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復活祭は[[移動祝日]]であり、もともと[[太陰暦]]にしたがって決められた日であったため、年によって[[太陽暦]]での日付が変わる。[[グレゴリオ暦]]を用いる[[西方教会]]では、復活祭は3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、[[東方教会]]では、グレゴリオ暦の4月4日から5月8日の間のいずれかの日曜日に祝われる。 |
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復活祭(復活日)の日付をどのように決定するか(いつ祝うか)については、古代に論争を経て統一されるに至ったが、16世紀に[[西方教会]]において[[グレゴリオ暦]]が採用されてから、[[正教会]]と西方教会で復活祭の日付が異なるという現象が起きるようになり、議論が続いている。 |
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復活祭を表す英語「イースター({{lang|en|Easter}})」およびドイツ語「オーステルン({{lang|de|Ostern}})」は[[ゲルマン神話]]の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいは[[ゲルマン人]]の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているともいわれる。[[8世紀]]の教会史家[[ベーダ・ヴェネラビリス]]がこれに言及し、ゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している<ref name="1911CE" />。ただしこの説も確実ではない<ref name="dai910" />。 |
復活祭を表す英語「イースター({{lang|en|Easter}})」およびドイツ語「オーステルン({{lang|de|Ostern}})」は[[ゲルマン神話]]の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいは[[ゲルマン人]]の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているともいわれる。[[8世紀]]の教会史家[[ベーダ・ヴェネラビリス]]がこれに言及し、ゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している<ref name="1911CE" />。ただしこの説も確実ではない<ref name="dai910" />。 |
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[[初代教会]]では復活祭は[[ユダヤ教]]の[[過越|過越の祭り]]と同じ日に祝われていたと考えられている。過越の祭りの始まりは[[ユダヤ暦|ユダヤ教の暦]]で「ニサンの月の14日」に固定されている<ref>[http://www.jewishencyclopedia.com/articles/11933-passover PASSOVER - JewishEncyclopedia.com]</ref>。しかしキリスト教が各地に広まっていく中で、復活祭をいつ祝うかということで2世紀頃から論争が起こることになった。これを「復活日論争」({{lang-en|Paschal controversies}}, {{lang-de|passahstreit}})という<ref name="dai910" />。 |
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すなわち[[小アジア]]の教会はユダヤ教以来の伝統に従ってニサンの月の14日をパスカ(復活祭)として祝っていたため、平日に祝われることもあった。一方、[[ローマ]]をはじめ多くの教会ではイエスが[[復活 (キリスト教)|復活]]した日曜日を主イエスの日として優先するため、復活祭(パスカ)も復活の日である「ニサンの月の14日の後の最初の日曜日」に祝う習慣であった<ref name="dai910" />。 |
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2世紀にはこの相違が顕在化。[[154年]]には小アジアの[[ポリュカルポス]]とローマの[[アニケトゥス (ローマ教皇)|アニケトゥス]]の間の会談において議論が行われた。170年代にはラオディキアで論争が生じ、190年代にも論争が再燃。ローマの[[ウィクトル1世 (ローマ教皇)|ウィクトル1世]]は[[エフェソス]]の[[ポリュクラテス (エフェソス主教)|ポリュクラテス]]と論争し、日曜日に復活祭を祝わない者に対しては破門も辞さない厳しい態度で臨んだ<ref name="dai910" /><ref name="CEvictorI">[http://www.newadvent.org/cathen/15408a.htm CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Pope St. Victor I]</ref>。こうしたウィクトル1世の強硬な姿勢は全司教(主教)達に歓迎されず<ref name="CEvictorI" />、日曜日に復活祭を祝うこと自体には賛同する(小アジア以外の)東方教会の[[主教]]達からも、たしなめる意見が相次いだ<ref name="CCEL">[http://www.ccel.org/ccel/schaff/hcc2.v.vii.iv.html History of the Christian Church, Volume II: Ante-Nicene Christianity. A.D. 100-325. - Christian Classics Ethereal Library]</ref>。 |
