[中華人民共和国|中国]][[ウルムチ]]行きは週2便の[[シルクロード号]]が発着する。
* [[アルマトイ地下鉄]] - 中央アジアでは2番目の地下鉄。
* サイランバスターミナル - 市の西にある長距離バスターミナル。現地ではノーヴィー・アフトヴァグザールの名前で呼ばれている<ref name="aruki123"/>。[[ビシュケク]]、[[タラズ]]、ウルムチ、[[グルジャ市|グルジャ]]行きのバスが運行されている。
* マルシュルート・タクシー - 定員10人前後の小型バス。車体は主にロシア車と中国車が使用されている<ref>角崎『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』、79頁</ref>。


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==
<ref>[http://www.almaty.kz/page.php?page_id=1717&lang=2 Twin-cities](2013年3月閲覧)</ref>
*{{flagicon|USA}} [[ツーソン]]([[アメリカ合衆国]])
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* {{Flagicon|LAT}} [[リガ]]([[ラトビア]])
* {{flagicon|FRA}} [[レンヌ]]([[フランス]])

== 脚注 ==
{{reflist}}

== 参考文献 ==
* 宇山智彦編著『中央アジアを知るための60章』第2版(エリア・スタディーズ26, 明石書店, 2010年2月)
* 宇山智彦「アルマトゥ」『中央ユーラシアを知る事典』収録(平凡社, 2005年4月)
* 宇山智彦「アルマトゥ事件」『中央ユーラシアを知る事典』収録(平凡社, 2005年4月)
* 岡奈津子「アルマトゥ」新版『ロシアを知る事典』収録(平凡社, 2004年1月)
* 帯谷知可、北川誠一、相馬秀廣編『中央アジア』(朝倉世界地理講座 大地と人間の物語, 朝倉書店, 2012年10月
* 香山陽坪「アルマアタ」『世界地名大事典』1巻(朝倉書店, 1973年)
* 地球の歩き方編集室『中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々』2011~2012年版(地球の歩き方, ダイヤモンド・ビッグ社, 2011年4月)
* 辻原康夫『世界地名情報事典』(東京書籍, 2003年1月)
* 角崎利夫『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』(早稲田出版, 2007年12月)
* 『アジア・オセアニア 1』(桜井由躬雄他監修, 世界地理大百科事典, 朝倉書店, 2002年1月)
* 『世界地名辞典 西洋編』新版(小林望、徳久球雄編, 東京堂出版, 1980年5月)


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[アルマ・アタ宣言]]
* [[アルマ・アタ宣言]]
* [[アルマアタ事件]]
* [[アルマアタ事件]]

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{commons|Almaty}}
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* [http://www.almaty.kz/ アルマトイ市公式ウェブサイト] {{kk icon}} {{en icon}} {{ru icon}}
* [http://www.almaty.kz/ アルマトイ市公式ウェブサイト] {{kk icon}} {{en icon}} {{ru icon}}

* [http://kyrgyz.org.uk/kazah/index.html シルクロードの小さな山|アルマティ]


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2013年5月13日 (月) 14:25時点における版

アルマトイ
Алматы
アルマトイの市街地
アルマトイの市街地
アルマトイの市旗 アルマトイの市章
市旗 市章
位置
の位置図
座標 : 北緯43度16分39秒 東経76度53分45秒 / 北緯43.27750度 東経76.89583度 / 43.27750; 76.89583
行政
カザフスタンの旗 カザフスタン
 行政区画 アルマトイ(政令指定地区)
 市 アルマトイ
Akim アフメトジャン・イェシモフ
地理
面積  
  市域 324.8 km2 (125.4 mi2)
標高 500~1700 m
人口
人口 (2012年現在)
  市域 1,472,866[1]
    人口密度   3,776人/km2(9,779.8人/mi2
その他
等時帯 UTC+6 (UTC+6)
郵便番号 050000 - 050063
市外局番 +7 727
ナンバープレート A
ISO 3166-2 ALA
公式ウェブサイト : http://www.almaty.kz/

