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過去には元[[関西]][[ジャニーズJr.]]として活動し退社後は、バンド"[[あのHUMPTY]]"の[[ボーカル]]としても活動していた。
過去には元[[関西]][[ジャニーズJr.]]として活動し退社後は、バンド"[[あのHUMPTY]]"の[[ボーカル]]としても活動していた。

== 人物 ==

現代美術作家 田中純弥は、京都で生まれ育った。

幼い頃から絵を描くのが大好きで、時間があればいつも何かを描いている少年だった。

10歳のころ総理大臣から絵の賞をもらい、作品を人に見てもらう喜びを知る。

13歳でアメリカのテネシー州に留学し、そこで初めてアメリカンポップアートに触れる。

帰国後、すぐに芸能の世界に入り、音楽や芸を学びながら16歳で初となる作品展を京都駅で開催。

そのころの作風は繊細なタ ッチのドローイング画が中心だった。

17歳となった彼は、音楽に魅了され作詞作曲を含む音の世界に没頭することとなる。

そこから数年間、絵の世界から離れるものの、ある時実家を火事で失う。

家を無くしたことに落ち込んだ彼は、沈んだ気持ちを持ち直そうと

逆にポップで明るい絵を多く描くようになる。。。

2011年、ふたたび絵の制作をはじめ、主に3D技法を使った作品に意欲的に取り組む。

その翌年、小さな個展会場から始めた彼の作品は、

多くの人を楽しくハッピーにさせると評判に。

わずか数年で国内のみならず海外からも声がかかるようになった。

彼の作品は底抜けに明るく、愛に溢れている。

「日常生活で見慣れたものより、見たことのないものの方が魅力的である」

そんな彼の作品はビルや動物たちがどれも楽しそうに描かれ、

その世界観の中心にはどこかシュールさもある。

独学で鮮やかに描かれた田中純弥の空想の世界。そのイマジネーションは素敵な物語を秘めている。

「LOFTプロフィールより参照」


== 来歴 ==
== 来歴 ==
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* AMOJUNYA (田中純弥)ポップアート個展2014[[京都勧業館]] [[みやこめっせ]](2014年8月12日~17日)
* AMOJUNYA (田中純弥)ポップアート個展2014[[京都勧業館]] [[みやこめっせ]](2014年8月12日~17日)
* AMOJUNYA 田中純弥作品展 渋谷[[LOFT]](2014年11月21日~12月17日)
* AMOJUNYA 田中純弥作品展 渋谷[[LOFT]](2014年11月21日~12月17日)
* AMOJUNYA (田中純弥ポップアート個展2015[[京都勧業館]] [[みやこめっせ]](2015年1月4日~10日)
* 田中純弥 ポップアート個展2015[[京都勧業館]] [[みやこめっせ]](2015年1月4日~10日)
* AMOJUNYA展[[表参道ヒルズ]]1F(2015年2月10日〜2月15日)
* 田中純弥のキネコ展[[表参道ヒルズ]]1F(2015年2月10日〜2月15日)
* 田中純弥個展[[銀座東急ハンズ]]7F(2015年3月3日〜15日)
* 田中純弥個展[[銀座東急ハンズ]]7F(2015年3月3日〜15日)
* 田中純弥アート個展2015[[京都勧業館]] [[みやこめっせ]](2015年5月1日~7日)
* 田中純弥アート個展2015[[京都勧業館]] [[みやこめっせ]](2015年5月1日~7日)

2016年4月22日 (金) 04:47時点における版

田中 純弥
出生名 田中 純弥
出身地 日本の旗 日本京都府城陽市
ジャンル 美術家
職業 画家
イラストレーター
ミュージシャン
作詞作曲家
公式サイト 田中純弥 instagram

田中 純弥(たなか じゅんや )は京都府城陽市出身の現代美術家で元歌手

動物好きのポップアート作家で、3D技法の立体絵やアクリル絵具による絵画、ドローイングなど、

すべての作品のモチーフは動物と賑やかな街並が中心である。

2013年の初個展から、わずか数年で国内のみならず海外からも声がかかるようになり、毎年行われる個展や展覧会は、どれも高い人気を誇っている。主に日本では表参道ヒルズや渋谷LOFT、東急ハンズ、京都みやこめっせ等で毎年個展を開催している。

