時津風 (磯風型駆逐艦)
時津風 | |
---|---|
公試中の時津風(代艦)、1920年1月1日、宮津湾外、舞鶴海軍工廠撮影[1] | |
基本情報 | |
建造所 |
川崎造船所(初代)[2] 舞鶴海軍工廠(代艦)[3] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 一等駆逐艦[4] |
級名 | 磯風型(天津風型[5]) |
建造費 | 要求予算 2,028,415円[注釈 1] |
母港 | 横須賀 → 舞鶴 → 呉 |
艦歴 | |
計画 | 大正4年(1915年)度計画[6](八四艦隊案) |
起工 |
1916年3月10日[7][8] 1918年12月2日(代艦)[3] |
進水 |
1916年12月27日[8][9] 1919年3月31日(代艦)[10] |
竣工 |
1917年5月31日[8] 1920年2月17日(代艦)[11] |
除籍 | 1935年4月1日(代艦)[12] |
その後 |
海軍兵学校練習船として使用[6] 戦後解体[6] |
要目(計画) | |
基準排水量 | 公表値 1,105トン[13] |
常備排水量 | 1,227トン[14] |
全長 | 326 ft 6 in (99.52 m)[15] |
水線長 | 317 ft 0 in (96.62 m)[15][注釈 2] |
垂線間長 | 310 ft 0 in (94.49 m)[14] |
最大幅 |
28 ft 0 in (8.53 m)[14] または 8.52m[16] |
深さ | 18 ft 5 in (5.61 m)[15] |
吃水 | 9 ft 3+1⁄2 in (2.83 m)[14] |
ボイラー | ロ号艦本式缶 重油専焼3基、同混焼2基[17] |
主機 | ブラウン・カーチス式直結タービン(高圧低圧低圧、減速ギア連結巡航タービン2基[18])[19] 1組 |
推進 |
3軸[14] x 750rpm[19] 直径6 ft 6 in (1.98 m)、ピッチ6 ft 0 in (1.83 m)(新造時)[20] |
出力 |
計画 27,000馬力[14] 新造公試成績 33,014馬力[21] |
速力 |
計画 34.0ノット[14] 新造公試成績 35.558ノット[21] |
燃料 |
重油297トン、石炭147トン[14] または 重油220トン、石炭220トン[15] または 重油297トン、石炭92トン[要出典] |
航続距離 |
2,800カイリ / 14ノット[15] または 3,360カイリ / 14ノット[16] |
乗員 | 竣工時定員 145名[14][22] |
兵装 |
40口径安式12cm単装砲 4門[14] 三年式機砲 2挺[14] 四四式18インチ(45cm)連装発射管[19] 3基6門[15] 魚雷12本[15] |
搭載艇 | 4隻[14] |
トンは英トン |
時津風(ときつかぜ)は、日本海軍の駆逐艦[23][24]。 日本海軍の正式な類別は一等駆逐艦天津風型4番艦[25]。磯風型駆逐艦4番艦とされることもある[26]。同名艦に陽炎型駆逐艦10番艦「時津風」がある為[27]、こちらは「時津風 (初代)」や「時津風I」などと表記される。
時津風は『満潮の時に吹く風、または時節に順う風[8]』の意味。
艦歴
[編集]1915年(大正4年)7月10日、日本海軍は呉海軍工廠で建造予定の一等駆逐艦2隻を「天津風」と「時津風」と命名、神戸川崎造船所で建造予定の駆逐艦を「磯風」、長崎三菱造船所の駆逐艦を「浜風」と命名した[28][23]。 同年8月25日、「磯風」は「時津風」に改名[2][24]。呉工廠の「時津風」は「磯風」に改名した[2][24]。
1916年(大正5年)1月27日、天津風型4隻(天津風、時津風、磯風、浜風)と桃型駆逐艦4隻(桃、柳、樫、檜)は艦艇類別等級表に登録[4][29]。 本艦は4月5日、神戸川崎造船所で起工[30]。12月27日進水[9]。1917年(大正6年)5月31日に竣工した[30][31]。同日第一駆逐隊(本籍:横須賀鎮守府[32]、所属:第二艦隊第二水雷戦隊[33])に編入[34]、同隊は同型艦4隻の編成になった。
1918年(大正7年)3月25日、宮崎県の折生迫(おりうざこ)海岸で座礁し、船体を切断する[6]。これにより「時津風」は使用不能となり、兵装、備品を取り外して放棄された[6]。4月17日、「時津風」は第一駆逐隊から除かれる[35]。同年12月2日舞鶴海軍工廠で、座礁した「時津風」から取り外された兵装・備品を利用して代艦を起工[3][36]、 1919年(大正8年)3月31日進水[36][37]、1920年(大正9年)2月17日竣工[36][38]、 代艦が造られたため実際には新造されたのであるが、本艦のケースは「大修理」として扱われたため[26]、代艦も「時津風」として扱われた[3]。
同年2月19日に第一駆逐隊(所属:第二艦隊第二水雷戦隊)に復帰[39]、5月11日に第一駆逐隊は第二水雷戦隊から外れた。10月13日に同型艦4隻は舞鶴鎮守府籍に移り、新たに第三十三駆逐隊を編成した[40]。
1922年(大正11年)12月1日に本籍が呉鎮守府に移り、4隻で第十八駆逐隊を編成[41]、以降除籍まで第十八駆逐隊は4隻の編成が続いた[42]。第十八駆逐隊の所属は翌1923年(大正12年)12月1日までの1年間が舞鶴鎮守府[43]、1924年(大正13年)4月1日から1925年(大正14年)4月1日までの1年間が大湊要港部となる[44]。
1927年(昭和2年)2月5日から第一遣外艦隊所属[45]、本艦は2月19日に呉を出港し、揚子江流域に進出、8月27日に呉に帰港した[12]。9月20日、第十八駆逐隊は第一遣外艦隊の所属を外れた[46]。
