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「キエフ級航空母艦」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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|style="white-space:nowrap; font-size:smaller"|建造期間||colspan="2"|1970年 - 1982年
|style="white-space:nowrap; font-size:smaller"|建造期間||colspan="2"|1970年 - 1982年
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|style="white-space:nowrap; font-size:smaller"|就役期間||colspan="2"|1975年 - 1995年
|style="font-size:smaller"|就役期間||colspan="2"|1975年 - 1995年
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|前級||colspan="2"|[[モスクワ級ヘリコプター巡洋艦]]
|前級||colspan="2"|[[モスクワ級ヘリコプター巡洋艦]]
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|rowspan="3"|機関
|rowspan="3"|機関
|KVN-98/64型[[ボイラー]]||8缶
|[[蒸気タービン]](180,000hp)||4基
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|[[蒸気タービン]]<br />({{Convert|45000|hp|MW|abbr=on|disp=s}})||4基
|[[ボイラー]]||8缶
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|[[スクリュー|推進器]]||4軸
|[[スクリュープロペラ]]||4軸
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|速力||colspan="2"|最大32[[ノット]] (59 km/h)
|速力||colspan="2"|最大32[[ノット]] (59 km/h)
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|style="white-space:nowrap; font-size:smaller"|航続距離||colspan="2"|8,000[[海里]](巡航速度:18ノット
|style="white-space:nowrap; font-size:smaller"|航続距離||colspan="2"|8,000[[海里]] (18ノット巡航時)
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|乗員||colspan="2"|1,615名
|乗員||colspan="2"|1,615名
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|rowspan=8|兵装
|rowspan=8|兵装
|[[AK-726]] 76.2mm連装砲||2基
|SM-241「ウラガーン-1143」[[艦対艦ミサイル|SSM]]連装発射筒<br />([[P-500 (ミサイル)|4K80「バザーリト」]]ミサイル)||4基
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|[[AK-630]] 30mm[[CIWS]]<ref group="脚注">1番艦のみ。ほかはAK-630M。</ref>||6基
|[[M-11 シュトルム|M-11M]][[艦対空ミサイル#艦隊防空ミサイル|SAM]]連装発射機B-189<br />(V-611ミサイル)||2基
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|[[オサーM|4K33「オサー-M]]SAM連装発射機ZiF-122<ref name="krome3">3番艦を除く。</ref><br />(9M33ミサイル||2基
|[[M-11 シュトルム|M-11M]] [[艦対空ミサイル#艦隊防空ミサイル|SAM]]連装発射機<br /><small>(V-611ミサイル×48発)</small>||2基
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|[[4K33 オサーM|4K33]][[艦対空ミサイル#個艦防空ミサイル|短SAM]]連装発射機<br /><small>(9M33ミサイル×20発)<ref name="krome3" group="脚注">3番艦を除く。</ref></small>||2基
|[[AK-726]] 76.2mm連装砲||2基
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|SM-241 [[艦対艦ミサイル|SSM]]連装発射筒<br /><small>([[P-500 (ミサイル)|P-500]]ミサイル)</small>||4基
|[[AK-630]] 30mm[[CIWS|多銃身高角砲]]<ref>1番艦のみ。ほかはAK-630M。</ref>||6基
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|[[RBU-6000]][[対潜迫撃砲|対潜ロケット砲]]||2基
|533mm5連装[[魚雷発射管]][[PTA-53|PTA-53-1143]]<ref name="krome3"/><br />([[SET-53]]または[[SET-65]][[魚雷]])||2基
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|[[RBU-6000|RBU-6000「スメールチ-2」]]対潜ロケット12連装発射機||2
|[[RPK-1 (ミサイル)|RPK-1]] [[対潜ミサイル|SUM]]連装発射機||1
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|533mm5連装[[魚雷発射管]]<small><ref name="krome3" group="脚注"/></small>||2基
|[[RPK-1 (ミサイル)|RPK-1]][[対潜ミサイル|SUM]]連装発射機||1基
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|rowspan="2"|載機
|rowspan="3"|[[艦載機]]
|[[Yak-38 (航空機)|Yak-38]]||style="white-space:nowrap;"|12
|[[Yak-38 (航空機)|Yak-38]] [[垂直離着陸機|V/STOL戦闘機]]||style="white-space:nowrap;" rowspan="2"|20
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|[[Ka-25 (航空機)|Ka-25]][[Ka-27 (航空)|Ka-27]]、[[Ka-29 (航空機)|Ka-29]]||16機
|[[Ka-25 (航空機)|Ka-25]][[対潜哨戒#哨戒ヘリコプター|哨戒ヘリコプター]]
|-
|Ka-25[[救難機|救難ヘリコプター]]||2機
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|[[C4Iシステム|C4I]]||colspan="2"|アッレヤ2型
|-
|style="white-space:nowrap; font-size:smaller" rowspan="2"|[[レーダー]]||ヴォスホード [[3次元レーダー|3次元式]]||1基
|-
|[[フレガート_(レーダー)#フレガート|フレガート]] 3次元式||1基
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|rowspan="2"|[[ソナー]]||プラーチナ 中周波式||1基
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|オリオン 低周波式||1基
|}
|}
'''キエフ級航空母艦'''(-きゅうこうくうぼかん{{lang-ru|'''Тяжёлые авианесущие крейсеры типа «Киев»'''}})は、[[ソビエト]]で建造された[[空母|V/STOL空母]]である[[ソ連海軍]]での正式名'''1143号「クレーチェト」計画重航空巡洋艦'''('''{{lang|ru|Тяжёлые авианесущие крейсеры проекта 1143 «Кречет»}}''')で、計画名は[[ハヤブサ|隼]]のこと。空母形式の軍艦としては、[[モスクワ級ヘリコプター巡洋艦|1123号「コーンドル」計画型対潜巡洋艦(モスクワ級)]]に続いて建造された
'''キエフ級航空母艦'''(-きゅうこうくうぼかん{{Lang-en|''Kiev''-class aircraft carrier}})は、は、[[ロシア海軍#ソ連海軍|旧ソ連海軍]]が運用していた[[空母|V/STOL空母]]の艦級ソ連海軍での正式名は'''1143重航空巡洋艦'''({{lang-ru-short|Тяжёлые авианесущие крейсеры проекта 1143}})で、計画名は「クレチェト」({{lang-ru-short|«Кречет»}}、「[[ハヤブサ]]意)<ref name="ポルトフ2005-03">{{Cite journal|和書|author=Polutov Andrey V.|year=2005|month=3|title=ソ連/ロシア空母建造秘話(4)|journal=[[世界の船]]|issue=639|pages=154-161|publisher=[[海人社]]|naid=40006607578}}</ref>


