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*公式プロフィールでは[[1973年]]生まれとなっているが、2006年1月に起こした暴行事件の際に提出されたパスポートの記載内容から、「実際は[[1966年]]生まれ」などとスポーツ紙に報道された。ただし本人は「ナイジェリアでパスポートを取得した時に間違えられた。アフリカではよくあること」と否定している<ref>{{Cite web |date=2006-02-03 |url=http://blog.livedoor.jp/kikuta_sanae/archives/50433917.html |title=お騒がせ男ボビー |publisher=菊田早苗日記 |accessdate=2014-05-10}}</ref>。 |
*公式プロフィールでは[[1973年]]生まれとなっているが、2006年1月に起こした暴行事件の際に提出されたパスポートの記載内容から、「実際は[[1966年]]生まれ」などとスポーツ紙に報道された。ただし本人は「ナイジェリアでパスポートを取得した時に間違えられた。アフリカではよくあること」と否定している<ref>{{Cite web |date=2006-02-03 |url=http://blog.livedoor.jp/kikuta_sanae/archives/50433917.html |title=お騒がせ男ボビー |publisher=菊田早苗日記 |accessdate=2014-05-10}}</ref>。 |
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*前職の経験を生かし、[[株式|株]]や[[為替]]の取引、[[外国為替証拠金取引|FX]]などを趣味としている。2013年には[[別荘]]、翌2014年には自身が設計した一戸建ての新築住宅を購入している<ref name="spa" /><ref name="zai0508" /><ref name="zai0509" />。 |
*前職の経験を生かし、[[株式|株]]や[[為替]]の取引、[[外国為替証拠金取引|FX]]などを趣味としている。2013年には[[別荘]]、翌2014年には自身が設計した一戸建ての新築住宅を購入している<ref name="spa" /><ref name="zai0508" /><ref name="zai0509" />。 |
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*真正のマゾであり、SMクラブ通いを趣味としている。 |
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== 格闘家としての活動 == |
== 格闘家としての活動 == |
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2006年7月には[[藤本祐介]]と初のK-1ルールで対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり判定負け。 |
2006年7月には[[藤本祐介]]と初のK-1ルールで対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり判定負け。 |
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同年12月の『[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]』では[[チェ・ホンマン]]と対戦し<ref>{{Cite web |date=2006-12-19 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2006_12/1219_k-1.htm |title=【K-1】12・31 大晦日男ボビーの相手は何とチェ・ホンマン |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、1R16秒[[グラウンドパンチ|パウンド]]でTKO負け。 |
同年12月の『[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]』では[[チェ・ホンマン]]と対戦し<ref>{{Cite web |date=2006-12-19 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2006_12/1219_k-1.htm |title=【K-1】12・31 大晦日男ボビーの相手は何とチェ・ホンマン |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、1R16秒[[グラウンドパンチ|パウンド]]でTKO負け。試合後、「まだ終わってないよ~!まだ終わってないよ~!」と絶叫した。 |