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この時、[[リヨン]]の[[エイレナイオス]]が調停に立った。エイレナイオスは小アジアの[[スミルナ]]出身で[[ガリア]](リヨン)の[[司教]]であり、小アジアの伝統とローマ側の主張の両方をよく理解している人物であった<ref name="dai910" />。[[エウセビオス]]はエイレナイオスが教会分裂の阻止に果たした役割につき賞賛している<ref name="CCEL" />。エイレナイオスは他の司教達(主教達)とともにウィクトル1世に対しては強硬姿勢を批判する一方で、小アジアの教会に対して日曜日に復活祭を祝うよう説得に努めた<ref name="CEvictorI" />。その結果、ごく一部の小アジアの伝統を維持しようとした分派「十四日教徒」が5世紀頃まで存続した以外は、概ね小アジアの諸教会は他教会と協調するようになっていった<ref name="dai910" />。 |
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[[325年]]におこなわれた[[第1ニカイア公会議]]では全教会で復活祭を同じ日曜日に祝うことを決議した<ref name="dai910" />。 |
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ローマとアレクサンドリアの間にも暦法上の相違があり、復活祭の日付も異なることがあったが、だんだんローマはアレクサンドリアの暦法を取り入れるようになった。西方のローマ教会は6世紀までは独自の方法で復活祭を算出していたが、アレクサンドリアの教会の手法を(ローマで用いられていた)[[ユリウス暦]]に適応させる方法が[[ディオニュシウス・エクシグウス]]によって編み出されたことでようやくその決定法を採用することになった。イギリスやフランスなどの各地でも当初はローマ式の方法が採用されていたが、やがてディオニュシウスの方法が採用され、ようやく復活祭の日付がヨーロッパの全キリスト教会で統一されることになった<ref name="dai910" />。 |
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しかし、16世紀になって西欧社会が[[グレゴリオ暦]]を採用したことで、ユリウス暦を用いつづけた東方教会との間で再び復活祭が異なるという現象が起こるようになった<ref name="dai910" />。 |
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[[1997年]]に[[シリア]]の[[アレッポ]]でキリスト教諸派の代表が集まっておこなわれた世界キリスト教協議会では復活祭の日付の確定法の再検討と全キリスト教における復活祭の日付の統一が提案された。この問題は現在でも協議が続けられているが、いまだに統一には至っていない。 |
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ある人々は復活祭の日付が移動することや教派によって日付が異なることの不便を解消するため、思い切って月齢と復活祭を切り離すことを提案している。たとえば4月の第二日曜日に固定するなどの意見が出されているが、まだ広範な支持を受けるまでには至っていない。 |
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西方教会において、最も早く復活祭が祝われる可能性がある日は(グレゴリオ暦の)3月22日である。これは最も近くでは1818年にそうなっていた。次にこの日が復活祭になるのは2285年のことである。逆に最も遅い日は4月25日である。最も近くでこの日が復活祭となったのは1943年のことであり、次は2038年になる計算である。 |
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== 典礼暦における位置づけ == |
== 典礼暦における位置づけ == |
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* [[復活祭の日付の計算]](コンプトゥス) |
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* [[教会暦]] |