1935年(昭和10年)4月1日、天津風型駆逐艦は艦艇類別等級表から削除[47]、同日駆逐艦籍からも除かれた[12]。 1939年(昭和14年)8月25日、日本海軍は浦賀船渠で建造の陽炎型駆逐艦10番艦を「時津風」と命名[27]。除籍後の旧時津風は1940年(昭和15年)4月1日「廃駆逐艦第20号」と仮称し[6]、ハルクとして[48]海軍兵学校の練習船に使用された[6]。この時兵装は全部撤去、上構は艦橋、前後マスト、煙突、通風筒などが残されていた[48]。船体は第二次大戦終戦直後の台風で沈没、その後浮揚し[6]、1948年(昭和23年)2月1日から4月1日に播磨造船呉船渠(旧呉海軍工廠)で解体された[49]。
公試成績
[編集]代艦建造の際の復旧公試では新造公試の成績に及ばず、その原因は推進器(スクリュー)の翼を厚くしたためと考えられた[50]。そのため復旧公試と同じ条件で場所のみを浦賀水道に変えて試験を行い、更に翼厚の違う推進器に交換してもう一度試験を行った[50]。結果、翼厚が速力に大きく影響することが判明した[50]。成績は以下の通り。
実施日 | 種類 | 排水量 | 回転数 | 出力 | 速力 | 場所 | 推進器翼厚 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
新造公試 | 1,185トン[21] | 814.2rpm | 33,014SHP | 35.558ノット[21] | 紀州沖 | 3インチ3/4 | [50] | |
復旧公試 | 775.7rpm | 30,906SHP | 31.68ノット | 経ヶ崎 | 5インチ | [50] | ||
第1回汽走 | 769.7rpm | 29,649SHP | 31.80ノット | 浦賀水道 | 5インチ | [50] | ||
第2回汽走 | 752.88rpm | 28,472SHP | 33.20ノット | 浦賀水道 | 4インチ | [50] |
その他に1917年(大正6年)6月20日の電報には回転数733.03、30,280馬力、速力29.742ノットとある[51]
艦長
[編集]※艦長等は『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 河野捨熊 少佐:1916年9月12日 - 1917年1月20日
- (兼)河野捨熊 少佐:1917年1月20日 -
- 駆逐艦長
- 河野捨熊 少佐:1917年1月20日 - 12月1日[52]
- 和波豊一 少佐:1917年12月1日 - 1918年8月20日
- (心得)神谷京 少佐:1919年5月20日[53] - 1919年12月1日[54]
- (心得)村上正之助 少佐:1919年12月2日[55] - 1920年11月15日[56]
- (心得)山本松四 少佐:1920年11月15日[56] - 1920年12月15日[57]
- (兼・心得)田尻敏郎 少佐:1920年12月15日 - 1921年1月7日
- (心得)大久保義雄 少佐:1921年1月7日[58] - 1922年11月10日[59]
- (心得)吉田健介 少佐:1922年12月1日[60] - 1923年4月1日[61]
- (心得)石井先知 少佐:1923年4月1日[61] - 1923年4月16日[62]
- (兼・心得)村田章一 少佐:1923年4月16日[62] - 5月10日[63]
- (心得)和田省三 少佐:1923年5月10日 - 不詳
- 和田省三 中佐:不詳 - 1924年12月1日[64]
- 横山徳治郎 少佐:1924年12月1日 - 1925年8月20日
- 丸山良雄 少佐:1925年8月20日[65] - 1925年12月1日[66]
- 小橋義亮 少佐:1925年12月1日[66] - 1926年4月5日[67]
- 横山茂 少佐:1926年4月5日[67] - 1927年12月1日[68]
- 後藤鉄五郎 少佐:1927年12月1日[68] - 1928年12月10日[69]
- 直塚八郎 少佐:1928年12月10日 - 1930年12月1日
- 成田忠良 少佐:1930年12月1日[70] - 1931年12月1日[71]
- (兼)古木百蔵 少佐:1931年12月1日[71] - 1932年2月6日[72]
- (兼)大山豊次郎 少佐:1932年2月6日[72] -
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.244。但し4隻の合計8,113,660円から計算。
- ^ #軍艦基本計画資料Sheet15によると天津風の完成常備状態で水線長96.676m
出典
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- ^ a b c #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『大正四年八月二十五日(達一一三)本達九十七號ヲ以テ命名シタル驅逐艦中呉海軍工廠ニ於テ製造ノ「時津風」ヲ「磯風」ニ川崎造船所ニ於テ製造ノ「磯風」ヲ「時津風」ニ改ム』
- ^ a b c d #磯風浜風天津風時津風(2)p.48『大正七年十二月二日舞鶴海軍工廠長(略)時津風起工ノ件 一等驅逐艦時津風本日起工右報告ス』
- ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)p.57『大正五年一月二十七日(達六)艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ部「江風」ノ次ニ「天津風、時津風、磯風、濱風」ヲ、「杉」ノ次ニ「桃、柳、樫、檜」ヲ加フ』