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2007年の『[[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]』に4年連続参戦。[[ボブ・サップ]]と対戦し<ref>{{Cite web |date=2007-12-13 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2007_12/1213_k-1.htm |title=【K-1】12・31 ボビー・オロゴンとボブ・サップの異次元対決が実現! |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、1R4分10秒[[グラウンドパンチ|マウントパンチ]]でKO負け。 |
2007年の『[[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]』に4年連続参戦。[[ボブ・サップ]]と対戦し<ref>{{Cite web |date=2007-12-13 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2007_12/1213_k-1.htm |title=【K-1】12・31 ボビー・オロゴンとボブ・サップの異次元対決が実現! |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、1R4分10秒[[グラウンドパンチ|マウントパンチ]]でKO負け。試合後、「まだ~!まだ~!」と絶叫した。 |
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その後格闘技の試合は行わず、プロ[[ボクシング]]に転向した実弟・[[アンディ・オロゴン]]をサポートすべく、[[平仲明信|平仲ジム]]所属でセコンドライセンスを取得したが、2011年8月には女子[[シュートボクシング]]の大会をプロデュースしたり<ref>{{Cite web |date=2011-06-14 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2011_06/0614_sb.htm |title=【シュートボクシング】8・19ボビー・オロゴンが女子格闘技をプロデュース「客寄せパンダとして頑張ります」 |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、10月にも自身の練習するGRABAKAの初の自主興行において、[[ミノワマン]]と[[グラップリング]]ルールで対戦するなど<ref>{{Cite web |date=2011-09-26 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2011_09/0926_grabaka.htm |title=【GRABAKA】10・15ボビー・オロゴンが金網でミノワマンと対戦! |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、[[日本ボクシングコミッション]](JBC)の定める「ボクシングのセコンドライセンスを保持しながら、他の格闘技興行に関わることを禁止する」という規定に反する行為を繰り返した。外国出身のボビーが、JBCの厳格なルールを把握していなかった可能性も示唆されたが、結局セコンドライセンス取り消しの処分が下された<ref>{{Cite news |title=“バラエティタレント”ボビー・オロゴンが日本ボクシングコミッションから厳罰受ける!? |newspaper=リアルライブ |date=2011-10-18 |author= |url=http://npn.co.jp/article/detail/11222934/ |accessdate=2014-05-10}}</ref><ref>{{Cite web |date=2012-10-11 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2012_10/1011_grabaka.htm |title=【グラバカ】10・11ボビー・オロゴンが格闘技復帰の弟のセコンドに |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>。 |
その後格闘技の試合は行わず、プロ[[ボクシング]]に転向した実弟・[[アンディ・オロゴン]]をサポートすべく、[[平仲明信|平仲ジム]]所属でセコンドライセンスを取得したが、2011年8月には女子[[シュートボクシング]]の大会をプロデュースしたり<ref>{{Cite web |date=2011-06-14 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2011_06/0614_sb.htm |title=【シュートボクシング】8・19ボビー・オロゴンが女子格闘技をプロデュース「客寄せパンダとして頑張ります」 |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、10月にも自身の練習するGRABAKAの初の自主興行において、[[ミノワマン]]と[[グラップリング]]ルールで対戦するなど<ref>{{Cite web |date=2011-09-26 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2011_09/0926_grabaka.htm |title=【GRABAKA】10・15ボビー・オロゴンが金網でミノワマンと対戦! |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>、[[日本ボクシングコミッション]](JBC)の定める「ボクシングのセコンドライセンスを保持しながら、他の格闘技興行に関わることを禁止する」という規定に反する行為を繰り返した。