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ページ「打撃王 (映画)」と「アーユルヴェーダ」の間の差分

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{{Hinduism}}
{{Infobox Film
'''アーユルヴェーダ'''({{lang-sa-short|आयुर्वेद}}、ラテン翻字:{{lang|sa-Latn|aayurveda}})は[[インド大陸]]の伝統的[[医学]]で、[[ユナニ医学]](ギリシャ・アラビア医学)、[[中医学]]と共に世界三大伝統医学のひとつであり、相互に影響し合って発展した。トリ・ドーシャと呼ばれる3つの要素(体液、病素)のバランス崩れると病気になると考えられており、これがアーユルヴェーダの根本理論である。
|作品名=打撃王
|原題=The Pride of the Yankees
|画像=
|画像サイズ=
|画像解説=
|監督=[[サム・ウッド]]
|脚本=[[ジョー・スワーリング]]<br />[[ハーマン・J・マンキウィッツ]]
|原作=[[ポール・ギャリコ]]
|製作=[[サミュエル・ゴールドウィン]]
|製作総指揮=
|出演者=
|音楽=[[リー・ハーライン]]
|主題歌=
|撮影=[[ルドルフ・マテ]]
|編集=[[ダニエル・マンデル]]
|製作会社=
|配給=[[RKO]]
|公開={{flagicon|USA}} [[1942年]][[7月14日]]<br />{{flagicon|Japan}} [[1949年]][[3月8日]]<ref>{{cite web|title=The Pride of the Yankees (1942) - Release dates|publisher=[[インターネット・ムービー・データベース]]|accessdate=2011-03-22|url= http://www.imdb.com/title/tt0035211/releaseinfo}}</ref>
|上映時間=127分
|製作国={{USA}}
|言語=[[英語]]
|製作費=
|興行収入=
|前作=
|次作=
}}
『'''打撃王'''』(''The Pride of the Yankees'')は、[[サム・ウッド]]監督による1942年の[[アメリカ合衆国の映画]]で、元[[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ルー・ゲーリッグ]]の半生を描いた[[伝記映画]]である。


その名は寿命、生気、生命を意味する[[サンスクリット|サンスクリット語]]の「アーユス」({{lang-sa-short|आयुस्}}、ラテン翻字:{{lang|sa-Latn|aayus}})と知識、学を意味する「[[ヴェーダ]]」({{lang-sa-short|वेद}}、ラテン翻字:{{lang|sa-Latn|veda}})の複合語である。[[医学]]のみならず、生活の知恵、[[生命科学]]、[[哲学]]の概念も含んでおり、病気の治療と予防だけでなく、より良い生命を目指すものである。健康の維持・増進や若返り、さらには幸福な人生、不幸な人生とは何かまでを追求する<ref name="小松">[http://shiryokanhp.inm.u-toyama.ac.jp/wakan/mmmw/addition/india-j.html 「インド医学」 小松かつ子] 民族薬物資料館</ref>。文献の研究から、ひとつの体系としてまとめられたのは、早くても紀元前5 - 6世紀と考えられている<ref name="矢野">[[矢野道雄]] 『科学の名著 インド医学概論 チャラカ・サンヒター』 朝日出版社、1988年</ref>。古代ペルシア、ギリシア、[[チベット医学]]など各地の医学に影響を与え、[[インド占星術]]とも深い関わりがある。
== ストーリー ==
{{節stub}}


体系化には、宇宙の根本原理を追求した古層の[[ウパニシャッド]](奥義書,ヴェーダの関連書物)が重要な役割を果たし、[[バラモン教]]・[[六派哲学]]に数えられる[[サーンキヤ学派]]の二元論、[[ヴァイシェーシカ学派]]の自然哲学、[[ニヤーヤ学派]]の論理学<ref name="鷲尾"> [http://ci.nii.ac.jp/els/110001041587.pdf?id=ART0001206399&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1405324480&cp= 「インド人の生命観(2)アーユルヴェーダの生命観」鷲尾倭文] 跡見学園短期大学紀要24</ref>も大いに利用された。
== キャスト ==
* [[ルー・ゲーリッグ]]: [[ゲイリー・クーパー]]
* [[テレサ・ライト]]
* [[ベイブ・ルース]]
* [[ウォルター・ブレナン]]
* [[ダン・デュリエ]]
* [[ダグラス・クロフト]]
* [[ヴァージニア・ギルモア]]
* [[エルザ・ジャンセン]]
* [[ルドウィッグ・ストッセル]]


インドにおける[[イスラーム]]勢力の拡大以降、支配者層や都市部でユナニ医学が主流となり、その隆盛は[[トルコ系]][[イスラーム王朝]]の[[ムガル帝国]](1526 - 1858年)時代に最高潮に達した。一方アーユルヴェーダは、周辺部や貧しい人々の間に受け継がれた。20世紀初頭になると、[[イギリス帝国]]のインド支配に対抗する[[インドのナショナリズム|ナショナリスト]]や、欧米のオリエンタリストたちによって、アーユルヴェーダは「インド伝統医学」として復興し、[[西洋医学]]に対抗して教育制度が整備された<ref name="矢野">矢野道雄 『科学の名著 インド医学概論 チャラカ・サンヒター』 朝日出版社、1988年</ref>。
== スタッフ ==
* [[映画プロデューサー|製作]]:[[サミュエル・ゴールドウィン]]
* [[映画監督|監督]]:[[サム・ウッド]]
* [[脚本]]:[[ジョー・スワーリング]]、[[ハーマン・J・マンキーウィッツ]]
* [[原作]]:[[ポール・ギャリコ]]
* [[撮影監督|撮影]]:[[ルドルフ・マテ]]
* [[音楽]]:[[リー・ハーライン]]


1998年に[[アメリカ国立衛生研究所]](NIH)に[[国立補完代替医療センター]](NCCAM)ができたことをきっかけに注目され<ref name="上馬場・西川">上馬場和夫・西川眞知子『インド伝統医学で健康に!アーユルヴェーダ入門』地球丸、2006年</ref>、現在世界各地で西洋医学の代替手段として利用されている。
== 映画賞ノミネート ==

{| class="wikitable"
== 概要 ==
|-
アーユルヴェーダは、心、体、行動や環境も含めた全体としての調和が、健康にとって重要とみる。このような心身のバランス・調和を重視する考え方を、[[ホーリズム|全体観]](holism)という。古代ギリシャの医師[[ヒポクラテス]]に始まり、[[四体液説|四体液]]の調和を重視するギリシャ・アラビア医学([[ユナニ医学]])や、陰陽・五行のバランスを重視する中医学など、伝統医学の多くが全体観の医学である。
! 映画賞

! 部門
病気になってからそれを治すことより、病気になりにくい心身を作ることを重んじており、病気を予防し健康を維持する「[[予防医学]]」の考え方に立っている。心身のより良いバランスを保つことで、健康が維持されると考えた。具体的には、五大(5つの祖大元素)からなるヴァータ(風)、ピッタ(胆汁)及びカパ(粘液)のトリ・ドーシャ(3つの体液)のバランスが取れていること、食物の消化、老廃物の生成・排泄が順調で、サプタ・ダートゥ(肉体の7つの構成要素)が良い状態であることが挙げられる。また、古典医学書『[[チャラカ・サンヒター]]』では、生命(アーユス)は「身体(シャリーラ)・感覚機能(五感)・精神(サットヴァ)、我([[アートマン]]、自己、魂、真我)」の結合したものであると述べられており<ref name="矢野">矢野道雄 『科学の名著 インド医学概論 チャラカ・サンヒター』 朝日出版社、1988年</ref>、身体だけでなく精神面、さらに魂と表現されるような根源的な面が良い状態であることも健康の条件となる<ref name="小松"></ref>。特に食事が重要視されており、生活指導も行われる。
! 候補者

! 結果
治療には大きく2つがあり、1つは食事、薬、調気法や行動の改善でドーシャのバランスを整える緩和療法(鎮静療法)、もう1つは増大・増悪したドーシャ(体液)やアーマ(未消化物)、マラ(老廃物)などの病因要素を排泄する減弱療法(排出療法, 浄化療法)である。減弱療法では、パンチャカルマ(5つの代表的な治療法、2種類の[[浣腸]]・油剤・下剤・吐剤)と呼ばれる治療法がよく知られている。
|-

| rowspan="11" | [[第15回アカデミー賞|アカデミー賞]]
== 理論 ==
| [[アカデミー作品賞|作品賞]]
=== トリ・ドーシャ(三体液, 三病素) ===
|
{{See also|四体液説}}
| rowspan="9" {{Nom}}
トリ・ドーシャ({{lang|sa|त्रिदोष}})説は、生きているものは全て、ヴァータ({{lang|sa|वात}}・風、風大・空大の複合、運動エネルギー)、ピッタ({{lang|sa|पित्त}}・胆汁または熱<ref name="山内">[http://rakkenho.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-f766.html 武田豊四郎「古代印度の文化」] 磐余山東光寺住職山内宥厳ブログ「磐余山東光寺日誌」</ref>、火大・風大の複合、変換エネルギー)、カパ({{lang|sa|कफ}}・粘液または痰<ref name="山内"></ref>、水大・土大の複合、結合エネルギー)という3要素を持っており、身体のすべての生理機能が支配されているとする説<ref name="ウパディヤヤ">ウパディヤヤ・カリンジェ・クリシュナ, 加藤幸雄(共著) 『アーユルヴェーダで治すアトピー』 出帆新社〈アーユルヴェーダ叢書〉、2002年</ref>。ドーシャ({{lang|sa|दोष}})は、サンスクリット語で「不純なもの、増えやすいもの、体液、病素<ref name="上馬場・西川">上馬場和夫・西川眞知子『インド伝統医学で健康に!アーユルヴェーダ入門』地球丸、2006年</ref>、病気の発生に基本的なレベルで関係する要素、病気を引き起こす最も根本的な原因<ref name="ウパディヤヤ"></ref>」などを意味し、体液もしくは生体エネルギーを指す<ref name="梶田">梶田昭 『医学の歴史』 講談社〈講談社学術文庫〉、2003年</ref>。その異常が「病気のもと」となるため、病素とも訳される<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。3つのドーシャは、さらに15のサブ・ドーシャに分けられ、それぞれに場所と機能がある。
|-

| [[アカデミー主演男優賞|主演男優賞]]
ドーシャは正常な状態では生命を維持し健康を守るエネルギーであるが、増大・増悪すると病気を引き起こす<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。病気とは、15のサブ・ドーシャの機能の悪化による、トリ・ドーシャのバランスの崩れと考えられるが、一般にヴァータの増大・増悪は呼吸器系疾患、精神・神経疾患、循環器障害を、ピッタの増大・増悪は消化器系疾患、肝・胆・膵疾患、皮膚病を、カパの増大・増悪は気管支疾患、糖尿病や肥満、関節炎、アレルギー症状を引き起こすと考えられている<ref name="小松"></ref>。
| ゲイリー・クーパー

|-
ドーシャのバランスを崩す原因としては、体質、時間、日常生活、場所、天体が挙げられ、特に体質(プラクリティ)が重視される。人間は個人により、先天的・後天的に各ドーシャの強さが異なり、性格や体質の違いとして現れる。体質は個性であると同時に、その人の病気へのかかり安さも意味する<ref name="小松"></ref>。アーユルヴェーダでは、各人の体質に合わせた[[食事]]、生活、[[病気]]の治療法があると考え、指導や治療を行う。
| [[アカデミー主演女優賞|主演女優賞]]

| テレサ・ライト
ドーシャは1日のなかで、カパ(6-10時)→ピッタ(10-14時)→ヴァータ(14-18時)→カパ(18-22時)→ピッタ(22-2時)→ヴァータ(2-6時)の順で変化のサイクルがある。また1年のなかでも、カパ(春)→ピッタ(夏)→ヴァータ(晩秋から冬)で増えやすい時期のサイクルがある。人の一生の中でも、カパは若年期(0-30歳)に、ピッタは壮年期(3-60歳)に、ヴァータは老年期に増えやすい。その人の体質上偏っているドーシャが増えやすい時期・時間に、ドーシャのバランスを崩しやすいと考えられる。また、食べ物や日常の行動などでも、ドーシャの量は変化する。
|-

| [[アカデミー脚色賞|脚色賞]]
現在のアーユルヴェーダではドーシャは3つとされるが、外科が取り入れられた古典『スシュルタ・サンヒター』では、第4の体液として血液が挙げられている<ref name="梶田"></ref>。この「血液・粘液・胆汁・風」がペルシャ経由でギリシャに伝わり、「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」を人間の基本体液とする[[四体液説]]の基になったともいわれる。
| ジョー・スワーリング、ハーマン・マンキウィッツ

|-
=== トリ・グナ(三要素、三特性、三徳) ===
| [[アカデミー原案賞|原案賞]]
サーンキヤ学派の特徴の一つにトリ・グナ(三要素、三徳)説があるが(後述)、この理論は他への影響が大きかった。トリ・グナが拮抗し互いにバランスを取ることで、自然界の諸現象や、人間の心身の状態、性格の違いなどが生まれると説明された<ref name="川崎"></ref>。トリ・グナは、アーユルヴェーダでは心の状態を左右するものと考えられ、トリ・ドーシャ説と関連付けられ重視された。アーユルヴェーダでは、心が身体より上位だと考えられており、トリ・ドーシャの内にトリ・グナが含まれていると喩えられる<ref name="上馬場・西川"></ref>。
| ポール・ギャリコ

|-
{| class="wikitable" style="text-align:center;width:70%"
| [[アカデミー撮影賞|撮影賞(白黒)]]
|+ トリ・グナとトリ・ドーシャへの影響
| ルドルフ・マテ
! 要素 !! 本性 !! 作用 !! 色 !! 増加によるドーシャへの影響
|-
|-style="background-color:#ffffff"
| [[アカデミー作曲賞|喜劇映画音楽賞]]
| サットヴァ(純質) || 喜楽 || 照明 || 白色 || 3つのドーシャの調和
| リー・ハーライン
|-style="background-color:#FF0066"
|-
| ラジャス(激質) || 苦憂 || 衝撃・活動 || 赤色 || ヴァータ(風)、ピッタ(胆汁)を乱す
| [[アカデミー美術賞|室内装置賞(白黒)]]
|-style="color:#fff; background-color:#333333"
| ペリー・ファーガソン、ハワード・ブリストル
| タマス(闇質) || 暗愚 || 抑制・隠覆 || 黒色 || カパ(粘液)を乱す
|-
| [[アカデミー視覚効果賞|特殊効果賞]]
| ジャック・コスグローヴ、レイ・ビンガー(撮影)<br />トーマス・T・モールトン(音響)
|-
| [[アカデミー編集賞|編集賞]]
| ダニエル・マンデル
| rowspan="1" {{Won}}
|-
| [[アカデミー録音賞|録音賞]]
| トーマス・モールトン
| rowspan="1" {{Nom}}
|}
|}
ドーシャは、「同じ性質のものが同じ性質のものを増やす」という法則で変化する。動性を持つラジャスが増加すると、怒りやイライラがつのり、動性を持つドーシャであるヴァータ(風)とピッタ(胆汁)を増加させる。安定性・惰性を持つタマスが増加すると、怠惰になり精神活動は停滞し、カパ(粘液)を増加させる<ref name="上馬場・西川"></ref>。このように、ラジャスとタマスの増加は、心身に悪影響を及ぼす。