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2013年9月23日 (月) 09:21時点における版
復活祭(ふっかつさい、ギリシア語: Πάσχα, ラテン語: Pascha, 英語: Easter, ドイツ語: Ostern, ロシア語: Пасха)はキリスト教において、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、最も重要な祭[1][2][3][4][5]。
多くの教会で特別な礼拝(典礼・奉神礼)が行われるほか、様々な習慣・習俗・行事がある。
カトリック教会では「復活の主日」[6]とも呼ばれ、聖公会、プロテスタントなどでは「復活日」(ふっかつび)とも呼ばれる[3][7][注釈 1]。西方教会においては英語から「イースター」とも呼ぶ[8][9]。正教会ではギリシャ語から「パスハ」とも呼ぶ[10][注釈 2]。
復活祭は基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、年によって日付が変わる移動祝日である。日付は変わるものの、必ず日曜日に祝われる。キリスト教が優勢な国においては復活祭の翌日の月曜日も休日にされていることがある。欧州における主要株式・債券市場は、復活祭の前の聖金曜日、復活祭後の月曜日に休場する[11]。
東方教会と西方教会とでは日付の算定方法が異なるため、日付が重なる年もあるものの、日付が異なる年の方が多い[注釈 3][12]。
日付
復活祭の日付 2000年-2022年 | ||
年 | 西方教会 | 東方教会 |
---|---|---|
2000年 | 4月23日 | 4月30日 |
2001年 | 4月15日 | |
2002年 | 3月31日 | 5月5日 |
2003年 | 4月20日 | 4月27日 |
2004年 | 4月11日 | |
2005年 | 3月27日 | 5月1日 |
2006年 | 4月16日 | 4月23日 |
2007年 | 4月8日 | |
2008年 | 3月23日 | 4月27日 |
2009年 | 4月12日 | 4月19日 |
2010年 | 4月4日 | |
2011年 | 4月24日 | |
2012年 | 4月8日 | 4月15日 |
2013年 | 3月31日 | 5月5日 |
2014年 | 4月20日 | |
2015年 | 4月5日 | 4月12日 |
2016年 | 3月27日 | 5月1日 |
2017年 | 4月16日 | |
2018年 | 4月1日 | 4月8日 |
2019年 | 4月21日 | 4月28日 |
2020年 | 4月12日 | 4月19日 |
2021年 | 4月4日 | 5月2日 |
2022年 | 4月17日 | 4月24日 |
復活祭は移動祝日であり、もともと太陰暦にしたがって決められた日であったため、年によって太陽暦での日付が変わる。グレゴリオ暦を用いる西方教会では、復活祭は3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、東方教会では、グレゴリオ暦の4月4日から5月8日の間のいずれかの日曜日に祝われる。
復活祭(復活日)の日付をどのように決定するか(いつ祝うか)については、古代に論争を経て統一されるに至ったが、16世紀に西方教会においてグレゴリオ暦が採用されてから、正教会と西方教会で復活祭の日付が異なるという現象が起きるようになり、議論が続いている。
名称の語源
パスハ、パスカ、パスクワ
英語・ドイツ語・ポーランド語等以外の多くのヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、ギリシア語: Πάσχα(古典ギリシア語再建音:パスカ、現代ギリシア語転写:パスハ)に由来しており、その言葉も元をたどれば、アラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「ペサハ」(Pesach)というヘブライ語の言葉から来ている[5][13]。つまり、キリスト教の復活祭が旧約時代の「過越の祭り」を雛形とした祝い日であることを示している[5][13][14]。
ギリシャ正教会で復活大祭を「パスハ(Πάσχα)」と呼ぶのは勿論のこと、ロシア正教会・ロシア語でも復活大祭はヘブライ語・ギリシャ語起源の「パスハ(Пасха)」と呼ばれ、日本正教会でも復活大祭をパスハと呼ぶ[15]。カトリック教会においてもイタリアなどのラテン系の国では「パスカ」(ラテン語: Pascha)、スペイン語ではパスクワ(Pascua)の呼称が一般的である。
エイレナイオスやテルトゥリアヌスは「パスハ」を、ギリシャ語の動詞「苦しむ」(ギリシア語: πάσχω[注釈 4])に関連付け、イエス・キリストの受難と結びつけて解釈したが、この誤りは彼らがヘブライ語を知らなかったため生じた。アウグスティヌスはその語源説明の誤りを正した[13]。
イースター、オーステルン
復活祭を表す英語「イースター(Easter)」およびドイツ語「オーステルン(Ostern)」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているともいわれる。8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスがこれに言及し、ゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している[13]。ただしこの説も確実ではない[3]。