ここでは、改設計型の11433号計画型、および11434号計画型までを一括して扱う。
本項では、改設計型の11433型、および11434型までを一括して扱う。


== 概要 ==
== 来歴 ==
[[1960年代]]、旧ソ連海軍では、[[地中海]]などの遠隔海域において[[北大西洋条約機構]](NATO)軍の[[潜水艦発射弾道ミサイル]]搭載[[原子力潜水艦]](SSBN)による戦略パトロールに対抗するため、多数の[[対潜哨戒機#哨戒ヘリコプター|哨戒ヘリコプター]]を集中運用できる[[モスクワ級ヘリコプター巡洋艦|1123型対潜巡洋艦(モスクワ級)]]2隻が就役していた。同級は非常に優れた[[対潜戦]]能力を示したことから、海軍はさらに発展型の1123.3型として「キエフ」の建造を計画しており、同艦は[[1968年]]10月に、原型艦2隻と同じく、[[ムィコラーイウ]]の第444造船所で起工される予定であった。しかしこの時期、海軍総司令官[[セルゲイ・ゴルシコフ]]元帥は、試作[[垂直離着陸機]](VTOL機)である[[Yak-36 (航空機)|Yak-36]]の性能に感銘を受け、次期対潜巡洋艦にはこれと[[P-120 (ミサイル)|P-120]](SS-N-9)艦対艦ミサイルを搭載するよう指示したことから、1123.3型の建造は取りやめられた<ref name="ポルトフ2005-01">{{Cite journal|和書|author=Polutov Andrey V.|year=2005|month=1|title=ソ連/ロシア空母建造秘話(2)|journal=世界の艦船|issue=636|pages=158-165|publisher=海人社|naid=40006512966}}</ref>。
ソ連・[[ロシア海軍]]における類別は「重航空巡洋艦」({{lang|ru|тяжёлый авианесущий крейсер}})である。[[西側諸国]]では[[冷戦]]時代、「戦術航空巡洋艦」という呼称が用いられていたが、本級にしても、のちの[[アドミラル・クズネツォフ (空母)|11435号計画型アドミラル・クズネツォフ]]にしても、「重航空巡洋艦」が正しい。


[[1968年]][[9月2日]]、国防省は、1123.3型の建造中止と、これにかえて''1143型対潜巡洋艦''の建造を正式に指示し、艦名は1123.3型のものが引き継がれて「キエフ」とされた。竣工は[[1973年]]と計画されたため、国防省は1ヶ月で作戦要求案をまとめ、造船所は[[1968年]]内に原案を、[[1969年]]中に技術案を作成する必要があった。このため、第444造船所と第17設計局(モスクワ級の設計担当部署)は、要求案の公表前に原案作成に着手、9つの案が作成された。これらは、固有兵装をほとんど持たない原子力空母(排水量45,000トン、[[CATOBAR]]方式、MiG-23など搭載機50機)という冒険的な案から、1123型を踏襲した保守的な案まで多彩であった。しかし上記の通り時間的余裕が乏しかったことから、最終的に選ばれたのは、[[アングルド・デッキ]]を備える一方で発艦支援設備([[カタパルト]]など)や着艦拘束装置を持たない[[軽空母|V/STOL空母]]という漸進案であった<ref name="ポルトフ2005-03"/>。
他の西側のV/STOL空母と異なり、[[スキージャンプ]]甲板を持っていないため、[[Yak-38 (航空機)|Yak-38]]は当初、VTOLのみで運用され、1980年代に入ってようやく[[航空機の離着陸方法#短距離離陸垂直着陸機 |STOVL]]運用が行われるようになった。11434号計画によって建造された4番艦[[バクー (空母)|バクー]]はアドミラル・クズネツォフの試験艦として建造されたため、艦形及び兵装や電子機器が他の艦と異なっており、「改キエフ級」と呼ばれて別クラスとされる事も多い。


