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「磯風型駆逐艦」の版間の差分

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{{Infobox 艦級
<div class="thumb tright">
|名称 = 磯風型(天津風型)駆逐艦
{| class="wikitable" style="margin: 0em; width: 300px; background:#ffffff"
|画像 = Japanese destroyer Amatsukaze in Showa 2.jpg
|-
|画像説明 = 天津風(推定1927年10月<ref>[[#日本海軍全艦艇史]]下巻p.556、No.1482の写真解説</ref>)
! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 磯風型駆逐艦
|種別 = 一等[[駆逐艦]]<ref name="T15内令238">[[#海軍制度沿革8(1971)]]pp.88-92『大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表省略)』| 驅逐艦 | 一等 | 天津風型 | 天津風、磯風、濱風、時津風 |</ref>
|-
|命名基準 =
|colspan="2"|[[Image:Japanese destroyer Amatsukaze in Showa 2.jpg|300px|天津風]]
|運用者 = {{navy|Empire of Japan}}
|-
|建造所 =
! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 艦級概観
|建造期間 =
|-
|就役期間 =
|艦種||一等[[駆逐艦]]
|同型艦 = 天津風、磯風、濱風、時津風<ref name="T15内令238"/>
|-
|計画数 =
|艦名||
|建造数 =
|-
|前級||[[浦風型駆逐艦]]
|前級 = [[浦風型駆逐艦]]
|次級 = [[江風型駆逐艦]]
|-
|要目注記 = 計画
|次級||[[江風型駆逐艦]]
|基準排水量 = 公表値 1,105[[トン]]<ref name="S3艦船要目公表範囲">[[#海軍制度沿革巻11-2(1972)]]pp.1068-1069、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲。</ref>
|-
|常備排水量 = 1,227トン<ref name="大正9年要目一覧表2"><!--1920年-->[[#戦史叢書31海軍軍戦備1]]付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」</ref>
! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 要目
|満載排水量 =
|-
|全長 = {{Ft in to m|326|6|precision=2|abbr=on|wiki=on}}<!--99.517m--><ref name="海軍造船技術概要p388">[[#海軍造船技術概要]]p.388</ref>
|[[排水量]]||基準:1,105[[トン]]<br />常備:1,227トン
|水線長 = {{Ft in to m|317|0|precision=2|abbr=on}}<!--96.622m--><ref name="海軍造船技術概要p388"/><ref group="注釈">[[#軍艦基本計画資料]]Sheet15によると天津風の完成常備状態で水線長96.676m</ref>
|-
|垂線間長 = {{Ft in to m|310|0|precision=2|abbr=on}}<!--94.488m--><ref name="大正9年要目一覧表2"/>
|全長||水線長:96.68[[メートル|m]]
|全幅 = {{Ft in to m|28|0|precision=2|abbr=on}}<!--8.534m--><ref name="大正9年要目一覧表2"/><br />または 8.52m<ref name="昭和造船史1pp788-789">[[#昭和造船史1]]pp.788-789、附表第2 艦艇要目表</ref>
|-
|||8.52m
|水線 =
|吃水 = {{Ft in to m|9|3+1/2|precision=2|abbr=on}}<!--2.832m--><ref name="大正9年要目一覧表2"/>
|-
|深さ = {{Ft in to m|18|5|precision=2|abbr=on}}<!--5.613m--><ref name="海軍造船技術概要p388"/>
|吃水||2.83m
|推進 = 3軸<ref name="大正9年要目一覧表2"/> x 750[[rpm (単位)|rpm]]<ref name="帝国海軍機関史下巻p544">[[#帝国海軍機関史(1975)]]下巻p.544(第三巻、四五四頁)</ref><br />直径{{Ft in to m|6|6|precision=2|abbr=on}}<!--1.981m-->、ピッチ{{Ft in to m|6|2|precision=2|abbr=on}}<!--1.880m-->(磯風)<ref name="帝国海軍機関史下巻pp549-550">[[#帝国海軍機関史(1975)]]下巻pp.549-550(第三巻、四五九-四六〇頁)、五 推進器。</ref>
|-
|主機 = 直結[[蒸気タービン|タービン]](高圧低圧低圧、減速ギア連結巡航タービン2基<ref name="帝国海軍機関史別冊表20">[[#帝国海軍機関史(1975)]]別冊表20、『(第一一表)』</ref>)<ref name="帝国海軍機関史下巻p544"/> 1組
|機関||[[ロ号艦本式缶]]5基<br />[[蒸気タービン]]<ref>磯風、浜風が[[パーソンズ・マリン・スチーム・タービン|パーソンズ]]式タービン、天津風、時津風がブラウン・カーチス式タービンを装備した。</ref>1組<br />3軸、27,000[[馬力]]
|出力 = 27,000[[馬力]]<ref name="大正9年要目一覧表2"/>
|-
|ボイラー = [[ロ号艦本式缶]] 重油専焼3基、同混焼2基<ref name="帝国海軍機関史下巻p546">[[#帝国海軍機関史(1975)]]下巻p.546(第三巻、四五六頁)</ref>
|速力||34.0[[ノット]]
|速力 = 34.0[[ノット]]<ref name="大正9年要目一覧表2"/>
|-
|燃料 = [[重油]]297トン、[[石炭]]147トン<ref name="大正9年要目一覧表2"/><br />または 重油220トン、石炭220トン<ref name="海軍造船技術概要p388"/><br />または {{要出典|date=2016-06|重油297トン、石炭92トン}}
|航続距離|| 14ノットで3,360[[海里]]
|航続距離 = 2,800[[カイリ]] / 14ノット<ref name="海軍造船技術概要p388"/><br />または 3,360[[カイリ]] / 14ノット<ref name="昭和造船史1pp788-789"/>
|-
|乗員 = 竣工時定員 145名<ref>[[#海軍制度沿革10-1(1972)]]pp.567-568、大正5年10月12日内令223、「天津風、磯風」の定員制定。將校、機關將校8人、特務士官、准士官3人、下士37人、卒97人。同書p.568、大正6年1月20日内令5で「、濱風」追加、同日内令9で「、時津風」追加。</ref><ref name="大正9年要目一覧表2"/>
|燃料|| [[重油]]297[[トン]]、[[石炭]]92トン
|搭載量 =
|-
|兵装 = 40口径安式12cm単装砲 4門<ref name="大正9年要目一覧表2"/><br />[[三年式機関銃|三年式機砲]] 2挺<ref name="大正9年要目一覧表2"/><br />四四式18インチ(45cm)連装[[魚雷発射管|発射管]]<ref name="帝国海軍機関史下巻p544"/> 3基6門<ref name="海軍造船技術概要p388"/><br />魚雷12本<ref name="海軍造船技術概要p388"/>
|乗員|| 145名
|搭載艇 = 4隻<ref name="大正9年要目一覧表2"/>
|-
|特殊装備 = <!--掃海装備など-->
|兵装||12cm単装砲4基<br />6.5mm機銃2挺<br />45cm連装[[魚雷発射管]]3基6門
|その他 =
|}
|備考 = トンは英トン
</div>
}}
'''磯風型駆逐艦'''(いそかぜかたくちくかん)は、[[大日本帝国海軍]]の[[駆逐艦]]の艦級。
'''磯風型駆逐艦'''(いそかぜかたくちくかん)は、[[大日本帝国海軍]]の[[駆逐艦]]の艦級<ref name="幕末95">[[#幕末以降帝国軍艦写真と史実]]p.95『磯風型(四隻) <ins>艦種</ins>一等驅逐艦 <ins>磯風(いそかぜ)</ins> 昭和10年4月除籍 <ins>濱風(はまかぜ)</ins> (同上) <ins>天津風(あまつかぜ)</ins> (同上) <ins>時津風(ときつかぜ)</ins> 大正7年3月九州宮崎沖に坐礁、舞鶴にて大修理。昭和10年4月除籍』</ref>。日本海軍の正式類別は'''天津風型駆逐艦'''(あまつかぜがたくちくかん)<ref name="海軍制度沿革64">[[#海軍制度沿革(巻8、1940)]]p.64『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』</ref><ref name="海軍制度沿革69">[[#海軍制度沿革(巻8、1940)]]p.69『昭和十年四月一日(内令一三六) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、海防艦ノ項中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等ノ部中天津風型及谷風ノ項ヲ削リ、同二等ノ部中椿ノ項ヲ削ル|潜水艦、二等ノ部中海中三型ノ項中「呂號第二十三、呂號第二十四、ヲ削ル』</ref>。