アルマトイАлматы, 発音 [ɑlmɑtɯ]アルマトゥ : Almatyアルマティ)はカザフスタン共和国南東部の都市キルギス共和国および中華人民共和国との国境に近い風光明媚な街である。中央アジア最高水準の世界都市であり[2]1998年まで同国の首都であった。2002年まではアルマトイ州の州都であったが、2003年に州都の地位をタルディコルガンに譲り、政令指定地区とされた。カザフ国立大学をはじめ多くの高等教育機関、政府機関などがある。人口は1,472,866人(2012年)。

1991年ソビエト連邦を解体し、独立国家共同体を始動した協定はここアルマトイで調印された。遷都後の現在でもアルマトイはカザフスタンで最大の都市であり、商工業・文化の中心都市である[3]

地名

日本語に広く定着している「アルマトイ」は町の名前のキリル文字綴りをロシア語の日本語転写の慣例によってカタカナに写した場合、「アルマトゥイ」となるはずのものを、さらに「トゥイ」を「トイ」に略したものである[要出典]カザフ語の発音に近い「アルマトゥ」と書かれることもある。

アルマトゥ (Алматы) は、1921年に現在のカザフスタンの前身である自治共和国が成立する前から町を指して使われていたカザフ語の名称であり[4][5]、19世紀にロシア人がこの地に進出した後もカザフ族からはアルマトゥと呼ばれることが多かった[6]。語源は「リンゴの里」であり、かつては町の近辺にリンゴ林が広がっていたが、現在は都市開発に伴ってリンゴの樹は数を減らしている[7]

かつて、日本を含め国際的にはこの町はアルマ・アタ Алма-Атаという名称で呼ばれていた。これは、カザフ語ではなくロシア語での呼称で、ソ連時代に事実上の公式名称となっていたものである。アルマ・アタ(Alma-Ata)は、カザフ語でアルマ (алма) は「リンゴ」、アタ (ата) は「父」を意味するため、「リンゴの父[8][9]」を意味していた。現在でもアルマ・アタの呼称を用いる人は、ロシア語話者を中心として、内外ともに少なくない。

町の元になったヴェールノエ要塞の語源は、「忠誠の土地」である[9]

歴史

20世紀初頭に建立されたロシア正教会に属するゼンコフ教会。木造の建築物として世界で2番目の高さを誇る[10]

アルマトイ郊外の山コクトベ英語版には、紀元前10世紀から紀元前9世紀のものと思われる青銅器時代の住居跡が存在する[7]。アルマトイから東50kmに位置する[11]イッシクからは、紀元前5世紀から紀元前4世紀ごろと推定されるサカ族の遺跡が発掘され、[7]独自の文字が刻まれた銀製のカップが出土した[11]。イッシクのほか、アルマトイ近郊には発掘調査が行われていないサカの遺跡が多く存在する[12]

中世にはシルクロードの天山北路のオアシスとして、交易が行われていた。アルマトイ近郊では10世紀から13世紀のものと思われる遺跡からは、タンドリ(窯)、焼きレンガ、貨幣が発掘された[7]。出土した貨幣の表面には「アルマトゥ」の名前が刻まれていた。13世紀のモンゴル帝国の中央アジア遠征の後、アルマトイの名前は多くの人から忘れ去られた[8]

1730年1729年)にはアブル=ハイル・ハンが率いるカザフ族の連合軍が、アルマトイ北西のアヌラカイ山で抗争を繰り返していたジュンガルを撃破する[13]

1854年、シベリア・コサック天山山脈のふもとに要塞を建設し、ザイリースキー(ザイリスコエ、Заилийский)と呼んだ。やがて、要塞はヴェールノエの名前で呼ばれるようになった[14]。ヴェールノエはビシュケクタシュケント方面への遠征の拠点とされ[15]、1859年に初めて地図上に名前が記された[7]

