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'''伊勢春慶'''(いせしゅんけい)は、[[三重県]][[伊勢市]]で製造される[[春慶塗]]の[[漆器]]。現在では茶箱膳、[[弁当箱]]、切溜文箱、[[筆箱]]などが生産されている。[[2011年]](平成23年)5月現在、伊勢春慶の塗師(ぬし)は2人である{{sfn|渡辺大地|2011|p=16}}。


'''伊勢春慶'''(いせしゅんけい)は、[[三重県]][[伊勢市]]で製造される[[春慶塗]]の[[漆器]]。伊勢漆器、山田春慶、山田塗とも称される<ref name="shikkojiten">『漆工辞典』、漆工史学会/編、角川学芸出版、2013、p.30</ref>。現在では伝統的なデザインを継承する「オーソドックス春慶」と現代感覚を生かした「カジュアル春慶」の2種類の商品群があり<ref name="asahi20050616">“伊勢春慶復興へ、新製品に焼き印 商品化第1号”『[[朝日新聞]]』朝刊、三重地方版、2005年6月16日、p.27</ref>、茶箱膳、[[弁当箱]]、切溜文箱、[[筆箱]]などが生産されている。
== 沿革 ==
起源は[[室町時代]]に遡り、[[伊勢神宮]]の工匠が御造営の御残材の払い下げを受け、内職として始めたと伝えられている(『宇治山田市史』([[昭和]]4年発行)より)。[[明治時代]]、伊勢春慶は[[内国勧業博覧会]]など日本国内外の[[博覧会]]に数多く出品され、入賞するなど知名度を上げたが、[[昭和時代]]に[[戦争]]の影響を受け、[[職人]]の徴兵や材料確保の困難などにより次第に衰え、一度断絶する。[[戦後]]復活したものの、[[高度経済成長期]]以降の[[生活様式]]の変化や[[プラスチック]]製品の登場などで衰退し、再び生産は中断に追い込まれた。


== 特色 ==
[[2004年]](平成16年)に伊勢春慶の会が発足し、生産が再開される。復活にあたり、[[伊勢文化舎]]が[[雑誌]]『伊勢人』で取り上げるなどして貢献した<ref>[[伊勢志摩経済新聞]]"[http://iseshima.keizai.biz/headline/1624/ 三重の「まちかど博物館」100館を紹介-伊勢文化舎がガイドブック出版]"2013年1月5日(2013年3月18日閲覧。)</ref>。2011年(平成23年)5月現在、若者を中心とした12人が伊勢春慶の技術習得を目指して本業の傍ら修業を積んでいる{{sfn|渡辺大地|2011|p=16}}。同年6月からは修業に専念できる定年退職者を対象とした体験会を実施し、塗師の早期育成を進めている{{sfn|渡辺大地|2011|p=16}}。
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木地は[[ヒノキ|檜]]の一枚板<ref>『全国伝統的工芸品総覧 平成18年度版』,財団法人伝統的工芸品産業振興協会,同友館,2007年</ref>を使用し、下塗りに[[弁柄]]や[[柿渋]]を多く用い、仕上げに透明の漆を一回だけ塗る<ref name="asahi20130511">“(伊勢神宮と私)伊勢春慶塗師 木下達さん(72)再興した漆器、広めたい”『[[朝日新聞]]』朝刊、三重地方版、2013年5月11日、p.27</ref><ref name="isebito136-9"/>。そのため、赤褐色の木目が透けて見える<ref name="asahi20090523">“塗師の道 修行中:後継者不足 地元女性が挑戦 伝統漆器「伊勢春慶」”『[[朝日新聞]]』朝刊、三重地方版、2009年5月23日、p.28</ref>。箱物の底の隅には「こくそ」と呼ばれる黒い目止めが施されている<ref name="isebito136-9"/>。漆の量や作業工程が少ないため安価で作成できる<ref name="shikkojiten"/><ref name="asahi20090523"/>。裏底には製造元の焼印が押される<ref name="isebito136-9">『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.9</ref>。伊勢の漆器産業は、木地屋、塗師屋、両者を仲介する問屋の三者によって成り立っている<ref name=sekoguchi198201>世古口真弓「伊勢漆器に関する報告 海の博物館所蔵資料を中心として」『海と人間』[[海の博物館 (鳥羽市)|海の博物館]]、1982年1月号、pp.23-29</ref>。今日では長野県[[木曽郡]][[上松町]]の業者から木地を取り寄せており<ref name="chunichi20150125">“箱膳からボールペンまで 伊勢春慶の会 伝統漆器 斬新に継承”『[[中日新聞]]』朝刊、三重版、2015年1月25日、p.22</ref>、伊勢では塗りの工程を行っている。