==概要==
==計画==
天津風型駆逐艦4隻(天津風、磯風、浜風、時津風)は<ref>[[#土国駆逐艦本邦注文(2)]]p.2『駆逐艦|天津風型|4|(以下略)』</ref>、[[海風型駆逐艦]]につぐ国産一等駆逐艦で<ref name="日本駆逐艦物語pp70-71"/>、[[八四艦隊案]]の第一歩となる[[大正4年]]度成立した軍備補充費の予算追加要求で計画された<ref>[[#戦史叢書31海軍軍戦備1]]pp.242-243</ref>。予算は大正5年度と同6年度の新造艦艇製造費から、4隻合計8,113,660万円と説明されている<ref>[[#戦史叢書31海軍軍戦備1]]pp.244</ref>。[[呉海軍工廠]]で2隻、三菱[[長崎造船所]]で1隻、[[川崎造船所]]で1隻が建造され、4隻とも1917年(大正6年)に竣工した<ref name="叢書31pp244-245">[[#戦史叢書31海軍軍戦備1]]pp.244-245</ref>。起工から5カ月ほどで竣工した樺型に対し、「浜風」で進水から竣工まで5カ月掛かっていて、より慎重に工事が進められたことを示している<ref name="日本駆逐艦史1992p48"/><ref group="注釈">[[#日本駆逐艦物語]]pp.70では『第一次世界大戦における駆逐艦のいちじるしい不足に際し、樺型の急造についで、二等駆逐艦桃型と併行して建造された』とある。<!-- 「第一次大戦により急遽建造された。」という意味で書かれていない--></ref>。
大正4年度軍備補充計画追加で建造された駆逐艦。第一次大戦により急遽建造された。[[海風型駆逐艦|海風型]]の拡大型といえる艦級であり、それまで各種口径砲を搭載していたものが本級では12cm砲に統一された。


== 艦型 ==
4番艦'''時津風'''は竣工翌年に座礁し船体破壊、代艦を建造している。ただし名目上は大修理とされて新艦とされなかった。
基本計画番号'''F24'''<ref>[[#日本駆逐艦物語]]p.284</ref>、[[海風型駆逐艦|海風型]]の拡大型といえる艦級である<ref>『駆逐艦の系譜1』p.28</ref>。

船体は海風型に引き続き船首楼型。艦首はいわゆるスプーン型で<ref>『駆逐艦の系譜1』p.29、艦型図</ref>、日本海軍では大正4年度計画の駆逐艦から採用されており、一等駆逐艦には本型から採用された<ref name="日本駆逐艦史2012p56">[[#日本駆逐艦史2012]]p.56</ref>。凌波性はまだ十分でなく<ref name="日本駆逐艦史1992p48"/>、1919年(大正8年)の大演習で「浜風」が波浪によって艦橋破壊の被害を受けている<ref>[[#銘銘伝2014]]pp.325</ref>。船体構造は重量軽減策として縦通構造としたが、工作が面倒で以後の駆逐艦には採用されなかった<ref name="海軍造船技術概要1987上p380">[[#海軍造船技術概要(1987)]]上巻p.380</ref>。

砲は40口径12cm砲に統一し(海風型は12cmと8cm砲の混載)、4門全てを中心線上に配置した<ref name="海軍造船技術概要1987上p380"/>。魚雷発射管は連装3基6門として海風型(連装2基4門)より強化された<ref name="日本駆逐艦史1992p48">[[#日本駆逐艦史1992]]p.48</ref><ref group="注釈">[[#海軍造船技術概要(1987)]]p.380では3連装2基としているが誤り。</ref>。