一方、トリ・グナのひとつであるサットヴァは純粋性を持ち、ドーシャ(不純なもの)を増大させることはない。サットヴァの増大はトリ・ドーシャのバランスを安定させ、精神的には愛情や優しさ、正しい知性、心身の健康をもたらす<ref name="上馬場・西川"></ref>。

=== サプタ・ダートゥ(七構成要素) ===
ダートゥ(Dhatu)は身体を構成する要素で、食物が消化されることで生じる。ドーシャとは違い目に見える物質であり、身体に形を与える<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。この質が健康状態に深く関わると考えられており、その質が優れていることをサーラと言う。摂取した食物は消化されてダートゥが作られ、そのダートゥの一部から別のダートゥが作られる。生成の順序は次のとおりである<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。
# ラサ:乳糜、にゅうび。身体に栄養を与える体液。機能は「滋養」
# ラクタ:血液組織。機能は「命の維持」
# マーンサ:筋肉組織。機能は「塗り包む」
# メーダス:脂肪組織。機能は「潤滑」
# アスティ:骨組織。機能は「形を保つ」
# マッジャー:骨髄組織。機能は「充填」
# シュックラ:生殖組織。機能は「繁殖」
以上の順で、食物から組織が作られる。これらのダートゥを変換するためにはアグニ(消化の火)が働く。

アグニ(消化の火)が正常に働いていれば、食物はうまく消化されてオージャス(活気、活力素)が生み出され、生き生きとした健康な状況となる。オージャスはサプタ・ダートゥの髄質で、各ダートゥの生成過程で少しずつ作られるが、シュックラ(生殖組織)ができる段階で一番多く生成され、心臓に蓄積される<ref name="上馬場・西川"></ref>。オージャスと共に、マラ(汗、尿、便、爪、髪などの排泄物)が生成される。アグニが正常に働かないとアーマ(未消化物, 毒素)が生成され、排泄に異変が起きる。アーマは粘着性が強く、体内の通路を閉塞させて病気を引き起こす<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。

また、トリ・ドーシャはサプタ・ダートゥに依存している。ヴァータはアスティ(骨組織)に、ピッタはラクタ(血液組織)に、カパはそれ以外のダートゥに左右される。アスティが減少すると空間が増えるため、ヴァータが増え、ラクタが増加するとピッタが増え、それ以外のダートゥが増加するとカパが増える<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。

=== アシュターンガ(八科目) ===
{{See also|チャラカ・サンヒター#インド医学の八科目}}
古典『チャラカ・サンヒター』では、医学は八科目(アシュターンガ)<ref name="小松"></ref>からなると述べられ、現代でも同じように8つに分類されている。
* 治病医学
** 内科(Kāya-chikitsā, カーヤ・チキツァー):身体全般における病気の治療。婦人科も含まれる<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。
** 小児科(Kaumāra-bhṛtya, クマーラ・ブリティヤー<ref name="山内">[http://rakkenho.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-f766.html 武田豊四郎「古代印度の文化] 磐余山東光寺住職山内宥厳ブログ「磐余山東光寺日誌」</ref>):産科も含まれる<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。
** 鬼人学(Bhoot-vidyā, ブーダ・ヴィディヤー):精神科学。現代でいう精神病は、[[魔物]]が憑りつくことで起こると考えられていた<ref name="矢野"></ref>。
** 鎖骨より上部の専門科(Śālākya-tantra, シャーラーキャ・タントラ):頭と中心とする鎖骨より上部の治療で、特殊な針などの器具を用いるため「特殊外科学」と呼ばれた<ref name="矢野"></ref>。眼科・耳鼻咽喉科・歯科も含まれる<ref name="ウパディヤヤ"></ref>。
** 外科(Śhalya-chikitsā, シャーリャ・チキツァー):異物の摘出。[[腫瘍]]の治療<ref name="小松"></ref>。
** 毒物学(Agada -tantra, アガダ・タントラ):[[毒物]]・体毒・誤った食べ合わせによる異常に関する治療法<ref name="矢野"></ref>。
* 予防医学
** 不老長寿法(Rasayana-tantra, ラーサーヤナ・タントラ):老年医学、健康延命法。化学的・[[錬金術]]的な処理を含む<ref name="小松"></ref>。
** 強精法(Vājīkaraṇa tantra, ヴァーヂーカラナ・タントラ):[[催淫剤]]と性的若返りの研究<ref name="小松"></ref>。

このように八科目を数えるようになったのがいつなのかははっきりしないが、原始仏典や[[ジャイナ教]]の経典に、毒物学・不老長寿法・強精法を欠く五科目を列挙したものがあるという<ref name="矢野"></ref>。

== 診断 ==
診断を大きく分けると、
# 問診(プラシュナ)
# 触診(スバルシャナ)
# 視診(ダルシャナ)
# 聴診(サブタ・パリクシャー)
に分類できる。

視診には、舌診(ジフワ・パリクシャー)、眼での診断(ネトラ・パリクシャー)など、触診には、脈診(ナーディ・パリクシャー)、他に便や尿、痰などの排泄物でも診断を行う。

== 浄化法・治療法 ==
アーユルヴェーダの浄化法は可能な限り身体に負担を掛けないように時間を掛けて、過剰なドーシャやアーマを身体外に排泄させるために1.前処置→2.中心処置→3.後処置の順番で施される。
# プールヴァカルマ:前処置
#* アーマパーチャナ:アーマ(毒素)の消化法
#* スネハナ・カルマ:油剤法
#* シローダーラー:頭部の浄化、中枢神経の強壮、精神疾患などの治療
#* アビヤンガ( {{lang|sa-Latn|Abhyanga}} ):塗布する意・オイルマッサージのこと。塗布するオイルの種類によって目的が違う。
#* ピリツイル:スネハナカルマ + スウェーダナ・カルマ(発汗法のこと)。王様の治療法と呼ばれ、熱い数リットルのオイルを全身に振り掛けマッサージする。麻痺、リューマチなどの難治性疾患に効果がある。
#* エラキリ:スネハナカルマ+スウェーダナ・カルマ。関節痛、リューマチに効果がある。
#* ナバラキリ(スウェーダナカルマ):ナバラライス(薬米)と {{lang|sa-Latn|Bala}} などの生薬と牛乳を使用する
# プラダーナ・カルマ:中心処置、パンチャカルマ
#* ヴァマナ(催吐法・主に胃・肺・食道・喉の浄化を目的とする):{{lang|sa-Latn|Vaman}}
#* ヴィレチャナ(催下法、下剤):{{lang|sa-Latn|Virechan}}
#* バスティ(浣腸法):{{lang|sa-Latn|Basti}}
#* ナスヤ(点鼻法・主に喉・頭部・顔面を浄化する事を目的とする):{{lang|sa-Latn|Navan}}、{{lang|sa-Latn|Nasya}}
#* ラクタ・モークシャ(瀉血療法):{{lang|sa-Latn|Rakta Moksha}}
# パシュチャートカルマ:後処置
#* シャマナ鎮静法:ドーシャのバランシングとアグニの正常化
#* サンサルジャナ:食餌療法
#* ラサーヤナ:不老長寿法。生薬や鉱物で作られた薬品を摂る。({{lang|sa-Latn|Chavanapurash}} が有名)
#* ヴァジーカラナ:強精法。良い子孫を作る為の方法 ラサーヤナ同様、薬品を摂る。

== 歴史 ==
===インド===
====概史====
{{See also|インドの歴史}}
バラモン教の経典「[[ヴェーダ]]」として、4つの主なヴェーダ『[[リグ・ヴェーダ]]』(紀元前15世紀頃?)、『[[サーマ・ヴェーダ]]』、『[[ヤジュル・ヴェーダ]]』、『[[アタルヴァ・ヴェーダ]]』があり、ヴェーダから生命に関する知識を集大成したウパ・ヴェーダが『アーユルヴェーダ』である。人類の初期の医学・薬学は呪術と結びついたものだが、こういった記述が見られるのは、『リグ・ヴェーダ』と『アタルヴァ・ヴェーダ』だけである。ウパ・ヴェーダは他に 『[[ガンダルヴァ・ヴェーダ]]』(歌舞学<ref name="出帆新社"> [http://ayurvedasociety.com/sruare.html ヴェールを脱いだインド武術].出帆新社</ref>・芸術学<ref name="上馬場・西川"></ref>)、『{{仮リンク|ダヌル・ヴェーダ|en|Dhanurveda}}』(兵法・弓の科学<ref name="出帆新社"> [http://ayurvedasociety.com/sruare.html ヴェールを脱いだインド武術].出帆新社</ref>)、『[[スターパティア・ヴェーダ]]』(建築学・都市設計)がある。

アーユルヴェーダの最古の文献としては、『アグニヴェーシャ・タントラ』(紀元前8世紀頃?)があったと伝えられる。『[[チャラカ・サンヒター]]』は、『アグニヴェーシャ・タントラ』を医師チャラカが改編したものといわれ、その作業は1 - 2世紀までには終わったと考えられている。『アタルヴァ・ヴェーダ』に医学に関する内容が多く、『チャラカ・サンヒター』は、『アタルヴァ・ヴェーダ』のウパンガ(副肢)とされた。4 - 5世紀にジャイナ教、仏教といった新しい宗教や、六派哲学が発展して医学に影響を与え、呪術と医学が切り離されて、経験的・合理的な医学が始まったと考えられる。これがチャラカ、スシュルタの名で纏められた医学体系である。『チャラカ・サンヒター』、『スシュルタ・サンヒター』、『アシュターンガ・フリダヤ・サンヒター』などの古典の段階で、医学体系として完成しており、これらの医学書は現在まで実用的なテキストとして参照されている。古典が現在でも重要視されているため、一見進歩が否定されているように見えるが、実際にはイスラーム文化圏で発展した[[ユナニ医学]]が取り入れられ、アーユルヴェーダの薬草類には[[8世紀]]から[[19世紀]]の文献のものも含まれるなど、新しい要素が取り入れられて柔軟に折衷されている。

====古典の成立====
{{See also|チャラカ・サンヒター}}
アーユルヴェーダを代表する古典『[[チャラカ・サンヒター]]』(チャラカ本集)では、アーユルヴェーダは[[ブラフマー]]神(梵天)によって最初に説かれ、いくつかの神を介して[[インドラ]]神に伝えられた。そしてバラドヴァージャという仙人がインドラ神の元に赴き、教えを受けたと述べられている。{{要出典|範囲=『チャラカ・サンヒター』は『アタルヴァ・ヴェーダ』を根拠とし、三人の仙人が風、水、火について述べることで三元素を解説している|date=2014年7月}}。学術的には、『チャラカ・サンヒタ』ーは[[2世紀]]頃に成立し(文献と成立年代は矛盾しているが、{{要出典|範囲=不祥の太古、無限遠、未来を説明する場合であっても、便宜的に数字を置く慣行がある。仏教も同様である。|date=2014年7月}})ダスグプタ博士は、哲学的な見地から『チャラカ・サンヒター』を分析し、第1巻(総論)第1章ではヴァイシェーシカ学派、第3巻(判断論)第8章ではニヤーヤ学派、第4巻(身体論)第1章ではサーンキヤ学派の思想が説明されていると説明した<ref name="矢野"></ref>。

徹頭徹尾内科を扱う『チャラカ・サンヒター』に対し、クシャトリア(武士王族)と関係が深かったとされる『{{仮リンク|スシュルタ・サンヒター|en|Sushruta Samhita}}』(スシュルタ本集)は外科も扱い、最終的な成立は3 - 4世紀と考えられている<ref name="矢野"></ref>。神々からもたらされたとされ、ブラフマー神の化身と言われる[[十六大国#カーシー王国|カーシー]]の王ダンヴァンタリがスシュルタに話しかける形で医学が説かれる。両書とも基本理論に違いはなく、内科を重視しトリ・ドーシャの不均衡が病気を引き起こすと説明している。