外国出身のボビーが、JBCの厳格なルールを把握していなかった可能性も示唆されたが、結局セコンドライセンス取り消しの処分が下された<ref>{{Cite news |title=“バラエティタレント”ボビー・オロゴンが日本ボクシングコミッションから厳罰受ける!? |newspaper=リアルライブ |date=2011-10-18 |author= |url=http://npn.co.jp/article/detail/11222934/ |accessdate=2014-05-10}}</ref><ref>{{Cite web |date=2012-10-11 |url=http://gbring.com/sokuho/news/2012_10/1011_grabaka.htm |title=【グラバカ】10・11ボビー・オロゴンが格闘技復帰の弟のセコンドに |publisher=格闘技ウェブマガジンGBR |accessdate=2014-05-10}}</ref>。 |
2015年8月1日 (土) 12:03時点における版
ボビー・オロゴン Bobby Ologun | |
---|---|
本名 | 近田 ボビー(こんだ ボビー) |
生年月日 | 1973年4月8日(51歳) |
国籍 | 日本・埼玉 |
出身地 | ナイジェリア・イバダン |
身長 | 182cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 日本語・英語・ヨルバ語[1][2] |
最終学歴 | ナイジェリアの国立大学既卒[1] |
事務所 | アレムコプロダクション |
活動時期 | 2001年 - [3] |
現在の代表番組 |
ボビー's スタジアム ネプ&イモトの世界番付 YOUは何しに日本へ? |
過去の代表番組 |
さんまのSUPERからくりTV 海筋肉王 〜バイキング〜 |
作品 | MOON★DREAM(監督映画) |
他の活動 | 格闘家 |
配偶者 | 既婚 |
親族 | アンディ・オロゴン(実弟・キックボクサー) |
公式サイト | プロフィール |
ボビー・オロゴン(Bobby Ologun、1973年[4]4月8日 - )は、ナイジェリア連邦共和国イバダン出身、埼玉県さいたま市在住のナイジェリア系日本人[5]のタレント、格闘家、実業家。アレムコプロダクション所属。2007年に日本国籍を取得[3]しており、本名(日本名)は近田 ボビー(こんだ ボビー)。ナイジェリア国籍時代の旧名はカリム・アルハジ・オロゴン。実弟はキックボクサー、総合格闘家のアンディ・オロゴン。
来歴
貿易会社を経営する父親のもと、34人兄弟の3番目として生まれる。ナイジェリアでは一夫多妻制が認められているため、父には6人の妻がおり、その内の1人はボビーより年下である[3]。父親は厳格で、本人曰く「幼少時代から自分が悪い事をすると父親から毎日の様にムチ等で叩かれる等の体罰を受けており、今でも父親を恐れている」とのことだが、教育のために幼少から仕事の現場を見せてくれたり、仕事で日本を行き来していた関係から、日本の良さや日本人の優しさなどを教わる[1][3][6]。
ナイジェリアの国立大学経済学部を卒業後、父の仕事の手伝いでドイツやイギリスなど世界各国を回り、1995年に糸の買い付けを目的に初来日。買い付け資金500万円とパスポートをリムジンバスの中に置き忘れてしまうが、誰かが交番に届けてくれたため幸運にも戻ってくる。この出来事についてボビーは、「お金が戻ってくる国なんて世界中でも日本だけ。素晴らしい国だと思ったよ」と回想しており、「父の言葉は本当だった」と実感したという。1998年にタイヤチューブの買い付けのため再来日するも、日本で知り合った人に「パチンコをやればお金はすぐに2倍になる」と唆され、3か月で全ての資金を使い果たしてしまい、そのまま日本にとどまる[7]。 後に妻となる日本人女性とは東京のバーで知り合い、交際を始める。ボビーが帰国する際に彼女も付いて来てくれ、ナイジェリアで1年ほど生活したのち、結婚[3]。
2001年、TBSのバラエティ番組『さんまのSUPERからくりTV』で街頭インタビューを受けた際のデタラメな日本語がプロデューサーの目に留まって[3]、その後始まったコーナー「セインのファニエスト外語学院」に生徒役としてレギュラー出演するようになり、「ボビーだと思います」「もす(押忍)!」などの微妙に間違った日本語と天然ボケのキャラクターで人気を得る。
2004年1月、ファニエスト外語学院の先生セイン・カミュ、生徒のアドゴニー、アミールらとともに、ユニット「The Students」の一員として初CDシングル『ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜』をリリース。作詞・作曲・プロデュースは槇原敬之、振り付けはKABA.ちゃんという豪華な顔ぶれであった。また、この番組からは2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』への出場を目指す企画もスタート。ついには本当に格闘家デビューを果たす(後述)。