[[ボイラー]]は海風型と同じ重油専焼缶と石炭重油混焼缶を搭載、前部2基が小型の混焼、後部3基が重油専焼のロ号艦本式ボイラー計5基(海風型はイ号艦本式計8基<ref name="日本駆逐艦物語p68">[[#日本駆逐艦物語]]p.68</ref>)となり、煙突も3本(同4本<ref name="日本駆逐艦物語p68"/>)となった<ref name="日本駆逐艦物語pp70-71">[[#日本駆逐艦物語]]pp.70-71</ref>。

主機は海風型同様、直結タービンを搭載した3軸艦で中央軸に高圧タービン、両舷軸に低圧タービン各1基を接続した。
更に減速ギア接続の巡航タービンが各1基ずつ搭載され、両舷軸に接続された<ref name="帝国海軍機関史下巻p545-546">[[#帝国海軍機関史(1975)]]下巻pp.545-546(第三巻、四五五-四五六頁)、二 主機械ノ制式</ref>。巡航タービンは「浦風」(竣工後に装備)に先駆けて装備された<ref name="帝国海軍機関史下巻p544"/>。タービン用減速ギアは日本海軍で初めての採用で、これは[[呉海軍工廠]]と[[三菱重工業|三菱]]で製造した<ref name="帝国海軍機関史下巻p545-546"/>。ギアの騒音が危惧されたが竣工後の問題は特に無かった<ref name="帝国海軍機関史下巻p545-546"/>。またタービン形式は「天津風」「時津風」にはブラウン・カーチス式、「磯風」「浜風」にはパーソンズ式を採用、燃料消費量などの成績はパーソンズ式の方が良好だった<ref name="帝国海軍機関史下巻p545-546"/>。

スクリューは「天津風」「磯風」が直径6ft6in・ピッチ6ft2in、「時津風」が同6ft6in・6ft0in、「浜風」が同6ft4in・5ft10in1/4と異なり、それぞれの比較実験を行った結果、「天津風」のそれが一番推進効率が良く、「浜風」のが最低だった<ref name="帝国海軍機関史下巻pp549-550"/>。また公試後の検査ではスクリューに最大で1/2[[インチ]](約13[[mm]])の腐食が見つかり、一時的ではあるが、連続航行で7,000馬力、短時間で6/10全力(16,200馬力程度)に出力が制限された<ref name="帝国海軍機関史下巻pp549-550"/>。代艦の「時津風」(後述)は公試で32ノットに届かず、推進器の交換でようやく33ノットを超える速力となった<ref name="機関史1975下巻pp552-553">[[#帝国海軍機関史(1975)]]下巻pp.552-553(第三巻、四六二-四六三頁)</ref>。新造時の同艦(速力は35.56ノット)のスクリュー翼の厚さは3インチ3/4で代艦のそれは5インチと4インチとなっていて、翼の厚さが速力に大きく影響することが判明した<ref name="機関史1975下巻pp552-553"/>。

== 運用・その他 ==
4番艦'''時津風'''は竣工翌年に九州で座礁し船体破壊、代艦を建造している。ただし名目上は大修理とされて新艦とされなかった<ref name="幕末95"/>。

1935年(昭和10年)4月1日に4隻そろって除籍<ref>[[#S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)]]画像3-5</ref>、艦名は4隻とも[[陽炎型駆逐艦]]に継承された<ref>[[#銘銘伝2014]]pp.300-302,303-304,318-319,325-326</ref>。

=== 駆逐隊 ===
[[1917年]](大正6年)4月1日、「有明」「吹雪」「霰」「弥生」(初代神風型)に代わって、「磯風」「浜風」で'''第一駆逐隊'''を編成<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.74、大正6年内令74</ref>、[[横須賀鎮守府]]籍<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.74</ref>。当時の第一駆逐隊は[[第二艦隊]][[第二水雷戦隊]]に所属<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.28、大正5年12月1日附内令245。同書p.29、大正6年12月1日附内令279</ref>、「天津風」が同年4月14日に<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.74、大正6年内令93</ref>、「時津風」が5月31日に編入し<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.74、大正6年内令133</ref>、同隊は同型艦4隻の編成になった。

[[1918年]](大正7年)4月17日から[[1920年]](大正9年)2月19日までは「時津風」が除かれ3隻で編成<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.76、大正7年内令129。同書p.78、大正9年内令37</ref>、同年5月1日、'''第一駆逐隊'''は第二艦隊第二水雷戦隊から外れた<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.34、大正9年内令134</ref>。10月13日に4隻は[[舞鶴鎮守府]]籍に移り、新たに'''第三十三駆逐隊'''を編成した<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.79、大正9年内令384『第一驅逐隊ヲ削リ舞鎮ノ欄ニ第三十三驅逐隊(天津風、磯風、濱風、時津風)ヲ加フ』</ref>。

[[1922年]](大正11年)12月1日に本籍が[[呉鎮守府]]に移り、4隻で'''第十八駆逐隊'''を編成<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.81-82、大正11年内令82『驅逐隊編成本表ノ通リ改定セラル』</ref>、以降除籍まで4隻の編成が続いた<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]pp.81-101。同書p.100、昭和10年4月1日附内令122『第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル』</ref>。'''第十八駆逐隊'''の所属は翌[[1923年]](大正12年)12月1日までの1年間が舞鶴鎮守府<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.81-82、大正11年内令82。同書p.84、大正12年内令422。</ref>、[[1924年]](大正13年)4月1日から[[1925年]](大正14年)4月1日までの1年間が[[大湊要港部]]となり<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]pp.83、大正13年内令83『第九驅逐隊ノ大湊要港部所属ヲ削リ第十八驅逐隊ヲ同要港部ノ所属トス』。同書p.85、大正14年内令143『第十八驅逐隊ノ所属大湊要港部所属ヲ削ル』</ref>、1927年(昭和2年)2月5日から<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.87、昭和2年内令45『第十八驅逐隊ノ所属ヲ第一遣外艦隊トス』</ref>同年9月20日まで[[第一遣外艦隊]]となった<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]p.88、昭和2年内令307『第十八驅逐隊ノ所属第一遣外艦隊ヲ削ル』</ref>。以降解隊まで艦隊所属は無い<ref>[[#海軍制度沿革4-1(1971)]]pp.88-101</ref>。