== 定義 ==
[[2016年]](平成28年)[[5月26日]]から[[5月27日]]にかけて開催された[[第42回先進国首脳会議]](伊勢志摩サミット)で、伊勢春慶の二重弁当箱が首脳陣の食事の器として使用された<ref>{{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000160779.pdf|title=伊勢志摩サミットで使用された代表的な食器類|publisher=外務省|accessdate=2016-05-29|archiveurl=http://web.archive.org/web/20160529105930/http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000160779.pdf|archivedate=2016-05-29}}</ref>。
「里帰り伊勢春慶展」実行委員会の中で新たな伊勢春慶を創造するチームは、以下の4点を満たしたものを伊勢春慶であるとし、大前提として伊勢地方で製作されることを加えている<ref name="isebito136-26">『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.26</ref>。


# 木地は[[檜]]を使用する。
== 特徴 ==
* 木地は[[]]を使用する。
# [[食紅]]や[[弁柄]]などで着色する。
# [[柿渋]]をる。
* 木地固めの際、四隅に組子を施す。
# 透明な春慶漆または朱合漆を施して仕上げる。
* 箱物の底の隅には“こくそ”と呼ばれる 黒い目留めを施す。

* [[食紅]]や[[弁柄]]などで赤く着色する。
== 歴史 ==
* 下塗りに[[柿渋]]を多く用いる。
=== 起源 ===
* 春慶漆または朱合漆を施して仕上げる。
諸説あるが、立証できない<ref name="isebito136">『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.20-21</ref>。
*[[室町時代]]に[[伊勢神宮]]の工匠が御造営の余材の払い下げを受け、白木のままの箱を製造し、その上に[[漆]]をかけたものを、内職として始めた説{{sfn|宇治山田市|1929|p=630-632}}{{sfn|伊勢市|2009|p=147}}。
*[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[蒲生氏郷]]が[[松坂]]に赴任したときに近江日野から連れてきた漆職人たちによって伝わったという説{{sfn|伊勢市|2009|p=147}}。
伊勢での漆器の生産については戦国時代初期(1400年代後半)の古文書に「大塗師屋」(八日市場)、「塗屋館」(田中中世古町・現本町)などの屋号が存在することから、少なくともこの時代までは遡ることができるが、春慶塗であったかどうかは確認できない。

