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浜風 (磯風型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1915年度[1]
起工 1916年4月1日[1]
進水 1916年10月30日[1]
就役 1917年3月28日[1]
除籍 1935年4月1日[1]
性能諸元(計画)
排水量 基準:公表値 1,105トン
常備:1,227トン
全長 全長:326 ftin (99.52 m)
水線長:317 ft 0 in (96.62 m)[注釈 1]
垂線間長:310 ft 0 in (94.49 m)
全幅 28 ft 0 in (8.53 m)
または 8.52m
吃水 9 ft 3+12 in (2.83 m)
深さ 18 ft 5 in (5.61 m)
推進 3軸 x 750rpm
直径6 ft 6 in (1.98 m)、ピッチ6 ft 0 in (1.83 m)(新造時)[2]
機関 主機:パーソンズ式直結タービン(高圧低圧低圧、減速ギア連結巡航タービン2基)1組
出力:27,000馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼3基、同混焼2基
速力 34.0ノット
燃料 重油297トン、石炭147トン
または 重油220トン、石炭220トン
航続距離 2,800カイリ / 14ノット
または 3,360カイリ / 14ノット
乗員 竣工時定員 145名[3]
兵装 40口径安式12cm単装砲 4門
三年式機砲 2挺
四四式18インチ(45cm)連装発射管 3基6門
魚雷12本
搭載艇 4隻
備考 ※トンは英トン

浜風(濱風、はまかぜ)は、日本海軍駆逐艦[4][5]。日本海軍の正式な類別は一等駆逐艦天津風型3番艦[6]。磯風型駆逐艦2番艦とされることもある[7]。同名艦に陽炎型駆逐艦の「浜風」があるため、こちらは「浜風 (初代)」や「浜風I」などと表記される。

艦歴

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1915年大正4年)7月10日、濱風と命名[8]三菱長崎造船所において1916年(大正5年)4月1日起工、同年10月30日進水[9]1917年(大正6年)3月28日竣工[10][11][12][13]

1919年(大正8年)10月24日、大演習時に波浪により艦橋破壊事故を起こす。この事故で笹尾源之丞司令が負傷し、11月20日にこの時の傷が元で殉職する[14][15]

1928年(昭和3年)5月27日、現在の高知市桂浜近くの竜頭岬に建立された坂本龍馬の銅像除幕式において、桂浜沖合に停泊し礼砲を轟かせた。除幕式には浜風より陸戦隊も上陸し参列した[16]

1935年(昭和10年)4月1日、除籍[17][18]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 竹内正 少佐:1916年9月12日 - 1917年1月20日
  • (兼)竹内正 少佐:1917年1月20日 - 4月1日
駆逐艦長
  • 竹内正 少佐:1917年1月20日 - 12月1日[19]
  • 山内豊中 少佐:1917年12月1日 - 1918年9月10日
  • 山崎圭二 少佐:1918年9月10日[20] - 12月1日[21]
  • 加島次太郎 大尉:1918年12月1日[21] - 1919年4月1日[22]
  • (心得)加島次太郎 少佐:1919年4月1日[22] -
  • 山崎圭二 中佐:1919年12月1日[23] - 1920年10月2日[24]
  • (兼)堀内宗平 中佐:1920年10月2日[24] - 12月1日[25]
  • (心得)田尻敏郎 少佐:1920年12月1日 - 1922年7月20日
  • (心得)斎藤直彦 少佐:1922年7月20日[26] - 1923年6月11日[27]
  • (兼・心得)和田省三 少佐:1923年6月11日 - 6月30日
  • (心得)大久保義雄 少佐:1923年6月30日[28] - 11月1日[29]
  • (心得)浅井次郎 少佐:1923年12月1日[30] - 1924年12月1日[31]
  • 中円尾義三 少佐:1924年12月1日 - 1925年9月21日
  • (兼)石橋三郎 少佐:1925年9月21日[32] - 12月1日[33]
  • 久我徳一 少佐:1925年12月1日[33] - 1926年12月1日[34]
  • 栗田健男 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
  • 坂野民部 少佐:1927年12月1日[35] - 1928年12月10日[36]
  • 安富芳介 少佐:1928年12月10日[36] - 1930年11月20日[37]
  • 秋山輝男 少佐:1930年11月20日 - 1931年1月8日
  • 岡野慶三郎 少佐:1931年1月8日[38] - 1931年12月1日[39]
  • (兼)金桝義夫 少佐:1931年12月1日 - 1932年1月11日
  • 大山豊次郎 少佐:1932年1月11日[40] -

脚注

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注釈

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  1. ^ #軍艦基本計画資料Sheet15によると天津風の完成常備状態で水線長96.676m