1867年に要塞はヴェールヌイ(Верный)市と改められてセミレチエ州の州都に定められる。ヴェールヌイに移住した人間はボリショイ・アルマトゥ川沿いに、出身地域ごとに集落を形成した[7]1887年1910年1911年)の大地震でヴェールヌイは壊滅するが、人々は町を再建した。2度の大地震の後に、碁盤目状の市街地が整備され始める。1918年3月にアルマトイにソビエト政権が樹立する。

1921年、町は特産品のリンゴにちなんだ名前のアルマ・アタ(リンゴの父)に改称される[9]1929年カザフ自治ソビエト社会主義共和国の首都がクズロルダからこの地に移される。1930年トルキスタン・シベリア鉄道トルキスタン・シベリア道路、さらにアルマ・アタ空港(現在のアルマトイ国際空港)が完成し、カザフスタンの中心地に発展していく。木造の平屋が多く経っていた町に、鉄筋コンクリートの建物が現れ始める[4]。ソビエト政権時代、町の通りにはレーニンなどの社会主義を象徴する名前やジャンブルアバイなどのカザフ族の偉人の名前が付けられた[7]。都市の中心部には政府関係の建物だけでなく、オペラ劇場やコンサートホールなどの文化施設が建設された。

1928年、政争に敗れたレフ・トロツキーが追放され滞在した(翌年にはソビエト連邦から国外追放)。第二次世界大戦中、アルマ・アタには戦火を逃れるために工場や病院、大学、映画撮影所などがヨーロッパ・ロシアから続々と疎開してきた。ソ連の映画撮影所モスフィルムレンフィルムが移転したアルマ・アタに中央合同劇映画製作所が発足、当時のソ連製映画の約8割がアルマ・アタで制作された[16]。アルマ・アタで映画技法を学んだ人物の中から、中央アジアの映画界で活躍する人材が多く現れた[16]。戦後には日本兵捕虜の収容所が設置され、科学アカデミーや発電所の建設に使役された[5]。市内には日本兵捕虜が葬られた墓地が3か所存在する[5]

1960年から1986年までのディンムハメッド・コナエフがカザフスタン共産党中央委員会第一書記を務めていた時代、町の景観が整備される[6]1978年にはプライマリ・ヘルス・ケアに関する会議が開催され、アルマ・アタ宣言が採択された。1986年ミハイル・ゴルバチョフはコナエフをカザフ党第一書記(政治局員)から解任し、後任にロシア人のゲンナジー・コルビンを選出した。第一書記は共和国の基幹民族出身者から選出する慣行に反する上、カザフスタンと全く繋がりのないコルビンの起用はカザフスタンの学生たちの反発を招いた[17]。このため、1986年12月17日朝から12月18日夜にかけて、大規模なカザフ人暴動が発生した(アルマアタ事件)。

1991年より、アルマ・アタは旧ソビエト連邦から独立したカザフスタン共和国の首都に定められ、1993年にアルマトイに名称を統一した。1997年ヌルスルタン・ナザルバエフは首都をアクモラ(現在のアスタナ)に移すことを決定し、翌1998年1月に遷都が行われた。

地理・気候

天山山脈の支脈であるザイリスキー・アラタウの北麓に位置する。都心部は標高750m-900mの高地に位置し、町全体が傾斜している[6]

アルマトイは複数回大地震に見舞われており、アスタナに遷都された理由の一つに地震の危険性があった[18]。地震への対策から高層建築物の建設は制限されているが、そのために都市の景観が保たれている一面もある[4]

気候は大陸性で、夏は暑く冬は寒い。南方を4000m級の天山山脈が占めるため、山岳気候の影響も強く受ける。1月の平均気温は-4.7度とそれほど低くはないが、最低気温はしばしば-10度を下回り、降雪量も多くなる。7月の平均気温は23.8度と高く、日中は年間平均で30度を超す真夏日となることが36日もあり、時に35度を超すことも珍しくないが、朝晩は涼しく湿気も少ないので蒸し暑さとは無縁である。また市内でも北から南にかけて標高600m - 1200mに市街地が広がっているため、気温、気候などに違いがある。沖積層土壌と豊富な雨量のため、多くの植物が生い茂っている[19]