=== 江戸末期から昭和30年代 ===
*[[江戸時代]] -
:伊勢で各種の漆器が作られており、伊勢春慶はその中の一種類であった<ref name="isebito136"/>。主な「塗師屋」(漆器店)には、岡本町の若井源助家、片岡善兵衛家、橋本佐兵衛家があり、岡本町を中心として漆器産業が盛んに行われていた。特に、片岡店は文様や漆の配合に工夫があり、好評を博した<ref name="shikkojiten"/>。
*[[明治時代]] -
: 初期には[[河崎 (伊勢市)|河崎]]の久保田五兵衛家が漆器を取り扱っていることが確認できる<ref name="isebito136"/>。[[内国勧業博覧会]]や、1873年(明治6年)に[[ウィーン]]で開催された[[ウィーン万国博覧会|万国博覧会]]に出品するなどし<ref name="shikkojiten"/>、「粗ナリト謂ヘドモ廉価ニシテ堅固」と評され日本国内外の博覧会で入賞するなど知名度を上げた<ref name="iseshunkeikai">[http://www.ise-shunkei.com/index.html 伊勢春慶 伊勢春慶の会]</ref>。
:業者が乱立したことで粗製乱造が起こったため<ref name="isebito136-10"/>、1902年(明治35年)に山田漆器同業者組合を組織、漆器製造業者の組織化を行い、品質の改善につとめ<ref name="shikkojiten"/>、大正期にもっとも多く作られた<ref name="iseshunkeikai"/>。最盛期には一軒で2人以上の職人を抱える木地屋や塗師屋もあったという<ref name=sekoguchi198201/>。伊勢地方の特産品として、近場の東海地方や近畿地方一円はもちろん、関東地方や九州地方にも広まっていた<ref name="isebito136-10">『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.10</ref>。河崎からの出荷には[[勢田川]]の水運が利用された<ref name="chunichi20030709">“漆器『伊勢春慶』再び 11月末から「里帰り展」 有志40人で実行委 『新・名物めざす』”『[[中日新聞]]』朝刊、伊勢志摩版、2003年7月9日、p.18</ref>。
*[[昭和時代]] -
: [[戦争]]の影響を受け、[[職人]]の徴兵や材料確保の困難、岡本、宮後などの生産場所が空襲にあうなどの要因により次第に衰え、一度断絶する<ref name="isebito136"/>。戦後復活したものの、[[高度経済成長期]]以降の[[生活様式]]の変化、漆の輸入中断、プラスチック製品の登場などで衰退し、再び生産は中断に追い込まれた。伊勢市役所の世古口真弓が1980年代前半に製造元で行った聞き取り調査によると、伊勢春慶は青森県から九州までの地域に対して販売されていた<ref name=sekoguchi198201/>。世古口は都市部よりも実用性が重視される地方部で使用されることが多かったのではないかと推測している<ref name=sekoguchi198201/>。
: 1986年(昭和61年)には[[京都市立芸術大学]]で漆塗装を学んだ木村美登(伊勢市工芸指導所長)によって、伊勢市工芸指導所で漆技術講座が開始された<ref name="chunichi19950627">“伝統工芸の伊勢春慶を守り伝えよう 漆技術講習会が10年目 女性含む22人励む 指導の木村さん 後継者育成に情熱”『[[中日新聞]]』朝刊、三重総合版、1995年6月27日、p.13</ref>。1994年(平成6年)に伊勢市で開催された[[世界祝祭博覧会]]には、所長と受講生が自作した伊勢春慶が出品された<ref name="chunichi19950627"/>。1994年10月には三重県の[[伝統工芸品]]に指定されている<ref name="chunichi19950627"/>。