のちに、両書を折衷した『{{仮リンク|アシュターンガフリダヤ・サンヒター|en|Ashtānga Hridayam}}』(八科精髄集)がヴァーグバダによって書かれたが、これは読みやすい医書でインド国外まで広く普及した。また{{仮リンク|マーダヴァ (医者)|en|Madhava-kara}}は、インド医学で初めて一つのテーマを専門的に論じた『病因論』(Rug-vinischaya, または『[[因果|ニダーナ]]』)を書き、これらは現在までアーユルヴェーダのテキストとして使われている。

====影響を与えた思想====
紀元前5・6世紀頃から、バラモン教の祭祀至上主義を打ち破ろうと自由思想家達が活躍し、[[ヴェーダ]]の権威を否定する[[仏教]]、[[ジャイナ教]]のような新宗教が起こり、[[ウパニシャッド]]の哲人たちが活躍し、4世紀頃には[[六派哲学]]が隆盛した。こうした時代の中で、医学から呪術性が排除され体系化され、アーユルヴェーダと呼ばれるようになった。『アタルヴァ・ヴェーダ』などに見られる呪術的な医療は、ウパニシャッドや[[六派哲学]]のひとつ[[サーンキヤ学派]]の二元論、[[ヴァイシェーシカ学派]]の自然哲学、[[ニヤーヤ学派]]の論理学の活用によって、呪術性を排したひとつの体系に整理されたのである。

古代インドの文献のほとんどは正確な年代が不明であり、アーユルヴェーダ最古の文献『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』の成立年代はわからず、相互に言及されていないため前後関係も不明である。その作者とされるチャラカ、スシュルタが生きた時代も不明であり、シュスルタなど紀元前6世紀とする説もあれば、紀元後4世紀とする説もある<ref name="矢野"></ref>。ただし、『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』は特定の個人が書いたものではなく、多くの人間が関わって長い間改編され続け、現在の形になるまで10世紀近くかかったと考えられている<ref name="矢野"></ref>。

=====ウパニシャッド=====
{{main|ウパニシャッド}}
[[ウパニシャッド]](奥義書)は、広義の[[ヴェーダ]]文献の最後を構成する書物である。主なウパニシャッドだけでも13あり、紀元前500年前後の数百年間に成立したと考えられている。全ていずれかのヴェーダに属するとされ、ヴェーダ聖典を伝承する各学派によって伝えられた。

その基本思想は、多様で変化し続けるこの現象世界には、唯一の不変な実体(ブラフマン、梵)が本質として存在し、それが個人の本質(アートマン、我)と同じであるという「[[梵我一如]]」である。ブラフマンは客観的、中性の原理であり、それに対しアートマンは主体的・人格的な原理である。アートマンは元々「息」「気息」を意味し、転じて「生気」「身体」「自身」「自我」「自己」「霊魂」などを意味するようになった。ウパニシャッド哲学の全思想は、すべて[[梵我一如]]の概念の周辺で展開する。

===== 六派哲学 =====
{{main|六派哲学}}
4世紀に[[マガダ国]]から起こった[[グプタ朝]]の元で、世情は安定し豊かなインドの古典文化が花開いた。[[バラモン教]](ばらもん教、婆羅門教, [[ヒンドゥー教]]の前身となる古代インドの宗教)が国教とされ、サンスクリット語が公用語として用いられた。(なお「バラモン教」は近代にヨーロッパ人がつけた造語で、元々バラモン教全体を指す呼称はなかった。)古来より伝わるバラモン教学が整備され、さまざまな学問の系統が確立し、[[スートラ]](根本経典)がまとめられた<ref name="川崎"></ref>。インドの学問のほとんどは、[[輪廻]]からの解脱を目的とし、宗教と哲学がほとんど区別できない点に特徴がある。この時代の正統バラモン教の哲学学派には6系統があり([[六派哲学]])、サーンキヤ学派(数論、すろん)は[[ヨーガ学派]]と、[[ヴァイシェーシカ学派]]は[[ニヤーヤ学派]]と、[[ヴェーダーンタ学派]]は[[ミーマーンサー学派]]と、姉妹学派と呼べるような密接な関係にある。なおこのヨーガ学派は正統バラモン教の一学派であり、12世紀以降に発達した身体的修練・調気等を重んじる[[ハタ・ヨーガ]]とは区別される<ref name="川崎"></ref>。

======サーンキヤ学派======
{{main|サーンキヤ学派|二元論#古代インド}}
伝説では[[カピラ]](紀元前350 - 250頃)に始まるとされる。現存する最古のテキストは、4~5世紀の[[イーシュヴァラクリシュナ]]の『サーンキヤ・カーリカー(頌、じゅ)』であり、厳密な二元論を特徴とし、その徹底性は世界の思想史上でも稀有のものである。サーンキヤ学派は、精神原理としての「神我」([[プルシャ]], Puruṣa/ पुरुष、純粋精神, 自己, アートマンと同意<<ref name="宮本">宮本啓一『インドの「二元論哲学」を読む』 春秋社、2008年</ref>)と、物質原理としての「自性」([[プラクリティ]], Prakriti/ प्रकृति、根本原質)の2つを世界の根源に想定しており、世界の創造・消滅共に神が関わらない点に特徴がある<ref name="川崎">川崎定信『インドの思想』 放送大学教育振興会、1993年3月</ref>。神我の本質は知のみで、純粋清浄・不変で、原子大で多数存在する。生産・活動は行わず、自性を観照するにとどまる。一方自性は、世界形成の質料因であり、非精神的な物質原理であり、唯一のものである。活動性・生産性を有し、世界はこの自性から展開する<ref name="川崎"></ref>。

世界が展開する前の自性には、純質(sattva/ सत्त्व 、サットヴァ)、激質(Rajas/ रजस्、ラジャス)、闇質(tamas/ तमस्、タマス)という三徳(トリ・グナ, 3つの要素)が均衡した静止状態にある。神我の観照(関心)によって激質の活動が起こると、バランスが崩れて世界が開展される。展開の過程は以下の通りである。

# 自性(プラクリティ):根本原質<ref name="川崎"></ref>、自己<ref name="宮本"></ref>
# 大(mahat,マハット)すなわち覚(Buddhi, ブッディ):知の働きの根源状態<ref name="川崎"></ref>、心<ref name="宮本"></ref>
# 我慢(我執, アハンカーラ):自我意識<ref name="川崎"></ref>、統覚<ref name="宮本">宮本啓一『インドの「二元論哲学」を読む』 春秋社、2008年</ref>。(アハンは「私」、カーラは「行為」を意味する<ref> [http://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A9 世界大百科事典 第2版「アハンカーラ」]. 株式会社日立ソリューションズ・ビジネス</ref>)
# 十一根(自己が世界に触れるための11の器官<ref name="宮本">宮本啓一『インドの「二元論哲学」を読む』 春秋社、2008年</ref>)と五唯(知覚器官が捉える対象)
# 五大:5つの元素。五唯の知覚から、それらを担う実体として存在が推測される<ref name="宮本"></ref>

このように展開する自性にたいして、神我に変化はない。十一根・五唯・五大の内容は次の通りである。
* 十一根
** 意(または心根、Manas):思考器官
** 五知根(Jnānendriyas、五感覚器官):目・耳・鼻・舌・皮膚
** 五作根(Karmendriyas、五行動器官):発声器官・把握器官(手)・歩行器官(足)・排泄器官・生殖器官
* 五唯(または五唯量、Pancha Tanmantra、パンチャ・タンマートラ、五微細要素<ref name="川崎"></ref>, 五つの端的なるもの<ref>宮本啓一は『インドの「二元論哲学」を読む』で、音声などは知覚器官にとって、捉えるべき対象として端的にそこにあるものであり、「タンマートラ」の訳は「微細な要素」「素粒子」ではなく「五つの端的なるもの」だと述べている。</ref>):声唯(聴覚でとらえる音声)・触唯(皮膚でとらえる感覚)・色唯(視覚でとらえる色や形)・味唯(味覚でとらえる味)・香唯(嗅覚でとらえる香り・匂い)<ref name="川崎"></ref>
* [[五大]](パンチャ・ブータまたはパンチャ・マハーブータ(pancha [[:en:Mahābhūta|Mahābhūta]])):五唯から展開して生じる五粗大元素<ref name="日本アーユルヴェーダ学会"> [http://ayurvedasociety.com/mizuki09.html アーユルヴェーダからのアドバイスコーナー: 水木可葉]. 日本アーユルヴェーダ学会</ref><ref name="広島大学"> [http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AA12025285/Ann-ResProjCent-CompStudLogic_3_59.pdf ボージャのラサ理論とラサの三段階説 本田善央]. 『比較理論学研究』第3号 広島大学比較論理学プロジェクト研究センター研究成果報告書(2005)</ref>。土大(Pruṭhavī, プリティヴィーもしくはBhumi, ブーミ)・水大(Āpa, アープもしくはJala, ジャラ)・火大(Agni, アグニもしくはTejas, テジャス)・風大(Vāyu, ヴァーユ)の4元素に、元素に存在と運動の場を与える空大(Ākāsh, アーカーシャ, 虚空)を加えた5つ<ref name="川崎"></ref>。

「神我、自性、覚(大)、我慢、十一根、五唯、五大」を合わせて「二十五諦」(二十五の原理)と呼ぶ<ref name="川崎"></ref><ref name="鷲尾"> [http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE07/07-03_indotetsugakukouyou.txt 『井上円了選集 第7巻』「印度哲学綱要」 井上円了 東洋大学 国際哲学研究センター] </ref>。(「諦(Tattva)」は真理を意味する<ref> [http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE07/07-03_indotetsugakukouyou.txt 「「真実」―梵語合成語 satya-kriyā をめぐりて―」原実] 龍谷大学現代インド研究センター </ref>。)

覚は、自性から展開して生じたもので、認識・精神活動の根源であるが、身体の一器官にすぎず、神我とは別のものである。我慢は自己への執着を特徴とし、個体意識・個別化を引き起こすが、覚と同様に物質的なもので、身体の中の一器官とされる。我慢は、物質原理である自性から生じた覚を、精神原理である神我であると誤認してしまう。これが[[輪廻]]の原因だと考えられた。神我は自性を観照することで物質と結合し、物質に限定されることで本来の純粋清浄性を発揮できなくなる。そのため、「覚、我慢、五唯」の結合からなり、肉体の死後も滅びることがない微細身(みさいしん、リンガもしくはリンガ・シャリーラ(liṅga‐śarīra))は神我と共に輪廻に囚われる。神我は本性上すでに解脱した清浄なものであるため、輪廻から解脱するには、自らの神我を清めてその本性を現出させなければならない。そのためには、二十五諦を正しく理解し、ヨーガの修行を行わなければならないとされた<ref name="川崎"></ref>。

解脱のためのヨーガの実修は、サーンキヤ学派やヨーガ学派だけに見られるものではなく、唯物論の立場で輪廻・霊魂を否定する[[チャールヴァーカ]]と、ヴェーダを天与のものとして祭事に専念する[[ミーマーンサー学派]]を除き、古代インド哲学・宗教の多くはヨーガの修行を採用している<ref name="川崎"></ref>。

アーユルヴェーダとヨーガ学派は、共にサーンキヤ学派に大きな影響を受けている。現代の日本ではアーユルヴェーダはヨーガ(ただし現代のヨーガの多くは、ヨーガの密教版ともいうべきハタ・ヨーガの系統である)と共に語られることも多い。しかし、インドで人生の四目的とされる法(ダルマ)、財(アルタ)、愛(カーマ)、解脱(モークシャ)のうち、解脱は医学の説くところではなく<ref name="矢野">矢野道雄 『科学の名著 インド医学概論 チャラカ・サンヒター』 朝日出版社、1988年</ref>、アーユルヴェーダとヨーガはインドでは別々のものとみなされている<ref name="上馬場・西川"></ref>。

======ヴァイシェーシカ学派======
{{main|ヴァイシェーシカ学派}}
ヴァイシェーシカ学派は、この世界が複数の構成要素(原子)から形成されているとするアーランバ・ヴァーダ(積集説)を代表する学派である。開祖[[カナーダ]](別名カナブジュまたはウルーカ、紀元前2世紀頃)が書いたとされる『ヴァイシェーシカ・スートラ』を根本経典とするが、その成立はアーユルヴェーダの古典『チャラカ・サンヒター』が現在の様な形になった年代と相前後している<ref name="矢野"></ref>。この学派では、「実体(実)・属性(徳)・運動(業)・普遍(同)・特殊(異)・内属(和合)」の6つのパダールタ(六句義、六原理、6つの範疇)を想定して世界を分析・解明しようとした。これらの六原理は概念ではなく、実在するものだとされた。実体は、「四大と虚空、時間、方角、アートマン(我)、マナス(意)」からなり、四元素は直接知覚することのできない[[原子]](極微)からなると考えた。原子が2つ以上結合して複合体となり、知覚できるものとなるが、これらの複合体は無常であり、破壊され変化する。属性は「色・香り・味・可触性・数・量・別異性・結合・分離・かなた性・こなた性・知覚作用・快感・不快感・欲求・嫌悪・意志的努力」の17が想定されている<ref name="川崎"></ref>。他のパダールタも同様に、多数の範疇を設定しながら詳細に分析され、現象界の諸事物の構成の説明が試みられている。このような範疇の設定や分析の手法は、『チャラカ・サンヒター』でも用いられている。また、諸範疇・諸元素が統合され、現実世界の諸事物を形成するために、最初の運動を引き起こす動力因として「アドリシュタ(不可見力)」が想定されている<ref name="川崎"></ref>。