2006年1月、当時の所属事務所・アールアンドエープロモーションと出演料などをめぐり対立。事務所内で暴れ、その場に居合わせた鈴木宗男衆議院議員(当時)の元私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカに軽い怪我を負わせる事件を起こし[8]、芸能活動の休止を余儀なくされる。同年5月、ボビーは同事務所からの独立を一方的に宣言するも、同社は「契約が2007年末まで残っており、それまでタレント活動はできない」と主張し対立が深まったが[9]、同年7月、両者と利害関係のないフェイスネットワークへ移籍することで決着した。その後、同社の芸能部から分社したプラチカにに転籍。現在は個人事務所・アレムコプロダクションに所属。
2007年、日本国籍を取得[3]。妻の姓「近田(こんだ)」と、ニックネームであった「ボビー」を個人名とし、日本名を「近田ボビー」とした。
2013年6月、自身が監督・制作・企画・脚本・主演を務めた自伝的映画『MOON★DREAM』が公開される[10]。
人物
- 現在の家族構成は、1999年に結婚した日本人の妻と一男三女の子供で、近年は子供達と一緒に番組出演することも多い。
- ナイジェリアの公用語である英語とヨルバ語、日本語が話せる。前述の通り、「ボビーだと思います」「ナイジェリアはイッポンヤサイ(一夫多妻)」「揚げ物(曙)さん」などといった微妙に間違った日本語の言い回しを多用したり、やや乱暴な口調や無軌道な振る舞いを見せるタレントとして認知されているが[1]、実際は非常に聡明であり、流暢な日本語を話せるため、テレビ番組で共演した長男から「お父さんはなんでテレビではバカのふりをしているの?」と指摘され、「大人の事情を聞くな」「私だって生きるために必死なんだ!」などと慌てた様子を見せたこともある。最近は番組やインタビューなどにおいて正しい日本語を話す機会も多くなってきた。
2014年10月5日放送の有吉反省会に出演した際に司会の有吉弘行から「ボビーって、ギャラによって日本語の間違え方が違ってくるんでしょ?」と指摘された[11]。 - 公式プロフィールでは1973年生まれとなっているが、2006年1月に起こした暴行事件の際に提出されたパスポートの記載内容から、「実際は1966年生まれ」などとスポーツ紙に報道された。ただし本人は「ナイジェリアでパスポートを取得した時に間違えられた。アフリカではよくあること」と否定している[12]。
- 前職の経験を生かし、株や為替の取引、FXなどを趣味としている。2013年には別荘、翌2014年には自身が設計した一戸建ての新築住宅を購入している[1][2][6]。
- 真正のマゾであり、SMクラブ通いを趣味としている。
格闘家としての活動
基本情報 | |
---|---|
本名 | 近田ボビー |
通称 |
史上最強の素人 最強の初心者 |
国籍 | ナイジェリア |
生年月日 | 1973年4月8日(51歳) |
出身地 | イバダン |
所属 | チームオロゴン |
身長 | 182cm |
体重 | 92kg |
階級 | ヘビー級 |
バックボーン | 総合格闘技 |
テーマ曲 |
ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜(The Students) 日曜日よりの使者(THE HIGH-LOWS) |
2004年1月、前年の大晦日に見たというボブ・サップ vs 曙戦に触発されたボビーが、『さんまのSUPERからくりTV』のコーナー「セインのファニエスト外語学院」で柔道を体験する企画に挑戦。バルセロナオリンピック柔道金メダリストの古賀稔彦と試合をしたが、組み合った瞬間に古賀が「物凄い力だ」と驚愕し、負けはしたものの秘めたる才能を見せつけた。このVTRを見た番組司会者の明石家さんまが、「年末の格闘技イベント(K-1 Dynamite!!)出場も夢ではない」と冗談半分で言ったことから、2004年末の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』の出場を目指す企画がスタート。番組内ではさまざまな格闘技の指導を受け、同年2月には格闘チーム「GRABAKA」に入門。菊田早苗の下で本格的に格闘技を学ぶ。3月にはディファ有明でホイス・グレイシーとのスパーリングマッチ(3分3R)で対戦し、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本負けしたものの、ホイスを出血させるなど健闘を見せた(同年4月4日放送)。その後も修行を続け、柔道では黒帯を取得。K-1から正式にオファーを受け、同年12月31日の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』第0試合でキックボクサーマイク・ベルナルドとの対戦が決定する。その後ベルナルドの負傷欠場によりシリル・アビディとの対戦に変更された[13]。試合では、菊田とタレントの関根勤(番組レギュラー)をセコンドに迎え入場。3R判定勝ち。
翌2005年の『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』にも出場。元横綱・曙との対戦が決定する[14]。試合は、2R以降スタミナ切れを起こした曙をボビーが攻め立て、3R判定勝ち。
2006年7月には藤本祐介と初のK-1ルールで対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり判定負け。
同年12月の『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』ではチェ・ホンマンと対戦し[15]、1R16秒パウンドでTKO負け。試合後、「まだ終わってないよ~!まだ終わってないよ~!」と絶叫した。