=== 平成時代~ ===
*[[2004年]](平成16年) - 里帰り展前には伊勢春慶専門の業者はおらず、稀に注文生産を受ける程度だった<ref name="chunichi20030709"/>。1月には伊勢春慶を愛する有志が[[伊勢河崎商人館]]で「里帰り伊勢春慶展」を開催<ref name="saisei">[http://www.ise-shunkei.com/people.html 伊勢春慶の再生を目指して 伊勢春慶の会]</ref>。[[皇學館大学]]の大学院生らや鳥羽市文化財専門委員の野村史隆などが中心となり<ref name="isebito136-16">『伊勢人』136号,伊勢文化舎,pp.16-19</ref>、[[海の博物館]]、南知多町郷土資料館、[[半田市立博物館]]などでの<ref name="chunichi20030806">“20年前に生産途絶えた漆器 『伊勢春慶』残っていた 再興願う三重・市民グループ 知多半島で調査 半田の山車組の膳や割り子”『[[中日新聞]]』朝刊、知多総合版、2003年8月6日、p.15</ref>調査結果を展示した。この際には愛知県[[半田市]][[亀崎町|亀崎地区]]の[[山車]]組に伊勢春慶の膳が多数残っていることが判明した<ref name="chunichi20030806"/>。同企画の実行委員会が中心となって、5月には伊勢春慶の保存と再生を目的に'''伊勢春慶の会'''が発足<ref name="saisei"/>。商品化をめざし生産が再開される。復活にあたり、[[伊勢文化舎]]が[[雑誌]]『伊勢人』で取り上げるなどして貢献した<ref>[[伊勢志摩経済新聞]]"[http://iseshima.keizai.biz/headline/1624/ 三重の「まちかど博物館」100館を紹介-伊勢文化舎がガイドブック出版]"2013年1月5日(2013年3月18日閲覧。)</ref>。
*[[2005年]](平成17年) - 伊勢春慶の会が復活後商品化第1号の田楽箱を販売<ref name="asahi20050616"/>。同会と京都工芸繊維大学が共同で、新感覚の「カジュアル春慶」を開発<ref name="asahi200101111">“伊勢春慶が食卓飾る 復興目指し学生と共同開発”『[[読売新聞]]』朝刊、三重版、2010年11月11日、p.27</ref>。
*[[2008年]](平成20年) - 空き家となった米蔵を借り受け'''伊勢春慶デザイン工房'''を開設<ref name="yomiuri20080323">“「伊勢春慶」継承再生へ デザイン工房きょうオープン”『[[読売新聞]]』朝刊、中部、2008年3月23日、p.29</ref>。
*[[2010年]](平成22年) - 伝統の技を受け継ぐ'''塗師'''(ぬし)の後継者養成を始める<ref name="asahi20110203">“「伊勢春慶」の製造 市民グループが指定団体に”『[[朝日新聞]]』朝刊、三重版、2011年2月3日、p.21</ref>。30~40代を中心にした10人ほどが修業を重ね基礎を身に付けた。しかし、仕事や家事との掛け持ちが多く、専任の職人が育たないという状況が続く<ref name="asahi20110526">“伊勢春慶の技 団塊世代に:塗師に専念できる人募り育成”『[[朝日新聞]]』朝刊、三重版、2011年5月26日、p.25</ref>。
*[[2011年]](平成23年) - 修行に専念できる団塊世代・定年退職者を対象とした体験会を実施し、塗師の早期育成を進める<ref name="chunichi20110525">“伊勢春慶で第2の人生を 定退者対象 来月体験会 有志ら参加者募集”『[[中日新聞]]』朝刊、伊勢志摩版、2011年5月25日、p.16</ref>。
*[[2016年]](平成28年) - 5月26日から5月27日にかけて開催された[[第42回先進国首脳会議]](伊勢志摩サミット)で、伊勢春慶の二重弁当箱が首脳陣の食事の器として使用された<ref>{{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000160779.pdf|title=伊勢志摩サミットで使用された代表的な食器類|publisher=外務省|accessdate=2016-05-29|archiveurl=http://web.archive.org/web/20160529105930/http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000160779.pdf|archivedate=2016-05-29}}</ref>。
:伊勢春慶の会の養成講座で育成された技術者が初めて塗師として認定され、技術を習得した塗師は3人になった<ref name="asahi20160713">“伝統漆器「伊勢春慶」塗師に元海上保安官”『[[朝日新聞]]』朝刊、三重地方版、2016年7月13日、p.25</ref>。