過去には元関西ジャニーズJr.として活動し退社後は、バンド"あのHUMPTY"のボーカルとしても活動していた。

人物

現代美術作家 田中純弥は、京都で生まれ育った。

幼い頃から絵を描くのが大好きで、時間があればいつも何かを描いている少年だった。

10歳のころ総理大臣から絵の賞をもらい、作品を人に見てもらう喜びを知る。

13歳でアメリカのテネシー州に留学し、そこで初めてアメリカンポップアートに触れる。

帰国後、すぐに芸能の世界に入り、音楽や芸を学びながら16歳で初となる作品展を京都駅で開催。

そのころの作風は繊細なタ ッチのドローイング画が中心だった。

17歳となった彼は、音楽に魅了され作詞作曲を含む音の世界に没頭することとなる。

そこから数年間、絵の世界から離れるものの、ある時実家を火事で失う。

家を無くしたことに落ち込んだ彼は、沈んだ気持ちを持ち直そうと

逆にポップで明るい絵を多く描くようになる。。。

2011年、ふたたび絵の制作をはじめ、主に3D技法を使った作品に意欲的に取り組む。

その翌年、小さな個展会場から始めた彼の作品は、

多くの人を楽しくハッピーにさせると評判に。

わずか数年で国内のみならず海外からも声がかかるようになった。

彼の作品は底抜けに明るく、愛に溢れている。

「日常生活で見慣れたものより、見たことのないものの方が魅力的である」

そんな彼の作品はビルや動物たちがどれも楽しそうに描かれ、

その世界観の中心にはどこかシュールさもある。

独学で鮮やかに描かれた田中純弥の空想の世界。そのイマジネーションは素敵な物語を秘めている。

「LOFTプロフィールより参照」

来歴

  • 1995年8月、当時14歳(中学2年)の時、母親の勧められジャニーズ事務所に入所。
    • 関西ジャニーズJr.メンバーの主力として活躍。ヤンキー的なルックスがSMAP中居正広に気に入られテレビ番組「キスした?SMAP」で一躍人気となり関西Jr.の中で実力人気と共にリーダー的存在となる。
    • Jr.時代は北山純一・野中和久・現関ジャニ∞横山裕らと共に「Kanjani Knight」という4人の看板番組を持つなど関西Jr.を世に知らしめた。バックには現関ジャニ∞の渋谷すばる村上信五錦戸亮安田章大丸山隆平等がいた。村上信五のあだ名を「ひな」と名づけた本人でもある。
    • テレビ番組「堂本剛のDO-YA!」にレギュラー出演。また「なんじゃに?!関ジャニ」や現・のメンバー達と「京都ビストロジャーニー」等、様々な看板番組を持ちドラマにも出演するなどJr.ブームの火付け役として活躍する。
  • 1997年1998年、舞台「Kyo to Kyo」(京都駅 シアター1200(現在の劇団四季の京都劇場))の出演では現・嵐の大野智と共に主役として、1日5公演を2年間行う。その頃、同じ楽屋だった大野智と共にミリペンで細かいイラストを描いて遊んでいた所、2人の絵の才能が高く評価され、雑誌の掲載に加え、大野智と共にイラストが京都駅 シアター1200劇場に展示される。
  • 1998年11月、事務所を北山純一と共に突如脱退した。脱退の理由は「好きなことをして生きてみたい」とのこと。
  • 1999年、インディーズバンド「JAVELIN HEAD」を、元関西ジャニーズJr.の北山純一・野中和久らと結成。ボーカル、ギター、サックスとして活躍。1999年に京都府・文化パルク城陽大ホールにて1300人ソールドアウトを達成するなど、結成からすべてワンマンライブを中心に活動したが、純弥が上京したことにより2002年人気絶頂で突如解散。
  • 2002年より拠点を東京に変えインディーズロックバンド「HUMPTY」を北山・野中らと結成。ボーカル・リーダーとして活動する。
  • 2006年、ベースの脱退を機にバンド名をあのHUMPTYに改名。
  • 2009年 日本青年館1300人ワンマンライブ達成。
  • 2010年 メジャーシングル 『飲み過ぎんなよ〜Yaaaahバババイ〜』発売。レコチョクでダウンロード1位となる。YouTubeでは計300万再生を超えるヒットとなる。
  • 2011年 赤坂ブリッツワンマンライブ達成、東日本大震災のチャリティーに力を入れる。
  • 2012年 8月、ニコニコ動画で人気のけいたん、暴徒と共にコラボとして「踊ってみた」項目で投稿した曲は50万再生を突破。「歌ってみた」では3日間で10万再生を突破。
  • 2012年 12月、チワワの愛犬(アモ)の足が悪くなったのをきっかけ+動物愛護に少しでも寄付するために、趣味で描いていた立体絵画をはち初個展として展示する。
  • 2013年 アーティスト名、AMO JUNYAとして個展を数回開催。独学での大胆な色使いと繊細な立体技法が斬新とされ、海外からも声がかかりはじめる。
  • 2014年 デザインフェスタの出展に加え、渋谷LOFT個展、京都みやこめっせ個展、など年間7回以上の個展を開催する。
  • 2014年 9月、AMO JUNYAデザインのキャラクター「キネコ」のLineスタンプが発売される。
  • 2015年 アーティスト名を本名の田中純弥に改名。
  • 2015年 表参道ヒルズ個展から始まり、LOFTや銀座東急ハンズ個展や、アパレルとのコラボなど活動の幅を広げ、フランス パリ等の展覧会への出展も果たす。
  • (現在)絵描きを本業に活動し、年に数回はバンドあのHUMPTYとしてのライブ活動と、(2011年〜)東京/六本木で飲食店、Cafe Bar等を経営&プロデュースも行っている。

個展

ドラマ

CM

テレビ番組

雑誌

  • 「MUSiQ? SPECIAL OUT of MUSIQ」(2010年10月 - )田中純弥のコラム〜光と影〜連載

舞台

  • Kyo to Kyo - 京都シアター1200(1997年 - 1998年)
  • ミュージカル SHOW劇MASK 1997-V6(坂本・井ノ原・岡田)編(1997年12月6日 - 27日)-松竹座

出版物

  • 「男のコのための超楽々エレキ塾☆」(2010年2月25日)YAMAHA music media corporation
  • 「男のコのための超楽々アコギ塾☆」(2010年2月25日)YAMAHA music media corporation

ライブ活動

あのHUMPTY

JAVELIN HEAD

  • 1999年 - 2002年、年間約20本のワンマンライブを行っていた。

ディスコグラフィ


関連項目

外部リンク