- ^ #沿革8(1971)pp.88-92『大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表省略)』| 驅逐艦 | 一等 | 天津風型 | 天津風、磯風、濱風、時津風 |
- ^ a b c d e f g h 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.12
- ^ #T5公文備考27/起工画像2、大正5年3月10日電報『時津風本日起工舩体工事ニ着手セリ 報告ス(終)』
- ^ a b c d #日本海軍艦船名考pp.211-212
- ^ a b #磯風浜風天津風時津風(2)p.5『大正五年十二月二十七日(略)時津風無事進水セリ』
- ^ #T8公文備考20艦船3/進水画像7、大正8年3月31日電報訳『時津風本日午後二時無事進水結了ス 三月三十一日、舞鎮司令長官 大臣宛』
- ^ #T8公文備考21/駆逐艦時津風授受の件画像2、『時津風機密第一七號 大正九年二月十七日於舞鶴 時津風驅逐艦長心得海軍少佐村上正之助 舞鶴鎮守府司令長官黒井悌次郎殿 時津風受領ノ件 一.驅逐艦時津風 本日授受ヲ了シ受領致シ候 右報告ス (終)』
- ^ a b c #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像3
- ^ #沿革11-2(1972)pp.1068-1069、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲。
- ^ a b c d e f g h i j k l #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
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- ^ a b #昭和造船史1pp.788-789、附表第2 艦艇要目表
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.546(第三巻、四五六頁)
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- ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)下巻p.544(第三巻、四五四頁)
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.549-550(第三巻、四五九-四六〇頁)、五 推進器。
- ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻p.551(第三巻、四六一頁)、公試運転成績摘要
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- ^ a b #達大正4年7月p.44『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス 大正四年七月十日 海軍大臣 八代六郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦二隻{天津風アマツカゼ 時津風トキツカゼ|神戸川崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦一隻 磯風イソカゼ|長崎三菱造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦一隻 濱風ハマカゼ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等驅逐艦二隻{桃モモ 柳ヤナギ|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 二等驅逐艦二隻{樫カシ 檜ヒノキ』
- ^ a b c #達大正4年7月p.15『達第百十三號 本年達第九十七號ヲ以テ命名シタル驅逐艦中呉海軍工廠ニ於テ製造ノ「時津風」ヲ「磯風」ニ川崎造船所ニ於テ建造ノ「磯風」ヲ「時津風」ニ改ム 大正四年八月二十五日 海軍大臣 加藤友三郎』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』
- ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風型(四隻) 艦種一等驅逐艦 磯風(いそかぜ) 昭和10年4月除籍 濱風(はまかぜ) (同上) 天津風(あまつかぜ) (同上) 時津風(ときつかぜ) 大正7年3月九州宮崎沖に坐礁、舞鶴にて大修理。昭和10年4月除籍』
- ^ a b #達昭和14年8月p.30『達第百三十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ砲艦一隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年八月二十五日 海軍大臣 米内光政|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 砲艦 隅田(スミダ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 天津風(アマツカゼ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 時津風(トキツカゼ)』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『◎驅逐艦天津風時津風磯風濱風桃柳柳樫檜命名ノ件 大正四年七月十日(達九七)軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス|呉海軍工廠ニ於テ製造 一等驅逐艦二隻{