==同型艦==
==同型艦==
===磯風(いそかぜ)===
===磯風(いそかぜ)===
: [[1915年]](大正4年)7月10日、一旦「時津風」と命名後、同年8月25日に「磯風」と改名<ref name="海軍制度沿革206a">[[#海軍制度沿革(巻8、1940)]]p.206『◎驅逐艦天津風時津風磯風濱風桃柳柳樫檜命名ノ件 大正四年七月十日(達九七)軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス|呉海軍工廠ニ於テ製造 一等驅逐艦二隻{<ruby><rb>天津風</rb><rt>アマツカゼ</rt></ruby> <ruby><rb>時津風</rb><rt>トキツカゼ</rt></ruby>|神戸川崎造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦一隻 <ruby><rb>磯風</rb><rt>イソカゼ</rt></ruby>|長崎三菱造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦 <ruby><rb>濱風</rb><rt>ハマカゼ</rt></ruby>|佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{<ruby><rb>桃</rb><rt>モモ</rt></ruby> <ruby><rb>柳</rb><rt>ヤナギ</rt></ruby>|舞鶴海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{<ruby><rb>樫</rb><rt>カシ</rt></ruby> <ruby><rb>檜</rb><rt>ヒノキ</rt></ruby>』</ref><ref name="海軍制度沿革206b">[[#海軍制度沿革(巻8、1940)]]p.206『大正四年八月二十五日(達一一三)本達九十七號ヲ以テ命名シタル驅逐艦中呉海軍工廠ニ於テ製造ノ「時津風」ヲ「磯風」ニ川崎造船所ニ於テ製造ノ「磯風」ヲ「時津風」ニ改ム』</ref>。[[呉海軍工廠]]において[[1916年]](大正5年)[[4月5日]]起工、同年[[10月5日]]進水(天津風と同日)<ref name="磯風(1)43">[[#磯風浜風天津風時津風(1)]]p.43『天津風磯風勝力本日無事進水セリ 十月五日 呉鎮守府司令長官』</ref>、[[1917年]](大正6年)[[2月28日]]竣工<ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.8『磯風竣工本日授受結了 二月廿八日 呉鎮長官』</ref><ref>[[#海軍制度沿革(巻11、1940)]]p.560『磯風|一等驅逐艦|全長(米)94.49|幅(米)8.53|吃水(米)2.83|排水量(噸)常備12,227/基準1,105|速力(節)34|定員數145|短艇數-|造船所 呉工廠|竣工年月日 大正5-4-5|進水年月日 大正5-10-5|竣工年月日 大正6-2-28|大砲12c/m 4|機銃2|發射管6|探照燈4|(機関)種類タービン/數3|(罐)種類 艦本式/數3|推進器數3|備考』</ref><ref name="幕末95日時">[[#幕末以降帝国軍艦写真と史実]]p.95『磯風(起工)大正5-4-5 (進水)大正5-10-5 (竣工)大正6-2-28 (建造所)呉工廠|濱風(起工)同5-4-1 (進水)同6-10-30 (竣工)同6-3-28 (建造所)三菱造船所|天津風(起工)同5-4-5 (進水)同5-10-5 (竣工)同6-4-14 (建造所)呉工廠|時津風(起工)同5-3-10 (進水)同5-12-27 (竣工)同6-5-31 (建造所)川崎造船所』</ref>。天津風型2番艦<ref name="海軍制度沿革64"/>。[[1935年]](昭和10年)[[4月1日]]、除籍<ref name="海軍制度沿革69"/><ref>[[#S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)]]画像4</ref>。
: [[1917年]](大正6年)[[2月28日]]、[[呉海軍工廠]]で竣工。[[1935年]](昭和10年)[[4月1日]]、除籍。


===浜風(はまかぜ)===
===浜風(はまかぜ)===
: 1915年(大正4年)7月10日、'''濱風'''と命名<ref name="海軍制度沿革206a"/>。[[長崎造船所|三菱長崎造船所]]において1916年(大正5年)[[4月1日]]起工、同年[[10月30日]]進水<ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.2『大正五年十月三十一日(略)濱風午前十時無事進水セリ。(了)』</ref>、1917年(大正6年)[[3月28日]]竣工<ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.14『大正六年三月十八日(略)本日午前十時造船所ヨリ本艦ヲ受領ス』</ref><ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.45『大正六年三月十二日(略)濱風来ル二八日引渡ノ予定』</ref><ref>[[#海軍制度沿革(巻11、1940)]]p.560『濱風(艦要目略)|三菱長崎造船所|大正5-4-1|大正5-10-30|大正6-3-28|(武装略)』</ref><ref name="幕末95日時"/>。天津風型3番艦<ref name="海軍制度沿革64"/>。 [[1919年]](大正8年)、大演習時に波浪により艦橋破壊、笹尾源之丞司令が殉職する事故を起こす。1935年4月1日、除籍<ref name="海軍制度沿革69"/><ref>[[#S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)]]画像5</ref>。
: 1917年[[3月28日]]、[[長崎造船所|三菱長崎造船所]]で竣工。 [[1919年]](大正8年)、大演習時に波浪により艦橋破壊、笹尾源之丞司令が殉職する事故を起こす。1935年4月1日、除籍。