1968年10月、ゴルシコフ元帥は1143型対潜巡洋艦の作戦・技術規則要求を承認するとともに、艦対艦ミサイルを[[P-500 (ミサイル)|P-500]]バザルト(SS-N-12)に変更し、排水量を28,000tに増加させることを許可したが、P-500搭載のためにはこれでも不足することが判明し、翌年夏にはさらに1,000t増加した。また本級の最重要装備といえる[[艦上戦闘機]]である[[Yak-38 (航空機)|Yak-36M]] V/STOL軽襲撃機([[シュトゥルモヴィーク]])は、[[1969年]]1月に作戦・技術規則要求の承認を受け、[[1970年]]3月には技術案が承認、その翌月にはさっそく初号機が完成した。[[1970年]]4月、海軍と造船省は1143型の技術案を承認、[[1971年]]2月には建造計画が承認された<ref name="ポルトフ2005-03"/>。
また、[[艦載機]]の性能不足を補うために空母ながら[[巡航ミサイル]]を始め[[艦対艦ミサイル|対艦]]、[[艦対空ミサイル|対空]]、[[対潜ミサイル|対潜]]各種ミサイルを水上戦闘艦並に装備しており、冷戦終結後に公開された情報により明らかになった[[結果論]]ではあるが、ソ連邦が主張していた航空巡洋艦という認識に誤りは無かった。


== 設計 ==
上記各艦は各種能力に鑑みると明らかに航空母艦であるが、[[モントルー条約]]の制約下で[[ボスポラス海峡]]をはじめとする[[トルコ]]領海を航行する必要から、政治的配慮として航空巡洋艦と識別される。
モスクワ級では他国のヘリコプター巡洋艦と同様、艦の前方には通常の巡洋艦と同様に兵装を搭載、中央部に上部構造物を配し、後甲板を[[飛行甲板#ヘリコプター甲板|ヘリコプター甲板]]としていた。これに対し、本級では上部構造物は右舷側に寄せたアイランド型とされ、上甲板は前後に全通している。ただし前甲板は艦対艦ミサイルの巨大な発射筒などで占められており、飛行甲板は、左舷前方に張り出した[[アングルド・デッキ]]式とされた<ref name="野木2008">{{Cite journal|和書|author=[[野木恵一]]|year=2008|month=08|title=V/STOL空母に見るお国ぶり インヴィンシブル級vsキエフ級 (特集 空母比較論)|journal=世界の艦船|issue=694|pages=108-111|publisher=海人社|naid=40016116197}}</ref>。


抗堪性を重視して、艦底および6層目までの舷側は二重構造とされており、また艦内は18の横隔壁と2つの縦隔壁で仕切られている。アイランドの3層から上は軽合金製であるが、モスクワ級の運用実績を考慮して、船体及びアイランドの下方2層は厚さ30mm以下のAK-25鋼と35mm以上のAK-27鋼とされた。モスクワ級と同様、30kt核弾頭の至近弾(距離2,000m)を受けてもなお戦闘能力を維持できるものとされている。またモスクワ級で対赤外線・音響[[ステルス性]]への配慮が導入されたのに続いて、本級ではレーダーに対するステルス性が考慮されており、アイランドや煙突・船体などの垂直面には最大10度の傾斜がつけられた<ref name="ポルトフ2005-03"/>。
== 同型艦 ==

* [[キエフ (空母)|キエフ]] ({{lang|ru|Киев}})
主機関には[[蒸気タービン]]方式が採用されており、4室の機械室にはそれぞれKVN-98/64型[[ボイラー]]2缶とギヤード・タービン1基が収容されて、それぞれ1軸ずつ、計4軸の[[スクリュープロペラ]]を駆動した<ref name="ポルトフ2005-03"/>。
: [[1975年]]竣工。未完に終わった11233号計画型の[[キエフ (対潜巡洋艦)|キエフ]]から艦名を引き継いだ。[[ソ連崩壊]]時には[[予備役]]。同型艦ゴルシコフ用の部品供給艦となる。2000年、[[中華人民共和国]]に売却。2006年4月9日から[[天津市|天津]]の「天津滨海新区航母旅游区」で展示、一般公開されている。2006年7月8日には、同艦の格納庫内部において"SILKROAD INTERNATIONAL MODELS CONTEST"なる「ミス・コンテスト」が開催された。

* [[ミンスク (空母)|ミンスク]] ({{lang|ru|Минск}})
== 装備 ==
: [[1978年]]竣工。1989年、機関事故を起こして行動不能となる。ソ連崩壊後は[[ソヴィエツカヤ・ガヴァニ]]に係留。1995年、スクラップとして[[大韓民国|韓国]]に売却。1997年、中国企業に転売。1999年11月3日に火災で全焼。2000年6月、[[深セン市|深圳]]でテーマパーク「[[ミンスク・ワールド]]」として開業。2005年2月、運営会社が破産し閉鎖された。2006年、競売に掛けられ別の企業に落札された。その後も営業している。
本級は、モスクワ級とほぼ同等ないしそれ以上という、強力な兵装を装備しており、他国の従来の航空母艦とは一線を画している。これは、ほぼ並行して[[イギリス海軍]]が計画を進めていた全通甲板巡洋艦(TDC; 後の[[インヴィンシブル級航空母艦]])と同様の傾向であったが、英TDCでは艦対艦ミサイルの搭載が断念され、艦対空ミサイルのみが搭載されたのに対し、本級では、砲熕兵器・艦対空ミサイル・艦対艦ミサイル・対潜ミサイル・対潜迫撃砲・魚雷発射管と、水上戦闘艦に匹敵する充実した兵装を備えている<ref name="野木2008"/>。
* [[ノヴォロシースク (空母)|ノヴォロシースク]] ({{lang|ru|Новороссийск}})