天津風 時津風 |神戸川崎造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦一隻磯風 |長崎三菱造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦濱風 |佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{桃 柳 |舞鶴海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{樫 檜 』 - ^ #達大正5年1月p.25『達第六號 艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ部「江風」ノ次ニ「、天津風、時津風、磯風、濱風」ヲ、「杉」ノ次ニ「、桃、柳、樫、檜」ヲ加フ 大正五年一月二十七日 海軍大臣 加藤友三郎』
- ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風(起工)大正5-4-5 (進水)大正5-10-5 (竣工)大正6-2-28 (建造所)呉工廠|濱風(起工)同5-4-1 (進水)同6-10-30 (竣工)同6-3-28 (建造所)三菱造船所|天津風(起工)同5-4-5 (進水)同5-10-5 (竣工)同6-4-14 (建造所)呉工廠|時津風(起工)同5-3-10 (進水)同5-12-27 (竣工)同6-5-31 (建造所)川崎造船所』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.46『大正六年五月廿九日(略)時津風三十一日受領ノ予定御届ス』
- ^ #沿革4-1(1971)p.74
- ^ #沿革4-1(1971)p.27
- ^ #沿革4-1(1971)p.74、大正6年内令133
- ^ #沿革4-1(1971)p.76、大正7年内令129
- ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『時津風(艦要目略)|神戸川崎造船所|大正7-12-2|大正8-3-31|大正9-2-17|(武装略)』
- ^ 「進水 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C08021315200 『大正八年三月六日 舞鶴鎮守府司令長官 野間口兼雄 海軍大臣加藤友三郎殿 驅逐艦時津風進水ノ件 驅逐艦時津風大正八年三月三十一日進水ノ豫定 右報告ス』
- ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.49『大正九年月二月十七日舞工廠長』
- ^ #沿革4-1(1971)p.78、大正9年内令37
- ^ #沿革4-1(1971)p.79、大正9年内令384『第一驅逐隊ヲ削リ舞鎮ノ欄ニ第三十三驅逐隊(天津風、磯風、濱風、時津風)ヲ加フ』
- ^ #沿革4-1(1971)p.81-82、大正11年内令82『驅逐隊編成本表ノ通リ改定セラル』
- ^ #沿革4-1(1971)pp.81-101。同書p.100、昭和10年4月1日附内令122『第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル』
- ^ #沿革4-1(1971)p.81-82、大正11年内令82。同書p.84、大正12年内令422。
- ^ #沿革4-1(1971)pp.83、大正13年内令83『第九驅逐隊ノ大湊要港部所属ヲ削リ第十八驅逐隊ヲ同要港部ノ所属トス』。同書p.85、大正14年内令143『第十八驅逐隊ノ所属大湊要港部所属ヲ削ル』
- ^ #沿革4-1(1971)p.87、昭和2年内令45『第十八驅逐隊ノ所属ヲ第一遣外艦隊トス』
- ^ #沿革4-1(1971)p.88、昭和2年内令307『第十八驅逐隊ノ所属第一遣外艦隊ヲ削ル』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年四月一日(内令一三六) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、海防艦ノ項中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等ノ部中天津風型及谷風ノ項ヲ削リ、同二等ノ部中椿ノ項ヲ削ル|潜水艦、二等ノ部中海中三型ノ項中「呂號第二十三、呂號第二十四、ヲ削ル』
- ^ a b #終戦時の日本海軍艦艇p.192-2
- ^ 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時(内地)艦艇処分状況」1948年3月20日現在、#終戦と帝国艦艇(2011)資料2、p.27
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- ^ #T6公文備考21/試験(1)画像45、大正6年6月20日電報『時津風全力試験済回転数七百三十三奇零三馬力三万二百八十馬力速力二十九節千分ノ七百二十四(終)』
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参考文献
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- 国立国会図書館デジタルライブラリー - 国立国会図書館
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