===天津風(あまつかぜ)===
===天津風(あまつかぜ)===
: 1915年(大正4年)7月10日、「天津風」と命名<ref name="海軍制度沿革206a"/>。天津風型駆逐艦の[[ネームシップ]]<ref name="海軍制度沿革64"/>。呉海軍工廠で1916年(大正5年)[[4月5日]]起工(磯風と同日)、同年[[10月5日]]進水(磯風と同日)<ref name="磯風(1)43"/>、1917年(大正6年)[[4月14日]]竣工<ref>[[#海軍制度沿革(巻11、1940)]]p.560『天津風(艦要目略)|呉工廠|大正5-4-5|大正5-10-5|大正6-4-14|(武装略)』</ref><ref name="幕末95日時"/>。1935年4月1日、除籍<ref name="海軍制度沿革69"/><ref name="恩給調査(下)DD1p3">[[#S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)]]画像3</ref>。
: 1917年[[4月14日]]、呉海軍工廠で竣工。1935年4月1日、除籍。


===時津風(ときつかぜ)===
===時津風(ときつかぜ)===
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: 1917年2月28日、[[川崎重工業|川崎造船所]]で竣工。[[1918年]](大正7年)[[3月30日]]、宮崎・折生迫(おりうざこ)海岸で座礁し船体破壊。兵装、備品を取り外して放棄。同年[[12月2日]][[舞鶴海軍工廠]]で代艦を起工、[[1919年]](大正8年)[[3月31日]]進水、[[1920年]](大正9年)[[2月27日]]、完成。1935年4月1日、除籍。
: 1915(大正4年)7月10日、「磯風」と命名されたが<ref name="海軍制度沿革206a"/>、8月25日附で「時津風」と改名<ref name="海軍制度沿革206b"/>。1916年(大正5年)[[3月10日]]起工<ref name="幕末95日時"/>、[[12月27日]]進水<ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.5『大正五年十二二十七日(略)時津風無事進水セリ』</ref>。1917年(大正6年)5月31日、[[川崎重工業|川崎造船所]]で竣工<ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.46『大正六年五月廿九日(略)時津風三十一日受領ノ予定御届ス』</ref><ref name="幕末95日時"/>。[[1918年]](大正7年)[[3月30日]]、[[九州]]・[[宮崎県]]・折生迫(おりうざこ)海岸で座礁し船体破壊。兵装、備品を取り外して放棄。同年[[12月2日]][[舞鶴海軍工廠]]で代艦を起工<ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.48『大正七年十二月二日舞鶴海軍工廠長(略)時津風起工ノ件 一等驅逐艦時津風本日起工右報告ス』</ref>、[[1919年]](大正8年)[[3月31日]]進水<ref>{{アジア歴史資料センター|C08021315200|進水 p.2}}『大正八年三月六日 舞鶴鎮守府司令長官 野間口兼雄 海軍大臣加藤友三郎殿 驅逐艦時津風進水ノ件 驅逐艦時津風大正八年三月三十一日進水ノ豫定 右報告ス』</ref>、[[1920年]](大正9年)[[2月27日]]竣工<ref>[[#磯風浜風天津風時津風(2)]]p.49『大正九年月二月十七日舞工廠長』</ref><ref>[[#海軍制度沿革(巻111940)]]p.560『時津風(艦要目略)|神戸川崎造船所|大正7-12-2|大正8-3-31|大正9-2-17|(武装略)』</ref>。天津風型4番艦<ref name="海軍制度沿革64"/>。1935年4月1日、除籍<ref name="海軍制度沿革69"/><ref name="恩給調査(下)DD1p3"/>


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references />
<references group="注釈"/>
=== 出典 ===
<div style="font-size:88%">{{reflist|2}}</div>

==参考文献==
==参考文献==
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* 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
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**{{Cite book|和書|author=海軍大臣官房|year=1940|month=|title=海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716|publisher=海軍大臣官房|ref=海軍制度沿革(巻8、1940)}}
**{{Cite book|和書|author=海軍大臣官房|year=1940|month=|title=海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713|publisher=海軍大臣官房|ref=海軍制度沿革(巻11、1940)}}

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**{{Cite book|和書|id=ref.C04015977600|title=土国駆逐艦本邦注文に関する件(2)|ref=土国駆逐艦本邦注文(2)}}
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*海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
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* <!--セカイ2012-->{{Cite journal|和書|author=|date=2012-12|title=|journal=世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史|pages=|publisher=海人社|ref=日本駆逐艦史2012}}
* <!--ニホンゾウセン1977-->{{Cite book|和書|volume=明治百年史叢書 第207巻|title=昭和造船史(第1巻)|editor=(社)日本造船学会/編|edition=第3版|publisher=原書房|date=1981|origdate=1977-10|isbn=4-562-00302-2|ref=昭和造船史1}}
* <!--ニホンハクヨウ-->{{Cite book|和書|volume=明治百年史叢書 第245巻|title=帝国海軍機関史|editor=日本舶用機関史編集委員会/編|publisher=原書房|date=1975-11|ref=帝国海軍機関史(1975)}}<!-- 上巻、下巻、別冊の3分冊-->
* [[福井静夫]]『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
* [[福井静夫]]『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
* <!--フクイ1994-->{{Cite book|和書|author=[[福井静夫]]|date=1994|title=写真 日本海軍全艦艇史|publisher=ベストセラーズ|isbn=4-584-17054-1|ref=日本海軍全艦艇史}}
* <!--フクタ-->{{Cite book|和書|date=1989-05|title=軍艦基本計画資料|editor=福田啓二/編|publisher=今日の話題社|isbn=4-87565-207-0|ref=軍艦基本計画資料}}
* <!--ボウエイチョウ-->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで|volume=[[戦史叢書]]第31巻|year=1969|publisher=[[朝雲新聞社]]|ref=戦史叢書31海軍軍戦備1}}
* 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』(原書房、1969年)ISBN 4-562-01873-9
* 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』(原書房、1969年)ISBN 4-562-01873-9
* <!--マキノ-->{{Cite book|和書|editor=[[牧野茂 (軍人)|牧野茂]]、[[福井静夫]]/編|date=1987-05|title=海軍造船技術概要|publisher=今日の話題社|isbn=4-87565-205-4|ref=海軍造船技術概要(1987)}}
*海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
* <!-- モデルアート -->艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
*『[[官報]]』
*『[[官報]]』


