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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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'''江川崎'''(えかわさき)は[[高知県]][[四万十市]]北部の地域で、旧西土佐村。
{{otheruses|高知県四万十市の地域|高知県四万十市の大字|西土佐江川崎}}
{{日本の地区・地域
== 沿革 ==
|地区名 = 江川崎
* [[1889年]]4月1日 - 幡多郡江川崎村成立。
|仮名 = えかわさき
* [[1953年]]3月26日 - 国鉄宇和島線が開通し宇和島 - 江川崎間が開業。高知県側から見れば鉄路の盲腸のような存在となる。
|区分 = 地区
* [[1958年]]4月1日 - 合体:津大村、江川崎村→西土佐村(幡多郡)
|都道府県 = 高知県
* [[1974年]]3月1日 - 江川崎 - 若井間が開業し全通。予土線と改称。
|支庁 =
* [[2005年]]4月10日 - 合体:中村市、西土佐村(幡多郡)→四万十市
|自治体 = [[四万十市]]
|行政区 =
|旧自治体 = [[幡多郡]]江川崎村
|面積 =
|世帯数 = 672
|人口 = 1,590
|人口統計URL = http://www.city.shimanto.lg.jp/life/toukei/shimanto/gyousei/h25/07-01/ekawasaki.html
|人口統計種類 = 「人口統計月報」
|人口の時点 = 2013年7月1日現在
|隣接 = 高知県四万十市津大地域、幡多郡[[四万十町]](旧[[十和村 (高知県)|十和村]])<br/>[[愛媛県]][[北宇和郡]][[松野町]]
|位置画像 = Ekawasaki village, Kochi.png
|特記事項 = 赤色の部分が江川崎、桃色は四万十市
}}
[[File:Nishitosa Shimanto river.jpg|thumb|四万十川]]
'''江川崎'''(えかわさき)は[[高知県]][[四万十市]]北部にある[[地域]]。旧[[幡多郡]][[西土佐村]]に所在する。本項では、同地域に存在した'''江川崎村'''(えかわさきむら)についても記述する。「人口統計月報」による[[2013年]][[7月1日]]現在の江川崎地区の世帯数は672世帯、[[人口]]は1,590人である<ref>四万十市"[http://www.city.shimanto.lg.jp/life/toukei/shimanto/gyousei/h25/07-01/ekawasaki.html 行政地区:江川崎地区(人口統計月報)]"平成25年7月1日現在(2013年8月23日閲覧。)</ref>。


[[2013年]](平成25年)[[8月12日]]に、江川崎の[[アメダス]]で最高[[気温]]41.0[[セルシウス度|℃]]を観測、日本の最高記録を更新した<ref name="jma">{{cite web|title=平成25年 報道発表資料<nowiki>></nowiki>最近の日本の高温について |url=http://www.jma.go.jp/jma/press/1308/13a/japan20130813.html|publisher=[[気象庁]]|language=[[日本語]]|date=2013-08-13|accessdate=2013-08-23|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0823-1241-08/www.jma.go.jp/jma/press/1308/13a/japan20130813.html|archivedate=2013-08-23}}</ref>。
== 気温 ==
* [[2013年]]8月10日 - 当地の気象情報が摂氏40.7度を記録した。
* [[2013年]]8月11日 - 当地の気象情報が摂氏40.4度を記録した。
* [[2013年]]8月12日 - 当地の気象情報が日本最高記録である摂氏41.0度を記録した。
* [[2013年]]8月13日 - 当地の気象情報が摂氏40.0度を記録し、日本最高記録である4日連続最高気温摂氏40度以上となった。


== 鉄道路線 ==
== 地理 ==
四万十市北部に位置する。[[四万十川]]とその[[支流]]の[[広見川]]の合流点にあたる<ref name="kn">高知新聞社(1976):86ページ</ref>。四万十市が定める行政地区としての「江川崎地区」は、以下の大字で構成される<ref>四万十市"[http://www.city.shimanto.lg.jp/life/toukei/shimanto/gyousei/h25/07-01/ekawasaki.html 行政地区:江川崎地区(人口統計月報)]"平成25年7月1日現在(2013年8月23日閲覧。)</ref>。
* [[四国旅客鉄道]](JR四国)[[予土線]]
* 西土佐江川(にしとさえかわ) - 江川川流域を占め、四万十川西岸の本村と江川川流域の権谷などの集落から構成される<ref name="kk8">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1349ページ</ref>。
* 西土佐江川崎(にしとさえかわさき) - 宮地と奈路の2つが中心集落<ref name="kk8"/>。中世以来の地域の中心地<ref name="kk3">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):534ページ</ref>。狭い[[段丘]]上に集落を形成する<ref name="kn"/>。
* 西土佐長生(にしとさながおい) - 江川崎の北にあり、養蚕が盛んであった<ref name="kk9">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1350ページ</ref>。
* 西土佐西ケ方(にしとさにしがほう) - 広見川流域にあり、幡多十景の金毘羅宮がある<ref name="kk9"/>。
* 西土佐半家(にしとさはげ) - 「半家義民村」として[[戦前]]には[[教科書]]で取り上げられた<ref name="kk9"/>。
* 西土佐用井(にしとさもちい) - 江川崎の対岸にあり、[[公共施設]]が多い<ref>「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1351ページ</ref>。