== ギャラリー ==
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File:Ise Shunkei Disign Koubou ac (3).jpg|オーソドックス春慶と製造者の焼印
File:Ise Shunkei Disign Koubou ac (1).jpg|伊勢春慶の会が製作した伊勢春慶と焼印
File:Ise Shunkei Disign Koubou ac (2).jpg|さまざまな伊勢春慶
File:Ise Shunkei Disign Koubou ac (4).jpg|伊勢箸、ボールペン、ペン立てなどのカジュアル春慶
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== 関連施設 ==
== 関連施設 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{cite book|和書
* {{Cite journal|和書|author=渡辺大地|title=伊勢春慶で第2の人生を 定退者対象 来月体験会 有志ら参加者募集|date=2011-05-25|newspaper=[[中日新聞]][[朝刊]]伊勢志摩版|page=16|ref=harv}}
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[漆工]]
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* [[春慶塗]]
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* [[伊勢河崎商人館]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [http://www.ise-shunkei.com/index.html 伊勢春慶 伊勢春慶の会]
* [http://www.ise-shunkei.com/index.html 伊勢春慶 伊勢春慶の会]


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2016年12月10日 (土) 18:46時点における版

伊勢春慶

伊勢春慶(いせしゅんけい)は、三重県伊勢市で製造される春慶塗漆器。伊勢漆器、山田春慶、山田塗とも称される[1]。現在では伝統的なデザインを継承する「オーソドックス春慶」と現代感覚を生かした「カジュアル春慶」の2種類の商品群があり[2]、茶箱膳、弁当箱、切溜文箱、筆箱などが生産されている。

特色

愛知県豊橋市の名物「菜飯田楽」に使用されている伊勢春慶

木地はの一枚板[3]を使用し、下塗りに弁柄柿渋を多く用い、仕上げに透明の漆を一回だけ塗る[4][5]。そのため、赤褐色の木目が透けて見える[6]。箱物の底の隅には「こくそ」と呼ばれる黒い目止めが施されている[5]。漆の量や作業工程が少ないため安価で作成できる[1][6]。裏底には製造元の焼印が押される[5]。伊勢の漆器産業は、木地屋、塗師屋、両者を仲介する問屋の三者によって成り立っている[7]。今日では長野県木曽郡上松町の業者から木地を取り寄せており[8]、伊勢では塗りの工程を行っている。

定義

「里帰り伊勢春慶展」実行委員会の中で新たな伊勢春慶を創造するチームは、以下の4点を満たしたものを伊勢春慶であるとし、大前提として伊勢地方で製作されることを加えている[9]

  1. 木地はを使用する。
  2. 食紅弁柄などで着色する。
  3. 柿渋を塗る。
  4. 透明な春慶漆または朱合漆を施して仕上げる。

歴史

起源

諸説あるが、立証できない[10]

  • 室町時代伊勢神宮の工匠が御造営の余材の払い下げを受け、白木のままの箱を製造し、その上にをかけたものを、内職として始めた説[11][12]
  • 戦国時代蒲生氏郷松坂に赴任したときに近江日野から連れてきた漆職人たちによって伝わったという説[12]

伊勢での漆器の生産については戦国時代初期(1400年代後半)の古文書に「大塗師屋」(八日市場)、「塗屋館」(田中中世古町・現本町)などの屋号が存在することから、少なくともこの時代までは遡ることができるが、春慶塗であったかどうかは確認できない。