ヴァイシェーシカ学派は、きわめて分析的・科学的な自然哲学である。しかしその目的は、これら六実体原理・諸範疇についての正しい知によって、生天・解脱という至福を得ることであり<ref name="川崎"></ref>、他のインド哲学同様宗教的な思想だといえる。

======ニヤーヤ学派======
{{main|ニヤーヤ学派|チャラカ・サンヒター#論議道}}
インドにおいて、正しい論証方法・論理学は古くから研究され、『チャラカ・サンヒター』でも、医師の心得として「論議の道」が44項目にわたって分類・検討されている。論理学を意味する[[ニヤーヤ学派]]は、ガウタマ(50 - 150年頃)を開祖とし、根本経典『ニヤーヤ・スートラ』が伝えられるが、これは250 - 350年頃に現在の形にまとめられたと考えられ、4世紀中頃のヴァーツヤーヤナの注釈によって体系が確立した。

ニヤーヤ学派の世界観は、その多くをヴァイシェーシカ学派に拠っており、独自性は論証方法の研究にある。インドの論理学は認識論と密接な関係にあり、ニヤーヤ学派も「正しい認識とはいかにあるべきか」をメインテーマとし、「直接知覚」「推論」「類比」「信頼できる人の教示・証言」の4つの認識方法を提示した。また、他との論争において、推論は「主張(宗)」「理由(因)」「実例(喩)」「適合(合)」「結論(結)」の「五分作法」にしたがって立証されなければならないと考えた。論争では、それぞれが五分作法にしたがって論議・検討し、ある事柄が妥当だと確定した場合、真実が知られたといえるとされた。

====ユナニ医学====
{{See also|ユナニ医学}}
インドにイスラム教が伝えられたことで、アーユルヴェーダにはユナニ医学の要素が加わった。逆にユナニ医学には、多くのアーユルヴェーダ薬物が取り入れられている。

ユナニ医学はイスラーム勢力の拡大で広がり、[[ムガール帝国]]時代にその勢力は最高潮に達した。アーユルヴェーダとユナニ医学は、対立するよりむしろ共存し、互いの知識・技術を取り入れあったようである。一般に、イスラム教徒が支配する都市部や宮廷、富裕層ではユナニ医学が中心となり、アーユルヴェーダはヒンズー教徒が住む周辺部、貧しい人々の間で命脈を保っていた。アーユルヴェーダ復古主義者の間では、ユナニ医学は西洋医学と共に、アーユルヴェーダ没落の原因であるといわれるが、実際にはユナニ医学がアーユルヴェーダを生きながらえさせたと考えられている<ref name="矢野"></ref>。

====西洋医学====
{{See also|西洋医学|インドのナショナリズム|ヒンドゥー・ナショナリズム}}
16世紀初めにインドに進出してきたヨーロッパ人たちは、アーユルヴェーダ・ユナニ医学共に原始的で未熟な医学として軽蔑した。しかし18世紀の終わりに、サンスクリット語で書かれたインドの伝統的学問がヨーロッパの学者の関心を集めると、サンスクリット語による医学書も注目を集めた。

19世紀中ごろから近代教育が広がると、インドの伝統的な学者(バンディット)たちは自らの伝統に目覚め、復古主義的運動が起こった。西洋医学を教える大学がインドに開かれた後に、それに対抗する形でアーユルヴェーダの教育制度も整えられていった。アーユルヴェーダは、愛国心の高まりとともに、「インド伝統医学」として復興・普及し、20世紀の独立運動と共にさらに盛んになった。

アーユルヴェーダの隆盛には、莫大な人口を抱え貧困層も多いインドでは、高額な西洋医学ですべての人の医療をまかなえないことも関係している。また、保守的な国民性のため、西洋医学になじめない人も多いという。

現在インドでアーユルヴェーダを教える大学は100を越え、大学院が併設された大学もある。アーユルヴェーダ医師の資格を取って開業することもできる。

====折衷主義と復古主義====
西洋医学がインドに伝えられ、その有効性が示されると、アーユルヴェーダの医者は折衷派と復古派に分かれた。折衷派は西洋医学を取り入れた治療を行い、現代の機器を用いた診断も行う。一方復古主義者は、イスラムとイギリスの支配によってアーユルヴェーダは堕落したと考え、ユナニ医学・西洋医学を排して純粋なアーユルヴェーダに戻れば西洋医学に優ると主張する<ref name="矢野"></ref>。

両者は激しく争っており、特にスリランカで顕著である。1957年に、スリランカの伝統医学委員会委員長であった自治大臣が暗殺されたが、これは狂信的なアーユルヴェーダ復古主義者の犯行だといわれる<ref name="矢野"></ref>。

=== 日本 ===
==== 仏教医学伝来から昭和まで ====
アーユルヴェーダで利用される薬物は、仏教と共に中国に伝えられ、7 - 8世紀頃には遣唐使らによって日本に伝来した。[[正倉院]]に伝わる薬物の中には、アーユルヴェーダ薬物を起源とするものが多数あると言われる。また、日本最古の医学書『[[医心方]]』(982 - 984)には、アーユルヴェーダに強い影響を受けた[[仏教医学]]が多少説明されている<ref name="学会"> [http://ayurvedasociety.com/application.pdf 「日本アーユルヴェーダ学会の歩みと具現化への道」田澤賢次*]. 日本統合医療学会誌 第3巻第1号(2010)</ref>。ただ日本の医療は、5世紀初頭に[[中医学]]が伝来して以来、[[漢方]](和法)として独自に発展を遂げ、明治までそれが主流であった。現在でも漢方は代替医療として、医師、[[鍼灸師]]、[[柔道整復師]]らによって広く行われている。一方アーユルヴェーダが本格的に日本に紹介されるのは、鎖国の関係もあり大正になってからである。

日本でのインド医学の研究は、1921年(大正10年)に泉芳環「印度の医方及び薬物─ヘルンの図書の解説としてー」(仏教研究2巻4号)が研究誌に初めて掲載され、続いて1923 年(大正1年)に、同氏の「印度の古典に顕われたる医方及び薬物について」(仏教研究 4巻1号)、根淵竹孫「仏典より見たる古代印度の医学思想」(大乗2巻8号~3巻4号までの6編)があり、宇井伯寿によって「チャラカ本集に於ける論理説」の論文が印度学仏教学研究2巻に登場する<ref name="学会"></ref>。

==== 昭和以降の研究 ====
昭和に入ってからは、大地原誠玄によるアーユルヴェーダ古典の翻訳「国訳古代印度医典チャラカ本集」(立命館大学1巻10~4巻3号までの7編)、「シュスルタ医学」(大乗13巻4号~14巻4号)が発表され、1941年(昭和16年)には、の大地原誠玄によるサンスクリット語から翻訳「ススルタ本集」が出版された。戦後の研究論文としては、1961年(昭和36年)の善波周による「インド医学おける科学と論理」(印度学仏教学研究 9巻2号)が最初である<ref name="学会"></ref>。

本格的な研究は、1967年(昭和42年)のインド伝承医学研究会の設立に始まる。研究会設立後、研究会誌が発刊され、現在まで580編以上、3,400ページ以上にわたる多くの論文が書かれた<ref name="学会"></ref>。同研究会は、幡井勉(東邦大学医学部教授)、丸山昌郎(日本民族医学研究所)らによって設立され、1968年(昭和43年)にインド伝承医学研究調査視察団が丸山博(大阪大学医学部教授)、幡井勉、石原明、岡部索道ら9名がインドを訪問し<ref name="学会"></ref>、インドのグジャラート・アーユルヴェーダ大学<ref name="現状"> [http://www2.begin.or.jp/ytokoji/ayurveda/uebaba/uebabaayu.html 「日本におけるアーユルヴェーダの現状と将来」上馬場和夫]. 富山県国際伝統医学センター次長</ref>や研究所を視察した。翌年1969 年(昭和44年)には、丸山博教授が所属する大阪大学で、アーユルヴェーダセミナーが初めて開講された<ref name="学会"></ref>。

1970 年(昭和45年)には、丸山博教授らの呼びかけでアーユルヴェーダ研究準備会が発足し、同年アーユルヴェーダ研究会が有志約50名により設立された(会長:丸山博、事務局:大阪大学医学部衛生学教室)<ref name="学会"></ref>。幡井勉は、東洋伝承医学研究所、ハタイクリニックを設立し、アーユルヴェーダと現代医学医を統合して治療を行った。また、稲村晃江はグジャラート・アーユルヴェーダ大学に入学し、5年間の教学課程を修了し日本人として初めてインド国家認定アーユルヴェーダ医師として認められ、さらに大学院も修了した<ref name="現状"></ref>。

1980年代には、アーユルヴェーダ医師クリシュナ U.Kが、東洋伝承医学研究所の副所長として活動し、日本語のアーユヴェーダの教科書を著した。1994年には、東洋伝承医学研究所で、専門家向け・素人向けの2本立てでアーユルヴェーダの教育プログラムが開始した<ref name="現状"></ref>。

1985年(昭和60年)第7回日本アーユルヴェーダ研究会総会で、日本初のアーユルヴェーダの臨床応用としてクシャーラ・スートラ(痔瘻の治療)<ref> [http://www.rakuwa.or.jp/otowa/shinryoka/koumon-ksharasutra.html クシャーラ・スートラとは|肛門科]. 洛和会音羽病院</ref>の臨床成績が報告された<ref name="学会"></ref>。1987年(昭和6年)には日本アーユルヴェーダ研究会にヨーガ療法の研究者も加わり、学術発表の範囲も大きく変化した<ref name="現状"></ref>。

==== 一般への普及と現状 ====
{{See also|医行為|医業類似行為|代替医療}}
1989年(平成1年)には、NHKで「中国・インド伝承医学」が放映され、一般に広く浸透した。1998年、アーユルヴェーダ研究会は日本アーユルヴェーダ学会(The Society of Ayurveda in Japan)に名称を改めた<ref name="学会"></ref>。

2008年(平成20年)、第30回日本アーユルヴェーダ学会総会が開催され、会長の稲村晃江(アーユルヴェーダ医師)
の尽力で、日本アーユルヴェーダ研究会誌全37巻から優れた論文を抜粋した論文集が発刊され、過去の日本アーユルヴェーダ研究が集大成された<ref name="学会"></ref>。

日本アーユルヴェーダ学会は、日本の医療制度の中でアーユルヴェーダ医学の役割を明らかにし、広く治療をこなうために、「アーユルヴェーダの標準化と資格制度」に取り組んでいる<ref name="学会"></ref>。現在日本においてアーユルヴェーダの国家資格は存在しないが、催吐法、催下法などのパンチャカルマ(浄化療法)、ネトラタルパナ(オイルに薬草粉を混ぜて点眼する眼の治療)のような点眼および目の洗浄、診断・薬剤の処方など、[[治療]]の多くは[[医行為]]に当たると考えられ<ref> [http://www.ganka.jp/ikoui.htm 医行為とされた凡例 医行為とは]. 新長田眼科病院 眼科医専門ページ</ref>、医師がアーユルヴェーダを行う少数の病院でしか治療を受けることはできない(インドのアーユルヴェーダ医師の免許を持っていても、日本では医師免許が必須である)。医師向けのアーユルヴェーダの教育機関もごくわずかしか存在せず<ref name="現状"></ref>、注目を集めつつあるとはいえ、日本では広く治療が行われているとは言えない。

アーユルヴェーダは、アメリカ経由で日本に紹介されたヨーガの人気に伴い、1990年代に一時的にブームとなった。現在日本では、その名を冠したマッサージサロン、エステティックサロンが多く存在する。その治療法の大部分は医行為に当たるため、多くのサロンでは、アーユルヴェーダの思想のエッセンスやマッサージの技法を取り入れた「アーユルヴェーダ・マッサージ」や、アーユルヴェーダ薬物を用いた薬茶を供するなど、ごく一部の療法を用いて施術を行っている。そのため、アーユルヴェーダは「インド式オイルエステ」などの別名で呼ばれることもあり、痩身マッサージやエステティックの一種だという短絡的な認識が広まっている<ref name="資格"> [http://ayurvedasociety.com/sruare.html 「日本アーユルヴェーダ学会資格認定制度」上馬場和夫]. 日本アーユルヴェーダ学会</ref>。また、週刊誌で風俗マッサージ店がアーユルヴェーダを名乗るなどの記事もあり、本来の全体的な生命科学としてのアーユルヴェーダとは正反対の用例が数多くみられる<ref name="資格"></ref>。総合的な医療であるアーユルヴェーダから、一部の療法に限定して治療を行うことはできないため、日本のサロンで行われるアーユルヴェーダは、その名に反してエステティックもしくはリラクゼーションの一種であり、伝統医療としてのアーユルヴェーダとは区別して考える必要がある。

アーユルヴェーダ薬物は、日本では健康食品や健康茶として徐々に人気となっており、そのほとんどは輸入に頼っている。しかし、薬事法違反の危険性があるような販売方法がされたり、薬食同源・方剤原理が忘れられ、単一の薬草だけの効果がアピールされるなど、様々な問題が生じている<ref name="資格"></ref>。また、漢方薬同様、現代医学の枠ぐみの中で薬効や処方が判断されてしまうことも多い<ref name="資格"></ref>。