産業の中心は[[農業]]と[[林業]]で、[[米]]・[[野菜]]・[[木材]]・[[シイタケ]]などを産出する<ref name="jb">人文社観光と旅編集部 編(1983):119ページ</ref><ref name="wk">ワークス 編(1998):143ページ</ref>。木材輸送には四万十川のいかだ流しを利用していたが、トラック輸送に取って代わられた<ref name="nc">青野・尾留川 編(1969):508ページ</ref>。
== 道路 ==

* [[国道381号]]
=== 気温 ===
* [[国道441号]]
[[2013年]]8月10日、当地の気象情報が摂氏40.7度を記録、翌11日には40.4度となった。更に12日には、日本最高記録である41.0度を記録した<ref name="jma"/>。13日にも40.0度を観測し、日本初の4日連続最高気温40度以上を記録した<ref>{{cite web|title=江川崎また40度台 4日連続 |url=http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=306477&nwIW=1&nwVt=knd|publisher=[[高知新聞]]|language=日本語|date=2013-08-14|accessdate=2013-09-01|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0901-1409-45/www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=306477&nwIW=1&nwVt=knd|archivedate=2013-09-01}}</ref>。その後も[[8月23日]]までの18日間、猛暑日が継続した<ref>{{cite web|title=江川崎猛暑日ストップ 雲多く32.5度、連続18日 |url=http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=307085&nwIW=1&nwVt=knd|publisher=高知新聞|language=日本語|date=2013-08-25|accessdate=2013-09-01|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0901-1400-46/www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=307085&nwIW=1&nwVt=knd|archivedate=2013-09-01}}</ref>。

[[File:Ekawasaki August 2013 hythergraph.png|thumb|500px|center|2013年8月の江川崎の気温と降水量(出典:[[気象庁]]データ<ref>気象庁"[http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_a1.php?prec_no=74&block_no=1235&year=2013&month=8&day=&view= 気象庁:気象統計情報 気象庁 > 過去の気象データ検索 > 日ごとの値 > 高知県江川崎.2013年8月]"(2013年9月1日閲覧。)</ref>)]]
アメダス(地域気象観測システム)の「江川崎観測所」は、{{ウィキ座標度分|33|10.2|0|N|132|47.5|0|E}}、標高72[[メートル|m]]の地点にある<ref>気象庁"[http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-74381.html?areaCode=000&groupCode=56 江川崎(エカワサキ) 毎正時の観測データ - 気象庁]"(2013年8月23日閲覧。)</ref>(所在地は四万十市西土佐用井)。四万十市立西土佐中学校に隣接し、付近には[[駐車場|駐車できる場所]]もあることから、日本の過去最高気温を記録して以降、アメダスを訪れる[[観光客]]の姿も見られるようになった<ref>{{cite web|title=江川崎 最高気温記録のアメダスが観光スポットに |url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/08/15/kiji/K20130815006419290.html|publisher=[[スポーツニッポン]]|language=日本語|date=2013-08-15|accessdate=2013-08-23|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0823-1255-42/www.sponichi.co.jp/society/news/2013/08/15/kiji/K20130815006419290.html|archivedate=2013-08-23}}</ref>。また日本の最高気温記録を更新した翌日の[[8月13日]]には、[[商工会]]が「日本一の暑さ江川崎」の看板を制作した<ref>{{cite web|title=江川崎4日連続の40度超え|url=http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=306473&nwIW=1&nwVt=knd|publisher=高知新聞|language=日本語|date=2013-08-13|accessdate=2013-09-01|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0901-1412-48/www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=306473&nwIW=1&nwVt=knd|archivedate=2013-09-01}}</ref>ほか、[[農産物直売所]]の「西土佐ふるさと市」で、気温41度にちなんだ41円の[[かき氷]]を販売するなど[[地域振興]]に結び付ける取り組みが行われた<ref>{{cite web|author=倉沢仁志|title=猛暑:41円のかき氷販売 高知・四万十市|url=http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=306473&nwIW=1&nwVt=knd|publisher=[[毎日新聞]]|language=日本語|date=2013-08-13|accessdate=2013-09-01|archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0814-0702-33/mainichi.jp/select/news/20130814k0000m040034000c.html|archivedate=2013-08-14}}</ref>。

