「利用者‐会話:Touryuuuan」の版間の差分
Touryuuuan (会話 | 投稿記録) |
|||
86行目: | 86行目: | ||
[[西国三十三所]]に加筆いただきありがとうございます。近日加筆していただいた、西国写し霊場に関する記述につき、お伺いしたい点があり[[ノート:西国三十三所#西国写し霊場に関する加筆について]]に疑問点を記しました。ひとまず、お話を伺えますでしょうか。ご多忙等事情がございましたら、Touryuuuanさんの会話ページ(このページ)で、このメッセージについてその旨お申し付けください。よろしくお願いいたします。--[[利用者:Ikedat76|ikedat76]]([[利用者‐会話:Ikedat76|会話]]) 2015年3月25日 (水) 14:53 (UTC) |
[[西国三十三所]]に加筆いただきありがとうございます。近日加筆していただいた、西国写し霊場に関する記述につき、お伺いしたい点があり[[ノート:西国三十三所#西国写し霊場に関する加筆について]]に疑問点を記しました。ひとまず、お話を伺えますでしょうか。ご多忙等事情がございましたら、Touryuuuanさんの会話ページ(このページ)で、このメッセージについてその旨お申し付けください。よろしくお願いいたします。--[[利用者:Ikedat76|ikedat76]]([[利用者‐会話:Ikedat76|会話]]) 2015年3月25日 (水) 14:53 (UTC) |
||
どうもありがとう。当該の記事は私の方で削除しました。--[[利用者:Touryuuuan|松平俊介]]([[利用者‐会話:Touryuuuan|会話]]) 2015年3月25日 (水) 15:27 (UTC) |
2015年3月25日 (水) 15:27時点における版
ウィキペディアにようこそ!
こんにちは、Touryuuuanさん、はじめまして!449と申します。ウィキペディアへようこそ!
- ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
- よろしければ自己紹介してみてください。
- お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
- 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
- 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。
あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。449 2006年10月21日 (土) 10:27 (UTC)
Welcome to Japanese Wikipedia. Thank you for your contributions! If you don't prefer to use Japanese, and when looking for further information, feel free to visit Wikipedia:Chatsubo for Non-Japanese Speakers. Enjoy!
なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しております。Touryuuuanさんが、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、ご存知のことばかりをご案内したかもしれません。不明をお詫び申し上げます。--449 2006年10月21日 (土) 10:27 (UTC)
「荘子」について
Wikipediaでは、「荘子」は、人物としての「荘子」と、その著書である『荘子 (書物)』とは、内容を区別して項目を立てています。「荘子」は、人物としての「荘子」についての記事に限定し、書物としての『荘子』に関する記事は、『荘子 (書物)』に記述して頂けるよう、お願いいたします。--Adonis 2006年12月16日 (土) 14:22 (UTC)
了解いたしました。先の編集で荘子(荘周)本人の記事の部分に書物としての荘子部分が混じっておりますね。 訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。
こんにちは、はじめまして。蛸島彰子の変更履歴を拝見して、お伺いしました。Wikipedia:削除依頼/Template:日本女子プロ将棋協会の結果について、Wikipedia:削除の復帰依頼#Template:日本女子プロ将棋協会 - ノートの節にて審議を開始しましたので、お知らせします。よろしければご参加下さいますよう、ご案内申し上げます。--試案橋 2007年8月29日 (水) 08:17 (UTC)
申し訳ありませんが、私はそちらの問題には興味がありませんので参加いたしません。わざわざお誘いいただきありがとうございました。
専門雑誌
加筆を拝見いたしました。一つ気になったこととして、古代史に特化した雑誌とは何があるのでしょうか?また、現在上がっているもの以外に特定分野に特化している歴史雑誌があれば指摘ください。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年8月20日 (土) 02:45 (UTC)
岩見様。コメントいただき有難うございました。日本古代史に特化した雑誌としては、『季刊邪馬台国』(梓書院)、『季刊考古学』(雄山閣)などがございます。加筆をしておきますのでまた御覧ください。--2011年8月21日 (日) 08:55 (UTC)
「九州平定」の改名案について
こんにちは、みっちです。ノート:九州征伐へのコメントありがとうございました。当該ページでお尋ねしていることがあるのですが、もしかすると見ておられないかもしれないと思ってこちらにお邪魔しました。「九州平定」は別記事があるため、具体的な改名案について、よろしければご意見いただけないでしょうか。--みっち(会話) 2012年9月13日 (木) 08:47 (UTC)
大変遅くなり申し訳ありませんでした。そちらにレス致します。--(会話) 2012年9月17日 (月) 01:09 (UTC)
最近の編集について
Touryuuuanさん、精力的な加筆編集お疲れ様です。ただ、下記に関して編集の形式的な面で気になるところがありました。小生は当該項目について門外漢ですので訂正等は行いませんが、今後ご参考にして頂ければと思います。
この編集 では「中国語版ウィキペディアでは避諱との関係を否定している」とありますが、Wiki編集においては他言語版の説明は出典と言えないでしょう。
また、32年テーゼにおいてこの編集で追加された下記の文の出典は?