日本にはアーユルヴェーダの研究施設はほとんどない。1999年に設立された富山県国際伝統医学センターでは、アーユルヴェーダを含めた世界中の代替医療が研究されていたが、2008年から研究は富山大学に移管され、センターは2010年に廃止された<ref> [http://www.pref.toyama.jp/sections/1002/hyouka/22hyouka/04kousei/06kenkou/040636.pdf 事業評価表 国際伝統医学センター運営管理費]. 富山県</ref>。

== 関連項目 ==
* [[チャラカ・サンヒター]]
* [[伝統医学]]
* [[シッダ医学]](南インドの伝統医学)
* [[ユナニ医学]](ギリシャ・アラビア医学)
* [[四体液説]](体液病理説)
* [[チベット医学]]
* {{仮リンク|ジャムウ|en|Jamu}}(インドネシアの伝統医学)
* [[インド占星術|ジョーティシュ]](インド占星術)
* [[ヴァーストゥ・シャーストラ]](インド風水・家相学・建築環境学)
* [[中医学]]

==脚注==
<references/>


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
アーユルヴェーダ古典
{{Reflist}}
* 大地原誠玄(訳)「国訳古代印度医典チャラカ本集」「立命館大学」1巻10~4巻3号までの7編, 第1巻第16章までをサンスクリット語から和訳
* 大地原誠玄(訳)「シュスルタ医学」「大乗」13巻4号~14巻4号, サンスクリット語から和訳
* 大地原誠玄(訳)『スシュルタ本集』1971年・アーユルヴェーダ研究会, 昭和54年・臨川書店, サンスクリット語から和訳
* [[矢野道雄]](訳)『インド医学概論』1988年・朝日出版社, 『チャラカ・サンヒター』第1巻「医学概論」をサンスクリット語から和訳。付論「『チャラカ・サンヒター』「身体論」第1章とヴァイシェーシカ哲学』アントネッラ・コンバ
*クンジャ・ラル・ビシャグラットナ(英訳)、伊東弥恵治(原訳)、鈴木正夫(補訳) 『ススルタ大医典』全3巻;ススルタ大医典出版委員会・1971年, 人間と歴史社・2005年10月, 「英訳本『THE SUSHRUTA SAMHITA』(1907)からの重訳, ISBN 489007158X
* 山下勤「インド伝統医学書『チャラカ・サンヒター』における病理論―『チャラカ・サンヒター』第二篇第一章第一~十五節訳解―」「日本医史学雑誌」第52巻第3号・2006年
* 日本アーユルヴェーダ学会(訳)『チャラカ本集 総論篇―インド伝承医学』2011年・せせらぎ出版, 『チャラカ本集』英訳本を底本とした重訳。サンスクリット語ローマ字表記・英語・日本語の3ヵ国語併記。ISBN 9784884162047
なお、『アシュターンガフリダヤ・サンヒター』のスートラスターナ(第1巻)は、かつて出版が企画され矢野道雄によって翻訳されているが、現在まで出版されていない。

アーユルヴェーダ関連
*クリュシナ・U・K著 『アーユルヴェーダ入門』東方出版・1993年
* 蓮村誠 『ファンタスティック・アーユルヴェーダ』 住宅新報社・1995年10月、知玄舎・2010年9月、ISBN 4434140450
* [[上馬塲和夫]]、西川眞知子『インドの生命科学 アーユルヴェーダ』[[農山漁村文化協会]]、1996年4月 ISBN 4540950878
*青山圭秀『大いなる生命学―アーユルヴェーダの精髄』、三五館、1997年12月 ISBN 4883201341
* シャンタ・ゴーダガマヤ『アーユルヴェーダハンドブック』上馬場和夫、西川眞知子、日高陵好訳、[[日経BP社]]、1998年9月 ISBN 4822290905
* デイビッド・フローリー、ヴァサント・ラッド、上馬塲和夫『アーユルヴェーダのハーブ医学 東西融合の薬草治療学』出帆新社、2000年5月 ISBN 491549747X
* [[幡井勉]]『新版 アーユルヴェーダの世界―統合医療へ向けて』出帆新社、2003年10月 ISBN 486103003X
* 上馬塲和夫、西川眞知子『アーユルヴェーダ入門 インド伝統医学で健康に!』[[地球丸]]、2006年3月 ISBN 4860671244
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* デイヴィッド・フローリー、スバーシュ・ラナーデ、アヴィナーシュ・レーレ著、上馬塲和夫著・監修『改訂 アーユルヴェーダとマルマ療法』西川眞知子監修、大田直子訳、産調出版、2009年3月 ISBN 4882826976

その他
* 川崎定信『インドの思想』 放送大学教育振興会、1993年3月


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcam/1/1/1_1_63/_pdf 「伝統医学の可能性」上馬場和夫] 日本補完代替医療学会誌 第1巻第1号 2004年2月
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* [http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/156970/2/D_Yamashita_Tsutomu.pdf 「インド伝統医学文献における個体論 - ĀyurvedaにおけるŚārīrasthānaの研究」山下勤] 京都大学
* [http://ci.nii.ac.jp/els/110004065610.pdf?id=ART0006327957&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1405868096&cp= 「傷寒論の三陽三陰説は中国医学の独創なりや? アユルベーダ医学との関連を推測する」水野修一] 日本東洋醫學雜誌56(別冊)
* [http://ci.nii.ac.jp/els/110007503652.pdf?id=ART0009333607&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1405867656&cp= 「古代インド医学における精神障害(unmada)」吉次通泰] 印度學佛教學研究58(1)
* [http://ci.nii.ac.jp/els/110007409403.pdf?id=ART0009260984&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1405868461&cp= 「インドにおける民俗医療の諸相 : ケーララの部族医療を中心として」古賀万由里] 哲學107 慶應義塾大学
* [http://www.ircp.jp/enryo_senshu/text/INOUE07/07-03_indotetsugakukouyou.txt 『井上円了選集 第7巻』「印度哲学綱要」 井上円了] 東洋大学 国際哲学研究センター
* [http://tozai-astrology.com/jyotish/reference/index.html インド占星術簡易レファレンス] 東西占星術研究所
* [http://apps.who.int/medicinedocs/documents/s17552en/s17552en.pdf Ayurveda: Benchmarks for trainings in traditional/complementary and alternative medicine] 世界保健機構 (WHO)
*[http://nlam.in/search_module.php National Library of Ayurveda Medicine ]
* [http://www.fda.gov/ForConsumers/ConsumerUpdates/ucm050798.htm Use Caution With Ayurvedic Products] – アメリカ食品医薬品局(US FDA)によるアーユルヴェーダ製品のガイドライン

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2014年8月10日 (日) 06:07時点における版

アーユルヴェーダ: आयुर्वेद、ラテン翻字:aayurveda)はインド大陸の伝統的医学で、ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)、中医学と共に世界三大伝統医学のひとつであり、相互に影響し合って発展した。トリ・ドーシャと呼ばれる3つの要素(体液、病素)のバランス崩れると病気になると考えられており、これがアーユルヴェーダの根本理論である。

その名は寿命、生気、生命を意味するサンスクリット語の「アーユス」(: आयुस्、ラテン翻字:aayus)と知識、学を意味する「ヴェーダ」(: वेद、ラテン翻字:veda)の複合語である。医学のみならず、生活の知恵、生命科学哲学の概念も含んでおり、病気の治療と予防だけでなく、より良い生命を目指すものである。健康の維持・増進や若返り、さらには幸福な人生、不幸な人生とは何かまでを追求する[1]。文献の研究から、ひとつの体系としてまとめられたのは、早くても紀元前5 - 6世紀と考えられている[2]。古代ペルシア、ギリシア、チベット医学など各地の医学に影響を与え、インド占星術とも深い関わりがある。

体系化には、宇宙の根本原理を追求した古層のウパニシャッド(奥義書,ヴェーダの関連書物)が重要な役割を果たし、バラモン教六派哲学に数えられるサーンキヤ学派の二元論、ヴァイシェーシカ学派の自然哲学、ニヤーヤ学派の論理学[3]も大いに利用された。

インドにおけるイスラーム勢力の拡大以降、支配者層や都市部でユナニ医学が主流となり、その隆盛はトルコ系イスラーム王朝ムガル帝国(1526 - 1858年)時代に最高潮に達した。一方アーユルヴェーダは、周辺部や貧しい人々の間に受け継がれた。20世紀初頭になると、イギリス帝国のインド支配に対抗するナショナリストや、欧米のオリエンタリストたちによって、アーユルヴェーダは「インド伝統医学」として復興し、西洋医学に対抗して教育制度が整備された[2]

1998年にアメリカ国立衛生研究所(NIH)に国立補完代替医療センター(NCCAM)ができたことをきっかけに注目され[4]、現在世界各地で西洋医学の代替手段として利用されている。

概要

アーユルヴェーダは、心、体、行動や環境も含めた全体としての調和が、健康にとって重要とみる。このような心身のバランス・調和を重視する考え方を、全体観(holism)という。古代ギリシャの医師ヒポクラテスに始まり、四体液の調和を重視するギリシャ・アラビア医学(ユナニ医学)や、陰陽・五行のバランスを重視する中医学など、伝統医学の多くが全体観の医学である。

病気になってからそれを治すことより、病気になりにくい心身を作ることを重んじており、病気を予防し健康を維持する「予防医学」の考え方に立っている。心身のより良いバランスを保つことで、健康が維持されると考えた。具体的には、五大(5つの祖大元素)からなるヴァータ(風)、ピッタ(胆汁)及びカパ(粘液)のトリ・ドーシャ(3つの体液)のバランスが取れていること、食物の消化、老廃物の生成・排泄が順調で、サプタ・ダートゥ(肉体の7つの構成要素)が良い状態であることが挙げられる。また、古典医学書『チャラカ・サンヒター』では、生命(アーユス)は「身体(シャリーラ)・感覚機能(五感)・精神(サットヴァ)、我(アートマン、自己、魂、真我)」の結合したものであると述べられており[2]、身体だけでなく精神面、さらに魂と表現されるような根源的な面が良い状態であることも健康の条件となる[1]。特に食事が重要視されており、生活指導も行われる。

治療には大きく2つがあり、1つは食事、薬、調気法や行動の改善でドーシャのバランスを整える緩和療法(鎮静療法)、もう1つは増大・増悪したドーシャ(体液)やアーマ(未消化物)、マラ(老廃物)などの病因要素を排泄する減弱療法(排出療法, 浄化療法)である。減弱療法では、パンチャカルマ(5つの代表的な治療法、2種類の浣腸・油剤・下剤・吐剤)と呼ばれる治療法がよく知られている。

理論

トリ・ドーシャ(三体液, 三病素)

トリ・ドーシャ(त्रिदोष)説は、生きているものは全て、ヴァータ(वात・風、風大・空大の複合、運動エネルギー)、ピッタ(पित्त・胆汁または熱[5]、火大・風大の複合、変換エネルギー)、カパ(कफ・粘液または痰[5]、水大・土大の複合、結合エネルギー)という3要素を持っており、身体のすべての生理機能が支配されているとする説[6]。ドーシャ(दोष)は、サンスクリット語で「不純なもの、増えやすいもの、体液、病素[4]、病気の発生に基本的なレベルで関係する要素、病気を引き起こす最も根本的な原因[6]」などを意味し、体液もしくは生体エネルギーを指す[7]。その異常が「病気のもと」となるため、病素とも訳される[6]。3つのドーシャは、さらに15のサブ・ドーシャに分けられ、それぞれに場所と機能がある。

ドーシャは正常な状態では生命を維持し健康を守るエネルギーであるが、増大・増悪すると病気を引き起こす[6]。病気とは、15のサブ・ドーシャの機能の悪化による、トリ・ドーシャのバランスの崩れと考えられるが、一般にヴァータの増大・増悪は呼吸器系疾患、精神・神経疾患、循環器障害を、ピッタの増大・増悪は消化器系疾患、肝・胆・膵疾患、皮膚病を、カパの増大・増悪は気管支疾患、糖尿病や肥満、関節炎、アレルギー症状を引き起こすと考えられている[1]

ドーシャのバランスを崩す原因としては、体質、時間、日常生活、場所、天体が挙げられ、特に体質(プラクリティ)が重視される。人間は個人により、先天的・後天的に各ドーシャの強さが異なり、性格や体質の違いとして現れる。体質は個性であると同時に、その人の病気へのかかり安さも意味する[1]。アーユルヴェーダでは、各人の体質に合わせた食事、生活、病気の治療法があると考え、指導や治療を行う。

ドーシャは1日のなかで、カパ(6-10時)→ピッタ(10-14時)→ヴァータ(14-18時)→カパ(18-22時)→ピッタ(22-2時)→ヴァータ(2-6時)の順で変化のサイクルがある。また1年のなかでも、カパ(春)→ピッタ(夏)→ヴァータ(晩秋から冬)で増えやすい時期のサイクルがある。人の一生の中でも、カパは若年期(0-30歳)に、ピッタは壮年期(3-60歳)に、ヴァータは老年期に増えやすい。その人の体質上偏っているドーシャが増えやすい時期・時間に、ドーシャのバランスを崩しやすいと考えられる。また、食べ物や日常の行動などでも、ドーシャの量は変化する。

現在のアーユルヴェーダではドーシャは3つとされるが、外科が取り入れられた古典『スシュルタ・サンヒター』では、第4の体液として血液が挙げられている[7]。この「血液・粘液・胆汁・風」がペルシャ経由でギリシャに伝わり、「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」を人間の基本体液とする四体液説の基になったともいわれる。