江戸末期から昭和30年代

伊勢で各種の漆器が作られており、伊勢春慶はその中の一種類であった[10]。主な「塗師屋」(漆器店)には、岡本町の若井源助家、片岡善兵衛家、橋本佐兵衛家があり、岡本町を中心として漆器産業が盛んに行われていた。特に、片岡店は文様や漆の配合に工夫があり、好評を博した[1]
初期には河崎の久保田五兵衛家が漆器を取り扱っていることが確認できる[10]内国勧業博覧会や、1873年(明治6年)にウィーンで開催された万国博覧会に出品するなどし[1]、「粗ナリト謂ヘドモ廉価ニシテ堅固」と評され日本国内外の博覧会で入賞するなど知名度を上げた[13]
業者が乱立したことで粗製乱造が起こったため[14]、1902年(明治35年)に山田漆器同業者組合を組織、漆器製造業者の組織化を行い、品質の改善につとめ[1]、大正期にもっとも多く作られた[13]。最盛期には一軒で2人以上の職人を抱える木地屋や塗師屋もあったという[7]。伊勢地方の特産品として、近場の東海地方や近畿地方一円はもちろん、関東地方や九州地方にも広まっていた[14]。河崎からの出荷には勢田川の水運が利用された[15]
戦争の影響を受け、職人の徴兵や材料確保の困難、岡本、宮後などの生産場所が空襲にあうなどの要因により次第に衰え、一度断絶する[10]。戦後復活したものの、高度経済成長期以降の生活様式の変化、漆の輸入中断、プラスチック製品の登場などで衰退し、再び生産は中断に追い込まれた。伊勢市役所の世古口真弓が1980年代前半に製造元で行った聞き取り調査によると、伊勢春慶は青森県から九州までの地域に対して販売されていた[7]。世古口は都市部よりも実用性が重視される地方部で使用されることが多かったのではないかと推測している[7]
1986年(昭和61年)には京都市立芸術大学で漆塗装を学んだ木村美登(伊勢市工芸指導所長)によって、伊勢市工芸指導所で漆技術講座が開始された[16]。1994年(平成6年)に伊勢市で開催された世界祝祭博覧会には、所長と受講生が自作した伊勢春慶が出品された[16]。1994年10月には三重県の伝統工芸品に指定されている[16]

平成時代~

  • 2004年(平成16年) - 里帰り展前には伊勢春慶専門の業者はおらず、稀に注文生産を受ける程度だった[15]。1月には伊勢春慶を愛する有志が伊勢河崎商人館で「里帰り伊勢春慶展」を開催[17]皇學館大学の大学院生らや鳥羽市文化財専門委員の野村史隆などが中心となり[18]海の博物館、南知多町郷土資料館、半田市立博物館などでの[19]調査結果を展示した。この際には愛知県半田市亀崎地区山車組に伊勢春慶の膳が多数残っていることが判明した[19]。同企画の実行委員会が中心となって、5月には伊勢春慶の保存と再生を目的に伊勢春慶の会が発足[17]。商品化をめざし生産が再開される。復活にあたり、伊勢文化舎雑誌『伊勢人』で取り上げるなどして貢献した[20]
  • 2005年(平成17年) - 伊勢春慶の会が復活後商品化第1号の田楽箱を販売[2]。同会と京都工芸繊維大学が共同で、新感覚の「カジュアル春慶」を開発[21]
  • 2008年(平成20年) - 空き家となった米蔵を借り受け伊勢春慶デザイン工房を開設[22]
  • 2010年(平成22年) - 伝統の技を受け継ぐ塗師(ぬし)の後継者養成を始める[23]。30~40代を中心にした10人ほどが修業を重ね基礎を身に付けた。しかし、仕事や家事との掛け持ちが多く、専任の職人が育たないという状況が続く[24]
  • 2011年(平成23年) - 修行に専念できる団塊世代・定年退職者を対象とした体験会を実施し、塗師の早期育成を進める[25]
  • 2016年(平成28年) - 5月26日から5月27日にかけて開催された第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)で、伊勢春慶の二重弁当箱が首脳陣の食事の器として使用された[26]
伊勢春慶の会の養成講座で育成された技術者が初めて塗師として認定され、技術を習得した塗師は3人になった[27]

ギャラリー

関連施設

  • 伊勢春慶の会
    • 〒516-0021 三重県伊勢市河崎2-25-29 伊勢春慶デザイン工房内(伊勢河崎商人館東隣)

