「元朗 (北魏)」の版間の差分
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2014年3月23日 (日) 14:15時点における版
後廃帝 元朗 | |
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北魏 | |
第13代皇帝 | |
王朝 | 北魏 |
在位期間 | 531年 - 532年 |
姓・諱 | 元朗 |
字 | 仲哲 |
生年 | 513年 |
没年 | 532年 |
父 | 章武王・元融(第3子) |
母 | 程氏 |
年号 | 中興 531年 - 532年 |
後廃帝(こうはいてい、513年 - 532年)は、北朝北魏の第13代皇帝(在位:531年 - 532年)。姓は元、諱は朗。安定王(あんていおう)の王号でも呼ばれる。
生涯
章武王元融の三男として生まれた。生母は程氏。祖父の章武王元彬は文成帝の甥にあたる。また、2代前の廃帝元曄(東海王)は、元彬の弟の扶風王元怡の子である。
531年1月、渤海太守に任じられた。6月に高歓が信都で反爾朱氏の兵を起こすと、10月に元朗は高歓に擁立されて信都の西で北魏の皇帝として即位した。中興と改元した。高歓を侍中・丞相・都督中外諸軍事・大将軍・録尚書事に、高乾を司空に任じた。このとき洛陽には爾朱世隆らが擁立した元恭(前廃帝または節閔帝)が在位しており、北魏に2人の皇帝が併存することとなった。532年2月、高歓を大丞相・柱国大将軍・太師に任じた。同年4月、元朗は河陽で孝武帝に帝位を譲り、5月に安定郡王に封じられた後、11月に門下外省で殺害された。翌533年、鄴の西南の野馬崗に埋葬された。
子女
- 元黄頭(安定王、安平王、北斉が建国されると爵位を降格された)
伝記資料