トリ・グナ(三要素、三特性、三徳)

サーンキヤ学派の特徴の一つにトリ・グナ(三要素、三徳)説があるが(後述)、この理論は他への影響が大きかった。トリ・グナが拮抗し互いにバランスを取ることで、自然界の諸現象や、人間の心身の状態、性格の違いなどが生まれると説明された[8]。トリ・グナは、アーユルヴェーダでは心の状態を左右するものと考えられ、トリ・ドーシャ説と関連付けられ重視された。アーユルヴェーダでは、心が身体より上位だと考えられており、トリ・ドーシャの内にトリ・グナが含まれていると喩えられる[4]

トリ・グナとトリ・ドーシャへの影響
要素 本性 作用 増加によるドーシャへの影響
サットヴァ(純質) 喜楽 照明 白色 3つのドーシャの調和
ラジャス(激質) 苦憂 衝撃・活動 赤色 ヴァータ(風)、ピッタ(胆汁)を乱す
タマス(闇質) 暗愚 抑制・隠覆 黒色 カパ(粘液)を乱す

ドーシャは、「同じ性質のものが同じ性質のものを増やす」という法則で変化する。動性を持つラジャスが増加すると、怒りやイライラがつのり、動性を持つドーシャであるヴァータ(風)とピッタ(胆汁)を増加させる。安定性・惰性を持つタマスが増加すると、怠惰になり精神活動は停滞し、カパ(粘液)を増加させる[4]。このように、ラジャスとタマスの増加は、心身に悪影響を及ぼす。

一方、トリ・グナのひとつであるサットヴァは純粋性を持ち、ドーシャ(不純なもの)を増大させることはない。サットヴァの増大はトリ・ドーシャのバランスを安定させ、精神的には愛情や優しさ、正しい知性、心身の健康をもたらす[4]

サプタ・ダートゥ(七構成要素)

ダートゥ(Dhatu)は身体を構成する要素で、食物が消化されることで生じる。ドーシャとは違い目に見える物質であり、身体に形を与える[6]。この質が健康状態に深く関わると考えられており、その質が優れていることをサーラと言う。摂取した食物は消化されてダートゥが作られ、そのダートゥの一部から別のダートゥが作られる。生成の順序は次のとおりである[6]

  1. ラサ:乳糜、にゅうび。身体に栄養を与える体液。機能は「滋養」
  2. ラクタ:血液組織。機能は「命の維持」
  3. マーンサ:筋肉組織。機能は「塗り包む」
  4. メーダス:脂肪組織。機能は「潤滑」
  5. アスティ:骨組織。機能は「形を保つ」
  6. マッジャー:骨髄組織。機能は「充填」
  7. シュックラ:生殖組織。機能は「繁殖」

以上の順で、食物から組織が作られる。これらのダートゥを変換するためにはアグニ(消化の火)が働く。

アグニ(消化の火)が正常に働いていれば、食物はうまく消化されてオージャス(活気、活力素)が生み出され、生き生きとした健康な状況となる。オージャスはサプタ・ダートゥの髄質で、各ダートゥの生成過程で少しずつ作られるが、シュックラ(生殖組織)ができる段階で一番多く生成され、心臓に蓄積される[4]。オージャスと共に、マラ(汗、尿、便、爪、髪などの排泄物)が生成される。アグニが正常に働かないとアーマ(未消化物, 毒素)が生成され、排泄に異変が起きる。アーマは粘着性が強く、体内の通路を閉塞させて病気を引き起こす[6]

また、トリ・ドーシャはサプタ・ダートゥに依存している。ヴァータはアスティ(骨組織)に、ピッタはラクタ(血液組織)に、カパはそれ以外のダートゥに左右される。アスティが減少すると空間が増えるため、ヴァータが増え、ラクタが増加するとピッタが増え、それ以外のダートゥが増加するとカパが増える[6]

アシュターンガ(八科目)

古典『チャラカ・サンヒター』では、医学は八科目(アシュターンガ)[1]からなると述べられ、現代でも同じように8つに分類されている。

  • 治病医学
    • 内科(Kāya-chikitsā, カーヤ・チキツァー):身体全般における病気の治療。婦人科も含まれる[6]
    • 小児科(Kaumāra-bhṛtya, クマーラ・ブリティヤー[5]):産科も含まれる[6]
    • 鬼人学(Bhoot-vidyā, ブーダ・ヴィディヤー):精神科学。現代でいう精神病は、魔物が憑りつくことで起こると考えられていた[2]
    • 鎖骨より上部の専門科(Śālākya-tantra, シャーラーキャ・タントラ):頭と中心とする鎖骨より上部の治療で、特殊な針などの器具を用いるため「特殊外科学」と呼ばれた[2]。眼科・耳鼻咽喉科・歯科も含まれる[6]
    • 外科(Śhalya-chikitsā, シャーリャ・チキツァー):異物の摘出。腫瘍の治療[1]
    • 毒物学(Agada -tantra, アガダ・タントラ):毒物・体毒・誤った食べ合わせによる異常に関する治療法[2]
  • 予防医学
    • 不老長寿法(Rasayana-tantra, ラーサーヤナ・タントラ):老年医学、健康延命法。化学的・錬金術的な処理を含む[1]
    • 強精法(Vājīkaraṇa tantra, ヴァーヂーカラナ・タントラ):催淫剤と性的若返りの研究[1]

このように八科目を数えるようになったのがいつなのかははっきりしないが、原始仏典やジャイナ教の経典に、毒物学・不老長寿法・強精法を欠く五科目を列挙したものがあるという[2]

診断

診断を大きく分けると、

  1. 問診(プラシュナ)
  2. 触診(スバルシャナ)
  3. 視診(ダルシャナ)
  4. 聴診(サブタ・パリクシャー)

に分類できる。

視診には、舌診(ジフワ・パリクシャー)、眼での診断(ネトラ・パリクシャー)など、触診には、脈診(ナーディ・パリクシャー)、他に便や尿、痰などの排泄物でも診断を行う。

浄化法・治療法

アーユルヴェーダの浄化法は可能な限り身体に負担を掛けないように時間を掛けて、過剰なドーシャやアーマを身体外に排泄させるために1.前処置→2.中心処置→3.後処置の順番で施される。

  1. プールヴァカルマ:前処置
    • アーマパーチャナ:アーマ(毒素)の消化法
    • スネハナ・カルマ:油剤法
    • シローダーラー:頭部の浄化、中枢神経の強壮、精神疾患などの治療
    • アビヤンガ( Abhyanga ):塗布する意・オイルマッサージのこと。塗布するオイルの種類によって目的が違う。
    • ピリツイル:スネハナカルマ + スウェーダナ・カルマ(発汗法のこと)。王様の治療法と呼ばれ、熱い数リットルのオイルを全身に振り掛けマッサージする。麻痺、リューマチなどの難治性疾患に効果がある。
    • エラキリ:スネハナカルマ+スウェーダナ・カルマ。関節痛、リューマチに効果がある。
    • ナバラキリ(スウェーダナカルマ):ナバラライス(薬米)と Bala などの生薬と牛乳を使用する
  2. プラダーナ・カルマ:中心処置、パンチャカルマ
    • ヴァマナ(催吐法・主に胃・肺・食道・喉の浄化を目的とする):Vaman
    • ヴィレチャナ(催下法、下剤):Virechan
    • バスティ(浣腸法):Basti
    • ナスヤ(点鼻法・主に喉・頭部・顔面を浄化する事を目的とする):NavanNasya
    • ラクタ・モークシャ(瀉血療法):Rakta Moksha
  3. パシュチャートカルマ:後処置
    • シャマナ鎮静法:ドーシャのバランシングとアグニの正常化
    • サンサルジャナ:食餌療法
    • ラサーヤナ:不老長寿法。生薬や鉱物で作られた薬品を摂る。(Chavanapurash が有名)
    • ヴァジーカラナ:強精法。良い子孫を作る為の方法 ラサーヤナ同様、薬品を摂る。

歴史

インド

概史

バラモン教の経典「ヴェーダ」として、4つの主なヴェーダ『リグ・ヴェーダ』(紀元前15世紀頃?)、『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』、『アタルヴァ・ヴェーダ』があり、ヴェーダから生命に関する知識を集大成したウパ・ヴェーダが『アーユルヴェーダ』である。人類の初期の医学・薬学は呪術と結びついたものだが、こういった記述が見られるのは、『リグ・ヴェーダ』と『アタルヴァ・ヴェーダ』だけである。ウパ・ヴェーダは他に 『ガンダルヴァ・ヴェーダ』(歌舞学[9]・芸術学[4])、『ダヌル・ヴェーダ英語版』(兵法・弓の科学[9])、『スターパティア・ヴェーダ』(建築学・都市設計)がある。

アーユルヴェーダの最古の文献としては、『アグニヴェーシャ・タントラ』(紀元前8世紀頃?)があったと伝えられる。『チャラカ・サンヒター』は、『アグニヴェーシャ・タントラ』を医師チャラカが改編したものといわれ、その作業は1 - 2世紀までには終わったと考えられている。『アタルヴァ・ヴェーダ』に医学に関する内容が多く、『チャラカ・サンヒター』は、『アタルヴァ・ヴェーダ』のウパンガ(副肢)とされた。4 - 5世紀にジャイナ教、仏教といった新しい宗教や、六派哲学が発展して医学に影響を与え、呪術と医学が切り離されて、経験的・合理的な医学が始まったと考えられる。これがチャラカ、スシュルタの名で纏められた医学体系である。『チャラカ・サンヒター』、『スシュルタ・サンヒター』、『アシュターンガ・フリダヤ・サンヒター』などの古典の段階で、医学体系として完成しており、これらの医学書は現在まで実用的なテキストとして参照されている。古典が現在でも重要視されているため、一見進歩が否定されているように見えるが、実際にはイスラーム文化圏で発展したユナニ医学が取り入れられ、アーユルヴェーダの薬草類には8世紀から19世紀の文献のものも含まれるなど、新しい要素が取り入れられて柔軟に折衷されている。

古典の成立

アーユルヴェーダを代表する古典『チャラカ・サンヒター』(チャラカ本集)では、アーユルヴェーダはブラフマー神(梵天)によって最初に説かれ、いくつかの神を介してインドラ神に伝えられた。そしてバラドヴァージャという仙人がインドラ神の元に赴き、教えを受けたと述べられている。『チャラカ・サンヒター』は『アタルヴァ・ヴェーダ』を根拠とし、三人の仙人が風、水、火について述べることで三元素を解説している[要出典]。学術的には、『チャラカ・サンヒタ』ーは2世紀頃に成立し(文献と成立年代は矛盾しているが、不祥の太古、無限遠、未来を説明する場合であっても、便宜的に数字を置く慣行がある。仏教も同様である。[要出典])ダスグプタ博士は、哲学的な見地から『チャラカ・サンヒター』を分析し、第1巻(総論)第1章ではヴァイシェーシカ学派、第3巻(判断論)第8章ではニヤーヤ学派、第4巻(身体論)第1章ではサーンキヤ学派の思想が説明されていると説明した[2]

徹頭徹尾内科を扱う『チャラカ・サンヒター』に対し、クシャトリア(武士王族)と関係が深かったとされる『スシュルタ・サンヒター英語版』(スシュルタ本集)は外科も扱い、最終的な成立は3 - 4世紀と考えられている[2]。神々からもたらされたとされ、ブラフマー神の化身と言われるカーシーの王ダンヴァンタリがスシュルタに話しかける形で医学が説かれる。両書とも基本理論に違いはなく、内科を重視しトリ・ドーシャの不均衡が病気を引き起こすと説明している。

のちに、両書を折衷した『アシュターンガフリダヤ・サンヒター英語版』(八科精髄集)がヴァーグバダによって書かれたが、これは読みやすい医書でインド国外まで広く普及した。またマーダヴァ (医者)英語版は、インド医学で初めて一つのテーマを専門的に論じた『病因論』(Rug-vinischaya, または『ニダーナ』)を書き、これらは現在までアーユルヴェーダのテキストとして使われている。

影響を与えた思想

紀元前5・6世紀頃から、バラモン教の祭祀至上主義を打ち破ろうと自由思想家達が活躍し、ヴェーダの権威を否定する仏教ジャイナ教のような新宗教が起こり、ウパニシャッドの哲人たちが活躍し、4世紀頃には六派哲学が隆盛した。こうした時代の中で、医学から呪術性が排除され体系化され、アーユルヴェーダと呼ばれるようになった。『アタルヴァ・ヴェーダ』などに見られる呪術的な医療は、ウパニシャッドや六派哲学のひとつサーンキヤ学派の二元論、ヴァイシェーシカ学派の自然哲学、ニヤーヤ学派の論理学の活用によって、呪術性を排したひとつの体系に整理されたのである。

古代インドの文献のほとんどは正確な年代が不明であり、アーユルヴェーダ最古の文献『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』の成立年代はわからず、相互に言及されていないため前後関係も不明である。その作者とされるチャラカ、スシュルタが生きた時代も不明であり、シュスルタなど紀元前6世紀とする説もあれば、紀元後4世紀とする説もある[2]。ただし、『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』は特定の個人が書いたものではなく、多くの人間が関わって長い間改編され続け、現在の形になるまで10世紀近くかかったと考えられている[2]