2007年の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』に4年連続参戦。ボブ・サップと対戦し[16]、1R4分10秒マウントパンチでKO負け。試合後、「まだ~!まだ~!」と絶叫した。
その後格闘技の試合は行わず、プロボクシングに転向した実弟・アンディ・オロゴンをサポートすべく、平仲ジム所属でセコンドライセンスを取得したが、2011年8月には女子シュートボクシングの大会をプロデュースしたり[17]、10月にも自身の練習するGRABAKAの初の自主興行において、ミノワマンとグラップリングルールで対戦するなど[18]、日本ボクシングコミッション(JBC)の定める「ボクシングのセコンドライセンスを保持しながら、他の格闘技興行に関わることを禁止する」という規定に反する行為を繰り返した。外国出身のボビーが、JBCの厳格なルールを把握していなかった可能性も示唆されたが、結局セコンドライセンス取り消しの処分が下された[19][20]。
総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
4 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
2 勝 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 |
2 敗 | 2 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | ボブ・サップ | 1R 4:10 KO(マウントパンチ) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! | 2007年12月31日 |
× | チェ・ホンマン | 1R 0:16 TKO(パウンド) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
○ | 曙 | 5分3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
○ | シリル・アビディ | 3分3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
キックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1 敗 | 0 | 1 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 藤本祐介 | 3R終了 判定0-3 | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜 |
2006年7月30日 |
グラップリング
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
△ | ミノワマン | 5分1R終了 時間切れドロー | GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK | 2011年10月15日 |
出演
テレビ
- 現在の出演番組
レギュラー
- ボビー's スタジアム(テレ玉、2009年4月13日 - )
- ネプ&イモトの世界番付(日テレ、2011年10月18日 - ) - G20・ナイジェリア代表
- YOUは何しに日本へ?(テレビ東京、2013年1月9日 - ) - メインナレーション
- ビットワールド(NHK Eテレ、2015年4月3日 - ) - 『とんでもナイッス島』「ブロンティアさん」の声
不定期
- 過去の出演番組
- さんまのSUPERからくりTV(TBS)
- 最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦(TBS) - プロスポーツマン大会に2回、芸能人大会に1回出場。
- 海筋肉王 〜バイキング〜(フジテレビ、2005年4月3日 - 2007年3月25日)
- 三宅式こくごドリル(テレビ東京、2005年10月11日 - 2006年3月14日)
- 世界の果てまでイッテQ!(日テレ)
- シャル・ウィ・ダンス?(日テレ、2007年1月20日・27日) - 第8シリーズ
- 業界クイズ ミニキテ!(中京テレビ、2007年10月6日 - 2008年3月29日)
- 爆笑100分テレビ!平成ファミリーズ(日テレ、2007年10月7日 - 2008年3月30日)
- ゴールドハウス(フジテレビ、2008年10月18日 - 2009年9月22日)
- 欽ちゃん&香取慎吾の第83回全日本仮装大賞(日テレ、 2010年1月10日) - No.6「走り幅跳び」
- お宝発信タワー DAI-NAMO(CBC、2010年10月13日 - 2011年9月21日)
- 芸能界特技王決定戦 TEPPEN(フジテレビ、2011年1月4日・2012年1月7日) - アームレスリング部門2連覇。
- クイズ☆タレント名鑑(TBS、2011年5月1日・9月25日・2012年3月25日) - USC 〜史上最大ガチ相撲トーナメント・予選トーナメント3連覇。
- めちゃ×2イケてるッ! めちゃバップハイスクール ケンカの強い男子校抜き打ち学力テスト(フジテレビ、2012年3月31日)