脚注

  1. ^ a b c d e 『漆工辞典』、漆工史学会/編、角川学芸出版、2013、p.30
  2. ^ a b “伊勢春慶復興へ、新製品に焼き印 商品化第1号”『朝日新聞』朝刊、三重地方版、2005年6月16日、p.27
  3. ^ 『全国伝統的工芸品総覧 平成18年度版』,財団法人伝統的工芸品産業振興協会,同友館,2007年
  4. ^ “(伊勢神宮と私)伊勢春慶塗師 木下達さん(72)再興した漆器、広めたい”『朝日新聞』朝刊、三重地方版、2013年5月11日、p.27
  5. ^ a b c 『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.9
  6. ^ a b “塗師の道 修行中:後継者不足 地元女性が挑戦 伝統漆器「伊勢春慶」”『朝日新聞』朝刊、三重地方版、2009年5月23日、p.28
  7. ^ a b c d 世古口真弓「伊勢漆器に関する報告 海の博物館所蔵資料を中心として」『海と人間』海の博物館、1982年1月号、pp.23-29
  8. ^ “箱膳からボールペンまで 伊勢春慶の会 伝統漆器 斬新に継承”『中日新聞』朝刊、三重版、2015年1月25日、p.22
  9. ^ 『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.26
  10. ^ a b c d 『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.20-21
  11. ^ 宇治山田市 1929, p. 630-632.
  12. ^ a b 伊勢市 2009, p. 147.
  13. ^ a b 伊勢春慶 伊勢春慶の会
  14. ^ a b 『伊勢人』136号,伊勢文化舎,p.10
  15. ^ a b “漆器『伊勢春慶』再び 11月末から「里帰り展」 有志40人で実行委 『新・名物めざす』”『中日新聞』朝刊、伊勢志摩版、2003年7月9日、p.18
  16. ^ a b c “伝統工芸の伊勢春慶を守り伝えよう 漆技術講習会が10年目 女性含む22人励む 指導の木村さん 後継者育成に情熱”『中日新聞』朝刊、三重総合版、1995年6月27日、p.13
  17. ^ a b 伊勢春慶の再生を目指して 伊勢春慶の会
  18. ^ 『伊勢人』136号,伊勢文化舎,pp.16-19
  19. ^ a b “20年前に生産途絶えた漆器 『伊勢春慶』残っていた 再興願う三重・市民グループ 知多半島で調査 半田の山車組の膳や割り子”『中日新聞』朝刊、知多総合版、2003年8月6日、p.15
  20. ^ 伊勢志摩経済新聞"三重の「まちかど博物館」100館を紹介-伊勢文化舎がガイドブック出版"2013年1月5日(2013年3月18日閲覧。)
  21. ^ “伊勢春慶が食卓飾る 復興目指し学生と共同開発”『読売新聞』朝刊、三重版、2010年11月11日、p.27
  22. ^ “「伊勢春慶」継承再生へ デザイン工房きょうオープン”『読売新聞』朝刊、中部、2008年3月23日、p.29
  23. ^ “「伊勢春慶」の製造 市民グループが指定団体に”『朝日新聞』朝刊、三重版、2011年2月3日、p.21
  24. ^ “伊勢春慶の技 団塊世代に:塗師に専念できる人募り育成”『朝日新聞』朝刊、三重版、2011年5月26日、p.25
  25. ^ “伊勢春慶で第2の人生を 定退者対象 来月体験会 有志ら参加者募集”『中日新聞』朝刊、伊勢志摩版、2011年5月25日、p.16
  26. ^ 伊勢志摩サミットで使用された代表的な食器類”. 外務省. 2016年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月29日閲覧。
  27. ^ “伝統漆器「伊勢春慶」塗師に元海上保安官”『朝日新聞』朝刊、三重地方版、2016年7月13日、p.25

参考文献

  • 宇治山田市『宇治山田市史 上巻』宇治山田市、1929年。NDLJP:1266036 
  • 伊勢市『伊勢市史 第8巻(民俗編)』伊勢市、2009年。 
  • 「特集 ふるさとの漆器・再生への物語 伊勢春慶」『伊勢人』、伊勢文化舎、2003年12月、6-39頁。 
  • 世古口真弓「伊勢漆器に関する報告 海の博物館所蔵資料を中心として」『海と人間』、海の博物館、1982年1月、23-29頁。 

関連項目

外部リンク