アルマトイの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.2
(64.8)
19.0
(66.2)
28.0
(82.4)
33.2
(91.8)
35.1
(95.2)
39.3
(102.7)
43.4
(110.1)
40.5
(104.9)
38.1
(100.6)
31.1
(88)
25.4
(77.7)
19.2
(66.6)
43.4
(110.1)
平均最高気温 °C°F 0.7
(33.3)
2.2
(36)
8.7
(47.7)
17.3
(63.1)
22.4
(72.3)
27.5
(81.5)
30.0
(86)
29.4
(84.9)
24.2
(75.6)
16.3
(61.3)
8.2
(46.8)
2.3
(36.1)
15.8
(60.4)
日平均気温 °C°F −4.7
(23.5)
−3.0
(26.6)
3.4
(38.1)
11.5
(52.7)
16.6
(61.9)
21.6
(70.9)
23.8
(74.8)
23.0
(73.4)
17.6
(63.7)
9.9
(49.8)
2.7
(36.9)
−2.8
(27)
10.0
(50)
平均最低気温 °C°F −8.4
(16.9)
−6.9
(19.6)
−1.1
(30)
5.9
(42.6)
11.0
(51.8)
15.8
(60.4)
18.0
(64.4)
16.9
(62.4)
11.5
(52.7)
4.6
(40.3)
−1.3
(29.7)
−6.4
(20.5)
5.0
(41)
最低気温記録 °C°F −30.1
(−22.2)
−37.7
(−35.9)
−24.8
(−12.6)
−10.9
(12.4)
−7.0
(19.4)
2.0
(35.6)
7.3
(45.1)
4.7
(40.5)
−3.0
(26.6)
−11.9
(10.6)
−34.1
(−29.4)
−31.8
(−25.2)
−37.7
(−35.9)
降水量 mm (inch) 34
(1.34)
43
(1.69)
75
(2.95)
107
(4.21)
106
(4.17)
57
(2.24)
47
(1.85)
30
(1.18)
27
(1.06)
60
(2.36)
56
(2.2)
42
(1.65)
684
(26.93)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 5.8 6.1 9.5 9.6 9.9 7.3 5.3 3.5 3.6 6.5 6.5 5.7 79.3
湿度 77 76 71 59 56 49 46 45 49 64 74 79 62
平均月間日照時間 117.8 118.7 145.7 195.0 241.8 279.0 306.9 294.5 246.0 182.9 126.0 102.3 2,356.6
出典1:Pogoda.ru.net[20]
出典2:Hong Kong Observatory (sun and precipitation days)[21]

民族構成、人口

2010年度の調査では、以下の結果となった。

1989年にソビエト連邦が行った調査ではアルマ・アタの人口は1,071,900人であり、カザフスタン独立後の1999年に実施された調査では1,129,400人に増加した結果が報告された[22]

1926年 1959年 1970年 1989年 1999年 2012年
人口 46,000[19] 456,000[19] 730,000[19] 1,071,900 1,129,400 1,472,866

行政地区

7地区から成る。

  • アウエゾフ地区
  • アラタウ地区
  • アルマルイ地区
  • ジェトゥス地区
  • トゥルクシブ地区
  • ボスタンドゥク地区
  • メデウ地区

経済

ソビエト連邦から独立した中央アジアの国家の中で、アルマトイは最も経済的に発展した都市である[7]