== 歴史 ==
=== 江川崎村成立以前 ===
後の江川崎地区に相当する地域は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に「下山郷」と呼ばれた地域の一部である。下山郷は[[伊予国]]に占領されていたが、[[文明 (日本)|文明]]元年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]([[ユリウス暦]]:[[1469年]][[9月16日]])に[[土佐国]]の[[一条教房]]が奪還したことが『大乗院寺社雑事記』に記されている<ref name="kk3">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):534, 1347ページ</ref>。下山郷で産出される木材は「黒尊材」または「下山材」として知られ、[[和泉国]][[堺]]へ出荷された記録もある<ref name="kk3"/>。[[土佐一条氏]]は、[[一条兼定]]の代に土佐を追われ、下山郷は[[長宗我部氏]]の配下となった<ref name="kk6">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1347ページ</ref>。[[長宗我部元親]]は下山郷で[[天正]]17年([[1589年]])に[[検地]]を実施した<ref name="kk6"/>。

川崎村は、下山郷の本村として下山とも呼ばれ、[[江戸時代]]には専ら下山村と呼ばれた<ref>「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):350, 534ページ</ref>。江川村の権谷は、長宗我部氏が伊予国南部へ侵攻する際の入り口となった<ref name="kk2">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):192ページ</ref>。江川村には、江川城と糠ノ森城の2つの城があり<ref name="kk2"/>、用井にも2つ城があったとする記録があるが、用井の城の詳細は明らかでない<ref name="kk5">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):942ページ</ref>。

[[関ヶ原の戦い]]を経て長宗我部氏が土佐を去ると、下山郷は[[土佐山内氏]]の所領となった<ref name="kk6"/>。江戸時代を通して江川村・下山村・長生村は[[土佐藩]]の配下にあった<ref name="kk2">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):192, 534, 702ページ</ref>。西ケ方村・半家村・用井村は土佐藩領から[[寛文]]5年(1665年)に土佐中村藩領に変わり、[[元禄]]2年([[1689年]])の[[天領|幕府領]]土佐藩預地を経て元禄9年([[1696年]])に土佐藩領に復している<ref>「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):755, 800, 942ページ</ref>。下山郷は上分と下分に分かれ、江川・下山・長生・半家の4村が上分、その他の村が下分とされた<ref name="hb1">平凡社(1983):553ページ</ref>。下山郷は伊予国との交流が深く、[[方言]]や[[家屋]]の様式に類似性が認められ、[[婚姻]]が結ばれることも多かった<ref name="kk4">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):535ページ</ref>。江川は[[紙]]や[[弓]]の生産が盛んで、[[文政]]7年([[1824年]])には紙の取り扱いを巡って江川一揆が発生した<ref name="kk2"/>。紙漉きは長生・半家でも行われた<ref name="hb1"/>。下山は舟運の拠点で、四万十川下流の下田との物資の往来、特に下田からの[[食塩]]の輸送が盛んであった<ref name="kk4"/>。半家村は、[[平家の落人]]が開いた村という伝承があり、伝統的に相互扶助を行ってきたことを土佐藩主に知られ、「半家義民村」として[[山内豊敷]]・[[山内豊資]]から米を下賜されている<ref>「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):800 - 801ページ</ref>。

[[1874年]](明治7年)、江川と[[四万十市立川崎小学校|下山]]に[[小学校]]が開校する<ref name="kk7">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1348ページ</ref>。

=== 江川崎村の設置 ===
{{日本の町村 (廃止)
|廃止日=[[1958年]][[4月1日]]
|廃止理由=新設合併
|廃止詳細=江川崎村、津大村→[[西土佐村]]
|現在の自治体=[[四万十市]]
|自治体名=江川崎村
|区分=町
|都道府県=高知県
|支庁=
|郡=[[幡多郡]]
|コード=なし(コード導入前に廃止)
|面積=52.28{{#tag:ref|1932年(昭和7年)頃の面積3.39方里<ref name="kk1">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):194ページ</ref>を[[メートル法]]に換算。|group="注"}}
|境界未定=
|人口=2,889
|人口の出典 = 『角川日本地名大辞典』
|人口の時点=1955年
|隣接自治体=津大村、[[十和村 (高知県)|十和村]]、[[愛媛県]][[北宇和郡]][[松野町]]
|木=
|花=
|郵便番号=786-06
|所在地=幡多郡江川崎村下山 宮地
|外部リンク=
|経度=
|緯度=
|位置画像=[[ファイル:Ekawasaki village, Kochi.png|150px]]
|特記事項=
|}}
[[1889年]](明治22年)、町村制の施行により、下山(川崎)・江川・長生・西ケ方・半家・用井の6村が合併し、江川崎村が成立した<ref name="kk1"/>。村役場は下山の宮地に置かれた<ref name="kk1"/>。たびたび洪水の被害に見舞われ、[[1890年]](明治23年)には小島大明神を流失、[[1935年]](昭和10年)には村の中心・下山が大被害を受けた<ref name="kk1"/>。大正期以降、交通の要として発達し、[[1913年]](大正2年)に土佐中村とを結ぶ郡道が開通、[[1921年]](大正10年)には同じく中村とを結ぶプロペラ船が就航し、同年には[[窪川町|窪川村]]と[[愛媛県]][[北宇和郡]][[吉野生村]]の宇和島線[[吉野生駅]]とを結ぶ[[路線バス]](乗合自動車)が開通、江川崎村内を通過した<ref name="kk1"/>。