: 1143-M号計画によって建造、11433号計画による設計で竣工した。1991年に機関故障による事故を起こす。以降[[ソヴィエツカヤ・ガヴァニ]]に係留。1994年、スクラップとして韓国に売却。1997年解体。
=== C4ISR ===
* [[バクー (空母)|バクー]] ({{lang|ru|Баку}})
戦術情報をリアルタイムで処理する指揮支援システムとして、アッレヤ2型総合戦闘情報指揮システムが搭載された。主[[レーダー]]はモスクワ級と同じCバンドのMR-600「ヴォスホード」(トップ・セイル)であったが、副レーダーとしては新しいSバンドの[[フレガート_(レーダー)#フレガート|MR-700「フレガート」(トップ・スティア)]]が搭載された。一方、モスクワ級で特徴的だった艦底装備・昇降式のオリオン型[[ソナー]]に代えて、中周波のMGK-335プラーチナと低周波のMG-342オリオンの組み合わせが採用された<ref name="ポルトフ2005-03"/><ref name="Friedman2006">{{Cite book|author=[[:en:Norman Friedman|Norman Friedman]]|title= The Naval Institute guide to world naval weapon systems|year= 2006|publisher=[[:en:United States Naval Institute|Naval Institute Press]]|isbn=9781557502629|url= http://books.google.co.jp/books?id=4S3h8j_NEmkC}}</ref>。
: 11434号計画によって建造。[[1987年]]竣工。1990年10月4日、アドミラル・フロータ・ソヴェーツコヴォ・ソユーザ・ゴルシコーフに改名。1997年、予備役編入。2004年、[[インド]]に売却、アドミラル・クズネツォフと同様の全通甲板空母への改装が開始される。2005年3月、工事途中でインドに引き渡され、[[ヴィクラマーディティヤ (空母)|ヴィクラマーディティヤ]]に改名。

=== 武器システム ===
本級の武器システムは、おおむねモスクワ級のものを改良したものとなっている。

艦隊防空ミサイルおよび[[対潜兵器]]はモスクワ級と同様で、[[M-11 シュトルム]](SA-N-3)の連装発射機(それぞれ48発のミサイルを収容)が2基、RPK-1 ビフリ([[:de:SUW-N-1|SUW-N-1]])[[対潜ミサイル]]の連装発射機と[[RBU-6000]][[対潜迫撃砲|対潜ロケット砲]]が搭載されている。また[[4K33 オサーM]](SA-N-4)[[艦対空ミサイル#個艦防空ミサイル|個艦防空ミサイル]]の連装発射機および5連装長[[魚雷発射管]]も搭載されたが、こちらはモスクワ級でスペース不足のために装備されなかったり、あるいは装備されたものの撤去されていたものであった<ref name="ポルトフ2005-03"/><ref name="ポルトフ2005-01"/>

[[#来歴|来歴]]で上記したとおり、本級の固有兵装の目玉といえるのがP-500(SS-N-12)[[艦対艦ミサイル]]であった。これは、ウラガン1143武器管制システム、SM-241連装発射筒、アルゴン1143管制ステーションおよび点検装置から構成されており、SM-241連装発射筒は前甲板に2基が設置された。また前甲板下には8発分の弾庫があり、移送用エレベータも設けられていた<ref name="ポルトフ2005-03"/>。

[[主砲]]としては、モスクワ級で不評だったAK-725 57mm連装速射砲ではなく、既に大型対潜艦で実績のあった[[:ru:АК-726|AK-726-MR-105 76mm連装速射砲]]に変更された。また[[CIWS|近接防空用]]として[[AK-630]]-MR-123 30mm多銃身機銃も追加された<ref name="ポルトフ2005-03"/>。

=== 航空艤装 ===
上記の通り飛行甲板はアングルド・デッキ式とされており、艦首尾線に対して4.5度の傾斜をもつ。面積6,200m&sup2;が確保されており、8ヶ所のヘリコプター発着スポットが設定された。最前部の「C」が救難ヘリコプター用、続く「1」~「6」がV/STOL戦闘機や哨戒ヘリコプター用で、艦尾中央の「M」または「T」は輸送ヘリコプター用とされている。設計局は、V/STOL機6機の同時発艦を想定していたが、実際にはYak-38が離発着時のスタビライザをもたず、相互の排気の影響が大きかったことから、10分毎に3機ずつ発艦するのが最大であった。[[カタパルト]]やスキージャンプ勾配などの発艦支援設備や着艦拘束装置は持たないが、艦載機誘導装置としてプリボドSV型が搭載された<ref name="ポルトフ2005-03"/>。

[[ハンガー (航空)|ハンガー]]は、艦の後半部、飛行甲板の下に1層のギャラリーデッキをおいて設けられており、長さ130m×幅22.5m×高さ6.6mとされている。飛行甲板とハンガーを連絡するエレベータは、アイランドのすぐ脇と直後に計2基が設置されており<ref name="野木2008"/>、通常の運用では、上り用と下り用で使い分けられていた。
機体移動は、飛行甲板上では小型牽引車が用いられたが、ハンガー内には縦方向および横方向への移送装置が設置されていたため、これが用いられた。ダメージコントロールのため、ハンガーは[[アスベスト]]製防火シャッター5枚で区分することができた。また右舷後部は整備エリアとされており、10機を同時に整備できた<ref name="ポルトフ2005-03"/>。