典礼暦における位置づけ
伝統的教会では、復活祭の前に40日の準備期間として四旬節が置かれる。ただし、この40日には日曜日を含めない。カトリックなど西方教会では、四旬節は灰の水曜日に始まり、主の晩さん(聖木曜日)の夕べのミサの前まで続く。正教会では四旬節を大斎(おおものいみ)ともいう。数え方は若干西方と異なり、日曜日および土曜日を含めず、復活祭の7週前の主日である断酪の主日(赦罪の主日)の日没後から始まり、復活祭前の水曜日(聖大水曜日)に終わる。なお聖公会でも四旬節を大斎と呼ぶが、読みは「たいさい」である。大斎節(たいさいせつ)とも言う。
復活祭前の一週間は「聖週間」「受難週」等と呼ばれ、典礼の中で非常に重要な位置を占めている。まず復活祭前の日曜日は英語でパーム・サンデー(Palm Sunday、「椰子の日曜日」の意。日本語では枝の主日、聖枝祭、復活前主日、棕櫚の主日、受難の主日など)と呼ばれ、大きな主日のひとつとされている。
正教会では受難週のそれぞれの日を、聖大月曜日、聖大火曜日、聖大水曜日、聖大木曜日、聖大金曜日、聖大スボタと呼び、毎日特別の礼拝を行い、イエスのエルサレム入城から受難を経て復活するまでのそれぞれの日を象り記憶する。また西方教会でも、受難の月曜日、受難の火曜日、受難の水曜日、この週の木曜日から土曜日までは特に、聖木曜日(洗足木曜日)、聖金曜日(英語でGood Friday、受難日、受苦日)聖土曜日と呼ばれ、特別の儀式が行われる。多くの教派では復活祭の祝いが始まるのは(ユダヤ暦が日没を一日の始まりとすることから)土曜日の夜からであり、これを復活徹夜祭という。 カトリックでは「過越の三日間」として、人間にあがないをもたらしたキリストの受難と復活を主の過越の出来事として祝う。「過越の三日間」は主の晩さん(聖木曜日)の夕べのミサから、復活の主日の「晩の祈り」までとし、年間を通した典礼暦の最高頂である。中でも復活徹夜祭を最も重要な祭儀として祝い、この日に入信の秘跡(洗礼、堅信、聖体)を授けることが伝統的な習慣となっている。
復活祭から始まる季節が「復活節」(カトリック教会・聖公会の用語)・「復活祭期」(正教会の用語)であり、ペンテコステ(聖霊降臨)の日まで7週間続く。
復活祭に関する習俗
西方教会と東方教会では、伝統的に四旬節および大斎の期間中禁じられていた肉、乳製品、卵(東方教会では魚肉も)が復活祭の日に初めて解禁になるため、復活祭の正餐の食卓にはこれらの動物性食品が並ぶ。また、卵、バター、乳などをふんだんに使った復活祭独特の菓子パンやケーキが作られる。家禽を飼っている家庭では、四旬節および大斎の期間中に生まれたために食べられずにたまっていた卵をまとめて消費するという理由もある。
ドイツでは、オシュターフラーデン(Osterfladen)という円形のパンを食べる。パン生地をウサギの形に成形するとオシュターハーゼ(Osterhase)となる[16]。
スイスのドイツ語圏のオスターフラーデンは、アーモンドとレーズンのタルトである[17]。
イタリアの復活祭の伝統料理は地方によって異なるが、主菜には子羊が好まれる。もっとも有名な食品はコロンバ・パスクァーレ(復活祭のハト)という、ハトをかたどった菓子パンであろう。パン生地に卵を殻ごと入れて焼いた、クッドゥーラ(cuddura)やプッドリーケ(Puddhriche)というパンを作る地域も多い。シチリア島ではペコレッレ(pecorelle)と呼ばれるマルチパンでできた子羊が食べられる。復活祭の翌日の月曜日はパスケッタ(pasquetta、小復活祭の意)と呼ばれる祝日で、戸外でピクニックをする日となっている。
ギリシア神話の神々の信仰が盛んだったシチリアでは、復活祭の伝統行事の中に死から蘇るキリストとハーデースから帰還するペルセポネーの習合と、デーメーテールやアドーニス信仰の名残りが見られる[18]。
スウェーデンでは、ゆで卵をニシンの酢漬けやアンチョビなどと供する。主菜は家庭によって子羊の脚またはサケが供される[19]。
フィンランドでは、東方教会の影響下にあったカレリアではパスハを、その他の地域ではメンミ(Mämmi)というライ麦粉と廃糖蜜のプディングを食べる[20]。
アイスランドでは、子羊肉またはマトンの燻製と、米またはオオムギのミルクプディングを食べる習慣があった[21]。
ポーランドの復活祭の正餐には、ゆで卵、ソーセージ、乳飲み豚のロースト、ハム、おろしたセイヨウワサビなどが並ぶ。デザートにはマズレク(mazurek、長方形のケーキ)やバブカ(babka、クグロフに似た形のケーキ)を食べる[22]。
アカディアには、朝食にゆで卵、昼食に卵とハムまたは塩漬け豚肉、夕食にはオムレツかフラン(パンケーキ)にメープルシロップかメープルシュガーをつけて食べる習慣があった[23]。
イースター・エッグ
復活祭に殻に鮮やかな彩色を施したり、美しい包装をしたゆで卵を出す習慣である。国や地域によっては、復活祭の際に庭や室内のあちこちに隠して子供たちに探させるといった遊びもおこなわれる。近年では卵だけでなく、卵をかたどったチョコレートも広く用いられている。これはもともとヒナが卵から生まれることをイエスが墓から出て復活したことに結びつけたもの、および冬が終わり草木に再び生命が甦る喜びを表したものといわれている。英語圏やドイツではイースター・バニーが運んでくる(または産む)ものとされているが、フランスやイタリアでは教会の鐘が運んでくるものとされている。