[[1932年]](昭和7年)頃の資料によると、村の総生産は、[[農業|農産]]が最も高く169,803円で、以下[[林業|林産]]、[[工業|工産]]、[[水産]]、[[畜産]]と続いた<ref name="kk1"/>。特に生[[繭]]・[[米]]・桑葉・用材・[[木炭]]が主要産品であった<ref name="kk1"/>。[[第二次世界大戦]]中には、「満州移民江川崎開拓団」として363人が[[満蒙開拓移民]]として渡ったが、7割超となる263人が[[戦争]]の混乱で亡くなった<ref name="kk1"/>。無事帰郷を果たした元村民も、既に土地や家は江川崎に残されておらず、離村せざるを得ないなど苦難が続いた<ref name="kk7"/>。

戦後間もない[[1946年]](昭和21年)、村役場で火災が起き、地籍・戸籍が焼失した<ref name="kk1"/>。[[1953年]](昭和28年)[[3月26日]]、[[日本国有鉄道]]宇和島線が延長されて[[江川崎駅]]が開業、終着駅となった<ref name="kk1"/>。[[1958年]](昭和33年)、隣接する津大村と合併し西土佐村が発足、村名としての江川崎は失われたが、下山が江川崎に改称となり、大字名として江川崎の名が残された<ref name="kk1"/>。

=== 西土佐村から四万十市へ ===
西土佐村成立後、江川崎は法務局出張所、営林署、土木出張所などの[[出先機関]]や役場・商工会・中央公民館など村の中心機能が集中する地域の拠点として発展を続け、[[1978年]](昭和53年)の西土佐大橋架橋後は、四万十川対岸の用井も機能の一部を担うこととなった<ref name="kk1"/>。それまでの用井は、陸の孤島状態にあったが、西土佐中学校や村の総合グラウンドが建設され、一躍中心機能を帯びた<ref name="kk5"/>。[[1974年]](昭和49年)[[3月1日]]には江川崎駅以東の鉄道路線が開業、宇和島線から[[予土線]]に改められた<ref name="kn"/>。長生は文明開化以後も他の地域から隔絶されていたが、[[1960年]](昭和35年)の長生沈下橋架橋や[[1970年]](昭和45年)の新道開通を通して陸の孤島から脱却し、農業の機械化も進んだ<ref name="kk4">「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):702ページ</ref>。

[[1983年]](昭和58年)[[9月12日]]、[[NHKスペシャル|NHK特集]]『土佐四万十川〜清流と魚と人と〜』が日本全国に放映され、その際にアナウンサーが用いた「日本最後の清流」の語は、日本中に四万十川を表す語として知られることとなった<ref name="cs">森川・篠原・奥野 編(2005):610ページ</ref>。この番組の放映後、江川崎では四万十川を活用した観光が盛んとなり、旧西土佐村の観光客は[[1990年]](平成2年)の10万人から[[1997年]](平成5年)の23万人へと急成長した<ref name="cs"/>。一方で、地元産の夏野菜や川魚などの豊富な食資源は[[キャンプ]]客の食材としての供給はなく、地元産品を活かした[[土産物]]も不十分である<ref>森川・篠原・奥野 編(2005):610 - 611ページ</ref>。

[[2005年]](平成17年)、平成の大合併により四万十市の一部となる。

=== 沿革 ===
* 1889年(明治22年)[[4月1日]] - 幡多郡江川崎村成立。
* 1958年(昭和33年)4月1日 - 津大村と合併し、西土佐村の一部となる。
* 2005年(平成17年)[[4月10日]] - 西土佐村が[[中村市]]と合併し、四万十市の一部となる。

=== 地名の由来 ===
地域の中心的な村であった、江川村と川崎村(下山村)の[[合成地名|名を合わせて]]「江川崎」とした<ref name="kk1"/>。

== 観光 ==
古くからの観光スポットには白綾の滝や金刀比羅宮がある<ref name="jb"/>。白綾の滝は落差が10mほどあり、[[天保]]8年(1837年)には[[宇和島藩]]主が訪れている<ref>四万十市"[http://www.city.shimanto.lg.jp/kanko/spot/meisho/siraaya.html 四万十市観光案内 白綾の滝]"(2013年9月1日閲覧。)</ref>。

四万十川が観光資源になるという認識は[[1980年代]]初頭まで地元住民にも高知県行政にもなかったが、1983年(昭和58年)以降、四万十川中流域にある江川崎に観光ブームが訪れた<ref name="cs"/>。四万十川は[[淵]]と[[瀬]]が交錯し、井堰がないことからカヌーに最適とされ、日本有数の[[カヌー]]の盛んな地域となった<ref name="wk"/>。拠点となる「四万十 川の駅 カヌー館」にはカヌー資料館が併設され、周囲ではカヌー教室やリバーツーリングが展開される<ref name="wk"/>。ホテル星羅四万十・西土佐山村ヘルスセンターを始め、西土佐江川崎に1軒の旅館、西土佐用井に民宿が2軒、西土佐西ケ方に民宿が1軒ある<ref>西土佐四万十観光社"[http://www.canoekan.com/yado2.html 近隣の宿泊施設|泊まる|カヌー館]"(2013年9月1日閲覧。)</ref>。