搭載機数は、標準的には22機、最大で30機とされており、実験的に36機が搭載されたこともある。艦上戦闘機として搭載された[[Yak-38 (航空機)|Yak-38]] V/STOL軽襲撃機(Yak-36Mの量産型)は、敵戦闘機と交戦して[[制空権|航空優勢]]を達成するというよりは、[[対潜哨戒機|長距離哨戒機]]を駆逐することで友軍の潜水艦や対潜戦を支援することを任務としていたが、航続性能・兵装搭載量の面から困難が指摘されていた<ref name="ポルトフ2005-03"/>。ただし、VTOLのみで運用されていた当初は、ペイロード750kg搭載で航続距離185kmであったが、のちに短距離滑走発進(STO)の技術が確立されて[[航空機の離着陸方法#短距離離陸垂直着陸機|短距離離艦/垂直着艦(STOVL)]]運用に移行して以後は、ペイロード1t搭載で航続距離600kmに延伸した。また演習では、対地・対艦攻撃任務も成功裏に行われていた<ref name="ポルトフ2005-04">{{Cite journal|和書|author=Polutov Andrey V.|year=2005|month=4|title=ソ連/ロシア空母建造秘話(5)|journal=世界の艦船|issue=640|pages=154-161|publisher=海人社|naid=40006644620}}</ref>。

== 配備 ==
艦種は、当初は「重対潜巡洋艦」、現在では「重航空巡洋艦」({{lang|ru|тяжёлый авианесущий крейсер}})とされている<ref group="脚注">[[冷戦]]時代には正式な艦種呼称が不明だったため、[[西側諸国]]では「戦術航空巡洋艦」という呼称が用いられていた。</ref>。これは、「航空母艦」という呼称に対して根強い反発を示す政治指導部を説得するとともに、[[モントルー条約]]の制約下で[[ボスポラス海峡]]をはじめとする[[トルコ]]領海を航行する必要による、政治的な配慮の産物であった<ref name="野木2008"/>。


=== 1143型(起工順) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center"
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|+ 同型・準同型艦一覧表
|-
|-
| # || 艦番号 || || 造船所 || 艦隊 || 起工 || 進水 || 竣工 || 備考
| # || 艦名 || 造船所 || 艦隊 || 起工 || 進水 || 竣工 || 備考
|-
|-
| - ||[[キエフ (空母)|キエフ]]<br />{{lang|ru|Киев}} || rowspan="5"|SY444<br/><ref group="脚注">チェルノモールスキイ造船所(第444海軍工廠、[[ムィコラーイウ]]南)黒海地方</ref>
| 1 || - || キエフ || rowspan="5"|SY444 || [[北方艦隊|北方]] || 1970年<br />7月21日 || 1972年<br />12月27日 || 1975年<br />1月3日 || 1985年オーバーホ-ル
|| [[北方艦隊|北方]] || 1970年<br />7月21日 || 1972年<br />12月27日 || 1975年<br />1月3日 || 1985年オーバーホ-ル
|-
|-
| 2 || - || ミンスク || rowspan="2"|[[太平洋艦隊 (ロシア海軍)|太平洋]] || 1972年<br />12月28日 || 1975年<br />9月30日 || 1978年<br />9月27日 || -
| - ||[[ミンスク (空母)|ミンスク]]<br />{{lang|ru|Минск}} || rowspan="2"|[[太平洋艦隊 (ロシア海軍)|太平洋]] || 1972年<br />12月28日 || 1975年<br />9月30日 || 1978年<br />9月27日 || -
|-
|-
| 3 || - || ノヴォロシースク || 1975年<br />9月30日 || 1978年<br />12月24日 || 1982年<br />8月14日 || 1991年ボイラー事故
| - ||[[ノヴォロシースク (空母)|ノヴォロシースク]]<br />{{lang|ru|Новороссийск}}|| 1975年<br />9月30日 || 1978年<br />12月24日 || 1982年<br />8月14日 || 1991年ボイラー事故
|-
|-
| 4 || - || バクー || 北方 || 1978年<br />12月26日 || 1982年 || 1987年 || -
| - ||[[バクー (空母)|バクー]]<br />{{lang|ru|Баку}}|| 北方 || 1978年<br />12月26日 || 1982年 || 1987年 || -
|-
|-
| 5 || - || - || - || - || - || - || 1979年計画中止
| - || - || - || - || - || - || 1979年計画中止
|-
|-
|}
|}
; キエフ
SY444=チェルノモールスキイ造船所(第444海軍工廠、[[ムィコラーイウ|ニコラーイェフ]]南)黒海地方
: [[1975年]]竣工。未完に終わった11233号計画型の「[[キエフ (対潜巡洋艦)|キエフ]]」から艦名を引き継いだ。[[ソ連崩壊]]時には[[予備役]]。同型艦ゴルシコフ用の部品供給艦となる。2000年、[[中華人民共和国]]に売却。2006年4月9日から[[天津市|天津]]の「天津滨海新区航母旅游区」で展示、一般公開されている。2006年7月8日には、同艦の格納庫内部において"SILKROAD INTERNATIONAL MODELS CONTEST"なる「ミス・コンテスト」が開催された。
; ミンスク
: [[1978年]]竣工。1989年、機関事故を起こして行動不能となる。ソ連崩壊後は[[ソヴィエツカヤ・ガヴァニ]]に係留。1995年、スクラップとして[[大韓民国|韓国]]に売却。1997年、中国企業に転売。1999年11月3日に火災で全焼。2000年6月、[[深セン市|深圳]]でテーマパーク「[[ミンスク・ワールド]]」として開業。2005年2月、運営会社が破産し閉鎖された。2006年、競売に掛けられ別の企業に落札された。その後も営業している。
; ノヴォロシースク
: 1143-M号計画によって建造、11433号計画による設計で竣工した。1991年に機関故障による事故を起こす。以降[[ソヴィエツカヤ・ガヴァニ]]に係留。1994年、スクラップとして韓国に売却。1997年解体。
; バクー
: 11434号計画によって建造。[[1987年]]竣工。1990年10月4日、アドミラル・フロータ・ソヴェーツコヴォ・ソユーザ・ゴルシコーフに改名。1997年、予備役編入。2004年、[[インド]]に売却、アドミラル・クズネツォフと同様の全通甲板空母への改装が開始される。2005年3月、工事途中でインドに引き渡され、[[ヴィクラマーディティヤ (空母)|ヴィクラマーディティヤ]]に改名。


== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==
* [[軽空母]]
* [[航空戦艦]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/kiev.htm キエフ級VTOL空母(航空重巡洋艦)]
* [http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/kiev.htm キエフ級VTOL空母(航空重巡洋艦)]
* [http://www.globalsecurity.org/military/world/russia/1143.htm Global Security]
* [http://www.globalsecurity.org/military/world/russia/1143.htm Global Security]

== 関連項目 ==
* [[航空戦艦]]


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2013年10月13日 (日) 12:12時点における版

キエフ級航空母艦

キエフ級3番艦 ノヴォロシースク
艦級概観
艦種 航空母艦
建造期間 1970年 - 1982年
就役期間 1975年 - 1995年
前級 モスクワ級ヘリコプター巡洋艦
次級 アドミラル・クズネツォフ級航空母艦
性能諸元
排水量 基準:36,000 t
満載:41,400 ~ 45,000 t
全長 273.1 m
水線長 242.8 m
全幅 53 m
水線幅 31 m
吃水 8.2 m、最大 12 m
機関 KVN-98/64型ボイラー 8缶
蒸気タービン
(45,000 hp (34 MW)*)
4基
スクリュープロペラ 4軸
速力 最大32ノット (59 km/h)
航続距離 8,000海里 (18ノット巡航時)
乗員 1,615名
兵装 AK-726 76.2mm連装砲 2基
AK-630 30mmCIWS[脚注 1] 6基
M-11M SAM連装発射機
(V-611ミサイル×48発)
2基
4K33短SAM連装発射機
(9M33ミサイル×20発)[脚注 2]
2基
SM-241 SSM連装発射筒
(P-500ミサイル)
4基
RBU-6000対潜ロケット砲 2基
RPK-1 SUM連装発射機 1基
533mm5連装魚雷発射管[脚注 2] 2基
艦載機 Yak-38 V/STOL戦闘機 20機
Ka-25哨戒ヘリコプター
Ka-25救難ヘリコプター 2機
C4I アッレヤ2型
レーダー ヴォスホード 3次元式 1基
フレガート 3次元式 1基
ソナー プラーチナ 中周波式 1基
オリオン 低周波式 1基

キエフ級航空母艦(-きゅうこうくうぼかん、英語: Kiev-class aircraft carrier)は、は、旧ソ連海軍が運用していたV/STOL空母の艦級。旧ソ連海軍での正式名は1143型重航空巡洋艦: Тяжёлые авианесущие крейсеры проекта 1143)で、計画名は「クレチェト」(: «Кречет»、「ハヤブサ」の意)[1]

本項では、改設計型の11433型、および11434型までを一括して扱う。

来歴

1960年代、旧ソ連海軍では、地中海などの遠隔海域において北大西洋条約機構(NATO)軍の潜水艦発射弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)による戦略パトロールに対抗するため、多数の哨戒ヘリコプターを集中運用できる1123型対潜巡洋艦(モスクワ級)2隻が就役していた。同級は非常に優れた対潜戦能力を示したことから、海軍はさらに発展型の1123.3型として「キエフ」の建造を計画しており、同艦は1968年10月に、原型艦2隻と同じく、ムィコラーイウの第444造船所で起工される予定であった。しかしこの時期、海軍総司令官セルゲイ・ゴルシコフ元帥は、試作垂直離着陸機(VTOL機)であるYak-36の性能に感銘を受け、次期対潜巡洋艦にはこれとP-120(SS-N-9)艦対艦ミサイルを搭載するよう指示したことから、1123.3型の建造は取りやめられた[2]

1968年9月2日、国防省は、1123.3型の建造中止と、これにかえて1143型対潜巡洋艦の建造を正式に指示し、艦名は1123.3型のものが引き継がれて「キエフ」とされた。竣工は1973年と計画されたため、国防省は1ヶ月で作戦要求案をまとめ、造船所は1968年内に原案を、1969年中に技術案を作成する必要があった。このため、第444造船所と第17設計局(モスクワ級の設計担当部署)は、要求案の公表前に原案作成に着手、9つの案が作成された。これらは、固有兵装をほとんど持たない原子力空母(排水量45,000トン、CATOBAR方式、MiG-23など搭載機50機)という冒険的な案から、1123型を踏襲した保守的な案まで多彩であった。しかし上記の通り時間的余裕が乏しかったことから、最終的に選ばれたのは、アングルド・デッキを備える一方で発艦支援設備(カタパルトなど)や着艦拘束装置を持たないV/STOL空母という漸進案であった[1]