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[大日本帝国海軍艦艇一覧]]
*[[大日本帝国海軍艦艇一覧]]
*[[陽炎型駆逐艦]]
**[[天津風 (陽炎型駆逐艦)]]
**[[磯風 (陽炎型駆逐艦)]]
**[[浜風 (陽炎型駆逐艦)]]
**[[時津風 (陽炎型駆逐艦)]]


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2016年6月19日 (日) 04:18時点における版

磯風型(天津風型)駆逐艦
天津風(推定1927年10月[1])
天津風(推定1927年10月[1])
基本情報
種別 一等駆逐艦[2]
運用者  大日本帝国海軍
同型艦 天津風、磯風、濱風、時津風[2]
前級 浦風型駆逐艦
次級 江風型駆逐艦
要目 (計画)
基準排水量 公表値 1,105トン[3]
常備排水量 1,227トン[4]
全長326 ftin (99.52 m)[5]
水線長317 ft 0 in (96.62 m)[5][注釈 1]
垂線間長310 ft 0 in (94.49 m)[4]
最大幅28 ft 0 in (8.53 m)[4]
または 8.52m[6]
深さ18 ft 5 in (5.61 m)[5]
吃水9 ft 3+12 in (2.83 m)[4]
ボイラー ロ号艦本式缶 重油専焼3基、同混焼2基[7]
主機 直結タービン(高圧低圧低圧、減速ギア連結巡航タービン2基[8])[9] 1組
推進器 3軸[4] x 750rpm[9]
直径6 ft 6 in (1.98 m)、ピッチ6 ft 2 in (1.88 m)(磯風)[10]
出力 27,000馬力[4]
速力 34.0ノット[4]
航続距離 2,800カイリ / 14ノット[5]
または 3,360カイリ / 14ノット[6]
燃料 重油297トン、石炭147トン[4]
または 重油220トン、石炭220トン[5]
または 重油297トン、石炭92トン[要出典]
乗員 竣工時定員 145名[11][4]
兵装 40口径安式12cm単装砲 4門[4]
三年式機砲 2挺[4]
四四式18インチ(45cm)連装発射管[9] 3基6門[5]
魚雷12本[5]
搭載艇 4隻[4]
トンは英トン
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磯風型駆逐艦(いそかぜかたくちくかん)は、大日本帝国海軍駆逐艦の艦級[12]。日本海軍の正式類別は天津風型駆逐艦(あまつかぜがたくちくかん)[13][14]

計画

天津風型駆逐艦4隻(天津風、磯風、浜風、時津風)は[15]海風型駆逐艦につぐ国産一等駆逐艦で[16]八四艦隊案の第一歩となる大正4年度成立した軍備補充費の予算追加要求で計画された[17]。予算は大正5年度と同6年度の新造艦艇製造費から、4隻合計8,113,660万円と説明されている[18]呉海軍工廠で2隻、三菱長崎造船所で1隻、川崎造船所で1隻が建造され、4隻とも1917年(大正6年)に竣工した[19]。起工から5カ月ほどで竣工した樺型に対し、「浜風」で進水から竣工まで5カ月掛かっていて、より慎重に工事が進められたことを示している[20][注釈 2]

艦型

基本計画番号F24[21]海風型の拡大型といえる艦級である[22]

船体は海風型に引き続き船首楼型。艦首はいわゆるスプーン型で[23]、日本海軍では大正4年度計画の駆逐艦から採用されており、一等駆逐艦には本型から採用された[24]。凌波性はまだ十分でなく[20]、1919年(大正8年)の大演習で「浜風」が波浪によって艦橋破壊の被害を受けている[25]。船体構造は重量軽減策として縦通構造としたが、工作が面倒で以後の駆逐艦には採用されなかった[26]

砲は40口径12cm砲に統一し(海風型は12cmと8cm砲の混載)、4門全てを中心線上に配置した[26]。魚雷発射管は連装3基6門として海風型(連装2基4門)より強化された[20][注釈 3]

ボイラーは海風型と同じ重油専焼缶と石炭重油混焼缶を搭載、前部2基が小型の混焼、後部3基が重油専焼のロ号艦本式ボイラー計5基(海風型はイ号艦本式計8基[27])となり、煙突も3本(同4本[27])となった[16]

主機は海風型同様、直結タービンを搭載した3軸艦で中央軸に高圧タービン、両舷軸に低圧タービン各1基を接続した。 更に減速ギア接続の巡航タービンが各1基ずつ搭載され、両舷軸に接続された[28]。巡航タービンは「浦風」(竣工後に装備)に先駆けて装備された[9]。タービン用減速ギアは日本海軍で初めての採用で、これは呉海軍工廠三菱で製造した[28]。ギアの騒音が危惧されたが竣工後の問題は特に無かった[28]。またタービン形式は「天津風」「時津風」にはブラウン・カーチス式、「磯風」「浜風」にはパーソンズ式を採用、燃料消費量などの成績はパーソンズ式の方が良好だった[28]

スクリューは「天津風」「磯風」が直径6ft6in・ピッチ6ft2in、「時津風」が同6ft6in・6ft0in、「浜風」が同6ft4in・5ft10in1/4と異なり、それぞれの比較実験を行った結果、「天津風」のそれが一番推進効率が良く、「浜風」のが最低だった[10]。また公試後の検査ではスクリューに最大で1/2インチ(約13mm)の腐食が見つかり、一時的ではあるが、連続航行で7,000馬力、短時間で6/10全力(16,200馬力程度)に出力が制限された[10]。代艦の「時津風」(後述)は公試で32ノットに届かず、推進器の交換でようやく33ノットを超える速力となった[29]。新造時の同艦(速力は35.56ノット)のスクリュー翼の厚さは3インチ3/4で代艦のそれは5インチと4インチとなっていて、翼の厚さが速力に大きく影響することが判明した[29]

運用・その他

4番艦時津風は竣工翌年に九州で座礁し船体破壊、代艦を建造している。ただし名目上は大修理とされて新艦とされなかった[12]