アルマトイの前身であるヴェールノエ市の建設当初、住民の大部分は農業に従事しており、工業は発達していなかった[23]。ソビエト連邦時代にアルマトイはカザフスタンの工業の中心地に発展する。ノヴォシビルスクタシュケントを結ぶトルキスタン・シベリア鉄道の開通により、機械製造業と食品工業が発達した[19]1919年のアルマトイの労働者の数は365人だったが、1968年には104,000人に達した[23]。旧ソ連時代は食品工業と軽工業がアルマトイの中心産業だった[23]1993年には、フィリップモリス社がアルマトゥ・タバコ工場を買収した[24]

カザフスタンの石油生産量が増加した2003年以後、アルマトイは経済的な恩恵を受ける[7]。町にはトルコ資本、ロシア資本の大規模な小売商店が進出し、欧米資本のファッションブランド店も出現した。市内のスーパーにはトルコ製品、バザールには中国製品が多く流通するようになる[25]。しかし、富裕層に含まれない一般市民は恩恵にあずかれず、物価の上昇と公共料金の値上げに苦しんでいる[7]。また、経済発展と共に環境問題も表面化した[7]。特に自動車の排気ガスによる大気汚染が問題となっており、市当局は地下鉄の設置などの対策を講じているが成果は表れていない[7]

教育

アルマトイには、カザフスタンの高等教育機関と研究施設が集中している[5]。カザフスタンの三大図書館である国立公共図書館、カザフスタン科学技術図書館、カザフ科学アカデミー中央図書館が置かれている[26]

人材不足などの理由で、町の医療は発達しているとは言い難い[27]

スポーツ

アルマトイ・セントラル・スタジアム

FCカイラト・アルマトイとCSKAアルマトイの2つのサッカークラブが、アルマトイをホームタウンとしている。

アルマトイ郊外のメデオ・スケートリンク英語版では、多くの世界記録が生まれた[9]。そのため、かつては「世界記録の工場」として有名だった[28]。メデオ・スケートリンクの上の地点には、チェンブラク・スキー場がある。

1996年にカザフスタンの企業と日本の商社の合弁でヌルタウ・ゴルフ場が開設された[29]。2006年には2つ目のゴルフ場としてジャイラウ・ゴルフクラブがオープンした。

アルマトイは2014年冬季オリンピック開催に立候補していたが落選[30]2011年にはアジア冬季競技大会が開催された。2017年には冬季ユニバーシアードの開催が予定されている[31]

バンディ

アルマトイには、国際バンディ連盟のアジア事務局が設置されている[32]。かつて存在したバンディのチームであるディナモ・アルマ・アタは、1977年と1990年のソビエト選手権、1978年のヨーロピアン・カップ英語版を制した。

ディナモの本拠地であったメデオ・スケートリンクは、2011年アジア冬季競技大会でバンディの競技会場として使用された。2012年にカザフスタンで開催されたバンディ世界選手権ではメデオがメインの競技場に選ばれ、大会のためにアルマトイ・セントラル・スタジアムに建設された代替のフィールドが第2競技場とされた。

観光

国家中央博物館で展示されている「黄金人間」のレプリカ。

アルマトイには歴史的な建造物の遺跡は存在しないが、ヨーロッパ風の街角が多く残る[26]。また、ソ連時代の伝統を引き継いで、オペラ、バレエ、コンサートなどの文化的な催し物が劇場で上演されている[33]

ハイアットリージェンシー系列のラハット・パラス、インターコンチネンタルなどのホテルが営業している。

主な観光地

  • 28人のパンフィロフ戦士公園 - 第二次世界大戦の対ドイツ戦でモスクワ防衛に参加して戦死したパンフィロフ将軍と彼が率いた兵士を記念して造られた公園。アルマトイでの結婚式の当日、花嫁と花婿は公園の戦勝記念碑に花を捧げ、記念撮影を行うことが多い[34]。中央には1904年に完成したゼンコフ正教教会がそびえる。
  • 国家中央博物館 - 約90,000点の展示物を所蔵する[26]。イッシク古墳から出土した「黄金人間」のレプリカ、石人などが展示されている。
  • 国立カステエフ記念美術館 - 主に現代のカザフ人芸術家の作品を展示している。
  • カザフ民族楽器博物館
  • アルマトイ動物園
  • 中央バザール