== 交通 ==
[[ファイル:Ekawasaki-Station-20100525.jpg|thumb|江川崎駅]]
[[予土線]]が全通するまでは、江川崎駅が終点であり、四万十川上流の集落や下流の中村へ向かうバスの拠点でもあった<ref name="kn"/>。谷筋に沿って愛媛県[[宇和島市]]や[[四万十町]](窪川)へ至る道路は地域の主要路であり続けた<ref name="nc"/>。

=== 鉄道 ===
<span style="color:#009257">■</span>[[四国旅客鉄道]](JR四国)[[予土線]]
* ([[十川駅 (高知県)|十川]]方面) - [[半家駅]] - [[江川崎駅]] - [[西ヶ方駅]] - ([[真土駅|真土]]方面)

=== 路線バス ===
いずれも江川崎駅を起終点としている。
* 四万十市営バス<ref>四万十市"[http://www.city.shimanto.lg.jp/life/menu/road/rail_bus.html 四万十市の交通]"(2013年9月1日閲覧。)</ref> - 藤ノ川線、黒尊線、江川線、川崎線
* [[高知西南交通]]<ref>高知西南交通"[http://www.albero.jp/~ko1113/file/?mode=file&group=grp01&file_category=1.%CF%A9%C0%FE%A5%D0%A5%B9 時刻表・パンフレット]"(2013年9月1日閲覧。)</ref> - 中村駅〜市役所〜江川崎線

=== 道路 ===
* [[国道381号]] - 予土線全通までは、[[国鉄バス]]が運行されていた<ref name="kk7"/>。予土線開通後に路線改良が進められ、[[1975年]](昭和50年)に[[国道]]となる<ref name="kk7"/>。
* [[国道441号]] - 旧愛媛県道・高知県道3号宇和島中村線<ref name="kk8"/>。四万十市街(中村)へ至る主要道路である<ref name="kk7"/>。

== 脚注 ==
;注釈
{{Reflist|group="注"}}
;出典
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* [[青野壽郎]]・[[尾留川正平]] 編『日本地誌第18巻 香川県・愛媛県 徳島県・高知県』二宮書店、1969年3月15日、551p.
* 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『[[角川日本地名大辞典]] 39 高知県』角川書店、昭和61年3月8日、1590p. ISBN 4-04-001390-5
* 高知新聞社『高知県百科事典』高知新聞社、1976年6月11日、987p.
* 人文社観光と旅編集部 編『郷土資料事典 観光と旅 高知県』県別シリーズ39、[[人文社]]、昭和58年10月1日、143p.
* [[森川洋]]・篠原重則・奥野隆史 編『日本の地誌9 中国・四国』[[朝倉書店]]、2005年3月25日、636p. ISBN 4-254-16769-5
* ワークス 編『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典―39 高知県』人文社、1998年7月1日、167p.
* 『高知県の地名』日本歴史地名大系40、平凡社、1983年10月28日、755p.


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[江川崎駅]]
* [[半家駅]](はげ)
* [[土佐大正駅]]
* [[土佐昭和駅]]
* [[四万十川]]
* [[四万十川]]
* [[沈下橋]]
* [[沈下橋]] - 長生沈下橋・中半家沈下橋・半家沈下橋


== リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_a1.php?prec_no=74&block_no=1235&year=2013&month=8&day=&view=|気象庁:気象統計情報 気象庁 > 過去の気象データ検索 > 日ごとの値 > 高知県江川崎.2013年8月]
* [http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_a1.php?prec_no=74&block_no=1235&year=2013&month=8&day=&view= 気象庁:気象統計情報 気象庁 > 過去の気象データ検索 > 日ごとの値 > 高知県江川崎.2013年8月]


{{DEFAULTSORT:えかわさき}}
{{DEFAULTSORT:えかわさき}}
[[Category:高知県の地理]]
[[Category:高知県の地理]]
[[Category:四万十市]]
[[Category:四万十市]]
[[Category:合成地名]]

2013年9月1日 (日) 14:30時点における版

江川崎地区
えかわさき
日章旗 日本
地方 四国地方
都道府県 高知県
自治体 四万十市
旧自治体 幡多郡江川崎村
世帯数
672世帯
総人口
1,590
「人口統計月報」、2013年7月1日現在)
隣接地区 高知県四万十市津大地域、幡多郡四万十町(旧十和村
愛媛県北宇和郡松野町
江川崎地区の位置
特記事項:赤色の部分が江川崎、桃色は四万十市
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四万十川