1968年10月、ゴルシコフ元帥は1143型対潜巡洋艦の作戦・技術規則要求を承認するとともに、艦対艦ミサイルをP-500バザルト(SS-N-12)に変更し、排水量を28,000tに増加させることを許可したが、P-500搭載のためにはこれでも不足することが判明し、翌年夏にはさらに1,000t増加した。また本級の最重要装備といえる艦上戦闘機であるYak-36M V/STOL軽襲撃機(シュトゥルモヴィーク)は、1969年1月に作戦・技術規則要求の承認を受け、1970年3月には技術案が承認、その翌月にはさっそく初号機が完成した。1970年4月、海軍と造船省は1143型の技術案を承認、1971年2月には建造計画が承認された[1]

設計

モスクワ級では他国のヘリコプター巡洋艦と同様、艦の前方には通常の巡洋艦と同様に兵装を搭載、中央部に上部構造物を配し、後甲板をヘリコプター甲板としていた。これに対し、本級では上部構造物は右舷側に寄せたアイランド型とされ、上甲板は前後に全通している。ただし前甲板は艦対艦ミサイルの巨大な発射筒などで占められており、飛行甲板は、左舷前方に張り出したアングルド・デッキ式とされた[3]

抗堪性を重視して、艦底および6層目までの舷側は二重構造とされており、また艦内は18の横隔壁と2つの縦隔壁で仕切られている。アイランドの3層から上は軽合金製であるが、モスクワ級の運用実績を考慮して、船体及びアイランドの下方2層は厚さ30mm以下のAK-25鋼と35mm以上のAK-27鋼とされた。モスクワ級と同様、30kt核弾頭の至近弾(距離2,000m)を受けてもなお戦闘能力を維持できるものとされている。またモスクワ級で対赤外線・音響ステルス性への配慮が導入されたのに続いて、本級ではレーダーに対するステルス性が考慮されており、アイランドや煙突・船体などの垂直面には最大10度の傾斜がつけられた[1]

主機関には蒸気タービン方式が採用されており、4室の機械室にはそれぞれKVN-98/64型ボイラー2缶とギヤード・タービン1基が収容されて、それぞれ1軸ずつ、計4軸のスクリュープロペラを駆動した[1]

装備

本級は、モスクワ級とほぼ同等ないしそれ以上という、強力な兵装を装備しており、他国の従来の航空母艦とは一線を画している。これは、ほぼ並行してイギリス海軍が計画を進めていた全通甲板巡洋艦(TDC; 後のインヴィンシブル級航空母艦)と同様の傾向であったが、英TDCでは艦対艦ミサイルの搭載が断念され、艦対空ミサイルのみが搭載されたのに対し、本級では、砲熕兵器・艦対空ミサイル・艦対艦ミサイル・対潜ミサイル・対潜迫撃砲・魚雷発射管と、水上戦闘艦に匹敵する充実した兵装を備えている[3]

C4ISR

戦術情報をリアルタイムで処理する指揮支援システムとして、アッレヤ2型総合戦闘情報指揮システムが搭載された。主レーダーはモスクワ級と同じCバンドのMR-600「ヴォスホード」(トップ・セイル)であったが、副レーダーとしては新しいSバンドのMR-700「フレガート」(トップ・スティア)が搭載された。一方、モスクワ級で特徴的だった艦底装備・昇降式のオリオン型ソナーに代えて、中周波のMGK-335プラーチナと低周波のMG-342オリオンの組み合わせが採用された[1][4]

武器システム

本級の武器システムは、おおむねモスクワ級のものを改良したものとなっている。

艦隊防空ミサイルおよび対潜兵器はモスクワ級と同様で、M-11 シュトルム(SA-N-3)の連装発射機(それぞれ48発のミサイルを収容)が2基、RPK-1 ビフリ(SUW-N-1対潜ミサイルの連装発射機とRBU-6000対潜ロケット砲が搭載されている。また4K33 オサーM(SA-N-4)個艦防空ミサイルの連装発射機および5連装長魚雷発射管も搭載されたが、こちらはモスクワ級でスペース不足のために装備されなかったり、あるいは装備されたものの撤去されていたものであった[1][2]

来歴で上記したとおり、本級の固有兵装の目玉といえるのがP-500(SS-N-12)艦対艦ミサイルであった。これは、ウラガン1143武器管制システム、SM-241連装発射筒、アルゴン1143管制ステーションおよび点検装置から構成されており、SM-241連装発射筒は前甲板に2基が設置された。また前甲板下には8発分の弾庫があり、移送用エレベータも設けられていた[1]

主砲としては、モスクワ級で不評だったAK-725 57mm連装速射砲ではなく、既に大型対潜艦で実績のあったAK-726-MR-105 76mm連装速射砲に変更された。また近接防空用としてAK-630-MR-123 30mm多銃身機銃も追加された[1]

航空艤装

上記の通り飛行甲板はアングルド・デッキ式とされており、艦首尾線に対して4.5度の傾斜をもつ。面積6,200m²が確保されており、8ヶ所のヘリコプター発着スポットが設定された。最前部の「C」が救難ヘリコプター用、続く「1」~「6」がV/STOL戦闘機や哨戒ヘリコプター用で、艦尾中央の「M」または「T」は輸送ヘリコプター用とされている。設計局は、V/STOL機6機の同時発艦を想定していたが、実際にはYak-38が離発着時のスタビライザをもたず、相互の排気の影響が大きかったことから、10分毎に3機ずつ発艦するのが最大であった。カタパルトやスキージャンプ勾配などの発艦支援設備や着艦拘束装置は持たないが、艦載機誘導装置としてプリボドSV型が搭載された[1]