交通

アルマトイ郊外では、新車を購入する経済的な余裕が無い人間のための中古車を扱うバザールが開かれている[35]

自動車の排気ガスによる大気汚染は、アルマトイを悩ませている[7]。また、渋滞も頻発しており、駐車場が少ないために路上駐車が横行していること、低速度で走行中に故障が起きやすい旧型車が大排気量の新車と並走していることなどが発生の原因として挙げられる[36]。2005年には交通事故の増加を防ぐために市当局が右ハンドル車の新規登録を停止することを発表したが、右ハンドル車の所有者やディーラーの反対にあって発表を撤回した[37]

交通機関

  • アルマトイ国際空港 - 市内北東の15kmに位置するカザフスタン最大の空港。アルマトイは中央アジア各地とロシア・ヨーロッパを結ぶ航空上の拠点として重要視されている[19]
  • アルマトイⅠ駅 - 町の北にある駅。
  • アルマトイⅡ駅 - 市の中心部にある駅。多くの列車の発着地となっている[38]モスクワ行きは隔日、中国ウルムチ行きは週2便のシルクロード号が発着する。
  • アルマトイ地下鉄 - 中央アジアでは2番目の地下鉄。
  • サイランバスターミナル - 市の西にある長距離バスターミナル。現地ではノーヴィー・アフトヴァグザールの名前で呼ばれている[38]ビシュケクタラズ、ウルムチ、グルジャ行きのバスが運行されている。
  • マルシュルート・タクシー - 定員10人前後の小型バス。車体は主にロシア車と中国車が使用されている[39]

姉妹都市

[40]

脚注

  1. ^ 2010 жыл басынан 1 тамызға дейінгі Қазақстан Республикасы халық санының өзгеруі туралы”. 2 January 2012閲覧。
  2. ^ World City
  3. ^ 宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、151頁
  4. ^ a b c 宇山『中央アジアを知るための60章』第2版、150頁
  5. ^ a b c d 岡「アルマトゥ」新版『ロシアを知る事典』、29-30頁
  6. ^ a b c 宇山「アルマトゥ」『中央ユーラシアを知る事典』、43頁
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 『中央アジア』、69-70頁
  8. ^ a b 蟻川明男『世界地名語源辞典』(三訂版, 古今書院, 2003年3月)、26頁
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参考文献

  • 宇山智彦編著『中央アジアを知るための60章』第2版(エリア・スタディーズ26, 明石書店, 2010年2月)
  • 宇山智彦「アルマトゥ」『中央ユーラシアを知る事典』収録(平凡社, 2005年4月)
  • 宇山智彦「アルマトゥ事件」『中央ユーラシアを知る事典』収録(平凡社, 2005年4月)
  • 岡奈津子「アルマトゥ」新版『ロシアを知る事典』収録(平凡社, 2004年1月)
  • 帯谷知可、北川誠一、相馬秀廣編『中央アジア』(朝倉世界地理講座 大地と人間の物語, 朝倉書店, 2012年10月
  • 香山陽坪「アルマアタ」『世界地名大事典』1巻(朝倉書店, 1973年)
  • 地球の歩き方編集室『中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々』2011~2012年版(地球の歩き方, ダイヤモンド・ビッグ社, 2011年4月)
  • 辻原康夫『世界地名情報事典』(東京書籍, 2003年1月)
  • 角崎利夫『カザフスタン 草原と資源と豊かな歴史の国』(早稲田出版, 2007年12月)
  • 『アジア・オセアニア 1』(桜井由躬雄他監修, 世界地理大百科事典, 朝倉書店, 2002年1月)
  • 『世界地名辞典 西洋編』新版(小林望、徳久球雄編, 東京堂出版, 1980年5月)

関連項目

外部リンク

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