1935年(昭和10年)4月1日に4隻そろって除籍[30]、艦名は4隻とも陽炎型駆逐艦に継承された[31]

駆逐隊

1917年(大正6年)4月1日、「有明」「吹雪」「霰」「弥生」(初代神風型)に代わって、「磯風」「浜風」で第一駆逐隊を編成[32]横須賀鎮守府[33]。当時の第一駆逐隊は第二艦隊第二水雷戦隊に所属[34]、「天津風」が同年4月14日に[35]、「時津風」が5月31日に編入し[36]、同隊は同型艦4隻の編成になった。

1918年(大正7年)4月17日から1920年(大正9年)2月19日までは「時津風」が除かれ3隻で編成[37]、同年5月1日、第一駆逐隊は第二艦隊第二水雷戦隊から外れた[38]。10月13日に4隻は舞鶴鎮守府籍に移り、新たに第三十三駆逐隊を編成した[39]

1922年(大正11年)12月1日に本籍が呉鎮守府に移り、4隻で第十八駆逐隊を編成[40]、以降除籍まで4隻の編成が続いた[41]第十八駆逐隊の所属は翌1923年(大正12年)12月1日までの1年間が舞鶴鎮守府[42]1924年(大正13年)4月1日から1925年(大正14年)4月1日までの1年間が大湊要港部となり[43]、1927年(昭和2年)2月5日から[44]同年9月20日まで第一遣外艦隊となった[45]。以降解隊まで艦隊所属は無い[46]

同型艦

磯風(いそかぜ)

1915年(大正4年)7月10日、一旦「時津風」と命名後、同年8月25日に「磯風」と改名[47][48]呉海軍工廠において1916年(大正5年)4月5日起工、同年10月5日進水(天津風と同日)[49]1917年(大正6年)2月28日竣工[50][51][52]。天津風型2番艦[13]1935年(昭和10年)4月1日、除籍[14][53]

浜風(はまかぜ)

1915年(大正4年)7月10日、濱風と命名[47]三菱長崎造船所において1916年(大正5年)4月1日起工、同年10月30日進水[54]、1917年(大正6年)3月28日竣工[55][56][57][52]。天津風型3番艦[13]1919年(大正8年)、大演習時に波浪により艦橋破壊、笹尾源之丞司令が殉職する事故を起こす。1935年4月1日、除籍[14][58]

天津風(あまつかぜ)

1915年(大正4年)7月10日、「天津風」と命名[47]。天津風型駆逐艦のネームシップ[13]。呉海軍工廠で1916年(大正5年)4月5日起工(磯風と同日)、同年10月5日進水(磯風と同日)[49]、1917年(大正6年)4月14日竣工[59][52]。1935年4月1日、除籍[14][60]

時津風(ときつかぜ)

1915年(大正4年)7月10日、「磯風」と命名されたが[47]、8月25日附で「時津風」と改名[48]。1916年(大正5年)3月10日起工[52]12月27日進水[61]。1917年(大正6年)5月31日、川崎造船所で竣工[62][52]1918年(大正7年)3月30日九州宮崎県・折生迫(おりうざこ)海岸で座礁し船体破壊。兵装、備品を取り外して放棄。同年12月2日舞鶴海軍工廠で代艦を起工[63]1919年(大正8年)3月31日進水[64]1920年(大正9年)2月27日竣工[65][66]。天津風型4番艦[13]。1935年4月1日、除籍[14][60]

脚注

注釈

  1. ^ #軍艦基本計画資料Sheet15によると天津風の完成常備状態で水線長96.676m
  2. ^ #日本駆逐艦物語pp.70では『第一次世界大戦における駆逐艦のいちじるしい不足に際し、樺型の急造についで、二等駆逐艦桃型と併行して建造された』とある。
  3. ^ #海軍造船技術概要(1987)p.380では3連装2基としているが誤り。