- 流行りん・モンロー!(関西テレビ、2012年4月23日 - 9月17日)
- チェックタイム(TOKYO MX、2012年10月3日 - 12月26日) - 水曜日レギュラー
- アニマルアイランド(HTB、2013年10月3日 - 12月19日) - 動物の声
- これぞ!ニッポン流!(テレビ朝日、2014年4月12日 - 9月28日)
- ドラマ
- 浅草ふくまる旅館2(TBS、2007年10月8日 - 12月17日) - ボブ役
- 2008年新春スペシャルドラマ あんみつ姫の大冒険!(フジテレビ、2008年1月6日) - K-1王国王子・ギョロリ役
- 謎解きはディナーのあとで スペシャル(フジテレビ、2012年3月27日) - パンチアウト・ジョー役
ラジオ
- もっともゴチャ・まぜっ!(MBSラジオ、2010年10月23日 - 2011年10月22日)
- ゴチャ・まぜっ!火曜日(MBSラジオ、2011年10月25日)
- ゴチャ・まぜっ!月曜日(MBSラジオ、2011年10月24日 - 2014年3月24日)
- 東京REMIX族(J-WAVE) - コーナーナレーション
- Oh!わんだ〜FXナイト!(ラジオNIKKEI第1放送、2014年3月4日)
映画
- 釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪(松竹、2005年8月27日公開) - 佐世保の米海軍・ボブ役
- アキレスと亀(東京テアトル / オフィス北野、2008年9月20日公開) - ボクサー役
- 南の島のフリムン(角川映画、2009年8月21日公開) - マックス役
- MOON★DREAM[21](トリプルアップ、2013年6月29日公開) - ボブ役
CM
- 大塚製薬「オロナミンC」(2005年) - 上戸彩、アドゴニーらと共演。
- day after tomorrow『day alone』(2005年)
- エバラ食品工業「エバラ・豆乳キムチ鍋の素」 - 要潤、神戸みゆきらと共演。
- SoftBank「偽戸家」(2011年7月) - 渡辺直美、あき竹城、朝丘雪路らと共演。
PV
ゲーム
- 新・豪血寺一族 煩悩解放(エキサイト、2006年5月25日発売) - ボビー本人としてボスキャラで登場。
作品
CD
- ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜(ポニーキャニオン、2004年1月21日発売)
著書
DVD
- ボビー・オロゴンの日本文化講座 美しい国,ニッポン。(ビデオメーカー、2007年12月22日発売)
脚注
- ^ a b c d e “ボビー・オロゴン「アベノミクスで別荘ゲット」”. 日刊SPA! (2013年12月28日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ a b “実はFX通、ボビー・オロゴンは「投資で負けたことがない!」”. ザイFX! (2014年5月8日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g LIBRA Vol.13 (2013年1月). “インタビュー:タレント・格闘家 ボビー・オロゴンさん” (PDF). 2014年5月10日閲覧。
- ^ 正しくは1966年
- ^ “埼玉応援団・勝手に埼玉応援隊・埼玉ご当地ヒーローズ > ボビー・オロゴンさんからのメッセージ”. 埼玉県ホームページ (2013年6月25日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ a b “「お金に好かれるトレード」でボビー・オロゴンは勝ちを狙う!”. ザイFX! (2014年5月9日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “ボビー・オロゴン“来日秘話” パチンコで仕事の資金使い果たし…”. 芸能ZAKZAK (2013年6月21日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “ボビー・オロゴンが事務所で大暴れ”. nikkansports.com. (2006年1月25日) 2014年5月10日閲覧。
- ^ “オロゴン独立強行…“元”事務所「契約は…」反論”. 芸能ZAKZAK (2006年5月22日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “ボビー・オロゴン、念願の映画監督デビューに「日本、ありがとう!」”. 映画.com (2013年6月29日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ “有吉弘行がボビー・オロゴンに鋭い指摘 「ギャラによって日本語の間違え方の量が違ってくるんでしょ」”. ライブドアニュース (2014年10月6日). 2014年10月6日閲覧。
- ^ “お騒がせ男ボビー”. 菊田早苗日記 (2006年2月3日). 2014年5月10日閲覧。
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- ^ “【グラバカ】10・11ボビー・オロゴンが格闘技復帰の弟のセコンドに”. 格闘技ウェブマガジンGBR (2012年10月11日). 2014年5月10日閲覧。
- ^ 本名の「近田ボビー」名義による監督作品で、監督・制作・企画・脚本・主演の5役を務めた。