江川崎(えかわさき)は高知県四万十市北部にある地域。旧幡多郡西土佐村に所在する。本項では、同地域に存在した江川崎村(えかわさきむら)についても記述する。「人口統計月報」による2013年7月1日現在の江川崎地区の世帯数は672世帯、人口は1,590人である[1]

2013年(平成25年)8月12日に、江川崎のアメダスで最高気温41.0を観測、日本の最高記録を更新した[2]

地理

四万十市北部に位置する。四万十川とその支流広見川の合流点にあたる[3]。四万十市が定める行政地区としての「江川崎地区」は、以下の大字で構成される[4]

  • 西土佐江川(にしとさえかわ) - 江川川流域を占め、四万十川西岸の本村と江川川流域の権谷などの集落から構成される[5]
  • 西土佐江川崎(にしとさえかわさき) - 宮地と奈路の2つが中心集落[5]。中世以来の地域の中心地[6]。狭い段丘上に集落を形成する[3]
  • 西土佐長生(にしとさながおい) - 江川崎の北にあり、養蚕が盛んであった[7]
  • 西土佐西ケ方(にしとさにしがほう) - 広見川流域にあり、幡多十景の金毘羅宮がある[7]
  • 西土佐半家(にしとさはげ) - 「半家義民村」として戦前には教科書で取り上げられた[7]
  • 西土佐用井(にしとさもちい) - 江川崎の対岸にあり、公共施設が多い[8]

産業の中心は農業林業で、野菜木材シイタケなどを産出する[9][10]。木材輸送には四万十川のいかだ流しを利用していたが、トラック輸送に取って代わられた[11]

気温

2013年8月10日、当地の気象情報が摂氏40.7度を記録、翌11日には40.4度となった。更に12日には、日本最高記録である41.0度を記録した[2]。13日にも40.0度を観測し、日本初の4日連続最高気温40度以上を記録した[12]。その後も8月23日までの18日間、猛暑日が継続した[13]

2013年8月の江川崎の気温と降水量(出典:気象庁データ[14]

アメダス(地域気象観測システム)の「江川崎観測所」は、北緯33度10.2分0秒 東経132度47.5分0秒 / 北緯33.17000度 東経132.79167度 / 33.17000; 132.79167、標高72mの地点にある[15](所在地は四万十市西土佐用井)。四万十市立西土佐中学校に隣接し、付近には駐車できる場所もあることから、日本の過去最高気温を記録して以降、アメダスを訪れる観光客の姿も見られるようになった[16]。また日本の最高気温記録を更新した翌日の8月13日には、商工会が「日本一の暑さ江川崎」の看板を制作した[17]ほか、農産物直売所の「西土佐ふるさと市」で、気温41度にちなんだ41円のかき氷を販売するなど地域振興に結び付ける取り組みが行われた[18]

歴史

江川崎村成立以前

後の江川崎地区に相当する地域は、戦国時代に「下山郷」と呼ばれた地域の一部である。下山郷は伊予国に占領されていたが、文明元年8月11日ユリウス暦1469年9月16日)に土佐国一条教房が奪還したことが『大乗院寺社雑事記』に記されている[6]。下山郷で産出される木材は「黒尊材」または「下山材」として知られ、和泉国へ出荷された記録もある[6]土佐一条氏は、一条兼定の代に土佐を追われ、下山郷は長宗我部氏の配下となった[19]長宗我部元親は下山郷で天正17年(1589年)に検地を実施した[19]

川崎村は、下山郷の本村として下山とも呼ばれ、江戸時代には専ら下山村と呼ばれた[20]。江川村の権谷は、長宗我部氏が伊予国南部へ侵攻する際の入り口となった[21]。江川村には、江川城と糠ノ森城の2つの城があり[21]、用井にも2つ城があったとする記録があるが、用井の城の詳細は明らかでない[22]

関ヶ原の戦いを経て長宗我部氏が土佐を去ると、下山郷は土佐山内氏の所領となった[19]。江戸時代を通して江川村・下山村・長生村は土佐藩の配下にあった[21]。西ケ方村・半家村・用井村は土佐藩領から寛文5年(1665年)に土佐中村藩領に変わり、元禄2年(1689年)の幕府領土佐藩預地を経て元禄9年(1696年)に土佐藩領に復している[23]。下山郷は上分と下分に分かれ、江川・下山・長生・半家の4村が上分、その他の村が下分とされた[24]。下山郷は伊予国との交流が深く、方言家屋の様式に類似性が認められ、婚姻が結ばれることも多かった[25]。江川はの生産が盛んで、文政7年(1824年)には紙の取り扱いを巡って江川一揆が発生した[21]。紙漉きは長生・半家でも行われた[24]。下山は舟運の拠点で、四万十川下流の下田との物資の往来、特に下田からの食塩の輸送が盛んであった[25]。半家村は、平家の落人が開いた村という伝承があり、伝統的に相互扶助を行ってきたことを土佐藩主に知られ、「半家義民村」として山内豊敷山内豊資から米を下賜されている[26]