ハンガーは、艦の後半部、飛行甲板の下に1層のギャラリーデッキをおいて設けられており、長さ130m×幅22.5m×高さ6.6mとされている。飛行甲板とハンガーを連絡するエレベータは、アイランドのすぐ脇と直後に計2基が設置されており[3]、通常の運用では、上り用と下り用で使い分けられていた。 機体移動は、飛行甲板上では小型牽引車が用いられたが、ハンガー内には縦方向および横方向への移送装置が設置されていたため、これが用いられた。ダメージコントロールのため、ハンガーはアスベスト製防火シャッター5枚で区分することができた。また右舷後部は整備エリアとされており、10機を同時に整備できた[1]

搭載機数は、標準的には22機、最大で30機とされており、実験的に36機が搭載されたこともある。艦上戦闘機として搭載されたYak-38 V/STOL軽襲撃機(Yak-36Mの量産型)は、敵戦闘機と交戦して航空優勢を達成するというよりは、長距離哨戒機を駆逐することで友軍の潜水艦や対潜戦を支援することを任務としていたが、航続性能・兵装搭載量の面から困難が指摘されていた[1]。ただし、VTOLのみで運用されていた当初は、ペイロード750kg搭載で航続距離185kmであったが、のちに短距離滑走発進(STO)の技術が確立されて短距離離艦/垂直着艦(STOVL)運用に移行して以後は、ペイロード1t搭載で航続距離600kmに延伸した。また演習では、対地・対艦攻撃任務も成功裏に行われていた[5]

配備

艦種は、当初は「重対潜巡洋艦」、現在では「重航空巡洋艦」(тяжёлый авианесущий крейсер)とされている[脚注 3]。これは、「航空母艦」という呼称に対して根強い反発を示す政治指導部を説得するとともに、モントルー条約の制約下でボスポラス海峡をはじめとするトルコ領海を航行する必要による、政治的な配慮の産物であった[3]

同型・準同型艦一覧表
# 艦名 造船所 艦隊 起工 進水 竣工 備考
- キエフ
Киев
SY444
[脚注 4]
北方 1970年
7月21日
1972年
12月27日
1975年
1月3日
1985年オーバーホ-ル
- ミンスク
Минск
太平洋 1972年
12月28日
1975年
9月30日
1978年
9月27日
-
- ノヴォロシースク
Новороссийск
1975年
9月30日
1978年
12月24日
1982年
8月14日
1991年ボイラー事故
- バクー
Баку
北方 1978年
12月26日
1982年 1987年 -
- - - - - - 1979年計画中止
キエフ
1975年竣工。未完に終わった11233号計画型の「キエフ」から艦名を引き継いだ。ソ連崩壊時には予備役。同型艦ゴルシコフ用の部品供給艦となる。2000年、中華人民共和国に売却。2006年4月9日から天津の「天津滨海新区航母旅游区」で展示、一般公開されている。2006年7月8日には、同艦の格納庫内部において"SILKROAD INTERNATIONAL MODELS CONTEST"なる「ミス・コンテスト」が開催された。
ミンスク
1978年竣工。1989年、機関事故を起こして行動不能となる。ソ連崩壊後はソヴィエツカヤ・ガヴァニに係留。1995年、スクラップとして韓国に売却。1997年、中国企業に転売。1999年11月3日に火災で全焼。2000年6月、深圳でテーマパーク「ミンスク・ワールド」として開業。2005年2月、運営会社が破産し閉鎖された。2006年、競売に掛けられ別の企業に落札された。その後も営業している。
ノヴォロシースク
1143-M号計画によって建造、11433号計画による設計で竣工した。1991年に機関故障による事故を起こす。以降ソヴィエツカヤ・ガヴァニに係留。1994年、スクラップとして韓国に売却。1997年解体。
バクー
11434号計画によって建造。1987年竣工。1990年10月4日、アドミラル・フロータ・ソヴェーツコヴォ・ソユーザ・ゴルシコーフに改名。1997年、予備役編入。2004年、インドに売却、アドミラル・クズネツォフと同様の全通甲板空母への改装が開始される。2005年3月、工事途中でインドに引き渡され、ヴィクラマーディティヤに改名。

脚注

  1. ^ 1番艦のみ。ほかはAK-630M。
  2. ^ a b 3番艦を除く。
  3. ^ 冷戦時代には正式な艦種呼称が不明だったため、西側諸国では「戦術航空巡洋艦」という呼称が用いられていた。
  4. ^ チェルノモールスキイ造船所(第444海軍工廠、ムィコラーイウ南)黒海地方

参考文献

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(4)」『世界の艦船』第639号、海人社、2005年3月、154-161頁、NAID 40006607578 
  2. ^ a b Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(2)」『世界の艦船』第636号、海人社、2005年1月、158-165頁、NAID 40006512966 
  3. ^ a b c d 野木恵一「V/STOL空母に見るお国ぶり インヴィンシブル級vsキエフ級 (特集 空母比較論)」『世界の艦船』第694号、海人社、2008年8月、108-111頁、NAID 40016116197 
  4. ^ Norman Friedman (2006). The Naval Institute guide to world naval weapon systems. Naval Institute Press. ISBN 9781557502629. http://books.google.co.jp/books?id=4S3h8j_NEmkC 
  5. ^ Polutov Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造秘話(5)」『世界の艦船』第640号、海人社、2005年4月、154-161頁、NAID 40006644620 

外部リンク

関連項目

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