また、上記のイースターエッグの探し物遊びにちなんで、ソフトウェアの中に開発者がまぎれこませたメッセージ(開発チームスタッフへの謝辞やスタッフロール)のことも「イースター・エッグ」と呼ばれる。
イースター・バニー
英語圏やドイツでは、ウサギをかたどったチョコレートやパンが作られる。ウサギは多産なので生命の象徴であり、また跳ね回る様子が生命の躍動を表しているといわれる。あるいは、うさぎの目が、月を思い起こさせ、月は欠けて見えなくなっても、また新月から三日月、そして満月となることからやはり復活を表すものとして、キリストの復活のシンボルとされている。
注釈
- ^ 「祭」の表記が教会暦において頻繁に使われる教会(正教、カトリックなど)では「復活祭」の表記が使われ、「祭」と位置づけられ呼ばれるが、「祭」の表記が比較的もしくはあまり使われない教会(聖公会、プロテスタントなど)では「復活日」という表記が一般的であり、「祝日」といった説明がなされる。プロテスタントの参照元である『キリスト教大事典』でも項目名は「復活日」となっていて、その説明冒頭において「祝日」としており「祭」とは書かれて居ない。
- ^ 「パスハ」表記の大本はギリシア語である。ギリシア語: Πάσχαは、古典ギリシア語再建からは「パスカ」と転写し得るが、現代ギリシア語では「パスハ」。新約時代以降のギリシア語の発音はアクセントやイ音化、各種子音の発音等、かなり現代ギリシア語に近くなっていた。正教が優勢な地域におけるスラヴ系言語、ルーマニア語等における、ギリシア語に由来する教会関連の語彙の発音は、中世以降のギリシア語発音に則っている。
- ^ 春分の日の扱いが異なること、正教会では復活祭をユダヤ教の過越とともに祝わないという古い規定をそのまま守っていること、これら二つの違いが東西教会間にある。
- ^ 古典ギリシャ語再建音:パスコー、現代ギリシャ語転写:パスホ
参照元
- ^ 正教会の出典:正教会の復活祭 2003年復活祭フォトレポート(名古屋ハリストス正教会)
- ^ カトリック教会の出典:四旬節 断食(大斎・小斎) カーニバル(カトリック中央協議会)
- ^ a b c プロテスタントの出典:『キリスト教大事典』910頁、教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版
- ^ Пасха + Словарь церковных терминов + Православный Церковный календарь(正教会:教会用語辞典)
- ^ a b c CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Easter(カトリック百科事典)
- ^ 典礼解説 復活節(カトリック中央協議会)
- ^ 日本聖公会 日本聖公会とは
- ^ News & Topics(日本聖書神学校)
- ^ 教団活動(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)
- ^ 正教会用語集 (大阪ハリストス正教会)
- ^ 3月29日、4月1日の欧州金融市場は休場-復活祭前後の祝日 - Bloomberg 2013年8月1日閲覧
- ^ 復活祭の日付の問題(名古屋ハリストス正教会)
- ^ a b c d Easter(The 1911 Classic Encyclopedia)
- ^ V. Rev. Fr. Anastasios Gounaris: Pascha: The New Passover
- ^ ニコライ堂での復活大祭(パスハ)の予告
- ^ Mimi Sheraton. The German Cookbook. Random House, 1966年。452-453頁
- ^ Nika Standen Hazelton. The Swiss Cookbook. Hippocrene, 1998年。164頁
- ^ Carol Field. Celebrating Italy. Harper Perennial, 1997年。410頁
- ^ Natur och Kultur. The Best of Swedish Cooking. 1995年。159頁
- ^ Beatrice A. Ojakangas. The Finnish Cookbook. Crown Publishers, 1989年。230頁
- ^ Nanna Rögnvaldardóttir. Icelandic Food and Cookery, Hippocrene. 2002年。12頁
- ^ Robert & Maria Strybel. Polish Heritage Cookery. Hippocrene, 2005年。
- ^ Marielle Cormier-Boudreau & Melvin Gallant. A Taste of Acadie. Goose Lane, 1991年。16頁
関連項目
外部リンク
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