>谷沢の主張は無批判にネット上で拡散している
上記は「谷沢の主張」や、「ネット上で拡散」したことを批判しているソースが必要でしょう。Touryuuuanさんがネット上での拡散を憂慮していることは読み取れますが、これだけでは同記事を劣化させるものです。谷沢氏は近年まで政治・思想的な発言も多かったため、存命中の人物に準じた扱いが必要と思います。
このまとめのように記事の質を高めるため外部で呼びかけされるのは結構ですが、それに応じてこの編集で加筆された生類憐みの令も出典が一切付記されておらず検証可能性の向上には繋がっていません(勿論当該がTouryuuuanさんの編集ではないことは知っています)。私も過去に失敗したので完全無欠を求めはしませんが、Wikipediaに批判的だからと言って、その批判者が同じ轍を踏まないかと言えば、むしろその逆ではないかと。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM(会話) 2013年4月20日 (土) 00:00 (UTC)
岩見様、有難うございます。まず避諱の件、もう少し考えてみます。確かに多言語のwikiでは出典足りえそうもないですね。出典が見当たらなければ差し戻しも考えます。また、谷沢氏の件、他のユーザーの件、再考します。なかなか難しいものですね。--松平俊介(会話) 2013年4月23日 (火) 22:21 (UTC)
岩見様のご指摘により、観音菩薩の「観音」というのは避諱であるかどうかについて再度調査しました。 ネット上では、観音菩薩の「観音」は避諱だという話の出所は、陳垣の『史諱挙例』ではないかといってる人も某匿名掲示板でいたのですが、『史諱挙例』をざっと読みましたが、出てないようですね。『史諱挙例』に加え、その他の避諱文献をも調べた小林信明氏の避諱一覧表でも、観世音→観音の例は出ていないですね。謎です。
- 中国語版ウィキペディアの典拠 『1912年の新疆出土古抄本』は、検索の結果不明。
- 大宮司朗『仏尊の図鑑』※1 「観世音、略して観音」
- 松原泰道『観音経入門』 「観音、正しくは観世音」
- 醍醐恵端『日本国民と観世音菩薩及観音経』 記載なし
- 小林信明『歴代避諱一覧表』※2 李世民の避諱の例に観音の記載なし
- 陳垣『史諱挙例』 李世民の避諱の例に観音の記載なし
※1 学習研究社 雑誌『密教の本』所収 ※2 小学館 『新撰漢和辞典』所収 尚、陳垣『史諱挙例』等を典拠としている。
正直参ったなという感じですね。一応、宗教の専門家である大宮・松原の両氏が「観世音は観音の略号」としていることを踏まえて書き直したいと思います。中国学における避諱の研究が遅れている為か、典拠が探し出せないんですね。実は、避諱研究の遅れは研究機関でも問題になったのですが、実は小林氏の表以外に日本語文献もなく、陳氏の『史諱挙例』も1927年(!)の本なのに未だに学界でこの分野の基本書籍扱いなんですよ。--松平俊介(会話) 2013年4月27日 (土) 23:39 (UTC)
呂布について
- 呂布の評価についてなのですが迷っています。要は文人(作家)の史実で起きた事件への評価を入れて良いのか、と言う事なのですが。貴方はどう思いますか? 諸葛亮の記事にも文人の評価が有るので、個人的には問題は無いのではないかと思うのですが……Skin0815(会話) 2015年2月9日 (月) 23:03 (UTC)
わざわざお話いただきありがとうございます。文人の評価についてですが、古典的なものから入れていくのであれば賛成です。呂布を詠んだ漢詩なども結構有りますよ。三国志演義に引用しているだけで数首ありますねー。逆に、評価が定まっていない最近の作家のものをむやみに入れるのはいささか疑問ではないかと思います。個人的には下限で吉川英治や陳舜臣くらいではないかと思います。--松平俊介(会話) 2015年2月12日 (木) 13:47 (UTC)
- わざわざ五回も編集してすいません。呂布の記事をご覧になってからご返事なさったのでは無いかと家族の指摘が有ったので、一連の質問は棄却させていただきます。アスペルガーなので常識の無い所は大目に見てやって下さい--Skin0815(会話) 2015年2月17日 (火) 12:51 (UTC)
呂光について
- ゆっくりになりますが手がけてみます--Skin0815(会話) 2015年2月21日 (土) 13:28 (UTC)
ありがとうございます。参考文献が日本語でも幾つか出ていますので呂光の項の脚注に書いておきました。あとは私がかつて学んだ石川忠久氏が「資治通鑑選」という抄訳本を出していますがあそこに呂光は出ていたかどうか…--松平俊介(会話) 2015年2月21日 (土) 13:36 (UTC)
西国写し霊場について
こんばんは。初めてお目にかかります、利用者:ikedat76と申します。
西国三十三所に加筆いただきありがとうございます。近日加筆していただいた、西国写し霊場に関する記述につき、お伺いしたい点がありノート:西国三十三所#西国写し霊場に関する加筆についてに疑問点を記しました。ひとまず、お話を伺えますでしょうか。ご多忙等事情がございましたら、Touryuuuanさんの会話ページ(このページ)で、このメッセージについてその旨お申し付けください。よろしくお願いいたします。--ikedat76(会話) 2015年3月25日 (水) 14:53 (UTC)
どうもありがとう。当該の記事は私の方で削除しました。--松平俊介(会話) 2015年3月25日 (水) 15:27 (UTC)