ウパニシャッド

ウパニシャッド(奥義書)は、広義のヴェーダ文献の最後を構成する書物である。主なウパニシャッドだけでも13あり、紀元前500年前後の数百年間に成立したと考えられている。全ていずれかのヴェーダに属するとされ、ヴェーダ聖典を伝承する各学派によって伝えられた。

その基本思想は、多様で変化し続けるこの現象世界には、唯一の不変な実体(ブラフマン、梵)が本質として存在し、それが個人の本質(アートマン、我)と同じであるという「梵我一如」である。ブラフマンは客観的、中性の原理であり、それに対しアートマンは主体的・人格的な原理である。アートマンは元々「息」「気息」を意味し、転じて「生気」「身体」「自身」「自我」「自己」「霊魂」などを意味するようになった。ウパニシャッド哲学の全思想は、すべて梵我一如の概念の周辺で展開する。

六派哲学

4世紀にマガダ国から起こったグプタ朝の元で、世情は安定し豊かなインドの古典文化が花開いた。バラモン教(ばらもん教、婆羅門教, ヒンドゥー教の前身となる古代インドの宗教)が国教とされ、サンスクリット語が公用語として用いられた。(なお「バラモン教」は近代にヨーロッパ人がつけた造語で、元々バラモン教全体を指す呼称はなかった。)古来より伝わるバラモン教学が整備され、さまざまな学問の系統が確立し、スートラ(根本経典)がまとめられた[8]。インドの学問のほとんどは、輪廻からの解脱を目的とし、宗教と哲学がほとんど区別できない点に特徴がある。この時代の正統バラモン教の哲学学派には6系統があり(六派哲学)、サーンキヤ学派(数論、すろん)はヨーガ学派と、ヴァイシェーシカ学派ニヤーヤ学派と、ヴェーダーンタ学派ミーマーンサー学派と、姉妹学派と呼べるような密接な関係にある。なおこのヨーガ学派は正統バラモン教の一学派であり、12世紀以降に発達した身体的修練・調気等を重んじるハタ・ヨーガとは区別される[8]

サーンキヤ学派

伝説ではカピラ(紀元前350 - 250頃)に始まるとされる。現存する最古のテキストは、4~5世紀のイーシュヴァラクリシュナの『サーンキヤ・カーリカー(頌、じゅ)』であり、厳密な二元論を特徴とし、その徹底性は世界の思想史上でも稀有のものである。サーンキヤ学派は、精神原理としての「神我」(プルシャ, Puruṣa/ पुरुष、純粋精神, 自己, アートマンと同意<[10])と、物質原理としての「自性」(プラクリティ, Prakriti/ प्रकृति、根本原質)の2つを世界の根源に想定しており、世界の創造・消滅共に神が関わらない点に特徴がある[8]。神我の本質は知のみで、純粋清浄・不変で、原子大で多数存在する。生産・活動は行わず、自性を観照するにとどまる。一方自性は、世界形成の質料因であり、非精神的な物質原理であり、唯一のものである。活動性・生産性を有し、世界はこの自性から展開する[8]

世界が展開する前の自性には、純質(sattva/ सत्त्व 、サットヴァ)、激質(Rajas/ रजस्、ラジャス)、闇質(tamas/ तमस्、タマス)という三徳(トリ・グナ, 3つの要素)が均衡した静止状態にある。神我の観照(関心)によって激質の活動が起こると、バランスが崩れて世界が開展される。展開の過程は以下の通りである。

  1. 自性(プラクリティ):根本原質[8]、自己[10]
  2. 大(mahat,マハット)すなわち覚(Buddhi, ブッディ):知の働きの根源状態[8]、心[10]
  3. 我慢(我執, アハンカーラ):自我意識[8]、統覚[10]。(アハンは「私」、カーラは「行為」を意味する[11]
  4. 十一根(自己が世界に触れるための11の器官[10])と五唯(知覚器官が捉える対象)
  5. 五大:5つの元素。五唯の知覚から、それらを担う実体として存在が推測される[10]

このように展開する自性にたいして、神我に変化はない。十一根・五唯・五大の内容は次の通りである。

  • 十一根
    • 意(または心根、Manas):思考器官
    • 五知根(Jnānendriyas、五感覚器官):目・耳・鼻・舌・皮膚
    • 五作根(Karmendriyas、五行動器官):発声器官・把握器官(手)・歩行器官(足)・排泄器官・生殖器官
  • 五唯(または五唯量、Pancha Tanmantra、パンチャ・タンマートラ、五微細要素[8], 五つの端的なるもの[12]):声唯(聴覚でとらえる音声)・触唯(皮膚でとらえる感覚)・色唯(視覚でとらえる色や形)・味唯(味覚でとらえる味)・香唯(嗅覚でとらえる香り・匂い)[8]
  • 五大(パンチャ・ブータまたはパンチャ・マハーブータ(pancha Mahābhūta)):五唯から展開して生じる五粗大元素[13][14]。土大(Pruṭhavī, プリティヴィーもしくはBhumi, ブーミ)・水大(Āpa, アープもしくはJala, ジャラ)・火大(Agni, アグニもしくはTejas, テジャス)・風大(Vāyu, ヴァーユ)の4元素に、元素に存在と運動の場を与える空大(Ākāsh, アーカーシャ, 虚空)を加えた5つ[8]

「神我、自性、覚(大)、我慢、十一根、五唯、五大」を合わせて「二十五諦」(二十五の原理)と呼ぶ[8][3]。(「諦(Tattva)」は真理を意味する[15]。)

覚は、自性から展開して生じたもので、認識・精神活動の根源であるが、身体の一器官にすぎず、神我とは別のものである。我慢は自己への執着を特徴とし、個体意識・個別化を引き起こすが、覚と同様に物質的なもので、身体の中の一器官とされる。我慢は、物質原理である自性から生じた覚を、精神原理である神我であると誤認してしまう。これが輪廻の原因だと考えられた。神我は自性を観照することで物質と結合し、物質に限定されることで本来の純粋清浄性を発揮できなくなる。そのため、「覚、我慢、五唯」の結合からなり、肉体の死後も滅びることがない微細身(みさいしん、リンガもしくはリンガ・シャリーラ(liṅga‐śarīra))は神我と共に輪廻に囚われる。神我は本性上すでに解脱した清浄なものであるため、輪廻から解脱するには、自らの神我を清めてその本性を現出させなければならない。そのためには、二十五諦を正しく理解し、ヨーガの修行を行わなければならないとされた[8]

解脱のためのヨーガの実修は、サーンキヤ学派やヨーガ学派だけに見られるものではなく、唯物論の立場で輪廻・霊魂を否定するチャールヴァーカと、ヴェーダを天与のものとして祭事に専念するミーマーンサー学派を除き、古代インド哲学・宗教の多くはヨーガの修行を採用している[8]

アーユルヴェーダとヨーガ学派は、共にサーンキヤ学派に大きな影響を受けている。現代の日本ではアーユルヴェーダはヨーガ(ただし現代のヨーガの多くは、ヨーガの密教版ともいうべきハタ・ヨーガの系統である)と共に語られることも多い。しかし、インドで人生の四目的とされる法(ダルマ)、財(アルタ)、愛(カーマ)、解脱(モークシャ)のうち、解脱は医学の説くところではなく[2]、アーユルヴェーダとヨーガはインドでは別々のものとみなされている[4]

ヴァイシェーシカ学派

ヴァイシェーシカ学派は、この世界が複数の構成要素(原子)から形成されているとするアーランバ・ヴァーダ(積集説)を代表する学派である。開祖カナーダ(別名カナブジュまたはウルーカ、紀元前2世紀頃)が書いたとされる『ヴァイシェーシカ・スートラ』を根本経典とするが、その成立はアーユルヴェーダの古典『チャラカ・サンヒター』が現在の様な形になった年代と相前後している[2]。この学派では、「実体(実)・属性(徳)・運動(業)・普遍(同)・特殊(異)・内属(和合)」の6つのパダールタ(六句義、六原理、6つの範疇)を想定して世界を分析・解明しようとした。これらの六原理は概念ではなく、実在するものだとされた。実体は、「四大と虚空、時間、方角、アートマン(我)、マナス(意)」からなり、四元素は直接知覚することのできない原子(極微)からなると考えた。原子が2つ以上結合して複合体となり、知覚できるものとなるが、これらの複合体は無常であり、破壊され変化する。属性は「色・香り・味・可触性・数・量・別異性・結合・分離・かなた性・こなた性・知覚作用・快感・不快感・欲求・嫌悪・意志的努力」の17が想定されている[8]。他のパダールタも同様に、多数の範疇を設定しながら詳細に分析され、現象界の諸事物の構成の説明が試みられている。このような範疇の設定や分析の手法は、『チャラカ・サンヒター』でも用いられている。また、諸範疇・諸元素が統合され、現実世界の諸事物を形成するために、最初の運動を引き起こす動力因として「アドリシュタ(不可見力)」が想定されている[8]

ヴァイシェーシカ学派は、きわめて分析的・科学的な自然哲学である。しかしその目的は、これら六実体原理・諸範疇についての正しい知によって、生天・解脱という至福を得ることであり[8]、他のインド哲学同様宗教的な思想だといえる。

ニヤーヤ学派

インドにおいて、正しい論証方法・論理学は古くから研究され、『チャラカ・サンヒター』でも、医師の心得として「論議の道」が44項目にわたって分類・検討されている。論理学を意味するニヤーヤ学派は、ガウタマ(50 - 150年頃)を開祖とし、根本経典『ニヤーヤ・スートラ』が伝えられるが、これは250 - 350年頃に現在の形にまとめられたと考えられ、4世紀中頃のヴァーツヤーヤナの注釈によって体系が確立した。

ニヤーヤ学派の世界観は、その多くをヴァイシェーシカ学派に拠っており、独自性は論証方法の研究にある。インドの論理学は認識論と密接な関係にあり、ニヤーヤ学派も「正しい認識とはいかにあるべきか」をメインテーマとし、「直接知覚」「推論」「類比」「信頼できる人の教示・証言」の4つの認識方法を提示した。また、他との論争において、推論は「主張(宗)」「理由(因)」「実例(喩)」「適合(合)」「結論(結)」の「五分作法」にしたがって立証されなければならないと考えた。論争では、それぞれが五分作法にしたがって論議・検討し、ある事柄が妥当だと確定した場合、真実が知られたといえるとされた。

ユナニ医学

インドにイスラム教が伝えられたことで、アーユルヴェーダにはユナニ医学の要素が加わった。逆にユナニ医学には、多くのアーユルヴェーダ薬物が取り入れられている。

ユナニ医学はイスラーム勢力の拡大で広がり、ムガール帝国時代にその勢力は最高潮に達した。アーユルヴェーダとユナニ医学は、対立するよりむしろ共存し、互いの知識・技術を取り入れあったようである。一般に、イスラム教徒が支配する都市部や宮廷、富裕層ではユナニ医学が中心となり、アーユルヴェーダはヒンズー教徒が住む周辺部、貧しい人々の間で命脈を保っていた。アーユルヴェーダ復古主義者の間では、ユナニ医学は西洋医学と共に、アーユルヴェーダ没落の原因であるといわれるが、実際にはユナニ医学がアーユルヴェーダを生きながらえさせたと考えられている[2]

西洋医学

16世紀初めにインドに進出してきたヨーロッパ人たちは、アーユルヴェーダ・ユナニ医学共に原始的で未熟な医学として軽蔑した。しかし18世紀の終わりに、サンスクリット語で書かれたインドの伝統的学問がヨーロッパの学者の関心を集めると、サンスクリット語による医学書も注目を集めた。

19世紀中ごろから近代教育が広がると、インドの伝統的な学者(バンディット)たちは自らの伝統に目覚め、復古主義的運動が起こった。西洋医学を教える大学がインドに開かれた後に、それに対抗する形でアーユルヴェーダの教育制度も整えられていった。アーユルヴェーダは、愛国心の高まりとともに、「インド伝統医学」として復興・普及し、20世紀の独立運動と共にさらに盛んになった。

アーユルヴェーダの隆盛には、莫大な人口を抱え貧困層も多いインドでは、高額な西洋医学ですべての人の医療をまかなえないことも関係している。また、保守的な国民性のため、西洋医学になじめない人も多いという。

現在インドでアーユルヴェーダを教える大学は100を越え、大学院が併設された大学もある。アーユルヴェーダ医師の資格を取って開業することもできる。

折衷主義と復古主義

西洋医学がインドに伝えられ、その有効性が示されると、アーユルヴェーダの医者は折衷派と復古派に分かれた。折衷派は西洋医学を取り入れた治療を行い、現代の機器を用いた診断も行う。一方復古主義者は、イスラムとイギリスの支配によってアーユルヴェーダは堕落したと考え、ユナニ医学・西洋医学を排して純粋なアーユルヴェーダに戻れば西洋医学に優ると主張する[2]

両者は激しく争っており、特にスリランカで顕著である。1957年に、スリランカの伝統医学委員会委員長であった自治大臣が暗殺されたが、これは狂信的なアーユルヴェーダ復古主義者の犯行だといわれる[2]

日本

仏教医学伝来から昭和まで

アーユルヴェーダで利用される薬物は、仏教と共に中国に伝えられ、7 - 8世紀頃には遣唐使らによって日本に伝来した。正倉院に伝わる薬物の中には、アーユルヴェーダ薬物を起源とするものが多数あると言われる。また、日本最古の医学書『医心方』(982 - 984)には、アーユルヴェーダに強い影響を受けた仏教医学が多少説明されている[16]。ただ日本の医療は、5世紀初頭に中医学が伝来して以来、漢方(和法)として独自に発展を遂げ、明治までそれが主流であった。現在でも漢方は代替医療として、医師、鍼灸師柔道整復師らによって広く行われている。一方アーユルヴェーダが本格的に日本に紹介されるのは、鎖国の関係もあり大正になってからである。