1874年(明治7年)、江川と下山小学校が開校する[27]

江川崎村の設置

江川崎村
廃止日 1958年4月1日
廃止理由 新設合併
江川崎村、津大村→西土佐村
現在の自治体 四万十市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 高知県
幡多郡
市町村コード なし(コード導入前に廃止)
面積 52.28[注 1] km2.
総人口 2,889
(『角川日本地名大辞典』、1955年)
隣接自治体 津大村、十和村愛媛県北宇和郡松野町
江川崎村役場
所在地 786-06
高知県幡多郡江川崎村下山 宮地
ウィキプロジェクト
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1889年(明治22年)、町村制の施行により、下山(川崎)・江川・長生・西ケ方・半家・用井の6村が合併し、江川崎村が成立した[28]。村役場は下山の宮地に置かれた[28]。たびたび洪水の被害に見舞われ、1890年(明治23年)には小島大明神を流失、1935年(昭和10年)には村の中心・下山が大被害を受けた[28]。大正期以降、交通の要として発達し、1913年(大正2年)に土佐中村とを結ぶ郡道が開通、1921年(大正10年)には同じく中村とを結ぶプロペラ船が就航し、同年には窪川村愛媛県北宇和郡吉野生村の宇和島線吉野生駅とを結ぶ路線バス(乗合自動車)が開通、江川崎村内を通過した[28]

1932年(昭和7年)頃の資料によると、村の総生産は、農産が最も高く169,803円で、以下林産工産水産畜産と続いた[28]。特に生・桑葉・用材・木炭が主要産品であった[28]第二次世界大戦中には、「満州移民江川崎開拓団」として363人が満蒙開拓移民として渡ったが、7割超となる263人が戦争の混乱で亡くなった[28]。無事帰郷を果たした元村民も、既に土地や家は江川崎に残されておらず、離村せざるを得ないなど苦難が続いた[27]

戦後間もない1946年(昭和21年)、村役場で火災が起き、地籍・戸籍が焼失した[28]1953年(昭和28年)3月26日日本国有鉄道宇和島線が延長されて江川崎駅が開業、終着駅となった[28]1958年(昭和33年)、隣接する津大村と合併し西土佐村が発足、村名としての江川崎は失われたが、下山が江川崎に改称となり、大字名として江川崎の名が残された[28]

西土佐村から四万十市へ

西土佐村成立後、江川崎は法務局出張所、営林署、土木出張所などの出先機関や役場・商工会・中央公民館など村の中心機能が集中する地域の拠点として発展を続け、1978年(昭和53年)の西土佐大橋架橋後は、四万十川対岸の用井も機能の一部を担うこととなった[28]。それまでの用井は、陸の孤島状態にあったが、西土佐中学校や村の総合グラウンドが建設され、一躍中心機能を帯びた[22]1974年(昭和49年)3月1日には江川崎駅以東の鉄道路線が開業、宇和島線から予土線に改められた[3]。長生は文明開化以後も他の地域から隔絶されていたが、1960年(昭和35年)の長生沈下橋架橋や1970年(昭和45年)の新道開通を通して陸の孤島から脱却し、農業の機械化も進んだ[25]

1983年(昭和58年)9月12日NHK特集『土佐四万十川〜清流と魚と人と〜』が日本全国に放映され、その際にアナウンサーが用いた「日本最後の清流」の語は、日本中に四万十川を表す語として知られることとなった[29]。この番組の放映後、江川崎では四万十川を活用した観光が盛んとなり、旧西土佐村の観光客は1990年(平成2年)の10万人から1997年(平成5年)の23万人へと急成長した[29]。一方で、地元産の夏野菜や川魚などの豊富な食資源はキャンプ客の食材としての供給はなく、地元産品を活かした土産物も不十分である[30]

2005年(平成17年)、平成の大合併により四万十市の一部となる。

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 幡多郡江川崎村成立。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 津大村と合併し、西土佐村の一部となる。
  • 2005年(平成17年)4月10日 - 西土佐村が中村市と合併し、四万十市の一部となる。

地名の由来

地域の中心的な村であった、江川村と川崎村(下山村)の名を合わせて「江川崎」とした[28]

観光

古くからの観光スポットには白綾の滝や金刀比羅宮がある[9]。白綾の滝は落差が10mほどあり、天保8年(1837年)には宇和島藩主が訪れている[31]

四万十川が観光資源になるという認識は1980年代初頭まで地元住民にも高知県行政にもなかったが、1983年(昭和58年)以降、四万十川中流域にある江川崎に観光ブームが訪れた[29]。四万十川はが交錯し、井堰がないことからカヌーに最適とされ、日本有数のカヌーの盛んな地域となった[10]。拠点となる「四万十 川の駅 カヌー館」にはカヌー資料館が併設され、周囲ではカヌー教室やリバーツーリングが展開される[10]。ホテル星羅四万十・西土佐山村ヘルスセンターを始め、西土佐江川崎に1軒の旅館、西土佐用井に民宿が2軒、西土佐西ケ方に民宿が1軒ある[32]