出典

  1. ^ #日本海軍全艦艇史下巻p.556、No.1482の写真解説
  2. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)pp.88-92『大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表省略)』| 驅逐艦 | 一等 | 天津風型 | 天津風、磯風、濱風、時津風 |
  3. ^ #海軍制度沿革巻11-2(1972)pp.1068-1069、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
  5. ^ a b c d e f g #海軍造船技術概要p.388
  6. ^ a b #昭和造船史1pp.788-789、附表第2 艦艇要目表
  7. ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.546(第三巻、四五六頁)
  8. ^ #帝国海軍機関史(1975)別冊表20、『(第一一表)』
  9. ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻p.544(第三巻、四五四頁)
  10. ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.549-550(第三巻、四五九-四六〇頁)、五 推進器。
  11. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.567-568、大正5年10月12日内令223、「天津風、磯風」の定員制定。將校、機關將校8人、特務士官、准士官3人、下士37人、卒97人。同書p.568、大正6年1月20日内令5で「、濱風」追加、同日内令9で「、時津風」追加。
  12. ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風型(四隻) 艦種一等驅逐艦 磯風(いそかぜ) 昭和10年4月除籍 濱風(はまかぜ) (同上) 天津風(あまつかぜ) (同上) 時津風(ときつかぜ) 大正7年3月九州宮崎沖に坐礁、舞鶴にて大修理。昭和10年4月除籍』
  13. ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』
  14. ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年四月一日(内令一三六) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、海防艦ノ項中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等ノ部中天津風型及谷風ノ項ヲ削リ、同二等ノ部中椿ノ項ヲ削ル|潜水艦、二等ノ部中海中三型ノ項中「呂號第二十三、呂號第二十四、ヲ削ル』
  15. ^ #土国駆逐艦本邦注文(2)p.2『駆逐艦|天津風型|4|(以下略)』
  16. ^ a b #日本駆逐艦物語pp.70-71
  17. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.242-243
  18. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.244
  19. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.244-245
  20. ^ a b c #日本駆逐艦史1992p.48
  21. ^ #日本駆逐艦物語p.284
  22. ^ 『駆逐艦の系譜1』p.28
  23. ^ 『駆逐艦の系譜1』p.29、艦型図
  24. ^ #日本駆逐艦史2012p.56
  25. ^ #銘銘伝2014pp.325
  26. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)上巻p.380
  27. ^ a b #日本駆逐艦物語p.68
  28. ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.545-546(第三巻、四五五-四五六頁)、二 主機械ノ制式
  29. ^ a b #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.552-553(第三巻、四六二-四六三頁)
  30. ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像3-5
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  33. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.74
  34. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.28、大正5年12月1日附内令245。同書p.29、大正6年12月1日附内令279
  35. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.74、大正6年内令93
  36. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.74、大正6年内令133
  37. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.76、大正7年内令129。同書p.78、大正9年内令37
  38. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.34、大正9年内令134
  39. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.79、大正9年内令384『第一驅逐隊ヲ削リ舞鎮ノ欄ニ第三十三驅逐隊(天津風、磯風、濱風、時津風)ヲ加フ』
  40. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.81-82、大正11年内令82『驅逐隊編成本表ノ通リ改定セラル』
  41. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.81-101。同書p.100、昭和10年4月1日附内令122『第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  42. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.81-82、大正11年内令82。同書p.84、大正12年内令422。
  43. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.83、大正13年内令83『第九驅逐隊ノ大湊要港部所属ヲ削リ第十八驅逐隊ヲ同要港部ノ所属トス』。同書p.85、大正14年内令143『第十八驅逐隊ノ所属大湊要港部所属ヲ削ル』
  44. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.87、昭和2年内令45『第十八驅逐隊ノ所属ヲ第一遣外艦隊トス』
  45. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.88、昭和2年内令307『第十八驅逐隊ノ所属第一遣外艦隊ヲ削ル』
  46. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.88-101
  47. ^ a b c d #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『◎驅逐艦天津風時津風磯風濱風桃柳柳樫檜命名ノ件 大正四年七月十日(達九七)軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス|呉海軍工廠ニ於テ製造 一等驅逐艦二隻{天津風アマツカゼ 時津風トキツカゼ|神戸川崎造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦一隻 磯風イソカゼ|長崎三菱造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦 濱風ハマカゼ|佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{モモ ヤナギ|舞鶴海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{カシ ヒノキ
  48. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『大正四年八月二十五日(達一一三)本達九十七號ヲ以テ命名シタル驅逐艦中呉海軍工廠ニ於テ製造ノ「時津風」ヲ「磯風」ニ川崎造船所ニ於テ製造ノ「磯風」ヲ「時津風」ニ改ム』
  49. ^ a b #磯風浜風天津風時津風(1)p.43『天津風磯風勝力本日無事進水セリ 十月五日 呉鎮守府司令長官』
  50. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.8『磯風竣工本日授受結了 二月廿八日 呉鎮長官』
  51. ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『磯風|一等驅逐艦|全長(米)94.49|幅(米)8.53|吃水(米)2.83|排水量(噸)常備12,227/基準1,105|速力(節)34|定員數145|短艇數-|造船所 呉工廠|竣工年月日 大正5-4-5|進水年月日 大正5-10-5|竣工年月日 大正6-2-28|大砲12c/m 4|機銃2|發射管6|探照燈4|(機関)種類タービン/數3|(罐)種類 艦本式/數3|推進器數3|備考』
  52. ^ a b c d e #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風(起工)大正5-4-5 (進水)大正5-10-5 (竣工)大正6-2-28 (建造所)呉工廠|濱風(起工)同5-4-1 (進水)同6-10-30 (竣工)同6-3-28 (建造所)三菱造船所|天津風(起工)同5-4-5 (進水)同5-10-5 (竣工)同6-4-14 (建造所)呉工廠|時津風(起工)同5-3-10 (進水)同5-12-27 (竣工)同6-5-31 (建造所)川崎造船所』
  53. ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像4
  54. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.2『大正五年十月三十一日(略)濱風午前十時無事進水セリ。(了)』
  55. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.14『大正六年三月十八日(略)本日午前十時造船所ヨリ本艦ヲ受領ス』
  56. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.45『大正六年三月十二日(略)濱風来ル二八日引渡ノ予定』
  57. ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『濱風(艦要目略)|三菱長崎造船所|大正5-4-1|大正5-10-30|大正6-3-28|(武装略)』
  58. ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像5
  59. ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『天津風(艦要目略)|呉工廠|大正5-4-5|大正5-10-5|大正6-4-14|(武装略)』
  60. ^ a b #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像3
  61. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.5『大正五年十二月二十七日(略)時津風無事進水セリ』
  62. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.46『大正六年五月廿九日(略)時津風三十一日受領ノ予定御届ス』
  63. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.48『大正七年十二月二日舞鶴海軍工廠長(略)時津風起工ノ件 一等驅逐艦時津風本日起工右報告ス』
  64. ^ 進水 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C08021315200 『大正八年三月六日 舞鶴鎮守府司令長官 野間口兼雄 海軍大臣加藤友三郎殿 驅逐艦時津風進水ノ件 驅逐艦時津風大正八年三月三十一日進水ノ豫定 右報告ス』
  65. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.49『大正九年月二月十七日舞工廠長』
  66. ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『時津風(艦要目略)|神戸川崎造船所|大正7-12-2|大正8-3-31|大正9-2-17|(武装略)』

参考文献

  • 国立国会図書館デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『磯風、浜風、天津風、時津風(1)』。ref.C08020923000。 
    • 『磯風、浜風、天津風、時津風(2)』。ref.C08020923100。 
    • 『土国駆逐艦本邦注文に関する件(1)』。ref.C04015977500。 
    • 『土国駆逐艦本邦注文に関する件(2)』。ref.C04015977600。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(1)』。Ref.C14010005900。 
  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
  • 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。 
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』、海人社、2012年12月。 
  • (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 福田啓二/編 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』(原書房、1969年)ISBN 4-562-01873-9
  • 牧野茂福井静夫/編 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
  • 官報

関連項目