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2016年6月8日 (水) 00:20時点における版
桂 春雨(かつら はるさめ)は、落語家・色物の名跡。当代は2代目か3代目であると推測される。過去に何人いたか不明。
- 先代桂 春雨(生年不詳・大正末生 - 1960年没) - 2代目桂春団治の桂福団治時代の門人で桂一福、福団治の春団治と同時の1934年11月に桂春雨に改名、上方落語衰退期の1939年に漫才に転身。新興演芸部でミスワカ子(後の河村節子)とコンビを組む。戦後は春団治の一座に納まりその後没。春団治の一番弟子。落語家時代には「たらちね」が印象的だったと吉田留三郎が著書の『かみがた芸能 漫才太平記』の中で評した。なお同著書では1960年に死去したとも書かれている。
かつら はるさめ 桂 春雨 | |
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花菱は、桂春団治一門の定紋である。 | |
本名 | 中田 雅也 |
生年月日 | 1964年1月28日(60歳) |
出生地 | 日本・東京都文京区 |
職業 | 落語家 |
活動期間 | 1983年 - 現在 |
活動内容 |
1983年:3代目桂春団治に入門 |
配偶者 | 中田まなみ |
備考 | |
大阪市立大学客員准教授 |
当代桂 春雨(かつら はるさめ、1964年1月28日 - )は東京都文京区出身の落語家。本名は中田 雅也。
東京都立小石川高等学校卒業後、1983年4月に3代目桂春団治に入門。上方落語協会茶道部「楽茶会」会員。上方落語地車囃子保存会「雅会」会員。阿波踊りの「はなしか連」東京支社長。アメリカマイアミ名誉市民。通称「落語界の貴公子」。出囃子は「春雨」。
人物・来歴
- 1964年、東京都文京区、三業地のあった白山一丁目(旧、小石川指ヶ谷町)で生まれる。
- 歌舞伎・文楽を愛好し、お茶を嗜み長唄を口ずさむ「優男(やさおとこ)」。和物だけでなく、近年は宝塚歌劇にも目覚め、健康のためにクラシックバレエのレッスンも始めた。
エピソード
- 毎年訪れるイタリアについてかなり詳しく、自転車プロロードレース選手マリオ・チポリーニのファン。
- 虚弱体質であり、花粉症。肺に水が溜まって入院したこともある。
- 夫人はお囃子の中田まなみ。
- 2007年より、大阪市立大学において公開授業「大阪落語への招待」に講師として参加し桂春之輔と共に教鞭をとる。2014年より客員准教授。
- 生誕五十年を記念して、大阪の寄席天満天神繁昌亭に於いて、一年間の間に五十席の落語を口演する『春雨五十席』と題する独演会シリーズ(全18回)を開催した。
- 五十歳になったのをきっかけに、アンチエイジングのためクラシックバレエを始める。
出典
- 協会員プロフィール:桂春雨 - 上方落語協会公式プロフィール
関連項目
外部リンク
- Harusame's Web - 公式サイト
- 春雨ブログ日誌 - ブログ
- 春雨五十席 - 春雨五十席のサイト