交通

江川崎駅

予土線が全通するまでは、江川崎駅が終点であり、四万十川上流の集落や下流の中村へ向かうバスの拠点でもあった[3]。谷筋に沿って愛媛県宇和島市四万十町(窪川)へ至る道路は地域の主要路であり続けた[11]

鉄道

四国旅客鉄道(JR四国)予土線

路線バス

いずれも江川崎駅を起終点としている。

  • 四万十市営バス[33] - 藤ノ川線、黒尊線、江川線、川崎線
  • 高知西南交通[34] - 中村駅〜市役所〜江川崎線

道路

  • 国道381号 - 予土線全通までは、国鉄バスが運行されていた[27]。予土線開通後に路線改良が進められ、1975年(昭和50年)に国道となる[27]
  • 国道441号 - 旧愛媛県道・高知県道3号宇和島中村線[5]。四万十市街(中村)へ至る主要道路である[27]

脚注

注釈
  1. ^ 1932年(昭和7年)頃の面積3.39方里[28]メートル法に換算。
出典
  1. ^ 四万十市"行政地区:江川崎地区(人口統計月報)"平成25年7月1日現在(2013年8月23日閲覧。)
  2. ^ a b 平成25年 報道発表資料>最近の日本の高温について” (日本語). 気象庁 (2013年8月13日). 2013年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 高知新聞社(1976):86ページ
  4. ^ 四万十市"行政地区:江川崎地区(人口統計月報)"平成25年7月1日現在(2013年8月23日閲覧。)
  5. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1349ページ
  6. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):534ページ 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "kk3"が異なる内容で複数回定義されています
  7. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1350ページ
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1351ページ
  9. ^ a b 人文社観光と旅編集部 編(1983):119ページ
  10. ^ a b c ワークス 編(1998):143ページ
  11. ^ a b 青野・尾留川 編(1969):508ページ
  12. ^ 江川崎また40度台 4日連続”. 高知新聞 (2013年8月14日). 2013年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月1日閲覧。
  13. ^ 江川崎猛暑日ストップ 雲多く32.5度、連続18日”. 高知新聞 (2013年8月25日). 2013年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月1日閲覧。
  14. ^ 気象庁"気象庁:気象統計情報 気象庁 > 過去の気象データ検索 > 日ごとの値 > 高知県江川崎.2013年8月"(2013年9月1日閲覧。)
  15. ^ 気象庁"江川崎(エカワサキ) 毎正時の観測データ - 気象庁"(2013年8月23日閲覧。)
  16. ^ 江川崎 最高気温記録のアメダスが観光スポットに”. スポーツニッポン (2013年8月15日). 2013年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月23日閲覧。
  17. ^ 江川崎4日連続の40度超え”. 高知新聞 (2013年8月13日). 2013年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月1日閲覧。
  18. ^ 倉沢仁志 (2013年8月13日). “猛暑:41円のかき氷販売 高知・四万十市”. 毎日新聞. 2013年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月1日閲覧。
  19. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1347ページ
  20. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):350, 534ページ
  21. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):192ページ 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "kk2"が異なる内容で複数回定義されています
  22. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):942ページ
  23. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):755, 800, 942ページ
  24. ^ a b 平凡社(1983):553ページ
  25. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):535ページ 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "kk4"が異なる内容で複数回定義されています
  26. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):800 - 801ページ
  27. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):1348ページ
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1986):194ページ
  29. ^ a b c 森川・篠原・奥野 編(2005):610ページ
  30. ^ 森川・篠原・奥野 編(2005):610 - 611ページ
  31. ^ 四万十市"四万十市観光案内 白綾の滝"(2013年9月1日閲覧。)
  32. ^ 西土佐四万十観光社"近隣の宿泊施設|泊まる|カヌー館"(2013年9月1日閲覧。)
  33. ^ 四万十市"四万十市の交通"(2013年9月1日閲覧。)
  34. ^ 高知西南交通"時刻表・パンフレット"(2013年9月1日閲覧。)

参考文献

  • 青野壽郎尾留川正平 編『日本地誌第18巻 香川県・愛媛県 徳島県・高知県』二宮書店、1969年3月15日、551p.
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 39 高知県』角川書店、昭和61年3月8日、1590p. ISBN 4-04-001390-5
  • 高知新聞社『高知県百科事典』高知新聞社、1976年6月11日、987p.
  • 人文社観光と旅編集部 編『郷土資料事典 観光と旅 高知県』県別シリーズ39、人文社、昭和58年10月1日、143p.
  • 森川洋・篠原重則・奥野隆史 編『日本の地誌9 中国・四国』朝倉書店、2005年3月25日、636p. ISBN 4-254-16769-5
  • ワークス 編『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典―39 高知県』人文社、1998年7月1日、167p.
  • 『高知県の地名』日本歴史地名大系40、平凡社、1983年10月28日、755p.

関連項目

外部リンク