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「信楽高原鐵道列車衝突事故」の版間の差分

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信楽高原鉄道脱線事故(しがらきこうげんてつどうだっせんじこ)は、1991年(平成3年)5月に信楽高原鐵道において発生した列車衝突事故である。

事故概要

1991年(平成3年)5月14日10時35分ごろ、滋賀県信楽高原鐵道信楽線小野谷信号場紫香楽宮跡駅間で、信楽貴生川行きの上り普通列車と、京都発信楽行きのJR直通下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」とが正面衝突。42名が死亡、614名が重軽傷を負った。当時、同線沿線の信楽町(現:甲賀市)では「世界陶芸祭」が開催されており、信楽高原鐵道は来場者輸送におおわらわであった。そして、衝突した臨時快速列車は、乗客で超満員の状態であったため、人的被害が非常に大きくなった。

原因

発端は、信楽駅を貴生川駅行きの普通列車が発車しようとした際、通常青に変わるはずの出発信号機が発車時刻になっても赤のままであったことである。この原因が分からないまま、信楽高原鐵道では誤出発検知装置を頼りにして普通列車を11分遅れで見切り発車させた。また信楽駅構内に設置されている信号機器室で、通常行ってはならない「運行時間中」の信号装置の点検により、誤出発検知装置により一度は赤信号を現示した対向の小野谷信号場の下り出発信号機が再び青信号を現示してしまい、下り快速列車は青信号に従ってそのまま進行し、正面衝突という大惨事を引き起こすこととなった。

信号の不具合の遠因は、JR西日本と信楽高原鐵道がそれぞれ別個に無認可で行った信号制御の改造と両社の意思疎通の欠如にあったため、遺族が両社を相手取って提訴、1999年(平成11年)の一審で両社の過失認定判決。JR西日本のみ控訴したが2002年(平成14年)の控訴審でも同社の過失が認定された。JR西日本は上告せず高裁判決が確定した。なおこの事故と信号不具合が原因で小野谷信号場は現在に至るまで休止中である。

外部リンク

参考記事:京都新聞リポート 「赤信号で走った列車~信楽高原鉄道事故の真相」