日本でのインド医学の研究は、1921年(大正10年)に泉芳環「印度の医方及び薬物─ヘルンの図書の解説としてー」(仏教研究2巻4号)が研究誌に初めて掲載され、続いて1923 年(大正1年)に、同氏の「印度の古典に顕われたる医方及び薬物について」(仏教研究 4巻1号)、根淵竹孫「仏典より見たる古代印度の医学思想」(大乗2巻8号~3巻4号までの6編)があり、宇井伯寿によって「チャラカ本集に於ける論理説」の論文が印度学仏教学研究2巻に登場する[16]

昭和以降の研究

昭和に入ってからは、大地原誠玄によるアーユルヴェーダ古典の翻訳「国訳古代印度医典チャラカ本集」(立命館大学1巻10~4巻3号までの7編)、「シュスルタ医学」(大乗13巻4号~14巻4号)が発表され、1941年(昭和16年)には、の大地原誠玄によるサンスクリット語から翻訳「ススルタ本集」が出版された。戦後の研究論文としては、1961年(昭和36年)の善波周による「インド医学おける科学と論理」(印度学仏教学研究 9巻2号)が最初である[16]

本格的な研究は、1967年(昭和42年)のインド伝承医学研究会の設立に始まる。研究会設立後、研究会誌が発刊され、現在まで580編以上、3,400ページ以上にわたる多くの論文が書かれた[16]。同研究会は、幡井勉(東邦大学医学部教授)、丸山昌郎(日本民族医学研究所)らによって設立され、1968年(昭和43年)にインド伝承医学研究調査視察団が丸山博(大阪大学医学部教授)、幡井勉、石原明、岡部索道ら9名がインドを訪問し[16]、インドのグジャラート・アーユルヴェーダ大学[17]や研究所を視察した。翌年1969 年(昭和44年)には、丸山博教授が所属する大阪大学で、アーユルヴェーダセミナーが初めて開講された[16]

1970 年(昭和45年)には、丸山博教授らの呼びかけでアーユルヴェーダ研究準備会が発足し、同年アーユルヴェーダ研究会が有志約50名により設立された(会長:丸山博、事務局:大阪大学医学部衛生学教室)[16]。幡井勉は、東洋伝承医学研究所、ハタイクリニックを設立し、アーユルヴェーダと現代医学医を統合して治療を行った。また、稲村晃江はグジャラート・アーユルヴェーダ大学に入学し、5年間の教学課程を修了し日本人として初めてインド国家認定アーユルヴェーダ医師として認められ、さらに大学院も修了した[17]

1980年代には、アーユルヴェーダ医師クリシュナ U.Kが、東洋伝承医学研究所の副所長として活動し、日本語のアーユヴェーダの教科書を著した。1994年には、東洋伝承医学研究所で、専門家向け・素人向けの2本立てでアーユルヴェーダの教育プログラムが開始した[17]

1985年(昭和60年)第7回日本アーユルヴェーダ研究会総会で、日本初のアーユルヴェーダの臨床応用としてクシャーラ・スートラ(痔瘻の治療)[18]の臨床成績が報告された[16]。1987年(昭和6年)には日本アーユルヴェーダ研究会にヨーガ療法の研究者も加わり、学術発表の範囲も大きく変化した[17]

一般への普及と現状

1989年(平成1年)には、NHKで「中国・インド伝承医学」が放映され、一般に広く浸透した。1998年、アーユルヴェーダ研究会は日本アーユルヴェーダ学会(The Society of Ayurveda in Japan)に名称を改めた[16]

2008年(平成20年)、第30回日本アーユルヴェーダ学会総会が開催され、会長の稲村晃江(アーユルヴェーダ医師) の尽力で、日本アーユルヴェーダ研究会誌全37巻から優れた論文を抜粋した論文集が発刊され、過去の日本アーユルヴェーダ研究が集大成された[16]

日本アーユルヴェーダ学会は、日本の医療制度の中でアーユルヴェーダ医学の役割を明らかにし、広く治療をこなうために、「アーユルヴェーダの標準化と資格制度」に取り組んでいる[16]。現在日本においてアーユルヴェーダの国家資格は存在しないが、催吐法、催下法などのパンチャカルマ(浄化療法)、ネトラタルパナ(オイルに薬草粉を混ぜて点眼する眼の治療)のような点眼および目の洗浄、診断・薬剤の処方など、治療の多くは医行為に当たると考えられ[19]、医師がアーユルヴェーダを行う少数の病院でしか治療を受けることはできない(インドのアーユルヴェーダ医師の免許を持っていても、日本では医師免許が必須である)。医師向けのアーユルヴェーダの教育機関もごくわずかしか存在せず[17]、注目を集めつつあるとはいえ、日本では広く治療が行われているとは言えない。

アーユルヴェーダは、アメリカ経由で日本に紹介されたヨーガの人気に伴い、1990年代に一時的にブームとなった。現在日本では、その名を冠したマッサージサロン、エステティックサロンが多く存在する。その治療法の大部分は医行為に当たるため、多くのサロンでは、アーユルヴェーダの思想のエッセンスやマッサージの技法を取り入れた「アーユルヴェーダ・マッサージ」や、アーユルヴェーダ薬物を用いた薬茶を供するなど、ごく一部の療法を用いて施術を行っている。そのため、アーユルヴェーダは「インド式オイルエステ」などの別名で呼ばれることもあり、痩身マッサージやエステティックの一種だという短絡的な認識が広まっている[20]。また、週刊誌で風俗マッサージ店がアーユルヴェーダを名乗るなどの記事もあり、本来の全体的な生命科学としてのアーユルヴェーダとは正反対の用例が数多くみられる[20]。総合的な医療であるアーユルヴェーダから、一部の療法に限定して治療を行うことはできないため、日本のサロンで行われるアーユルヴェーダは、その名に反してエステティックもしくはリラクゼーションの一種であり、伝統医療としてのアーユルヴェーダとは区別して考える必要がある。

アーユルヴェーダ薬物は、日本では健康食品や健康茶として徐々に人気となっており、そのほとんどは輸入に頼っている。しかし、薬事法違反の危険性があるような販売方法がされたり、薬食同源・方剤原理が忘れられ、単一の薬草だけの効果がアピールされるなど、様々な問題が生じている[20]。また、漢方薬同様、現代医学の枠ぐみの中で薬効や処方が判断されてしまうことも多い[20]

日本にはアーユルヴェーダの研究施設はほとんどない。1999年に設立された富山県国際伝統医学センターでは、アーユルヴェーダを含めた世界中の代替医療が研究されていたが、2008年から研究は富山大学に移管され、センターは2010年に廃止された[21]

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 「インド医学」 小松かつ子 民族薬物資料館
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 矢野道雄 『科学の名著 インド医学概論 チャラカ・サンヒター』 朝日出版社、1988年 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "矢野"が異なる内容で複数回定義されています
  3. ^ a b 「インド人の生命観(2)アーユルヴェーダの生命観」鷲尾倭文 跡見学園短期大学紀要24 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "鷲尾"が異なる内容で複数回定義されています
  4. ^ a b c d e f g h 上馬場和夫・西川眞知子『インド伝統医学で健康に!アーユルヴェーダ入門』地球丸、2006年
  5. ^ a b c 武田豊四郎「古代印度の文化」 磐余山東光寺住職山内宥厳ブログ「磐余山東光寺日誌」 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "山内"が異なる内容で複数回定義されています
  6. ^ a b c d e f g h i j k ウパディヤヤ・カリンジェ・クリシュナ, 加藤幸雄(共著) 『アーユルヴェーダで治すアトピー』 出帆新社〈アーユルヴェーダ叢書〉、2002年
  7. ^ a b 梶田昭 『医学の歴史』 講談社〈講談社学術文庫〉、2003年
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 川崎定信『インドの思想』 放送大学教育振興会、1993年3月
  9. ^ a b ヴェールを脱いだインド武術.出帆新社
  10. ^ a b c d e f 宮本啓一『インドの「二元論哲学」を読む』 春秋社、2008年
  11. ^ 世界大百科事典 第2版「アハンカーラ」. 株式会社日立ソリューションズ・ビジネス
  12. ^ 宮本啓一は『インドの「二元論哲学」を読む』で、音声などは知覚器官にとって、捉えるべき対象として端的にそこにあるものであり、「タンマートラ」の訳は「微細な要素」「素粒子」ではなく「五つの端的なるもの」だと述べている。
  13. ^ アーユルヴェーダからのアドバイスコーナー: 水木可葉. 日本アーユルヴェーダ学会
  14. ^ ボージャのラサ理論とラサの三段階説 本田善央. 『比較理論学研究』第3号 広島大学比較論理学プロジェクト研究センター研究成果報告書(2005)
  15. ^ 「「真実」―梵語合成語 satya-kriyā をめぐりて―」原実 龍谷大学現代インド研究センター
  16. ^ a b c d e f g h i j k 「日本アーユルヴェーダ学会の歩みと具現化への道」田澤賢次*. 日本統合医療学会誌 第3巻第1号(2010)
  17. ^ a b c d e 「日本におけるアーユルヴェーダの現状と将来」上馬場和夫. 富山県国際伝統医学センター次長
  18. ^ クシャーラ・スートラとは|肛門科. 洛和会音羽病院
  19. ^ 医行為とされた凡例 医行為とは. 新長田眼科病院 眼科医専門ページ
  20. ^ a b c d 「日本アーユルヴェーダ学会資格認定制度」上馬場和夫. 日本アーユルヴェーダ学会
  21. ^ 事業評価表 国際伝統医学センター運営管理費. 富山県

参考文献

アーユルヴェーダ古典

  • 大地原誠玄(訳)「国訳古代印度医典チャラカ本集」「立命館大学」1巻10~4巻3号までの7編, 第1巻第16章までをサンスクリット語から和訳
  • 大地原誠玄(訳)「シュスルタ医学」「大乗」13巻4号~14巻4号, サンスクリット語から和訳
  • 大地原誠玄(訳)『スシュルタ本集』1971年・アーユルヴェーダ研究会, 昭和54年・臨川書店, サンスクリット語から和訳
  • 矢野道雄(訳)『インド医学概論』1988年・朝日出版社, 『チャラカ・サンヒター』第1巻「医学概論」をサンスクリット語から和訳。付論「『チャラカ・サンヒター』「身体論」第1章とヴァイシェーシカ哲学』アントネッラ・コンバ
  • クンジャ・ラル・ビシャグラットナ(英訳)、伊東弥恵治(原訳)、鈴木正夫(補訳) 『ススルタ大医典』全3巻;ススルタ大医典出版委員会・1971年, 人間と歴史社・2005年10月, 「英訳本『THE SUSHRUTA SAMHITA』(1907)からの重訳, ISBN 489007158X
  • 山下勤「インド伝統医学書『チャラカ・サンヒター』における病理論―『チャラカ・サンヒター』第二篇第一章第一~十五節訳解―」「日本医史学雑誌」第52巻第3号・2006年
  • 日本アーユルヴェーダ学会(訳)『チャラカ本集 総論篇―インド伝承医学』2011年・せせらぎ出版, 『チャラカ本集』英訳本を底本とした重訳。サンスクリット語ローマ字表記・英語・日本語の3ヵ国語併記。ISBN 9784884162047

なお、『アシュターンガフリダヤ・サンヒター』のスートラスターナ(第1巻)は、かつて出版が企画され矢野道雄によって翻訳されているが、現在まで出版されていない。

アーユルヴェーダ関連

  • クリュシナ・U・K著 『アーユルヴェーダ入門』東方出版・1993年
  • 蓮村誠 『ファンタスティック・アーユルヴェーダ』 住宅新報社・1995年10月、知玄舎・2010年9月、ISBN 4434140450
  • 上馬塲和夫、西川眞知子『インドの生命科学 アーユルヴェーダ』農山漁村文化協会、1996年4月 ISBN 4540950878
  • 青山圭秀『大いなる生命学―アーユルヴェーダの精髄』、三五館、1997年12月 ISBN 4883201341
  • シャンタ・ゴーダガマヤ『アーユルヴェーダハンドブック』上馬場和夫、西川眞知子、日高陵好訳、日経BP社、1998年9月 ISBN 4822290905
  • デイビッド・フローリー、ヴァサント・ラッド、上馬塲和夫『アーユルヴェーダのハーブ医学 東西融合の薬草治療学』出帆新社、2000年5月 ISBN 491549747X
  • 幡井勉『新版 アーユルヴェーダの世界―統合医療へ向けて』出帆新社、2003年10月 ISBN 486103003X
  • 上馬塲和夫、西川眞知子『アーユルヴェーダ入門 インド伝統医学で健康に!』地球丸、2006年3月 ISBN 4860671244
  • ゴピ・ウォリアー、カレン・サリヴァン、ハリッシュ・ヴァルマ『実践アーユルヴェーダ』大田直子訳、産調出版、2007年3月 ISBN 4882826089
  • デイヴィッド・フローリー、スバーシュ・ラナーデ、アヴィナーシュ・レーレ著、上馬塲和夫著・監修『改訂 アーユルヴェーダとマルマ療法』西川眞知子監修、大田直子訳、産調出版、2009年3月 ISBN 4882826976

その他

  • 川崎定信『インドの思想』 放送大学教育振興会、1993年3月

外部リンク

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