出典

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  1. ^ a b c d e 『日本海軍史』第7巻、297頁。
  2. ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻pp.549-550(第三巻、四五九-四六〇頁)、五 推進器。
  3. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.567-568、大正5年10月12日内令223、「天津風、磯風」の定員制定。將校、機關將校8人、特務士官、准士官3人、下士37人、卒97人。同書p.568、大正6年1月20日内令5で「、濱風」追加、同日内令9で「、時津風」追加。
  4. ^ #達大正4年7月p.44『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス 大正四年七月十日 海軍大臣 八代六郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦二隻{天津風アマツカゼ 時津風トキツカゼ|神戸川崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦一隻 磯風イソカゼ|長崎三菱造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦一隻 濱風ハマカゼ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等驅逐艦二隻{桃モモ 柳ヤナギ|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 二等驅逐艦二隻{樫カシ 檜ヒノキ』
  5. ^ #達大正4年7月p.15『達第百十三號 本年達第九十七號ヲ以テ命名シタル驅逐艦中呉海軍工廠ニ於テ製造ノ「時津風」ヲ「磯風」ニ川崎造船所ニ於テ建造ノ「磯風」ヲ「時津風」ニ改ム 大正四年八月二十五日 海軍大臣 加藤友三郎』
  6. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』
  7. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風型(四隻) 艦種一等驅逐艦 磯風(いそかぜ) 昭和10年4月除籍 濱風(はまかぜ) (同上) 天津風(あまつかぜ) (同上) 時津風(ときつかぜ) 大正7年3月九州宮崎沖に坐礁、舞鶴にて大修理。昭和10年4月除籍』
  8. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『◎驅逐艦天津風時津風磯風濱風桃柳柳樫檜命名ノ件 大正四年七月十日(達九七)軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス|呉海軍工廠ニ於テ製造 一等驅逐艦二隻{天津風アマツカゼ 時津風トキツカゼ|神戸川崎造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦一隻 磯風イソカゼ|長崎三菱造船所ニ於テ製造 一等驅逐艦 濱風ハマカゼ|佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{モモ ヤナギ|舞鶴海軍工廠ニ於テ製造 二等驅逐艦二隻{カシ ヒノキ
  9. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.2『大正五年十月三十一日(略)濱風午前十時無事進水セリ。(了)』
  10. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.14『大正六年三月十八日(略)本日午前十時造船所ヨリ本艦ヲ受領ス』
  11. ^ #磯風浜風天津風時津風(2)p.45『大正六年三月十二日(略)濱風来ル二八日引渡ノ予定』
  12. ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.560『濱風(艦要目略)|三菱長崎造船所|大正5-4-1|大正5-10-30|大正6-3-28|(武装略)』
  13. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風(起工)大正5-4-5 (進水)大正5-10-5 (竣工)大正6-2-28 (建造所)呉工廠|濱風(起工)同5-4-1 (進水)同6-10-30 (竣工)同6-3-28 (建造所)三菱造船所|天津風(起工)同5-4-5 (進水)同5-10-5 (竣工)同6-4-14 (建造所)呉工廠|時津風(起工)同5-3-10 (進水)同5-12-27 (竣工)同6-5-31 (建造所)川崎造船所』
  14. ^ #銘銘伝2014p.325.
  15. ^ 『官報』第2175号、大正8年11月4日。
  16. ^ 『写真集 高知市・まちと人の100年』(株)東洋出版、1989年4月1日、16, 17頁。 
  17. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年四月一日(内令一三六) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、海防艦ノ項中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等ノ部中天津風型及谷風ノ項ヲ削リ、同二等ノ部中椿ノ項ヲ削ル|潜水艦、二等ノ部中海中三型ノ項中「呂號第二十三、呂號第二十四、ヲ削ル』
  18. ^ #S9恩給叙勲調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(1)画像5
  19. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  20. ^ 海軍辞令公報 大正7年9月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070263200 
  21. ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  22. ^ a b 『官報』第1997号、大正8年4月2日。
  23. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  24. ^ a b 『官報』第2453号、大正9年10月5日。
  25. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  26. ^ 『官報』第2991号、大正11年7月21日。
  27. ^ 『官報』第3259号、大正12年6月12日。
  28. ^ 『官報』第3276号、大正12年7月2日。
  29. ^ 『官報』第3359号、大正12年11月2日。
  30. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  31. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  32. ^ 『官報』第3926号、大正14年9月24日。
  33. ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  34. ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  35. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  36. ^ a b 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  37. ^ 『官報』第1170号、昭和5年11月21日。
  38. ^ 『官報』第1206号、昭和6年1月9日。
  39. ^ 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  40. ^ 『官報』第1507号、昭和7年1月12日。

参考文献

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  • 国立国会図書館デジタルライブラリー - 国立国会図書館
    • 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正4年達 完/達大正4年7月』。ref.C12070069400。 
    • 『磯風、浜風、天津風、時津風(2)』。ref.C08020923100。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(1)』。Ref.C14010005900。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』、海人社、2012年12月。 
  • 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0 

関連項目

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